• 沒有找到結果。

國立臺灣大學 開放式課程

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

Share "國立臺灣大學 開放式課程"

Copied!
7
0
0

加載中.... (立即查看全文)

全文

(1)

國立臺灣大學 開放式課程

白先勇文學講座

《世界文學中的中國古典文學》

第一講 序論 ─ 世界文學是什麼?

授課教師:京都大學 文學部 川合康三 教授 教室:國青 324 室

時間:2012 年 09 月 11 日(二) 上午 10 點 20 分~12 點 10 分

§「世界のなかの中国古典文学」の意味

 「世界のなかの中国古典文学」とは一体どのような意味か。そのことから考えていこう。

 ここでいう「世界」とは、グローバル化と言われ、地球全体のさまざまな地域、国家が交通・通

【本著作除另有註明外,採取授權釋出】

(2)

信の飛躍的な発達によって従来の距離が一気に縮まり、生活の形態も均一化しつつある今日の世界、

さらにはこの傾向が今後いっそう強まる将来の世界を意味している。

 そして「中国古典文学」とは、中国という一つの地域、厳密にいえば文化圏において、「古典」

という歴史的にきわめて早い時期に発生し、一貫して持続してきた、伝統的な文学をあらわしてい る。つまり「中国古典文学」とは空間的にも時間的にも限定された文学である。

 地域も時代も限定されている「中国古典文学」が、「世界」という人間の全体を収める広範な場 において、どのような意味をもちうるのか。この問題に対して、「中国古典文学」は限定された地 域、時代のなかでしか文学として受け入れられない文学ではなく、現在の広範な世界のなかで、価 値ある文学として認められるべき特質を備えている、というのが、ここで主張したいことである。

つまり「中国古典文学」は世界のなかの文学の一つとして普遍性をもっている、それを明らかにし ていきたい。

 このような問題を提起するのは、今日、中国古典文学が必ずしも普遍性をもつものとして認めら れていないという現状から発している。ではまず、現在において中国古典文学はどのように捉えら れているか、そこから見てみよう。

 西欧において、中国古典文学はすぐれた研究が行われているが、学術界とは別に一般の読書人、

文化一般のなかで中国古典文学がいかに受容されているかといえば、それははなはだ乏しいといわ ねばならない。19 世紀中頃にフランスにおいて中国詩の翻訳書が出された。Judith Gautier 1845- 1917による“白玉詩書 Le Livre de Jade”1867 である。Judith Gautier は幻想文学の小説家として名 高い Theophile Gautier のむすめであり、その本には『詩経』から清朝の詩まで71首が翻訳されて いる(森英樹「――フランス文学と漢文学との出会い(その六)(その七)――ジュディット・

ゴーチェの中国詩翻訳(1)(2)」)。彼女は中国学者ではなく、家庭教師の中国人から中国語を 学んでいたが、その丁という名の中国人とともに中国詩をフランス語に移し替えたのである。丁と いう中国人は素性が確かでなく、読み書きや古典の知識も多少あっただろうが、いわばフランスに 流れ着いたふつうの中国人であって、ことに古典に造詣が深かったわけでもない。こうした現象は ヨーロッパではよくあることで、古典的教養に必ずしも習熟していない中国人が手引きとなったこ とはヨーロッパにおける中国古典受容の不幸であった。したがって『白玉詩書』は厳密な意味での 学術書ではないし、その翻訳もかなりずさんなものであっただろうが、しかし大きな反響を呼んだ。

当時、詩人として名高い Paul Verlaine、あるいはまた小説家として名高い Anatole France、そういう 人たちから絶賛された。そして以後、ドイツ語、英語、イタリア語、ポルトガル語などに翻訳され、

『白玉詩書』は 19 世紀の西欧における中国古典詩普及に大きな影響力をもったのである。それは 学問的蓄積によるものではなく、Judith Gautier の詩的才能が独立した作品を作り出したのである。

 イギリスにおいては、Herbert A.Giles の“A HIstory of Chinese Literature”が 1900 年に刊行されてい る。Edmund Gosse,が編集した“Short History of the Literature of the World”「世界文学小史」の一つ に収められてる。この叢書は 19 世紀に近代歴史学が確立して通史が書かれるようになり、さらに 近代国家それぞれにおける、文化のそれぞれの分野における通史が書かれる、その一つとして企画 されたものであった。Giles は初期の中国学者の一人であるが、一般読書人に向けた中国文学通史 として、西欧で初めて書かれたものである。

 この書については、のちに 1934 年、鄭振鐸が「評 Giles 的中国文学史」(『鄭振鐸古典文学論文

(3)

集』上(上海古籍出版社、1984)所収)において、Giles の疎漏を批判している。たとえば Giles は 園芸の手引き書のような、文学とはみなされないものまで文学史のなかに取り込んでいるという。

ただ興味深いのは、鄭振鐸は Giles が『聊齋志異』を取り上げていることも、鄭振鐸は園芸書と同 じく文学ではないと批判しているのだが、周知のとおり、そののちの文学史では『聊齋志異』は欠 くことのできない作品となった。鄭振鐸の時代の中国においては、小説は文学に数えられなかった ことを反映している。

 Giles の『中国文学史』に言及したついでに中国文学史について簡単に触れておこう。世界で最 初の中国文学史は何かという問いを立てる人がいるが、ギネスブックのような問いかけは意味がな い。どのようないきさつで中国文学史が生まれたのかが問題なのだ。そもそも文学史は先に述べた ように近代歴史学が成立し、文化の様々な領域における通史が書かれるようになった一環として始 まったものである。1890 年代の前半、日本の若い国文学者たちは西欧に文学史があるのに刺激され て日本の文学史を書き始めた。三上参次・高津鍬太郎の共著『日本文学史』上下二巻が明治二十三 年(一八九〇)に金港堂から刊行されたのはその早いものである。それに刺激されて中国文学の領 域でも古城貞吉『支那文学史』(一八九八)を初めとして続々と中国文学史が出現した。それが中 国に移り、20 世紀に入って中国でも文学史が書かれるようになった。ただ最初の中国文学史は日本 で書かれた文学史の翻訳、あるいはそれに近いものであったことは、朱自清「什麼是中国文学史的 主潮――林庚著《中国文学史》序(四)」(一九四七。『朱自清古典文学論文集』上、一九八一、

上海古籍出版社)に「早期的中国文学史大概不免直接間接的以日本人的著述為様本」 (一三頁)

と指摘されている。

 このように中国文学史は日本で書き始められたといってよいが、そのことは誇るべきことでもな い。以前、韓国で初期の中国文学史が日本で始まったことを話したら、たいへん不興を買った。早 いことを誇るとかそういう問題ではなく、なぜ日本で始まったかを考えるべきだ。すなわち日本に は漢学の伝統があり、十分の知識、方法の蓄積があった。その前提条件のうえに西欧近代をアジア のなかではいち早く受容したために両者の結合である文学史がいち早く生まれたということに過ぎ ない。

 西欧における中国古典の受容に話をもどすと、20 世紀の初頭においては、Ezra Pound 1885-1972 の中国詩への傾倒にも触れておかねばならない。アメリカで生まれ、ヨーロッパで活動した彼は、

modanismの旗手として、中国の詩と西欧の詩の融合を計り、『詩経』や李白の詩を翻訳した。

Poundは中国語が読めたわけではなく、森槐南など明治の日本人学者の著作、およびそれに対する Ernest Fenollosaのノートを参照して訳したという。

 以上、西欧における中国古典文学の受容の、一般読書人に関わる部分について概観したが 、 Gautierと Pound については、いくつかの共通の特徴を指摘できる。

 一つは、中国古典詩を翻訳、紹介した人たちが、中国学の専門家ではなく、特別に学習したわけ でもなく、周囲の原文を読める人の助けを借りて、いわば間接的に中国古典詩に接したこと。

 二つは、にもかかわらず彼ら自身の文才によって一般の西欧の人々に影響力をもったこと。

 三つは、直接原文を読めないのに中国古典詩を翻訳した動機は、西欧にない新奇なものへの興味 があったということ。彼らにとって中国古典文学は西欧の伝統とは異質の、珍しいものとして捉え

(4)

ていたのである。いわゆる Orientalism である。異国情緒を求める orienntalism は 19 世紀の西欧絵画 に顕著に見られるが、文学における中国への関心もそれとつながる。しかしそれが西洋優位の立場 から見たものであり、植民地支配を正当化するものであったことは、 Edward Said1935-2003 の著書

“Orientalism”1978 が説くところである。

 19 世紀中頃、そして 20 世紀初めに西欧に紹介された中国古典文学は、その後、西欧においてい かなる結果をもたらしたか。おそらくそれは珍しいものとしての興味に終わり、その後の西欧の文 学に変化をもたらすには至らなかったと思われる。今日、英語圏の一般読者において、中国古典の 翻訳をよく見るのは、『易経』、『老子』などが目立つ。『易経』は“Book of Change”と訳され、

東洋の神秘的思想として一部の興味を引いている。『老子』についてもその謎めいた箴言に興味が もたれている。つまり現在においても中国の古典は神秘的なものとして捉えられているのである。

 現在の思想家、文学者の発言として、Julia Kristeva は“Les Chinoises”(中国婦女)という本のな かで、李清照を高く評価する。彼女によれば李清照は「世界文学最大の詩人の一人に数えられる存 在である」とのことだ。Kristeva も中国語が読めるわけではなく、近年の研究成果のうえにたって このような発言をしているのだが、果たして李清照を「世界文学最大の詩人の一人」といえるかど うか、またその発言が李清照の名をヨーロッパに浸透させ、理解を高めたか否かはわからない。

 総じて言えば、中国古典文学は西欧において学術研究は高いレベルで行われていても、一般の読 書人、文化のなかに浸透しているとは思われないのである。

 では日本ではどうか。日本では今日でも中国古典文学は一定の読者、愛好者をもち、文学の一つ の分野として一応認められている。中国古典文学に関する一般向けの本は毎年相当の数が出版され ている。それは爆発的に売れるというものではないが、一定の数量が出ることは、一定の愛読者が いることを示している。古典文学のなかでも突出して多いのは『三国演義』に関係したもので、数 種の翻訳以外にも様々な本が出ている。正確な翻訳のほかに、著名な小説家が自由に書き直したも の、すなわち翻案もよく読まれている。子供向けの本やテレビでの人形劇も放送されたことがあっ た。『三国演義』の流行は近年の電子ゲームとも関わっている。若い世代は古典を読む意識はなく、

ゲームとして『三国演義』の物語を楽しんでいる。彼らの『三国演義』についての知識は相当なも ので、細かな人名まで知識のなかにあり、ゲームのためにはそれが必要なのだという。そのために 正史の『三国志』まで裴松之の注を含めた完全な翻訳があり、それも今では文庫本となって普及し ている。私自身も 20 年以上前に依頼されて『曹操』という本を書いたことがあるが、それは私の 書いた本のなかでは飛び抜けて多くの読者を獲得して、最近それが文庫本にもなった。日本でなぜ

『三国演義』が突出して人気があるのか、私自身は十分に理解できない。文学としてはもっとおも しろい文学が中国にはほかにたくさんあるのに、『三国演義』に限定されるのが残念に思う。

 もともと通俗小説である三国演義とは別に、日本で愛好されているのは、中国の古典詩である。

中国古典詩についても各種の本が刊行されている。書物のみならず、テレビでも「漢詩」を読む講 座が開かれている。しかし『三国演義』が若い層にも浸透しているのに対して、「漢詩」は年配の 層に偏っているように見える。

 中国の文化の受容に関して、日本での近年の現象として特記しなければならないのは、漢字ブー ムである。漢字や成語に関する本も多く、漢字の知識を試験する「漢字検定」という、誰でも受け ることができる試験が毎年行われている。その試験には 1 級、2 級などの段階があり、もともと自

(5)

分の漢字の知識を客観的に測るためのものであった。最近では会社の就職に際して、何級の資格を もっているかが、採用の手段の一つにしている会社もある。この漢字ブームと関連して、漢字学者 の白川静の本もよく読まれている。白川静 1910-2006 は長年立命館大学の教授を勤め、数年前に亡 くなったが、甲骨文字、金文を対象に、漢字の成り立ちを古代宗教、呪術性をもとに解明して、独 自の漢字学を打ち立てた。白川の学説には中国学の学者のなかには批判する人も多く、ことに藤堂 明保 1915-1985 は、白川の漢字解釈が「形」だけを対象として、漢字の「音」はまるで考慮してい ないことを鋭く批判した。白川の構築した古代の呪術的世界は実証するすべがなく、信じるか否か で、熱烈な信奉者と批判者に分かれる。晩年に至って、学界よりもむしろ一般の読書人の間でたい へんな人気を呼び、その本はよく読まれている。私個人は白川の漢字学の是非を語る資格はないが、

一般の人々が漢字の成り立ちに興味をもつことにいささか戸惑いを覚える。漢字がどのようにでき たかは学問的対象としては意義あることだろうが、ふだん漢字を使い、読む者にとっては、成り立 ちよりもその字がどのような意味をもつか、どのような意味のふくらみ connotation をもつか、その 方が重要であると思うのに、クイズを解くように漢字の成立だけに興味をもつのには疑問を感じる。

 日本における中国古典の受容において、記すべきもう一つのことは、中国古典の邦訳がはなはだ 盛んなことである。これは遡れば江戸時代から「和刻本」という名で、一種の翻訳が行われてきた。

中国の原文を「訓読」して「返り点」などを施したもの、また原文を解体して訓読だけで読めるよ うにしたもの、そうした一種の翻訳が江戸時代にかなりある。明治以降もより日本語に近づいた翻 訳が続き、今日に至るまで多くの古典が翻訳、また注釈を伴った翻訳をされている。たとえば明治 書院の『新釈漢文大系』は 100 冊以上にのぼる翻訳を完成させている。日本における中国古典の翻 訳は、古典の読解に大いに役立った。これは日本のみならず、韓国や西欧の研究者の間でも重宝さ れていると聞く。日本が中国古典に対して果たした貢献の一つに数えてよいだろう。

 このように日本における中国古典の受容を見てくると、いかにも日本では盛んに行われているか のように見える。西欧と比べれば確かにそうも言えるだろう。しかしながら、過去の日本と比べて みると、時代とともに著しく低下していることも否定できない。

 五世紀ころに中国の書籍が日本に入り始め、熱心な受容が開始したが、日本における中国古典受 容のピークは江戸時代であろう。先に触れた和刻本の出版のほかに、各地の「藩校」では「漢学」、

中国古典の学問が講じられた。「藩主」が開いた学校のほかに、民間でも塾が開かれ、当時は学ぶ といえば中国古典に決まっていた。明治になって西欧の受容に転換すると、大きな変化が起こった が、それでも江戸時代の教育、蓄積がまだのこっていて、「漢文」、中国の文言文をもとに、日本 の新しい散文が作られていった。しかし西欧文化の侵入で中国古典はしだいに遠い存在となり、こ とに戦後の低下は著しい。まず中等教育の場から中国古典は比率を極端に減らしている。戦前の教 育では、「国語」と「漢文」はそれぞれ独立していたが、戦後は「国語」のなかに「漢文」が収め られ、それもしだいに減っている。高校の国語の教員になるためには漢文の単位も必修であるが、

しかし今ではわずかに 1 単位しか要求されていない。今日の日本では中国古典が社会、文化のなか で後退していると言わねばならない。

 では、中国ではどうであろうか。外国人の目から見ると、やはり日本や西欧とはまるで違う存在 感をいまももっているように思われる。一般の人々の生活のなかに浸透している度合いが違う。大 学では「中文系」という独立した「系」(学部、あるいは学科)が設けられている。アメリカでは

(6)

ほとんどが Far eastern Culture and Literature、つまり極東文化文学として、中国、日本、朝鮮その他 東アジアがひとくくりにされている。日本で「中国文学」が文学部のなかの一つの専攻として立て られているのは、やはり西欧とは違う親近性をのこしていることを示している。

 中国、台湾で「中文系」が一つの学部(学科)となっているのは、自国の文学であるから当然の ことだと言うことはできない。というのは、日本では日本文学は中国文学、フランス文学などと同 列に置かれていて、「日本文学学部(学科)」といった独立した部門はない。中国・台湾に「中文 系」があることは、中国では自国の文化、文学に対して今日でもはなはだ重視している。それは中 国にとってそれだけ伝統文化が重い存在であり、アイデンティティを保持するためにも欠くべから ざるものであることを示している。

 「中文系」の性格も日本の「中国文学講座」や西欧の東アジア学部とは異なっているように見え る。日本、西欧ではもっぱら学術研究の対象であって、社会とは直接の関係をもたないが、中国・

台湾の場合、学術研究の分野であると同時に、官僚を育成するなど、社会の人材を育成する重要な 部門となっている。これも中国古典が今の社会のなかでもつ役割が日本などとはまったく異なるこ とを示している。

 とはいえ、中国においてすら、古典文学は以前に比べたら、人々のなかで比重が軽くなっている かも知れない。以前、たとえば中国大陸において「中文系」は文系のなかで最も重要な部門とされ、

地位も高かったが、開放経済が進んだ現在では、法学部、経済学部が大きく進出して、中文系は後 退しているように見える。

 中国古典の衰退は日本においてとりわけ顕著であるが、そうした状況のなかで、私は中国古典文 学を「復興」させたいと考えているわけではない。一部の日本の保守主義者は、今日の日本の文化 の衰退を嘆き、かつての日本がそうであったように、中国の古典を重視し、そこに学ぶべきだと主 張する。そのような意見に問題があるのは、彼らは単純に過去に戻ろうとしていることだ。時代の 変化というものを認識していない。過去をすべて美化し、過去の遅れた部分、人間にとって好まし くない部分は見ようとしない。グローバル化が進んだ今日、過去に戻ることは不可能であり、今日 において中国古典がどのような意味をもちうるかを模索しなければならない。

 グローバル化は生活面の均一化をもたらすが、同時に文化の面では差異を際立たせる。物の感じ 方、考え方――物質的な面が均一化するからいっそう、人間にとって基本的な部分、感性、思考な どの違いが明確になる。グローバル化とは文化を均一にすることではなく、多様な文化を認め、人 間を多様な存在として認め、そうすることによって人間の文化をより豊饒にすることなのである。

 文化の一部をなす文学においても、多様な文学は文学そのものを豊かにする。中国古典文学を世 界の文学のなかに置いて見ることによって、中国古典文学の特質がより明確になると同時に、世界 の文学に対しても寄与できるものになるのである。当然そこには世界の文学と共通する性格もある。

共通する要素と異質の要素をともに認めることによって、中国古典文学は世界の文学の一つとして 他の文化圏の文学と同等の地位と価値を得るのである。

版權聲明

(7)

頁碼 作品 版權標示 作者/來源

3

早期的中国文学史 大概不免直接間接 的以日本人的著述 為 本。

《朱自清古典論文集》上,朱自清 著,

上海古籍出版社 出版,頁 13,1981 年。

依據著作權法第 46、52、65 條合理使用。

參考文獻

相關文件

大きく違う点は、従来の BASIC ではプログラムの実行順序はプログラム作成時に予め決 めたとおりに実行する定義型であるの対し、Visual

In the present case report and review of the re- ported data, an exceedingly rare NMSC arising from the cutaneous sebaceous glands, a sebaceous carci- noma (SC), is discussed.. Oral

Orthokeratinized odontogenic cyst with an associated keratocystic odontogenic tumor component and ghost cell Table 1 Previous case reports of multiple orthokeratinized

…いいえ、ワンさん は エンジニアじゃ ありま せん。けんきゅうしゃです。(不,汪小姐不是

Several recent reports have described an adamantinoma-like Ewing sarcoma (ALES) arising in the thyroid gland, based on the identification of EWSR1 rearrangement in neoplasms

in the deep soft tissues of the lower extremities and rarely in the cheek [1]; (2) most ASPS tumours have poorly defined margins and have lobulated or irregular contours [1, 13, 18],

大きな破砕力に耐える厚鋼板溶接 製のシェルの内部に、突起状のラ イナを取り付けた構造で、グライン

附属災害制御研究センター 真野 明・有働恵子 土木工学専攻