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「繪畫的約束」論爭—以論爭範圍的再檢討為中心—

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Academic year: 2021

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全文

(1)

「 繪 畫 的 約 束 」 論 爭 — 以 論 爭 範 圍 的 再 檢 討 為 中 心 —

米 山 禎 一 ∗

摘 要

「 繪 畫 的 約 束 」 論 爭 依 紅 野 敏 郎 的 說 法 是 — — 若 不 了 解 這 場 論 爭 的 重 要 性 , 則 白 樺 派 文 學 的 研 究 也 無 法 更 深 一 層 。 這 場 論 爭 一 般 認 為 是 從 明 治 44 年( 1911 年 )6 月 開 始 至 第 二 年 二 月 結 束 , 筆 者 認 為 這 場 論 爭 的 時 間 範 圍 應 向 前 、 後 兩 方 面 延 伸 , 才 能 真 正 地 了 解 論 爭 的 實 情 。 因 此 一 方 面 詳 細 地 論 述 論 爭 的 過 程 , 評 論 雙 方 的 論 點 , 另 一 方 面 用 可 以 實 証 的 資 料 來 論 證 延 伸 範 圍 的 正 當 性 。 關 鍵 詞 : 繪 畫 的 約 束 、 生 命 力 、 高 村 光 太 郎 、 白 樺 派 、 後 印 象 派 ∗ 國 立 台 灣 大 學 日 本 語 文 學 系 教 授

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The Dispute over “Pictorial Conventions” or “Tacit

Understandings on Paintings”

-Centering on the Re-examination of the Range in

Dispute-

YONEYAMA Yoshikazu ∗

Abstract

According to Toshiro Kohno, if we don’t understand the importance of the dispute over “Pictorial Conventions”, we cannot probe deeply into the essence of Shirakaba School. Generally speaking, this dispute began in June of 1911, and ended in February of 1912. But I do believe that unless the dispute is prolonged for some more years forward and backward, we shall never grasp the true state of it. So on one hand, this paper tries to discuss in detail the process of the dispute and the arguments of both sides, and on the other hand, I am going to expound and prove the properness of our prolonging the range with substantial evidence.

Key words: promises for paintings, vitality, Kotaro Takamura, Shirakaba School, Post-Impressionism

P r o f e s s o r o f th e D e p a r t men t o f J a p an e s e L a n g u a g e a n d L ite r a tu r e , N a t i o n a l Ta iw a n U n i v e r s i t y

(3)

「 絵 画 の 約 束 」 論 争

― 論 争 範 囲 の 再 検 討 を 中 心 に ―

米 山 禎 一 ∗

要 旨

「 絵 画 の 約 束 」論 争 の 重 要 性 に つ い て は 、紅 野 敏 郎 が「『 白 樺 』を 語 る 際 、こ の 論 争 を 無 視 し て は 前 へ は 進 め ぬ ほ ど の 比 重 を も つ も の 」 と 述 べ て い る と お り で あ る 。 そ の 時 期 に 関 し て は 、 一 般 的 に は 、 山 田 昭 夫 の 論 文「「 絵 画 の 約 束 」論 争 素 描 」が 論 争 範 囲 と し て い る 明 治 4 4 年 6 月 か ら 4 5 年 2 月 ま で と 理 解 さ れ て い る よ う に 思 わ れ る 。 本 稿 は 、 論 争 の 全 体 枠 や 本 質 、 意 義 な ど を よ り 一 層 明 ら か に す る た め 、 論 争 の 跡 を た ど り な が ら 、 論 争 の 時 期 と 参 加 者 を 拡 げ て 考 察 し 、 ま た 、 そ う す る こ と の 根 拠 に つ い て 論 述 し た 。 キ ー ワ ー ド : 絵 画 の 約 束 、 生 命 力 、 高 村 光 太 郎 、 白 樺 派 、 後 印 象 派 ∗ 台 湾 大 学 日 本 語 文 学 系 教 授

(4)

「 絵 画 の 約 束 」 論 争

─ 論 争 範 囲 の 再 検 討 を 中 心 に ─

米 山 禎 一 一 . は じ め に 「 絵 画 の 約 束 」論 争 は 、通 常 、木 下 杢 太 郎( 以 後 、杢 太 郎 と 表 記 ) が 明 治 4 4 年 6 月 に 『 中 央 公 論 』 の 「 画 界 近 事 」 に 、 当 時 ほ と ん ど 無 名 の 新 進 画 家 山 脇 信 徳 ( 以 後 、 山 脇 と 表 記 ) を 批 判 し た 文 章 を 発 表 し た の が き っ か け で 、 杢 太 郎 と 山 脇 、 そ れ に 山 脇 を 支 持 す る 武 者 小 路 実 篤 ( 以 後 、 実 篤 と 表 記 ) ら 白 樺 派 と の 間 で 行 わ れ た も の だ と さ れ て い る 。 そ し て 、 そ れ 以 前 に 、 明 治 4 2 年 秋 の 第 三 回 文 部 省 美 術 展 覧 会( 文 展 )に 入 選 し た 山 脇 の 別 の 絵「 停 車 場 の 朝 」に つ い て 、 当 時 欧 米 遊 学 か ら 帰 国 し た ば か り の 彫 刻 家 で 明 星 派 歌 人 と し て も 知 ら れ て い た 高 村 光 太 郎 ( 以 後 、 光 太 郎 と 表 記 ) と 画 家 で 美 術 評 論 家 の 石 井 柏 亭 ( 以 後 、 柏 亭 と 表 記 )、 医 学 者 で あ り 詩 人 、 美 術 評 論 家 で も あ っ た 杢 太 郎 ら と の 間 で 意 見 衝 突 が あ っ た こ と に 関 し て は 、 「 絵 画 の 約 束 」 論 争 と 切 り 離 し て 考 え ら れ て い る よ う に 見 受 け ら れ る 。「 絵 画 の 約 束 」 論 争 は 、 紅 野 敏 郎 の 言 葉 を 借 り れ ば 、「 『 白 樺 』 を 語 る 際 、 こ の 論 争 を 無 視 し て は 前 へ は 進 め ぬ ほ ど の 比 重 を も つ も の 」 1 で あ り な が ら 、 こ れ ま で 、 特 に 文 学 研 究 の 立 場 か ら は 、 あ ま り 論 じ ら れ る こ と が な か っ た と 言 っ て よ い 。 光 太 郎 は 『 白 樺 』 の 創 刊 以 後 、 次 第 に 白 樺 派 に 接 近 し 、 大 正 3、4 年 ま で に は 思 想 的 に も 人 間 関 係 か ら 言 っ て も 白 樺 派 の 一 員 で あ る か の よ う な 印 象 を 人 々 に 与 え る に 至 っ た 。 彼 は 陶 芸 家 、 版 画 家 で 、 の ち に 国 際 工 芸 家 と し て 有 名 に な っ た バ ー ナ ー ド・リ ー チ(B.H.Leach 1紅 野 敏 郎 「『 白 樺 』 の あ け た 天 窓 と そ れ へ の 反 発 」、『 講 座 日 本 文 学 の 争 点 5 近 代 編 』、 明 治 書 院 、 昭 和 44 年 、 191 ペ ー ジ 。

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1887~1979、 以 後 、 リ ー チ と 表 記 ) と イ ギ リ ス で 知 り 合 い 、 深 い 友 情 を 育 ん だ 。 そ の リ ー チ が 、 そ の 後 、 光 太 郎 よ り 一 足 早 く 日 本 に や っ て 来 て 、 白 樺 派 の 人 々 と 深 い 関 係 を 結 ぶ よ う に な っ た の で あ る 。 彼 等 が 併 せ 持 っ て い た 資 質 に 何 か 互 い に 惹 き つ け 合 う 磁 力 が 存 在 し た か の よ う で あ る 。 遠 藤 祐 は 光 太 郎 が 白 樺 派 の 人 々 と い っ し ょ に 写 っ て い る 二 葉 の 写 真 ( 明 治 45 年 と 大 正 8 年 に 撮 ら れ た も の で 、 後 者 に は リ ー チ の 姿 も 見 ら れ る 。)や 光 太 郎 と リ ー チ の 出 会 い に も ふ れ つ つ 、 リ ー チ が 、 白 樺 派 と 密 接 な 関 係 を 持 っ て は い た も の の 、 同 人 で は な か っ た こ と 、 光 太 郎 も 白 樺 派 と の 関 係 を 重 視 し な が ら も 、 や は り 、 同 人 で は な か っ た こ と を 論 証 し て い る 2 。 遠 藤 の 論 拠 は 説 得 力 が あ り 、 異 論 を 挟 む 者 は 恐 ら く い な い だ ろ う 。 実 篤 も 次 の よ う な 言 葉 を 残 し て お り 、 遠 藤 の 指 摘 の 傍 証 に な っ て い る 。 高 村 君 の 白 樺 時 代 に 就 て 書 い て く れ と の 事 で す が 、 高 村 君 に 白 樺 時 代 が あ つ た と は 思 い ま せ ん 。( 中 略 ) 高 村 君 は 白 樺 の 同 人 に な つ て も ら う に し て は 、既 に 高 村 君 は 有 名 で し た 。( 中 略 ) 高 村 君 に と つ て 白 樺 時 代 が あ る と い う 考 へ 方 は 寧 ろ 高 村 君 を 傷 つ け る も の と 思 ひ ま す 。 3 北 川 太 一 に は 次 の よ う な 指 摘 が あ る 。 光 太 郎 は 同 人 外 の 最 も 度 々 の 寄 稿 者 と し て 、前 期 を 通 じ て『 白 樺 』 に 関 わ り 続 け る 。 中 に は そ の 訳 業 を 代 表 す る 「 ロ ダ ン の 言 葉 」 や 「 ホ イ ッ ト マ ン 自 選 日 記 」 な ど が 含 ま れ て い た が 、 そ れ を 支 え た の は 実 篤 へ の 共 感 に ほ か な ら な か っ た 。 4 北 川 の こ の 指 摘 に も 同 感 だ が 、 遠 藤 が 次 の よ う に 述 べ て い る こ と に は 、 更 に 重 い 真 実 が 含 ま れ て い る と 思 わ れ る 。 も ち ろ ん 光 太 郎 は 、白 樺 派 に 関 心 を 持 ち 、『 白 樺 』の 刊 行 に 支 援 を 惜 し ま な か っ た 。 だ か ら 原 稿 依 頼 そ の 他 の 求 め に は 快 く 応 じ 、 出 来 る か ぎ り の 努 力 を し て い る 。( 中 略 ) し か し 、 も し 彼 が 同 人 2遠 藤 祐 「 光 太 郎 と 白 樺 派 」、『 国 文 学 解 釈 と 鑑 賞 』、 昭 和 59 年 7 月 、 57~ 59 ペ ー ジ 。 3武 者 小 路 実 篤「 白 樺 と 高 村 君 」、『 文 芸 』( 増 刊 号 )、昭 和 31 年 6 月 、48 ペ ー ジ 。

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と し て 加 わ っ て い た な ら 、『 白 樺 』 の 第 一 期 を と お し て 、 高 村 光 太 郎 の 名 は 、み た よ り も は る か に 多 く 、誌 上 に 現 わ れ て い た は ず だ と 思 う 。( 中 略 ) 『 白 樺 』 第 一 期 に 光 太 郎 が 他 に 発 表 し た 文 章 で 、『 白 樺 』 に 載 せ ら れ て 然 る べ き だ と 思 わ れ る も の が 幾 つ も あ る 。 5 遠 藤 は こ れ ら の 指 摘 を 、 例 え ば 、 明 治 43 年 4 月 の 『 ス バ ル 』 に 発 表 さ れ た 有 名 な 「 緑 色 の 太 陽 」、 同 年 12 月 の 『 文 章 世 界 』 に 載 っ た「 彫 刻 の 面 白 味 」、45 年 3 月 の『 新 潮 』に 掲 載 さ れ た 談 話 筆 記「 純 一 な 芸 術 が 欲 し い 」な ど を 挙 げ て 確 認 し て い る の だ が 、同 感 で あ る 。 白 樺 派 の 作 家 の う ち で 、 光 太 郎 が 名 前 を 挙 げ て 最 初 に 評 価 し た の は 実 篤 だ っ た( 前 記「 純 一 な 芸 術 が 欲 し い 」)。実 篤 は そ の こ と を「 彼 が ま だ 世 間 か ら 軽 蔑 さ れ 無 視 さ れ て ゐ る 時 、 一 番 始 め に 公 然 と 彼 を 誉 め て く れ た の は 高 村 君 で あ つ た 。 彼 は そ の こ と を 今 で も 思 ひ 出 す と 感 謝 し て ゐ る 。」 と 『 或 る 男 』( 大 正 10 年 7 月 か ら 12 年 11 月 ま で 19 回 に わ た っ て 雑 誌『 改 造 』に 連 載 。12 年 11 月 に 新 潮 社 よ り 刊 行 。)で 回 想 し て い る 6 。光 太 郎 が「 純 一 な 芸 術 が ほ し い 」で 実 篤 を 高 く 評 価 し た の は 、 そ こ に 実 篤 に と っ て 必 然 的 か つ 絶 対 的 な 真 の 個 性 的 表 現 が 見 ら れ た か ら に 他 な ら な い 。 光 太 郎 は 、 戦 後 、 当 時 を 振 り 返 り 、 芸 術 に お け る 実 篤 の 理 想 と し て の 「 自 己 の 為 」 の 立 場 と そ れ を 死 守 す る た め の 戦 闘 的 姿 勢 を 高 く 評 価 し て い る 7 本 稿 は 、 先 ず 、「 絵 画 の 約 束 」 論 争 の 全 体 枠 を 三 つ の ス テ ー ジ に 分 け る 新 た な 視 点 を 提 示 し よ う と 思 う 。 そ し て 、 そ の う え で 、 そ れ ぞ れ の ス テ ー ジ に お け る 論 争 の 中 身 を 検 討 し 、 併 せ て 、 実 篤 や 柳 宗 悦 ( 以 後 、 柳 と 表 示 ) ら 白 樺 派 の 論 客 と 光 太 郎 と が 、 芸 術 観 の 深 い 4北 川 太 一 「 実 篤 と 光 太 郎 」、『 清 春 』、 1997 年 10 月 、 23 ペ ー ジ 。 5遠 藤 、 上 掲 論 文 、 60 ペ ー ジ 。 6 『 武 者 小 路 実 篤 全 集 ( 以 下 『 実 篤 全 集 』) 第 五 巻 』、 小 学 館 、 1988 年 、 192 ペ ー ジ 。 7談 話 「 埴 輪 の 美 と 武 者 小 路 氏 」( 『 文 芸 』、 河 出 書 房 、 昭 和 30 年 8 月 )、『 高 村 光 太 郎 全 集( 以 下『 光 太 郎 全 集 』) 第 八 巻 』、 筑 摩 書 房 、 1995 年 、282~ 283 ペ ー ジ 。 な お 、 こ の 談 話 中 に 「 自 己 の 為 」 と い う 言 葉 は 使 わ れ て い な い が 、 光 太 郎 が そ れ を 念 頭 に 話 し た の で あ ろ う こ と は 十 分 に 推 察 で き る こ と で あ る 。

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水 脈 に お い て 結 ば れ て い た こ と を 明 ら か に し た い と 思 う 。 な お 、 引 用 文 の 旧 漢 字 は す べ て 新 体 字 に 改 め て あ る 。 ま た 、 漢 字 の ル ビ は 省 略 し た 。 二 「 絵 画 の 約 束 」論 争 と い う 名 称 は 紅 野 敏 郎 が『 近 代 文 学 論 争 事 典 』 (『 国 文 学 解 釈 と 鑑 賞 』 昭 和 36 年 7 月 ) で 用 い た の が 最 初 で あ る 。 こ の 論 争 に 初 め て 着 目 し た の は 稲 垣 達 郎 で 、昭 和 17 年 11 月 の『 早 稲 田 文 学 』 に 寄 せ た 「 山 脇 信 徳 」 は 、 論 争 を 主 と し て 山 脇 の 立 場 か ら 分 析 し て い る 。 山 脇 は 稲 垣 の 図 画 教 師 だ っ た 。 昭 和 26 年 に な っ て 、 本 多 秋 五 が 『 群 像 』( 2~ 5 月 ) に 「「 白 樺 」 派 の 文 学 」( 後 に 、 昭 和 29 年 に 講 談 社 か ら 『「 白 樺 」 派 の 文 学 』 と し て 出 版 )を 発 表 し た 。本 多 は こ の 論 争 を「 明 治 文 学 最 後 の 大 論 争 」 「 自 然 主 義 の 疲 れ た 客 観 主 義 に 切 開 の メ ス を 加 え た も の と し て 、 大 正 文 学 の 開 扉 を 告 げ る 論 争 」 と 意 義 付 け す る と と も に 、 ヨ ー ロ ッ パ 近 代 芸 術 の 日 本 へ の 移 植 に 伴 う 「 跨 ぎ 」 の 問 題 を 提 起 し た 8 。 続 い て 、臼 井 吉 見 が『 文 学 界 』に「 近 代 文 学 論 争 」( 昭 和 29 年 1 月 ~ 32 年 12 月 ま で 、 44 回 の 連 載 。 後 に 、 昭 和 31 年 に 筑 摩 書 房 か ら 『 近 代 文 学 論 争 ・ 上 』 と し て 刊 行 ) を 発 表 し 、 国 家 主 義 者 三 井 甲 之 と の 論 争 、「 自 然 主 義 前 派 」論 争 、和 辻 哲 郎・阿 部 次 郎・安 倍 能 成 ら に よ る 白 樺 派 擁 護 の た め の 論 争 、「 新 し き 村 」に 関 す る 論 争 な ど と と も に 、 「 絵 画 の 約 束 」論 争 を「『 白 樺 』論 争 」の 一 環 と し て 解 釈 、解 説 し た 。 本 多 も 臼 井 も 小 見 出 し を そ れ ぞ れ 「 武 者 小 路 と 杢 太 郎 の 論 争 」、「 木 下 杢 太 郎 と の 論 争 」 と し て お り 、 論 争 の 展 開 過 程 全 体 を 明 示 は し な か っ た が 、 問 題 点 や 意 義 が ほ ぼ 明 ら か に な っ た 。 昭 和 44 年 に は 紅 野 が 「『 白 樺 』 の あ け た 天 窓 と そ れ へ の 反 発 」 9 を 発 表 し 、「 絵 画 の 約 束 」 論 争 の 全 体 像 を 提 示 す る 試 み が な さ れ た 。 だ が 、 こ の 論 文 は 、 昭 和 46 年 5 月 に 山 田 昭 夫 が 「「 絵 画 の 約 束 」 論 8 『 本 多 秋 五 全 集 第 三 巻 』、 菁 柿 堂 、 1994 年 、 190~ 200 ペ ー ジ 。「 跨 ぎ 」 の 問 題 は 、 後 に も 触 れ る よ う に 、 杢 太 郎 の 論 点 の 一 つ で も あ っ た 。 9紅 野 敏 郎 、 前 掲 論 文 、 182~ 201 ペ ー ジ 。

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争 素 描 」 で 指 摘 し た よ う に 1 0 、 論 争 の 中 心 人 物 だ っ た 実 篤 の 「 後 印 象 派 に 就 い て 」と 杢 太 郎 の「 公 衆 と 予 と( 三 度 び 無 車 に 与 ふ )」の 不 可 欠 な 二 篇 が 提 示 さ れ て い な か っ た 。同 年 12 月 、稲 垣 達 郎 が「 一 本 の 軸 」 1 1 で 山 田 論 文 を 拠 る べ き 基 本 資 料 と 認 定 し た 。 従 っ て 、 現 在 は こ の 論 文 が 論 争 の 過 程 と 内 容 に 関 す る 定 説 と な っ て い る と 言 っ て よ い と 思 わ れ る 。 山 田 の 作 成 し た 論 争 文 一 覧 は 以 下 の と お り で あ っ た 。 (1) 木 下 杢 太 郎「 画 界 近 事 六 ・ 山 脇 信 徳 氏 作 品 展 覧 会 」(『 中 央 公 論 』 明 治 44 年 6 月 ) (2) 山 脇 信 徳 「 断 片 」( 『 白 樺 』 明 治 44 年 9 月 ) (3) 木 下 杢 太 郎 「 山 脇 信 徳 君 に 答 ふ 」( 同 誌 同 年 11 月 ) (4) 武 者 小 路 実 篤 「 自 己 の 為 の 芸 術 」( 同 ) (5) 木 下 杢 太 郎 「 無 車 に 与 ふ 」( 同 誌 同 年 12 月 ) (6) 武 者 小 路 実 篤 「 杢 太 郎 君 に 」( 同 ) 山 脇 信 徳 「 木 下 杢 太 郎 君 に 」( 同 ) (7) 木 下 杢 太 郎 「 御 返 事 二 通 ― 再 び 無 車 に 与 ふ ・ 再 び 山 脇 信 徳 君 に 答 ふ 」( 同 誌 明 治 45 年 1 月 ) (8) 武 者 小 路 実 篤 「 杢 太 郎 君 に ( 再 び )」( 同 ) (9) 武 者 小 路 実 篤 「 後 印 象 派 に 就 い て 」( 同 ) (10) 柳 宗 悦 「 革 命 の 画 家 」( 同 ) (11) 木 下 杢 太 郎「 公 衆 と 予 と( 三 度 び 無 車 に 与 ふ )( 同 誌 同 年 2 月 ) (12) 武 者 小 路 実 篤 「 杢 太 郎 君 に ( 三 度 び )」( 同 ) (13) 山 脇 信 徳 「 木 下 杢 太 郎 君 に 」( 同 ) (14) 武 者 小 路 実 篤 「『 自 己 の 為 』 及 び 其 他 に つ い て 」 (同 12 ) と こ ろ で 、紅 野 は 前 出 の 論 文 で 、「 も っ と も こ の 論 争 は 、淵 源 を た 10山 田 昭 夫 「「 絵 画 の 約 束 」 論 争 粗 描 」、『 日 本 近 代 文 学 第 14 集 』 昭 和 46 年 5 月 、 16 ペ ー ジ 。 11稲 垣 達 郎 「 一 本 の 軸 」( 『 近 代 文 学 評 論 大 系 4 大 正 期 Ⅰ 』、 角 川 書 店 、 1971 年 12 月 )、『 稲 垣 達 郎 学 芸 文 集 三 』、 筑 摩 書 房 、 1982 年 、 4 ペ ー ジ 。 12山 田 昭 夫 、 前 掲 論 文 、 16 ペ ー ジ 。

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ど れ ば 、 山 脇 信 徳 の 「 停 車 場 の 朝 」 を め ぐ っ て 、 バ ー ナ ー ド = リ ー チ ・ 高 村 光 太 郎 に 対 す る 石 井 柏 亭 ら 『 方 寸 』 の 人 々 と の 間 に と り か わ さ れ た 論 争 に ま で さ か の ぼ る こ と が で き る 。( 中 略 )下 限 と し て は 、 光 太 郎 も 岸 田 劉 生 も 内 な る 心 に つ き 動 か さ れ て 参 加 し た 「 ヒ ュ ウ ザ ン 会 」 運 動 を め ぐ る 是 非 論 に ま で 波 及 し て い く は ず で あ る 。」 13 指 摘 し て い る 。 管 見 の か ぎ り で は 紅 野 は こ の 点 に 関 し て 、 そ の 後 、 詳 述 し た こ と は な い と 思 わ れ る が 、大 変 重 要 な 指 摘 で あ ろ う 。ま た 、 杢 太 郎 の 「 洋 画 に 於 け る 非 自 然 主 義 的 傾 向 」( 『 美 術 新 報 』 大 正 2 年 1 月 ) に お け る 「 歴 史 を 顧 み な い で 一 足 飛 び に 跳 ね 上 が つ た 」 と い う 批 判 を 、「 「 絵 画 の 約 束 」 論 争 の 延 長 線 上 に 位 置 す る も の 」 14 と 見 做 し て い る 点 も 看 過 す べ き で は な い と 思 わ れ る 。 こ の 点 に 関 す る 杢 太 郎 の 問 題 意 識 は 、 後 述 す る よ う に 、 明 治 42 年 以 来 の も の で あ り 、 し か も 、 山 脇 の 作 品 に 対 す る 批 判 の 中 で 最 初 に 見 ら れ た の だ っ た 。 に も か か わ ら ず 、 山 田 は 上 記 一 覧 中 の 杢 太 郎 文 11)を 「 彼 の 論 争 終 結 文 」 15 と し て い る し 、 ま た 、「 停 車 場 の 朝 」 へ の リ ー チ や 光 太 郎 の 好 意 的 評 価 に 触 れ て は い る も の の 、 上 述 し た 紅 野 の 観 点 に 関 し て は 全 く 言 及 し て い な い 。 論 争 の 全 体 枠 や そ の 本 質 、 意 義 を 一 層 明 ら か に す る に は 、 や は り 、 論 争 の 時 期 と 参 加 人 員 を も う 少 し 拡 げ て 考 察 す る 必 要 が あ る よ う に 思 わ れ る 。 さ ら に 付 け 加 え る と 、論 争 に お け る 白 樺 派 サ イ ド の 論 者 の 一 人 で あ る 柳 の 「 生 命 の 問 題 」( 『 白 樺 』 大 正 2 年 9 月 ) に も 目 を 向 け る べ き で あ る 。 こ の 相 当 長 い 論 文 は 、 生 気 論 の 立 場 か ら 科 学 の 万 能 を 信 じ る 科 学 者 や そ の 支 持 者 た ち へ の 警 告 目 的 で 書 か れ て い る が 、 そ の 末 尾 の 「 余 論 」 に は ゴ ッ ホ の サ イ プ レ ス ( 糸 杉 ) の 絵 に 関 連 し た 次 の よ う な 記 述 が あ る 。柳 は 生 気 論 を 論 じ る こ と に よ り 、「 絵 画 の 約 束 」 の 問 題 を 深 く 掘 り 下 げ て 考 察 し 、 伝 統 的 な 絵 画 の 約 束 に 則 っ た 13紅 野 敏 郎 、 前 掲 論 文 、 193~ 194 ペ ー ジ 。 14同 上 、 194 ペ ー ジ 。 15山 田 昭 夫 、 前 掲 論 文 、 16 ペ ー ジ 。

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批 評 方 法 を 批 判 し て い る の で あ る 。 も と よ り 単 に 其 色 彩 、 筆 致 、 形 状 、 遠 近 、 陰 影 等 を 批 評 す る こ と に よ つ て 此 絵 画 を 理 解 す る 事 は 出 来 な い 。 凡 て の 理 解 の 中 心 は 是 等 種 々 な 要 素 の 背 後 に 潜 む 統 一 さ れ た 生 命 の 力 を 味 識 す る 事 に あ る 。 吾 々 は 今 此 生 命 の 作 品 に 対 し て 機 械 論 的 解 釈 が 如 何 な る 結 果 に 終 る か を 見 ね ば な ら な い 。 も と よ り 彼 ら に と つ て 「 全 体 と し て の 生 命 」な ど は 此 絵 画 に 認 め る 事 は 出 来 な い 。( 中 略 )科 学 者 た ら ず と も 多 く の 世 の 愚 昧 な 批 評 家 は 此 方 法 に よ つ て 凡 て の 作 品 を 評 価 す る 。 即 ち 色 彩 の 濃 淡 、 遠 近 の 正 不 正 、 形 状 の 真 偽 、 換 言 す れ ば 一 定 の 絵 画 の 約 束 に か な つ て ゐ る か 否 か に よ つ て 評 価 す る 。 16 ( 下 線 は 引 用 者 ) こ の 論 文 か ら は 、柳 が 山 脇 の 絵 に は ゴ ッ ホ の 絵 に 通 じ る「 生 命 の 力 」 の 表 現 が あ る と 考 え て い た こ と が 推 察 さ れ る 。 だ が 、 も っ と 重 要 な の は 、 柳 に と っ て 「 絵 画 の 約 束 」 論 争 は ま だ 収 束 し て い な か っ た と い う 点 で あ る 。 明 治 45 年 ( 大 正 元 年 ) に は 日 本 に お け る ポ ス ト 印 象 派 の 運 動 と も 言 え る フ ュ ー ザ ン 会 の 結 成 と そ の 第 一 回 展 が あ っ て 、 彼 等 の 間 で は ゴ ッ ホ や ゴ ー ギ ャ ン 、 セ ザ ン ヌ へ の 熱 愛 が 沸 騰 し て い た 。「 絵 画 の 約 束 」に 捉 わ れ な い 自 由 な 自 己 表 現 を 第 一 義 と 見 做 す 青 年 美 術 家 の 群 が 柳 の 目 に も 映 っ て い た は ず で あ る 。 柳 の 「 生 命 の 問 題 」 が 発 表 さ れ た 翌 月 、 フ ュ ー ザ ン 会 に 参 加 し て い た 光 太 郎 は 「 文 展 の 彫 刻 」 を 発 表 し 、 明 治 43 年 1 月 の 「 第 三 回 文 部 展 覧 会 の 最 後 の 一 瞥 」 に 続 き 、 再 び 、「 生 ( ラ ヸ イ )」 の 芸 術 と い う 理 念 を 激 し く 主 張 し た 。 こ の 一 文 が 柏 亭 ら と の 論 争 に 再 度 火 を つ け る こ と に な っ た の を 見 れ ば 、「 生 命 の 問 題 」の「 余 論 」が 論 争 の 第 二 ス テ ー ジ と 第 三 ス テ ー ジ を 繋 ぐ 役 割 を 果 た し て い た こ と が 理 解 さ れ る 。 「 生 命 の 問 題 」の「 余 論 」は 、「 絵 画 の 約 束 」論 争 の 全 体 像 を 把 握 す 16『 柳 宗 悦 全 集 著 作 篇 第 一 巻 』、 筑 摩 書 房 、 昭 和 56 年 、 321 ペ ー ジ 。 な お 、 木 下 長 宏 は 、 日 本 に お け る ゴ ッ ホ 受 容 史 の 観 点 か ら 、 柳 の 「 生 命 の 問 題 」 に つ い て 短 く 論 じ て い る 。木 下 長 宏『 思 想 史 と し て の ゴ ッ ホ 複 製 受 容 と 想 像 力 』、学 芸 書 林 、 1992 年 、 76~78 ペ ー ジ 。

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る た め に 、 見 落 と せ な い 一 文 な の で あ る 。 三 光 太 郎 、リ - チ と 太 田 正 雄( 杢 太 郎 )、柏 亭 と の 間 に 見 ら れ た 山 脇 の「 停 車 場 の 朝 」を め ぐ る 意 見 の 衝 突 や 論 争 は 、「 絵 画 の 約 束 」論 争 の 序 曲 、即 ち 、第 一 ス テ ー ジ で あ る 。「 絵 画 の 約 束 」論 争 は 絵 画 革 新 派 内 部 に お け る 確 執 で あ り 、 光 太 郎 や 白 樺 派 が 急 進 派 の 様 相 を 呈 し て い る 。 そ し て 、 日 本 に お い て 西 洋 画 を 進 歩 さ せ る に は ど の よ う な 絵 画 の 受 容 と 吸 収 消 化 が 最 も 緊 要 か 、 と い う 問 題 が 論 争 の 背 後 に あ る 中 心 テ ー マ で あ っ た と 思 わ れ る 。 た だ 、 光 太 郎 や 白 樺 派 に と っ て は 、 こ の 論 争 は 、 彼 ら の 存 在 理 由 で あ る < 「 自 然 」 と の 親 和 的 合 一 が 可 能 な 「 自 己 」 と い う 内 部 生 命 > の 発 現 に 関 わ る 、 看 過 で き な い 論 点 が 含 ま れ て い た の で あ る 。 こ の 点 に 関 し て は 、 彼 ら の 戦 い は 、 内 部 生 命 の 発 露 に 文 学 的 生 命 を 賭 け よ う と し た 北 村 透 谷 の 徳 富 蘇 峰 、 山 路 愛 山 ら 、 民 友 社 に 対 す る 論 戦 と 似 て い る と 言 え る 。 本 節 で は 、 こ の 論 争 の 第 一 ス テ ー ジ に つ い て 、 そ の 内 容 や 問 題 点 を 検 討 す る こ と に し た い 。 山 脇 の 「 停 車 場 の 朝 」 に つ い て は 、 当 初 か ら 批 評 家 の 意 見 が 分 か れ て い た 。 明 治 42 年 11 月 の 『 ス バ ル 』 の 「 一 夕 話 」 で は 、 太 田 正 雄( 杢 太 郎 )、柏 亭 、永 井 荷 風 、左 憂 生( 光 太 郎 )の 四 人 が 第 三 回 文 展 へ の 合 評 を し て い る 。 冒 頭 で 「 あ あ 僕 等 は 写 実 的 芸 術 に 飢 ゑ て ゐ る 」と 自 ら を 語 っ た 杢 太 郎 は 、「 停 車 場 の 朝 」を「 習 作 」と 見 做 し て 、 「 あ あ い ふ 絵 の 誇 張 さ れ た 所 は 寛 容 の 微 笑 を 以 て 迎 へ て 可 い 。」 と 、 見 下 し た 調 子 で 批 判 し た 後 、 次 の よ う に 総 評 し た 。 西 洋 な ら 昔 の 伝 習 が 破 れ て 新 派 が 起 る と い ふ 所 に 、一 定 の 順 序 が あ る 。 そ の 間 に 知 識 や 情 調 の 一 致 が あ る け れ ど も 日 本 で は 趣 味 の 上 の こ と は 全 く 無 秩 序 だ か ら 丁 度 火 事 場 の あ と の や う に 、 自 分 の 手 に 入 れ た 丈 が 自 分 の 所 得 に な る と い う や う に 、 て ん で ん に 違 つ た 所 を 個 人 的 に 取 り 入 れ て ゐ る か ら 時 代 の 傾 向 に 応 じ

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た 明 瞭 な 共 通 的 の 特 殊 性 が な い 。 17 こ こ に は 、 夏 目 漱 石 の 講 演 「 現 代 日 本 の 開 化 」 に お け る 皮 相 上 滑 り の 開 化 に 対 す る 危 惧 の 表 明 に 先 立 っ て 、 既 に 、 西 洋 文 化 受 容 が 西 洋 と 同 様 な 歴 史 段 階 を 踏 ま な い こ と へ の 問 題 意 識 が 見 ら れ る 。当 時 、 写 実 を 重 視 し つ つ ロ ー カ ル ・ カ ラ ー ( 地 方 色 ) の 表 出 を 主 張 し て い た 柏 亭 18 も 、「 停 車 場 の 朝 」 を 「 エ キ ザ ヂ ェ レ ー シ ョ ン の 画 」 と し て 批 判 し た 。 一 方 、「 感 激 が な け れ ば 、 い く ら 写 生 を し て も 」 だ め だ と 感 じ て い た 主 観 重 視 の 荷 風 は 、「『 停 車 場 の 朝 』の 方 は た し か に 色 の 間 か ら 音 楽 を 聞 く 事 が 出 来 た 。感 情 の あ る 好 い 画 で あ る 。」と 評 価 し た 19 光 太 郎 は と 言 え ば 、『 明 星 』時 代 か ら の 仲 間 だ っ た 杢 太 郎 や 柏 亭 に 面 と 向 か っ て 強 く 反 対 す る こ と に な る の を 遠 慮 し て か 、「 停 車 場 の 朝 」 を 含 め て 個 々 の 作 品 に つ い て は 論 評 を 控 え 、 最 後 の 「 総 評 」 で 「 合 評 と い ふ も の は や は り 一 種 の 群 集 心 理 が 頭 を 出 し た が つ て 可 け な い 。 僕 は 一 人 で し や べ る 。」と 言 っ て 、他 誌 で の 発 言 を 匂 わ せ た 。そ し て 、 日 本 初 の 私 設 ギ ャ ラ リ ー と な る 琅 玕 洞 の 創 設 に つ な が る 文 展 批 判 を 展 開 し た 後 、 文 展 入 選 諸 作 家 に 対 し て も 痛 罵 し 、 憤 懣 を ぶ ち ま け た だ け だ っ た 20 光 太 郎 は 同 年 同 月 の 『 早 稲 田 文 学 』 の 「 文 部 省 美 術 展 覧 会 合 評 」 17『 ス バ ル 』明 治 42 年 11 月 、169 ペ ー ジ 。杢 太 郎 の こ の よ う な 批 判 に 対 し て 、 光 太 郎 は こ の 論 点 を 一 度 は 受 け 入 れ た よ う に 思 わ れ る 。 し か し 、「 芸 術 を 観 る 眼 」( 『 新 潮 』 明 治 44 年 8 月 。 前 掲 『 光 太 郎 全 集 第 四 巻 』、 93 ペ ー ジ 。) で は 次 の よ う に 述 べ 、 杢 太 郎 の 論 点 に 対 し て 実 質 的 に は 反 対 の 立 場 を 示 し た 。 た と へ ば モ ネ ー の 前 に ク ー ル ベ イ が あ る 。そ れ を 一 足 飛 び に モ ネ ー に 飛 ん で 了 つ た の が 現 在 の 日 本 の 画 界 の 状 態 で あ る 。 正 し い 階 段 を 踏 ん で 居 ら ぬ 、 即 ち シ ツ カ リ し た 根 柢 と バ ツ ク が 今 迄 に 出 来 て 居 ら ぬ 為 に 、 今 の 時 代 の 青 年 芸 術 家 が 進 ん で 行 く の に 不 安 で あ る 。( 中 略 ) さ れ ば と 言 つ て 今 の 青 年 の 頭 を 以 て 十 年 以 前 に 返 つ て 、 其 処 か ら 新 し く 階 段 を 築 い て 来 る こ と も 出 来 な い 。 18匠 秀 夫 に よ れ ば 、柏 亭 は 自 ら が 所 属 す る 太 平 洋 画 会 の リ ー ダ ー 格 の 鹿 子 木 孟 郎 が 明 治 37 年 の 帰 国 当 時 に「 日 本 人 は 日 本 の 特 色 を あ ら は し た 画 を か か な け れ ば 面 白 く な い 。」と 語 っ た の を 太 平 洋 画 会 編 の「 展 覧 会 の 回 顧 」に 記 し て い る と い う 。匠 、前 掲 書 、146 ペ ー ジ 。柏 亭 は 明 治 41 年 10 月 の『 方 寸 』の「 方 寸 言 (一 )」 に お い て 、 自 ら 、 日 本 の 自 然 や 地 方 色 へ の 思 い 入 れ を 自 然 主 義 文 学 の 真 実 追 求 と の 共 同 歩 調 の 必 要 性 と と も に 語 っ て い る 。『 石 井 柏 亭 集 上 』、 平 凡 社 、 昭 和 7 年 、 6 ペ ー ジ 。 19 『 ス バ ル 』 明 治 42 年 11 月 、 165 ペ ー ジ 。

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(『 ス バ ル 』と は 異 な り 、座 談 会 方 式 で は な か っ た 。)で 、「 停 車 場 の 朝 」に つ い て 、「 忠 実 な る 研 究 の 態 度 を 殊 に 心 地 よ く 感 じ 候 。」、絵 の 下 半 分 の「 技 巧 が 極 め て 幼 稚 」で は あ る が 、「 そ の 自 然 を 見 る 態 度 の 敬 虔 さ を う れ し く 感 じ 候 。」な ど と 好 意 的 に 短 評 し た 。し か し 、柏 亭 は 山 脇 の 絵 を 軽 視 し て 、 こ こ で は 論 評 の 対 象 に も し な か っ た 21 翌 月 、 明 治 42 年 12 月 、柏 亭 が 中 心 だ っ た『 方 寸 』は 、柏 亭 の ほ か 、 織 田 一 麿 、 杢 太 郎 、 北 原 白 秋 ら が ( 高 村 砕 雨 = 光 太 郎 と 荻 原 守 衛 は「 差 支 あ つ て 」欠 席 )発 言 者 名 を 伏 せ て 合 評 を 行 い 、「 停 車 場 の 朝 」を 絵 の 具 が「 無 意 味 に 盛 上 げ 」ら れ て い る 、「 僕 は こ ん な 醜 い 画 面 を 好 ま ぬ 」 な ど と 酷 評 し た 22 。し か し 、 同 誌 同 号 で は 、 柏 亭 の 筆 記 で 「 誰 か の 話 」 と し て 、 岩 村 透 と 思 わ れ る 人 物 23 が 「山 脇 の 画 で す か 。 あ り や い ゝ と 思 ひ ま す ね 。 構 図 に 締 り は な い が 、 光 本 位 の 画 で 、 そ れ に 停 車 場 構 内 な ん て 、 一 寸 着 眼 も 近 代 的 ぢ や な い で す か 。 君 等 の 方 か ら は よ く 見 え な い で せ う 。」と 語 っ て い る 24 。ま た 、「 バ ー ナ ー ド 、 リ ー チ 氏 の 談 話 」 と い う 記 事 も あ っ て 、 リ ー チ の 「 最 善 い と 思 つ た の は 山 脇 と 云 ふ 人 の 『 停 車 場 の 朝 』 で す 。 光 線 が 善 く 写 さ れ て ゐ 居 ま す 。 仏 蘭 西 の 印 象 派 モ ネ な ど の 傍 へ か ゝ つ て も 耻 し く あ る ま い と 思 ひ ま す 。」と い う 賛 辞 が 見 ら れ た 。リ ー チ は 筆 記 者 の「 上 野 の 停 車 場 の キ ャ ラ ク タ ー が 出 て 居 な い 」 と い う 反 対 意 見 に も 「 印 象 派 の 人 達 は 光 に 狂 し て 感 情 な ど を 忘 却 し て 居 る の で す 」 と 答 え 、 地 方 色 が 見 ら れ な い の を 、 逆 に 、 擁 護 し て い る 25 明 治 43 年 1 月 、 光 太 郎 は 『 ス バ ル 』 に 長 文 の 「 第 三 回 文 部 省 展 覧 会 の 最 後 の 一 瞥 」を 発 表 し 、「 生( ラ ヸ イ )」、つ ま り 、作 家 の 気 凛 と も 言 う べ き 生 命 力 の 有 無 や 強 弱 を 評 価 基 準 と す る 観 点 を 導 入 し て 、 20同 誌 、 167~ 168 ペ ー ジ 。 21 『 早 稲 田 文 学 』 明 治 42 年 11 月 、 17~ 19 ペ ー ジ 。 22 『 方 寸 』明 治 42 年 12 月( 復 刻 版『 方 寸 』、三 彩 社 、1973 年 )3~ 6 ペ ー ジ 。 23岩 村 透 と 思 わ れ る 人 物 が 、光 太 郎 の 父 親 の 光 雲 に 、光 太 郎 を 褒 め る 言 葉 が 記 さ れ て い る 。 同 誌 、 8 ペ ー ジ 。 24同 誌 、 11 ペ ー ジ 。 25同 誌 、 12 ペ ー ジ 。

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荻 原 守 衛 以 外 の 彫 刻 作 品 を 痛 烈 に 批 判 し た 26 。そ し て 、翌 月 の『 ス バ ル 』 に は 「AB HOC ET AB HAC」(「 手 当 た り 次 第 に 」と い う 意 味 の ラ テ ン 語 )を 発 表 し 、そ の 中 で 、「 停 車 場 の 朝 」を 印 象 派 に 見 立 て た リ ー チ の 批 評 に 彩 色 の 面 か ら 異 論 を 述 べ た ほ か 、 次 の よ う に 論 じ て 柏 亭 や 杢 太 郎 の 見 方 を 批 判 し た 。 引 用 個 所 が 多 い が 、 敢 え て 列 記 す る こ と に し た い 。 此 の 画 は 或 る 距 離 を 保 つ て 、 別 に 変 つ た 事 の 無 い 眼 を 以 つ て こ つ こ つ と 自 然 を 写 し て 出 来 た も の で あ る 。( 中 略 ) 僕 は 此 の 画 が BULL DOG の 様 に 、 喰 い つ い た ら 離 さ ぬ 様 な 執 拗 の 努 力 を 以 つ て 自 然 に 獅 囓 み つ い て 、ど う や ら か う や ら 、自 然 か ら 見 得 た 作 家 の 或 る 感 じ を 出 し 得 た 所 に 惚 れ 込 ん だ の で あ る 。( 中 略 ) 此 を 誇 張 の 画 と 見 た 人 の 感 覚 は 、恐 ら く 余 り 古 典 的 で あ り は し ま い か 。一 体 、僕 は 芸 術 は 誇 張 が な く て は 成 立 た ぬ も の だ と 思 つ て ゐ る 一 人 で あ る 。( 中 略 ) 僕 は 埃 及 の 彫 像 を 以 つ て 甚 だ し き 自 然 の 誇 張 で あ る と 思 つ て ゐ る 。( 中 略 )此 と 同 じ 意 味 で 、 僕 は 近 代 の 絵 画 に つ い て も 、殆 ど あ ら ゆ る 佳 い 画 に は 皆 相 当 の 誇 張 を 認 め る の で あ る 。印 象 と い ふ 言 葉 の 意 味 は 、此 の 誇 張 を 許 さ な く て は 何 う し て も 成 立 し か ね る も の と 僕 は 思 つ て ゐ る 。 ( 中 略 ) 原 始 的 な 明 暗 の 度 が そ の 画 面 を 堅 く し て ゐ る の が 、 中 で 最 も 大 き な 弱 点 で あ る 。し か し 、さ う い ふ 事 は 唯 技 術 の 幼 稚 を 示 す の み で 、誇 張 そ の も の が あ る か ら 好 ま し く な い と い ふ 事 と は 没 交 渉 な の で あ る 。( 中 略 ) 僕 は 此 の 画 を 近 代 的 だ な ど と は 毛 頭 思 つ て 居 ら ぬ 。( 中 略 )所 謂 印 象 派 を 現 代 的 と 考 へ て ゐ る 人 は か な り お 目 出 度 い の で あ 26「 第 三 回 文 部 省 展 覧 会 の 最 後 の 一 瞥 」 に は 、 ロ ダ ン 作 の 「 老 残 の 女 体 」 に つ い て 次 の よ う な 指 摘 が あ る 。 世 に 言 ふ 美 し さ と 美 し さ の 違 ふ 美 し さ が 、 RADIUM の 塊 ま り か ら RADIUM 線 の 放 射 す る 様 な 勢 で 、 人 に 迫 つ て 来 る の で あ る 。 美 し い と 言 へ ば 美 し い 。 恐 ろ し い と 言 へ ば 恐 ろ し い 。 単 純 な 言 葉 で 言 ひ 尽 せ な い 情 調 が 流 れ 出 て ゐ る の

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る 。( 中 略 ) 世 の 中 の 人 は 此 等 の 画 家 ( マ ネ と モ ネ = 引 用 者 ) に よ つ て 、 自 国 の 自 然 を 新 し く 見 る 眼 を 与 へ ら れ 、 幾 千 年 の 間 の 色 盲 を 治 さ れ た の で あ る 。 日 本 の 自 然 の 色 は 、 現 代 人 の 眼 に は ま だ 本 当 に 映 じ て ゐ な い の で あ る 。 後 の 世 か ら 見 た ら 、 今 の 人 は 日 本 の 自 然 に 向 つ て 大 方 色 盲 で あ る に 違 ひ な い 。 ど う し た ら 、 此 の 眼 が 明 く だ ら う 。 27 光 太 郎 は こ の 一 文 で 、 例 え ば 、 山 脇 の 絵 の 色 が 濁 っ て い る 点 、 全 体 と 部 分 の 関 係 に お い て 細 部 が 気 に な っ て 注 意 力 の 密 度 が 散 漫 で あ る こ と な ど 、「 停 車 場 の 朝 」に つ い て 批 判 す べ き は 批 判 し つ つ 、当 時 の さ ま ざ ま な 批 評 の 当 否 を 詳 細 に 論 じ て い る 。 彼 が 「 作 家 の 或 る 感 じ を 出 し 得 た と こ ろ に 惚 れ 込 ん だ 」 と し た の は 、 恐 ら く 、 山 脇 独 自 の 感 受 性 に 根 ざ し た 力 強 い 写 実 的 表 現 に 、 未 だ 個 性 の 開 花 に 至 ら な い 生 硬 さ を 感 じ つ つ も 、 ロ ダ ン 彫 刻 の 作 風 、 即 ち 、 ポ ス ト 印 象 派 的 な 「 生 」 の 表 現 の 濫 觴 を 認 め た か ら だ ろ う 。 28 光 太 郎 は 帰 国 後 ま も な く の 42 年 9 月 と 10 月 の『 ス バ ル 』に 、高 村 砕 雨 の 名 で 、「HENRI– MATISSE の 画 論 」 を 訳 出 し て い る 。 翻 訳 の 目 的 は 印 象 派 以 後 の 新 傾 向 の 紹 介 に あ っ た と 思 わ れ る 。 連 載 の 後 篇 、10 月 の 「 HENRI≡ MATISSE の 画 論 ( 二 )」 に は 、 ア メ リ カ の 心 理 学 者 で 哲 学 者 の ウ ィ リ ア ム • ジ ェ ー ム ズ (W.James 1842~1910)が『 心 理 学 原 理 』に お い て 述 べ た「 意 識 の 流 れ 」説 を 想 起 さ せ る 、 次 の よ う な 一 文 が 見 ら れ る 。 で あ る 。( 『 光 太 郎 全 集 第 六 巻 』、 筑 摩 書 房 、 1995 年 、 34 ペ ー ジ 。) 27同 書 、38~ 43 ペ ー ジ 。な お 、こ の 一 文 の 冒 頭 で 、光 太 郎 は 明 治 42 年 11 月 の 『 ス バ ル 』 の 「 一 夕 話 」 に お け る 「 左 憂 生 」 が 光 太 郎 本 人 で あ る こ と を 明 か し て い る 。 28菊 池 一 雄 は 「 高 村 光 太 郎 と ロ ダ ン 」 に お い て 、「 地 獄 の 門 」 制 作 時 代 の ロ ダ ン の 作 品 を 、「 そ れ ま で の 彫 刻 の 形 式 的 な 概 念 を 全 く 捨 て さ 」っ た「 飽 く こ と の な い 生 命 の 追 求 の 繰 り 返 し で あ っ た 。」 と し て 、 次 の よ う に 述 べ て い る 。 眼 に 見 え る 外 の 真 実 か ら 、心 に う つ る 内 の 真 実 へ と 、彼 の と ら え る 真 実 の 移 り 変 り に し た が っ て 、 彫 刻 の ポ ー ズ は 激 し さ を 増 し 、 誇 張 さ れ 、 変 形 さ れ て 行 っ た 。( 中 略 ) 今 日 で も ま だ 、 一 般 的 な ロ ダ ン の 彫 刻 の 概 念 の 大 き な 部 分 を 占 め て い る の は 、 こ の 時 期 の ロ ダ ン で あ る 。( 吉 田 精 一 編 『 高 村 光 太 郎 の 人 間 と 芸 術 』、 教 育 出 版 セ ン タ ー 、 昭 和 47 年 、 260 ペ ー ジ 。)

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最 近 の 二 三 の 画 家 の 様 に 、 最 初 の 印 象 を 避 け て 寧 ろ 此 を 虚 妄 視 す る 者 を ば 印 象 派 と 称 す る の は 不 当 で あ る 。 風 景 の 速 写 は 単 に 其 の 永 い 間 の 一 刻 に 過 ぎ な い 。 私 自 身 で は 、 風 景 な ら ば 其 の 風 景 の 性 質 を よ く 了 解 す る 事 に 力 め 、 表 面 の 美 し さ を 犠 牲 に し て も 底 に 潜 ん で 永 続 す る 力 を 得 た い も の と 思 つ て 居 る 。 人 間 始 め 万 物 の 表 面 の 形 象 は 箇 々 の 瞬 間 の 継 続 で 成 つ て 居 つ て 、 此 は 常 に 変 化 し 常 に 推 移 し て 行 く も の で あ る 。も つ と 確 か な 本 来 の 実 相 と い ふ も の は 此 の 瞬 間 の 皮 層 下 に 観 取 し 得 ら る べ き も の で 、画 家 は 之 を 把 捉 し て 永 き に 堪 ゆ る 真 実 の 翻 訳 を す べ き 者 と 考 へ る 。( 中 略 ) 私 が 色 彩 を 選 ぶ に は 少 し も 科 学 的 の 理 屈 に 拠 つ て は 居 ら ぬ 。 全 く 自 分 の 観 察 や 感 じ や 感 覚 の 経 験 を 根 拠 と し て ゐ る も の で あ る 。 29 明 治 43 年 4 月 、『 白 樺 』創 刊 と 時 を 同 じ く し て 、光 太 郎 は『 ス バ ル 』 に ポ ス ト 印 象 派 宣 言 と も 言 う べ き 「 緑 色 の 太 陽 」 を 、 ま た 『 早 稲 田 文 学 』(4、 5 月 ) に は 「 EXOTISCH の 画 家 PAUL GAUGUIN」 を 発 表 し た 。「 緑 色 の 太 陽 」に お け る 主 張 の 重 点 は 、当 時 に お け る 絵 画 表 現 の 前 衛 で あ る 、 個 人 的 主 観 の 権 威 の 絶 対 性 へ の 確 信 と 内 部 生 命 の 絶 対 的 に 自 由 な 発 現 と い う こ と に あ っ た 。「 緑 色 の 太 陽 」は 当 時 と し て は 過 激 な 絵 画 思 想 の 開 陳 で あ っ た が 、 青 年 美 術 家 を 中 心 に し て 支 持 者 も 少 な く は な か っ た 。「 緑 色 の 太 陽 」 出 現 の 背 景 と し て は 、 直 接 的 に は 後 に 引 用 す る よ う な 柏 亭 や 織 田 の 所 論 へ の 反 駁 と い う こ と が 考 え ら れ る が 、明 治 41 年 か ら 43 年 に か け て の 自 然 主 義 文 学 運 動 の 最 盛 期 と 重 な っ て 、 美 術 界 で の 印 象 派 絵 画 理 論 の 深 化 と 習 熟 が あ っ た こ と 、 ま た 、 セ ザ ン ヌ や マ テ ィ ス な ど 印 象 派 以 後 の 新 傾 向 の 画 家 の 紹 介 も 盛 ん に な り つ つ あ っ た こ と な ど も 挙 げ ら れ る 。 次 節 で は 、 こ の よ う な 歴 史 的 背 景 に つ い て 、 も う 少 し 詳 し く 検 討 し て み る 29 『 ス バ ル 』 明 治 42 年 10 月 、 113 及 び 117 ペ ー ジ 。 な お 、 光 太 郎 は 大 正 2 年 1 月 の 『 白 樺 』 に も 、「 画 論 ( 一 九 〇 八 年 十 二 月 )」 と し て 、 再 度 翻 訳 を 試 み て 掲 載 し た が 、引 用 個 所 に 関 し て は 、却 っ て 、理 解 し に く い 文 章 に な っ て い る 。

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こ と に し た い 。 四 明 治 41 年 10 月 、先 ず 、福 永 挽 歌 が『 帝 国 文 学 』に「 仏 蘭 西 の 印 象 派 」 を 発 表 し た 。 こ こ に は 、 日 本 に お け る 印 象 派 理 論 の 確 立 と 目 さ れ る 次 の よ う な 指 摘 が 見 ら れ る 。 杢 太 郎 の 印 象 派 絵 画 へ の 理 解 を 促 進 す る な ど の 影 響 が あ っ た と 考 え ら れ 、 画 壇 の 印 象 派 理 解 に 大 き な 役 割 を 果 た し た と も 思 わ れ る 。 色 彩 は 光 線 の 強 さ に よ つ て 異 る 。 故 に 、 あ る 物 体 特 有 の 色 彩 と い ふ も の は な く 、 只 そ の 物 体 の 上 に 注 ぐ 光 線 の 振 動 速 度 の 強 弱 に よ つ て 、 色 彩 が 生 ず る の で あ る 。( 中 略 ) こ の 理 論 は 、 直 ち に あ る 事 実 上 の 結 論 を 導 く 。 第 一 に は 、 こ れ 迄 ロ ー カ ル • カ ラ ー と 言 つ て ゐ た も の は 、 誤 謬 で あ る と い ふ こ と で あ る 。 木 の 葉 は 緑 色 で は な い 。 木 の 幹 は 褐 色 で は な い 。 日 中 の 時 間 に よ つ て 、即 ち 光 線 の 傾 斜( 科 学 的 に 言 へ ば 投 射 角 ) の 大 小 に よ つ て 、 木 の 葉 の 緑 色 、 樹 幹 の 褐 色 は 、 多 少 の 変 化 を 帯 び る こ と に な る 。( 中 略 ) 印 象 派 の 画 家 は 、( 中 略 )自 然 を 観 察 す る と 共 に 、人 間 を 描 く 場 合 に 於 い て 、 美 術 院 派 が 教 へ て ゐ た や う な 所 謂 美 の 法 則 を 脱 却 す る の を そ の 目 的 と し た の で あ る 。( 中 略 ) 真 理 を 憧 求 す る の 念 と 、 小 説 家 や 画 家 を 麻 痺 し て し ま う と こ ろ の 、 誇 張 或 は 虚 偽 な る 理 想 主 義 に 対 す る 烈 し い 厭 悪 と は 、 印 象 派 を し て 、 美 と い ふ 観 念 の 代 り に 、 キ ヤ ラ ク タ ー と い ふ 新 ら し い 観 念 を 起 さ し た 。 30 斎 藤 与 里 は「 絵 画 の 新 潮 流 と 私 見 」(『 日 本 及 日 本 人 』明 治 42 年 2 月 ) に お い て 、 外 形 や 色 彩 の 原 状 に 余 り 重 き を 置 か な い で 「 真 直 で あ る べ き 机 を 、曲 げ て 描 」き 、「 婦 人 の 唇 は 、( 中 略 )黄 ろ く 描 く 」 よ う な 、 セ ザ ン ヌ の 主 観 主 義 的 絵 画 論 を 紹 介 し 、 写 真 ( 写 実 ) 派 を 批 判 し て 自 己 本 位 の 絵 画 を 主 張 し た 31 。ヨ ー ロ ッ パ 美 術 史 に 照 ら し 30福 永 挽 歌「 仏 蘭 西 の 印 象 派 」、『 帝 国 文 学 』明 治 41 年 10 月 、89~ 104 ペ ー ジ 。 31斎 藤 与 里 「 絵 画 の 新 潮 流 と 私 見 」、『 日 本 及 び 日 本 人 』 明 治 42 年 2 月 憲 法 満

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て 仕 方 が な い こ と で あ る が 、 こ の 評 論 で は ポ ス ト 印 象 派 と い う 名 称 は 未 だ 使 わ れ て い な い 。 ま た 、 マ テ ィ ス を 「 変 梃 な 物 」 と 批 判 す る な ど 、そ の 理 解 に は 限 界 が 認 め ら れ る 。し か し 、全 体 と し て 見 れ ば 、 ポ ス ト 印 象 派 紹 介 の 嚆 矢 と 言 え る 内 容 だ っ た と 言 え る だ ろ う 。 有 島 壬 生 馬 ( 生 馬 ) は 「 画 家 ポ ー ル 、 セ ザ ン ヌ 」 を 『 白 樺 』( 明 治 43 年 5、6 月 )に 発 表 し た 。こ の 中 で 彼 は 、セ ザ ン ヌ を 含 む ア ン プ レ シ ヨ ニ ス ト た ち が 、彼 等 の 不 遇 時 代 に 、「 如 何 な る 瞬 間 と 雖 も 公 衆 に 媚 ん 為 め 、 己 れ 等 の 芸 術 を 調 和 し 改 め 様 と 試 み な か つ た 」 と 述 べ 、ま た 、セ ザ ン ヌ に 関 し て は 、「 彼 は 他 人 の 要 求 に 逼 ら れ て 作 製 し た 事 は な か つ た 、 単 に 彼 自 身 の 満 足 を 得 る 為 彼 の 内 心 の 声 に 聞 き 描 い た 」と 書 い て い る 32 。こ れ ら の 指 摘 は 、後 の「 絵 画 の 約 束 」論 争 の 第 二 ス テ ー ジ に お い て 山 脇 信 徳 や 実 篤 ら 白 樺 派 の 重 要 な 論 点 の 一 つ に な っ た と い う 点 で 、 注 目 し て お く 必 要 が あ る 。 荻 原 守 衛 も 、 ロ ダ ン(F.A.R.Rodin 1840~1917)を 理 想 と す る 生 命 主 義 的 な 彫 刻 家 と し て の 立 場 か ら 、日 本 的 な 自 然 主 義 に 反 対 す る「 迷 へ る 現 代 日 本 の 青 年 画 家 」( 『 新 小 説 』明 治 42 年 6 月 )な ど を 発 表 し た 33 。美 術 の 新 思 想 の 波 が 次 々 に 日 本 に 押 し 寄 せ て い た と 言 え る 。 だ が 、対 象 を 謄 写 す る だ け の リ ア リ ズ ム に 満 足 し た り 、印 象 派 を 最 も 新 し い 絵 画 だ と 思 っ た り 、 ま た 、 そ の よ う な 絵 画 が 日 本 に と っ て 最 も 必 要 な の で あ り 、 そ の 本 格 的 な 消 化 吸 収 は こ れ か ら だ な ど と 思 っ て い た 人 々 の 目 に は 、 光 太 郎 の 「 手 当 た り 次 第 」 の 率 直 な 見 解 は 突 飛 に 映 り 、 受 け 入 れ 難 か っ た 。 柏 亭 は 「 方 寸 書 架 」 に 次 の よ う に 不 満 を 表 し た 。 二 十 年 記 念 号 、 58~ 66 ペ ー ジ 。 32 『 白 樺 』 明 治 43 年 5 月 、 16 ペ ー ジ 。 33荻 原 は 「 今 日 、 日 本 で 行 は れ て 居 る や う な 意 味 で の 自 然 主 義 に は 、 私 は 何 う も 賛 成 が 出 来 な い 。」と し た 後 、「 上 野 の 美 術 協 会 の 展 覧 会 」の 日 本 画 に つ い て 、 「 気 韻 も 無 け れ ば 、 力 も 無 い 薄 つ ぺ ら な 、 恰 で 水 彩 画 の 化 物 の や う な 絵 ば か り で す 。」と 酷 評 し て い る 。荻 原 守 衛 著 、福 田 久 道 編『 生 命 の 芸 術 』、木 星 社 書 院 、 昭 和 4 年 、 45 ペ ー ジ 。 な お 、 昭 和 9 年 に 赤 羽 王 郎 編 で 穂 高 尋 常 高 等 小 学 校 か ら 発 行 さ れ た 手 書 き 刷 り に よ る 『 彫 刻 真 髄 』( 原 本 は 中 村 不 折 編 、 明 治 44 年 4 月 発 行 と し て あ る 。)で は 、タ イ ト ル は「 迷 へ る 青 年 美 術 家 」と な っ て お り 、表 記 に 多 く の 異 同 が 見 ら れ る 。

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兎 に 角 『 停 車 場 の 朝 』 と 云 ふ 様 な つ ま ら ぬ 画 ( 予 の 見 地 よ り す れ ば ) が 、 こ れ ほ ど 念 入 り に APPRECIATE さ れ る 機 会 を 得 た と 云 ふ こ と は 、作 者 山 脇 信 徳 氏 の 幸 運 と 曰 は な け れ ば な ら ぬ 。 ( 中 略 ) 予 が 彼 画 に 対 し て 有 つ 反 感 の 一 つ は 『 乙 に 西 洋 臭 く し た な 』 と 云 ふ こ と で あ る 。( 中 略 ) 予 の 此 頃 の 芸 術 上 の 主 義 は 『 光 本 位 』 と 云 ふ こ と か ら 少 し く 遠 ざ か つ て 居 る 。 従 つ て 単 に 『 天 の 光 』を 出 さ う と し た 努 力 に 対 し て は 格 別 の 尊 敬 を 払 は な い 様 に な つ て 居 る 。 其 代 り に 余 は REALISTIC STANDPOINT か ら 、 地 方 色 を 尊 ぶ こ と は 他 人 に 譲 ら な い 積 で あ る 。其 地 方 色 と 云 ふ 側 か ら 見 る 時 は 、 上 野 の 『 停 車 場 の 朝 』 は 殆 零 で あ る 。( 中 略 ) 均 し く 近 代 に 生 れ た る 人 と し て 、 芸 術 上 にSIMPLICITY と STRAIGTFORWARDNESS と を 喜 ぶ こ と に 一 致 は す る け れ ど も 、 予 はCLASSICISMと DRAUGHTSMANSHIPと を 要 求 す る こ と が 高 村 氏 よ り も 少 し 多 い の で あ ら う 。 そ れ 故 に 予 は RENOIRよ り も MANETに 手 を 挙 げ た く な る 。 3 4 柏 亭 の 議 論 は 旧 態 依 然 と し て お り 、こ の 時 点 に お い て は 、日 本 的 自 然 主 義 と 歩 調 を 合 わ せ た 写 実 主 義 絵 画 観 か ら 全 く 抜 け 出 て い な い こ と が わ か る 。 前 述 の 『 方 寸 』 合 評 者 の 一 人 だ っ た 織 田 も 、 柏 亭 の 論 調 と 軌 を 一 に し て 、『 東 京 朝 日 新 聞 』 で 次 の よ う に 論 じ た 。 現 今 の 絵 画 に 日 本 の 自 然 が 十 分 表 現 さ れ て ゐ な い の を 、 私 は 平 素 不 足 に 感 じ て 居 る 一 人 で あ る 。去 年 の 文 部 省 美 術 展 覧 会 の 山 脇 氏 作 『 停 車 場 の 朝 』 で も 、( 中 略 ) 真 面 目 に 日 本 の 自 然 を 描 い た 絵 と は 受 取 れ な い 。( 中 略 ) 私 は 我 国 の 自 然 を 決 し て 快 活 な 自 然 で あ る と は 思 は な い 。 地 味 な 静 な そ し て 沈 む だ 色 彩 の 自 然 で あ る と 思 ふ 。此 沈 む だ 点 が 私 等 の 人 生 と 関 係 の 深 い 所 で 又 研 究 す 可 き 所 で あ る と 思 ふ の だ 。( 中 略 ) 34 『 方 寸 』 明 治 43 年 2 月 、 2~ 3 ペ ー ジ 。

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現 今 の 画 家 の 或 る 一 部 は 日 本 の 自 然 の 色 彩 す ら 充 分 に 描 き 得 な い の で あ る 。そ れ を 想 へ ば 広 重 は 敬 服 す 可 き 大 家 で あ ッ た と 思 ふ 。 35

光 太 郎 は 「 緑 色 の 太 陽 」 発 表 後 の 明 治 43 年 7 月 、『 早 稲 田 文 学 』 に「ENTRE DEUX VINS」(「 ほ ろ 酔 い 加 減 」の 意 味 ) 36 を 発 表 す

る 。 柏 亭 ら が ど の よ う に 理 解 し た か は 不 明 だ が 、 そ こ に は 次 の よ う な 極 め て 透 徹 し た 指 摘 が 見 ら れ た 。 僕 等 の 欲 す る 画 は 真 を 模 し た も の で は な い 。美 し い 生 命 を う つ し た も の で あ る 。 醜 い 真 の 再 現 は も う 沢 山 で あ る 。 其 の 上 、 所 謂 真 と い ふ の が 作 家 各 自 の 色 眼 鏡 に 映 つ た も の に 外 な ら な い の で あ る 以 上 は 、 僕 等 は 醜 い 色 眼 鏡 を か け て ゐ る 作 家 よ り は 美 し い 色 眼 鏡 を か け て ゐ る 作 家 の 方 を 要 求 す る の で あ る 。 37 こ う し た 情 況 の 中 、 明 治 43 年 12 月 、『 万 朝 報 』 は 英 国 人 女 性 特 約 通 信 員 の 消 息 と し て 、「 絵 画 の 最 新 派 」で あ る「 後 印 象 派 画 家 の 作 品 展 覧 会 」が ロ ン ド ン で 初 め て 開 か れ た こ と を 伝 え た 38 。後 印 象 派 ( ポ ス ト ア ン プ レ ッ シ ョ ニ ス ト ) と い う 用 語 が 初 め て 日 本 に 紹 介 さ れ た の で あ る 。 以 上 、 明 治 44 年 6 月 に 始 ま る 「 絵 画 の 約 束 」 論 争 の 山 場 で あ る 第 二 ス テ ー ジ の 前 に 、42 年 11 月 か ら 翌 43 年 7 月 に か け て 、 光 太 郎 ら と 杢 太 郎 、 柏 亭 ら と の 間 で 、 同 じ 山 脇 の 異 な る 絵 に 関 し て 論 争 や 意 見 衝 突 が あ っ た こ と 、及 び 、そ の 内 容 や 背 景 に つ い て 見 て き た 。 第 一 ス テ ー ジ で の 山 脇 批 判 は 、 総 じ て 、 誇 張 さ れ た 表 現 を 含 ん だ 見 慣 れ な い 画 風 に 対 す る リ ア リ ズ ム の 立 場 か ら の 排 撃 で あ っ た 。 杢 太 郎 の 場 合 に は 、 日 本 文 学 に お け る 自 然 主 義 隆 盛 と い う 時 流 の 影 響 を 受 け た 歴 史 的 観 点 か ら の 批 判 と い う 性 格 が 強 い と 考 え ら れ る 。 柏 亭 35 『 東 京 朝 日 新 聞 』 明 治 43 年 2 月 23 日 付 、 第 三 面 。 36北 川 太 一 、 前 掲 「 解 題 」、 357 ペ ー ジ 。 37前 掲 『 光 太 郎 全 集 第 六 巻 』、 47 ペ ー ジ 。 38 『 万 朝 報 』 明 治 43 年 12 月 10 日 付 、 第 一 面 。 な お 、 こ の 記 事 で も 、「 後 印 象 派 」 の 中 心 画 家 を セ ザ ン ヌ 、 ゴ ー ギ ャ ン 、 ゴ ッ ホ 、 マ テ ィ ス の 四 人 と し て い る 。

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の 場 合 に は 、 絵 画 に お け る 自 然 主 義 リ ア リ ズ ム と い う 、 画 家 と し て の 立 場 に 立 っ た 批 判 で あ っ た 。 「 絵 画 の 約 束 」と い う タ ー ム は 第 一 ス テ ー ジ で は 現 れ な い で 、 次 の 第 二 ス テ ー ジ で 杢 太 郎 に よ っ て 山 脇 批 判 の た め の キ ー ワ ー ド と し て 用 い ら れ る こ と に な る 。 次 節 は 論 争 の 山 場 と な る 第 二 ス テ ー ジ に 関 し て で あ る 。 杢 太 郎 の 山 脇 に 対 す る 新 た な 批 判 と そ れ に 対 す る 山 脇 と 白 樺 派 の 反 論 が ど の よ う な も の で あ っ た か を 明 ら か に し た い 。

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五 杢 太 郎 は 明 治 40 年 11 月 の 『 明 星 』 で 、『 太 陽 』 の 記 者 長 谷 川 天 渓 の 「 論 理 的 遊 戯 を 排 す 」 に お け る 排 理 想 の 自 然 主 義 論 を 批 判 し 、 理 想 は 変 遷 し 進 歩 す る と し て 、 次 の よ う に 述 べ た 。 か く 理 想 は 功 利 主 義 的 に 見 て も 、 未 来 に 対 す る 用 意 と い ふ 意 味 が あ つ て 見 れ ば 、之 な く て は 一 日 も 生 活 は 出 来 な い 。之 あ つ て 始 め て 人 間 活 動 の 標 準 が 生 ず る 。若 し 唯 物 論 者 の 説 く が 如 く 、 人 間 の 凡 て の 活 動 が 万 事 肉 体( 即 ち 物 質 )の 函 数 で 自 由 意 志 と い ふ も の が 無 か つ た な ら ば 、人 間 は 唯 だ 運 命 に 従 つ て 、瞬 間 瞬 間 に 盲 目 的 活 動 を し て ゆ く こ と が 出 来 る か も し れ ぬ が 、自 由 意 志 が あ る 以 上 は 理 想 が な く て は な ら ぬ 。理 想 は 必 ず し も 人 間 の 推 理 的 遊 戯 で は な い 、 必 然 の 要 求 で あ る 。 39 杢 太 郎 は 、 文 学 的 に は 、 理 想 主 義 の 立 場 に あ っ た こ と が 上 の 一 文 か ら 理 解 で き る 。 し か し 、 絵 画 の オ ピ ニ オ ン リ ー ダ ー と し て は 、 極 め て 現 実 主 義 的 で あ り 、 折 衷 主 義 的 で あ っ た 。 彼 は 、 明 治 42 年 5 月 の『 昴 』に 発 表 し た「 日 本 現 代 の 洋 画 の 批 評 に 就 て 」で も 、「 吾 人 は 文 学 、 芸 術 ― ─ 殊 に そ れ ら が 純 芸 術 に 近 け れ ば 近 い 丈 、 作 者 の 気 稟 ─ ─ 天 才 を 尊 重 す る も の で あ る 。」 40 と い う よ う な 、 一 見 す る と 理 想 主 義 的 な 言 辞 を 弄 し て は い る 。 し か し な が ら 、 実 際 に は 、 現 代 の 洋 画 が 情 調 過 重 に な っ て い る こ と を 指 摘 し 、「 仏 人 がCourbetに 名 づ け た る が 如 きPeintre animalの 出 現 」 を 望 ん で い る の で あ る 。 ヨ ー ロ ッ パ 絵 画 の 穏 健 な 段 階 的 受 容 が 望 ま し い と 考 え 、 写 実 の 徹 底 を 優 先 課 題 と み な す 杢 太 郎 の 立 場 は 、「 現 今 の 日 本 の 洋 画 家 は 、一 方 に は 欧 州 絵 画 の 趨 勢 を 知 り 、一 方 に は 日 本 現 代 の 時 代 思 潮 を 理 解 し 、 両 者 の 間 に 意 識 し て 調 停 を 求 め る と い ふ 覚 悟 が 無 く て は な ら ぬ 。」と か 、「 近 世 の 欧 州 絵 画 、殊 に 仏 国 に 於 け る 近 世 派 は 、情 調 を 崇 ぶ よ り は 寧 ろ 写 実 を 重 じ た か と 考 へ ら れ る 。」な ど と 述 べ て い る こ と か ら も 39太 田 正 雄「「 太 陽 」記 者 長 谷 川 天 渓 氏 に 問 ふ 」(『 明 星 』明 治 40 年 11 月 )、『 木 下 杢 太 郎 全 集 ( 以 下 『 杢 太 郎 全 集 』) 第 七 巻 』、 岩 波 書 店 、 1981 年 、 30 ペ ー ジ 。 40同 書 、 124 ペ ー ジ 。

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明 ら か で あ る 41 。こ れ は 前 述 の「 一 夕 話 」の 総 評 の 論 点 と 同 様 で あ り 、こ の 頃 の 杢 太 郎 の 基 本 的 立 場 が こ こ に あ っ た こ と は 間 違 い な い 。 こ の 点 に 関 し て は 、「 絵 画 に 於 て 最 重 要 な る 事 は 描 き 初 め て か ら 描 き 終 る ま てマ マの 画 家 の 情 調 の 統 一 と 云 ふ こ と で あ る 。」 42 と し て い る 柏 亭 の 立 場 と は 明 確 に 異 な っ て い る の で あ る 。 柏 亭 の 基 本 的 立 場 が 地 方 色 、 即 ち 日 本 的 情 調 表 現 を 優 先 さ せ る よ う な 、 日 本 自 然 主 義 的 な リ ア リ ズ ム に あ っ た の は 言 う ま で も な い 。 明 治 44 年 6 月 、 杢 太 郎 は 『 中 央 公 論 』 に 「 画 界 近 事 」 を 発 表 し た 。そ こ で の 山 脇 批 判 は 、「 五 新 進 作 家 小 品 展 覧 会 」の「 午 前 」「 街 路 」に 対 す る も の と 、「 六 山 脇 信 徳 氏 作 品 展 覧 会 」の 個 展 作 品 に 対 す る も の の 二 つ の 部 分 か ら 成 っ て い る 。 前 者 に 対 し て は 「 芸 が 無 さ 過 ぎ た 」「 色 と 筆 触 、 画 の 表 面 等 の 趣 が 一 様 な の は 遺 憾 」「 油 画 具 で か い た 昔 の 名 所 画 と い つ た や う な も の 」 と い う 短 い 冷 評 だ っ た 。 後 者 は 公 設 展 に 批 判 的 だ っ た 光 太 郎 が 経 営 す る 日 本 最 初 の 私 設 画 廊 「 琅 玕 堂 」 で の 個 展 作 品 、 新 旧 合 わ せ て 約 30 点 、 に 対 す る も の で あ り 、刺 激 的 で 、見 方 に よ っ て は い び る よ う な 調 子 の 語 句 が 並 ん で い る 。「 絵 画 の 約 束 」 と い う タ ー ム が こ こ で 初 め て 使 わ れ た 。 就 中 比 較 的 最 近 の 画 と し て は 「 お 茶 の 水 」「 橋 」「 入 日 」 等 が あ つ た 。全 体 と し て 見 る と そ れ は 作 家 の 感 激 が 強 烈 で あ つ た ら う と い ふ 事 を 思 は せ る ば か り で 、恰 度 怒 つ た 唖 者 を 見 る や う に 、 如 何 に も 表 現 の 技 巧 に 乏 し い 。 私 は 元 よ り 感 激 と い ふ も の を 、 高 く 評 価 す る も の で は あ る け れ ど も 、こ の 感 激 を 自 覚 し 、 巧 み な る 手 練 を 以 て 、よ く 理 解 さ れ た る 絵 画 の 約 束 の 下 に 発 表 さ れ た な ら ば 、 更 に い ゝ 事 で あ ら う と 思 ふ 。 絵 画 と い ふ も の は 、 血 圧 計 の 曲 線 と い ふ や う な も の で は な く 、一 つ の 技 術 で あ る と 思 ふ か ら で あ る 。( 中 略 ) 心 臓 の 亢 奮 を 筋 肉 運 動 と し て 画 面 に 現 は す な ら ば 、そ の 画 は 技 術 で な く ス フ イ グ モ グ ラ フ が 描 き 出 す 41同 書 、 126~ 129 ペ ー ジ 。 42石 井 柏 亭「 白 馬 会 と 太 平 洋 画 会 」、『 早 稲 田 文 学 』明 治 43 年 7 月 、313 ペ ー ジ 。

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表 で あ る 。 画 と い ふ も の は こ れ 以 上 だ 。 43 杢 太 郎 の 「 絵 画 の 約 束 」 の 主 張 の 目 的 が 写 実 主 義 の 鼓 吹 に あ っ た わ け で は な い の は 、 同 じ 「 画 界 近 事 」 の 「 四 无 声 会 」 に お け る 柏 亭 の 描 い た 日 本 画 へ の 批 判 に よ っ て も 確 認 で き る 。 こ の 点 、 彼 は 自 身 の 西 洋 絵 画 観 を 明 治 42 年 当 時 よ り は 一 歩 前 進 さ せ て い た と 解 釈 で き る の で あ る 。 こ こ で は 杢 太 郎 の 次 の よ う な 言 葉 が 注 目 さ れ る 。 元 来 、 画 と い ふ も の は 、 純 粋 な る 自 然 の 模 倣 で は な く て 、 自 然 と 作 品 と の 間 に 人 間 の 気 性 及 能 力 を 挿 ん で ゐ る 。( 中 略 ) 美 術 の 享 楽 は こ れ 一 の 自 己 投 入 で あ つ て 、必 し も 作 品 か ら 、 原 の 自 然 を 探 し 出 さ う と す る の で は な い 。で あ る か ら 眼 が 三 角 形 で あ つ て も 、山 が 芋 に 似 て ゐ や う と も 、往 々 差 支 へ な い 事 が あ る の で あ る 。( 中 略 ) 写 真 な ら い ざ 知 ら ず 画 と い ふ も の は 今 の 世 の 所 謂 写 実 と い ふ も の の 凡 て で は な い 。( 中 略 ) 複 写 な が ら フ ラ ン ス の マ テ ィ ス の 画 等 を 見 る と 、今 ま で と は 全 く 違 つ た 遣 り 方 を し て ゐ る 。 44 杢 太 郎 の 新 絵 画 へ の 理 解 は 前 節 で 引 用 し た 斎 藤 与 里 の 主 張 と 同 様 な 新 鮮 味 が あ り 、以 前 の よ う な 写 実 主 義 一 辺 倒 の 姿 勢 は 見 ら れ な い 。 福 永 挽 歌 の 「 仏 蘭 西 の 印 象 派 」 と 軌 を 一 に す る も の で あ る こ と が 読 み 取 れ る 。 で は 、 新 絵 画 へ の 理 解 を 進 め た 杢 太 郎 が 、 山 脇 の 絵 画 に 関 す る 理 解 に お い て 、 な ぜ 白 樺 派 の 見 方 と 大 き な 齟 齬 を 生 み 出 し た の だ ろ う か 。 杢 太 郎 の 言 辞 に 付 き ま と う デ ィ レ ッ タ ン ト 的 な 理 想 主 義 の ポ ー ズ と 現 実 主 義 的 折 衷 主 義 の 矛 盾 が 山 脇 本 人 や 白 樺 派 の 不 快 を 買 っ た と い う こ と も 十 分 考 え ら れ る が 、 こ こ で は も っ と 確 か な 見 方 を 提 示 し て み た い 。杢 太 郎 の「 画 界 近 事 」と 同 じ 44 年 6 月 に『 白 樺 』に 発 表 さ れ た 有 島 壬 生 馬 の「 琅 玗 洞 に 於 け る 山 脇 信 徳 氏 の 近 作 」 は 、「 山 脇 の 古 い 絵 」 は 「 没 個 性 」 的 な 「 鋭 い 尖 つ た 」「 極 端 に 写 実 的 」 な 視 覚 に よ る 「 自 然 の 模 写 」 の 産 物 で あ っ た が 、 今 の 作 風 に 氏 43前 掲 『 杢 太 郎 全 集 第 七 巻 』、 368~ 369 ペ ー ジ 。 44同 書 、 364~ 365 ペ ー ジ 。

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を 導 い た の も 同 じ 視 覚 で あ っ た と し て 45 、更 に 、次 の よ う に 指 摘 し て い る 。 氏 が 「 自 然 の コ ピ ー 」 の 自 然 と は 余 り 離 れ た も の で あ る 事 に 一 度 気 が 就 い て 自 然 を 見 る と 、自 然 は 形 式 の 表 現 で は な く つ て 力 と 生 命 と 輝 き の 世 界 で あ つ た 。( 中 略 ) 自 然 に 対 す る 嘆 美 、 感 動 を 氏 が 激 し い 色 彩 に 依 つ て 描 き 上 げ た 跡 を 見 る に 中 々 賢 い も の で あ る 。氏 は 色 を 用 ひ て 直 ち に 光 な り 力 な り を 代 表 さ せ 様 と 努 め た 。( 中 略 ) 氏 に よ つ て 絵 具 は 新 ら し い 用 途 を 見 出 さ れ て 来 た 。 46 「 断 片 」 に お け る 山 脇 の 杢 太 郎 へ の 反 論 は 、 山 脇 に は 既 に 写 実 の 力 量 と 新 し い 彩 色 技 法 が 備 わ っ て お り 、「 感 覚 と テ ク ニ ツ ク に 於 て 驚 嘆 に 値 す べ き 偶 合 」47 が あ る と い う 有 島 に 見 ら れ た 肯 定 的 評 価 の 視 点 が 杢 太 郎 に 全 く 無 視 さ れ て い た こ と 、 或 は 、 杢 太 郎 に は 全 然 見 え て い な か っ た に も か か わ ら ず 酷 評 し た こ と へ の 抗 議 だ っ た 。 山 脇 が 欧 州 絵 画 の 傾 向 に 関 す る 最 新 の 知 識 を 、 当 時 と し て は 、 驚 く ほ ど 持 ち 合 わ せ て い た こ と は 、 彼 が 杢 太 郎 へ の 反 論 「 断 片 」 に お い て 、 下 に 示 す よ う に 、 有 島 が 言 及 し な か っ た ポ ス ト 印 象 派 の 歴 史 的 必 然 性 と 正 当 性 を 主 張 し て い る こ と に 顕 れ て い る 。 ポ ス ト 印 象 派 に つ い て は 、前 年 12 月 10 日 の『 万 朝 報 』の 報 道 な ど を 参 考 に し つ つ 、仲 田 勝 之 助 が 44 年 8 月 に 「 後 期 印 象 派 」 を 『 早 稲 田 文 学 』 に 書 い て い る 。「 断 片 」は 、そ れ を も 踏 ま え 、ポ ス ト 印 象 派 の 絵 は 単 純 な 原 始 性 に 拠 っ て い る の で は な く 、「 あ れ を 邪 道 と い ひ 、堕 落 と 呼 ぶ な ら ば 、 先 ず 絵 画 其 物 の 追 求 と 推 移 を 否 定 し な け れ ば な ら ん 。」と 断 じ て い る の で あ る 。「 断 片 」 は 、 更 に 、 次 の よ う に 反 論 し た 。 自 然 の 客 観 的 真 の 描 写 は 所 謂 前 期 印 象 派 の 人 々 に 尽 き て ゐ る 。 其 後 の 画 家 が 内 面 的 に 崩 れ て 行 く の は 自 然 の 勢 で あ る 。( 中 略 ) 筆 触 と は 神 経 の 顫 動 で あ る 、一 片 の 筆 触 は 全 人 格 を 反 映 す る 。 45 『 白 樺 』 明 治 44 年 6 月 、 70~ 71 ペ ー ジ 。 46同 誌 、 71 ペ ー ジ 。 な お 、 原 文 に は 、 引 用 文 中 の 「 力 」「 生 命 」「 輝 き 」 の そ れ ぞ れ に 傍 点 が 付 さ れ て い る 。

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一 枚 の 画 は 一 呼 吸 の も と に 動 か ね ば な ら ん 。要 す る に リ ズ ム の 統 一 で あ る 。( 中 略 ) 天 才 の 発 見 を 緩 和 し て 技 術 と い ふ 不 純 な 液 体 を 混 じ 希 薄 な 飲 料 を つ く つ て 顧 客 に 媚 び る も の を 常 識 画 家 と い ふ 。彼 等 は 写 真 を 描 く に は あ ま り に 悧 巧 で 絵 画 を 描 く に は あ ま り に 愚 鈍 で あ る 。( 中 略 ) 色 や 線 や 形 に 対 す る 固 定 し た 感 覚 の 形 式 を 絶 対 の も の に さ れ て は 困 る 。( 中 略 ) ご 忠 告 は 有 難 い が 氏 の 所 謂 理 解 あ る 絵 画 の 約 束 と は 如 何 な る も の を 意 味 す る で あ ら う か 。も し 既 成 の 絵 画 よ り 得 る 普 遍 的 な 美 の 概 念 な ら ば 、其 約 束 な る も の は 却 つ て 画 家 の 直 覚 力 を 暗 ま す も の で あ つ て 、私 の 最 も 厭 ふ 処 で あ る 。私 は 筆 を 執 つ た 時 何 等 の 約 束 を も 予 想 し な い 。寧 ろ 一 切 の 約 束 よ り 脱 離 せ ん と 努 め て ゐ る 。た と へ 人 間 の 約 束 に は 違 反 し て も 自 然 の 約 束 に は 背 か な い 積 り で あ る 。( 中 略 ) 一 体 技 術 と は 何 で あ ら う 。 私 に 云 は す れ ば 絵 画 と は 血 圧 計 検 脈 計 の 曲 線 の 如 き も の で 差 閊 な い の で あ る 。唯 近 代 人 の 脈 管 に 装 置 す べ き 精 巧 な る 器 械 な き を 憾 む の で あ る 。( 中 略 ) 私 は 決 し て 一 時 の 感 激 に 逆 上 し て 技 術 の 意 味 を 無 視 し た の で は な い 。 48 「 断 片 」 か ら 多 く を 引 用 し た が 、 山 脇 の 反 論 は 「 断 片 」 と は 言 う も の の 、統 一 性 が あ り 、極 め て 理 路 整 然 と し た も の だ っ た 。そ し て 、 1) 山 脇 の 芸 術 家 と し て 純 粋 に 理 想 ( 天 才 ) を 追 求 す る 姿 勢 が 「 自 己 の 為 」 や 天 才 賛 美 を 身 上 と す る 白 樺 派 の 個 性 伸 張 の 意 欲 と 響 き 合 っ て い た こ と 、2)「 た と へ 人 間 の 約 束 に は 違 反 し て も 自 然 の 約 束 に は 背 か な い 」と す る 点 が『 白 樺 』創 刊 号 に お け る 実 篤 の「「 そ れ か ら 」 に 就 て 」 の 思 想 と 通 底 し て い た こ と が 見 て 取 れ る 。 山 脇 の 絵 画 思 想 が 実 篤 を 始 め と す る 白 樺 派 の 目 指 す 文 学 • 美 術 の 理 想 と 方 向 が 重 な っ て い た こ と に 、 こ の 論 争 に 実 篤 ら が 介 入 す る 最 大 の 理 由 が あ っ た 47同 誌 、 72 ペ ー ジ 。 48 『 白 樺 』 明 治 44 年 9 月 、 104~ 113 ペ ー ジ 。

參考文獻

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