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第四章 『個人的な体験』における絶望と希望―「障害児」と「ヒロシマ」

4. ウイスキーを拒絶する主人公

結末において、赤んぼうを受入れようとした主人公の決断はウイスキーの拒 絶と共に発生した。前に論じたウイスキーの意味を踏まえ、主人公をこうした転

換を遂げさせた二人、デルチェフと菊比古の役割、そして広島での体験がもたら した実際の影響を分析した上で、「正統的に生きる」という希望に到達した原因 を究明する。

5. まとめ

第四章の内容をまとめ、『個人的な体験』が成し遂げた「戦後世代」の絶望と

「個人」の絶望に繋がり、そして広島の「正統的な人間」としての生き方の希望 的な結果に転換した成果は大江氏の初期作品からの問題意識に対する回答であ ることを論述する。そのような『個人的な体験』が「愛」と「希望」の光を見つ けた最初の長編小説という位置つげを確認する。

結論

「奇妙な仕事」から『個人的な体験』まで、「戦後世代」の絶望を持つイメー ジと希望への憧憬、1963 年以後の「障害児」がもたらした苦悩と広島の「正統 的な人間」としての生き方が象徴する希望の光は本章でまとめ、それぞれの変換 過程を改めて確認し、初期から中期までの作品中の人物関係の推移を整理し、三 つの結論を挙げてみる。そして、中期以後、大江健三郎における希望の更なる発 展をも少々触れ、今後の課題として提出する。

第一章 大江文学の出発点―「戦後世代」の問題意識について

1. 大江文学の出発点をめぐって

本論文の主な目的は大江健三郎文学の最初の転換期、すなわち、初期から中期 までの変遷について探究することにある。それを達成するためには、その出発点 まで遡行し、彼の文学を形成させた経緯を辿りながら理解する必要がある。1935 年生まれの大江氏は 57 年に作家デビューし、作品の独特な発想が直ちに反響を 呼び、注目の新人作家と見なされていた。それ以来、彼と同世代の人たちが当時 の社会に生きているうちに出会った問題について盛んに発言し、いろいろな見 解を繰り広げ、多くの論争を起こしていた。そうした思想も彼の小説に反映され、

初期から「虚無的」な心情、「監禁状態」による「閉塞感」と「絶望感」が溢れ ると評価されている。

そして、59 年から自分たちを「戦後世代」と呼び付け、新しい「戦後」の世 代論を掲げた。その中に提出された各種な問題意識が彼の文学性を醸し出す最 初の論理になった。言い換えれば、「戦後世代」のことは作家の出発点となった のであり、彼の人生で経験した出来事と結びついていると思われる。また、それ らが持つイメージは後の作品の中にも長く深く影響し、重要な役割を果たして いるため、大江文学を分析する前に、「戦後世代」について詳しく検討しなけれ ばならない。従って、本章はその定義を始め、「戦後世代」の成立と意味に少し 触れておく。

2. 「戦後世代」の成立背景について

さて、大江氏たちの世代に関心を向けた以上、まずはその時代の背景を確定し なければならない。彼たちが「戦後世代」と広く呼ばれるようになったのは主に 1959 年に大江氏がエッセイ「戦後世代のイメージ」で言及してからだと思われ る。このエッセイは元々「無分別ざかり」という仮のタイトルで『週刊朝日』に 連載したものであり、大江氏の最初のエッセイ集『厳粛な綱渡り』で改称した原 因を「第一部のためのノート」にて解説し、「戦後世代」の定義を次のように説 明していた。

ぼくはこの一連の文章で、戦争がおわった夏のぼく自身の(自分に対する、

また、世界全体に対する)イメージを再現しようとした。この文章を書いた ころぼくは一種の世代マニアにかかっていて、自分のことを、新戦後派とか、

純粋戦後世代とか呼んで位置づけようとしていた。現在では、一般にぼくの ように一九三五年生れで、戦後に中等教育を受けたような年齢のものを、戦 後世代と呼ぶことが常識となったようである。1

そして、同書に収録された「憲法についての個人的な体験(講演)」で「そう いう、時代区分の境目の人間として、ぼくの世代と、それ以後の人たちのことを 戦後世代と呼びたい」2と大江氏に語られたが、このエッセイ集の発売と伴い、

新聞社から受けたインタビューで「たとえば一九五〇年という歴史の転換期以 降に教育をうけたものは、もう戦後世代とはいえないと思うのです。(中略)ぼ くら戦後世代のように、新憲法を生き生きとしてうけとってはいません。いわば ぼくらは、戦後の短い蜜月時代に育った、特異体験者の立場に立たされているの かもしれません」3と作家がさらに限定して述べた。こうした言論を整理すると、

「戦後世代」は広義的に言えば、大江氏たちの世代とその後の全部の人間を指す が、厳密に言うと、常識的に認識されたのは 1930 年代あたりに生まれで、戦時 体制で国民学校に通い、そして戦後にて中学校に入学、民主主義の教育を受け、

新憲法を大切にしながら、1950 年に発生した朝鮮戦争で衝撃を受けた人々と判 断できよう。この世代で後の 1950 年代に文学者として登場した人は大江氏以外 に、石原慎太郎と開高健などが挙げられる。その三人の文学を紹介するため、磯 田光一は「戦後世代」の精神を育てた昭和二十年代(1945 年―1955 年)の状況 を以下のように述べていた。

戦後における最初の十年間は、日本に残存する旧秩序を破壊し、そこに

「個人」の自由に立脚した民主主義の樹立をめざそうとする動向が支配的 であった。これはアメリカの占領政策と新憲法の理念とにもとづく旧秩序

1 大江健三郎「第一部のためのノート」『厳粛な綱渡り』(講談社、1965 年)7 頁。

2 大江健三郎「憲法についての個人的な体験(講演)『大江健三郎 同時代論集 1』(岩波書店、

1980 年)67 頁。(初出『朝日新聞』1964 年 7 月 16 日―18 日)

3 大江健三郎「僕らはいまや少数派 戦後の蜜月育ち」『朝日新聞朝刊』1965 年 3 月 31 日 8 面)

の破壊というかたちで、現実面にあらわれており、また思想的には、丸山眞 男氏ら進歩的知識人、およびコミュニズムへの共感者たちの言論のうちに、

時代の動向を見ることができる。4

この時期にて、アメリカとともに日本社会に染み入った民主主義が時代の潮 流を導いており、さらに共産主義の思想が知識人を引き寄せたことが当時の社 会の実態を反映していると思われる。しかし、それはあくまでも知識人の範疇に 限る話であり、一般的な若者たちは逆に戦後資本主義の急速な発展で自由と解 放を手に入れ、「私的利益」を追及するようになったと磯田氏に指摘されていた

5。さらに、共産党は 1950 年の党内分裂を経て、55 年の運動方針の転換により、

知識人の偶像としての象徴が崩れているようでもある。従って、こうした時代性 を引き継いだ昭和三十年代(1955 年―1965 年)の特色について、磯田氏は「社 会的に急速な近代化・工業化が促進され、また知識人の精神状況の問題としては、

日共神話の解体によって価値意識の相対化が進行した時代」6だと見ていた。言 い換えれば、大江氏たちの「戦後世代」はこのような社会の急変に刺激されなが ら成長してきたということになる。しかし、この急変と裏腹に、加藤周一が「政 治制度の急激な変化に、政治的な意識と行動様式の変化がただちに伴ったので はない。権力と人民との関係においては、伝統的な「官尊民卑」の風習が残り、

今日なお日本社会は、市民革命を経過した社会と異なる」7と説明したように、

民衆の間にはやはり権力体制という伝統的な意識が未だに存在しているとうか がえる。この権力との関係が後に大江文学における重要なテーマとして語られ ており、「戦後世代」の成立に大きな役割を担っていると考えられよう。

40・50 年代を更に検討した『戦後日本スタディーズ 1』において、岩崎稔、小 森陽一と成田龍一の対談でいくつかの重要な事件を取り上げている。年代順で まとめれば、「敗戦」から「米軍占領と憲法制定」、「49 年中国革命」、「朝鮮戦争」、

「日本共産党の混乱」、「米軍基地反対運動」、「五五年体制」と「60 年安保闘争」

までが一つの過程であり、その中でいずれも絡んでいたのは「戦争責任」、「占領

4 磯田光一「解説」『日本の文学 76』(中央公論社、1968 年)538 頁。

5 同上。

6 同上、539 頁。

7 加藤周一『日本文学史序説 下』(筑摩書房、1999 年)505 頁。

と支配」、「民族とアイデンティティー」などの要素と思われる。紙幅のため、そ の内容についてはここで詳述しないが、「戦後世代」はこの一連の状況と深く関 わっていることをまず念頭に入れておきたい。また、この対談で世代論にも触れ ており、50 年代が「ちょうど世代の切れ目」になっていると成田氏が指摘して

と支配」、「民族とアイデンティティー」などの要素と思われる。紙幅のため、そ の内容についてはここで詳述しないが、「戦後世代」はこの一連の状況と深く関 わっていることをまず念頭に入れておきたい。また、この対談で世代論にも触れ ており、50 年代が「ちょうど世代の切れ目」になっていると成田氏が指摘して

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