本章では、第 2 次安倍内閣において、これまでのところ官邸主導 で 経済政策が 順調に決定 されている のはなぜか 、その理由 につい て 検討する。
1 自民党の政策対立
民主党政権では、マニフェストの履行や消費増税の是非、TPP へ の 参加をめぐ って党内対 立が続き、 民主党に対 する国民の 信頼は 失
43 以上、「骨太の方針」の内容については、末崎毅「財政再建策、先送り 『国土強靱 化』は明記 骨太素案提示」『朝日新聞(朝刊)』2013 年 6 月 7 日、1 面、大日向寛 文・大津智義「骨太方針、痛み封印 経財会議が素案提示 年金・医療、見えぬ具 体策」同3 面、「(社説)財政再建 どこが『骨太』なのか」『朝日新聞(朝刊)』2013 年6 月 8 日、16 面、福山亜希・末崎毅「選挙意識し骨抜き 民間提言生きず 経済 政策閣議決定」『朝日新聞(朝刊)』2013 年 6 月 15 日、3 面、「経済再生策、痛み後 回し 骨太の方針・成長戦略を決定」同 7 面、前掲「経済財政運営と改革の基本方 針~脱デフレ・経済再生~」(平成25 年 6 月 14 日)。
44 大日向寛文・大津智義、前掲「骨太方針、痛み封印 経財会議が素案提示 年金・
医療、見えぬ具体策」。
われた。一方、第 2 次安倍内閣では、官邸主導で経済政策が決定さ れ ているにも かかわらず 、党からの 抵抗は目立 たず、自民 党はよ く まとまっているように見える。
もっ とも 2009 年の政権交代前には、自民党も党内対立が先鋭化 し 、国民の信 頼を失って いた。自民 党内では小 泉政権末期 から、 規 制 緩 和 や 金 融 緩 和 に よ り 景 気 を 回 復 さ せ 、 行 財 政 改 革 を 徹 底 す れ ば 、消費増税 は不要だと して、小泉 構造改革の 継続を主張 する「 上 げ 潮派」と、 市場主義的 改革には消 極的で、財 政再建のた めには 消 費増税が不可欠だと主張していた「財政タカ派」とが対立していた。
前 者を代表す るのが中川 秀直・竹中 平蔵で、後 者を代表す るのが 与 謝 野馨・谷垣 禎一であっ た。もっと も自民党の 一般議員の 多くは 、 再 選 を 最 大 の 目 的 と す る こ と か ら 、 公 共 事 業 費 の 増 大 を 望 み つ つ も 、消費増税 については 消極的であ った。ここ では彼らを 「古い 自 民党」と呼んでおく。
小泉純一郎首相は「骨太の方針2006」で、今後 5 年間の歳出削減 策 をまとめ、 消費増税は 先送りした 。自然増を 除く社会保 障費の 毎 年2200 億円削減も、この時に決まった45。2006 年 9 月に小泉の後を 継 いだ安倍は 、もともと 社会保障の 充実にも関 心があった ものの 、
「上げ潮派」の主張に沿った政策を展開した。
安 倍内閣 は、 当初は 高い 支持率 を得 ていた もの の、郵 政民 営化法 案 に反対して 自民党から 追い出され た造反議員 の復党を認 めたこ と で 支持率を急 落させた。 それ以後、 年金記録に 大量の不備 ・ミス が あっ たことが発 覚したこと (いわゆる 「年金記録 問題」、「 消えた 年
45 「骨太の方針 2006」の策定過程については、清水真人『経済財政戦記――官邸主導 小泉から安倍へ』(日本経済新聞出版社、2007 年)、上川龍之進「2005 年総選挙後に おける政策決定過程の変容」『選挙研究』22 号(2007 年)、54~68 ページ、を参照。
金 問 題 」)、 強 行 採 決 を 連 発 す る な ど 強 引 な 国 会 運 営 が 目 立 っ た こ と 、さらに閣 僚の不祥事 ・失言が相 次いだこと から、国民 の支持 を 失い、2007 年参議院選挙で自民党は大敗した。参院選直後は、安倍 は 首相辞任を 否定してい た。けれど も、持病を 悪化させ体 調を崩 し たことから、結局は首相辞任に追い込まれた。
小 泉内閣 末期 から安 倍内 閣にか けて は、景 気は 良かっ たも のの、
格 差 問 題 へ の 関 心 が 高 ま り 、 構 造 改 革 路 線 へ の 批 判 も 目 立 ち 始 め た。そこで2007 年 9 月に発足した福田康夫内閣以降、政策の方向性 は 変化する。 福田内閣は 、改革路線 を後退させ たと批判さ れるの を 恐れて、公共事業費の抑制や社会保障費2200 億円の削減は継続する も のの、社会 保障の機能 強化と財源 確保を検討 する「社会 保障国 民 会議」を設置した。しかし、「ねじれ国会」での民主党の抵抗に苦し み、福田は突然、辞任してしまう。
2008 年 9 月に発足した麻生太郎内閣では、さらに大きな政策転換 が なされた。 リーマン・ ショックに より世界金 融危機が発 生し、 日 本 も急激な景 気の悪化に 見舞われた ため、麻生 内閣は小泉 内閣が 決 定した 5 年間の歳出削減策を放棄し、景気刺激策として公共事業を 中 心とした巨 額の財政出 動を行った 。その一方 で、与謝野 馨経済 財 政 政策担当大 臣が中心と なって、持 続可能な社 会保障構築 と安定 財 源確保に向けた「中期プログラム」を策定した。そこでは、3 年以内 の 景気回復に 向けた集中 的な取り組 みにより経 済状況を好 転させ る ことを前提に、2011 年度から消費税率を段階的に引き上げる方針を 打 ち出した。 菅直人内閣 で経財相と して入閣し た与謝野の 下でま と められた「社会保障・税一体改革成案」は、この「中期プログラム」
が基になっている。
こ の麻生 内閣 の政策 に対 し、中 川秀 直や武 部勤 ら「上 げ潮 派」は 強く反発し、「麻生おろし」を画策した。麻生内閣は、麻生自身およ
び 閣僚の度重 なる失言や 失態、景気 の低迷によ る失業問題 の深刻 化 に より、支持 率が低下の 一途をたど ったのだが 、さらに、 この自 民 党内の内紛が、麻生内閣・自民党への支持を低下させた。その結果、
2009 年 8 月の総選挙で自民党・公明党は大敗し、政権を失うことに なった46。
2 アベノミクスの本質
ところが第 2 次安倍内閣では、少なくとも現時点では、こうした 政 策対立が顕 在化してい ない。これ は民主党政 権で消費増 税が決 定 さ れたことと 、安倍首相 が、自民党 内で対立の ある政策を すべて 取 り込んだ経済政策を打ち出したためだと考えられる。
野 田内閣 が消 費増税 を決 定して くれ たおか げで 、安倍 内閣 は消費 増税導入の是非を判断する必要がなくなり、「財政タカ派」対「上げ 潮派」・「古い自民党」という対立は生じなかった。一方で安倍は、
機 動 的 な 財 政 政 策 と 称 し て 公 共 事 業 費 を 大 幅 に 増 額 し 、「 古 い 自 民 党 」を満足さ せた。また 、大胆な金 融政策(と いうよりも 、大胆 な 金 融政策が実 現されると いう期待を 外国人投資 家に与えた こと) に よ り、円安を 引き起こし 、輸出企業 の収益を改 善するとと もに、 株 価 も上昇させ た。これに より国民に 景気回復感 を与えるこ とで、 内 閣 支 持 率 を 上 昇 さ せ る こ と に 成 功 し た 。 そ し て 支 持 率 が 高 い う ち に、「聖域」をア メリカに認 めさせたと 称して、「古い自民党」 か ら は反対の多いTPP 交渉への参加を決めた。さらに TPP への参加にく
46 安倍内閣・福田内閣・麻生内閣の政治過程については、上杉隆『官邸崩壊――安倍 政権迷走の一年』(新潮社、2007 年)、読売新聞政治部『真空国会――福田「漂流政 権」の深層』(新潮社、2008 年)、清水真人『首相の蹉跌――ポスト小泉 権力の黄 昏』(日本経済新聞出版社、2009 年)、読売新聞政治部『自民党崩壊の 300 日』(新潮 社、2009 年)などを参照。
わ えて、民間 投資を喚起 する成長戦 略を実施す るとして、 竹中平 蔵 ら を産業競争 力会議に参 加させるこ とで、徹底 した規制緩 和を求 め る構造改革派および経済界の期待にも応えた。もっとも、「古い自民 党 」や既得権 益団体の反 発を引き起 こすような 大胆な規制 改革は 先 送りした。
つまりアベノミクスとは、「上げ潮派」にも「古い自民党」にも「い い顔」をすることで、党内をまとめることができる政策なのである。