戦後文学の代表者の一人と言われた大江健三郎はこれまで戦後の日本社会と 文化を始め、多様なアプローチで彼自身が意識していた世界と関わる問題に関 心を向けて筆を執ってきた。そのような氏の作品は大まかに三つの段階に分け て考察することができる。「奇妙な仕事」(1957 年、『東京大学新聞』)、「死者の 奢り」(1957 年、『文学界』)、『われらの時代』(1959 年、中央公論社)などの一 連の小説を活発に発表した作家デビュー初期、氏が 1963 年に障害者の息子の誕 生を境目に書き上げた「空の怪物アグイー」(1964 年、『新潮』)、『個人的な体験』
(1964 年、新潮社)、『万延元年のフットボール』(1967 年、講談社)などの著作 が順次に上梓されてから、1993 年に当初「最後の小説」と決めていた『燃えあ がる緑の木』(1993 年、新潮社)を経て休筆し、94 年にノーベル賞受賞までの中 期、最後に 1999 年の『宙返り』(1999 年、講談社)で執筆再開し、その後の文 学活動を「後期の仕事(レイト・ワーク)」と自称して今に至るまでの時期がそ の三つの区切りと思われる。というのも、デビュー以来戦時の体験と戦後の社会 を中心に著された小説は 63 年以後、「障害児」と広島経験、核社会を軸に話が組 み込まれるようになり1、さらに 93 年に「老年の入口でそれを検証」2するため に書かれた長編三部作を境目に、その後の作品は「晩年」3を強く意識し始めた。
このように、三つの時期にはそれぞれの文学特徴が存在し、かつ扱う題材も大き な相違が見られる。
今までの先行研究では、異なる時期や作品の比較と分析が盛んに行われ、多岐 にわたる切り口でそれぞれの特徴と描写がもたらす意味が論述されてきた。そ の中で初期作品について、開高健の次の評価は代表的だと言える。
1 大塚英治が『初心者のための「文学」』(角川書店、2006 年)で「大江に障害を持った長男が生 まれ、彼の小説が大きく変容していくことで後半の仕事についての評価は大きく分かれます」
と指摘したように、最初のこの転換は明白であり、すでに広く認められている。
2 大江健三郎『大江健三郎小説』(新潮社、1996 年)パンフレットによる。
3 「96 年には武満徹さん、97 年には伊丹十三さんが亡くなられたということもあって、自分に とっての晩年を意識した小説を書くことに気持ちが向かっていきました」と大江氏が述べた ように、90 年代後半の転換は著しいものと思われる。「大江健三郎 Interview long Version 2005 年 9 月号」(https://ddnavi.com/interview/23089/a/、『ダ・ヴィンチニュース』2005 年 9 月 1 日掲載、2018 年 6 月 20 日閲覧)
一つの環境がある。閉じていて、どこにも逃げ道がない。しかし一度はそ の壁が破れかける。けれどつぎの瞬間にはふたたびそれが閉じてしまう。ど うしようもない。絶望だ。…というのが大江君の処女作のときからの発想法 らしい。どの作品を読んでもすべてこの式が使われている。ちがうのはその ときどきによって場所や人物や職業だけで、項は変化しても式そのものは すこしもかわらない。4
大江氏自身も 1957 年のほぼ後半に書き上げた初期短編を「監禁されている状 態、閉ざされた壁のなかに生きる状態を考えることが一貫した僕の主題でした」
5と説明したように、閉塞感6と絶望感が溢れる当時の社会状況に合わせて、そこ で生きている作家と同時代の青年たちの苦悩を描いていたと思われる。この同 時代に対する問題意識はデビュー後まもなく、大江氏が自分たちを「戦後世代」
と捉え、「戦後」に対するイメージを積極的に発言したことから、本論文では「戦 後世代の問題」として見なし、それを定義した上で論述していきたい。
さて、この「戦後世代」の絶望が作品に反映した結果、まず挙げられるのは一 人称語り手の主人公の受動的な特質である。「奇妙な仕事」、「死者の奢り」など 最初期の短編作品で見られるように、男子大学生の「僕」はずっと消極的に行動 しており、たとえ不合理に要求、対応されても抵抗しなかったが、最終的に迎え たのは徒労な結末だけであった。もう少し時間を後に巻いて、1959 年に出版さ れた、初めて「性」の概念を意識的に物語に取り入れた長編小説『われらの時代』
においても、主人公とその弟はそれぞれこの閉塞な時代性に対抗し、そこを脱出 しようとしたものの、無力に終わった。そして、こういう主人公と同世代の登場 人物たちも全員、無為に終わるのが常であるが、彼らに不当な制圧を施した人物 たちのほとんども外部からの更なる大きな圧力によって悲惨な運命に見舞われ る。こうして見れば、大江氏の初期作品に満ちている「絶望」は人物関係の形成 から崩壊までの過程を通してよく表されていると言えよう。
4 開高健「変わらぬ発想法」(『読売新聞夕刊』1959 年 8 月 6 日 3 面)
5 大江健三郎『死者の奢り』(文芸春秋新社、1958 年)302 頁。
6 閉塞感の評価について、大塚英治が『初心者のための「文学」』(角川書店、2006 年)で「「戦 後社会」をこのようにある決定的な閉塞感をもって描き出すという視線を強烈に示したのは 戦後文学に於いては誰よりも大江健三郎であった」と指摘したように、当時においても、大江 文学の特徴であるため、数多な評論と研究に取り上げられていた。
こうした関係性の構図は初期に限らず、大江文学において一貫している手法
身が宣言した「戦後世代」の定義から着手し、処女作「奇妙な仕事」を始め、初 めて「障害児」をテーマにした「空の怪物アグイー」と中期に本格的に「障害児」
との共生を題材にした『個人的な体験』の三つの作品を中心に、登場人物たちの 力関係の推移を通して、氏の絶望と希望の概念の読み解きを試みる。
2. 先行研究
1935 年で愛媛県喜多郡の谷間にある大瀬村(現在の内子町)に生まれた大江 健三郎は 9 人家族で育ち、そして十歳の頃に戦争の終結を迎えた。この間の出 来事を大江氏は作家デビュー後まもなくの 1959 年に書いたエッセイ「戦後世代 のイメージ」で、彼自身が体験したことを「天皇」、「負けと終わり」、「国家」と
「英雄」などのいくつかのテーマに分け、同世代の共通経験としてかなり詳しく 語っていた10。その同世代の連帯意識については前述のように、「戦後世代」ある いは「新・戦後派」に属するものだと大江氏自身が言及している。そうして彼も 後に新聞から「戦後世代の旗手」11と見なされるようになった。大江健三郎文学 はまさにこの世代論的な問題意識から出発したものであり、その著作を分析す るには見落としてはならない部分と言わざるを得ない。となると、「戦後世代」
が持つ問題意識を精確に捉えるため、「戦後世代」という言葉に含まれた意味を 更に具体的に定義する必要がある。
一方、このような世代論に対して異議をもっている研究者は少なくない。例え ば、邦高忠二は氏の戦中派論に対して、「なにかこのなかには、世代の代表を意 識した過剰な自認があるし、戦中派の表現を不当に低くみようとする世代マニ ア的対抗性も感じられる」12と指摘している。月村敏行も氏の小説「孤独な青年 の休暇」(1960 年、『新潮』)を例に、「作品としてみればそのイメージも世代に アクシスをおいたモチーフによって、いささかちぐはぐな印象のなかに浮かん でしまうのはとどめがたい。それはそもそもの自己確立が世代論を根底にしな
10 大江健三郎「戦後世代のイメージ」『大江健三郎 同時代論集 1』(岩波書店、1980 年)(初出
『週刊朝日』1959 年 1 月 4 日号―2 月 22 日号)
11 大江健三郎「希望訪問 戦後世代の旗手 風に向かって進む魅力」(『読売新聞朝刊』1966 年 9 月 25 日 18 面)。松原新一「大江文学の魅力 戦後世代の渇望と象徴」(『読売新聞朝刊』1967 年 10 月 8 日 18 面)。など。
12 邦高忠二「大江健三郎の反抗と常識―『厳粛な綱渡り』をめぐって―」『日本文学研究資料刊 行会編安部公房・大江健三郎』(有精堂、1974)165 頁。(初出『新日本文学』1965 年 5 月号)
ければならなかったために、いわば当然の結果である」13と厳しく論評した。こ うした論議は基本的に大江氏の世代マニア的な部分についての疑問であるが、
その世代論の当否はさておき、本論文は大江文学の変化を視座に据えた以上、大 江氏が思う「戦後世代」に内包された各種なイメージを時代性と合わせてさらに 把握しなくてはならない。
2.1. 「奇妙な仕事」について
前述した様々なイメージを全部取り上げるのは更なる紙幅を要するが、前に 提起した開高氏の「絶望感」や「閉塞感」の論点と大江氏の「監禁状態」の説明 に絞りたい。そういった問題を扱ったのは最初の処女作「奇妙な仕事」に明白に 見られる。それについて、野間宏は次のように論じていた。
前述した様々なイメージを全部取り上げるのは更なる紙幅を要するが、前に 提起した開高氏の「絶望感」や「閉塞感」の論点と大江氏の「監禁状態」の説明 に絞りたい。そういった問題を扱ったのは最初の処女作「奇妙な仕事」に明白に 見られる。それについて、野間宏は次のように論じていた。