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流浪女的戀愛幻想:林芙美子《浮雲》

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(1)台大日本語文研究第 8 期 2005 年 6 月,頁 93-124 本文 2005. 4. 25 收稿,2005. 5. 13 通過刊登. 飄浪女的「戀愛幻想」―林芙美子《浮雲》― 黃 錦容. 摘. *. 要. 《 浮 雲 》( 1950 年 ) 是 流 浪 小 說 家 知 名 的 林 芙 美 子 晚 年 的 傑 作 。 在完成《浮雲》不到三個月後,芙美子便與世長辭。第二次世界大戰 時 , 女 主 角 ゆ き 子 ( Yukiko) 為 了 逃 離 與 姊 夫 弟 弟 伊 庭 的 不 倫 之 戀 , 而 前 往 法 屬 印 度 尼 西 亞 ─ ─ 在 越 南 南 部 的 答 拉 ( Dalat), 在 當 地 ゆ き 子邂逅了已婚的農林省技師富岡,兩人陷入熱戀,不久日本戰敗各自 返回日本。ゆき子無法忘記在法屬印度尼西亞時那夢幻般的戀情,苦 纏著一直無法離開妻子的富岡。明知道這男子的頹廢不堪,卻藕斷絲 連地持續這段孽緣的男女情痴物語。 ゆき子對戀愛的幻想,表面上看來依賴著男性,然後與許多男性 發生性關係,是既屈辱而墮落的。然而,在實際生活上,她像娼婦般 的性經驗,則展現出一種既奔放而自由的生活方式。但在家庭體制之 外的異類女性,對於戀愛、對於感情,有怎樣的深刻體會呢?ゆき子 到病死為止,一生都被貼上情婦、娼婦的標籤,像她這樣家庭體制外 的女性,在其輾轉身處日本與殖民地間所經歷的戀情,她內在所潛藏 的「他者性」──不自覺地遊移在「自立」與「依賴」之間的心態習 慣,乃至於她心裡揮之不去、戀愛型態裏成雙成對的舊鄉愁,其內涵 正是本論文所欲剖析的主題。. 關 鍵 詞 :《 浮 雲 》、 富 岡 、 ゆ き 子 、 戀 愛 幻 想 、 他 者 性. *. 政治大學日本語文學系教授。.

(2) 94. The Love Fantasies of A Wandering Woman ―On “The Drifting Cloud” by Hayasi Fumiko― Huang, Ching-jung *. Abstract “The Drifting Cloud” (1950) was one of the great works by Hayasi Fumiko, a famous vagrant novelist, in her latter part of life. Hayasi Fumiko passed away within 3 months on completing “The Drifting Cloud.” In World War II, the female protagonist, Yukiko, headed for the French Indonesia--- Dalat of Southern Vietnam, to escape from the unethical love with her brother-in-law. There, Yukiko met and fell in deep love with the married agricultural technician, Tomioka. Shortly after the Japanese lost the battle, and they each returned home to Japan. Yukiko could not let go of the dream-like affair in the French Indonesia, and kept contacting with Tomioka, who was not able to leave his wife. Knowing that the man is extremely decadent, she still continued with this unblessed affair, and could not let go of it. Superficially, Yukiko’s love fantasies that had caused her to depend on males and to have sexual relationships with various men, were humiliating and degenerative. Yet in the real life, the prostitute-like sexual experiences were displaying a kind of ebullient, free lifestyle. All her life until she died of illness, Yukiko had been labelled as a mistress, a prostitute. This essay will seek to dissect and analyze the following themes: the affairs that a woman outside of the family system experienced in and out of Japan and the colony; the hidden, internal “otherness”― attitude and habitual behaviours that unknowingly drifted. *. Professor of Department of Japanese, National Chengchi University.

(3) 95. between “independence” and “reliance”; and the old, unforgettable nostalgic lifestyle of a couple deeply in her heart... Key words: “The Drifting Cloud”, Tomioka, Yukiko, Love Fantasies, otherness.

(4) 96. 放浪する女の恋愛幻想―林芙美子『浮雲』― 黃 錦容. 要. *. 旨. 『 浮 雲 』( 1950 年 ) は 放 浪 の 小 説 家 で 知 ら れ て い る 林 芙 美 子 の 晩 年の傑作である。 『 浮 雲 』の 完 成 後 、三 か 月 足 ら ず し て 芙 美 子 は こ の 世を去った。第二次大戦下、主人公ゆき子は、義弟との不倫を逃れ て仏領インドシナに渡った。ベトナム南部の高原都市ダラットでゆ き子は既婚の農林省技師の富岡に会い、愛し合ったがやがて敗戦と なりそれぞれが日本に帰ってきた。女は仏印の夢が忘れられず、妻 と別れきれないでいる男の後を追いまわす。ダメ男と分かっていて も、別れようにも別れられない、腐れ縁でズルズルと関係を続けて いった男女の情痴の物語である。 ゆき子の恋愛幻想は表面的に男に依存して、何人かの男との性的 交渉を通して、屈辱的に堕落していくように見受けられるが、実は 生活の面で、その性的体験はかなり娼婦らしい奔放的で自由な生き 方をしている。だが、家庭外の異類の女はどんな恋愛感情を噛み締 めていくものであろうか。本論文は病死するまで生涯情婦と娼婦の レッテルを刻印されたゆき子の家庭外の女の、転々と居場所の日本 と植民地を経験した彼女の恋愛感情に潜んでいる他者性――無自覚 に自立と依存を入れ替わる心的習慣、ないしその拭いがたい郷愁と なる対幻想――の内実を解明したいものである。. キ ー ワ ー ド :『 浮 雲 』、 富 岡 、 ゆ き 子 、 恋 愛 幻 想 、 他 者 性. *. 政治大學日本語文學系教授.

(5) 97. 放浪する女の恋愛幻想―林芙美子『浮雲』― 黃 錦容. 一、放浪女の越境――共存と背反の両義性 『浮雲』 1 は放浪の小説家で知られている林芙美子の晩年の傑作 である。 『 浮 雲 』完 成 後 、三 か 月 足 ら ず し て 芙 美 子 は こ の 世 を 去 っ た 。 芙 美 子 は 、残 り 少 な い 自 ら の 命 を け ず り 、渾 身 の 力 を こ め て『 浮 雲 』 を書いたのである。第二次大戦下、主人公ゆき子は、義弟伊庭との 不倫を逃れて仏領インドシナに渡った。ベトナム南部の高原都市ダ ラットでゆき子は既婚の農林省技師の富岡に会い、愛し合ったが、 やがて敗戦となりそれぞれが日本に帰ってきた。女は仏印のロマン スが忘れられず、妻と別れきれないでいる男の後を追いまわす。ダ メ男と分かっていても、別れようにも別れられない、腐れ縁でズル ズルと関係を続けていった。富岡と縁が切れず、途方にくれたゆき 子は或る外国人の囲い者になったし、妊娠したゆき子は中絶し、再 び伊庭の囲い者となった。屋久島の新任地へ行く富岡にゆき子はつ いて行き、富岡が山に入っている留守の間にゆき子が呆気なく血を 吐いて死んだ。まず芙美子自身の自作解説からこの作品の創作意図 について踏まえておきたい。 〈 こ の 作 品 は 、或 る 時 代 の 私 の 現 象 で も あ る の だ 。よ い も の か 、 悪いものかは、読者がきめてくれるものであらうが、私は、こ の「浮雲」のあと、非常に疲れた。めまぐるしく私の周囲の速 度は早い。こんな地味な仕事をこつこつやってゐるうちに、歴 史はぐるぐる変化してゆく。だが、私は、この作品は、私にと って、最も困難な仕事でもあった。四囲のこともかまわずに、 この仕事にむきあってゐた。いはゆる、誰の眼にも見逃されて ゐ る 、空 間 を 流 れ て ゐ る 、人 間 の 運 命 を 書 き た か っ た の だ 。筋. 1. 昭 24.11~ 昭 25.8 雑 誌 「 風 説 」 に 、 引 続 き 昭 25.9~ 昭 26.4 雑 誌 「 文 学 界 」 に 連 載 さ れ 、 完 結 し 、 昭 26.4( 1951) 六 興 出 版 社 か ら 出 版 さ れ た 。.

(6) 98 台 大 日 本 語 文 研 究 8. の な い 世 界 。説 明 の 出 来 な い 、小 説 の 外 側 の 小 説 。誰 の 影 響 も う け て ゐ な い 、私 の 考 へ た 一 つ の モ ラ ル 。さ う し た も の を 意 図 し て ゐ た 。( 略 ) 神 は 近 く に あ り な が ら 、 そ の 神 を 手 さ ぐ り で い る 、私 自 身 の 生 き の も ど か し さ を 、こ の 作 品 に 描 き た か っ た のだ。 ( 略 )一 切 の 幻 滅 の 底 に 行 き つ い て し ま っ て 、そ こ か ら 、 再 び 萌 え 出 る も の 、 そ れ が 、 こ の 作 品 の 題 目 で あ り 、「 浮 雲 」 と い ふ 題 が 生 ま れ た 。 … … 〉( 林 芙 美 子 『 浮 雲 』 あ と が き 、 1951.3.3 下 落 合 に て ) ゆき子の造型にはあくまでも家庭外の女として設定され、悪女と いうよりもむしろ無判断で腐れ縁に身を流されていくだらしのない 女として造形される。従来の研究視点には、主に主人公ゆき子の形 象性に集中され、 〈富岡の気持ひとつによって幸不幸がゆれている他 動 的 な 女 性 〉2 と し て 把 握 さ れ て い る 。 〈女は経済力をもたないので、 男性に依存して生きなければならない。そこで、相手の男しだいで 女 の 幸 不 幸 が 定 ま る 〉 3 、い わ ゆ る〈 惚 れ や す い 女 〉 4 で あ る 。こ れ までの諸研究には作家の生涯の生き方まで言及され、ゆき子の形象 性には芙美子自身の普遍的な人生感情が付与されるところが大きい、 という言説はほぼ定着している。作家芙美子の獲得した人生観―― 〈 男 に 苦 労 を し つ く し た 女 〉、す ぐ 惚 れ て し ま う 女 に は 、男 性 は 見 え ないということは、平林たい子氏は〈信念とか思想性のない「情と みれんが深く情熱的で淫蕩で多少破廉恥な」林文学の女の「典型の 集 大 成 」〉と し て 厳 し い 指 摘 を し て い る 。こ の よ う な 芙 美 子 批 判 に 対 し て 、渡 辺 澄 子 氏 は 、 〈実行する女を歓迎し賞賛するようにはこの国 の土壌は耕されていない。どちらかというと保守的なゆき子のよう な女を男は愛し、多くの女たちも面白く思う。芙美子は制度に囲繞 されて振り回されながら、男に依拠して生きるしかない庶民の女を. 2. 熊 坂 敦 子 「 浮 雲 〈 林 芙 美 子 〉」、「 国 文 学 」 巻 号 : 13-5、 1968.4、 P5~ 板 垣 直 子 「 近 代 女 流 作 家 の 肖 像 林 芙 美 子 ― 作 風 の 向 上 と 発 展 」、「 解 釈 と 鑑 賞 」 1972.3 4 渡 邊 澄 子「 林 芙 美 子 と 平 林 た い 子 」 「国文学解釈と鑑賞 特集林芙美子の世 界 」 63 号 ― 2 至 文 堂 、 1998.2 3.

(7) 放浪する女の恋愛幻想―林芙美子『浮雲』― 99. 描いた〉 5 と、むしろ日本の土壌に根付いた庶民の女の生き方とし て把握してみた。 このように、先行研究において、自立と依存の両義性、中途半端 な目覚め方をしているゆき子の無自覚の他者性がしばしば指摘され るものである。果たしてゆき子のこうした旧い心的習慣、こうした 拭きがたい対幻想はそのまま〈時代を超えるもの〉 6 として考えら れるのだろうか。そして、水田宗子氏の説には、現代フェミニズム の観点から、ゆき子の堕落と愛欲生活をむしろ「破滅と新生」の両 義的なものとして見た。日本内部の家庭という従来の女のカテゴリ ーをはみ出した放浪女の自立問題、男性という他者との係わり合い の 経 験 を 通 し て 、そ こ に は 常 に〈「 厄 病 神 」と い う 異 邦 人 の 私 に 出 会 うことからくる、自己蘇生〉の〈近代の女性たちの内的な旅〉であ った。さらに、場所の経験という視点から見て、福田珠己氏が〈長 篇『浮雲』においても、人間の一生を太空に流れ、また消えていく 浮雲のようにはかなく虚無的なものとして描いている。林芙美子の 作 品 の 中 に は 常 に insidenessと outsidenessが 共 存 し て い る と い う こ と が で き る 。〉 7 と 、 ゆ き 子 に は 〈 insidenessと outsidenessの 同 時 共 存 〉、 背 反 が 生 成 し 、 反 復 さ れ て い っ た と 指 摘 し て い る 。 しかし、家庭外の異類の女の恋愛像には、場所における内部(内 地 、家 庭 と い う カ テ ゴ リ ー で 限 定 さ れ 、保 護 さ れ る 女 の 居 場 所 )と 、 外部(海外、放浪という形で自由女の生き方)の共存と背反だけで 捉えられるものではない。ゆき子の恋愛幻想は表面的に男に依存し て、何人かの男との性的交渉を通して、屈辱的に堕落していくよう に見受けられるが、その性的体験はかなり娼婦らしい奔放的で自由 な生き方をしている。だが、その内面の恋愛感情においては実はか. 5. 渡 邊 澄 子「 林 芙 美 子 と 平 林 た い 子 」 「国文学解釈と鑑賞 特集林芙美子の世 界 63 号 -2 至 文 堂 、 1998.2 6 今川英子「林芙美子『浮雲』試論」昭和学院短期大学「昭和大学院短期大 学 紀 要 」 29 巻 、 1993.3 7 福 田 珠 己「 場 所 の 経 験:林 芙 美 子『 放 浪 記 』を 中 心 と し て 」、 「 人 文 地 理 43-4」 人 文 地 理 学 会 、 1991.8.

(8) 100 台 大 日 本 語 文 研 究 8. なり他動的に愛に渇いている女性として造形される。文学のテクス トの「空間」で開示された主人公の生の「空間」がロトマンの現象 学の空間論によれば、組織され、構造を持つ〈内部〉と、未組織で 構造をもたない〈外部〉という対立項が考えられ、文化と野蛮、イ ンテリと民衆、コスモスとカオス、というように様々な文化テクス トにおいて可変体として読み替えられるという。ロトマンは「境界 は、内部空間か外部空間のどちらかのみに属し、一度に両方に所属 することはない」 8 といい、意味論的場としての境界を一義的に決 定する。その代わり、前田愛氏は山口昌男氏の多義的な境界の特性 9. から考えて、 〈文学テクストに描き出された登場人物の越境もまた. 彼の行為の中に隠されている両義性を開示し、もうひとつの生の可 能性を垣間見させる契機である〉. 10. と、更に厳密に定義づけようと. する。生涯情婦と娼婦のレッテルを刻印されていながら、転々と居 場所の日本と植民地を経験したゆき子であるが、そうした外部(異 郷と家庭外の女という二つの空間)体験を通して、果たして彼女は 生の豊かさを取り戻していったのだろうか。ゆき子の噛み締めてい く恋愛感情の内面に潜んでいる他者性――無自覚に自立と依存を入 れ替わる心的習慣、最後には日本の内部空間へ回帰した彼女の拭い がたい郷愁となる対幻想の内実はどういう有様のものだろうか。本 論 文 は 上 述 の 説 に 「 運 命 」、「 男 の 体 臭 」、「 は か な い 習 慣 」 と し か 解 釈されていないゆき子の評価問題を更に厳密に定義し、まず放浪女 の越境という行為を通して、その生まれ変わる新生の契機が開かれ たか、という視点から問題提起としたい。そして、第二の視点とし て、ゆき子の恋愛幻想から敷衍させ、芙美子の晩年における「他者 化した戦後空間」について、結びとして触れてみたいものである。. 8. ロ ト マ ン 『 芸 術 テ ク ス ト の 構 造 』、 1970。 ユ ー リ ー M.ロ ト マ ン 著 ; 磯 谷 孝 訳『 文 学 理 論 と 構 造 主 義 ―テ キ ス ト へ の 記 号 論 的 ア プ ロ ー チ 』、勁 草 書 房 、1998.6 9 山 口 昌 男 『 文 化 と 両 義 性 』、 岩 波 書 店 、 1975.1 岩 波 現 代 文 庫 、 2000.5 10 前 田 愛 「 空 間 の テ ク ス ト テ ク ス ト の 空 間 」『 都 市 空 間 の な か の 文 学 』、 ち く ま 学 芸 文 庫 、 1992.8 初 出 : 同 題 、「 現 代 思 想 」 1982.7.

(9) 放浪する女の恋愛幻想―林芙美子『浮雲』― 101. 二、性差で示される放浪女の身体表現 『浮雲』の舞台は、戦後まもない戦争で荒廃した東京である。そ れに、伊香保と屋久島が加わる。主人公、幸田ゆき子と富岡謙吾の 思い出の場としても重要である。昭和十八年の秋、戦争中、農林省 の タ イ ピ ス ト と し て 二 十 二 歳 の 幸 田 ゆ き 子 は 、仏 印( 現 、ベ ト ナ ム ) の高原地帯ダラットに派遣され、そこで富岡と知合い、二人は結ば れた。ゆき子は、東京でタイピストの学校に通っていた時、寄宿先 の主人伊庭――ゆき子の姉婿の弟に犯され、それから三年間、伊庭 の妻の眼を盗んで関係を続けていた。そんないまわしい生活に嫌気 がさし、また戦時下の日本の息詰まるような重苦しい空気に耐えか ねて、自ら志願して仏印に渡ったのである。ゆき子の外観から見て は 、ど う し て も〈 地 味 で 、一 向 に 目 立 た な い 人 柄 〉で 、 〈軍の証明書 に張ってある彼女の写真は、年よりは老けて、二十二歳とは見えな か っ た 〉( 三 ). 11. 。海外での仕事は情婦の性的役割しか果たして来. なかったことへの反動として脱出したように見えても、彼女の愛と 性は果たしてそれほど純粋な感情のものであろうか。ここであらた めて、ゆき子の愛と性について考えてみたい。まず最初の相手伊庭 衫夫はゆき子が寄宿して一週間めに彼女を犯し、その後三年間関係 を続けるが、ゆき子には「恋愛の情」よりも、むしろ不倫であるが ゆえの苦しさ、憎しみがあった。まずテキストの中において最初か ら そ の 情 欲 表 現 が む し ろ 忌 ま わ し い も の で あ っ た 。〈 目 立 た な い 自 分のような女に、どうして杉夫がこんな激しい情愛を見せてくれる の か 、 ゆ き 子 は 不 思 議 だ っ た 〉。〈 将 来 に 就 い て 語 り あ う と い う で も なく、まるで娼婦をあつかうようなしぐさで、杉夫は、ゆき子をあ つ か っ た 〉( 三 )。 家 庭 外 の 女 ( 娼 婦 ) に な ぜ あ れ だ け の 激 し い 情 愛 を見せてくれたのか、ゆき子が不審に思った。不倫関係の中で男と いう他者が理解できずに、他動的な扱われ方をしながらも薄々自分 の娼婦性に気づいたものであった。森英一氏の見解によると、日本 11. 作 品 の 原 文 引 用 は 新 潮 社『 林 芙 美 子 浮 雲 』 ( 昭 和 28.4.発 行 、昭 和 43.6 改 版 、 平 成 12.57 刷 ) に よ る も の で 、 現 代 仮 名 遣 い に 改 め ら れ た も の で あ る 。.

(10) 102 台 大 日 本 語 文 研 究 8. から脱出する以前から既にゆき子の内面に備えている〈理性が本能 の前には一かたまりもないない〉娼婦性、魔性が早くから覗いてい ると言う。 ゆき子と冨岡の出会った場所はダラットという異郷であるが、両 者の海外への脱出願望は違った内実を抱えていたのである。ここで ゆき子は農林省から派遣されていた技官の富岡と知り合ったのであ る。富岡は、東京に妻がおり、また現地の女中ニウとも関係してい た。ダラットは、戦時下というのに美しい風物に包まれたのどかな 町で、ゆき子にとってはまさに天国であった。海外へ飛び出してき たところで、依然として空虚を感じて、ゆき子の不安と孤独感はひ たすらただニヒリズムの響き方がしていた。ゆき子の本当の願望は ただ〈戦争の中で、若い女が、毎日、一億玉砕の精神で、どうして 暮らしてゆけて?私、気まぐれで、こんな遠いところへ、来たんじ ゃないのよ……。何処かへ、流れて行きたかったの。何処かへ、流 れ て 行 き た か っ た 〉 (九 ) 。 ダ ラ ッ ト に は 富 岡 の 同 僚 の 加 野 が お り 、 加野はゆき子に魅せられたが、富岡とゆき子の愛の進展を知って、 刃傷事件まで起こした。ゆき子を眺めて、加野が興味を感じるのは 自分と同様に「流されて来た」孤独感を味わわされている匂いがし ていた。 戦時中の不安、孤独、幸福感などは三人三様であるが、そこには 一脈共通したニヒリズムが流れていた。気まぐれで投げやりの気分 であった。しかし、未だこの時点において、ゆき子が魅せられてい る富岡の存在と内心が読めるほどのものではなかった。富岡の不安 と空虚的心情は実際はゆき子と加野二人以上に自己理解し、さらに 激しい自責の念に駆られていたのである。こうした富岡の他者理解 はむしろ絶えず厳しい自己批判を加えた上で、常に他者という鏡に 映り出されている自分の姿へ冷ややかな視線で捉えられていたので ある。戦争中の富岡の「幸福」感覚とはどういうものであろうか。 そ れ は〈 我 々 は 幸 福 と 云 う も の だ 。軍 の 目 的 は と に か く と し て 、我 々 は自分の職分にしたがって森林を護ってやればいいンですよ。充分.

(11) 放浪する女の恋愛幻想―林芙美子『浮雲』― 103. に め ぐ ま れ た 仕 事 と し て 、そ れ だ け は 感 謝 し て い る か ら ね 〉 ( 七 )と い う 戦 争 と 内 地 か ら は み 出 さ れ た 者 outsideness の 自 己 認 識 と 喪 失 感を抱えていた。ゆき子の目から見れば富岡の人柄は〈風変りな人 間 〉で 、 〈仲々情の深い男。 ( 略 )三 日 に 一 度 、細 君 に 手 紙 を 書 い て い る と い う こ と が 、何 故 だ か 、ゆ き 子 に は が ん と 胸 に こ た え た 〉( 七 )。 富 岡 の 場 合 は ゆ き 子 に 対 し て 、 最 初 の 感 情 は た だ の 〈「 取 り 澄 ま し て る 女 じ ゃ な い か ? 」 富 岡 が 吐 き 捨 て る よ う に 云 っ た 〉。〈 若 い 女 がこんな処まで来るのは厭〉 ( 八 )だ っ た 。い よ い よ 寂 し さ を 紛 ら す ためにゆき子に好感を持ち始めてからも、 〈幸田ゆき子のすくすくし た 躯 つ き が 、妻 の 邦 子 に 何 処 か 似 て 〉い て 、 〈同じ人種の男女にだけ、 通 じ あ う 、 言 葉 や 、生 活 の 、馴 れ 馴 れ し さ が 、こ こ に 一 人 現 れ て 、幸 田 ゆき子によって示された〉 ( 十 )と 言 う 、妙 な 発 見 が 、富 岡 の 心 に 響 いた。二人が結ばれてからも、冨岡は一向に冷酷な仕打ちしか示さ なかった。その代わり、ゆき子の満足の仕方は不釣合いの過大のも の で あ っ た 。〈 ゆ き 子 は 、時 々 微 笑 が 湧 い た 。深 い ち ぎ り と ま で は ゆ か な い け れ ど も 、一 人 の 男 の 心 を 得 た 自 信 で 、豊 か な 気 持 ち で あ っ た 。( 略 ) 冷 酷 を よ そ お っ て い て 、 す こ し も 冷 酷 で な か っ た 男 の 崩 れ か た が 、気 味 が よ か っ た し 、皮 肉 で 、毒 舌 家 で 、 細 君 思 い の 男 を 素 直 に 自 分 の も の に 出 来 た 事 は 、ゆ き 子 に と っ て は 無 上 の 嬉 し さ で あ る 。 富 岡 の 冷 酷 ぶ り に 打 ち 克 っ た 気 が し た 。〉( 十 二 ) 一体、富岡は日本社会からはみ出された者の投げやりの気分以外 に、日本の内部へ向かわざるを得ない志向性を示しているのがその 心 的 状 態 の 大 き な 特 徴 と な る 。終 戦 に よ り 、日 本 に 戻 っ た ゆ き 子 は 、 先 に 帰 国 し て い た 富 岡 を 訪 ね た 。富 岡 は 帰 国 に 際 し 、 「君が帰るまで には、きちんと解決して、奥さんとも別れてしまって、さっぱりし て、君を迎える」と約束したのであったが、ゆき子を迎えた彼は、 すでにダラットでの彼ではなかった。彼には、彼の帰国を首を長く して待っていた老父母と妻があり、その家族との生活を崩す気はな く、もはや彼の心はゆき子のものではなかった。彼は農林省を辞め 材木関係の仕事を始めていたが、それもうまくいかず、生活も不如.

(12) 104 台 大 日 本 語 文 研 究 8. 意であった。内地に戻ってきてからは冨岡の孤独の中身が変ってい く が 、再 会 す る 場 面 で 富 岡 の 無 感 動 と 冷 酷 さ が 示 さ れ る よ う に な る 。 〈 ゆ き 子 を 、遠 く か ら 眺 め て 、 富 岡 は 、 何 の 感 動 も な か っ た 。 舞 台 が す っ か り 変 わ っ て し ま っ て い る こ の 廃 墟 で は 、ダ ラ ッ ト で の 夢 を も う 一 度 く り か え し て み た い と い う 気 は し な か っ た 。苛 ら 立 っ た 心 を お さ え て 、も う 終 末 の 来 る 断 定 だ け で 、富 岡 は ゆ き 子 の そ ば へ 歩 み 寄 っ た 〉( 十 三 )。 ゆき子は、疎開していて荷物だけ先に来ていた伊庭の家から、布 団など持ち出し、池袋に部屋を借りて一人の生活を始めた。ゆき子 はそんな富岡でも、富岡が忘れられず、二人の関係はずるずると続 く。しかし、富岡は〈何の感動もなく、昼間から敷き放しの蒲団に 二人は寄りそって、こおろぎの交尾のような、はかない習慣に落ち し ま う の で あ る 〉。富 岡 の 愛 欲 感 情 の 内 実 は た だ 自 分 の 空 虚 な 果 か な さを忘れるための行為だった。ここにおいて富岡の視線の意味はま だ朦朧でありながら、既にゆき子の存在をわが〈残酷なほどの痛ま しい心の苦闘を、もう一人の分身として、そこに放り出されている 現実の己れに富岡は委ねてみる〉 ( 十 四 )と し て 無 感 動 の ま ま お 互 い のどうにもならない生の果かなさに薄々感じ取っているのである。 それでは内地で再会した時点において、ゆき子の恋愛感情はどう変 わってしまうのだろうか。内地に戻ってからは激しい情熱が跡形も なく消え失せ、男との性的行為も惨めなものであった。昔の伊庭の 情婦をしていた頃と似たような扱われ方をしている自分にゆき子が 気付いてしまうものであった。 〈ゆき子は富岡の躯にあたためられな がらも、もっと、何か激しいものが欲しく、心は苛だっていた。こ んな行為は男の一時しのぎのような気もした。伊庭との秘密な三年 間 に も 、こ ん な 気 持 ち が あ っ た の を 、ゆ き 子 は 思 い 出 し て い る 。も っ と力いっぱいのものが欲しいといったもどかしさで、ゆき子は富岡 か ら 力 い っ ぱ い の も の を 探 し 出 し た い 気 で 焦 っ て い た 〉( 十 四 )。 彼 女は二の舞を踏むまいと焦り始めた。そうせしめたのは富岡の仕業 というよりも、伊庭にある制度的な家庭外の女への扱い方のそれと.

(13) 放浪する女の恋愛幻想―林芙美子『浮雲』― 105. 違って、語り手の解釈ではそれはむしろ「貧弱な環境のせい」で、 「敗戦の底に沈んで」 ( 十 四 )し ま っ た 両 者 の 敗 戦 後 の 喪 失 感 と い う 同質性を見出すものであった。しかし、このような語り手の裁断は 果たして当を得ているものだろうか。富岡の方は既に罪意識の心的 作用が大きく働き出したものである。 〈 現 在 の 生 活 の 淋 し さ を 、ゆ き 子によって遁れようと、秘密な誘惑に頼ろうとしている自分の身勝 手 さ が 、 背 筋 に 冷 た い 汗 の よ う に 走 っ た 〉。( 十 六 )。 両者の感情の変化が既に始末の悪い薄手な感情で色褪せつつあ るのが二人の共通感情であった。ゆき子自身もそれに気つかずにい な い わ け は な か っ た 。〈 無 理 な 工 面 を し て 逢 う 、 そ し て 、 二 人 だ け の共通のなかにある遠い思い出をたぐり寄せて、色も香りも失せつ つあるその思い出に酔っぱらってみたくなっている感情の始末の悪 さ……。只、それだけのことなのに、一度、二度、三度とゆき子は 富岡に逢いたがっている。そうして逢えば、その思い出も、色があ せつつあるのを知らされるだけのものだった。この敗戦の現実から は、二人の心のなかにある、遠い思い出なぞは、少しも火の気を呼 ば な い の だ っ た 。愛 し あ っ た ら 、そ の 場 で す ぐ 一 緒 に な ら な け れ ば 、 永遠に悔いを残すのだと、ダラットにいたときに、富岡が云ったこ と が あ る 〉( 十 九 )。 こ こ で ゆ き 子 が 確 認 し 得 る も の は 場 所 に 限 定 さ れる一時的な激情のものだという恋愛認識である。 そんなある日、ゆき子は、町で声を掛けられたアメリカ兵を自分 の部屋に泊めた。アメリカ兵はゆき子の部屋をしばしば訪れた。あ る日、富岡はゆき子の家で、アメリカ兵と鉢合わせしたが、そんな ゆき子を見ても、富岡は怒る気魄もなく、かえって女の逞しさをみ るのであった。ゆき子の表面的な堕落振りは実はより身体的表現の 肉体感覚、或いは生活感覚のものであった。この時からゆき子の内 面に秘めていた自由奔放な原始的な生の力を逞しく表現するように なる。この段階では当時ダラットで富岡の心を得た自信のそれと同 様〈言葉は充分ではなかったが、お互いの人間らしさは、肉体で了 解しあっている気安さで、ゆき子は何事にも恐れのない生活に踏み.

(14) 106 台 大 日 本 語 文 研 究 8. 出 し て 行 け る 自 信 が つ い た よ う な 気 が し た 〉( 二 十 )。 これほど割り切れるのは二元性を持った家庭外の女の独特で自 由な生き方であった。富岡と恋に落ちた昔では富岡の心情変化はた だ 妻 の 邦 子 の ど か か に 似 て い て 、海 外 に お け る 、 「言葉のニューアン スが通じた同じ人種」のそれとは随分性質の相反する感情である。 言ってみれば、ゆき子の娼婦的性格には一種の人間らしさ、肉体的 な温もりを求めているようなものである。それと引き換えに、富岡 の場合はより同質社会(日本の女及び日本という社会)の内部指向 の意味のものであった。だから、ここで示されたゆき子は無自覚的 にある意味のアイデンティティを超えた上で、 「 身 体 」表 現 の 他 者 性 を見抜いてしまっていると思われる。一切の社会制度による束縛を 振り切れるゆき子のに対して、富岡は〈何ものにも影響されない、 独 得 な 女 の 生 き 方 に 、富 岡 は 羨 望 と 嫉 妬 に 似 た 感 情 で 、ゆ き 子 の 変 貌 し た 姿 を み つ め た 。女 と い う も の に 、天 然 に そ な わ り 附 与 さ れ て い る 生 活 力 を 見 る に つ け 、現 在 の 貧 弱 な 自 分 の 位 置 に 就 い て 、富 岡 は 心 細 い も の を ひ そ か に 感 じ て い た 〉( 二 十 )。〈 日 本 へ 戻 っ て み て 、 初 め て 微 妙 な 女 心 を 見 た よ う な 気 が し た が 、ま た 、自 分 の 変 化 し た 心 の 転 移 に も 、富 岡 は ひ そ か に 幻 滅 を 感 じ な い で は い ら れ な か っ た 。〉( 二 十 一 ) 敗北した男の打つ手はどこにも存在し得ず、何の結論も出て来な い以上、ゆき子の存在を「自分の道連れになって」もらう他はなか った。負けた犬の恋愛感情は哀れみでも孤独でもなく、ただ「道連 れになって」もらいたい一心であった。ここで明らかに意識し出さ れるものは男のファンタジーと女のそれとの大きな相違点が存在し ていた。敗戦で負けた共通的な孤独感というよりも、富岡のゆき子 を見る視線が男と女の性差――単純な女の生活のファンタジーのそ れに移り変わっていくのであった。負けた犬の恋愛感情は哀れみで も 孤 独 で も な く 、た だ「 道 連 れ に な っ て 」も ら い た い 一 心 で あ っ た 。 そうした安易な女心に不服を感じた富岡はお互いの狡さに気づき始 め、 〈 自 分 の こ の 女 に 、上 手 に あ し ら わ れ て い る よ う な 気 が し て い る 。.

(15) 放浪する女の恋愛幻想―林芙美子『浮雲』― 107. ゆ と り の あ る 女 の 心 の 状 態 が 、富 岡 に は 厭 な 気 持 ち だ っ た .別 れ 時 が 来ていると思った。 ( 略 )富 岡 は 、自 分 の 淋 し さ を 噛 む 気 持 ち で あ っ た 。 何 一 つ 、押 し 付 け る こ と な く 、こ の 女 に 自 然 な 死 の 道 づ れ に な っ て も ら い た い 気 持 ち だ っ た 。( 略 )富 岡 は 、何 も 考 え て は い な い よ う な 、単 純 な 女 の 生 活 の フ ァ ン タ ジ ー を 羨 み な が ら も 、 ひ そ か に 、 そ の 女 の 、平 易 な 心 の 流 れ に 不 服 な も の を 感 じ る の だ っ た 。〉 (二十二). 三、伊香保――内部空間で限定される恋愛の対論理 ゆき子の方も昔の情熱が消えていくのを焦っていたのと違って、 ジョオの情婦になってから大きく変貌する。 〈日本へ戻ってからの自 分 の 勇 気 を 味 気 な く 考 え て 、ジ ョ オ の こ と を 、 「あの人も淋しいのよ。 あなたが、ニウを可愛がってた気持ちと同じよ……〉と富岡を口説 き、 〈現実を見抜いた女のずぶとさ〉 ( 二 十 )を 示 し て い る の で あ る 。 その気位は男性的な威圧的な態度で女性の肉体を求めていたのと同 様 に 、自 分 と ジ ョ オ と の 肉 体 的 関 係 を 位 置 付 け る の で あ る 。 〈やりば のない、明日をも判らぬ、一時しのぎの傾向が、自分の本当の生活 なのだと、ゆき子は大胆になって、富岡の顔をじっとみつめた。埃 臭い男の体臭が、かえって哀れに思えて、ゆき子は、環境で変わっ ていく人間の生活の流れを不思議なものと悟る。少しずつそうした 眼力が肥えていく事も淋しいとも思わずにゆき子は高見にたって、 富 岡 を 見 く だ し て い る 気 位 を 示 し て い た 〉。〈 自 分 の 周 り の 男 は 、 ど う し て 、こ ん な に 落 ち ぶ れ て 卑 し く な っ て し ま っ て い る の か と 〉 (二 十一)ゆき子は思った。この時点においてはゆき子の男を眺める眼 差しは『晩菊』の老妓のんのそれに髣髴させる面影が想起されるも の で あ る 。〈 富 岡 に と っ て は 、酒 は 麻 薬 の よ う に な っ て い る の か も し れ な い 。 ど ん な い い 仕 事 に 就 い た と こ ろ で 、こ う し て 、毎 日 酒 を 飲 む と な れ ば 、少 々 の 収 入 で は 追 い つ く 筈 も な い 。ゆ き 子 は 、富 岡 を 哀 れ が る よ り も 、 腹 立 た し い も の が こ み あ げ て 来 た 〉( 三 十 三 )。 こ の よ うな富岡批判は殖民地ダラットの仲間、内地に引き上げてきてから 同 様 に 無 職 の ま ま 落 ち ぶ れ た 加 野 の 視 点 に よ っ て 、〈「 あ い つ は 運 の.

(16) 108 台 大 日 本 語 文 研 究 8. い い 奴 で す ね 。人 の 落 ち ぶ れ に は 理 解 を 持 っ て 、そ う し た 人 間 の 運 命 を な っ と く 出 来 る 顔 で い な が ら 、自 分 は 住 み 心 地 の い い 椅 子 に か け て 、 仲 々 動 き 出 よ う と し な い 男 で す か ら ね 。」〉 と ( 三 十 五 ) さ ら に 加 え ら れ て い く 。ゆ き 子 は 、伊 香 保 へ 富 岡 と 心 中 を し に 行 っ て 果 せ な かった事を思い出していた。加野は何も知らないから、あんな事を 云 っ て い る の だ と 、思 っ て い て も 、心 の ど こ か で 加 野 の 富 岡 批 判 が 的 を得ていると頷かずにはいられなかった。語りの特徴は「他者とい う 合 わ せ 鏡 」と い う 技 法 に よ っ て 、お 互 い の 視 線 が 交 錯 す る な か で 、 孤独、不安、愛欲行為を通して、より明確に性差的な他者像が把握 されるのである。いよいよ戦後の哀れな感情、社会認識として二人 が認め合った。 上 述 の 通 り に 、男 か ら み た 女 と い う 他 者 観 察 、他 者 発 見 を し て い る富岡は更にその中で他者の中の自分(第二次の自己理解)を施し ているが、それと引き換えに、ゆき子は女から見た男という他者観 察、他者発見を見抜こうとしている。だが、果たしてゆき子は富岡 のように、結果的に女から見た自分――自分の中の他者性に徐々に 発 見 し 出 し て い け る も の だ ろ う か 。冨 岡 の 自 己 理 解 ‧他 者 理 解 が 鋭 く 当を得ているが、ゆき子の恋愛依存は自己反省・自己変革の契機を 開いていったのか。冨岡がゆき子にただ肉体的な満足を求めていた のだろうか。冨岡の果かなさが一体ゆき子が理解し得ていたのだろ うか。冨岡がただゆき子に自分の孤独に道連れになってもらいたい 気持ちだった。ゆき子の気持ちを理解していたにもかかわらず、ゆ き子のそれはただ「ダラットの夢」――過去の記憶をもう一度取り 戻したい女であった。一方は敗北した男の孤独であり、もう一方は 過去を取り戻したい女の孤独であった。 富 岡 は 仕 事 に 失 敗 し た 。家 を 売 り 、両 親 を 田 舎 に 帰 し て 、妻 と 二 人の生活を始めたが、うつうつと楽しまず、ゆき子を呼んで二人で 伊香保へ行った。富岡は、もうすべてがどうでもよいようななげや りの気持ちで、ゆき子を殺し自分も死ぬことを夢想した。そのこと を口にだすと、ゆき子もそれならそれでよいという気がしてきた。.

(17) 放浪する女の恋愛幻想―林芙美子『浮雲』― 109. 二人は伊香保で数日間を過ごした。富岡は宿泊料の足しにするため 時 計 を 売 る 。そ れ は お せ い と い う 若 い 妻 と 一 緒 に 住 む 清 吉 が 買 っ た 。 おせいは、清吉に飽き足らず、東京へ出てダンサーになりたいと思 っていた。富岡とゆき子は、清吉の好意で、清吉の家の二階に移っ たが、そこで富岡はおせいを誘惑した。富岡は、もう死ぬ気は失せ ていた。おせいによって生き返ったのである。このような心中未遂 の事件、及びおせいという人妻への誘惑行為を見て、ゆき子はいよ いよ究極としての冷めた恋愛感情を悟ってしまう。どう見ても甘っ たれた哀れな男性としか映らなかったのに、なぜだめ男にそれほど の未練心を抱き続けるのだろうか。娼婦女とだめ男の二人が未だく っついている対論理が明らかなものである。 〈昨日まで伊香保にいた事が嘘のような気がした。眼の前に、 まだ富岡が寝転んでいてくれるからいいようなものの、実際に 別 れ て し ま え ば 、 こ の 小 舎 で の 生 活 は 、一 人 で は 淋 し い か も 知 れないのだ。さっきまでは、昏々と一人で眠りたいと考えてい た の だ け れ ど 、い ま は ま た 、気 持 ち が 変 っ た 。 お 互 い の 素 性 を 知 り あ っ た も の 同 士 が 、一 つ と こ ろ に 寄 り あ っ て い る 事 は 慰 め だ っ た 。〉( 三 十 三 ) 富 岡 と お せ い と の 関 係 も 〈 あ れ は 旅 の 行 き ず り の 、富 岡 の 我 ま ま な 一 種 の 甘 っ た れ だ け で あ っ た の だ ろ う か … … 〉。ゆ き 子 は 富 岡 の 本 心を見たような気がした。 〈 か え っ て 、も て あ そ ば れ た よ う な か た ち になって、家出をしたおせいに対して、ゆき子は何となく同情もし て み る 〉( 三 十 四 )。 語 り 手 は 加 野 と い う 他 者 の 視 線 を 時 々 投 げ か け てゆき子批判をしている。男と女の冷めた現実とは実に冷酷な有様 で表現される。言って見れば、加野も富岡のゆき子批判とは同質的 なもので、一種の差別的な性差の視点でゆき子の逞しい生活力と変 貌に違和感を感じずにはいられないものである。 〈加野は加野で、久しぶりに日本でめぐりあってみたゆき子の 現 実 の 顔 は 、昔 と は い く ら も 変 っ て は い な か っ た け れ ど も 、自 分 が富岡と血闘してまでこの女を欲しがっていたのだろうかと、.

(18) 110 台 大 日 本 語 文 研 究 8. 妙 な 気 が し て い た の は た し か で あ る 。( 略 )こ ん な 女 の 何 処 に 誘 わ れ て 、あ ん な 事 に な っ た の か と お か し か っ た 。あ の 時 の 、出 先 の 日 本 人 の 生 活 に は 、一 種 魔 が さ し て い た の か も し れ な い の だ 。 みんな、虹のようなものに酔っぱらって暮らしていたような気 が し て 来 る 。〉( 三 十 五 ) ゆき子の場合は負けずにもっと人間的な(あるいは内地に戻って からの内部規範の)視線で加野の変化に呆れた心持に捉えられる。 相互に入れ替わりに「他者の目」を意識させ、その中心的志向は社 会的空間によって限定される性差──男の強さに対して憎いほど思 わ れ た 。〈 ゆ き 子 の 方 も ま た 、加 野 に 逢 っ て 後 悔 し て し ま っ た 。 行 か なければよかった気がした。あの時のままの加野さんと考えておく 方 が 、よ か っ た よ う に 思 え る 〉。 〈 そ の 場 か ぎ り の 感 情 で 、物 事 を 切 り 裁いて行く男の強さが、ゆき子に保いまでは憎々しい程の魅力にな っ て も い る 〉( 三 十 五 )。 男 の 無 力 さ を 見 抜 い て し ま っ て い る ゆ き 子 はますます虚無的な心情に陥っていく。伊香保で情死さえできなか った富岡の情けない堕落ぶりと合わせて考えると、 「 場 所 」で 限 定 さ れ、空間的意味で意味でけられる男の生き方(恋愛も含めて)が悟 られるのであった。だとすれば、無力な女の恋心はどうやって居場 所を見つけ出していくべきだろうか。それは浮気心の男の一時的な 「あの時」の情熱、という時間的意味のものを必死に掴み取ること が肝心なことである。 〈 何 故 一 緒 に あ の 場 で 死 ん で し ま わ な か っ た の だ ろ う 。… … い ま で は 死 神 が と っ つ い て い る よ う な 気 も し て 来 る 。( 略 )あ の 時 を 外 ず し て し ま っ た 事 が 、ゆ き 子 に は 残 念 で も あ っ た 。初 め に 逢 った時が本当のお互いだという仏印の歌の文句のように、伊香 保 の 宿 で 、富 岡 が 、じ い っ と 思 い を こ ら し て い た あ の 気 持 ち に 、応 え ら れ な か っ た 心 の 感 じ か た を 、ゆ き 子 は い ま に な っ て 口 惜 し く なった。その癖、ゆき子は、世の中や、男に対して、信用して しまう自信をなくしてしまっているのだ。二人が、情死をした ところで、うまく、気合のあった死に方はできなかったに違い.

(19) 放浪する女の恋愛幻想―林芙美子『浮雲』― 111. ない。死のまぎわまで、二人は別々の事を腹のなかでは考えて い る に 相 違 な い の だ 。 ゆ き 子 に は 、 そ れ が 厭 だ っ た の だ 。〉( 三 十六) ゆき子と富岡の共通の話題は、あの美しいダラットでの二人の愛 の思い出である。ゆき子にとって、ダラットの思い出は今でも現実 のものである。貧寒として佗しい戦後の生活の中で、二度とやって こない素晴らしいダラットの生活を思うにつけ、ゆき子は富岡がた まらなく恋しくなる。しかし、厳密な意味で二人がダラットで成就 された愛の思い出は果たしてそれほど甘美なものだろうか。過ぎ去 ったものはすべて美しく思い出されるの世の常というものだろうか。 富岡は出会った最初からゆき子に惚れ込んで契りを結んだのだろう か。ゆき子にとって現実のものであるダラットの思い出は、富岡に とっては、戦時下の外地における限定された環境での過去のもので あ っ た 。富 岡 の 心 に 焼 き つ い て い る の は 、ダ ラ ッ ト の 大 森 林 で あ り 、 ゆき子ではない。冨岡の場合は「場所の悲哀」であり、求心的に日 本社会、及び生活と仕事を求めていた。ゆき子の場合はむしろ「恋 愛の悲哀」であり、愛に渇いて、男に絶えず激しい情熱を求めてい た。愛に渇いている女はただ溺れたいだけの欲求によるものだろう か。社会から葬られた男女(たとえそれぞれカテゴリ-の内部意味 が違っていても)がただ肉体によって溺れたいわけだろうか。社会 復帰しようとして挫折した男の幻の愛と、愛に渇いて、ただ愛され たい娼婦女の幻の恋愛であった。二つの異なる幻想を持ちながら、 お互いの無力さを鋭く見抜いているにも関わらず、ただ甘さだけに 溺れているのである。. 四、銃後の女の恋愛論理――場所への回帰 ゆき子と富岡は、一週間ほどして東京へ帰ったが、その富岡を追 っておせいが家出し、富岡はおせいと愛人関係になった。本質的に 男と女の溺れ方が違うことに見届いてしまったゆき子は富岡の子を 妊娠していたが、富岡とおせいの関係を知って思い悩み、思い切っ.

(20) 112 台 大 日 本 語 文 研 究 8. て 、近 所 の 小 さ い 婦 人 科 医 を 尋 ね 、伊 庭 か ら 入 院 費 用 を 出 さ せ て 子 供 をおろしてしまった。 〈 お 互 い に 逢 っ て い る 時 だ け の 、だ ま し あ う 二 人の供述心理は、お互いにその深い原因にはふれたくない、芯はえ ぐ り た く な い 、甘 さ だ け に 溺 れ て い る と も い え る 。ゆ き 子 は 、富 岡 の 心の中を洞察していた。日がたつにつれ、ゆき子は富岡へ対して憎 し み が 濃 く な り 、あ の よ う な 薄 情 な 男 の 子 供 を 産 ん で な る も の か と 云 っ た 、憎 み っ ぽ い 気 持 ち に な っ た 〉 ( 四 十 )。お せ い は 、お せ い を 追 って上京した清吉に殺された。富岡は、おせいが死んだあともおせ いのからだが忘れられないが、富岡はおせいによって再生を図った にも関わらず、おせいが殺され、実質的に「道連れ」になってまら った以上、富岡は既に救いようのない自己嫌悪の気持ちになったの である。 退院したゆき子は、伊庭のやっている新興宗教の事務を手伝いな が ら 、い つ し か 伊 庭 の 妾 の よ う な 形 で 生 活 し て い た 。 〈心中するつも りでいても、女の死ぬのを見て自分だけゆっくりその場をのがれて 行く〉 ( 四 十 三 )富 岡 の ず る さ・贋 物 的 な 根 性 を ゆ き 子 は 猛 烈 に 叩 い たが、思い出にすがりつく索漠した男と女の愛欲関係に富岡がもう これ以上我慢する余裕すら感じ取れなかった。その代り、富岡の心 境はどうであろう。 〈 こ の 女 は 、何 時 ま で 昔 の 思 い 出 を 、金 貸 し の よ うに責めたてるのだろう……。昔の二人思い出の為に、いまだに、 その思い出のむかしを、金貸しのようにとりたてようとしている。 ゆ き 子 の 泣 き 声 を 聞 い て い る と 、急 に 富 岡 は む か む か し て 来 た 〉( 四 十 三 )。過 去 の 場 所 で「 一 時 」の 思 い 出 の 恋 に 執 念 深 く し が み つ い て い る ゆ き 子 に 、た だ む か む か す る だ け で あ っ た 。 〈 富 岡 は 、ダ ラ ッ ト だ と か 、中 国 人 の 別 荘 だ と か は 、い ま で は ど う で も よ く な っ て い た 。 覚 え て い る な ら ば 、そ の 後 は 貴 方 が 語 っ て く れ と 云 わ ぬ ば か り の ゆ き 子 の 甘 さ が 、富 岡 に は 不 快 で も あ っ た 。そ ん な 昔 の 夢 は ど う で も い い の だ 。 そ ん な 夢 に す が っ て な ん か い ら れ る も の か … … 〉( 四 十 四 ) と 、「 む し 返 し は 沢 山 で あ る 」 と さ え 思 っ た 。 富岡は清吉のために弁護士を頼んだ。せめて、そうした尽し方を.

(21) 放浪する女の恋愛幻想―林芙美子『浮雲』― 113. し て や る よ り 、お せ い へ の 供 養 は な い の だ 。ゆ き 子 か ら 、め ん め ん と 、 も う 一 度 、二 人 は 一 緒 に な っ て 立 ち な お り た い と 云 っ て 来 た が 、富 岡 は ゆ き 子 に 対 し て は 、も う 赤 の 他 人 よ り も ひ ど い 無 関 心 さ し か な い 。 富岡の妻は浦和で富岡の両親と住んでおり、富岡に看とられること も な く 、そ の 後 間 も な く み じ め な 暮 ら し の 中 で み る か げ も な く 衰 え 、 死んだ。 〈 富 岡 は 、お せ い の 亡 く な っ た 時 の よ う な 、名 残 り 惜 し さ は 少 し も 感 じ な か っ た 。終 戦 以 来 、邦 子 を 妻 ら し く あ つ か っ て や ら な か っ た 自 責 で 、棺 を 求 め る 事 す ら 出 来 な く な っ て い る 、自 分 達 の 落 ち ぶ れ を 厭 な も の に 思 っ た 〉。富 岡 に は 妻 の 葬 式 を 出 す 金 も な く 、金 を 都 合 してもらうためにゆき子を訪ねた。借金のために再びゆき子を訪れ る場面には、この男は、金を借りに来たのだという事がゆき子には す ぐ 判 っ た 。ゆ き 子 は〈 と う と う 富 岡 が 、落 ち ぶ れ て や っ て 来 た と 思 う と 、胸 の 中 が 痛 く な る ほ ど 、爽 快 な 気 が し た 〉。( 五 十 ) そ れ と 共 に 〈ゆき子は、分かれがたい気がした。邦子が亡くなってみれば、も う 、誰 に も 遠 慮 な く 、富 岡 と も 一 緒 に な れ る よ う な 気 が し た 〉。ゆ き 子は伊庭の金庫から大金を持ち出し、伊豆長岡の宿から富岡を呼び 出した。富岡は、真面目な仕事を始めたいのでゆき子と縁を切りた いという。そんな富岡にゆき子は、ただ女を梯子にするだけだと、 厳しい批判を浴びせながらも、なぜだか一方において、ゆき子はむ しろ富岡の荒々しい力に引かされる恋愛感情が蘇ってきて、結果的 に「女の最後の足掻き」として最も無性に富岡の「安らかに求めら れる愛情」に再び拘るようになった。 〈富岡の貧しさが、哀れでもあったが、生活力のなくなってい る男へ対しての魅力は薄れかけて来た気がした。あの時、自分 の 背 中 の 金 庫 か ら 、あ り 金 を さ ら っ て 、富 岡 と 逃 げ た い 気 持 ち だ っ た の だ が 、い ま は 妙 に 落 ち 着 き 、ゆ き 子 は 、ま だ 、二 三 時 間 は も の を 考 え る 時 間 が あ る と 思 っ た 。( 略 ) 電 気 蒲 団 で 腰 が あ た た まって来ると、ゆき子は、富岡の荒々しいあの時の力を、微笑 して思い出していた。何時までも心の名残になるような、あの 時が、肉体の一点につよく残っているそのことを考えると、富.

(22) 114 台 大 日 本 語 文 研 究 8. 岡に対して平静にはなれなかった。富岡のすべてに引かされる 愛情が、自分の血液を創るための女の最後のあがきのような気 もして来て、富岡にだけは、その愛情が安らかに求められる思 い が し た 。 昇 騰 す る 心 の 波 は ま た 、 背 後 の 金 庫 へ 向 っ て 行 く 。〉 (五十一) この場面におけるゆき子の心機一転――結びの屋久島の死への転 落の伏線となる描写となるが、魅力のなくなった富岡への恋愛感情 が結局「心の名残り」の「肉体の一点」に集約されていくものであ る。 『 晩 菊 』の 老 妓 き ん の 田 部 の 若 い 自 分 の 写 真 を 火 に く べ た 、と い う荒涼とした恋の終極と違った受け止め方をしているところは興味 深いものである。ゆき子はとうとう辿り着いた恋愛の廃墟に拒絶反 応を起こして、再び場所の外部世界――ダラットというユートピア へ幻の郷愁を仕向けていく姿勢を取り直したのである。 富岡は、友人の世話で屋久島の営林局へ赴任することになってお り、この際ゆき子との縁を清算しようとしたが、ゆき子は、どうし ても連れていってくれと同行をせまる。ここまで何の躊躇もなしに 逞しくしがみついてくる女の足取りと生き様を見せ付けられ、 〈富岡 は 、ゆ き 子 と の 、こ う し た 長 い 交 渉 を 宿 命 の よ う に も 思 う の だ っ た 。 おせいも、邦子も死んだ。ただ、この女だけが、生き残っている。 そ れ も 、逞 し い フ ァ イ ト を 持 っ て 生 き て い る の だ と 思 う と 、今 度 は 、 自 分 の 方 が 、 こ の 女 に 追 い 詰 め ら れ そ う な 気 が し た 〉( 五 十 三 )。 ゆ き子も生きる希望も気力がなくなった富岡との腐れ縁をひたすら因 縁のように嘆きを漏らすのであった。再び宿命のように感じられる 両者の生の無意味さを確認し合うようになる。自己実現の居場所を 失った男と、恋愛の居場所を失った女が今更一緒に死んでも死に切 れ な い 思 い が す る ば か り で あ っ た 。〈「 伊 香 保 で 、 何 故 、 私 達 は 気 持 ち よ く 死 ね な か っ た ン で し ょ う ? 」〉と 問 い 掛 け る と 、冨 岡 の 方 か ら 〈「 お 互 い に 、 死 ぬ 必 要 は な く な っ た ね 。 月 日 が 、 そ ん な 風 に う ま く 、 取 り 計 っ て く れ た ン だ よ 。」( 五 十 三 ) と 嘆 き を 交 わ す の で あ っ た。.

(23) 放浪する女の恋愛幻想―林芙美子『浮雲』― 115. 〈「 い や 、 も う 、 怒 る も 怒 ら な い も な い 。 終 戦 後 、 み ん な 、 こ んな気持になってしまったンだな……。自分を基にして判断す る力を失ってしまったンだよ。目的は、自分がつくるものじゃ な く て 、 周 囲 が つ く っ て く れ る よ う に な っ た ン だ … … 。〉( 五 十 四 )。 すべての悲哀は敗戦後の共通した気持に帰するしかない、とあやふ やな結論と判断を下すようになる。だが、語りにおいては明らかに 富岡の方がより一層強く時代の悲哀として意識され、場所を見失っ た悲しみの響き方をしていた。 二人は屋久島へ向けて旅立つが、すでに胸の病がゆき子を蝕んで いた。ゆき子は鹿児島で発熱、無理して乗船し、やっとの思いで屋 久島にたどり着いた。屋久島は毎日雨が降り続いた。富岡の無精神 状 態 の ニ ヒ リ ズ ム が 深 ま っ て い く 一 方 で あ っ た 。〈 富 岡 は 、 こ の 無 精 神 状 態 の な か に 、ゆ き 子 と 古 い き ず な を 続 け る の は た ま ら な い 気 持 だ っ た 。そ の く せ 、そ の 古 い き ず な は 、切 れ よ う と し て 切 れ も し ないで、富岡の生活の中にかびのように養い込んでしまっていた〉 ( 五 十 七 )。屋 久 島 へ 旅 立 つ 前 か ら ゆ き 子 の 存 在 を た だ「 カ ビ 」の よ うなもので、それは富岡と交渉を持って、死なせてしまった女達― ―安南人の女中ニウ、妻の邦子、ゆき子、おせいのいずれにも当て 嵌められ、一致して客体化された存在となる。それは戦争に加わる ことなく、銃後の女の論理となるものであった。戦時中は自由な孤 独を許されなかった富岡にとってはその精神的な渇きをすべてのお 女に求めたのである。これこそ男の論理で位置づけられる二人の恋 愛の正体であった。 ある大雨の日、富岡が山へ入っている間に、ゆき子は喀血し息を 引き取った。息を引き取る前、ゆき子の頭をよぎったのは、富岡と 一緒に過ごしたダラットの美しい景色である。 〈 ノ ア や 、ロ ト の 審 判 が、雨の音のなかに、轟轟と押し寄せて来るようで、ゆき子は、そ の 響 き の 洞 穴 の 向 こ う に 、誰 に も 愛 さ れ な か っ た 一 人 の 女 の む な し さ が 、こ だ ま に な っ て 戻 っ て 来 る 、淋 し い 姿 を 見 た 。失 格 し た 自 分.

(24) 116 台 大 日 本 語 文 研 究 8. は、もうここでは何一つ取り戻しようがない。あの頃の自分は、ど うしてしまったのだろう……〉 ( 六 十 五 )、と 悔 恨 の 心 情 を 吐 露 す る 。 富岡はもの言わぬゆき子に、 〈 案 外 、不 憫 で い と し く も あ る の だ っ た 〉 ( 六 十 六 )。し か し 、何 か 一 つ の こ と が 終 わ っ た よ う な 心 の 軽 く な る のを覚えた。一か月後、富岡は休暇をとり鹿児島にいた。富岡はこ の 一 か 月 、す っ か り 酒 に 溺 れ 、別 人 の よ う に 顔 が 変 っ て い た 。 〈人生 はそれぞれに、他人の容喙を許さない、様々なアスペクトを持って い る も の だ と 、 富 岡 は 遠 い 島 で 考 え て い た 〉( 六 十 七 )。 ゆ き 子 の 死 そのものがおせいの死、邦子の死のそれに同一視され、冷徹した眼 差しで向けられるのである。すべての生はわが生と同様に「神は無 数 に 種 子 を 蒔 い た 。 収 穫 は 、 た だ 、「 お の ず か ら 」 な る 力 に す が っ て 育 っ て い る だ け だ 」 と い う 言 葉 で 『 浮 雲 』 は 終 わ っ て い る 。〈 富 岡 は 、ま る で 、浮 雲 の よ う な 、己 れ の 姿 を 考 え て い た 。そ れ は 、何 時 、何 処 か で 、消 え る と も な く 消 え て ゆ く 、浮 雲 で あ る 。〉 (六十七) 救いようのない女を描き、どこかに救いがある筈だともがきなが ら、益々暗い運命に落込み、果ては浮雲のように佗しく死ぬ。誰に も愛されなかった女の喘ぎはどこに「おのずからなる力」が足りな かったのか、更に深い言及がされていない。だが、結びの箇所にお い て 嘆 き を こ め て 漏 ら し た 富 岡 の 感 慨 に は 、性 差 の 観 点 か ら 見 れ ば 、 明らかに浮雲的存在として自他認識を獲得した富岡(芙美子)の視 点から、ゆき子の無自覚性、並びに女の他者性にどことなく厳しい 批判を施すものであった。. 五、身体と表現の二元分裂――芙美子の他者性 「浮雲」的存在という自他認識をし得た冨岡の孤独感は明らかに 大いに社会から外れた気後れが大きく作用していた。敗戦後の日本 社 会 は〈 浦 島 太 郎 の 氾 濫 す る 時 代 〉で も あ っ た 。 〈戦争は僕たちにひ どい夢を見せてくれた〉 ( 二 十 七 )と 、哀 れ が る 富 岡 に と っ て は 敗 戦 が如何に男たちの戦争だったかを語る描写が随所に散在している。 確かに黴のような生活しか許容されない冨岡の社会認識がどこかで.

(25) 放浪する女の恋愛幻想―林芙美子『浮雲』― 117. 自分の存在感を一般社会の人たちへ重ね合わせようとした。 〈敗れた も の の 哀 れ さ は 美 し い 〉。〈 孤 独 な 国 の 、 一 人 一 人 は 釘 付 け に な っ て いるものだと考える。如何なる戦争も、やぶれてこそ、愛らしく哀 れでもあると思えた〉 ( 二 十 二 )。 「 戦 争 」さ え な け れ ば 海 外 へ の 派 遣 もゆき子と出会うこともなかった。これは彼なりの空虚さの解消方 法 で あ っ た 。〈 富 岡 に し た と こ ろ で 、 こ う し た ご み ご み し た 敗 戦 下 の日本で、あくせく息を切らして暮らす気はしないのである。野生 の呼び声のようなものが、始終胸のなかに去来していた。イエスの 故 郷 が 本 来 は ナ ザ レ で あ る よ う に 、富 岡 は 、自 分 の 魂 の 故 郷 が あ の 大 森 林 な の だ と 、時 々 恋 の よ う に 郷 愁 に 誘 わ れ る 時 が あ る 〉 ( 十 四 )。 戦時中は自分の魂の故郷はダラットであったように、情婦というカ テゴリーから逃れようとするゆき子にとってはダラットの夢は制度 外の息抜きの場所でもあった。両者の噛み締めた孤独感と悲哀はは み出された者同士で一致していたが、ゆき子の場合は恋愛が成就さ れる悲願が強く響かせていたのである。 だから、この作品の表現効果から恋愛幻想という性差の視点で改 めて評価すれば、敗戦小説というよりも、二つの異なる幻想――男 の自己実現の幻想と、女の制度脱出の幻想――の物語として見るべ き だ と 思 わ れ る 。社 会 指 向 性 を 帯 び た 男 の 自 己 実 現 の 幻 想 は つ ま り 、 社会復帰、仕事と職業そのものであった。恋愛指向性を帯びた女の 制度脱出の幻想は家庭の妻役からはみ出しても肉体的に放逸する女 は、結局、一対一の古い対幻想の恋愛感情へ回帰していくのであっ た。家庭外の女の自立と依存の両義性をずばり指摘すれば、それは 男の女性依存(肉体的な意味)と女性批判(恋愛)と、女の男性依 存( 恋 愛 )と 男 性 批 判( 生 活 力 )、と い う 両 義 的 な 図 式 の も の で あ っ た 。冨 岡 の 視 点 で 女 と い う 他 者 像 、社 会 像 が い よ い よ 明 晰 に な っ て 、 形 づ か れ て い く が 、し か し 、ゆ き 子 の 恋 愛 依 存 は 自 己 変 革・ 「自分の 中の他者」の契機が開かれていったのか。ゆき子の「自己変革」が 果たして達成されていったのだろうか。社会制度からの脱出しよう と踏ん張ってきたゆき子は、結局安らかな愛情の求められる」相手.

(26) 118 台 大 日 本 語 文 研 究 8. の男の許から引き離すことをしなかった。異類女の身体(生活力) と表現(恋愛感情)の二元分裂は身体の面において、性的奔放を経 験する娼婦的行為によってその生活力の逞しさを果敢に現した。一 方、表現としての恋愛感情は依然として、運命の人という男性依存 の恋愛幻想を拭ききれなかったのであった。冨岡の恋愛感情はただ 果かない習慣として考えているが、ゆき子はむしろダラットの夢を 取り戻そうとして懸命に縋り付いていた。しかし、心が変ってしま えば、仏印の記憶がもはや取り戻す術もなかった。これぐらいの認 識が冨岡が哀れで無力でありながら獲得して、ただ孤独の道連れと してゆき子を扱っていた。仏印ではニウとゆき子の二人の女性と肉 体関係の上で交渉を持つことによって、その孤独と不安を紛らそう としたものの、内地へ戻ってきてからは、生活の上で敗北した男が なおかつその喪失感をゆき子、妻の邦子、おせいと軽々と女の肉体 の温もりを頼りにして、その寂しさを追い払おうとした。ニウに関 した描写は僅かであるから除外されてもいいが、その他の女性のい ずれも彼にとっては精神の上まで縋り付いて、依存すべき強大な存 在であった。だめ男に限って女の肉体存在が捨てがたいものだろう か 。男 も 女 も 恋 は す る が 、男 の 場 合 は 絶 え ず 恋 の 経 験 を 味 わ い つ つ 、 果たしてどこまで愛し切れるものだろうか。その代わり、女はひた すら愛されたい念願で男に縋り付いていても、依存する女は挙句の 果てに男の孤独の道連れという役割しか果たし切れず、葬られてい くのであった。 問題は冨岡はそうした男と女の恋愛感情を冷ややかな眼で見抜 いてしまっても、女のゆき子の場合はどこまでも自己欺瞞の気持ち で過ぎ去った過去の恋愛の幻想を夢見ているだけである。ゆき子は 最後まで自己の内面の他者――新しい自己発見ができずに、ひたす ら愛されたい女(形はそうであっても、その実は彼女こそ男の命綱 であったのに気が付かずに)の役割を尽くして、生を終えてしまっ たのではないだろうか。そういう意味から考えると、この作品の表 現効果として、語り手がより冨岡の視点を通してゆき子(過去の芙.

(27) 放浪する女の恋愛幻想―林芙美子『浮雲』― 119. 美子の男性体験が語るもの)の恋愛感情に潜んでいる無自覚性へ批 判的な眼差しを注いでいるようにも思われる。平林たい子氏はゆき 子 の 悲 恋 感 情 よ り も 、冨 岡 の 造 型 に つ い て 、 〈戦後には退廃した精神 を、敗戦を背景とした小説が無数に生まれたが、敗戦で挫折した人 間 像 の 形 成 に は 、な ぜ か 誰 も あ ま り 成 功 し な か っ た 。 「 浮 雲 」の 富 岡 は、その文学史の空白を埋め得る一つの典型である〉. 12. 、と賞賛を. 称えている。ゆき子という娼婦女の恋愛観には男性に自らを添わせ ることによってしか自己の主体を確認し得ない女性の他者性を示し ているところには敗戦後の共通した孤独の感情というよりも、芙美 子自身の二十年の心の遍歴であった。つまり、冨岡の眼差しが晩年 の 芙 美 子( 語 り 手 )の そ れ と 重 ね 合 わ せ て い る 。 「 浮 雲 」の ゆ き 子 の 哀しみは〈飢えよりも愛の渇きの方が大きく、それは観念的なもの である筈だが、絶望的な暗さは拭いがたいのである〉. 13. 。『 浮 雲 』. は、ある意味では、晩年の芙美子の心をある危機──〈戦争をなか においた二十年の心の遍歴ののちに、林さんの心の前には、ひとつ の大きな虚無〉. 14. ──から救った作品だと言っていい。. だが、更に厳密な意味で考えれば、男性の冨岡こそ諦念した晩年 の芙美子の姿に髣髴させるものではないかと、筆者には思われる。 戦争から疎外されているからこそ生命を永らえることへの「申し訳 なさ」が、男性によって作られた体制を容認することへの反省は、 ここには勿論ない。言い換えれば男性に自らを添わせることによっ てしか自己の主体が確認し得ない女性の他者性を富岡の視線によっ てあからさまに肯定されているといえるのではないだろうか。しか し、冨岡の人物像にはもし晩年の芙美子男性認識というよりも、文 学 史 的 言 説 の 視 点 か ら 見 て 、中 川 成 美 氏 は ダ ラ ッ ト の ユ ー ト ピ ア( 魂 の故郷、共通の郷愁)から窺える芙美子の海外志向を、芙美子の戦. 12. 平 林 た い 子 「 解 説 」『 日 本 の 文 学 47』、 中 央 公 論 社 熊 坂 敦 子 「 浮 雲 〈 林 芙 美 子 〉」『 国 文 学 ― ― 解 釈 と 教 材 の 研 究 』 昭 和 四 十 三 年四月号、学灯社 14 古 谷 綱 武「 解 説 」 『 浮 雲 』、新 潮 文 庫、昭 和 28.4.発 行、昭 和 43.6 改 版、平 成 12.5 第 75 刷 13.

(28) 120 台 大 日 本 語 文 研 究 8. 争関与の姿勢として、日本のアジア侵略に言説の側から援護した自 身の苦い経験と重ねあわされていると指摘している. 15. 。. 〈 芙 美 子 は ベ ト ナ ム の ダ ラ ッ ト を 徹 底 し て「 ユ ー ト ピ ア 」と し て 描 き 、そ の 楽 園 か ら 放 擲 さ れ た 在 罪 人 と し て こ の 主 人 公 た ち を よ り 苛 酷 な 運 命 に 向 か わ せ る 。ゆ き 子 は ベ ト ナ ム を「 地 球 の 上 に は 、 か う し た 夢 の や う な 国 も あ る も の だ 」( 四 節 ) と 感 嘆 し て 、 や が て「日本の遠さを、心のうちではよその民族を見るやうな思ひ」 ( 三 十 六 節 )に と ら わ れ る 。冨 岡 も ま た「 自 分 の 魂 の 故 郷 は あ の 大 森 林 な の だ と 、 時 々 恋 の や う に 郷 愁 に 誘 は れ る 」( 十 四 節 ) こ と が あ る 。二 人 と も 戦 争 の 一 切 の 罪 行 を 忘 れ 、こ の 共 通 の「 郷 愁 」 のみを手掛かりに抜け道のない関係を持続させていく。 ダ ラ ッ ト に 表 象 さ せ た 芙 美 子 の「 南 方 」は 、戦 時 下 の ジ ャ ワ 島 や ス マ ト ラ 島 で 彼 女 自 身 が 獲 得 し た「 身 体 性 」( 歴 史 的 時 間 軸 に 拘束されない生命性の発見)と大きく関与する。そうした「身 体性」を危うくする戦争に、芙美子は結果として参加して、言 説空間に影響力を持った。こうした矛盾への解決として彼女が 果 た し た こ と は 、「 異 郷 」と し て の 東 南 ア ジ ア を 自 ら の 身 体 に 取 り 戻 し 、戦 後 空 間 を「 異 境 」 (『 牛 肉 』あ と が き 、改 造 社 、昭 24) として他者化してみることだった。そしてこのアイロニーに満 15. 林 芙 美 子 と 戦 争 と の か か わ り を 考 え る の に 、 1937( 昭 12) の 日 中 戦 争 勃 発 を契機に彼女が急速に戦争に取り込まれていった。 「 銃 後 」に 取 り 残 さ れ る の で はなく、中国で自己実現を賭けようとするところに芙美子の視線の位置が見て とれる。その東南アジア体験は以下の通りのものである。以下の引用は(中川 成 美「 林 芙 美 子 ― ― 女 は 戦 争 を 戦 う か 」 『 南 方 徴 用 作 家 ― ― 戦 争 と 文 学( 神 谷 忠 孝 ・ 木 村 一 信 編 集 )』、 世 界 思 想 社 、 1996.3) を 参 照 し た 。 1930.8~ 1931 四 回 ほ ど 中 国 東 北 部 な ど を 旅 行 し て い る 。 1937.12 毎日新聞特派員として南京欠落報道のための上海、南京行きで ある。 1938.9 芙美子は従軍作家陸軍部隊として久米正雄らと十三名と上海に 着 く 。以 後 、『 朝 日 新 聞 』に そ の 行 動 を 華 や か に 報 道 し た 。帰 国 後も各地を巡り戦果報告講演を精力的にこなした。 1939.1 『北岸部隊』を出し、戦争を表現できる。 1940 「満州」を舞台とする「十年間」を『婦人公論』に連載する。 1942.10 陸軍報道部の臨時の徴用にシンガポール、マレー半島、ジャワ 島に赴く。 1943.1 インドネシアに渡り、スラバヤを拠点にジャワ島を回り、スラ バヤ郊外のトラワス村に寄宿する。.

參考文獻

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