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1 菅内閣の登場と菅外交の新方針

前述のように、普天間基地移設問題は社民党の連立離脱を招き、

同時にその当時国内での政治とカネの問題で大きな批判を受けてい

54 「“首相、辺野古伝達 知事「極めて厳しい」『琉球新報』(2010 年 5 月 23 日)、

(http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-162510-storytopic-3.html、2010 年 10 月 10 日閲覧)

55 「(仮訳)共同声明 日米安保協議委員会」(2010 年 5 月 28 日)、外務省ホームペー ジ(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/joint_1005.html、2010 年 10 月 10 日閲覧)

56 「福島氏の罷免決定 社民、政権離脱検討」『沖縄タイムス』(2010 年 5 月 28 日)、

(http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-05-28、2010 年 10 月 10 日閲覧)。

57 「社民が連立離脱決定 首相辞任論も、政局緊迫化」『琉球新報』(2010 年 5 月 30 日)、

(http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-162828-storytopic-3.html、2010 年 10 月 10 日閲覧)

たことにより、6 月 2 日、鳩山首相は民主党の両院議員総会にて辞任 する意向を表明し、小沢幹事長も同時に辞任を表明した58。その後、

菅直人副総理兼財務相が民主党の新しい代表選へ出馬する意志を表 明し、4 日、両院議員総会にて新代表に選出され、同日、衆参両院の 本会議の首相指名選挙により第 94 代首相に就任した59。そして、8 日、民主党と国民新党による菅連立内閣が正式に発足した。菅首相 は就任記者会見で、内政では経済、財政、社会保障を立て直し、「最 小不幸社会」を目指す考えを明らかにした。また、そこには官僚排 除という考えは全く見うけられなかった60。同会見では、外交では今 後、日米同盟を基軸とする外交原則を継続し、また米軍普天間基地 の移設問題についても、首相は「日米合意を踏まえるという原則は 守っていかなくてはならない」と明言した。新政権では普天間基地 問題を専門に扱うチームを政府内に立ち上げ、一元的に対応する考 えを表明し、また「沖縄県の負担軽減にもしっかり取り組んでいき たい」とも述べた61。この発言はつまり、菅首相は内政では官僚の力 を使って政策を進めて行きたいということの現われであった。なお、

日米同盟を基軸とする外交原則により普天間基地問題については移 設先を沖縄県名護市の辺野古周辺と決めた 5 月の日米合意声明を遵

58 「鳩山首相 退陣」『朝日新聞』(2010 年 6 月 3 日)。

59 「菅首相 誕生へ」『朝日新聞』(2010 年 6 月 4 日)。

60 「政治主導」を掲げる鳩山前首相は当初、外務・防衛両省の官僚の影響力を排除し たゆえんで、政務三役の少人数だけで対米交渉などを進めようとしたもののうまく いかず、政権は迷走するにまでに至った。行き詰まったあげく、事務方トップの滝 野欣弥官房副長官を中心に、外務・防衛両省の実務者を使って体制を立て直すしか なかった。「霞ヶ関の活用に狙い 普天間経緯 半面教師に」『朝日新聞』第 2 面、

(2010 年 6 月 10 日)。

61 「菅内閣発足」第 1 面、「菅首相記者会見(要旨)」第 4 面『朝日新聞』(2010 年 6 月 9 日)。

守する姿勢を示した。

これに対して、米国のゲーツ国防長官は菅首相の日米合意声明を 遵守するという発言に歓迎の意を表した62

菅直人新内閣が発足してから、鳩山政権期の内閣メンバーの大部 分が留任し、北沢俊美防衛大臣(継続)及び岡田克也外務大臣(現 在、党幹事長)などが対米交渉の重要なポストに再任した。また、

鳩山政権期の鳩山前首相・小沢前幹事長という二重権力の構造が政 権の不安定化を招いたと考えられたため、菅首相は「内閣・与党の 一体化」を強化実施する政権を構想した。これは内閣と民主党の棲 み分けを図った「小鳩体制」からの決別を意味している63

内閣人事の布陣を完成した菅首相は11 日、衆議院本会議で行われ た就任後初の所信表明演説では三つの新政権の政策課題の一つとし て、「責任感に立脚した外交・安全保障政策」を掲げた。そのなかで、

米軍普天間基地返還・移設問題については、名護市辺野古への代替 施設建設で合意した日米合意を踏まえる姿勢を重ねて強調したうえ で、沖縄の過重な基地負担に対し「感謝の念を深めることから始め たい」と述べた。また、菅首相は普天間基地の移設・返還と一部海 兵 隊 の グ ア ム 移 転 は 何 と し て も 実 現 し な け れ ば な ら な い と し た 。5 月末の日米合意の声明を踏まえつつ、同時に閣議決定でも強調した ように、沖縄の負担軽減に尽力する覚悟であるという要旨を述べ、

基地負担軽減に積極的に取り組む姿勢を示した。外交方針について は、同所信表明のなかで、日米同盟を「国際的な共有財産」とし、

62 「『共同声明履行』菅氏発言を歓迎 米国防長官」『朝日新聞』(2010 年 6 月 10 日)。

63 前政権では「政策は内閣。選挙は党」と役割を分担し、小沢前幹事長が党側を掌握。

ところが予算編成など、いざというときには、小沢氏が官邸に「裁定」をつきつけ た。その結果、党幹事長質への権限集中が進み、「二重権力」との批判を浴びた。詳 細は「菅カラー強調の船出」『朝日新聞』第2 面、(2010 年 6 月 9 日)を参考のこと。

外交の基軸と位置つけ、同時にアジアとの連携強化に取り組むとし た。国際社会における日本の責任という観点から、「相手国に受動的 に対応するだけでは外交は築かれない、時には自国のために代償を 払う覚悟ができるのか」と問い掛け、国民が責任を自覚し、それを 背景として外交を行うべきであると主張した。さらに「世界平和と いう理想を求めつつ、現実主義を基調とした外交を推進すべきだ」

とし、「イデオロギーではなく現実主義」による外交を展開する姿勢 を強調した。

また、民主党政権の政治的看板=「政治主導」については、鳩山 前政権がその評判を落としたことをきっかけに、菅首相は同所信表 明演説にて、「政治主導とは国民主権」という理念を示し、「基本的 な政治理念は国民が政治に参加する真の国民主権の実現」を基調と するほか、「(官僚と)敵対することを私たちは求めたわけではない。

政 官 一 体 と な っ て 結 果 を 出 し て い く 政 治 が 新 し い 政 権 の ス タ イ ル だ」という政治理念を中核に置いた64

菅首相登場後初の通常国会(6 月 14~16 日)にて、野党側が、与 党と菅直人首相らへの内政問題、特に普天間基地問題によって露呈 された政権の不安定さ及び日米関係をギクシャクさせた責任という 問責決議議案を参院に提出したが、民主党と国民新党による与党側 は採決をせず廃案とした65。一方で、日本の政治にとって、2010 年 の国政最大の節目となる第 22 回参議院選挙66がようやく各党の視野 に入りはじめ、時間も差し迫ったため、菅首相は通常国会閉会後、

臨時閣議を開き参院選の日程について、24 日公示、7 月 11 日投開票

64 「菅首相の所信表明演説」『朝日新聞』第 6-7 面、(2010 年 6 月 12 日)。

65 「7・11 参院選 過半数巡る攻防」『朝日新聞』第 1 面、(2010 年 6 月 17 日)。

66 第 22 回参議院選挙では、定数 242 議席の半分にあたる 121 議席が改選される。

することを決定し、各党は事実上の選挙戦に入った67。通常国会では、

民主党の政治責任を問責することができなかったため、この参議院 選挙にて、民主党による政権運営また後続の菅内閣をどう評価する かが問われることになった。

通常国会閉会後、参議院選挙にて勝利を勝ち取るため、17 日に菅 首相は内政面や外交面などの各方面の改革案をまとめた方針を表明 し、この方針に基づいて、民主党は新しいマニフェストを発表した。

普天間基地問題では「民主党政権の迷走で日米の信頼関係は大きく 損なわれている」と指摘し、また日米同盟の再構築を最優先に掲げ た外交方針を強調した68

以上のように、菅直人首相は就任記者会見、あるいは衆議院での 就任後初の所信表明演説、また民主党の新しいマニフェストにおい ても、内政面では政治主導の政治理念を堅持し続けている一方、外 交面では日米同盟を「日本の防衛のみならず、アジア・太平洋の安 定と繁栄を支える国際的な共有財産」と位置づけ、「日米同盟を外 交の基軸とし、同時にアジア諸国との連携を強化」し、現実主義を 基調とした外交を推進すべきとし、また米軍普天間基地移設問題に ついても、日米合意の「現行計画」を踏まえる姿勢を重ねて強調し た。

2 参議院選挙後の普天間問題をめぐる日米の立場

第 22 回参議院選挙は政権交代後、初の本格的な国政選挙であり、

政権交代を受けて誕生した民主党政権への評価が問われる選挙戦と なった。7 月 11 日の投開票の結果、民主党は改選議席(54 議席)を

67 「7・11 参院選 過半数巡る攻防」『朝日新聞』第 1 面、(2010 年 6 月 17 日)。

68 「民・自、公約を発表」『朝日新聞』第 1 面、(2010 年 6 月 18 日)。

大きく下回り、44 議席しか獲得できなかった。これに対して、自民 党の議席数は改選38 議席を大幅に上回り、51 議席当選し、また改選 議席で第 1 党となった。国民新党も含めた与党の議席数は過半数を

大きく下回り、44 議席しか獲得できなかった。これに対して、自民 党の議席数は改選38 議席を大幅に上回り、51 議席当選し、また改選 議席で第 1 党となった。国民新党も含めた与党の議席数は過半数を

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