中国の対外政策決定過程に内在する
構造的問題
井
上 一 郎
(関西学院大学総合政策学部准教授)【要約】
中 国の対 外政 策決定 過程 は、国 内に おいて 党・ 軍・行 政な どの巨 大 な 機 構 の 多 岐 に わ た る 部 門 が 関 与 す る 傾 向 が 益 々 強 く な っ て い る 。一方で、 主要な対外 政策を決定 する最高指 導者とこれ を実施 す る 機関との間 の「縦」の 連携、複数 の関係する 省庁間の「 横」の 調 整 は引き続き 構造的問題 を有してい る。対外政 策全般にお ける中 国 外 交部の所掌 範囲は諸外 国の外務省 に比較して 狭い。また 、外交 部 長 の党・政府 部内におけ る地位も比 較的低く、 重要な外交 課題に つ い て 国 際 舞 台 で 十 分 な 責 任 を も っ て 柔 軟 に 対 処 で き る 立 場 に は な い 。今日、外 交に関する 政府部内横 断的な調整 はこれまで 以上に 必 要 とされてお り、その意 味では、対 外政策全般 を調整する 党中央 外 事 工作領導小 組の役割は 引き続き重 要である。 また、これ を事務 方 の 常設機関と して支える 党中央外事 弁公室、特 に主任の戴 秉国は 最 高 指導者と政 策の実施レ ベルとの橋 渡しにおい て極めて重 要な役 割 を果たしている。 キ ーワ ード: 中国外交、対 外政策決定 過程、党中 央外事工作 領導 小 組、外交部一 はじめに
こ れまで にも 中国政 府部 内にお いて 、最高 指導 者レベ ルと 政府の 実 施機関との 間の「縦」 の連絡、あ るいは、軍 も含めた複 数の省 庁 に 跨がる「横 」の連携が からむ対外 政策決定に ついては内 部で十 分 連携がとれていないようなケースがしばしば見られた。2007 年 1 月 の解放軍によるASAT(人工衛星破壊実験)は、直後の外交部報道官 記 者会見にお ける受け答 えぶりから 、明らかに 事前に軍と 外交部 の 間で情報の共有がなされていなかった様子であった。また、2004 年 11 月に起きた中国漢級原潜による石垣島周辺海域における領海侵犯 事 件について は、事件発 生後、中国 外交部が「 遺憾の意」 を表す ま でに 5 日を経ており、事後の内部調整に時間がかかったことが見て とれる。 中 国では 、最 高指導 者レ ベルと その 下の巨 大な 官僚機 構の 間にお い て、どのよ うなメカニ ズムで対外 政策が調整 ・決定され るので あ ろ うか。これ が本稿の問 題意識であ る。一般に 権威主義体 制の国 家 に おける政策 決定過程に ついては明 らかにされ ることが少 ない。 中 国 の対外政策 決定過程に ついても、 それに関わ る組織や過 程につ い て は、対外的 に公表され ていること が少ないた め、これま でブラ ッ ク ボックスと して扱われ ざるを得な かったので ある。これ に対し 、 こ のブラック ボックスを 明らかにし ようとする 試みはこれ まで主 に 政 策決定過程 に関する研 究が盛んな 米国の中国 研究者を中 心に少 し ず つ積み重ね られてきた 。本稿はこ のような研 究の延長に 立ち、 中 国 の対外政策 の決定に関 わる機構、 プロセスを 明らかにし ようと す る試みの一つである。 先行研究においては、改革・開放政策が開始されて間もない1980 年代前半にバーネット(D.A. Barnet)が中国に長期滞在し、当時国務 院総理の趙 紫陽他の指 導者レベル へのインタ ヴューを含 め中国 の 対外政策決定過程について先駆的な研究を行っている1。また、90 年 代以降も、かつて中国外交部に勤務経験のある陸寧(Lu Ning)によ る中国の対外政策決定過程に関する包括的な研究2、更に、中国の安 全保障問題の研究者であるスウェイン(M. Swaine)による解放軍も 含 めた安全保 障分野での 政策決定過 程について の研究が行 われて い る3。また、最近においても、ヤーコブソン(L. Jacobson)らは中国 に 長期滞在し 行った広範 なインタヴ ューをもと に、中国の 対外政 策 決 定に関わる アクター及 び政策決定 プロセスの 解明を試み た包括 的 な研究を行っている4。また、ブッシュ(R. Bush)は、米国における 厚 みのある先 行研究を踏 まえつつ、 緊張する最 近の日中関 係につ い て双方の危機の政策決定の観点から分析を行っている5。 一方、我が 国において も、中国の 安全保障政 策決定過程 を正面 か らとらえつつ中国版NSC の設立の議論を追った松田康博の研究など がある6。また、中国においては、対外的に公開されていない外交政 策 の決定過程 ということ もあり、こ うした分野 についての 研究・ 出
1 A・バーネット『現代中国の外交-政策決定の構造とプロセス』(教育社、1986 年)。
2 Lu Ning, The Dynamics of Foreign-Policy Decision Making in China (Boulder: Westview
Press, 1997); Lu Ning, “The Central Leadership, Supraministry Coordinating Bodies, State Council Ministries,and Party Departments,” Lampton, David M., ed., The Making of Chinese
Foreign Policy: in the Era of Reform, 1978-2000 (Stanford:Stanford University Press, 2001).
3 Michael D. Swaine, The Role of the Chinese Military in National Security Policymaking,
(Santa Monica: Rand’s National Defense Research Institute, 1998).
4 リンダ・ヤーコブソン、ディーン・ノックス『中国の新しい対外政策-誰がどのよ うに決定しているのか』岡部達味監修・辻康吾訳(岩波書店、2011 年)。 5 リチャード・C・ブッシュ『日中危機はなぜ起こるのか』森山尚美・西恭之訳(柏書 房、2012 年)。 6 松田康博「中国の安全保障政策決定過程-党・国家・軍を統合する決定メカニズム の模索-」『問題と研究』(台北)第35 巻 4 号、(2006 年 7・8 月)。
版 には一定の 制約が存在 するものの 、近年は中 国国内にお いても 徐 々に研究の成果が発表されるようになってきている7。 本研究はこ れら先行研 究を踏まえ ながらも、 若干の新た な資料 と 筆 者が行った 中国外交部 関係者並び に中国人研 究者へのイ ンタヴ ュ ー により、中 国の対外政 策決定過程 についての 理解を整理 すると と も に、新たな 知見を付加 しようとす るものであ る。とりわ け、中 国 の 対 外 関 係 が 危 機 に 直 面 し た 、 あ る い は 緊 張 下 に あ る 状 況 に お い て 、特に外交 と安全保障 が交差する ような領域 での政策決 定の過 程 に おいて、党 中央外事工 作領導小組 (外事領導 小組)と国 務院外 交 部 がどのよう な役割を果 たしている のか、また そこにどの ような 構 造 的問題があ るのかとい う点に焦点 を当ててい る。なお、 分析の 対 象としているのは、特に断りがない限り、第 17 期(2007 年~2012 年 )の胡錦濤 ・温家宝時 代の中国で ある。また 、中国側イ ンタヴ ュ ー相手の引用については、先方との関係上匿名扱いとしている。
二 党中央における政策統合
1 党と政府機構 今 日、中 国と 国際社 会と の接触 面が 増え、 中国 自身が 国際 社会の 中 で重要な地 位を占める のみならず 、主体的な プレーヤー として 積 極 的な役割を 果たすよう になってき ている。そ の結果、次 第に複 雑 な 官僚システ ムが広範な 外交課題に 対応するよ うになり、 中国の 対 外 政策決定に おける専門 化が進んで いる。にも かかわらず 、他の 国 内 問題におけ る政策決定 と比較すれ ば、対外政 策、特に重 要な対 外 政 策の決定は 、基本的に は最高指導 者とこれを 中心とする 少数の コ7 代表的なものとして、張歴歴『外交決策』(北京:世界知識出版社、2007 年);趙可 金『當代中國外交制度的轉型與定位』(北京:時事出版社、2012 年)など。
ア ・グループ によってな されており 、外交・安 保問題を中 心とす る 対 外政策の決 定は、他の 分野と比較 して多元化 の影響を受 けにく い 分野であると考えられている8。 1980 年代以降の党政分離の流れに従い、1987 年の第 13 回党大会 に おいて趙紫 陽のイニシ アティヴに より政府の 中の党組織 (いわ ゆ る「党組」)が廃止され、政府の行政機能と重なる領導小組も廃止す る方向が打ち出された。しかし、そうした党の指導の弱体化が1989 年の天安門事件につながったとの反省により、90 年代には、再び、 政府機関に対して指導を強める動きが生じた9。このような流れの中 で 、これまで 中国におい ては国家の 重要政策に ついては常 に党が コ ン トロールを 確保しよう としてきた のであった 。今日、対 外政策 に 関 し、外交政 策全般につ いては党中 央外事工作 領導小組、 台湾問 題 に ついては党 中央台湾工 作領導小組 、軍事・安 全保障問題 につい て は 国家安全工 作領導小組 などが存在 し、いずれ も党中央政 治局常 務 委員会の指揮下に置かれ、第17 期におけるこれら組織の長(組長) は、中国共産党トップである総書記の胡錦濤が担当している。 中 国では 、党 と政府 の機 能が重 複し ている 部門 がいく つか あるも の の、最終的 には党は政 府に優越す るため、重 要な政策決 定権は 党 の 側に存在す ることにな る。また、 軍事・安全 保障問題を 担当す る 中 央軍事委員 会について は党中央に 直属し、組 織上政府( 国務院 ) の統括下にはない10。また、ここでも、軍トップの中央軍事委員会主 席 は、中国共 産党トップ の胡錦濤が 兼ねており 、最終的に は最高 指
8 Lu Ning, The Dynamics of Foreign-Policy Decision Making in China, p. 41
9 毛利和子『新版現代中国政治』(名古屋大学出版会、2004 年)、152〜153 ページ。
10 一方で、国家側にも国家中央軍事委員会は存在するが、その実態は、主席、副主席
から委員にいたるまで全く同じメンバーであり、同じ組織に看板が二つかかってい るにすぎず、党と国家が一体化しているといえる。
導者による政策統合が担保される体制をとっている11。 2 党中央外事工作領導小組と対外政策の総合調整 今 日の集 団指 導体制 にお ける政 策決 定では 、重 要な対 外政 策は最 終 的には政治 局常務委員 会を経て決 定されるこ とになるが 、政治 局 常 務委のメン バーは誰一 人として外 交・国防問 題の専門家 ではな い 12。外交問題については常務委メンバーのなかでも、国家主席(今日 で は党総書記 が兼任)と 国務院総理 が重要な役 割を占める が、中 国 の 外交案件が 飛躍的に増 大した結果 、前者が外 交・安保な どのハ イ ・ ポリティク ス、後者が より実務的 な通商・金 融などのロ ー・ポ リ ティクスを受け持つという形での分業が進展しつつある。 中 国と国 際社 会との 接点 が拡大 し、 複雑化 する 中で、 最高 指導部 と 対外政策の 実施部門と をつなぎ、 省庁間の政 策調整を行 う組織 と し て党中央領 導小組の役 割が重要で あると多く の論者は指 摘して い る13。以下、中国の対外政策調整全般において最も重要な役割を担っ て いると考え られる党中 央外事工作 領導小組( 外事領導小 組)に つ い て見ていく 。外事領導 小組につい ては、政策 決定機関で はなく 調 整 機関であり 、参加メン バーにフォ ーラムの場 を与えるの が主要 な 役 割と考えら れている。 しかし、そ こでの政策 の選考と勧 告は、 政 治 局常務委員 会、政治局 に政策の選 択肢を提供 することに より事 実 上対外政策決定に重要な影響を与えることになる14。重要な政策の正 式 な決定は、 政治局常務 委員会や政 治局で形式 的に、ある いは一 部
11 松田、前掲論文、87~88 ページ。 12 なお、最近では第 14 期(1992~97 年)海軍出身の劉華清が政治局常務委員となった 例外がある。 13 たとえば、ヤーコブソン他、前掲書、13~14 ページ。
修 正を加えて 行われる場 合もあるが 、こうした ハイレベル での政 策 決 定は分野が 多岐に跨る ことが多い こともあり 、軍も含め て各官 庁 を 跨る政策調 整機関とし ての外事領 導小組の役 割は重要と なる。 今 日、組長には最高指導者が就いており、第 16 期から 17 期にかけて 胡錦濤、それ以前には江沢民が担当していた。 外 事 領 導 小 組 の 構 成 メ ン バ ー は 正 式 に は 公 表 さ れ て お ら ず 、 ま た 、その活動 も断片的に しか伝えら れないため 、詳細につ いては 未 だ 不明な点が 多い。しか し、対外関 係における 省庁横断的 な問題 、 た とえば、近 年、中国の 対外政策と の関連で注 目されてい る海洋 ・ エ ネルギーの 分野等につ いては外交 部の所掌範 囲だけでは 対応が 困 難 であり、国 家海洋局に 加えて、エ ネルギーを 担当する国 家発展 改 革 委員会、更 には海軍な どの意見も 反映される 必要がある 。たと え ば、近年の東シナ海のガス田開発の問題については、2008 年に日本 政 府 と 中 国 政 府 で 共 同 開 発 に つ い て 一 旦 合 意 し た に も か か わ ら ず 15、その後、国内全体をまとめきれず、実施の段階に至ることができ な い状況が続 いている。 この背景に は、中国側 においてエ ネルギ ー 関 係企業の利 益を代表す る国家発展 改革委員会 、更には、 国内の 強 硬 な 世 論 の 存 在 が あ る と い わ れ る 。 中 国 の 対 外 関 係 が 重 層 的 に 拡 大、複雑化するにつれて、このような事例は益々増加するとみられ、 省庁横断的な外事領導小組の役割は重要となる。 また、外交と安全保障が交差する領域においても、第17 期の小組 メ ンバーには 梁光烈国防 部長、馬暁 天解放軍副 総参謀長が 入って い る とみられて いることか ら、党中央 に直属する 解放軍と国 務院傘 下 の 外交部との 接点として 、外事領導 小組が一定 の役割を果 たして い
15 外務省「東シナ海における日中間の協力について」(日中共同プレス発表)、 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/higashi_shina/press.html を参照。
るものと見られる16。一方で、外事領導小組メンバーによる会合は、 そ れ自体イシ ューごとに アドホック に開催され る性格のも ので、 常 設 機関ではな く専属スタ ッフがない ため、伝統 的には事務 的な準 備 は国務院外事弁公室に頼ってきた。 3 事務方常設機関としての党中央外事弁公室 1982 年に国務院が外事小組弁公室を設立、外事領導小組の事務機 構となった後、この組織は88 年に国務院外事弁公室として正式に国 務院の機構に組み入れられた。その後、98 年に国務院外事弁公室は 廃 止され、共 産党中央の 統一指導を 強化し、中 央各部門お よび国 務 院 各部門との 間の調整能 力を高める 目的で、新 たに中南海 に設立 さ れ た党直属の 党中央外事 領導小組弁 公室(党中 央外事弁公 室)と し て統合されるに至った17。 1998 年に国務院外事弁公室が廃止され党中央外事弁公室に統合さ れ た背景とし て、部内で の権限争い も指摘され る。外交部 出身で 国 務 院外事弁公 室主任に就 いていた劉 華秋は、そ れまで外事 領導小 組 組 長であった 李鵬国務院 総理の厚い 信頼を得て いた。劉華 秋はこ の ような内部での強い立場を利用して国務院外事弁公室を米国の NSC の カウンター パートに匹 敵する大き な権限を持 った組織に しよう と 試 みたといわ れる。しか しながら、 当時、外交 部長を経て 、外交 担 当 の国務院副 総理であっ た銭其琛と国務院外事弁主任の劉華秋との 関 係 は 、 対 外 政 策 の 主 導 権 を め ぐ り 当 然 の こ と な が ら 微 妙 で あ っ た 。このよう な中で、国 務院外事弁 公室の権限 強化の動き に対し て 党・政府部内で反発が高まり、1998 年 9 月にこの組織は廃止、党中
16 Michael D. Swaine, The Role of the Chinese Military, pp. 32~33.
央外事弁公室に統合されることになった18。この背景には、98 年に 李 鵬が国務院 総理を退き 、外事領導 小組組長が 李鵬から江 沢民に 交 代 したことも 影響してい ると推察さ れる。これ まで対外政 策につ い て は李鵬国務 院総理の下 で劉華秋国 務院外事弁 公室主任が 取り仕 切 る 構図であっ たものが、 李鵬の退任 にともない 対外政策の 実権が 国 務 院側から党 側に移行し 、新たに組 長に就任し た江沢民が 領導小 組 を 通じ外交面 での影響力 を高めるこ とになった 。江沢民に 近く、 外 交 担当の副総 理のみなら ず外事領導 小組におい て総理の朱 鎔基と 並 んで副組長に就いた銭其琛の影響力も高まったのであった。 党 中央外 事弁 公室自 体も 、専属 のス タッフ は極 めて少 数で 、外交 部 が主体とな り党中央対 外連絡部( 中連部)な どからの出 向者に 頼 っている。第17 期の党中央外事弁公室主任は国務委員で外交部出身 の 戴秉国であ る。戴秉国 はまた外事 領導小組メ ンバーとし て小組 の 秘 書長を兼任 し、外交部 のみならず 関連する政 府部門から の情報 収 集 、政策調整 を行う。重 要なのはこ の過程にお いて、党中 央外事 弁 公 室が指導者 レベルへの 政策提案を 作成する役 割を有して いるこ と で ある。今日 、党中央外 事弁公室を 通じて、官 僚機構、軍 などの 実 施 レベルから 、官僚機構 では決定で きないレベ ルの事項が 外事領 導 小組に上げられる。具体的には、特に外交部、中連部、国家安全部、 新 華社、人民 日報、軍の 八つの部門 から上がっ てきた情報 を収拾 、 整 理して、指 導者レベル に報告する 。一方で、 これらの部 門は、 そ れ ぞれ独自の インフォー マルなアク セスを有す ることによ り、直 接 指 導者レベル 、つまり、 政治局常務 委員の弁公 室に情報を 提供す る こ ともある。 かつて、劉 華秋が主任 をしていた 時代におい ても、 日 々 外事弁公室 に届けられ る書類の量 は一日にパ ウチ二袋に 及んだ と
い われる。し たがって、 これらの多 くの情報の 中から、ど のよう に 取 捨選択を行 い、指導者 層に上げる かが重要と なるが、こ れまで は 戴 秉国の下で 実務を取り 仕切る副主 任レベルが 日常的な情 報の取 捨 選 択において は実質的に 大きな権限 を有してき た。中国の 場合に は 外 交部などの 政府機関の みならずシ ンクタンク などからも 政策提 言 が 数多く上げ られるが、 これら情報 の取捨選択 もこのレベ ルで行 わ れているといわれる19。 4 国家安全工作領導小組 危機を扱う 党中央領導 小組として 国家安全工 作領導小組 (国家 安 全 領導小組) の存在が指 摘されてい る。しかし 、非公開の 組織で あ る 党中央領導 小組の中に おいても国 家安全保障 を担当する 国家安 全 領 導小組は最 も不明な点 が多く、断 片的な報道 においてす ら今日 そ の 活動を確認 するのは困 難である。 しかし、新 華社におけ る戴秉 国 の 公式略歴に おいては、 中央外事工 作領導小組 弁公室主任 ととも に 中 央国家安全 工作領導小 組弁公室主 任と記され ていること から、 公 式 資料におい ても少なく とも国家安 全工作領導 小組とその 事務方 と し ての国家安 全工作領導 小組弁公室 の存在は確 認すること ができ る 20。国家安全領導小組の実態は、今日では外事領導小組と同一で、そ れ を事務的に 支える外事 領導小組弁 公室と国家 安全領導小 組弁公 室 も同じ組織であると見られている21。 軍 事・安 全保 障問題 を担 当する 領導 小組と して 、国家 安全 領導小
19 中国の政府系研究機関における中国外交の研究者より 2011 年 8 月筆者聴取。 20 「戴秉國簡歷」新華資料、http://news.xinhuanet.com/ziliao/2002-01/21/content_246341. htm。 21 宮力・門洪華・孫東方「中國外交決策機制變遷研究(1949-2009 年)」『中國外交 60 年』趙進軍主編(北京:北京大学出版社、2010 年)、頁 267。
組の設立が検討されはじめたのは、1995-96 年の台湾海峡ミサイル危 機を経て、99 年の在ユーゴスラビア中国大使館爆撃事件がきっかけ となったといわれる22。また、この点を裏付けるように、中国当局の 公式資料ではないものの、中国人研究者は国家安全領導小組は2000 年 9 月に設立され、設立当初から「合署弁公」つまり二つの看板、 一つの組織であったと指摘している23。 し かし、 この 組織を 設立 するに 当た って、 当初 から外 事領 導小組 と 全く同じメ ンバーの一 つの看板二 つの組織を 想定してい たのか に ついては疑問が残る。当初は中国版NSC として強大な対外安全保障 問 題を一手に 引き受ける 組織の設立 が想定され ていたとの 見方も あ り24、90 年代末には江沢民のイニシアティヴで米国の NSC に相当す る 組織を設立 するという 構想が存在 した。しか し、その後 の部内 で の 議論の過程 で既存の組 織からの縄 張りを守る ための抵抗 も存在 し た と考えられ る。そもそ も、軍事・ 安全保障マ ターにおけ る政策 決 定 は、中央軍 事委員会の ルート、つ まり、軍の 長老も含め た軍幹 部 か ら直接、中 央軍事委員 会主席を兼 任する最高 指導者へと いう情 報 伝 達、政策決 定への志向 が伝統的に 強い中国の 軍部におい て、多 く の 異なる背景 の参加者が いる国家安 全領導小組 のような組 織を通 じ て の政策決定 に、軍当局 としてはあ まり積極的 ではなかっ たと考 え られるのである25。この問題を研究した松田も、当時、権限が江沢民 一人に集中するNSC のような組織の設立への内部の反対が強かった と指摘している26。いずれにしても中国版 NSC の権限が政治局常務
22 松田康博、前掲論文、101 ページ。 23 宮力他、前掲書、頁 267。 24 松田康博、前掲論文、101~102 ページ。
25 Michael D. Swaine, The Role of the Chinese Military , p. 33.
委 員会を上回 る、あるい は、同等と なることに ついては既 存の組 織 のみならず党内高層においても反対意見が存在した模様である27。結 局 、江沢民は 、内外の危 機への対処 を任務とす る国家安全 小組を 創 設 するという 妥協を行い 、組織は平 時の対外政 策を司る外 事領導 小 組 と全く同じ となったと 考えられる のである。 しかし、そ の後も 中 国において強大なNSC を創設しようとの構想は引き続き存在し、議 論、研究は続けられている28。 国 家安全 領導 小組は 、武 力行使 また はその 可能 性があ る案 件しか 検 討せず、設 立以来、日 本が関係す るような案 件を一度も 議論し た ことはないという指摘がある29。また、同小組は、伝統的な安全保障 問 題などの解 放軍の所掌 範囲のみを 対象として いるわけで はなく 、 イ ンテリジェ ンスなどの 国家安全部 の領域も重 要な任務と してい る との見方もある30。この組織の役割について積極的に評価する見方が あ る 一 方 で31、 設 立 以 降 、 こ の 組 織 の 活 動 が あ ま り 伝 え ら れ な い の は 、 国 家 安 全 領 導 小 組 が 外 事 領 導 小 組 と メ ン バ ー が 重 な っ て い る 上 、外事領導 小組の方が これまでも 長く活動し 、また外交 ・安保 分 野 は所掌範囲 も重なる点 も多いこと から、今日 では特に国 家安全 小 組 としての独 自の役割は それほど多 くはないと も考えられ るので あ る32。
27 中国の政府系研究機関における中国外交の研究者より 2011 年 8 月筆者聴取。 28 時殷弘「中国の対外政策形成に関与する国内要素」愛知大学現代中国学会編『中国 21』Vol. 22. 2005 年 6 月(風媒社、2005 年)、208 ページ。 29 リチャード・C・ブッシュ、前掲書、163 ページ。 30 中国の大学において国際政治を専門とする中国人研究者より 2012 年 3 月筆者聴取。
31 Lewis と Xue は国家安全小組の役割を積極的に評価している。John Wilson Lewis and
Litai Xue, Imagined Enemies, China Prepares for Uncertain War (Stanford: Stanford University Press, 2006), pp. 88~96.
三 外交部による対外政策の総合調整
1 中国の対外政策決定における外交部の影響力 中 国外交 部は 中国の 対外 政策を 策定 し実施 する 上にお いて 中国の 国 家機関の中 で最も重要 な政府機関 である。外 交部は中国 の対外 政 策 全般におい て、他の機 関の対外行 動を調整、 管理しよう と努め る 一 方で、外国 情勢につい ての相当量 の情報を蓄 え、加工し て指導 部 に 提供する役 割を担って いる。政策 決定の面に おいては、 重要で 戦 略 的な対外政 策は党中央 で決定され る一方で、 外交部は外 交の戦 術 面 、つまり実 施レベルを 担当するこ とになる。 指導者レベ ルの指 示 を 「骨」とす れば、これ に「血と肉 」をつける 役割と表現 するこ と もできる33。また、米国、ロシア、日本、欧州の主要国、更に北朝鮮 な どの戦略的 な国家につ いての重要 政策決定は 最高レベル で行わ れ る ものの、そ の他の中小 の国家、そ れぞれ重要 ではない個 別の外 交 イシューの政策決定については外交部が重要な役割を果たしている34。 複 雑にか らみ あった 各国 間の利 害を 調整し なが ら進め る多 国間外 交 のように、 今日の中国 の対外関係 において専 門的知識と 組織的 な 対 応がこれま で以上に必 要とされる 分野が増加 し、外交政 策決定 に お ける専門化 、官僚化が 進展する中 で、外交の プロ集団と しての 外 交部はその存在感を高めていると見ることもできる。 一 方で、 近年 、政策 決定 者とし ての 外交部 の影 響力は 低下 しつつ あ るとの見方 も多い。そ の理由とし て中国の対 外関係の複 雑化、 重 層 化にともな い、対外政 策に関与す る外交部以 外の国内プ レーヤ ー が 増加してい ることが上 げられる。 中国と国際 社会との関 わりは 、コメント(2010 年 3 月)。
33 Lu Ning, “The Central Leadership,” pp. 50~51. 34 Ibid., p. 50.
伝統的な二国間の政治外交問題を中心とした関係から、通商、金融、 エ ネルギー、 環境、経済 協力、更に 安全保障の 分野におい ても非 対 称 脅威への対 処などの分 野にまで拡 大した結果 、外交部以 外の多 く の官庁が対外関係に直接関与するようになってきた。 そ れに加 えて 、共産 党内 での外 交部 自体の 地位 の相対 的低 下とい うことも指摘される35。今日においても外交部関係者は、かつて銭其 琛 が副総理に 就いていた ように外交 部出身者の 最高位は現 在の国 務 委 員ではなく 、その上の 副総理のポ ストを取り 戻すべきで あると 考 え ている。ま た、外交部 長の党内で のランクが 低すぎるこ とが外 交 の現場においても支障を生じているとも考えている36。諸外国におけ る 外務大臣の 国内におけ る政治的地 位は一般に 高く、首脳 会談の 際 に は自国の大 統領あるい は首相の隣 に位置して 、会談を補 佐する こ とができるが37、中国の場合には、外交部長は中央委員でしかなく党 内 のランクが 低すぎるた め、諸外国 との交渉の テーブルに おいて 、 胡 錦濤国家主 席あるいは 温家宝総理 の隣には他 の同行する 要人、 た とえば、令計画党中央弁公庁主任38、王沪寧党中央政策研究室主任、 あ るいは戴秉 国国務委員 などが先ず 陣取ること になる。外 交部長 は 辛 うじて末席 に座ること もしばしば あり、相手 国の外務大 臣との 関 係では著しく均衡を欠くことになる。 2 狭い外交部の所掌範囲 日本の外務 省や米国の 国務省など 諸外国の外 交担当部門 では、 国
35 ヤーコブソン他、前掲書、17 ページ。 36 中国外交部関係者より 2012 年 3 月筆者聴取。 37 日本の場合には、総理と外務大臣が同じ会談に同席することは比較的少ない。 38 2012 年 9 月、令計画は党中央弁公庁主任を離れ、後任には栗戦書(前貴州省党委書 記)が就いた。
家 安全保障、 対外貿易な ど他の省庁 と所掌範囲 が重複する 分野に つ い ても、それ が対外関係 の一部であ ると位置づ けて専門の 部署を 設 置 し 、 他 省 庁 と 重 層 的 に 対 外 関 係 を カ バ ー す る 仕 組 み に な っ て い る 。例えば、 日本におい ては外交・ 安保政策で は、外務省 が防衛 省 と 重複し、対 外経済関係 においても 、たとえば 、通商分野 では経 済 産 業省、農産 品について は農林水産 省と重複し 、時には権 限争い を 伴いながらともに対外政策の決定に関与することになる39。一方、中 国 においては 、これまで 日本の外務 省経済局の ように対外 経済を 専 門に扱う部局はなく、WTO や FTA の議論のような通商問題について は も っ ぱ ら 商 務 部 が 所 掌 し て き た40。 ま た 、 安 全 保 障 政 策 に つ い て は 、党に直属 する解放軍 の影響力が 大きく、外 交安保上の 重大な 問 題 が発生した 際には、外 交部は中国 の大局的な 国家安全保 障政策 の 観 点からとい うよりもむ しろ二国間 関係の側面 から関与す ること に なる。 こ のよう に、 中国外 交部 の所掌 範囲 につい ては 伝統的 には 狭く二 国 間の政治外 交の分野を 中心に限っ てきており 、対外関係 を担当 す る 政府機関と しては世界 的に見ても 最も「純粋 で古典的」 な組織 構 成 で あ る と い う こ と が で き る41。 ま た 、 職 員 の リ ク ル ー ト も 伝 統 的 に 、二国間関 係の交渉を 念頭におい た外国語能 力重視型で ある。 外 交 部の所掌範 囲が狭いこ とに加え、 政府部内で の相対的な 力がそ れ
39 国際金融や航空交渉などの専門的な分野については、日本国内においても外務省の 政策決定における影響力は強くはない。 40 中国外交部は 2012 年 10 月、対外経済関係も所管する国際経済司を設立した。「外交 部設立國際司、具体負責工作已確定」人民網、http://world.people.com.cn/2012/1009/ c1002-19208321.html。 41 中国の大学において中国外交を専門とする研究者が筆者に対して用いた表現(2011 年8 月)。
ほ ど強くない ことが、省 庁横断的な 問題をまと める際の調 整力の 限 界 となって現 れることと なる。すで に述べた東 シナ海のガ ス田共 同 開発問題が一つの例といえよう。 1980 年代以降、改革・開放政策の進展により対外関係が深化した 結 果、外交部 内の仕事に おいても従 来の組織内 の「縦」の ライン に よ る仕事に比 して、省庁 間の「横」 の連携によ る案件の処 理が増 加 し た。対外経 済問題など の外交のロ ー・ポリテ ィクス化の 進行だ け ではなく、1994 年の朝鮮半島核危機、95〜96 年の台湾海峡ミサイル 危機、99 年の在ユーゴスラビア中国大使館爆撃事件など、安全保障 領 域において も米中関係 に重大問題 が発生し、 軍も含めた 省庁間 の 横の調整を必要とする事案が増大したのであった42。このような流れ の中で、1998 年には外交部内に新たに軍控司(軍縮局)が設立され た43。今日、諸外国では外務省内に軍縮・不拡散部局を設置すること は 一般的であ るものの、 一面ではこ うした組織 改革は、中 国にお い て 解放軍の権 限を制限す ることにつ ながりかね ず、このよ うな部 署 が外交部に設立されたこと自体は注目に値する。1998 年総理に就い た 朱鎔基によ る省庁再編 改革で省庁 の数が統合 により大幅 に減少 す る 中で、外交 部自体は合 併・統合の 影響を直接 受けなかっ た数少 な い 政府部門で あった。し かし、外交 部内部にお ける既存の 組織の あ り 方には大き な変化が生 じ、その業 務範囲はむ しろ拡大し たとい わ れる44。
42 張歴歴、前掲書、頁 205。 43 『中國外交 1999 年版』中華人民共和國政策研究室編(北京:世界知識出版社、1999 年)。 44 張歴歴、前掲書、頁 201~202。
四 緊張下の対外政策決定の調整過程と構造的問題
1 日中比較にみる対外政策の調整過程 以 上、外 交・ 安保分 野を 中心に 中国 の対外 政策 決定の 調整 に関与 す る主要な党 政府機構に ついて見て きた。中国 の対外政策 決定過 程 に おいて、危 機あるいは 重大な問題 が発生した 際の構造的 な欠陥 と し て、特に初 動の段階で の軍も含め た党・政府 の各機関の 横の連 絡 ・ 調整の欠如 がしばしば 指摘される 。この問題 については 、中国 当 局 もこれまで 徐々に制度 化を進める など改善の 努力を行っ てきて は い るものの、 まだまだ縦 割りで一つ の組織の中 の既存のラ インで 仕 事 を行う意識 が強い一方 で、組織間 の横の調整 が不十分な 傾向が 強 い45。政府部内における省庁連携的な横の政策調整は、中国に限らず ど この国にお いても常に 課題であり 簡単なこと ではない。 同じ国 内 の 政府機構と いえども、 各組織には それぞれの 伝統に裏打 ちされ た 強 固な組織文 化があり、 仕事の進め 方において も「慣性の 法則」 が 働 きやすい。 特に軍組織 においては 、陸海空の 三軍の間で さえ組 織 文 化が大きく 異なり、三 軍合同演習 の際などに はその調整 に苦労 す る の で あ る 。 ま し て 中 国 の よ う に 軍 が 政 府 側 に で は な く 党 に 直 属 し 、独自の伝 統と文化を 育んできて いる場合に は、軍も関 与する よ う な外交安保 面での対外 政策をめぐ って、軍と 外交部も含 めた文 民 部 門との間の 調整は、他 の諸外国と 比べてもよ りスムーズ には行 か ないと考えられるのである。 日本の政府 組織との比 較でいえば 、日本であ れば各省庁 間の出 向 シ ステムが一 定程度機能 している。 自国の在外 公館に駐在 武官、 あ る いは各関係 省庁出身の アタッシェ が出向して いるのは中 国の制 度45 同上書、頁 255~256。
も 同様である 。しかし、 中国の在外 公館の場合 には、対外 貿易を 担 当 する大使館 商務処はト ップも含め て基本的に ほとんどの メンバ ー が 商務部派遣 、同様に大 使館教育処 は教育部か らの派遣で あり、 駐 在 武官につい ても大使館 政治部の組 織下にある もののその 独立性 は か なり高い。 一方、日本 の在外公館 においては 、特に規模 の大き な 大 使館におい ては、政治 部のみなら ず経済部、 広報文化部 におい て も 各部の担当 部長など意 思決定ライ ンには基本 的に外務省 出身者 が 就 き、それぞ れの部署に おいても他 省庁から出 向の書記官 と外務 省 出 身の書記官 が一緒に仕 事をするこ とにより、 政府全体と しての 外 交 政策の事務 的調整を促 進し、統一 性を担保す るしくみと なって い る。 国内に目を 向ければ、 日本の場合 には官庁同 士が出向者 を派遣 し あ うことが頻 繁に行われ てきている 。外務省で は、多くの 関係省 庁 からの出向者を受け入れており、防衛省との関係においても常に10 名 を超える防 衛省制服組 が外務省に 出向してい るが、この ような 制 度はこれまでのところ中国外交部では採用されていない46。防衛省か ら の出向組は 外務省の安 全保障担当 部局あるい は米中露な どの主 要 国 を抱える地 域担当課に 配置されて おり、軍事 情勢把握並 びに軍 事 交 流などを担 当している 。外交と安 全保障が交 差する分野 で外務 省 と 防衛省との 間で政策調 整が必要と なる場合に は、外務省 の仕事 の 仕 方にもなじ み、また親 元の防衛省 の組織文化 も熟知して いるこ れ ら 出向者が外 務省と防衛 省との連絡 ・調整のポ イントにな る。彼 ら は 通常、課長 補佐レベル であること から、外務 ・防衛間の 調整は 、 役 所の組織階 層から見れ ば、直接案 件を処理す るような事 務レベ ル に おいて、問 題が発生し てから速や かに調整が 開始され、 多くの 案
46 中国外交部関係者より 2012 年 3 月筆者聴取。
件 はこのレベ ルにおける 調整を通じ て解決され ることにな る。外 務 ・ 防衛当局間 のみならず 、こうした 省庁間調整 が課長レベ ルにま で 上 がるのは比 較的大きな 案件であり 、局長レベ ルが自らが 乗り出 し て 調整しなけ ればならな いのは極め て重要な案 件であり、 かつ、 稀 である。 これに対し 、中国の外 交政策決定 における省 庁間の調整 につい て は 、未だ多く は知られて いないもの の、政治局 常務委員会 を含む 最 高 指導部レベ ルにおける 政策統合を 除けば、既 に述べた通 り、対 外 政 策をめぐる 省庁間調整 の一つのチ ャネルとし て外事領導 小組が そ の役割を担ってきたと考えられる47。更にそれ以下の事務レベルにお い ては、伝統 的に省庁を 越えての横 の連絡はそ れほど頻繁 ではな か っ たものの、 最近は対外 経済などの 実務的な分 野では、担 当副処 長 ( 課長補佐) レベルで省 庁間の連絡 ・調整も行 われている ようで あ る48。しかしながら、今日においても、重要な案件になればなるほど 副 部長レベル にまで上げ なければ、 省庁間の実 質的な調整 はなさ れ にくいと多くの関係者は指摘する49。これは、日本では主要な調整が 問 題発生後に 担当レベル で迅速に開 始され、多 くの案件が 組織階 層 の 比較的高い レベル、た とえば局長 レベルにま で到達する 以前に 省 庁 間調整を終 えることが 多いのと比 較すれば対 照的である 。副部 長 レ ベル(日本 の局長レベ ルより更に 上、形式的 には副大臣 に相当 )
47 外事領導小組はその構成員によるアドホックの会合のみならず、その活動の一環と して下級の会合での調整も行われる。下級の会合は部長級が多いが、副部長級、司 長級の、つまり3つのレベルで会合が開かれる。リチャード・C・ブッシュ、前掲書、 162 ページ。 48 中国外交部関係者より 2012 年 3 月筆者聴取。 49 同上。また、中国の大学で米中関係を専門とする研究者も 2010 年 8 月筆者に対して 同様の指摘をしている。
に まで上がら なければ主 要な問題の 調整がつか ないという 中国の 体 制 の下では、 問題発生後 、組織階層 を上り、調 整が始まる まで初 動 の 段階で対応 の遅れが生 じることに なる。更に 、大きな問 題であ れ ば あるほど上 級のインス トラクショ ンがなけれ ば現場レベ ルの判 断 で リスクをと ってまで動 くことがで きないとい う中国の組 織文化 も 影 響するため 、危機の際 にはエスカ レーション を招きやす い構造 的 問題を抱えることになる50。 2 伝統的安全保障分野における政策調整の問題点 今 日の中 国で は最高 指導 者が党 のト ップと 軍の トップ を兼 ね、ま た 、外事(国 家安全)領 導小組の組 長のポスト に就くこと により 、 最 終的に外交 ・安保政策 での政策統 合を担保し ているもの の、最 高 指 導者レベル に至る過程 での軍と文 民との接点 は制度上極 めて少 な い 。党と軍と の関係につ いて見れば 、最高意思 決定機関で ある政 治 局常務委員には、第14 期(1992~97 年)の劉華清を最後に軍出身者 は 入 っ て い な い 。 今 日 で は 軍 人 で 最 上 級 の 二 人 は 政 治 局 委 員 で あ る。党中央書記処においても第16 期までは、上将一人が書記処メン バーに入っていたが、第 17 期(2007 年~2012 年)には軍出身者は 入っておらず、文官と軍部の分岐は拡大している。 政治局と外事(国家安全)領導小組には軍の代表が入っているが、 政 治局は不定 期で一ヶ月 に一回程度 しか会合を 開かない。 また、 領 導 小組の会合 はアドホッ クであり、 重要な国家 安全保障問 題を調 整 す る主要なル ートではな いと考えら れている。 国防部長、 副総参 謀
50 一方で、ブッシュは東シナ海問題はボトムアップのケースであり、中国の対日政策 は、他の国に対する政策に比して、ボトムアップの傾向が強いと指摘している。リ チャード・C・ブッシュ、前掲書、152 ページ。
長 は外事(国 家安全)領 導小組のメ ンバーとみ られるもの の、軍 の 代 表としては 軍内最高位 の政治局委 員である二 人の中央軍 事委員 会 副 主 席 は メ ン バ ー で は な い 。 領 導 小 組 は 数 か ら し て 文 民 の 方 が 多 く 、緊急な外 交・安保政 策の決断と いうよりも 、日常の政 策問題 に ついての情報伝達や調整を行うためと見られている51。安全保障分野 に おける中国 の意思決定 において、 文官と軍人 の重要な交 差点は 、 むしろ、中央軍事委員会そのものと考えられており52、今日において も 、最高意思 決定機関で ある政治局 常務委員会 に対し、軍 が情勢 分 析 を報告した り、政策提 言を出すル ートは中央 軍事委員会 が中心 で あ る。しかし ながら、中 央軍事委員 会のトップ の主席は文 官の最 高 指 導者(時に 副主席)で あるものの 、それ以外 のメンバー は全員 職 業 軍人である 。政治局常 務委員会と 中央軍事委 員会をつな ぐのは 、 基 本的には一 人の最高指 導者の役割 であり、上 層部におけ る文官 と 軍 人の階層構 造が交差し 調整される 場はごく少 数で、ここ では政 策 統合の道は細いという構造的問題が存在する53。 ま た、中 央軍 事委員 会の チャネ ルの 他に、 解放 軍のも つい ろいろ な 見解のかな りの部分は 、政策提言 や直接会見 などの形で 非公式 チ ャネルを通じて文民の最高指導者に伝えられる場合もある54。一般に 上 将以上の階 級であれば 最高指導者 に直接会う ことができ るとさ れ て いるが、し かし、一方 では、この ようなイン フォーマル ルート で 軍 人が最高指 導者に直接 直談判に及 ぶという行 為そのもの には大 き な政治的リスクも伴うのである55。
51 リチャード・C・ブッシュ、前掲書、103~104 ページ。 52 同上書、151 ページ。 53 同上書、104 ページ。 54 リンダ・ヤーコブソン他、前掲書、28 ページ。 55 中国の大学で中国外交を専門とする研究者より 2010 年 8 月筆者聴取。他に複数の中
軍 事 安 保 領 域 で の 対 外 危 機 に 際 し て 、 迅 速 な 対 応 が 必 要 な 場 合 に 、軍出身者 のいない政 治局常務委 員会がどの ような政策 決定を 行 う のか、また 、アドホッ ク・ベース でしか開催 されず、軍 の最高 位 二 名がメンバ ーに入って いない外事 (国家安全 )領導小組 はこう し た 危機に対応 できるのか との疑問は 残る。現行 の体制は省 庁を横 断 す るような事 項について の危機の初 動対応に機 敏に対応す るよう に は 出来ていな い。また、 これまで、 江沢民、胡 錦濤の歴代 最高指 導 者 は、軍歴も なく軍内に 強い基盤を 持たないこ とから、そ の任期 の 初 期において は特に軍人 の意見を尊 重しがちと なるとの指 摘もあ る 56。しかし、重大な対外危機が発生し、一旦、党中央がこれに対応す る 体制を確立 すれば、そ の後は、中 央軍事委員 会主席を兼 務する 国 家 主席、党総 書記が中心 になって、 常務委メン バーに軍出 身の政 治 局 メンバー二 名も加えた 形で、集中 的に問題に 対処するこ とにな る と 考えられる 。権威主義 体制下の中 国において 一旦危機に 対応す る 体 制が整った 後の最高指 導者への権 限の集中は 依然として 強力で あ る57。 中 国 に お い て も 国 家 安 全 や 重 大 な 外 交 問 題 に か か わ る 問 題 に 関 し 、縦割りを 廃し異なる 組織間を横 に束ねて、 政治局常務 委員会 に 直 接責任を負 うような機 関を設立す ることによ って、重大 突発事 件 に 迅速に対応 できるよう にする体制 の検討は続 けられてき た。こ の 意味では 2004 年 11 月に国務院において部級の渉外緊急突発事件協 調 小組が成立 し、外交部 長(当時李 肇星)が責 任者となっ たこと は 一つの進展といえる58。
国人研究者も同様の指摘を行っている。 56 リチャード・C・ブッシュ、前掲書、107 ページ。 57 中国の大学で国際政治を専門とする中国人研究者より 2012 年 3 月筆者聴取。 58 張歴歴、前掲書、頁 258。
3 「縦」の政策調整と中国の組織文化 中 国の対 外政 策決定 過程 におけ る組 織間の 「横 」の調 整も 課題で あ るが、同時 に、これま で組織階層 における「 縦」の調整 過程に も 問 題が見られ た。張歴歴 は、残され た課題とし て省庁間の 横の連 携 強 化に加え、 閉鎖的な対 外政策決定 過程の規範 化、政策決 定にい た る 過程での科 学的な情報 伝達とチェ ック体制の 確立を挙げ る。現 行 制 度の問題点 として、重 要な政策決 定の権限が 最高指導者 レベル に 高 度に集中し すぎる結果 として、一 旦ハイレベ ルで決定さ れた内 容 を 見直し、現 実に照らし 合わせ柔軟 に実施する 余地が少な い点も 指 摘している59。1999 年の在ユーゴスラビア中国大使館の爆撃事件で は 、事件直後 、米国が誤 爆であった と謝罪した にもかかわ らず、 中 国 政 府 部 内 の 誰 も が こ れ は 意 図 さ れ た 爆 撃 だ と 信 じ て 疑 わ な か っ た 。事件直後 に軍事専門 家までも、 これは狙っ て爆撃した ものだ と の 判断を下し 、これに中 国内におけ る米国への 長年の根強 い不信 感 が 後押しして 、指導者も 含めほとん どの人が単 純に米国が 意図的 に 爆撃したと信じたのであった。その結果、「意図された爆撃」という 前 提で直後の 上層部の対 策が立てら れ、その立 場を修正す るのに 時 間 がかかった ため、中国 政府の強硬 な姿勢につ られて民衆 の激し い 反応まで引き起こすことになった。 また、2001 年の EP-3 事件の際の米中両軍機の接触事故について は 、中国側は 、事故の原 因について は、空中で 米軍機が一 方的に 方 向 転換したた め接触事故 が起きたの であって、 米国側に全 面的に 責 任 があるとの 立場に固執 し、その後 の両国間で の問題解決 を困難 に し た。責任は 米国にある という前提 で米国から 謝罪を得る ことが 中 国 政府の既定 方針となっ たため、米 中間の交渉 は難航した 。対外 的
59 張歴歴、前掲書、頁 255~256。
に は強硬な立 場を貫き、 これにつら れて国内世 論も硬化し たため 、 自 らその後の 対外政策の 選択肢を狭 めることに なったので ある。 そ して、最終的には、米国側の「I am sorry」という国際法的には謝罪 に は使用され ない非公式 な表現を、 中国側では 国家間の最 も正式 な 謝罪を表す「深表歉意(shenbiaoqianyi)」と曲訳して国民に伝え、国 内 世論の沈静 に努めざる を得なかっ た。中国側 が接触事故 の責任 を 全 面的に米国 側にあると する判断を 下した背景 には、解放 軍現場 か ら 軍の官僚機 構を通じて 上がってく る情報に対 して、たと え解放 軍 に 不利な結果 になろうと も客観的に 情報をチェ ックできる ような シ ス テムが中国 政府の他の 部門には存 在せず、最 高指導者と いえど も そ のようにし て上がって きた情報を 受け入れざ るを得ない 組織文 化 上の問題があったとの指摘もある60。 こ のよう な対 応は中 国の 伝統的 な政 治文化 とも 関連す る問 題であ り 、形式的な 中国の政治 体制におい て最高指導 者が現場を 受け持 つ 政 府組織と一 線を画して いることに も起因して いるといえ る。日 本 の 首相や米国 の大統領の 場合には、 政府部内の しかるべき 担当責 任 者 が頻繁に直 接協議、報 告を行うよ うに制度化 され、いわ ばトッ プ と 官僚組織が 一体となっ ている。こ れに比べれ ば、中国で は最高 指 導 者と官僚組 織との間の 距離はかな り大きい。 この結果、 問題が 発 生 し一定の時 間が経過し た後に最高 指導者レベ ルでの判断 を仰ぐ こ と になる一方 で、最高指 導者の権威 が高すぎる ため、一旦 ハイレ ベ ル で決定され た大まかな 方針に対し て、その後 の実務レベ ルでの 見 直しや微調整、柔軟な運用が行われにくい構造が出来上がっている。
60 James Mulvenon, “Civil-Military Relations and the EP-3 Crisis, A Content Analysis,” China
Leadership Monitor (Stanford University, January 2002), pp. 3~4, http://www.hoover.org/
五 おわりに
中 国の対 外政 策決定 過程 は党・ 軍・ 行政( 国務 院)な ど巨 大な組 織 の多岐の部 門に関わる 傾向が益々 強くなって いるものの 、主要 な 対 外政策の決 定権限を有 する最高指 導者とこれ を実施する 機関と の 間 の「縦」の 連携、複数 の関係する 省庁間の「 横」の調整 は、引 き 続 き構造的問 題を有して いる。対外 関係を担当 する最も主 要な官 庁 で ある外交部 の対外政策 全般におけ る権限は、 諸外国の外 務省の 所 掌 範囲に比較 して小さい 。また、対 外政策の調 整、決定、 執行の 中 心 となるべき 外交部長の 党・政府部 内における 地位は比較 的低く 、 国 際舞台にあ って、重要 な外交課題 について十 分な責任を もって 柔 軟 に対処でき る立場には なく、公式 的立場の繰 り返しとな りがち で あ る。そのよ うな中にあ って、対外 政策全般を 調整する外 事領導 小 組の役割は重要である。 1998 年に国務院総理の李鵬から国家主席の江沢民に外事領導小組 の 組長が引き 継がれ、は じめて国家 の最高指導 者が組長に 就いた 。 江 沢民時代に は台湾問題 に加え対米 関係の緊張 もあり、江 沢民自 身 が中国版NSC 創設に積極的であったと伝えられるように、各組織間 の 連携が必要 な事項が益 々増大し、 中央直属小 組の役割が 拡大し た といわれる61。今日、外事領導小組はアドホックではあるものの、よ り頻繁に開催され制度化が進行しているとの見方がある62。これに対 し て、党中央 領導小組の 枠組みを積 極的に活用 しようとし た江沢 民 と は異なり、 胡錦濤の時 代には外事 領導小組は 以前ほどに は重視 さ れなくなっているとの見方もある63。外事領導小組そのものの役割に61 松田康博、前掲論文、101 ページ。 62 趙可金、前掲書、頁 322。 63 中国の大学で国際政治を専門とする中国人研究者より 2012 年 3 月筆者聴取。
つ いては引き 続き不明な 点が多いも のの、対外 関係におけ る政府 部 内 横断的な調 整がこれま で以上に必 要とされる 中で、事務 方とし て こ れを支える 常設機関で ある党中央 外事(国家 安全)弁公 室はそ の 規 模に比して 大きな役割 を担ってい ると考えら れる。また 、そこ で 主 任として最 高指導者と 政策の実施 レベルとの 橋渡しの役 割を担 っ てきた戴秉国の任務は極めて重要である。 胡 錦濤時 代に は、戴 秉国 を外事 (国 家安全 )領 導小組 秘書 長、党 中 央外事(国 家安全)弁 公室主任に 就けること により対外 政策決 定 の 際の組織内 調整の役割 を担わせた 。胡錦濤の 戴秉国に対 する個 人 的信頼がこれを担保した。戴秉国とは胡錦濤が90 年代に党中央書記 処 書 記 で あ っ た と き 以 来 の 関 係 で あ る64。 か つ て 、 周 恩 来 の 時 代 に は 、周自身が 最高指導者 の毛沢東に 近い位置で 、国務院総 理の地 位 に おいて対外 政策決定と その実施レ ベルをつな ぐ役割を果 たして き た 。しかし、 今日、中国 を取りまく 国際環境が 複雑化する 中で、 最 高 指導者レベ ルと政策実 施の現場と の距離は更 に拡大しつ つある 。 中 国の最高指 導者は官僚 機構をバイ パスして、 公式、非公 式にも 多 く の情報が届 けられるい ろいろなル ートも保有 する一方で 、最高 指 導 者とライン 組織の間の 意思疎通、 縦横の調整 の機能を果 たすた め に は戴秉国の ような人物 が仲介する 必要がある 。しかし、 周恩来 の 時 代と比べれ ば、その役 割を担わさ れた戴秉国 の党内にお ける地 位 はかなり低い一方で、扱う案件は飛躍的に増加しているのである。 10 年前に胡錦濤が最高指導者の地位を引き継いだ際には、前任の 江 沢民が中央 軍事委員会 主席に居座 り、外交安 保政策決定 におけ る
64 李肇星が外交部長であった際にも、胡錦濤はむしろ常務副部長の戴秉国を信頼し、 日本政府や米国政府も李肇星外交部長をバイパスして胡錦濤とのパイプの強い戴秉 国との間で事務次官や国務副長官との間で戦略対話を実施してきた。
一 定の影響力 を保持した 。今日、習 近平は既に 党のみなら ず軍の ト ッ プにも就い ており、ポ スト胡錦濤 時代の対外 政策決定を 考える 際 に 、当時と比 べれば、習 近平体制発 足時の党内 における権 威は比 較 的高いといえよう。 一方で、2013 年 3 月の全人代において、実務面での外交担当最高 責 任者として の戴秉国の ポストの後 任には、前 外交部長の 楊潔篪が 昇 格したが、 これまで通 り国務委員 止まりであ った。長ら く最高 指 導 者の外交ア ドバイーザ ーの役割を 果たしてき た王沪寧党中央政策 研究室主任は、第18 回党大会を経て政治局委員に昇格し今後の役割 に 注目される ものの、政 策決定ライ ンとしての 外交担当副 総理の ポ ス トに就くこ とはなかっ た。政府部 内にあって 実務面での 対外政 策 調 整のキーマ ンとして機 能し、対外 的にも中国 を十分に代 表する た め には、その 役割に比し て高くない 国務院にお ける外交担 当責任 者 の 現行の地位 はこれまで にも問題と されてきた が、今回そ の見直 し は 行われなか ったことに なる。その 意味では、 中国の対外 政策決 定 過 程に内在す る構造的問 題の主要な 要因の一つ は改善され ずに残 っ たままとなった。 ( 寄 稿 :2012 年 11 月 18 日、採用:2013 年 1 月 30 日)
於中國對外政策決定過程存在之
構造性問題
井
上 一 郎
(關西學院大學綜合政策學部副教授)【摘要】
在 中國 之對外 政策 決策過 程, 國內黨 、軍 、政等 巨大 機構, 多向 部門參與之傾向越來越強。一方面,決定主要對外政策之最高領導人, 其與實施機關與複數以上相關省廳間之合「縱」連「橫」,皆有其構造 性 問題。於對 外政策整體 上,中國外 交部所掌範 圍較其他外 國之外 交 部 狹窄。再者 ,外交部長 於黨、政部 內之地位較 低,關於重 要之外 交 課 題,無法於 國際舞台以 充分責任, 立於彈性對 應之立場。 現今, 政 府 部內關於外 交之橫向調 整,至此被 認為極端重 要,於此種 意義上 , 調 整對外政策 整體之黨中 央外事工作 領導小組, 其角色愈加 重要。 另 外 ,黨中央外 事辦公室支 持其作為事 務面之常設 機關,尤其 是主任 戴 秉國為最高領導人與政策實施層級之橋梁,扮演著極其重要之角色。 關 鍵字:中國 外交、對外 政策決定過 程、黨中央 外事工作領 導小組 、 外交部Institutional Defects in the Chinese Foreign
Policy Making Process
Ichiro Inoue
Associate Professor, School of Policy Studies, Kwansei Gakuin University
【
Abstract】
Recently, increasingly more party and government organizations have been participating in the Chinese foreign policy making process. However, there still exist serious institutional defects in coordinating policy among ministries, including the military, and between the top leadership and the executive level. Traditionally, the scope of jurisdiction of the Chinese Foreign Ministry has been quite narrow as compared to its counterparts in other countries. The current hierarchical status of the Minister for Foreign Affairs in the Communist Party of China (CPC) is not high enough for it to manage important diplomatic challenges flexibly, with enough responsibilities. Smooth coordination within the party and between the government organizations is even more essential in today’s times. In that sense, the role of the Foreign Affairs Leading Small Group (FALSG) of the Communist Party of China as a coordinating body of Chinese foreign policy continues to be important. Still more importantly, the General Office of the FALSG, as a permanent organization and, especially, its director Dai Bingguo have been playing a vital role by bridging the gap between the top leadership and the executive level in the process of formulating Chinese foreign policy.
Keywords: Chinese Foreign Policy, Foreign Policy Making Process,
Foreign Affairs Leading Small Group of the Communist Party of China, Ministry of Foreign Affairs
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