民主党政権期における鳩山・菅内閣の
日本外交
─普天間基地移設問題を中心に─
徐 浤 馨(年生)
∗ (国立政治大学国際関係研究センター博士後研究員)【要約】
2009 年 8 月、民主党は第 45 回衆議院選挙で 308 議席を獲得して空 前の勝利を収め、政権交代を達成し、戦後の「55 年体制」における 自民党の一党優位政党体制を変えた。民主党政権の内政・外交・軍 事・経済など重要な国家方針にかかる各政策において、変化が起こ ることは必至で、なかでも外交政策の行方が最も関心を集めている。 民主党はマニフェストで「国民の生活が第一」を主な政見とし、そ の中で「政治主導」を核心理念とする政権構想5 原則 5 策を掲げた。 外交関係においては、緊密で対等な日米関係の構築、東アジア共同 体の創設、アジア外交の強化、などの外交政策を掲げた。こうした 政策からすれば、自民党に牛耳られていた「親米」の外交政策を「親 米疎亜」から「親亜疎米」に転換しようとしていたことが分かる。∗ 政治大学国際関係研究センター博士後研究員/淡江大学アジア研究所(日本研究組) 兼任アシスタント教授。
しかし、普天間基地移設問題が日米同盟関係に深刻な衝突をもたら し、これによって鳩山首相は 9 カ月足らずでその政権を閉じること になった。2010 年 6 月に菅内閣が登場し、同 11 日の国会における所 信表明にて、鳩山前首相の外交政策に変わって、日米同盟、現実主 義、と同時にアジア諸国との連携の強化を基調とするという新しい 外交路線を敷いたことは明らかである。また米軍普天間基地移設問 題について、日米合意の「現行計画」を踏まえる姿勢をも重ねて明 らかにしている。
【キーワード】
民主党政権、マニフェスト、政治主導、友愛精神、鳩山外交、菅外 交、日米同盟一 はじめに
2009 年 8 月、民主党は第 45 回衆議院選挙で 308 議席を獲得して空 前の勝利を収め、政権交代を達成し1、戦後の「55 年体制」における 自民党の一党優位政党体制を変えた。民主党政権の内政・外交・軍 事・経済など重要な国家方針にかかる各政策において、変化が起こ ることは必至で、なかでも外交政策の行方が最も関心を集めている。 今回の衆議院選挙で勝利を収めた鳩山由紀夫代表は、今後は米国だ けでなく、中国やその他のアジア国家ともより緊密な関係を模索し ていく意向を暗に示した。実際、麻生首相(当時)が国会を解散し、 第45 回衆議院改選準備を進めていた折、民主党は国民に向けて将来 のビジョンを描いたマニフェスト(Manifesto 2009)を示した2。民主1 今回の衆議院選挙において、民主党が自民党を破って政権交代を達成した要因につ いては、日本政治の転換に関する読売新聞と早稲田大学の共同研究を参照のこと。 田中愛治・河野勝・日野愛郎・飯田健・読売新聞世論調査部著『2009 年、なぜ政権 交代だったのか』(東京:勁草書房、2009 年)。このほか、1998 年の民主党結党から 政権獲得までの軌跡については、橘民義編著『民主党10 年史』(東京:株式会社第 一書林出版、2008 年)を参照のこと。 2 鳩山由紀夫(前)党代表(党首と同等の呼称)は、第 45 回衆議院総選挙に際し、2009 年7 月 27 日、国民に向けて民主党の政見を発表した。日本の各紙はこれをマニフェ スト(Manifesto 2009)と呼んでいる。民主党のマニフェストは、「国民の生活が第 一」を主要な政見政策とし、その中では「政治主導」を核心理念とする政権構想5 原則5 策を掲げた。マニフェストの政策各論は 7 項目 55 章からなり、前半の 5 項目 (①ムダづかい、②子育て・教育、③年金・医療、④地域主権、⑤雇用・経済)が 「国民の生活が第一」に関連する内容、第6 項目が消費と人権、第 7 項目が外交と なっている。第7 項目の外交政策の内容を簡潔にまとめると、緊密で対等な日米関 係の構築、国家目標としての東アジア共同体の創設、アジア外交の強化、北朝鮮の 核兵器開発不承認、世界の平和と繁栄の実現、世界の核廃絶に向けて先頭に立つ、 反テロ等となる。民主党政権のマニフェストの詳細については、民主党ホームペー ジを参照のこと、(http://www.dpj.or.jp/special/manifesto2009/txt/manifesto2009.txt、2010 年9 月 27日閲覧)。
党はマニフェストで「国民の生活が第一」を主な政見政策とし、そ の中では「政治主導」を核心理念とする政権構想 5 原則 5 策を掲げ た。マニフェストの政策各論は主に七項目に分けられ、外交関係に おいては、緊密で対等な日米関係の構築、国家目標としての東アジ ア共同体の創設、アジア外交の強化、北朝鮮の核兵器開発不承認、 世界の平和と繁栄の実現、世界の核廃絶に向けて先頭に立つ、反テ ロなどの外交政策を掲げた。こうした政策からすれば、鳩山代表及 び民主党は米国と友好で対等な関係を構築し、「友愛」精神の外交 理念によってアジア諸国との善隣外交関係を構築する準備を進めて おり、明らかに「55 年体制」を崩して、自民党に牛耳られていた「親 米」路線の外交政策を「親米疎亜」から「親亜疎米」に転換しよう としていたことが分かる。欧米諸国は民主党のマニフェストに対し 高い懸念を抱き、またアジア各国は日本のその意図への警戒心を抱 き、状況を傍観するという状況が生じた。 一ヵ月後の衆議院総選挙投票日前夜にあたる 8 月 27 日、ニューヨ ークタイムズ紙に“A New Path For Japan”(新しい日本の道)と題す る鳩山代表の論文が掲載され、政権交代後の日本の政策方針の発展 方向について考えを示した3。論文では、世界金融危機によって伝統 的な思考が変わり、米国が主導するグローバル化時代は終わりを告
3 ニューヨークタイムズに掲載された鳩山氏の同論文は、元々「私の政治哲学」とし て8 月 10 日発行の月刊誌『Voice』2009 年 9 月号(2009 年 8 月 11 日掲載)に掲載さ れたものである。日本語の原文は、鳩山由紀夫氏のホームページに掲載されている、 (http://www.hatoyama.gr.jp/masscomm/090810.html、2010 年 9 月 27 日閲覧)。月刊誌 『Voice』9 月号が発行された 2 週間後、これを要約し、“A New Path For Japan”と題
した英文論文が2009 年 8 月 27 日(米国現地時間 8 月 26 日)のニューヨークタイム
ズ電子版に掲載された。英語原文については、下記ウェブサイトを参照のこと。 (http://www.nytimes.com/2009/08/27/opinion/27iht-edhatoyama.html?_r=1、2010 年 9 月 27 日閲覧。)
げ、日本は「友愛」精神4に基づいてアジア近隣諸国との協力を強化 すべきとし、同時に、「東アジア共同体」及びアジア共通貨幣の開 設を提唱した。 マニフェストで発表された内容や鳩山氏の海外で掲載された論文 からすると、2009 年 8 月の衆議院総選挙の段階で、政権交代後に鳩 山氏が採る外交方針の枠組みはすでに固まっていたようである。し かし、普天間基地移設問題によって、日米間に深刻な衝突が起きた ため,最終的に鳩山氏は 9 ヶ月足らずで辞任することになった。こ うした結果は、首相就任後、鳩山氏が懸命に強調していた「政治主 導」を主とする「友愛外交」が挫折したことを示している。 本稿では、民主党が政権獲得後に示した「政治主導」から、鳩山 政権下における「友愛」外交の発展プロセスについて分析する。特 に、外交・安全保障の分野に着目し、日米関係において非常に重要 な外交課題である普天間基地移設問題を考察の対象とし、「友愛」 精神の外交理念及び「政治主導」の行動モデルにおける日米交渉プ ロセスから、鳩山氏の外交政策及び将来における日本の外交を展望 する。
4 「友愛」という言葉は、1996 年の旧民主党結党当時、鳩山由紀夫氏が提起したもの で、鳩山家の家訓でもある。鳩山由紀夫氏の祖父である故鳩山一郎氏は、日本が独 立を回復した昭和27(1952)年 8 月 12 日、東京都千代田区の日比谷公会堂で政界に 復帰した際の演説の中で(戦後初期には連合国軍最高司令官総司令部の指令により 公職追放に遭っている)、「民主主義政治の確立、このための改革を目ざして、私は 友愛革命というのである」と述べた。「友愛」という言葉はこのとき生まれ、同時に 鳩山家の家訓となった。2009 年 5 月の民主党代表選挙においても、「友愛」精神を将 来政権獲得した際の施政の核心理念にすると述べている。よって、民主党が政権獲 得後、「友愛」精神は鳩山氏が政策決定を行う際の判断基準となった。産経新聞政治 部著『民主党解剖 この国を本当に任せられるのか?』(東京:産経新聞出版社、2009 年)、22-25 ページ;森省歩著『政権漂流 交代劇は日本の何を変えたのか』(東京: 中央公論社)、2010 年、80-81 ページ等を参照のこと。
二 「政治主導」の政策決定システム
2009 年 8 月に行われた衆議院総選挙に際し、民主党は国民に向け て将来のビジョンを描いたマニフェスト(Manifesto 2009)を示した。 同マニフェストでは、「国民の生活が第一」を主要な政策主張とし、 その中では日本の政治スタイルを変えるべく、「政治主導」を核心 理念とする政権構想 5 原則 5 策を明らかにした。以下は原文を抜粋 したものである。 【5 原則】 原則1 官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政 治へ。 原則2 政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定 に一元化へ。 原則3 各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ。 原則4 タテ型の利権社会から、ヨコ型の絆(きずな)の社会へ。 原則5 中央集権から、地域主権へ。 【5 策】 第1 策 政府に大臣、副大臣、政務官(以上、政務三役)、大臣補 佐官などの国会議員約 100 人を配置し、政務三役を中心に 政治主導で政策を立案、調整、決定する。 第2 策 各大臣は、各省の長としての役割と同時に、内閣の一員と しての役割を重視する。「閣僚委員会」の活用により、閣 僚を先頭に政治家自ら困難な課題を調整する。事務次官会 議は廃止し、意思決定は政治家が行う。第3 策 官邸機能を強化し、総理直属の「国家戦略局」を設置し、 官民の優秀な人材を結集して、新時代の国家ビジョンを創 り、政治主導で予算の骨格を策定する。 第4 策 事務次官・局長などの幹部人事は、政治主導の下で業績の 評価に基づく新たな幹部人事制度を確立する。政府の幹部 職員の行動規範を定める。 第5 策 天下り、渡りの斡旋を全面的に禁止する。国民的な観点か ら、行政全般を見直す「行政刷新会議」を設置し、全ての 予算や制度の精査を行い、無駄や不正を排除する。官・民、 中央・地方の役割分担の見直し、整理を行う。国家行政組 織法を改正し、省庁編成を機動的に行える体制を構築する。 5 民主党のマニフェストでは、「官僚主導」の政治から脱却し、「政 治主導」を実現するとの政権構想及び新たな政策決定プロセスが示 された(図 1)6。5 原則をみると、原則1は「政治家主導の政治」、
5 民主党のホームページ(Manifesto2009)を参照のこと、(http://www.dpj.or.jp/special/ manifesto2009/txt/manifesto2009.txt)。 6 鳩山氏が掲げた「政治主導」理念は日本特有のものではなく、実際、同概念は英国 の議院内閣制からきている。山田生輝の研究によると、政府制度の優劣については、 20 世紀初頭にドイツの社会学者であるマックス・ヴェーバー(Max Weber)が提起し た官僚制と米国プリンストン大学政治学教授だったトマス・ウッドロウ・ウィルソ ン(Thomas Woodrow Wilson)が提起した「政官二分流」の二つの見方があり、その 後、政治家と官僚の関係が主要な研究分野になった。山田は、1970 年代以来、英国 政府は官僚制の弊害に苦しみ、政治家と官僚の関係を模索し始めと考えた。すなわ ち、ヴェーバー型の官僚制とウィルソン型の「政官二分流」は、1970 年代以後にな って政治的評価を受けるようになり、1990 年から 21 世紀初頭にかけて、英国はよう やく正式にウィルソン型の政官関係をとり始めた。日本の民主党は、2009 年に政権 を獲得してから、政策の有効性を目標とする政治改革、すなわち「政治主導」を正
原則2 は「内閣による決定」、原則 3 は「官邸主導」とどれも「政治 主導」の核心理念であり、5 策は正に「政治主導」にかかる具体的な 行政措置である。「55 年体制」の自民党政権下における官僚主導の政 治スタイルとは異なり、各省(部会)に関連した制作の立案または、 調整などの主導権を政務三役(大臣、副大臣、政務官)に委ねたほ か、事務次官会議の廃止・各省(部会)「閣僚委員会」の活用・官邸 の機能を強化するための総理直属の「国家戦略局」の設置・新しい 幹部人事制度の確立・予算や制度などの精査と無駄遣い排除のため の「行政刷新会議」の設置等が盛り込まれた。 図一 民主党の政策決定過程 (出所)中野雅至『政治主導はなぜ失敗するのか?』(東京:光文社、2010 年)、82 ペ ージ7。
式に推進し始めた。詳細については、山田生輝「鳩山政権、周回遅れの『政治主導』
官僚に効率性と応答性を求める狭間」『Japan Business Press』(2010 年 1 月 27 日)、
(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/2619、2010 年 9 月 21 日閲覧)を参照のこと。
2009 年 9 月 16 日、新たに成立した鳩山連合内閣(民主党は社会民 主党と国民新党の支持を得ている)の初閣議において、鳩山首相は 民主党のマニフェストの基本理念を「内閣基本方針」及び「政・官 の在り方」に反映させ8、政府施政を「官僚主導」、「官僚依存」の政 治から、「国民主権」、「政治主導」に転換することを日本の政治シス テムを主導する核心的概念とすることを正式に決定した。 言い換えれば、この政治家及び内閣主導、官邸主導による政策決 定過程は、首相や政務三役を中心とした内閣による政治主導型の行 政(官僚)指導であるだけでなく、内閣と与党による政治運営を一 元化するもので、「55 年体制」の自民党政権下でみられた党・官(官 僚)・財(産業界、或いは財界)による「鉄の三角同盟」の政治共生 関係を崩し、同時に、自民党政権下でなされた政策の企画・立案等 を壊すことでもあり、派閥間調整による政策形成モデルから、「政務 三役」を政策決定の中心とする「政治主導」の政治運営モデルへの 転換を意味する(議員立法は原則禁止、法案提出は原則政府提案に 限る等)。民主党政権主導の新しい政治運営モデルは、指導者が完全 に「政治責任」負うという鳩山首相と岡田外相による新たな外交政
「脱官僚」などのスローガンを掲げ、官僚主義体制を打破することを目的にしてい る。しかし、日本学者である中野雅至氏は官僚主義体制の打破が即座に政治主導体 制の実現を保障することができない、また民主党政権は政治主導体制を築く事が本 当にできるのか、という問題点を指摘している。詳細は中野雅至『政治主導はなぜ 失敗するのか?』(東京:光文社、2010 年)を参考のこと。 8 2009 年 9 月 16 日に開かれた連立内閣の初閣議において、今後の国家施政方針は「官 僚主導」、「官僚依存」から「政治主導」、「国民主権」の政治に改革すべきとの「内 閣基本方針」に一新しなければならないと発表し、同時に、閣僚懇談会において、 「政」、「官」の役割分担を定めた「政・官の在り方」などの施政方針を示した。「内 閣基本方針」の 15 条及び「政・官の在り方」については以下を参照のこと、 (http://www.kantei.go.jp/jp/tyokan/hatoyama/2009/0916siryou1.pdf;http://www.kantei.go. jp/jp/tyokan/hatoyama/2009/0916siryou2.pdf、2010 年 9 月 24 日閲覧)。
策決定体制であり、二人が民主党政府の外交問題における成敗の責 任を負うため、最終的に内閣の存続問題に関わることになった。
三 「友愛」精神の外交理念と制約
前述したように、初閣議で決定された「内閣基本方針」の第13 条 は外交に関する重要項目である。ここでは、アジア外交及びアジア 太平洋地域の平和の重視、緊密で対等な日米関係の構築、世界平和 の実現に向けた積極的な取り組み等を重点項目とし、なかでも対米 関係においては、緊密で対等な日米関係の構築、二国間協力関係の 強化、両国の懸案となっている外交問題をめぐる率直な話し合い、 日本側も積極的に行動指針を提言すること等を主張した9。 ここでは鳩山首相が強調しているのは「対等」の二文字である。 周知のように、日米安全保障条約は日米同盟関係における「安全保 障」メカニズムとして10、アジア太平洋地域の平和と安定において重 要な役割を担っていることは間違いないが、こうした関係はある種9 注 8 の「内閣基本方針」に同じ。なお、「55 年体制」について説明したい。日本学者 である中北浩爾氏の研究によると、1951 年に講和・安保両条約をめぐって左右両派 に分裂した日本社会党が、10 月 13 日に統一した。日本民主党と自由党に二分されて いた保守政党も、終戦以来の離合集散に終止符を打つべく統合を行い、11 月 15 日に 自由民主党を結成した。以後、日本政治は38 年もの長期にわたり、自民党を政権党 とし、社会党を野党第一党として展開された。このように、1955 年は、政党政治の 転機となり、「55 年体制」展開の始まりともいわれている。中北浩爾『一九五五年体 制の成立』(東京:東京大学出版会、2002 年)。 10 日米安全保障条約における政策形成のなされ方・理論・分析などについては、以下 を参照のこと。楠綾子『吉田茂と安全保障政策の形成-日米の構想とその相互作用、 1943~1945 年-』(京都:ミネルヴァ書房、2009 年);坂本一哉『日米同盟の絆 安 保条約と相互性の模索』(東京:有斐閣、2000 年);豊下楢彦編『安保条約の論理― その生成と展開』(東京:柏書房、1999 年);田中明彦『安全保障―戦後 50 年の模索』 (東京:読売新聞社、1997 年)等。
の不平等な同盟枠組みであり11、よって鳩山首相は「友愛」精神の政 治理念を提起することで、外交面において、戦後から続く日米間の 不平等な同盟関係が変化することを望んだ。首相就任後の鳩山氏の 最初の外交任務は、国連総会への出席であり、独自のスタイルを具 えた「友愛外交」を世界に向けてアピールした。 2009 年 9 月下旬、第 64 回国連総会がニューヨークの国連本部で開 催された。鳩山首相は総会出席を利用して、まず胡錦濤・中国国家 主席と首脳会談を行い、日本の新たな外交方針(友愛外交)の理念 を説明した。鳩山首相は特に日中両国間に横たわる東シナ海ガス田 開発問題について、「紛争の海ではなく、友愛の海となることを希望 する」と述べ、また「日中間には認識の違いがあるが、信頼関係を 構築するために、東アジア共同体構想を軸としたい」と言及した12。 鳩山首相は、紛争が起きている東シナ海に「平和・協力・友好の海」 の「友愛外交」の精神を注ぎ込みたいという「アジア重視」の外交 姿勢を明確にしたのである。23 日、ニューヨークで行われた政権交 代後初めての日米首脳会談では、「気候変動・核軍縮・経済問題」等 の重要な国際的問題について、両国が密接に協力していくことで合
11 連合国軍占領下に日本の将来を背負った吉田茂首相は、日米の不平等な同盟関係に ついて、その著書の中で次のように述べている。「世には、安保条約に相互性なしと 批判するものがある。アメリカ軍隊のため、土地、施設、役務を提供させられるだ けで、アメリカの反対給付については何らの規定もないから、条約は日本にとって 片務的だというものである。」この文章の「安保条約に相互性なし」及び「日本にと って片務的だ」の二言から、日本人自身も日米安全保障条約には相互性がなく、一 方的なものであると感じていたとする見方が一般的である。また、鳩山氏が政権獲 得後、こうした「戦後から続く日米間の不平等な同盟関係」を崩して「疎米」を焦 る傾向にあることも理解できる。吉田茂『世界と日本』(東京:番町書房、1963 年)、 162-163 ページ。 12 朝日新聞政権取材センター編『民主党政権 100 日の真相』(東京:朝日新聞社出版、 2010 年)、33-34 ページ。
意 し た ほ か 、「 日 米 安 全 保 障 体 制 は ア ジ ア 太 平 洋 地 域 の 平 和 と 安 定 を維持する基礎であり、いかなる問題に対しても、同盟を軸とする 協力姿勢を強化する」と重ねて示し13、双方は日米同盟を軸とするこ との重要性を繰り返し述べた。このほか、鳩山首相は国連総会期間 に開催された国連気候変動首脳会合で、日本は2020 年までに、1990 年比で25% の温室効果ガス削減をすると述べたほか14、24 日の演説 でも、オバマ大統領が提唱した「核なき世界」構想に積極的に呼応 して、「非核三原則の堅持」及び「核なき世界に向けて日本がリーダ ー的役割を果たす」と繰り返し述べ、同時に世界各国に対して「日 本は友愛精神....に基づいて、東洋と西洋の間で、先進国と発展途上国 の間で、多元文明の間等で、全力で世界の『架け橋』となるべきだ」 15とし、「友愛」精神の外交理念を披露した。(点線は筆者) しかし、たとえ鳩山首相が国連総会期間中に世界各国に向けて鳩 山スタイルの「友愛外交」をアピールし、オバマ大統領との首脳会 談で日米両国が安全保障体制について同盟を軸とするという肯定的 な態度を示そうとも、首相就任前にニューヨークタイムズに掲載さ れた論文の中で指摘した「冷戦後、日本は米国が主導する市場原理 主義、グローバル化の波に揺すぶられ、人間の尊厳を失った」等の 鳩山氏の発言について、米国側は高い関心を払っており、特に米国 の知日派は鳩山首相の米国追従(協調)外交に対する批判、対等な 日米同盟、在日米軍再編成、日米地位協定の改訂問題、海上自衛隊 のインド洋における給油活動の中止など、「反米」的な言論・動向に ついて米国政府に警告を発している16。実際、民主党を代表する鳩山
13 前掲書(注 12)に同じ、36 ページ。 14 前掲書(注 12)に同じ、34-35 ページ。 15 前掲書(注 12)に同じ、37 ページ。 16 前掲書(注 12)に同じ、36-37 ページ。
氏の安全保障政策に関する発言は、野党時代から一貫して「反米」 的な政治的立場にある。 こうした鳩山首相の「反米」傾向、及び「対等」な対米外交とい う外交目的の下、長年の懸案となっている駐日米軍普天間基地移転 問題が17、徐々に日米両国の外交的衝突を拡大させる「せめぎあいの ポイント」となった。鳩山氏は首相就任後、「友愛外交」の理念を積 極的に売り込んだが、日米外交衝突のなかで、内外からの深刻な阻 止と挑戦に遭ったようである。 次章では、政治主導を主とする「友愛外交」の概念に着目し、鳩 山政権の普天間基地移設問題をめぐる日米交渉の外交対応とその効 果を分析する。
17 1995 年に発生した沖縄米兵少女暴行事件を発端に、大規模な沖縄米軍基地反対、及 び普天間基地の沖縄返還運動が高まり、すさまじい勢いで展開された。これを契機 に、1996 年 4 月 12 日、当時の橋本龍太郎首相とウォルター・フレデリック・モンデ ール(Walter Frederick Mondale)・駐日米国大使は「普天間基地の移設条件付返還」 で合意に達し、5~7 年後に完全返還することを目標とした。1997 年 1 月、日米双方 は名護市辺野古付近(キャンプ・シュワブ)を移設候補地とすることで合意した。 2004 年 8 月に発生した沖縄の米軍ヘリ墜落事故によって、沖縄住民は再び大規模な 抗議を行い、普天間基地の返還を強く訴えた。当時、米国は世界規模の米軍再編を 実施している最中で、日米双方もまた普天間基地移設問題と沖縄に駐留する海軍陸 戦隊兵力の削減調整をめぐって再協議を行い、削減後の海軍陸戦隊兵力をグアムに 移転することを決定し、米国はグアムにある各軍事施設の検討を開始した。その後、 2006 年 5 月に両国政府が同意した「再編実施のための日米のロードマップ」は、2014 年までに在日米軍普天間基地を名護市の辺野古付近(キャンプ・シュワブ)に移設 し、同時に沖縄に駐留する米軍海軍陸戦隊約8000 人をグアムなどの米軍基地に移す 計画案である。また、日米合意した普天間基地の辺野古付近移設にかかる「現行計 画案」は、2006 年 4 月に当時の額賀福志郎・防衛庁長官と島袋吉和・名護市長が共 同決議したもので、固定翼機の飛行ルートが住宅地を避け極力海上のみになるよう 滑走路2 本を V 字型に配置、立地を埋め立てる案である。民主党政権以前の普天間 基地移設問題に関する詳細は、守屋武昌著『「普天間」交渉秘録』(東京:新潮社、 2010 年)などの関連書籍を参照されたい。
四 鳩山首相を退陣に導いた「致命的」な外交問題-
普天間基地移設問題をめぐって
前述したように、鳩山氏の外交理念は「友愛」精神を核にしたも ので、外交においては、「対等」の二文字を強調し、そうした傾向は 特に対米外交にみられる。戦後以来、日米間では安全保障条約が日 米同盟関係の「安全保障」装置となってきたが、こうした関係があ る種の不平等な同盟枠組みであることは否定できず、よって鳩山氏 は「友愛」精神の外交理念を打ち出し、戦後から続く日米間の不平 等な同盟関係の変化を望んだ。 変化を望んだこの外交意図は、民主党マニフェストの政策各論第7 項にある外交に関する第51 条「緊密で対等な日米関係を築く」にお いて、「日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地の あり方についても見直しの方向で臨む」と示された18。実際、民主党 は基地移設問題の見直しについて、2008 年 7 月に発表した「沖縄ビ ジョン 2008」の中で宣言しており19、繰り返し「普天間米軍基地返 還アクション・プログラム」の策定を提唱し、同時に、基地の県外 移設から最終的な国外移設を要求する構想を明らかにしている。基 地移設の信念を強化するために、鳩山氏は衆議院総選挙前、「沖縄ビ ジョン2008」発表の 10 日後、沖縄県那覇市の集会で、沖縄の有権者 に対し、「国外移設、最低でも県外移設」と豪語した20。しかし、基18 民主党マニフェストの詳細については、民主党のホームページを参照のこと、 (http://www.dpj.or.jp/special/manifesto2009/txt/manifesto2009.txtの(Manifesto2009)、 2010 年 9 月 27 日閲覧。) 19 「民主党・沖縄ビジョン 2008」の詳細については、以下を参照のこと、(http://www.dpj. or.jp/news/files/okinawa(2).pdf、2010 年 9 月 28 日閲覧)。 20 「普天間移設は『最低でも県外へ』 鳩山代表訴え」『四国新聞社』(2009 年 7 月 20 日 )、(http://www.shikoku-np.co.jp/national/political/article.aspx?id=20090719000290 、
地移設問題から発展した日米交渉は、「意外にも」取り返しのつかな い政権の危機をもたらした。 1 新政府発足当初における普天間基地移設案の模索 鳩山内閣発足二日後、岡田外相は訪日していたカート・キャンベ ル(Kurt C. Cambell )・東アジア太平洋担当国務次官補と会談を行っ た。キャンベル国務次官補は鳩山政権にお祝いの意を示したほか、 双方は日米間の最大の外交問題である普天間基地の移設問題を如何 に処理すべきかについて議論した。岡田外相はキャンベル国務次官 補に対し、在日米軍の再編をめぐる三つの主要課題のうち、民主党 の方針では「県外移設」が最大の目標であると説明した21。しかし、 北澤俊美防衛大臣は鳩山内閣が誕生した翌日(17 日)、「沖縄住民の 理解は、『可能なら県外、最も良いのは国外への移設』であるが、期 限内に普天間基地移設問題を解決するのは困難だ」として楽観的な 態度を示さなかった22。 10 月上旬、鳩山首相は米軍基地再編見直しの意向について記者の 質問に答えた際、マニフェストで示した項目を原則として徹底する か、現行計画(自民党政権下の 2006 年 5 月に交わされた日米合意、 注16 の説明を参考のこと)を維持するかという「シミュレーション はどちらでも良いが、見解が異なる」というジレンマに自らを追い やった23。岡田外相は、民主党の方針に基づき、県外移転の可能性を 模索して米国と何度も協議を行ったが、基地県外移設の構想は実現
2010 年 9 月 28 日)。 21 「外相 県外移設に期待感 普天間問題」『沖縄タイムズ』(2009 年 9 月 19 日)、 (http://www.okinawatimes.co.jp/article/2009-09-19_4519/、2010 年 9 月 30 日閲覧)。 22 「外相 県外移設に期待感 普天間問題」、注 18 に同じ。 23 前掲書(注 12 に同じ)、67 ページ。
不可能との見方に傾き、ついに 10 月 23 日に開かれた外務大臣記者 会見の席で、「事実上、県外というのは選択肢として考えられない状 況であると思っている」と述べた24。 日本の政策決定のハイレベル関係者の談話から、新内閣発足当初、 民主党政府が「政治主導」の政治政策決定システムを全力で推進し ていたと理解できるが、普天間基地移設問題をめぐって、政策決定 に関わる関係者の衆議院総選挙前後における態度にずれが出始め、 特に首相と外務大臣の発言が最も関心を集めた。この「政治主導」 への転換の中で、基地移設という外交問題をめぐって政府の見解が ぶれ、政策決定システムはひどく混乱し、「迷走」し始めた。 そのため、普天間基地移設問題をめぐる日本の政策決定の不安定 さを憂慮して、日本の真意を確かめるため、ロバート・ゲーツ(Robert Gates)・米国国防長官が 10 月下旬に訪日し、岡田外相と会談を行っ た。会談では、オバマ大統領の訪日スケジュールについて協議した ほか、ゲーツ国防長官は「現行計画が唯一の実現可能な法案だ。日 米合意に基づいて米軍再編を着実に実施することが必要であり、ま たできる限り早期に結論を出してほしい」と強硬な姿勢を示した。 また、米国は基地の辺野古付近移設について、滑走路の位置につい て「修正可能」の柔軟性を持っているとのメッセージを岡田外相に 送った25。日本側の回答を待つゲーツ国防長官に対し、岡田外相は突 如、自民党政権下に米国と協議した嘉手納基地統合案の構想を採り たいと述べたが、日本国内では沖縄住民と社民党の強烈な反対にあ
24 「米軍再編問題」『外務省外務大臣会見記録(要旨)』(2010 年 10 月 23 日付)、 (http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/gaisho/g_0910.html#5-B、2010 年 10 月 2 日閲 覧)。 25 「ゲーツ国防長官来日 普天間問題など協議」『琉球朝日放送 報道部』(2009 年 10 月20 日)、(http://www.qab.co.jp/news/2009102012632.html、2010 年 10 月 3日閲覧)。
った26。ゲーツ国防長官は岡田外相との会談後、21 日に鳩山首相と 会談したが、鳩山首相は「基地移設問題の解決にはもう少し時間が かかる。現行計画修正の結論は、2010 年 1 月に基地移設代替施設予 定地である名護市で行われる市長選の終了を待って出したい」と述 べた27。岡田外相が持ち出した統合案と鳩山首相の「意図」不明な発 言は、ゲーツ国防長官に日本の態度が安定しないという警戒感を強 くさせ、同じ日に行われた北澤防衛相との会談の際には、北澤防衛 相に対し、現行計画が「唯一の道であり、他の代替案はない」と説 明し、その後の共同記者会見では「現行計画に基づいて履行しない 場合、米軍再編計画は頓挫する」と強く警告した28。 日本の政策決定ハイレベル関係者の普天間基地移設問題をめぐる 見解のずれに対し、米国は自民党政権と合意に達した「現行計画」 を採用することを堅持し、譲歩の余地を示さなかった。これは日米 双方が基地移設問題に対して、「コンセンサスを各自が述べる」立場 を採っていることを示していた。また、政権交代後、すなわち民主 党政権の発足当初、民主党は「政治主導」の政策決定システムを標 榜したが、如何に解決へ導くかについてはハイレベルなコンセンサ スに達していなかった。
26 読売新聞政治部著『民主党 迷走と裏切りの 300 日』(東京:新潮社、2010 年)、60 ページ。 27 「普天間『米大統領来日までに』ゲーツ長官、外相に決着要請」『産経新聞』(2009 年10 月 22 日)、(http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/324568/、2010 年10 月 3 日閲覧、イザ!への[転載])。 28 「 普 天 間 移 設 緊 迫 の 防 衛 相 会 談 」『 産 経 新 聞 』( 2009 年 10 月 22 日 )、 (http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/america/315567/、2010 年 10 月 5 日閲覧、 イザ!への[転載])。
2 日米首脳会談-「現行計画」履行をめぐる日米の認識の違い- 11 月中旬、米国のオバマ大統領はアジア各国を歴訪し、最初の訪 問先として日本を選んだ。オバマ大統領訪日の際に、普天間基地移 設問題が争点にならないよう、日本は事前作業に取りかかった。岡 田外相は日米首脳会談の前(10 日)に先に記者会見を開き、日本は 基地移設問題にかかる日米両政府の閣僚級作業部会の設置準備をし ていると発表した。11 日、岡田はシンガポールで開かれたアジア太 平洋首脳会議(APEC)の閣僚会議に出席し、会議に乗じてヒラリー・ クリントン国務長官と会談し、基地移設問題については閣僚級の作 業部会を通じて、できるだけ早くコンセンサスに達し結論を出した い旨を伝えた29。 11 月 13 日(~14 日)のオバマ大統領訪日中、首相官邸にて正式 な日米首脳会談が行なわれ、会談においては、核削減や地球温暖化 などの問題でコンセンサスに達したが、普天間基地移設問題につい ては、深刻な認識の違いに陥った。日本に対し、オバマ大統領は強 硬な姿勢で日米で合意した現行計画を履行するよう要求した30。米国 の姿勢に対し、鳩山首相は短期間に基地移設問題を解決するのは非 常に難しいと考え、オバマ大統領に「できるだけ早く日米閣僚級作 業グループ(Working-Group)による検証作業を土台に結論を出した い」と述べたが31、米国の訪日団に随行した幕僚は、鳩山首相のこの 提 案 の 真 意 が 不 明 で あ る こ と を 察 知 し 、「 年 末 ま で に 普 天 間 問 題 に
29 前掲書(注 12 に同じ)、155 ページ。 30 「米・オバマ大統領訪日の成果は?記者が報告」『日テレ NEWS24』(2009 年 11 月 14 日)、(http://www.news24.jp/articles/2009/11/14/10147843.html、2010 年 10 月 5 日閲 覧)。 31 前掲書(注 12 に同じ)、156-157 ページ。
決着をつける」ことを強く要求した32。 日 米 双 方 の 攻 防 の 焦 点 は 、「 日 米 合 意 に 基 づ く 現 行 計 画 を 履 行 す る」か否かであり、解決の鍵は鳩山首相が政治決断をして、年内に 新たな基地移設先候補地を探すか、引き続き現行計画に基づいて実 施するかにあった。最終的に、鳩山首相はオバマ大統領に対して「ト ラスト・ミー(Trust me)」と口頭約束をして、自ら年末までに基地 移設問題を解決するという積極的な態度を示した33。日米双方は、こ れを同会談の日米「それぞれの」コンセンサスとした。岡田外相は 日米首脳会談終了後に沖縄嘉手納基地を視察し、同時に沖縄県民に 対して今回の日米首脳会談で、日米が「年内に基地移設問題を解決 する」との初歩的なコンセンサスに達したと説明した34。 日米首脳会談終了後、共同記者会見で双方は「日米同盟深化の重 要性」をそろって強調したが35、14 日には、日米両国の首脳の間に、 再び深刻な「認識の違い」が生じた。14 日、オバマ大統領は東京で 行われたアジア外交政策に関する演説で、普天間基地移設問題につ いて、日米両政府の作業グループ(Working-Group)は、普天間基地 を辺野古付近へ移設する現行計画を履行するとのコンセンサスに達 したと述べた。しかし、オバマ大統領の発言に対して、同日夜、鳩 山首相はAPEC 出席のため訪問していたシンガポールで、「オバマ大
32 「米・オバマ大統領訪日の成果は?記者が報告」『日テレ NEWS24』(2009 年 11 月 14 日)、(http://www.news24.jp/articles/2009/11/14/10147843.html、2010 年 10 月 5 日)。 33 「鳩山内閣メールマガジン」第七号、(2009 年 11 月 19 日)、(http://www.mmz.kantei. go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2009/1119eb/index.html、2010 年 10 月 7 日閲覧);前掲 書(注26 に同じ)、68-69 ページ参照。 34 「普天間移設 岡田外相『年内に結論を』」『日テレ NEWS24』(2009 年 11 月 16 日)、 (http://www.news24.jp/articles/2009/11/16/04147884.html、2010 年 10 月 5 日閲覧)。 35 「普天間移転、基本は守るべき~米大統領」『日テレ NEWS24』(2009 年 11 月 14 日)、 (http://www.news24.jp/articles/2009/11/14/04147791.html、2010 年 10 月 5 日閲覧)。
統領の考え方はそうであっても、日米合意を前提とするのなら、作 業部会を設置する必要はない」と指摘し、同時に「来年 1 月の名護 市長選挙の結果を待って決定する」との日本側の立場を再度示した36。 ここから、鳩山首相が作業部会の設立と2010 年 1 月の名護市長選挙 を理由に、決定を先延ばしし、同時に協調と融通の余地を作ろうと していたことが見て取れる。言い換えれば、鳩山首相は時間と空間 を引き換える先延ばし作戦をとったといえる。 同日米首脳会談では、双方は「日米合意に基づく現行計画の履行」 について実質的なコンセンサスに達することができなかった。また、 日米が「作業部会(Working-Group)」等の「語彙」を用いたことが、 更なる「認識」の違いを露呈させた。そして、日米首脳会議の最後 に鳩山首相が口にした「トラスト・ミー」との口約束が空言になっ たため、これが日米間の相互不信につながった。興味深いことは、 首脳会談終了後の記者会見で双方がそろって「日米同盟深化の重要 性」を強調している点である。しかし、日米安全保障条約に対する 一般的な認識は米国が日本を防衛する代わりに、日本が米軍に基地 を提供することである。戦後60 年来、在日米軍が日本に安定と繁栄 の基礎をもたらしたことは疑いようのない事実であり、日本がこの 点における「同盟の深化」を本当に認識していないということは、 米国にとっては受け入れ難いことであろう。鳩山首相が強調した「対 等」は、ある意味で「同盟の本質を変えること」を示したものであ るが、日米両国に事実上の同盟による利益をもたらすことはできな い。
36 「普天間移設、日米合意を前提としない~首相」『日テレ NEWS24』(2009 年 11 月 15 日)、(http://www.news24.jp/articles/2009/11/15/04147844.html、2010 年 10 月 5 日閲 覧)。
3 普天間問題の国内政局への衝撃 普天間基地移設問題をめぐる日米交渉が膠着するに伴って、日本 の国内政局も徐々に衝撃を受け始め、連立政権内でも意見の不一致 が生じた。日米首脳会談の10 日後(24 日)、民主党の嘉納昌吉・参 議員、国民新党の下地幹郎・政調会長、及び沖縄県選出の国会議員 等が「基地の県内移設について、年内に首相が政治決断をする」こ とに懸念を示し、首相官邸を訪れて首相の真意を尋ねた。会談後、 無党派の糸数慶子議員は、「政権交代をして、県民の期待を裏切らな いでほしい」と述べた37。 11 月 27 日、福島瑞穗・消費者担当大臣 (社民党党首)と亀井静香・金融大臣(国民新党代表)は、国会で 普天間基地移設問題について「年内に決定する必要はない」との認 識をそろって示した38。同日、仲井真・沖縄県知事は沖縄県民の意見 をまとめ、首相官邸で鳩山首相と会談した39。基地移設問題に対する 鳩山首相の曖昧な態度に、沖縄県民の不満が高まり、同月、沖縄県 政党聯盟(民主、共産、社民、社大等)は基地の県内移設に反対す る集会活動を行った40。その一方、社民党と国民新党が反対すること を懸念した鳩山首相は、まず政府による移転先の決定を2010 年 7 月 の参議院選挙後に先送りした。外務・防衛の両省が定めた「年内解 決」の方針によると、政権(連立内閣)の維持を最優先目標にした。 この政府構想案は、12 月 4 日に開かれた日米閣僚級作業部会におい て、鳩山首相の意向として米国の交渉代表団に伝達された41。しかし、
37 前掲書(注 12 に同じ)、194-195 ページ。 38 前掲書(注 26 に同じ)、74-75 ページ。 39 前掲書(注 12 に同じ)、195 ページ。 40 「辺野古反対集会「参加 2 万 1000 人」 実は 1 万人未満」『産経新聞』(2009 年 12 月 18 日)。 41 「移設先決定 参院選後に『普天間』政府方針」『沖縄タイムズ』(2009 年 12 月 6 日)、
米国政府が鳩山首相の対応に対して強い失望を示したため、日米関 係の更なる悪化を懸念した岡田外相は「年内」に同問題を解決すべ きと主張し、却って鳩山首相の不満を買い、内閣内の意見の不一致 の混乱を露呈させた42。 普天間問題を順調に解決するため、鳩山首相は 12 月 15 日に関連 する部会を招集し、福島瑞穗・社民党党首、亀井静香・国民新党代 表らの出席を経て基本政策閣僚委員会を開き、その中で、移設先の 選定にかかる政府方針案を再決定し、2010 年 5 月末までに結論を出 すとした43。鳩山首相はこの決議を正当化するため、2010 年 1 月 22 日の衆議院予算委員会において同政府方針案を説明した44。この時、 鳩山首相は初めて「2010 年 5 月末までに結論を出す」との政治的見 解を明らかにした。 鳩山首相は「2010 年 5 月末までに結論を出す」との政府方針を示 したが、2010 年 1 月 24 日の名護市長選挙では、辺野古への移設反対 を訴えた稻嶺進氏が当選し、またその 1 ヵ月後に開かれた沖縄県議 会でも満場一致で「国外移転、少なくとも県外移転」が可決され、 県内移設に反対するメッセージを発した。これが内外情勢の変化を もたらし、鳩山首相の政治決断に影響を与えるかどうかが、内外の 関心の的となった。これに対し、米国のオバマ政府において対日政
(http://www.okinawatimes.co.jp/article/2009-12-06_702/、2010 年 10 月 6 日閲覧)。 42 「【普天間問題】鳩山首相が日米首脳会談を米側に申し入れていないことが判明 米 側も首相の対応への不信感が強く消極的」『読売新聞』(2009 年 12 月 9 日)、 (http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091209-OYT1T01214.htm、2010 年 10 月 6 日 閲覧)。 43 前掲書(注 26 に同じ)、78-79 ページ。 44 「普天間問題で首相「結論先送りしてよかった」『産経新聞』(2010 年 1 月 22 日)、 (http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/diplomacy/349141/、2010 年 10 月 6 日閲 覧、イザ!への[転載])。
策の責任を負うキャンベル国務次官補は「唯一の実現可能な」現行 移設計画が頓挫するとの懸念を示した45。同時に、名護市長に当選し た稲嶺進氏は、仲井真・沖縄県知事に、鳩山首相との曖昧な「協調」 姿勢から、「強硬」な政治姿勢をとるように迫った46。頂門の一針の ように、稲嶺氏の当選は鳩山政府に「致命的な」政治危機の警告を 与えた。 4 県外移設構想の断念と鳩山内閣総辞職 稻嶺氏が名護市長に当選後、普天間基地移設問題は、米国の不信・ 鳩山首相の外交に対する国内からの圧力・自らが設定した「5 月末ま で」に結論を出すとの政治日程に苦しむことになり、にっちもさっ ちも行かない新たな危機を迎えた。 2010 年 2 月、政府内では沖縄県の伊江島、宮古の下地島、与那国 島、県外では鹿児島県の種子島、徳之島、静岡県の富士山麓、北海 道の苫小牧附近など、移設先候補地の選定作業に着手し47、協議の結 果、徳之島を候補地とした。しかし、4 月 18 日、1 万 5 千人の徳之 島の島民からの激しい反対に遭い48、最終的に鳩山首相は同案を取り やめた。このほか、3 月末、鳩山首相は谷垣禎一・自民党総裁との党 首討論の中で、沖縄県民を含む日本人及び米国政府が、「5 月末まで」 に基地移設問題を解決するとの政府方針に理解を示すよう訴え、同
45 前掲書(注 26 に同じ)、234 ページ。 46 前掲書(注 26 に同じ)、233 ページ。 47 阿井江奈「普天間基地移設問題、私を信じて欲しい」(2010 年 2 月 1 日)、 (http://worldwide-company.jp/1031、2010 年 10 月 9 日閲覧)。 48 「1 万 5000 人 が「 ノ ー 」 徳 之 島 で「 普 天 間 」反 対 集 会 」『琉球新報』(2010 年4 月 19 日)、(http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-161010-storytopic-3.html、2010 年 10 月 9 日閲覧)。
時に「腹案がある」ことを強調した49。しかし、仲井真・沖縄県知事 は、鳩山首相の言う「腹案」の内容が不明であるため、より不信感 が募ると批判した50。 普天間基地移設問題のため不利になった政治局面を打開するため、 鳩山首相は首相就任後初めて沖縄を訪問し、5 月 4 日、仲井真知事と 会談を行い、日米同盟関係において防衛能力を維持する必要がある と訴え51、同時に仲井知事に対し、「全面的な県外移設は難しい」と 述べ、事実上、全面的な県外移設断念を示した52。同時に、米国もま た鳩山首相の沖縄県民に対する訴えに呼応して、5 月 12 日、米国国 防省で開かれた日米実務者会議の中で、初めて沖縄県名護市の辺野 古沿岸部に「くい打ち桟橋方式」(QIP:Quick Installation Platform) などを用いて滑走路を建設する案について触れた。ただ、米国側は こうした方法はテロ攻撃に弱いという懸念を示すことも忘れなかっ た53。 23 日、鳩山首相は再び仲井沖縄県知事と会談し、自民党政権時代
49 「普天間「腹案がある、自信」と首相 党首討論」『YOMIURI ONLINE』(2010 年 3 月 31 日 )、( http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100331-OYT1T00924.htm?from= navr、2010 年 10 月 9 日閲覧)。 50 「普天間移設 首相「腹案」の波紋 閣僚の受け止め方に相違」『琉球新報』(2010 年 4 月 4 日)、(http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-160340-storytopic-26.html、2010 年 10 月9 日閲覧)。 51 「『誠に申し訳ない思いでうかがった』4 日の鳩山首相」『アサヒ・コム』(2010 年 5 月4 日)、(http://www.asahi.com/politics/update/0504/TKY201005040132.html、2010 年 10 月 10 日閲覧)。 52 「首相、県内移設表明 知事と会談『県民に負担を』」『沖縄タイムス』(2010 年 5 月 4 日)、(http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-05-04_6251/、2010 年 10 月 10 日閲 覧)。 53 「“普天間問題、日米実務者協議が終了 日本側、桟橋案提示”」『朝日新聞.』(2010 年5 月 13 日)、(http://www.asahi.com/politics/update/0513/TKY201005130140.html、2010 年10 月 10 日閲覧)。
になされた米国との合意である普天間基地の辺野古付近キャンプ・ シュワブ沿岸移設に関して、まもなく米国と正式に同意文書を取り 交わす旨を説明した。これに対し、仲井知事は「極めて遺憾」との 声明を発表したが54、28 日、日米両政府(岡田外務大臣、北澤防衛 大臣、ヒラリー・クリントン国務長官、ゲーツ国防長官)は、普天 間基地をキャンプ・シュワブ辺野古崎地区及びこれに隣接する水域 に移設するとの共同声明を発表した55。その後、鳩山首相は日米合意 に反対し、政府方針への署名を拒否した社民党の福島瑞穗消費者担 当大臣を罷免した56。社民党は日米共同声明発表の2 日後、鳩山首相 の不適切な外交を激しく批判し、5 月 30 日に行われた幹事長会議を 欠席し、連立政権から離脱することを正式に表明した57。 鳩山首相の普天間問題処理が後手後手であったため、内外情勢は 民主党政府の政権運営に不利な方向に流れ、連立政権内部では反対 や不満の声が高まり、最終的には発足から 9 ヶ月足らずで鳩山政権 は幕を閉じることになり、6 月 2 日に内閣総辞職を発表した。
五 参議院選挙(7 月 11 日)前後の菅外交
1 菅内閣の登場と菅外交の新方針 前述のように、普天間基地移設問題は社民党の連立離脱を招き、 同時にその当時国内での政治とカネの問題で大きな批判を受けてい54 「“首相、辺野古伝達 知事「極めて厳しい」『琉球新報』(2010 年 5 月 23 日)、 (http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-162510-storytopic-3.html、2010 年 10 月 10 日閲覧)。 55 「(仮訳)共同声明 日米安保協議委員会」(2010 年 5 月 28 日)、外務省ホームペー ジ(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/joint_1005.html、2010 年 10 月 10 日閲覧)。 56 「福島氏の罷免決定 社民、政権離脱検討」『沖縄タイムス』(2010 年 5 月 28 日)、 (http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-05-28、2010 年 10 月 10 日閲覧)。 57 「社民が連立離脱決定 首相辞任論も、政局緊迫化」『琉球新報』(2010 年 5 月 30 日)、 (http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-162828-storytopic-3.html、2010 年 10 月 10 日閲覧)。
たことにより、6 月 2 日、鳩山首相は民主党の両院議員総会にて辞任 する意向を表明し、小沢幹事長も同時に辞任を表明した58。その後、 菅直人副総理兼財務相が民主党の新しい代表選へ出馬する意志を表 明し、4 日、両院議員総会にて新代表に選出され、同日、衆参両院の 本会議の首相指名選挙により第 94 代首相に就任した59。そして、8 日、民主党と国民新党による菅連立内閣が正式に発足した。菅首相 は就任記者会見で、内政では経済、財政、社会保障を立て直し、「最 小不幸社会」を目指す考えを明らかにした。また、そこには官僚排 除という考えは全く見うけられなかった60。同会見では、外交では今 後、日米同盟を基軸とする外交原則を継続し、また米軍普天間基地 の移設問題についても、首相は「日米合意を踏まえるという原則は 守っていかなくてはならない」と明言した。新政権では普天間基地 問題を専門に扱うチームを政府内に立ち上げ、一元的に対応する考 えを表明し、また「沖縄県の負担軽減にもしっかり取り組んでいき たい」とも述べた61。この発言はつまり、菅首相は内政では官僚の力 を使って政策を進めて行きたいということの現われであった。なお、 日米同盟を基軸とする外交原則により普天間基地問題については移 設先を沖縄県名護市の辺野古周辺と決めた 5 月の日米合意声明を遵
58 「鳩山首相 退陣」『朝日新聞』(2010 年 6 月 3 日)。 59 「菅首相 誕生へ」『朝日新聞』(2010 年 6 月 4 日)。 60 「政治主導」を掲げる鳩山前首相は当初、外務・防衛両省の官僚の影響力を排除し たゆえんで、政務三役の少人数だけで対米交渉などを進めようとしたもののうまく いかず、政権は迷走するにまでに至った。行き詰まったあげく、事務方トップの滝 野欣弥官房副長官を中心に、外務・防衛両省の実務者を使って体制を立て直すしか なかった。「霞ヶ関の活用に狙い 普天間経緯 半面教師に」『朝日新聞』第 2 面、 (2010 年 6 月 10 日)。 61 「菅内閣発足」第 1 面、「菅首相記者会見(要旨)」第 4 面『朝日新聞』(2010 年 6 月 9 日)。
守する姿勢を示した。 これに対して、米国のゲーツ国防長官は菅首相の日米合意声明を 遵守するという発言に歓迎の意を表した62。 菅直人新内閣が発足してから、鳩山政権期の内閣メンバーの大部 分が留任し、北沢俊美防衛大臣(継続)及び岡田克也外務大臣(現 在、党幹事長)などが対米交渉の重要なポストに再任した。また、 鳩山政権期の鳩山前首相・小沢前幹事長という二重権力の構造が政 権の不安定化を招いたと考えられたため、菅首相は「内閣・与党の 一体化」を強化実施する政権を構想した。これは内閣と民主党の棲 み分けを図った「小鳩体制」からの決別を意味している63。 内閣人事の布陣を完成した菅首相は11 日、衆議院本会議で行われ た就任後初の所信表明演説では三つの新政権の政策課題の一つとし て、「責任感に立脚した外交・安全保障政策」を掲げた。そのなかで、 米軍普天間基地返還・移設問題については、名護市辺野古への代替 施設建設で合意した日米合意を踏まえる姿勢を重ねて強調したうえ で、沖縄の過重な基地負担に対し「感謝の念を深めることから始め たい」と述べた。また、菅首相は普天間基地の移設・返還と一部海 兵 隊 の グ ア ム 移 転 は 何 と し て も 実 現 し な け れ ば な ら な い と し た 。5 月末の日米合意の声明を踏まえつつ、同時に閣議決定でも強調した ように、沖縄の負担軽減に尽力する覚悟であるという要旨を述べ、 基地負担軽減に積極的に取り組む姿勢を示した。外交方針について は、同所信表明のなかで、日米同盟を「国際的な共有財産」とし、
62 「『共同声明履行』菅氏発言を歓迎 米国防長官」『朝日新聞』(2010 年 6 月 10 日)。 63 前政権では「政策は内閣。選挙は党」と役割を分担し、小沢前幹事長が党側を掌握。 ところが予算編成など、いざというときには、小沢氏が官邸に「裁定」をつきつけ た。その結果、党幹事長質への権限集中が進み、「二重権力」との批判を浴びた。詳 細は「菅カラー強調の船出」『朝日新聞』第2 面、(2010 年 6 月 9 日)を参考のこと。
外交の基軸と位置つけ、同時にアジアとの連携強化に取り組むとし た。国際社会における日本の責任という観点から、「相手国に受動的 に対応するだけでは外交は築かれない、時には自国のために代償を 払う覚悟ができるのか」と問い掛け、国民が責任を自覚し、それを 背景として外交を行うべきであると主張した。さらに「世界平和と いう理想を求めつつ、現実主義を基調とした外交を推進すべきだ」 とし、「イデオロギーではなく現実主義」による外交を展開する姿勢 を強調した。 また、民主党政権の政治的看板=「政治主導」については、鳩山 前政権がその評判を落としたことをきっかけに、菅首相は同所信表 明演説にて、「政治主導とは国民主権」という理念を示し、「基本的 な政治理念は国民が政治に参加する真の国民主権の実現」を基調と するほか、「(官僚と)敵対することを私たちは求めたわけではない。 政 官 一 体 と な っ て 結 果 を 出 し て い く 政 治 が 新 し い 政 権 の ス タ イ ル だ」という政治理念を中核に置いた64。 菅首相登場後初の通常国会(6 月 14~16 日)にて、野党側が、与 党と菅直人首相らへの内政問題、特に普天間基地問題によって露呈 された政権の不安定さ及び日米関係をギクシャクさせた責任という 問責決議議案を参院に提出したが、民主党と国民新党による与党側 は採決をせず廃案とした65。一方で、日本の政治にとって、2010 年 の国政最大の節目となる第 22 回参議院選挙66がようやく各党の視野 に入りはじめ、時間も差し迫ったため、菅首相は通常国会閉会後、 臨時閣議を開き参院選の日程について、24 日公示、7 月 11 日投開票
64 「菅首相の所信表明演説」『朝日新聞』第 6-7 面、(2010 年 6 月 12 日)。 65 「7・11 参院選 過半数巡る攻防」『朝日新聞』第 1 面、(2010 年 6 月 17 日)。 66 第 22 回参議院選挙では、定数 242 議席の半分にあたる 121 議席が改選される。
することを決定し、各党は事実上の選挙戦に入った67。通常国会では、 民主党の政治責任を問責することができなかったため、この参議院 選挙にて、民主党による政権運営また後続の菅内閣をどう評価する かが問われることになった。 通常国会閉会後、参議院選挙にて勝利を勝ち取るため、17 日に菅 首相は内政面や外交面などの各方面の改革案をまとめた方針を表明 し、この方針に基づいて、民主党は新しいマニフェストを発表した。 普天間基地問題では「民主党政権の迷走で日米の信頼関係は大きく 損なわれている」と指摘し、また日米同盟の再構築を最優先に掲げ た外交方針を強調した68。 以上のように、菅直人首相は就任記者会見、あるいは衆議院での 就任後初の所信表明演説、また民主党の新しいマニフェストにおい ても、内政面では政治主導の政治理念を堅持し続けている一方、外 交面では日米同盟を「日本の防衛のみならず、アジア・太平洋の安 定と繁栄を支える国際的な共有財産」と位置づけ、「日米同盟を外 交の基軸とし、同時にアジア諸国との連携を強化」し、現実主義を 基調とした外交を推進すべきとし、また米軍普天間基地移設問題に ついても、日米合意の「現行計画」を踏まえる姿勢を重ねて強調し た。 2 参議院選挙後の普天間問題をめぐる日米の立場 第 22 回参議院選挙は政権交代後、初の本格的な国政選挙であり、 政権交代を受けて誕生した民主党政権への評価が問われる選挙戦と なった。7 月 11 日の投開票の結果、民主党は改選議席(54 議席)を
67 「7・11 参院選 過半数巡る攻防」『朝日新聞』第 1 面、(2010 年 6 月 17 日)。 68 「民・自、公約を発表」『朝日新聞』第 1 面、(2010 年 6 月 18 日)。
大きく下回り、44 議席しか獲得できなかった。これに対して、自民 党の議席数は改選38 議席を大幅に上回り、51 議席当選し、また改選 議席で第 1 党となった。国民新党も含めた与党の議席数は過半数を 割り込んだため、その結果、国会は衆参各院で多数を占める勢力が 異なる「ねじれ」状態となり、政権運営が厳しくなるのが明らかと なった69。 「ねじれ」状態に臨む菅首相は12 日、続投する意向を正式に表明 した。同日、民主党は役員会で菅首相の続投表明を支持し、内閣改 造及び党役員人事を9 月の党代表選後に先送りする方針を了承した。 また、政府・与党は30 日に臨時国会を召集し、8 月初旬まで 5 日程 度開催する方針を決定した70。 菅直人政権発足から参院選を終えるまでの一ヶ月余りの政局混乱 を経て、菅内閣はここから本格的に始動した。菅内閣は再び普天間 基地移設問題を視野にいれ、前述したように、菅首相は日米同盟、 現実主義を基調とした外交を推進すべきとし、また米軍普天間基地 移設問題について、日米合意の「現行計画」を踏まえる姿勢である ことを重ねて強調した。 その基軸により、基地移設問題では日米両政府は代替施設の工法 や位置などを検討する専門家協議を同月中旬に米ワシントンで再開 し、外務・防衛両省の担当課長も出席した。この協議において菅内 閣は移設先の工法を「埋め立て」式に絞り込み、自民党前政権時代 に米国と合意した「現行計画」に一歩近づいたことを示唆した。し かし、8 月末までに一気に移設計画を固めたい米側と、民主党内や沖
69 「民主敗北 衆参ねじれ」『朝日新聞』第 1 面、(2010 年 7 月 12 日)。 70 「民主、9 月まで現体制 首相、役員会で陳謝」『朝日新聞』第 1 面、(2010 年 7 月 13 日)。
縄県の反発を和らげるために複数の選択肢を残しておきたい菅首相 側には、なお隔たりが見られた71。この協議が終わった後、北沢俊美 防衛相は20 日、基地移設問題について、内閣会議後の記者会見にて、 日米両政府が代替施設の工法や位置などを決める時期が、11 月 28 日の沖縄知事選後になる可能性を示唆した72。 このような日本側の姿勢に対し、米側はそれに反発する策を打ち 出した。米国政府は在沖縄米海兵隊のグアム移転において、グアム でのインフラ不足改善のための工事のペースを大幅に抑制する方針 を打ち出し、海兵隊移転が米側の事情で遅れることになれば、連動 する米軍普天間基地移設問題にも影響を及ぼす可能性があると強調 した73。こうした上で、米国防総省は 7 月 28 日に在沖縄海兵隊のグ アム移転に伴う基地拡張工事をめぐる最終報告書を公表した。報告 書では工事による人口の急増数を抑えるため、日米両政府が合意し ている2014 年までの移転完了が困難であることを公式に認め、事実 上断念したことを示した74。 日米両国の政治的な対応からは、普天間基地移設問題による日米 双方の隔たり、及び日米関係に曖昧な変化が現れている。日本側は 11 月 28 日の沖縄知事選という理由を利用して普天間問題の解決を 引き延ばしたいとの意図を明らかにした。それに対して、米国側は 国防総省の最終報告書にて日本をけん制するような考えが明示され
71 「普天間協議あす再開」『朝日新聞』第 4 面、(2010 年 7 月 14 日)。 72 「普天間代替施設決定は知事選後 防衛相、可能性を示唆」『朝日新聞』第 4 面、 (2010 年 7 月 21 日)。 73 「グアム雨天 遅れ濃厚 普天間移設にも影響」『朝日新聞』第 3 面、(2010 年 7 月 24 日)。 74 「グアム移転『2014 年断念』米国防総省最終報告書」『朝日新聞』第 4 面、(2010 年 7 月 29 日)。
た。 一方、民主党は7 月 29 日、両院議員総会を開き、菅首相が参院選 の結果に対し陳謝するとともに、代表選に立候補する意向を正式に 表明した75。翌日、菅首相は臨時国会後の記者会見にて、民主党の党 代表任期満了に伴う代表選の日程について、9 月 1 日に公示、14 日 に投開票することを決めたことを明らかにした76。同記者会見で岡田 幹事長は、政府側は沖縄県側との対話を進めるため、新たな協議機 関を設けるよう検討し始めたと明言した77。 こうした菅内閣登場後の外交「新路線」と参院選後の日米関係の 「五里霧中」という事例からみると、これまで菅内閣の発足以来、 二ヶ月弱を経て、内政と外交などの様々な政策面において、準備不 足のイメージが常につきまとったため、日本のメディア界からは民 主党の「失政」やジレンマを菅内閣に伝えようとする報道が見られ た。例えば、「『さまよう外交』今こそ司令塔が必要だ」と題する社 説が8 月 2 日付『朝日新聞』に発表されるなど、民主党政権の「政 治主導」は外交面でも看板倒れの状態が続いていることが報道から もわかり、鳩山前政権からの弱点ではあったが、菅直人首相に代わ っても迷走感がぬぐえない。米軍の普天間基地移設問題では、対米 関係と沖縄県民の反発との板ばさみになって鳩山政権の運命は尽き、 内政との調整が不十分な外交は頓挫した。省益を超えた総合的な判 断と、内政との折り合いをつけた持続可能性が、政治主導の外交・ 安全保障の眼目である。首相が司令塔となって基本軸を定め、大所