1 安倍首相の「氷を割る旅」と温家宝総理の「氷を溶かす旅」
日中両国は反日暴動によって映し出された日中双方の相互嫌悪、
東シナ海資源開発をめぐる対立、及び中国の軍事力増強と日米同盟 の協力強化から生じた相互不信で、関係悪化の一途をたどり、双方 がセキュリティ・ジレンマに陥っているように見える。冒頭で述べ た「政冷経熱」という日中関係のねじれ現象は、日中間の経済的な 相互依存関係が政治に波及していないことを物語っている。その危 険性に気づいた日中両国首脳は、双方とも柔軟な姿勢を示して妥協 の道を模索しつつある。対中強硬派として知られている安倍首相に よる「氷を割る旅」と呼ばれた訪中の実現は、日中両国首脳の関係 改善に対する意欲の強さがうかがえる。この安倍訪中で、日中首脳 は両国間に存在しているセキュリティ・ジレンマの緩和にもつなが る戦略的互恵関係を築きあげていくことで一致した。
戦略的互恵関係を発展させていくための条件について、何よりも まず両国間の相互信頼を高めることである。そのためには、国家間 の行為の相互予測可能性を高めるための緊密な意思疎通が必要であ る。この観点から、首脳同士や軍指導部を含む政府要人の相互訪問 が不可欠であり、また国力、特に軍事力に関する透明度を高めなけ ればならない。そして、関係発展を妨げる懸案事項を解決し、それ によって双方が実感できるような具体的成果を積み重ねることも肝 要である。その意味で、目下の日中関係で最も懸念されるべき懸案 事項と思われる東シナ海問題を早期に解決する道筋を見つけること が喫緊の課題であり、個別の成功事例を積み重ねることが日中関係
においてはウィン・ウィンの互恵関係を構築する政治的エネルギー の源となる。
安倍訪中で発表された日中の共同文書では、日本側は中国の平和 的発展が国際社会に大きな好機をもたらしたことを評価し、中国側 は戦後日本の平和国家としての歩みを評価した67。これは日本が中国 脅威論を打ち消すと同時に、中国が日本軍国主義復活論を否定する 内容であり、これがあってはじめて、戦略的互恵関係の構築が可能 となる。また、現段階で日中戦略的互恵関係を構築する試金石とみ なされる東シナ海問題について、双方は共同開発の方向で双方が受 け入れ可能な解決の方法を模索し、東シナ海を平和・協力・友好の 海とすることを前面に打ち出した68。
続いて、2007 年 4 月 11 13 日、日中関係の「氷を溶かす旅」と呼 ばれた温家宝の訪日で、次の五項目を基本的な内容とする合意に達 した69。
(1)平和的発展を相互に支持し、政治面の相互信頼を増進する。
また、各々の政策の透明性の向上に努力する。
(2)エネルギー、環境、金融、情報通信技術、知的財産権保護等 互恵協力を深化させ、共同発展を実現する。
(3)防衛分野の対話及び交流を強化し、共に地域の安定に向け力
67 外務省「日中共同プレス発表」(2006 年 10 月 8 日)、(http://www.mofa.go.jp/mofaj/
kaidan/s_abe/cn_kr_06/china_kpress.html、2008 年 1 月 10 日アクセス)。
68 外 務 省 「 安 倍 内 閣 総 理 大 臣 の 中 国 訪 問 ( 概 要 )」( 2006 年 10 月 8 日 )、
(http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_abe/cn_kr_06/china_gaiyo.html、2008 年 1 月 10 日アクセス)。
69 外務省「日中共同プレス発表」( 2007 年 4 月 11 日 )、( http://www.mofa.go.jp/
mofaj/area/china/visit/0704_kh.html#e、2008 年 10 月 14 日アクセス)。
を尽くす。
(4)相互理解及び友好的感情を増進するとともに、青少年、メデ ィア等の交流、文化交流を強化する。
(5)朝鮮半島、国連改革、東アジア地域協力等、地域及び地球規 模の課題に共同で対応する。
そして、東シナ海問題について、双方は以下の共通認識に達した70。
(1)東シナ海を平和・協力・友好の海とする。
(2)互恵の原則に基づき共同開発を行う。
(3)必要に応じ、従来よりハイレベルの協議を行う。
(4)双方が受入れ可能な比較的広い海域で共同開発を行う。
(5)本年秋に共同開発の具体的方策につき首脳に報告す るこ と を目指す。
2 戦略的互恵関係の具体化に向けて
その後、安倍に代わった福田康夫首相は2007 年 12 月 28 日に訪中 し、北京大学での講演で、「日中両国は、アジア及び世界の良き未来 を築き上げていく創造的パートナーたるべし」と主張した71。また、
福田は温家宝との会談で、日中両国は具体的に戦略的互恵関係を、
互恵協力の強化、安全保障分野における交流を含めた交流・相互理 解の促進、地域・国際社会における協力、東シナ海資源開発、歴史・
70 同上。
71 外務省「福田総理訪中スピーチ:共に未来を創ろう」(2007 年 12 月 28 日)、
(http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/19/efuk_1228.html、2008 年 10 月 14 日アク セス)。
台湾など五つの分野で協力や連携の意思を確認した72。ところが、東 シナ海問題については、各自の共同開発案を提出して折り合いをつ ける予定であるが、原則論だけで具体策がない「新たな共通認識」
を示すにとどめた73。
その後、安全保障分野における交流の一環として中国国防部長・
曹剛川や中国海軍駆逐艦「深圳号」の訪日が実現された。とはいえ、
『東アジア戦略概観2008』では、曹剛川の訪日が日本側の懸念に満 足のゆく回答をしなかったとして、その訪日を「中国脅威論火消し の旅」と形容し、また、中国が東シナ海ガス田開発をめぐって日本 側に海軍艦艇を派遣すると威嚇したことに触れ、「日本に対し軍事 的抑止力を行使する一方で海軍の友好訪問を行うのは、日中の平和 友好ムードを盛り上げ、日本側に東シナ海に手を出すことをためら わせることにより、実質的に東シナ海での覇権を確立することにあ る」と指摘し74、根深い対中不信をあらわにした。
ところで、2008 年 4 月、胡錦濤中国国家主席の訪日を控えて政府 系シンクタンクの「世界平和研究所」から発表された提言は、戦略 的互恵関係の主眼を以下の3 点にまとめた75。
(1)体制や国益といった相互の違いを違いと認識し、「共通の利
72 外務省「福田総理の中国訪問」(2007 年 12 月 28 日)、(http://www.mofa.go.jp/mofaj/
kaidan/s_fukuda/china_07/gh.html、2008 年 10 月 14 日アクセス)。
73 外務省「両国首脳の東シナ海問題に関する新たな共通認識」(2007 年 12 月 28 日)、
(http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_fukuda/china_07/annex3.html、2008 年 10 月 14 日アクセス)。
74 防衛研究所『東アジア戦略概観 2008』87-89 ページ、(http://www.nids.go.jp/publication/
east-asian/j2008.html、2008 年 8 月 5 日アクセス)。
75 世界平和研究所「日中関係の新章-歴史を越えた共存的発展をめざして-」(2008 年 4 月 23 日)、(http://www.iips.org/jcr/jcr-j.pdf、2008 年 6 月 5 日アクセス)。
益の拡大」を重視することで対立しやすい両国関係をうまく 処理していかなければならないとの認識を共有した。
(2)中国が初めて日本の戦後の歩みを明確に評価し、歴史問題を 外交カードにしないという意思を明らかにすることで、両国 が未来志向で対等な関係を築く方向が打ち出された。
(3)中国は改めて日本を地域の大国として認め、地域秩序を共に 築くパートナーとする方向を打ち出し、地域協力強化のモメ ンタムが生まれた。
5 月 7 日、訪日した胡錦濤は福田首相との会談で、双方が「『戦略 的互恵関係』の包括的推進に関する日中共同声明」と題する日中関 係の第四の政治文書に署名した76。この文書の内容からは、かつての 歴史問題を外交カードとして日本を押さえつけようという江沢民政 権の対日姿勢と訣別しようとする胡錦濤政権の姿勢がうかがわれた。
戦略的互恵関係を構築する土台づくりの一環であり、また、防衛 当局者の信頼醸成にも役立つ安全保障分野での交流について、胡錦 濤は福田との会談で、同年中の防衛大臣訪中、6 月の海上自衛隊艦艇 の訪中を招請し、安全保障分野における交流の強化を通じて77、日中 間のセキュリティ・ジレンマの緩和に期待した。東シナ海問題につ いて、共同声明では、単に「共に努力して、東シナ海を平和・協力・
友好の海とする」と記述されただけであったが、共同記者会見では、
76 外務省「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日中共同声明」(2008 年 5 月 7 日)、(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/visit/0805_ks.html、2008 年 10 月 25 日 アクセス)。
77 日中間の軍事交流について、防衛省『防衛白書』平成 20 年版、258-259 ページ、前 掲を参照。
福田が「大きな進展があり、解決のめどが立った」と述べたのに対 し、胡錦濤も「重要な進展を遂げ、問題解決の全景が見えてきた」
と語り、成果があることを示唆した。同声明がすぐに発表されなか った理由は、日中双方の国内調整がまだついていないからであると 報じられた78。
おそらく胡錦濤の国内説得が働いたのか、6 月 18 日、日中両政府 は東シナ海での協力について共同プレスを発表し、境界問題を棚上 げして共同開発の具体案に関する最終合意に達した79。つまり、双方
おそらく胡錦濤の国内説得が働いたのか、6 月 18 日、日中両政府 は東シナ海での協力について共同プレスを発表し、境界問題を棚上 げして共同開発の具体案に関する最終合意に達した79。つまり、双方