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第一章 台湾における外来語

第三節 外来語の歴史

台日両国が初めて接した時期は江戸時代の頃である。日本は台湾のことを知って交流 をした時期もある11。その後、1840 年にアヘン戦争が起こった。だが、このとき正式な 交流はまだ始めていない。その後、1895 年の日清戦争の結果、台湾が中国から日本に割 譲され、台湾の各地に日本公学校が建てられた。そのときから、台湾ミンナン語の中に 大変多くの日本語が流入した。日本植民時期の言語教育は、三つの段階に分けられる12

一、対訳法の時期(1895-1897)。

二、母語(ミンナン語)による直接教授法の時期(1898-1912)。 三、日本語による直接教授法の時期(1913-1945)。

明治 38 年(1905)臨時台湾戸籍によると13、台湾家族集団単位はほぼ三百万人に日本 語を話せる人が 11﹐270 人もいて、台湾人の約 0.38%を占めた。その十年以後の 1915 年 には日本語を喋れる台湾人は 54,000 人くらいまで増え、台湾人口のおよそ 1.63%になっ た。つまり、日本統治時代のあいだに日本語ができる人の割合は急激に増加している。

以下の図 1 に日本植民地時代(1905 年から 1941 年まで)の日本語ができる台湾人の割合

10 柯惟惟(2008)『台湾における新日系外来語についての研究-『mina 米娜時尚國際中文版』の調査を通 して-」』南台科技大學應用日語系p.32

11 辻善之助(1930)『増訂 海外交通史話』内外書籍 慶長 14 年(1609)に、肥前有馬藩主有馬晴信は大御所・

徳川家康の内意を受けて、晴信の家臣千々石采女を偵察として台湾へ派遣した。

12 小川尚義(1993)『閩南語経典辞書彙編―日台大辞典』武陵出版 p.5

13 以下のデータは小川尚義(1993)による

を示す。

図 1 日本語が出来る人年代順内訳 資料:第一回台湾国勢調査結果 注 13 文献の p.9 の記述に基づく

図 1 からみると、驚いたのはたったの四十年くらいの間に日本語ができる台湾人が五 十倍にも大幅に増えていることである。

台湾語言学者吳守禮(1946)14によると、『知識人はほとんど台湾語を使うが、語彙の中に は数多くの日本語の単語と語法が混入していた。ほとんどの中年者が日本語の読み書き ができ、また日本教育を受けたために、日本語で物事を考えるようになった。、、、台湾語 の根本は揺れがなかったが、細かなところで変化した。さらに、若年層では日本語がで きるだけなく、台湾語ができないものさえおり、実質的に日本語から脱却しにくい』15と 述べている。つまり、日本人が日本教育を台湾に普及させた結果、日本語が浸透し、当 時の台湾人たちは、台湾語(客家語、原住民語を含む)だけではなく、日本語も少し喋 れるようになった状況もある。1945 年に第二次世界大戦が終了(すなわち日本の台湾植 民地統治の終了)して以降、台湾に移転して政権を握った国民党は戒厳令を施行し、国 語(北京語)教育の完全化と同時に、台湾語、客家語、日本語、先住民の言葉等の使用 を徹底的に禁止した。また、人民の自由も制限したため、台湾経済の発展は大きく後退

14 呉守禮(1946)『台湾人語言意識的側面観』台湾新生報 No.1. 5. 21.

15 陳麗君(2004)「台語中的日語借詞」南台應用日語學報 第 4 期 p74

したとの説もある16。なお、共通語が普及する以前の台湾では、複雑な民族構成と言語状 況が存在していたので、民族が違うと意思の疎通が難しかった。それが日本の台湾統治 時代になると日本語を共通語として、異民族間のコミュニケーションが取れるようにな った17。ゆえに、二二八事件のときに本省人側18は政府に占拠されている各施設へ大規模 な抗議行動を展開し、日本語や台湾語で話しかけて、答えられない者を外省人と認める と暴行するなどの自衛手段を行った。こんな時代が長く続いたが、ようやく 1987 年に戒 厳令が解除され、日本の大学を卒業した李登煇総統が選出されると日本と台湾の歴史が 再び流れはじめた。戦前の日本語教育世代に加え、若い世代にも日本文化に熱狂する哈 日族(ハーリーズー)19も出現し社会現象ともなっている20。今のコンビニといいコマー シャルといい商品に日本語のキャッチコピーをつけるのはもはや最優先の条件になった。

現在台湾の社会ではメディア影響のもとに知らず知らずのうちに外来語は身の回りに存 在していることに気がついた。それほど違和感と抵抗感を感じないまま21、我々の周辺に どのように外来語が浸透しているのか論じたい。

16 台北二二八記念館より

17 若林正大(1998)「もっと知りたい台湾」弘文堂 p.26-27

18 もともと本省人とは父祖の本籍地に住んでいる人を意味し、他省から来た人を 外省人というわけである。

19「哈日」とは一般的台湾語に音訳してきた言葉である。「哈日」と「哈日族」は違う地域と言語文化の翻 訳されることは実は特別な文化現象と考える。「哈日族」、つまりハーリーズは日本語さえ外来語になり、

台湾語の発音が日本語の五十音で発音して、カタカナのローマ字で訳されたharizu (Japan-crazy tribe)

20 同注 2

21 日本の漢字語の移入については、違和感・抵抗感が全くなかったわけではなく、一部の知識人から安易 に日本風の漢字語を使う風潮に対する批判も出ていた。このについては、沈国威著(1994)「近代日中 語彙交流史―新漢語の生成と受容」笠間書院p.50-56

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