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海洋権益の擁護と軍隊―あいまいな戦略方針と強 硬化する戦術

本章では、 海洋権益の 擁護と軍隊 の関係につ いて、海洋 権益擁 護 の体制、海洋権益をめぐる日本との摩擦について分析する。

1 海洋権益擁護の体制

海洋権益の擁護は、解放軍の任務として、2002 年 12 月に公表され た 「国防白書 」で初めて 明記された 。これは、 海洋に関す る権利 、 す なわち領土 、領海、排 他的経済水 域、大陸棚 に関する権 利とそ こ か ら生じうる 利益を擁護 するという ものである 。ここで、 実行部 隊 と して運用さ れるのが、 海洋権益の 侵犯などを 取り締る巡 視船と し て の国家海洋 局の海監総 隊、漁業権 益保護の監 視船として の農業 部 漁 業局下の漁 政総隊であ る。こうし た海洋警備 ・安全の業 務(海 防 業務)を協調する機関としては、国務院と中央軍事委員会の統率(領 導)を受ける協議協調機関として、国務院に国家辺防委員会が1991 年5 月に設けられている。2005 年には、名称が国家辺海防委員会に 変 更され 、海 防を重 視す る姿勢 が示 された 。同 委員会 主任 は、2002 年の16 回党大会以降、周永康・中央政法委員会副書記(政治局委員)

が兼任していたが、2007 年の 17 回党大会以降は、梁光烈・国防部長 が 務めている 。なお、同 委員会の弁 公室主任は 、従来から 総参謀 部 作戦部長が務めている。同委員会は、17 回党大会以降は上述のとお り 、トップは 、軍人とな り、政策に 軍の意向が より反映し やすく な っ ているもの と思料され る。また、 トップのポ ストと事務 機関を 解 放 軍が掌握す ることで、 非解放軍機 関との協調 事務が容易 になり 、 辺 海 防 業 務 に つ い て は 従 前 に 比 べ て 執 行 力 が 高 ま っ た と 思 料 さ れ る。

2 海洋をめぐる日本との摩擦

この時期、日本との間では、2007 年 12 月の福田康夫総理の訪中、

2008 年 5 月の胡錦濤・国家主席の訪日があり、日中の政治関係が良 好 に推移する とともに、 排他的経済 水域の境界 について不 一致な ど に よる東シナ 海のガス田 開発の問題 でも、共同 開発をめぐ る交渉 が

進められていた。胡錦濤訪日の翌月の 2008 年 6 月 18 日、日中両国 は、東シナ海でのガス田開発について合意に達している51

こ のよう にみ ると、 海洋 権益を めぐ る不一 致に ついて は、 中国に は 外交による 問題の処理 が進められ る方針があ ったように も見受 け られるが、08 年 6 月の「東シナ海での合意」の一ヶ月後の 7 月 22 日、日中外相会談で、日本側が求める合意の内容の「国際約束締結」

の協議について、楊潔箎・外交部長は、「合意を履行していくために 両 国国民によ る幅広い理 解と支持が 必要である 」と述べ、 国民の 支 持 という前提 条件を設け て、直ちに は協議に応 じない立場 を明ら か にしている52。このように、中国は、東シナ海の合意をいわば「棚上 げ」にするとともに、尖閣諸島の12 カイリ内海域への公的船舶の進 入を行った。同年12 月、国家海洋局の海監船(海監総隊所属)が、

尖閣諸島(台湾では釣魚台と呼称、以下同じ)の12 カイリ内に約 9 時間、進入した。国家海洋局は、2006 年後半から、南シナ海、東シ ナ 海などの中 国の権益主 張海域での 海監船の巡 視を順次定 期化し た としている。また、2010 年 9 月、同諸島近海で日本の海上保安庁の 船 舶と中国漁 船が衝突し 、漁船の船 長が日本側 に逮捕され た事件 の 後 は、漁政船 (漁政総隊 所属)が同 諸島近海へ の航行を「 常態化 」 したとして、同諸島の接続水域付近を複数回航行し、12 カイリ内に 進入もしている。

こ うした 海洋 をめぐ る日 本との 緊張 は、軍 事面 でも表 面化 した。

東シナ海では、2008 年 10 月、ソブレメンヌイ級駆逐艦など 4 隻の艦 隊 が、日本海 から津軽海 峡を経て、 太平洋へ航 行した。中 国軍の 水

51 「東シナ海における日中間の協力について(日中共同プレス発表)」外務省、

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/higashi_shina/press.html。

52 「日中外相会談(概要)」外務省、http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/g_komura/asean_

08/jch_gk.html。

上艦艇が日本海から津軽海峡を越えたのは初めてであった。2009 年 6 月、ルージョウ級駆逐艦など 5 隻の艦隊が、第一列島線(九州から 沖 縄、台湾、 フィリピン などを結ぶ 線)を越え 、沖の鳥島 周辺ま で 航行した。2010 年 4 月には、ソブレメンヌイ級駆逐艦など 10 隻の艦 隊 が、第一列 島線を越え 、沖の鳥島 周辺まで航 行した。途 中、警 備 活 動をした自 衛隊の護衛 艦に中国軍 のヘリが数 十メートル の距離 ま で接近するということもあった。2010 年 7 月には、ルージョウ級駆 逐艦など 2 隻の艦隊が、第一列島線を越え、西太平洋に航行してい る。こうした軍事プレゼンスの増大には、2007 年の 17 回党大会で は 、胡錦濤主 席が海軍に 対して、近 海総合作戦 能力の向上 と、遠 海 防 衛型への転 換をはかり 、遠海機動 作戦能力を 向上するこ とを求 め たことが背景にあると思料される53

【評 価】

上 述の とおり 、尖 閣諸島 や東 シナ海 に関 する中 国の 行動は 、2008 年 6 月の「東シナ海のガス田開発合意」時の立場とは、大きくかい 離 していると 受け取れる 。これは、 同合意に内 容に、中国 側で不 満 が 上 が っ た こ と と も 関 係 が あ る と 思 料 さ れ る 。 合 意 内 容 に つ い て は 、日中が共 同開発で合 意した区域 (日本名: 翌檜(あす なろ) ガ ス 田の付近) の半分は、 日本が主張 する境界線 (日本は権 原とし て は 200 カイリを主張)である中間線より西側を含む。つまり、中国 の みが、本来 、自国の「 主権」管轄 下にある非 紛争海域を 共同開 発 地 域として認 めている。 これは、ガ ス田の白樺 (中国名: 春暁) を 協 力開発(日 本側の出資 参加)とし て「主権」 を確立させ たこと と 不 一致が生じ ているよう に受け取れ る。中国側 で、日本に 対して 、 海 洋権益を一 層擁護する ことを主張 する意見が 受け入れら れやす い

53 「人民海軍戰略史轉變」『瞭望新聞週刊』(北京)、2009 年 4 月 20 日、頁 36。

状況が生じたと言える。

このほか、中国の尖閣への航行には、2008 年 6 月 10 日、尖閣諸島 の12 カイリ内の海域で、日本の海上保安庁の船舶と衝突し、沈没し た 台湾の釣り 観光船「聯 合号」の船 長に、海上 保安庁が謝 罪し、 賠 償 金の支払い を認めたこ とが遠因に なっている と思料され る。こ の 日本の謝罪と賠償は、中国にとっては、尖閣諸島の12 カイリ内へ航 行 し、類似の 事案が発生 した場合の 前例となり うると解釈 された 可 能性が考えられる。

( 東シナ 海の )海洋 権益 擁護の ため の戦略 方針 は、公 的船 舶が尖 閣の12 カイリ内海域に入った、2008 年後半に明らかに変化を生じて いる。2010 年 9 月に発生した日本との漁船衝突事件をめぐる対立と 船 長釈放後の 摩擦は、上 述した米国 との関係改 善策の後に 生じて い る 。同事件に ついて軍が 強硬的な姿 勢を採った か否かは不 分明で あ る 。ただし、 米国との軍 事・安全保 障問題と尖 閣をめぐる 日本と の 関 係は、国防 上、文脈が 異なるほか 、後者の重 要度は低い と思料 さ れ る。軍とし ては、5 中全会に先駆けて、梁光烈・国防部長が、10 月11 日にハノイで、北沢俊美・防衛大臣との「懇談」に応じるとと も に、中日防 衛交流の再 開、推進に 、国民の感 情(の好転 )など の 条件を付けながらも、前向きな姿勢を示すなど54、比較的「合理的な」

対応を示している。

組 織の構 造上 、外国 との 摩擦を 辞さ ずに、 海洋 権益の 擁護 を主張 す る関係部門 は、軍隊や 軍が事務機 関を務める 辺海防の関 係部門 で あ るとは限ら ない。メデ ィアで見受 けられる論 調からは、 国際法 の 研究者、宣伝部門、戦略研究部門などの存在も垣間見える。ただし、

54 「日中防衛相による懇談(概要)」防衛省、http://www.mod.go.jp/j/press/youjin/2010/

10/11_02_02.html。

最 高 司 令 で あ る 党 中 央 の 戦 術 指 示 の 内 容 が 仮 に 、 具 体 的 で な け れ ば 、軍を含め た海洋権益 の擁護を職 責とする執 行部門及び 、その 執 行 者たちは、 擁護関連活 動を「神聖 視」するで あろう。執 行部門 の 指 導グループ は、政策の 執行過程で は、組織と して一体化 して強 硬 な 対応に出る であろうし 、中間組織 (軍及び辺 海防関係機 関)の 言 動 には一貫性 がなくなり 、中央から 地方までの 各層の関係 組織は 、 雷 同はしても 、自律的に 協調するこ とは容易で はない。こ れは、 対 外 対応が各部 門によって 個別的に強 硬化される 構図である 。実際 に は、「国家主権、安全(核心利益)の擁護」という政策変化(戦術)

が 、小康社会 の全面的建 設などの国 家発展戦略 における対 外関係 と の 関連を明確 にしないま ま、関係部 門に広範に 共有された 可能性 が あると思料される。

八 結論

本稿では、 胡錦濤時期 の中国の軍 事・軍隊政 策について 、主に 以 下の内容について分析論述を行った。

胡 錦濤軍 事指 導部は 、中 央軍事 委員 会の主 要ポ ストを 江沢 民時期 と 同様の系列 の人物に任 せるなど、 その権力基 盤は安定し ていた 。 解 放軍が担う 戦略的任務 の重点を戦 争勝利能力 から「調略 能力」 に

胡 錦濤軍 事指 導部は 、中 央軍事 委員 会の主 要ポ ストを 江沢 民時期 と 同様の系列 の人物に任 せるなど、 その権力基 盤は安定し ていた 。 解 放軍が担う 戦略的任務 の重点を戦 争勝利能力 から「調略 能力」 に

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