西川長夫立命館大学名誉教授は、フランス•マルクス主義、国民国家論、比較文学、そして植民地主義/地球化研究 の分野で先駆的な業績を打ち立てられたことで広く知られていますが、2013年に逝去されました。カルチュラル•
タイフーン2015では、西川長夫の学問的業績と政治活動に捧げられたグループ•パネルを企画しています。この企 画の主眼は西川長夫の学問の全体像を描き出すことにはありません。あるいは、この傑出した学者の作者としての意 図を再現することでもないのです。むしろ、本企画を通じて私たちが達成したいと考えているのは、西川教授の出版 された業績のなかに潜在的な形で存在している国民国家と植民地主義批判の思想にもう一度舞い戻り、その潜在的な 思想をさらに未来に向かって押し進め展開することなのです。
したがって、カルチュラル•タイフーン2015で催されるパネルが提示しようとするのは、いかにして未来の西川 長夫思想を想像するのか、いかにして西川先生の学問的業績を未来の目標に向かって利用するか、そしていかにして 西川長夫の知的•政治的努力の死後の生(afterlife)へ向かって西川個人を越えてゆくか、でしょう。このパネルは、西川 長夫をして国民国家の批判、植民地主義や地球化の批判に向かわせざるをえなかった、そのような彼の希望をさらに もう一度生きることにあるのです。まさにこの点で、私たちに関心があるのは、この偉大な学者を「死んだ父」とし て学会の守護神に祭り上げることではなく、むしろ知的な無為の共同体を作ることであり、国民•民族への一体感への 欲望を挫き、拒絶することのできるような人々との共同性(ポピュラーなもの)を模索することなのです。この文脈 で,本企画は、「ポピュラー」と学問知生産の接点を考察します。
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国の「集団保障体制」(collective security system)と「封じ込め政策」(containment policy)の下で、こうして日本は、サン•フランシスコ条約が発効した1952年に「独立」することになるのです。
Open Symposium
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しかし,このような国民国家の空洞化が,他方で,強烈な国民主義と移民排除型人種主義を生み出していること は無視できません。国民国家の空洞化は,国民主義の後退を意味するどころか,国民主義の強化•過激化を招来す るのです。労働市場で不安(プリケリアス)な状況におかれた人々であればあるほど、彼らは国民主義に引きつけ られてゆくといってよいでしょう。しかし,国民主義は資本主義が生み出す諸々の社会問題を解決する能力を失っ ています。国民主義にできることは、人々の直面している社会的矛盾を空想化すること,このように空想化された 社会矛盾に空想的な解決を与えることしかできないのです。未だに,国民国家に現在私たちが直面している社会矛 盾の解決を期待する人々が,右翼にも左翼にもいますが,彼らの楽天的な発想を私たちが共有することができない のはこのためなのです。
西川長夫が<新>植民地主義という主題の下に直面しようとしたこの現実において,私たちはどのように知識の 生産にかかわっていったらよいのでしょうか。地球化と人種主義の狭間にあって,これから人文科学はどのように 正統化され,どの方向に展開されるべきなのでしょうか。
人文科学の命運と<新>植民地主義とのかかわりを考えるために,私たちは「ポピュラー」という主題をめぐる 二つのパネルを提案します(実行委員会注:もうひとつのパネルはカルタイ内の部会「国民主義と国民国家」とし て、この日の午前中に同場所で実施予定です)。共通の主題「ポピュラー」は三つの変奏する小主題として展開し ます。それは、共同性管理の指針としての「ポピュラリティ」(共同性)、国民国家において最も基本的な共同性 管理の対象としての「ポピュレイション」(人口)、そして国民国家の共同性管理の効果(アフェクト)あるいは 情緒としての「ポピュリズム」(大衆迎合主義)です。国民主義は,これらの国民的共同性の指針,対象,そして 効果のあいだで醸し出されてくる国民共同体特有の権力形態と考えてよいでしょう。私たちがまさに追求しようと しているのは,国民主義に把捉されることのない新たな「ポピュラー」のあり方です。