第一章、 はじめに
第三節、 先行研究
日本における「精進料理」とは、実際には寺にて来客用にもてなす 豪華な料理なのである。寺に訪問してきた貴族や武士など特別な来 客のために、特別に調理された多様性に富んだ料理である。
また、私は肉が大好き人である、ある日偶然に高雄の「遇見自然 日 式舒食」という素食の料亭へ食べに行った、素食も美味しい料理に なっていることをはじめて分かっている、そして、台湾の素食と日 本の精進料理を何処が違うを知りたい。そして指導教授に相談して、
本論分のテーマを決定する。
本論文では日本の精進料理が果たしてどのような料理であるかを 探求し、日本の食文化にとってどのような影響があるのか、台湾の 素食はどこが違う、及びその発展について探求してみたい。
第二節、 研究目的
本論文の目的は、精進料理の起源を探究し、現在での発展を説明 する。具体的には、寺に訪問して来た貴族や武士など特別な来客の 為に作った料理から、現在の一般人も食する料理へと変化したとい う点を探求していく。台湾人が、素食を食べている理由は様々であ る。宗教の為、健康の為、服喪の為、人によって素食を食べる理由 が違う。誰でも、素食を食べる事はできる。本論文には、日本の「精 進料理」について、精進料理の起源、発展、変化等を探究すること。
そして日本の精進料理と台湾の素食を比べて、類似点と相違点を示 す。本論文を通して、台湾人に「日本の精進料理とは」のことをわ かってるを望むこと。台湾に在住の為、本論文では既刊の諸文献、
インターネットからの資料、出版された本等からの資料で探求する。
第三節、 先行研究
3
一、 水島裕の『食生活史と宗教(その 11):精進料理』
水島裕(1988)の『食生活史と宗教(その 11) : 精進料理』1によ ると、
「仏教渡来に精進料理の源を求めるなら奈良時代で あるが、もともと日本には動物性食品が不足していて、
仏教徒ならずとも精進的な食生活であったと想像出来 るので、仏教思想による精進料理のとり入れは、自然 に行われたと考える。文字記載として残っているのは、
平安時代後期の漢詩文集「朝野群載」に、「精進物、青 海苔の曳干、和布の曳干、海松、昆布」とある。しか し、精進料理が本格化するのは鎌倉時代で、日本曹洞 宗の開祖である道元禅師によって始められた。」
現在の中国杭州近くで修業していた禅師は、豊富な 野菜を主とした中国禅宗の食事法を持ち帰り、宗の手 法を巧みにとり入れて、日本の風土と食生活、そこで 産出される材料に合った精進料理を考察し、植物油を 用いた野菜料理を、日本風料理として再生させ、現在 に伝わる永平寺風精進料理の基をつくった。
禅師は、また「典座教訓」を著わし、精進料理の食礼2 作法を示した。
これは、あらゆる日本料理の典型となり、茶の懐石 料理に影響を与える。」
筆者は「その結果、精進料理の源は奈良時代であり、本格化した のは鎌倉時代である。精進料理はそれ以降の日本の食文化に影響を 与えている。」と思う。
1水島(1988)『食生活史と宗教(その 11) : 精進料理』:16 頁。
2食礼 食事のマナー、箸の扱い、会食の心得
4
二、 丸山悦子と長谷川千鶴の『結解料理にみる精進料理』
精進料理の資料を調べたとき、「結解料理(けっけりょうり)」と いうことを発見した。さらに、結解料理と精進料理との関係を探求 する。丸山悦子と長谷川千鶴(1993)『結解料理にみる精進料理』3に よると、
「おそらくこのような仏教用語が一般的な言葉とし ても利用されるようになったためか、すでに平安時代 から結解は事物を勘定すること、決算の意味でも用い られている。」
そうすれば、結解料理の起源は平安時代の事と考えられるであろ う。それならば、筆者は「一般人の認識で結解料理は日本最古の精 進料理ということは不成立ではない。」と思う。
だが、
「ところで明治時代以前でいえば、東大寺でも通常 結解の語は収支を諦めくくるほぼ決算の意味でも用い られていた。
実は結解料理と料理が結びつく資料としてはこれが ほぼ唯一のものであるが、しかしこの習慣は明治初期 の混乱期にすっかり廃れてしまったものと思われる。
東大寺で結解料理が復活したのは明治 24 年であるが、
その時の献立そのものは伝わっていない。現在の結解 料理はその後北河原公海師ら料理に興味ある古老が、
東大寺文書のうち献立の記録のあるものから抜き書き し、体裁を整えたとされている。4」
そう考えると資料は少ないが、実は結解料理は精進料理よりもっ と古い料理であると考えられる。この答えはどちらが正しいか、以
3丸山・長谷川(1993)『結解料理にみる精進料理』:88 頁。
4丸山・長谷川(1993)『結解料理にみる精進料理』:88~89 頁。
5
下の論文を論じる。
三、 三橋洋子と小林幸子の『永平寺修行僧の食事〜道元
禅師の典座教訓から学ぶ食の精神〜』
さらに、三橋洋子と小林幸子(2000)『永平寺修行僧の食事~道元 禅師の典座教訓から学ぶ食の精神~』によると、
「使用される食材は穀類、野菜類、果実類、豆類、
きのこ類、海草類などで、当然のことであるが肉、魚、
卵、乳製品は使用されてあらず修行僧の一日の摂取熱 量は 1000〜1200kcal 程度である。」5
また、丸山悦子と長谷川千鶴(1993)『結解料理にみる精進料理』
によると、
「結解料理の特徴として、砂糖が豊富に使われてい ることが挙げられよう。日本における砂糖の歴史は、
唐の僧鑑真が伝えたのが始まりであるといわれている が、長年にわたって上流階級の人のみに珍重されたぜ いたく品であった。白砂糖に至っては、精白糖を作る ことは難しく、江戸時代の末期においても一般庶民の 口にいれ得ない貴重品であったという。結解料理では、
その白砂糖を初献の膳の中央の猪口に置いている。こ のことからも、砂糖がいかに大切にされ、この結解料
5三橋・小林『永平寺修行僧の食事~道元禅師の典座教訓から学ぶ食の精神~』
(2000):139 頁。
6
理がいかに特別な料理であったかがよく分かる。」6
精進料理と結解料理で使用される食材が違う為、両者は別料理と も考えられる。それを別の資料で探し、別の視点を考える。
四、 林文琇の『從素食到蔬食—台灣當代素食文化的形式
與演變』
次は台湾の素食を見る、林文琇の『從素食到蔬食—台灣當代素食文 化的形式與演變』7から、台湾の仏教、道教、民間信仰には時代の変 遷や場所の移動ということを関わる。十七世紀末、鄭成功は清への 抵抗拠点を確保する為に、鄭成功が台湾を制圧する事で成立した時、
たくさん明の士大夫や文人など、或いは、多く清への降伏しない民 衆も、台湾へ転居した。彼らは台湾に居留するになって、同時に、
仏教、道教、一貫道と一般民間信仰などが伝来した。その後、民国 38 年、国民政府は中国から撤退して台湾へ来て、逃げ出す人と中国 で流行した宗教を連れていた。前述によると、台湾の宗教文化は中 国から伝来した。
そして、林文琇の『從素食到蔬食—台灣當代素食文化的形式與演變』8 で分かる、初期素食を食べるという事は一貫道の影響が大きい。多 く素食の店の店主は一貫道の信者である、開業の原因は生計を維持 の為以外、社会の関心と他人と同じの心を持っている。自身には素 食を食べるから、あまり便利ではないと思って、他人に便利を与え るため、素食の料理屋が開業した。こうなると、素食にどんどん推 進されている。それで見ると、実際に、宗教の活動は人々の飲食習
6丸山・長谷川(1993)『結解料理にみる精進料理』:92 頁。
7林文琇(2013)『從素食到蔬食--台灣當代素食文化的形成與演變』:19 頁。
8林文琇(2013)『從素食到蔬食--台灣當代素食文化的形成與演變』:43 頁。
7
慣中に発展されていたということを考える。初期宗教儀式は祭祀、
祭祀には人々は神仏に加護や救済などを請い願うため、飲食を祭り という形式に通じて、生まれた儀式である。こう見ると、精進料理 が生まれた原因と同じと考える。
五、 張玉秀の『宗教與環保─臺灣佛教素食的理論與實踐』
台湾の素食は十五年や二十年前に新しい素食論点が生まれていた、
健康栄養学と動物学と環境保護の三つの方面を考え、素食の形式の 上で新しい内容と素食の料理にも違うになった。張玉秀の『宗教與 環保─臺灣佛教素食的理論與實踐』9中に、以下のように書かれてい る、
「這三種論述有共同的特色:第一,它們不以某宗教為 立基點;第二,科學化及西化是它們共同的基礎;第三,
它們對於素食的規範少了五辛的禁忌。值得注意的是這 股新潮流論述並不是以壓倒性的姿態取代了宗教素食,
而是與原有的宗教素食做了相當有趣的調和作用。」
この論点の上で、新しい素食論点と元素食論点の交流して、現在 の素食の繁栄になっている。