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胡錦濤時代の中国の軍事・軍隊政策 胡錦濤時期的中國軍事與軍隊政策

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胡錦濤時代の中国の軍事・軍隊政策

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坪 田 敏 孝

(未来工学研究所前主任研究員)

【要約】

胡 錦濤軍 事指 導部は 、中 央軍事 委員 会の主 要ポ ストを 江沢 民時期 と 同様の系列 の人物に任 せるなど、 その権力基 盤は安定し ていた 。 解 放軍が担う 戦略的任務 の重点を戦 争勝利能力 から「調略 能力」 に 拡 大している 。軍の「歴 史的使命」 など新たな 役割は、軍 の政治 的 影 響力の拡大 につながっ た。政治工 作の特徴は 、制度規定 の充実 に 力 が入れられ た。台湾政 策は、早期 統一から反 台湾独立へ 重点を 転 換した。「国家主権、安全、発展の利益」の擁護などの方針によって、 2010 年に顕在化した米国との軍事対立については、胡錦濤が処理に 直接あたるなど、中央の強いイニシアティブが存在した。17 期 5 中 全 会では、小 康社会の全 面的建設が 最重視され 、強硬であ った対 外 政 策が調整さ れた。海洋 安全と警備 を職責とす る国家辺海 防委員 会 は 、トップが 軍人であり 、政策に軍 の意向がよ り反映しや すくな っ ている。 キーワード:胡錦濤軍事指導部、軍事戦略と調略能力、「国家主権、 安 全 、 発展の 利 益 」の擁 護 、 小康社 会 の 全面的 建 設 、 国家辺海防委員会

1 本文の内容は、筆者個人の見解をまとめたものである。

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一 はじめに

中国共産党総書記の胡錦濤は、2004 年 9 月、中国の軍事指導のト ッ プ ポ ス ト で あ る 党 中 央 軍 事 委 員 会 主 席 職 を 江 沢 民 か ら 受 け つ い だ。その後、最高軍事指導者の地位にあった胡錦濤は、2012 年秋に 開催される第18 回党大会で、総書記を退任するとみられている。中 国 の軍事政策 については 、その情報 の少なさ、 言語や知識 などの 専 門 性の高さな どから、日 本など非中 国語圏では 、国際政治 、安全 保 障 、日中関係 の論者の間 でも十分な 分析をする ことは容易 ではな い と みられてい る。本稿で は、こうし た中国軍事 をめぐる分 析の必 要 性 を 踏ま えた う えで 、胡 錦 濤の 軍事 委 員会 主席 就 任か ら本 年 (2011 年)までの約 7 年間の中国の軍事・軍隊政策について、軍事指導部 の 権力構造、 軍事戦略、 解放軍に関 する政策、 台湾政策と 軍隊、 対 外 関係と軍隊 、海洋権益 擁護と軍隊 などの側面 からその諸 特徴を 公 開文献を基に明らかにし、かつ評価分析を行う。

二 軍事指導部の権力構造

本章では、中国の軍事指導部の権力構造について、人事配置から、 権力の安定性を分析する。 中 国の軍 事指 導部は 、中 国共産 党中 央軍事 委員 会であ る。 メンバ ーは、胡錦濤主席と筆頭副主席の習近平を除き、他の副主席 2 名と 委員 8 名は、現役軍人である。胡錦濤・現軍事指導部と前代の江沢 民 ・軍事指導 部の一致点 は、作戦将 校と政治将 校の幹部に 、同じ 部 門 で の 勤 務 経 験 を 有 す る 人 物 を 重 用 し て い る こ と で あ る 。 江 沢 民 は、1992 年の第 14 回党大会以降の 10 年間、傅全有・総参謀長と于 永 波・総政治 部主任を重 用してきた が、胡錦濤 ・軍事指導 部でも 傅 全 有と于永波 の元部下が 主要なポス トに就いて いる。傅全 有の蘭 州

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軍区司令員時代(1990 年~92 年)の部下では、郭伯雄が軍事委員会 副 主席として 、筆頭副主 席の習近平 を補佐し、 同委員会の 日常業 務 を 担当してい るとみられ る。また、 同様に、蘭 州軍区出身 で、傅 全 有 、郭伯雄の 部下であっ た常万全が 総装備部長 (兼中央軍 事委員 ) を務めている。于永波の総政治部主任時代(1992 年~2002 年)の部 下 では、徐才 厚が政治工 作の担当と して軍事委 員会副主席 を務め て いる。 胡 錦濤・ 軍事 指導部 が、 江沢民 時期 と異な る点 は、中 央軍 事委員 の数が4 名から 8 名に増えていることである。このうち、3 名は、海 軍 、空軍、第 二砲兵とい った陸軍以 外の三軍種 の司令員が 、胡錦 濤 が軍事委員会主席に就任した、2004 年 9 月の 16 期 4 中全会以降、中 央軍事委員を兼ねるようになっている。あと1 名は、2007 年 10 月の 17 回党大会以降、国防部長が、従来、就いていたポストが軍事委員 会 の副主席か ら委員へと 「格下げ」 となったこ とによる。 ポスト の ランクでみれば、海軍、空軍、第二砲兵の司令員は、従来、「正大軍 区職」(大軍区司令員など)とされていたが、中央軍事委員となった こと で、「副国家 領導職」(国 務委員級) 並みとなっ ている。こ う し た措置によって、これら司令員 3 名の忠誠度は、従来より高まって いると思料される。 【評 価】 胡錦濤軍事 指導部は、 軍事委員会 副主席とい う主要ポス トを江 沢 民 時期と同様 の系列の人 物に任せる とともに、 陸軍以外の トップ も そ のメンバー シップに加 え、全体と しての忠誠 心を高める など、 そ の権力基盤は安定していると思料される。

三 軍事戦略

続いて、軍事政策の指針となる軍事戦略について分析する。

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中国では、2004 年 6 月、中央軍事委員会拡大会議が開催され、「我 が 軍の新時期 新段階にお ける軍事戦 略方針の充 実、完全化 」が採 択 された。同「方針の充実、完全化」の内容には、「機械化と情報化の 複 合式発展を 堅持し、中 国特色の軍 事変革を積 極的に推進 し、我 が 軍 の抑止と実 戦能力を全 面的に向上 させる。情 報化条件下 の局部 戦 争 に勝利する ために、一 体化共同作 戦を実施す る」などが 明記さ れ ている2 軍事戦略の定義については、「中国の積極防御の軍事戦略は、総合 国 力を基礎と し、情報化 条件下の局 部戦争に勝 利すること を基点 と し 、国家の安 全と発展の 利益を擁護 することを 根本目標と し、国 防 力 量、特に軍 事力量の建 設と運用を 指導し、戦 争に対し、 全局、 全 過程の計画運用と指導を準備し、実施する方略である」としている3 つ まり、生じ うる戦争を 「情報化条 件下の局部 戦争」と想 定して い る 。具体的な 戦争として は、対台湾 戦を主にと らえている と思料 さ れる。1993 年の中央軍事委員会拡大会議では、今後の軍事闘争の重 点 を、台湾で 独立事変が 生じること を防ぐこと としている 。この 軍 事闘争は、「軍事抑止力を発揮して、台湾独立を封じ込め、平和統一 を促進する」とされ、いわば、不戦による闘争が規定されているが、 「同時に、軍事上、変事対応の準備をしっかりやる」とされている4 2008 年の国防白書では、「(軍事戦略)方針は、危機と戦争の抑止を 重視する」とされた5。これについては、戦略指導の重心が、戦争の

2 吳銓敘『跨越世紀的變革』(北京:軍事科學出版社、2005 年)、頁 161~162。 3 李継耐主編『新世紀新階段國防和軍隊建設』(北京:人民出版社、2006 年)、頁 100。 4 江澤民『江澤民文選(第一巻)』(北京:人民出版社、2006 年)、頁 288~289。 5 國務院新聞辦公室「2008 年中國的國防」『解放軍報』(北京)、2009 年 1 月 21 日、第 1 版~第 3 版、http://www.gov.cn/jrzg/2009-01/20/content_1210075.htm。

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発 生 の 抑 止 か ら 、 危 機 と 戦 争 の 抑 止 に 転 換 し た と さ れ て い る6。 ま た、「国防力量、特に軍事力量の建設と運用を指導」は、指揮作戦、 教育訓練、動員、法制、宣伝、政治工作、後方勤務、装備開発など、 広範な内容を含む。このうち後方勤務については、胡錦濤時期には、 「 軍民融合」 が強調され ることが多 くなった。 いわば、解 放軍の 必 要 とする物資 やサービス を独自に生 産配備する のでなく、 市場な ど 「 社会」から 調達するも のである。 その他の内 容について は、他 の 章節で触れる。 【評 価】 戦略指導の 重心に、危 機の抑止が 置かれるこ とは、孫子 の兵法 の 「戦わずして勝つ(戦略)(百戰百勝、非善之善者也、不戰而屈人之 兵、善之善者也)」を規定したものと言える。情報化戦争の時代にな り、解放軍が担う戦略的任務の重点を戦争勝利能力から「調略能力」 に拡大させていることの証左である7

四 解放軍に関する政策

本章では、 解放軍に関 する政策と して、①役 割の付与、 ②政治 工 作、などを分析する。 1 新たな役割の付与 胡錦濤軍事 指導部では 、戦争を戦 うという中 心的役割の ほかに 、

6 白書の執筆者である陳舟・軍事科学院研究員の発言。『國防白皮書公開闡述新時期積 極軍事戰略方針』新華網、2009 年 1 月 20 日、http://news.xinhuanet.com/newscenter/ 2009-01/20/content_10689962.htm。なお、軍事戦略の指導(思想)については、以下 を参照;坪田敏孝「中国の安全保障政策の分析」『問題と研究』(2010 年 7,8,9 月号)。 7 中国では、調略一般を「瓦解工作」と称する。政治、世論、経済、心理、情報、謀 略などに区別されている。李而炳編『瓦解戰』(北京:解放軍出版社、2010 年)。

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多くの役割が解放軍に付与された。胡錦濤主席は2004 年 12 月、中 央 軍事委員会 拡大会議で 、人民解放 軍に対して 「新世紀新 段階の 歴 史的使命」を提起した。「新使命」とは、①党の強固な執政地位のた め に重要な力 量保障を提 供、②国家 発展の重要 な戦略チャ ンス期 に 強 固な安全保 障を提供、 ③国家利益 を擁護する ために有力 な戦略 支 援 を提供、④ 世界の平和 を擁護し、 共同発展を 促進させる ために 重 要な役割を発揮―することとされる8。②の内容は、国防以外の解放 軍 の職能を拡 大したもの である。③ については 、海洋、宇 宙、電 磁 空間での安全の擁護という任務が新たに加えられた9。職能の拡大、 業務の増加は、解放軍の人員、予算など資源増加につながる。また、 こ れと同時に 諸政策に関 与する機会 も増え、非 軍事の政策 決定過 程 で の軍隊・軍 人のアクタ ーとしての 地位が向上 したことが 推察さ れ る。 また、胡錦濤主席は、2005 年 12 月の中央軍事委員会拡大会議で は 、軍に対し て、多様化 軍事任務を 完成する能 力の向上を 求めた 。 こ の多様化軍 事任務の完 成能力の核 心は、情報 化条件下の 局部戦 争 に 勝利する能 力とされる 。同時に、 海洋、宇宙 、電磁空間 での安 全 を 擁護する能 力、反テロ 安全擁護、 災害救助、 国家権益の 擁護、 安 全 保衛警備、 国際平和維 持活動、国 際救援活動 などの任務 を遂行 す る能力を含むとされる10。胡錦濤時代には、このように軍の職能が拡 大 された。情 報化戦争か ら災害救助 まで、様々 な能力を持 つ部隊 と

8 「黨的軍事指導理論與時俱進國防和軍隊建設邁進科學發展軌道」『人民日報』(北 京)、2008 年 10 月 11 日、第 4 版。 9 程堅・莫軍・藍立清「黨的軍事指導理論重大創新」『解放軍報』(北京)、2005 年 9 月 27 日、第 7 版。 10 程堅・莫軍・藍立清「養兵千日、用兵千日―論提高我軍完成多樣化軍事任務的能力」 『解放軍報』(北京)、2006 年 5 月 23 日、第 10 版。

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機関が整備されることになった。2010 年 7 月 19 日には、サイバー戦 を 担 当す ると み られ る信 息 保障 基地 が 総参 謀部 に 設け られ た 。2011 年 11 月 23 日には、軍の各軍種、あるいは各部門の資源配分調整と 全 軍の戦略計 画策定を担 当する機関 として戦略 規画部が総 参謀部 に 設 けられた。 同部の設立 は、軍各部 門がもとも と自律性が 高いと い う 性質がある 上、上述の 職能拡大に よって、こ うした性質 がより 顕 著 になったこ とから、軍 全体の統合 機能を強化 する必要が 生じた た めとも思料される。軍は 230 万人という定員を維持しつつ、年齢が 中 年期以上の 将兵の退役 を進めると 同時に、こ れら多様化 軍事任 務 能 力を担当し うる高学歴 の将兵の導 入を一層進 め、海空軍 、第二 砲 兵の将兵の比率を陸軍に対して逐次増加させた11 2 政治工作、解放軍法規など組織策 また、 政治 工作、 解放 軍法規 など 対内組 織策 も充実 させ た。2010 年1 月には、中央軍事委員会が、「新形勢下の軍隊の党の建設を強化 し 、改善させ ることに関 する意見」 が、発布さ れたと報じ られた 。 同意見は、17 期 4 中全会の「新形勢下の党の建設を強化し、改善さ せ る若干の問 題に関する 中共中央の 決定」を受 けて、マル クス主 義 学 習型党組織 の建設、軍 隊党内民主 の発展、基 層党組織の 強化、 反 腐敗工作などに取り組むことが定められた122010 年 9 月には、「中 国人民解放軍政治工作条例」が修正されたことが公表された13。政治

11 2003 年から 05 年に行われた 20 万人の兵員削減では、陸軍は 13 万人が削減され、同 軍種の全体比は1.5%低下した。國務院新聞辦公室「2006 年中國國防」『解放軍報』 (北京)、2006 年 12 月 30 日、第 1 版~第 3 版。 12 「中央軍委下發關於加強和改進新形勢下軍隊黨的建設的意見」『解放軍報』(北京)、 2010 年 1 月 4 日、第 1 版。 13 「新修訂得《中國人民解放軍政治工作條列》頒布」『解放軍報』(北京)、2010 年 9 月

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工 作 と は 、 社 会 主 義 政 党 が 自 ら 指 導 す る 軍 隊 に 対 し て 行 う 思 想 教 育 、組織制度 運用などを 指し、同条 例には、政 治工作の規 範とな る 規 定が明記さ れている。 同条例は、 胡錦濤総書 記が唱えた 科学的 発 展 観が解放軍 建設と政治 工作の重要 指導方針で あることが 明記さ れ た。2010 年 12 月 29 日には、幹部の腐敗防止措置などを定めた「軍 隊党組織実施党内監督的規定」(試行版)の発布が公表された14。ま た、2007 年に軍の団級(連隊)以上の単位に設立された政法委員会 についての規定が明記された。2011 年 2 月には、「中国共産党軍隊党 委員会工作条例」が修正されたことが公表された15。同条例は、解放 軍 の中の党委 員会の組織 制度などを 定めたもの である。な お、解 放 軍 において党 委員会は、 旅(旅団) 級以上の単 位に置かれ るが、 旅 以 下で 連(中 隊) 以上の 単位 には、 党支 部が置 かれ る。2005 年 12 月 には、党支 部の職責や 領導関係を 定めた「中 国共産党解 放軍支 部 工作条例」が策定されたことが公表された。2007 年 3 月には、会計 規則について定めた「中国人民解放軍審計条例」(修正版)が施行さ れている。2010 年 2 月には、全人代常務委員会で、国防動員の指導 機 関 と 職 権 、 国 防 動 員 計 画 な ど の 規 定 を 定 め た 国 防 動 員 法 が 成 立 し、同年 6 月に施行されている。同委員会の主任は、温家宝総理が 務め、同委員会の具体的な業務は、国家発展改革委員会、総参謀部、 総後勤部が共同で行っている16 なお、2006 年には、軍人の給与引き上げが行われた。平均引き上

14 日、第 1 版。 14 「中央軍委印發《軍隊黨組織實施黨內監督的規定(試行)》」『解放軍報』(北京)、 2010 年 12 月 30 日、第 1 版。 15 「新修訂的《中國共產黨軍隊黨委員會工作條例》頒布」『解放軍報』(北京)、2011 年 2 月 12 日、第 1 版。 16 「人大常委會第十三次会議閉幕」『人民日報』(北京)、2010 年 2 月 27 日、第 1 版。

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げ率は24%で、引き上げは 1997 年以来であった17。その後、2009 年 には約2 倍の給与引き上げを行っている。2006 年の段階で、北京市 な ど大都市の 公務員と解 放軍の幹部 の給与は、 二倍以上開 いてい た と され、その 後の給与引 き上げは、 軍人の士気 や忠誠心の 維持向 上 に有利にはたらいたと思料される。 【評 価】 「歴史的使 命」という 新たな役割 は、軍の政 治的影響力 の拡大 に も つながった ものとみら れる。同時 に、軍内で も、様々な 担当部 門 の 資源増大に つながり、 統一組織体 としての意 思の統合が 今まで 以 上 に困難にな った可能性 もある。つ まり、対外 関係などで は、一 部 の 意思や複数 の意思が表 面化する可 能性も内包 するように なった と 言 える。この ことは、党 にとっては 、政治工作 の重要性が 増すこ と に なったと思 料される。 これに関連 して、江沢 民時代は、 党の政 策 方 針の教育学 習が重点で あった政治 工作が、上 述したよう に胡錦 濤 時期では、制度規定の充実に力が入れられたとの特徴が指摘できる。

五 対台湾政策と軍隊

本 章では 、対 台湾政 策と 軍隊に 関係 につい て分 析する 。中 国にと っ て、通常戦 争としての 軍事力の使 用の可能性 が最も高い 対象は 台 湾である。台湾では、2004 年 5 月から 08 年 5 月までは、独立志向と みられる民進党の陳水扁総統が政権を担った。陳総統は、04 年 5 月 の総統就任演説で、任期中の新憲法制定の計画を明らかにした18。中 国 側は、こう した動きを 「法理上の 独立」を企 図するもの として 批

17 「中國軍隊謹慎加薪」鳳凰網、2006 年 8 月 17 日、http://news.ifeng.com/opinion/detail_ 2006_08/17/1318675_0.shtml。 18 「 中 華 民 國 第 十 一 任 總 統 副 總 統 就 職 慶 祝 大 會 」 中 華 民 國 總 統 府 官 網 、 http://www.president.gov.tw/Default.aspx?tabid=131&itemid=9453&rmid=514。

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判した19。中国は、2005 年 3 月 14 日には、台湾の独立に対し、非平 和 手段(武力 行使を含む と思料)を 採ることを 規定した反 国家分 裂 法を制定させている。 中 国は同 時期 、独立 を支 持しな い台 湾の政 府民 進党以 外の 各勢力 などとは、交流増進に務めた。2005 年 4 月 29 日、胡錦濤総書記は、 訪 中した国民 党の連戦主 席との間で 、両岸関係 の交流項目 などを 規 定した「両岸関係共同願景(展望)」で合意し、同願景で今後の中台 関 係を「平和 発展」と位 置付けた。 こうした台 湾野党など 各界と の 交 流促進策は 、軍内から 出たもので 、軍事委員 会の決裁を 経て、 党 中央へ提出され、採用されたとされる20。非戦争手段による敵の瓦解 は、1930 年代以来の人民解放軍(紅軍)の政治工作の主要な内容で もある21。野党との交流は、台湾当局に対する心理瓦解戦、台湾住民 に対する世論瓦解戦の側面を含むと思料される。 陳 水扁政 権の 「法理 上の 独立」 措置 には、 依然 として 警戒 を続け たが、2004 年末の台湾の立法院選挙で、民進党など与党勢力が憲法 改 正に必要な 四分の三の 議席を得ら れなかった こと、米国 が台湾 独 立への反対を明言したことなどにより、「独立路線」の推進は容易で はないと評価したようである。中国は、2005 年 8 月から、米国との 間 で、戦略対 話の枠組み 協議を開始 し、国際問 題での戦略 協調を は かり始めていた。2008 年 5 月、台湾で、独立を支持しない国民党の 馬 英九政権が 発足すると 、中台は、 窓口機関協 議を再開し 、両岸 関 係 は、陳水扁 政権時代の 緊張が緩和 し、直接通 航、通商な ど経済 交

19 「中台辦、國台辦就陳水扁終止“國統會”“國統網領”發表聲明」新華網、2006 年 2 月 28 日、http://news.xinhuanet.com/tai_gang_ao/2006-02/28/content_4237886.htm。 20 劉亞洲・空軍副政治委員の提議とされる。於石坪『新太子軍』(明鏡出版社、2010 年)、頁227。 21 注 7、前掲書。

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流が大きく発展している。中国は、胡錦濤総書記が2008 年 12 月 31 日に行った講話では、軍事問題での接触交流まで呼び掛けている22。 他方、非戦争手段の重視は、武力行使を実質上困難にするもので、 当 局をして台 湾統一とい うスケジュ ールを遅ら せる結果を 導いた 可 能性がある。共産党16 回党大会での政治報告では、統一は「必ず早 期に実現しうる」とされていたが、17 回党大会の政治報告では、「必 ず 実現しうる 」と変更さ れており、 従来以上の 長い時間が かかる と の 認識に至っ た可能性が ある。中国 は、台湾統 一の時期を 明示し て いないが、2011 年 10 月、胡錦濤・総書記は、「両岸関係の平和発展 は中華民族の偉大な復興の構成部分となっている」と述べた23。平和 発 展は統一の 前段階に位 置づけられ るため、統 一は「偉大 な復興 」 の実現の後に想定されていると理解できる。従前の解釈では24、「中 華 民族の 偉大 な復興 」の 実現は 建国 百年 の 21 世紀半ばとされてお り、こうした前提をとれば、台湾統一は2050 年以降に想定されてい ることになる。 【評 価】 中国の台湾 政策は、早 期統一から 反台湾独立 へ重点を転 換した 。 ま た、将来の 統一のため の台湾内部 の条件づく りとして、 台湾の 経 済 社会の中国 大陸への依 存度の上昇 と中国への 「反感情」 の解消 策 が採られている。これが2005 年の「願景」以来の「平和発展」策の 中 心である。 解放軍は、 この新政策 に従い、信 頼醸成など の両岸 の

22 「推手推進兩岸關係和平發展同心實現中華民族偉大復興」『人民日報』(北京)、2009 年1 月 1 日、第 2 版。 23 「胡錦濤在紀念辛亥革命 100 周年大會講話」『人民日報』(北京)2011 年 10 月 10 日、 第1 版。 24 「在慶祝中國共產黨成立八十周年大會上的講話」『江澤民文選(第三巻)』(北京:人 民出版社、2006 年)、頁 298~299。

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交 流措置を働 きかけよう としている 。同時に台 湾への武力 行使の 可 能 性が大きく 低下したこ とは、軍の 存在意義に 変化が生じ 、この 結 果 として第四 章で論じた 役割の見直 しを加速す る要因とも なった と 思料される。

六 対外関係と軍隊

本章では、 対外関係で の軍の新た な役割、外 国とのトラ ブルに お ける軍の関与、党中央の戦略方針及び党軍関係について分析する。 1 中央外事 工作会議― 戦略チャン ス期の擁護 による良好 な外部 条 件の創造 2006 年 8 月 21 日~23 日、中央外事工作会議が開催され、外事工 作 について「 重要な戦略 チャンス期 を擁護、活 用し、国家 主権、 安 全 、発展の利 益を擁護し 、改革開放 と社会主義 現代化建設 のため に 良 好 な 国 際 環 境 と 外 部 条 件 を 創 造 す る 」 こ と が 求 め ら れ た25。 全 軍 は、同年9 月 22 日、全軍外事工作会議を開催、曹剛川・国防部長が 講 話を行い、 中央外事工 作会議の内 容を学習し ている。こ れは、 第 三章で、上述した「新世紀新階段の歴史的使命」の内容でもある。 中央外事工作会議で述べられた「戦略チャンス期」とは、2002 年 の16 回党大会の政治報告で述べられたもので、①世界の多極化の趨 勢 によって中 国にとって 有利な国際 環境が得ら れる、②科 学技術 革 命 の発展によ って途上国 は、先進国 を追いかけ るチャンス と動力 が 得られる、③中国の世界貿易機関(WTO)加盟によって国際先進技 術 、資 金、管 理、 産業移 転な ど大き な発 展空間 を得 られる 、―こと

25 「中央外事工作會議在京舉行胡錦濤温家寶作重要講話」『人民日報』(北京)、2006 年 8 月 24 日、第 1 版。

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などがその特徴とされている26。また、当時、中国の一人当たり国内 総生産(GDP)は約 1,000 米ドルに達しつつあった。シンガポール、 マレーシア、韓国では、一人当たりGDP が 1,000 米ドルを超えたの は、1970 年代でその後、経済の急速な成長が実現している。また、 中国では当時、生産人口が2020 年代まで成長する見通しであった。 こうしたことから、その後の10 数年間は、韓国などのように経済の 高い成長が見込まれていた27 こうした戦略チャンス期がしばらく続くとの見通しの下、16 回党 大会の政治報告では、2020 年までに小康社会の全面的建設を実現す ることが定められた。経済目標では、2020 年の国内総生産(GDP) を2000 年の四倍増にすることが決められた。 2 2009 年の二つの会議―「国家主権、安全、発展の利益」を強調 2009 年 3 月 11 日、胡錦濤主席は、全人代の解放軍代表団会議で、 軍 に対して、 国家主権と 安全、領土 保全を防衛 し、発展の 利益と 社 会 大局の安定 のために強 大な力量の 支援と保証 を提供する ことを 求 めた28。主権などの防衛は、発展の利益と社会大局の安定への「支援 と保証の提供」と異なり、直接行為を求めているように理解される。 また、報道文をみる限り、「戦略チャンス期の擁護」は述べられてい な い。外事工 作会議の講 話とは異な り、国家の 現代化建設 とは切 り 離された形で、「主権や安全の防衛」が軍の内外に示された形となっ

26 「解讀“重要戰略機遇期”」新華網、2002 年 11 月 22 日、http://news.xinhuanet.com/ zonghe/2002-11/22/content_637414.htm。 27 「小康生活水平的基本標準」人民網、2002 年 11 月 19 日、http://www.people.com.cn/ GB/jinji/222/9520/9524/20021119/869961.html。 28 「全面提高履行新世紀新階段我軍歷史使命能力、努力開創國防和軍隊現代化建設新 局面」『解放軍報』(北京)、2009 年 3 月 12 日、第 1 版。

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た。 胡錦濤主席は、同年7 月 17 日~20 日に開催された第 11 回駐外使 節 会議でも、 外交関係者 に対し、外 交工作は、 改革発展の 安定大 局 を 強固にし、 発展させる こと、国家 主権、安全 、発展の利 益を擁 護 することに服務することを求めた。ここでは、「改革発展の大局」と 「国家主権と安全、発展の利益」が並列して述べられている29。中央 外事工作会議の講話と比較すると、対外関係において、「国家主権、 安 全、発展の 利益」に関 わる問題を 一層重視し 、その擁護 を強化 、 実現するように求めたものと理解される。この後、中国では、「国家 主 権、安全、 発展の利益 」を「国家 の核心利益 」と称する 例が見 受 けられるようになった。「戦略チャンス期」については、「2020 年ま でが、戦略チャンス期であることには変わりはない」としながら、「直 面 する挑戦に 変化が生じ ており、チ ャンスと挑 戦の弁証関 係を正 確 に 理解しなけ ればならな い。チャン スをつかみ 、挑戦を解 消し、 複 雑 な局面を管 理する能力 を高めなけ ればならな い」と述べ た。こ れ は 、 戦 略 チ ャ ン ス 期 の 存 続 に 多 少 の 困 難 が 生 じ て い る こ と を 指 摘 し 、その確保 を求めたも のであるが 、挑戦への 「果敢」な 取り組 み は 、安全保障 の領域で摩 擦が増大し かねない。 楊潔箎外交 部長は 、 2009 年の外交について、「外国などとの安全保障での闘争を強化し、 国家主権と安全保障の利益を防衛した」と総括している30。このよう な動きは、戦略チャンス期も動揺させる契機を現出させた。 なお、同駐外使節会議では、「才能をひけらかさないこと(中国語: 韜 光養晦)を 堅持し、積 極的に為す べきことを する(有所 作為) こ

29 「第十一次駐外使節會議在京召開」『人民日報』(北京)、2009 年 7 月 21 日、第 1 版。 30 「亮點突出、成果顯著」『人民日報』(北京)、2009 年 12 月 14 日、第 3 版。

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とが求められた」とされる31。「有所作為」には、新たに「積極的に」 と い う 副 詞 が 加 え ら れ た こ と に な る 。「 積 極 的 に 為 す べ き こ と を す る」については、2010 年 10 月の胡錦濤の講話では、「国際経済技術 の 協力と競争 に積極的に 参加し(略 )世界経済 政治構造で の我が 国 の 地位をさら に強固にす る」ことを 求めており 、同講話で は、経 済 技術能力の向上を指していると理解される32 3 米国との 軍事、安全 保障問題の 対立―胡錦 濤及び党中 央が管 理 能力を示す 2009 年と翌年 2010 年、米国を主とする関係国との間では、①海洋 の 権益、②台 湾への武器 売却、③中 国近海での 軍事演習、 など軍 事 ・ 安全保障問 題をめぐり 、対立がエ スカレート していくこ とにな っ た。 (1) 海洋権益をめぐる対立 2009 年 3 月 5 日、海南島の南方海域で、米調査船のインペッカブ ル 号に対し、 中国の公的 船舶などが その航行を 妨害する事 件が生 じ た。また、同年 5 月は、各国が(排他的経済水域を超える)大陸棚 延 長 の 申 請 を 国 連 大 陸 棚 限 界 委 員 会 に 提 出 す る 期 限 で あ り 、 中 国 は 、南シナ海 で大陸棚の 延長を主張 するベトナ ム、マレー シア、 フ ィリピンなどとの間で対立が表面化した。続いて、中国は 6 月、南 シナ海の最南端の領土と主張する曾母暗沙(James Shoal)まで、駆 逐艦や最新揚陸艇からなる海軍艦隊の演習航行を実施した。2010 年

31 「韜光養晦:世界主流文明的共有觀念」『文匯報』(香港)、2010 年 8 月 14 日、 http://wenhui.news365.com.cn/mzjy/201008/t20100814_2798646.htm。 32 胡錦濤「繼續抓住和用好重要戰略機遇期、確保實現“十二五”時期發展目標任務」『十 七大以来重要文獻選編(中)』(北京:中央文獻、2011 年)。

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4 月上旬には、南沙諸島の永署礁(Fiery Cross Reef)に駆逐艦 2 隻を 派遣するなど、同海域での軍事行動を拡大させている。 南 シナ海 問題 では、 外交 関係者 の言 動が突 出し た。こ れは 、対関 係国外交の不首尾の裏返しの要素があったと思料される。2010 年 3 月 4 日には、中国の戴秉国・国務委員が訪中した米国のスタインバ ーグ・国務副長官などに、「南シナ海は中国の核心利益に属する」と 表明したと報じられている33。これは、シェア・国防次官補代理が同 年 2 月 4 日、米議会で、南シナ海での中国の主張を認めないと発言 するなど34、中国と関係国との南シナ海問題に関与する立場を示した ことへの対応と思料される。同年5 月 24 日~25 日に北京で開催され た 米中戦略・ 経済対話で も、戴秉国 ・国務委員 は、クリン トン・ 国 務 長官に対し 、南シナ海 近海での米 軍の活動に 「米軍が何 をやっ て い るか、知ら ないとでも 思っている のか」とク ギを刺すと ともに 、 南シナ海は、核心利益に属すると再び明言したとされる35 続いて、7 月 23 日にベトナムのハノイで開催された東南アジア諸 国 連 合 地 域フ ォ ー ラ ム(ARF)では、議長国のベトナムや関係国の 参加者が、「南シナ海での中国軍の行動を懸念する」などと述べると と もに、クリ ントン・国 務長官は、 「米国は、 アジアの公 海で航 行 の 自由という 国益を有す る。中国は 、海洋法と 国連条約を 順守す べ き である」と 述べた。こ うした非難 を受けたた めか、会議 に参加 し

33 New York Times, April 24, 2010, http://www.nytimes.com/2010/04/24/world/asia/24navy.

html.

34 ロバート・シェア国防次官補代理の議会での証言、“Testimony of Deputy Assistant

Secretary of Defense Robert Scher Asian and Pacific Security Affairs Office of the Secretary of Defense,” February 4, 2010, http://www.uscc.gov/hearings/2010hearings/written_testimonies/ 10_02_04_wrt/10_02_04_scher_statement.pdf.

35 秋田浩之「国防長官を激怒させた伝言、米中が大げんか」『日本経済新聞』2010 年 7

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ていた楊潔箎・外交部長は、一時間退席したとされる36 し かし、 中国 として は、 南シナ 海問 題での 不一 致が、 二国 間など 当 事国間にと どまらず、 国際会議や 国際世論空 間でエスカ レート す る ことは避け たかったよ うである。 領土主権問 題での不一 致は、 二 国 間で解決す るという基 本的立場を 守りつつ、 東南アジア 諸国連 合 (アセアン)との間で、南シナ海での信頼醸成や危機管理について、 「南シナ海における関係国行動宣言」(2002 年 11 月合意)の行動規 範 の策定に向 けた協議を 行うことと し、事態の 鎮静化に努 めたよ う である37 (2) 台湾への武器売却 2010 年 1 月 29 日、米国防総省が台湾への武器売却の内容を議会に 通告した。これを受けて中国は、2 月 25 日、国防部報道官が米国と の 軍 事 交 流 を 中 断 す る 旨 発 表 し た 。 上 述 の 米 中 戦 略 ・ 経 済 対 話 (5 月)では、関友飛・国防部外事弁公室副主任(少将)が、「米国は、 中 国を包囲す る戦略同盟 を形成して いる。台湾 への武器売 却は、 米 国が中国を敵視している証明である」と非難したとされる38。ゲイツ ・国防長官は6 月上旬、アジア歴訪とともに訪中を予定していたが、 中国側はこれを受け入れなかった。6 月 5 日、シンガポールで開催さ れ た 、 英 国 の シ ン ク タ ン ク で あ る 国 際 戦 略 研 究 所 (IISS)主催のア

36 秋田浩之「中国外相が消えた『一時間の謎』」『日本経済新聞』2010 年 9 月 7 日、2 面。 37 「劉建超:中國巳與東盟商談正式確立南海行為準則」『鳳凰衛視』2010 年 10 月 1 日、 http://news.ifeng.com/mainland/special/zhongmeijiaofeng/zhongguo/detail_2010_10/01/268 5930_0.shtml。

38 bloomberg, June 8, 2010, http://www.bloomberg.com/news/2010-06-08/chinese-officials-

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ジ ア安全保障 会議で講演 したゲイツ 長官は、台 湾への武器 売却は 、 「米国の既定の政策である」と明言した39。台湾への武器売却につい ては、1982 年 8 月 17 日の米中のコミュニケで、「(米国は)台湾への 武 器売却につ いて、性能 と数量で、 米中の国交 樹立後の数 年の水 準 を 超えず、段 階的に減少 させ、一定 の時間を経 た後、最終 的解決 に 導 く」とされ ており、中 国側では、 ゲイツ長官 の発言は、 このコ ミ ュ ニケを明確 に否定した ものとも受 け取られ、 反発が広が ったよ う である。7 月 26 日には、南シナ海で、南海、東海、北海の三艦隊が 参 加した多兵 種実弾演習 が行われた 。演習の内 容から、台 湾有事 を 想 定したもの ともみられ 、ソブレメ ンヌイ級駆 逐艦、フリ ゲート 艦 などが参加した40 (3) 中国近海での軍事演習 また、同年5 月 20 日には、韓国の「天安艦」の沈没(10 年 3 月) に ついて、米 国が参加し た多国間の 調査結果が 示され、沈 没は北 朝 鮮 の潜水艦の 攻撃による ものと指摘 された。こ れ以後、米 国は、 北 朝 鮮への警戒 から北東ア ジアでの演 習など軍事 行動を活発 化させ る 動きを示した。5 月 24 日には、韓国国防相によって、米韓が 6 月上 旬 に 、 中 国 本 土 に 近 い 黄 海 で 共 同 軍 事 演 習 を 行 う こ と が 発 表 さ れ た 。同演習に は、米空母 の派遣参加 も報じられ た。中国は 外交部 報 道 官が「冷静 な対応」を 求めるなど 、反対の意 向を示して いた。 米 韓 の演習は、 国連安保理 での天安艦 事件をめぐ るやりとり への配 慮

39 “First Plenary Session - Dr Robert M Gates”, IISS, 5 June, 2010, http://www.iiss.org/

conferences/the-shangri-la-dialogue/shangri-la-dialogue-2010/plenary-session-speeches/first-plenary-session/robert-gates/.

40 「着眼生成体系作戦能力、積極推進軍事訓練転変」『解放軍報』(北京)、2010 年 7 月

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などから、7 月に延期となった。 黄海の演習が近付いた 7 月 1 日には、馬暁天・副総参謀長が、テ レビのインタビューに答え、黄海での軍事演習への反対を明言した41 こ の後、演習 に反対する 報道や言論 が、中国側 メディアで 大量に な された。結局、米韓の演習は黄海ではなく、日本海で7 月 25 日~28 日 に実施され たが、日本 の海上自衛 隊幹部が、 米空母に乗 艦した こ と で、米日韓 の安全保障 での三国連 繋が強化さ れた形とな った。 日 韓間では、軍事関連の物品役務相互提供協定(ACSA)を結ぶ動きも 報じられた42。中国にとって、日米韓の軍事連繋が強まることは、北 東 アジアとい う首都北京 や核問題を 抱える北朝 鮮を抱合す る地域 で の 安全保障の 戦略環境の 変化であり 、その危険 認識の程度 は極め て 高いと思料される。 こ うした 北東 アジア の戦 略、安 全保 障環境 が中 国にと って 、大き く 不利に変化 する中、胡 錦濤総書記 のブレーン とされる王 緝思・ 北 京大学教授が8 月 5 日、「中米の重大戦略の力比べは避けられない」 と題する論評を新聞に発表した43。同論評では、「国内の安定と発展 が、対米関係の安定の発展の前提である」として、「米国関係に関連 す る外交、国 防、治安、 貿易、金融 、エネルギ ー、台湾、 宣伝部 門 の 相互協調と 、重大政策 において中 央と一致を 維持するこ とが対 米 関 係を安定さ せるカギで ある」との 論理を示し 、各部門に 対して 、 中 央と意見を 一致させる ことを求め ている。こ れは、党中 央が対 米

41 「解放軍副総長:非常反対美韓在黄海挙行軍演」『鳳凰衛視』2010 年 7 月 1 日、 http://news.ifeng.com/mainland/detail_2010_07/01/1702694_0.shtml. 42 「海外の自衛隊・韓国軍、軍需物資など相互提供」『読売新聞』2010 年 7 月 19 日、 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100719-OYT1T00112.htm. 43 王緝思「中米重大戰略較量難以避免」『國際先驅導報』(北京)、2010 年 8 月 5 日、第 20 版。

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関係の改善に乗り出す信号と受け取れる。 同 日、米 国防 総省報 道官 が、来 るべ き黄海 での 軍事演 習に 空母を 派 遣すること を発表する と、総政治 部主管の「 解放軍報」 は、黄 海 での演習に対する反対論評を、8 月 12 日、13 日と連続して掲載し、 強い反発姿勢を示した44。しかし、12 日付け論評は、「中国人民は、 平和を熱愛している。中国は平和発展の道を歩んでいる」と指摘し、 米中の対立を望まない立場を示したり、13 日付け論評は、2009 年 4 月 、オバマ大 統領と胡錦 濤主席の首 脳会談で確 認された「 積極的 、 協 力的、全面 的関係」の 精神や、米 中の協力が 国際社会に 及ぼす 安 定 的な役割、 両国の共通 の安全保障 利益の増加 を指摘する など、 両 国の「和解」を促す姿勢を示した。 8 月 16 日には、米国防総省が議会向けの「中国に関わる軍事・安 全保障の発展報告」を公表したが、中国の国防部スポークスマンは8 月18 日、「同報告が、事実を無視した、中国脅威論を宣伝するもの」 と 批 判 す る 一 方 で 、「 中 国 は 、 一 貫 し て 中 米 両 軍 関 係 を 重 視 し て お り 、このため に努力を惜 しまない」 とまで述べ 、関係改善 への積 極 的姿勢を明らかにした458 月 20 日、駐韓米軍は、9 月上旬に黄海で 行 わ れ る 米 韓 の 演 習 に 米 空 母 が 参 加 し な い こ と を 発 表 し た 。 こ の 後、中国高官が相次いで訪米した。8 月 26 日、訪米した崔天凱・外 交部副部長が、スタインバーグ・国務副長官と会談し、「ハイレベル と 各級別の対 話とコミュ ニケーショ ンを維持・ 強化し、戦 略相互 信 頼を不断に増進させ、不一致や敏感な問題を適切に処理する」など、

44 「武力炫耀的背後是霸道」『解放軍報』、2010 年 8 月 12 日、第 6 版。「是中國反應 過度、還是美國無端指責?」『解放軍報』(北京)、2010 年 8 月 13 日、第 6 版。 45 「中方堅決反對美國防部發表 2010 年度《渉華軍事與安全發展報告》」新華網、2010 年8 月 18 日、http://news.xinhuanet.com/world/2010-08/18/c_12460035.htm。

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関係の改善で合意した469 月 1 日には、訪米した武大偉朝鮮半島事 務特別代表がスタインバーグ国務副長官などと会談し、8 月に行われ た訪朝の報告など、北朝鮮の6 者会合復帰に関する姿勢を伝えた47 こうした中、9 月 6 日~8 日には、米国から、ドニロン・国家安全 保障担当次席補佐官(翌 10 月に首席補佐官に昇進)が訪中した。7 日 に戴秉国・ 国務委員、 温家宝・総 理、8 日に胡錦濤・主席と会見 し 、ハイレベ ルや各種領 域の交流を 推進してい くことで一 致した 。 国 家主席であ る胡錦濤が 、閣僚でも ない安全保 障担当の次 席補佐 官 と 会見するの は、異例で ある。この 訪中、会見 は、米中関 係の大 き な転機となったとみられる。国防総省の報道官は翌日の9 日、「ゲイ ツ ・国防長官 が年内に訪 中し、両国 の軍事交流 が再開する 可能性 が ある」と述べた。その後9 月 23 日、国連総会に出席するため、訪米 した温家宝・総理とオバマ・大統領の会談が実現し、2011 年 1 月に は 、ゲイツ・ 国防長官の 訪中、胡錦 濤主席の訪 米が実現し 、米中 関 係 は、軍事的 対立はとり あえず終息 し、交流推 進の新たな 局面へ 入 った。 (4) 5 中全会での対外政策の調整 筆者は前章で、2009 年の両会議での「国家主権、安全、発展の利 益の 強調」、「 戦略チャンス期 への挑戦の 解消の強調 」が、対外 措 置 を 採る上で変 化を生じせ しめ、米国 との対立の 表面化につ ながっ た 可 能性を指摘 した。その 後、米国と の軍事・安 全保障問題 の対立 が 解消した後の10 月 15 日~18 日に開催された中央委員会第五回全体

46 「中美舉行副外長級政治磋商」新華網、2010 年 8 月 28 日、http://news.xinhuanet.com/ world/2010-08/28/c_12493825.htm。 47 「中國政府朝鮮半島事務特別代表武大偉訪問美國」新華網、2010 年 9 月 3 日、 http://news.xinhuanet.com/politics/2010-09/03/c_12516935.htm。

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会議(5 中全会)では、同会議のコミュニケによると、「12 次 5 か年 計 画 時 期 は 、 小 康 社 会 の 全 面 的 建 設 の カ ギ と な る 時 期 で あ る と し て、(略)経済の長期的に安定した、かつ比較的速い発展を促進する」 と定められ、小康社会の全面的建設という2020 年を目標とする発展 戦略が再確認された。また、「今後の時期は、我が国の発展が依然と し て大いに為 すところが ある重要な 戦略チャン ス期である 」とし た 上で 、(略 )「各 種矛盾を有 効に解消し 、改革開放 と社会主義 現代 化 建 設をより奮 発して推進 する」こと が定められ たことが明 らかに さ れている482009 年の駐外使節会議では、「戦略チャンス期に現れる 挑戦」を解消することが求められているが、5 中全会では、「挑戦」 ではなく、「矛盾」を解消すること、つまり、敵対的行為を直接に解 消 するのでは なく、敵対 的行為によ って生じて いる困難を 解消す る ことが求められている。また、5 中全会で採択された 12 次 5 か年計 画の建議では、「有利な外部環境を積極創造する」という目的の下、 「 国家主 権、 安全、 発展 の利益 を擁 護する 」こ とが定 めら れ、2006 年の外事工作会議と同様に、「国家主権、安全、発展の利益の擁護」 は、経済発展のための外部環境創造の前提条件として論じられた49 こ うした点か ら、経済発 展、現代化 建設という 内政の課題 への重 視 が 確認される とともに、 対外政策が 調整された ことが読み 取れる 。 主権に関する問題では、「妥協はしないが、矛盾を解決する方法は交 渉と協議である。協力を堅持して安全との双方勝利を目指す」50など との方針が確認された可能性が思料される。

48 「中共十七屆五中全會在京舉行」『人民日報』(北京)、2010 年 10 月 19 日、第 1 版。 49 「中共中央關於制定國民經濟和社會發展第十二個五年規畫的建議」『人民日報』(北 京)、2010 年 10 月 28 日、第 1 版。 50 徐光裕「中國要在不卑不亢中和平發展、勿學美國好為人師的毛病」『解放軍報』(北 京)、2011 年 1 月 29 日、第 4 版。

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【評 価】 軍の対応を みると、台 湾及び黄海 など近海で の演習問題 での強 硬 な 言動が目立 つ。これは 、抑止能力 、調略能力 の向上、国 土と近 接 地 域の防衛と いう、彼ら の重大職責 に直接触れ る問題であ ったか ら とも思料される。胡錦濤の 09 年 3 月の講話でも、「主権、安全、領 土 保全」につ いては「防 衛」の職責 が強調され ている。他 方、南 シ ナ 海問題では 、辺海防業 務が中心で あり、その 職責の重要 度は、 前 二者に比べて高くないと思料される。 崔 天凱の 米国 派遣は 、中 国指導 部が 、対立 の解 消を強 く望 む立場 か ら行われた ものと思料 される。ま た、胡錦濤 とドニロン の会見 に つ いては、米 中の軍事対 立について 、党の指導 者である胡 錦濤が 、 次 席 補 佐 官 と の 会 見 の 機 会 を 特 別 に 設 け て 、 そ の 処 理 に あ た る な ど、大きな役割を直接、担ったことが思料される。また、8 月上旬の 解 放軍報の論 評、国防部 スポークス マンの言動 も対米関係 に配慮 し た 内容を含ん でおり、対 米関係のか じ取りでは 、軍の政治 工作部 門 や 外事工作を 担当する総 参謀部など では、この 時点では、 中央と 一 致 した対応を 示していた と分析でき る。事態の 改善に向け て動き 出 し たこの時期 の中央の強 いイニシア ティブの存 在が推測さ れる。 ま た、5 中全会では、内政重視が再確認され、対外政策が調整されたと 思料される。

七 海洋権益の擁護と軍隊―あいまいな戦略方針と強

硬化する戦術

本章では、 海洋権益の 擁護と軍隊 の関係につ いて、海洋 権益擁 護 の体制、海洋権益をめぐる日本との摩擦について分析する。

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1 海洋権益擁護の体制 海洋権益の擁護は、解放軍の任務として、2002 年 12 月に公表され た 「国防白書 」で初めて 明記された 。これは、 海洋に関す る権利 、 す なわち領土 、領海、排 他的経済水 域、大陸棚 に関する権 利とそ こ か ら生じうる 利益を擁護 するという ものである 。ここで、 実行部 隊 と して運用さ れるのが、 海洋権益の 侵犯などを 取り締る巡 視船と し て の国家海洋 局の海監総 隊、漁業権 益保護の監 視船として の農業 部 漁 業局下の漁 政総隊であ る。こうし た海洋警備 ・安全の業 務(海 防 業務)を協調する機関としては、国務院と中央軍事委員会の統率(領 導)を受ける協議協調機関として、国務院に国家辺防委員会が1991 年5 月に設けられている。2005 年には、名称が国家辺海防委員会に 変 更され 、海 防を重 視す る姿勢 が示 された 。同 委員会 主任 は、2002 年の16 回党大会以降、周永康・中央政法委員会副書記(政治局委員) が兼任していたが、2007 年の 17 回党大会以降は、梁光烈・国防部長 が 務めている 。なお、同 委員会の弁 公室主任は 、従来から 総参謀 部 作戦部長が務めている。同委員会は、17 回党大会以降は上述のとお り 、トップは 、軍人とな り、政策に 軍の意向が より反映し やすく な っ ているもの と思料され る。また、 トップのポ ストと事務 機関を 解 放 軍が掌握す ることで、 非解放軍機 関との協調 事務が容易 になり 、 辺 海 防 業 務 に つ い て は 従 前 に 比 べ て 執 行 力 が 高 ま っ た と 思 料 さ れ る。 2 海洋をめぐる日本との摩擦 この時期、日本との間では、2007 年 12 月の福田康夫総理の訪中、 2008 年 5 月の胡錦濤・国家主席の訪日があり、日中の政治関係が良 好 に推移する とともに、 排他的経済 水域の境界 について不 一致な ど に よる東シナ 海のガス田 開発の問題 でも、共同 開発をめぐ る交渉 が

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進められていた。胡錦濤訪日の翌月の 2008 年 6 月 18 日、日中両国 は、東シナ海でのガス田開発について合意に達している51。 こ のよう にみ ると、 海洋 権益を めぐ る不一 致に ついて は、 中国に は 外交による 問題の処理 が進められ る方針があ ったように も見受 け られるが、08 年 6 月の「東シナ海での合意」の一ヶ月後の 7 月 22 日、日中外相会談で、日本側が求める合意の内容の「国際約束締結」 の協議について、楊潔箎・外交部長は、「合意を履行していくために 両 国国民によ る幅広い理 解と支持が 必要である 」と述べ、 国民の 支 持 という前提 条件を設け て、直ちに は協議に応 じない立場 を明ら か にしている52。このように、中国は、東シナ海の合意をいわば「棚上 げ」にするとともに、尖閣諸島の12 カイリ内海域への公的船舶の進 入を行った。同年12 月、国家海洋局の海監船(海監総隊所属)が、 尖閣諸島(台湾では釣魚台と呼称、以下同じ)の12 カイリ内に約 9 時間、進入した。国家海洋局は、2006 年後半から、南シナ海、東シ ナ 海などの中 国の権益主 張海域での 海監船の巡 視を順次定 期化し た としている。また、2010 年 9 月、同諸島近海で日本の海上保安庁の 船 舶と中国漁 船が衝突し 、漁船の船 長が日本側 に逮捕され た事件 の 後 は、漁政船 (漁政総隊 所属)が同 諸島近海へ の航行を「 常態化 」 したとして、同諸島の接続水域付近を複数回航行し、12 カイリ内に 進入もしている。 こ うした 海洋 をめぐ る日 本との 緊張 は、軍 事面 でも表 面化 した。 東シナ海では、2008 年 10 月、ソブレメンヌイ級駆逐艦など 4 隻の艦 隊 が、日本海 から津軽海 峡を経て、 太平洋へ航 行した。中 国軍の 水

51 「東シナ海における日中間の協力について(日中共同プレス発表)」外務省、 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/higashi_shina/press.html。 52 「日中外相会談(概要)」外務省、http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/g_komura/asean_ 08/jch_gk.html。

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上艦艇が日本海から津軽海峡を越えたのは初めてであった。2009 年 6 月、ルージョウ級駆逐艦など 5 隻の艦隊が、第一列島線(九州から 沖 縄、台湾、 フィリピン などを結ぶ 線)を越え 、沖の鳥島 周辺ま で 航行した。2010 年 4 月には、ソブレメンヌイ級駆逐艦など 10 隻の艦 隊 が、第一列 島線を越え 、沖の鳥島 周辺まで航 行した。途 中、警 備 活 動をした自 衛隊の護衛 艦に中国軍 のヘリが数 十メートル の距離 ま で接近するということもあった。2010 年 7 月には、ルージョウ級駆 逐艦など 2 隻の艦隊が、第一列島線を越え、西太平洋に航行してい る。こうした軍事プレゼンスの増大には、2007 年の 17 回党大会で は 、胡錦濤主 席が海軍に 対して、近 海総合作戦 能力の向上 と、遠 海 防 衛型への転 換をはかり 、遠海機動 作戦能力を 向上するこ とを求 め たことが背景にあると思料される53 【評 価】 上 述の とおり 、尖 閣諸島 や東 シナ海 に関 する中 国の 行動は 、2008 年 6 月の「東シナ海のガス田開発合意」時の立場とは、大きくかい 離 していると 受け取れる 。これは、 同合意に内 容に、中国 側で不 満 が 上 が っ た こ と と も 関 係 が あ る と 思 料 さ れ る 。 合 意 内 容 に つ い て は 、日中が共 同開発で合 意した区域 (日本名: 翌檜(あす なろ) ガ ス 田の付近) の半分は、 日本が主張 する境界線 (日本は権 原とし て は 200 カイリを主張)である中間線より西側を含む。つまり、中国 の みが、本来 、自国の「 主権」管轄 下にある非 紛争海域を 共同開 発 地 域として認 めている。 これは、ガ ス田の白樺 (中国名: 春暁) を 協 力開発(日 本側の出資 参加)とし て「主権」 を確立させ たこと と 不 一致が生じ ているよう に受け取れ る。中国側 で、日本に 対して 、 海 洋権益を一 層擁護する ことを主張 する意見が 受け入れら れやす い

53 歷 「人民海軍戰略 史轉變」『瞭望新聞週刊』(北京)、2009 年 4 月 20 日、頁 36。

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状況が生じたと言える。 このほか、中国の尖閣への航行には、2008 年 6 月 10 日、尖閣諸島 の12 カイリ内の海域で、日本の海上保安庁の船舶と衝突し、沈没し た 台湾の釣り 観光船「聯 合号」の船 長に、海上 保安庁が謝 罪し、 賠 償 金の支払い を認めたこ とが遠因に なっている と思料され る。こ の 日本の謝罪と賠償は、中国にとっては、尖閣諸島の12 カイリ内へ航 行 し、類似の 事案が発生 した場合の 前例となり うると解釈 された 可 能性が考えられる。 ( 東シナ 海の )海洋 権益 擁護の ため の戦略 方針 は、公 的船 舶が尖 閣の12 カイリ内海域に入った、2008 年後半に明らかに変化を生じて いる。2010 年 9 月に発生した日本との漁船衝突事件をめぐる対立と 船 長釈放後の 摩擦は、上 述した米国 との関係改 善策の後に 生じて い る 。同事件に ついて軍が 強硬的な姿 勢を採った か否かは不 分明で あ る 。ただし、 米国との軍 事・安全保 障問題と尖 閣をめぐる 日本と の 関 係は、国防 上、文脈が 異なるほか 、後者の重 要度は低い と思料 さ れ る。軍とし ては、5 中全会に先駆けて、梁光烈・国防部長が、10 月11 日にハノイで、北沢俊美・防衛大臣との「懇談」に応じるとと も に、中日防 衛交流の再 開、推進に 、国民の感 情(の好転 )など の 条件を付けながらも、前向きな姿勢を示すなど54、比較的「合理的な」 対応を示している。 組 織の構 造上 、外国 との 摩擦を 辞さ ずに、 海洋 権益の 擁護 を主張 す る関係部門 は、軍隊や 軍が事務機 関を務める 辺海防の関 係部門 で あ るとは限ら ない。メデ ィアで見受 けられる論 調からは、 国際法 の 研究者、宣伝部門、戦略研究部門などの存在も垣間見える。ただし、

54 「日中防衛相による懇談(概要)」防衛省、http://www.mod.go.jp/j/press/youjin/2010/ 10/11_02_02.html。

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最 高 司 令 で あ る 党 中 央 の 戦 術 指 示 の 内 容 が 仮 に 、 具 体 的 で な け れ ば 、軍を含め た海洋権益 の擁護を職 責とする執 行部門及び 、その 執 行 者たちは、 擁護関連活 動を「神聖 視」するで あろう。執 行部門 の 指 導グループ は、政策の 執行過程で は、組織と して一体化 して強 硬 な 対応に出る であろうし 、中間組織 (軍及び辺 海防関係機 関)の 言 動 には一貫性 がなくなり 、中央から 地方までの 各層の関係 組織は 、 雷 同はしても 、自律的に 協調するこ とは容易で はない。こ れは、 対 外 対応が各部 門によって 個別的に強 硬化される 構図である 。実際 に は、「国家主権、安全(核心利益)の擁護」という政策変化(戦術) が 、小康社会 の全面的建 設などの国 家発展戦略 における対 外関係 と の 関連を明確 にしないま ま、関係部 門に広範に 共有された 可能性 が あると思料される。

八 結論

本稿では、 胡錦濤時期 の中国の軍 事・軍隊政 策について 、主に 以 下の内容について分析論述を行った。 胡 錦濤軍 事指 導部は 、中 央軍事 委員 会の主 要ポ ストを 江沢 民時期 と 同様の系列 の人物に任 せるなど、 その権力基 盤は安定し ていた 。 解 放軍が担う 戦略的任務 の重点を戦 争勝利能力 から「調略 能力」 に 拡 大している 。軍の「歴 史的使命」 など新たな 役割は、軍 の政治 的 影 響力の拡大 につながっ た。政治工 作の特徴は 、制度規定 の充実 に 力 が入れられ た。台湾政 策は、早期 統一から反 台湾独立へ 重点を 転 換した。「国家主権、安全、発展の利益」の擁護などの方針によって、 2010 年に顕在化した米国との軍事対立については、胡錦濤が処理に 直接あたるなど、中央の強いイニシアティブが存在した。17 期 5 中 全 会では、小 康社会の全 面的建設が 最重視され 、強硬であ った対 外 政 策が調整さ れた。海洋 安全と警備 を職責とす る国家辺海 防委員 会

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は 、トップが 軍人であり 、政策に軍 の意向がよ り反映しや すくな っ ている。

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胡錦濤時期的中國軍事與軍隊政策

坪 田 敏 孝

(前未來工學研究所主任研究員)

【摘要】

胡 錦濤 軍事領 導團 隊如任 命江 澤民時 期同 様系列 人物 擔任中 央軍 委 的主要職位 、其權力基 礎較穩定。 將人民解放 軍擔任之戰 略任務 的 重 點從戰爭勝 利能力擴大 到謀略能力 。歷史的使 命等軍隊的 新角色 導 致 軍隊之政治 能力擴大。 政治工作特 徴是為充實 加強制度規 定。對 臺 政策之重點,從早期的「統一」轉換至「反獨立」。因擁護「國家主權、 安全、發展利益」等方針,2010 年時與美國顯著的軍事對立而言,吾 人可知如胡錦濤直接處理該事項,中央較強的主導權的存在。17 屆 5 中 全 會 上 決 定 了 更 重 視 全 面 建 設 小 康 社 會 , 調 整 先 前 強 硬 的 對 外 政 策 。國家邊海 防委員會以 海洋安全與 警備為職責 ,其最高負 責人為 軍 人 ,事務機關 由總參謀部 作戰部邊防 局擔任,更 容易地在政 策上反 映 軍方的意向。 關鍵字:胡錦濤軍事領導團、軍事戰略和謀略能力隊、擁護國家主權・ 安全・發展利益(核心利益)、全面建設小康社會、國家邊海 防委員會

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PRC’s Military Policy in Hu Jintao Era

Toshitaka Tsubota

Former Senior Researcher of the Institute for Future Technology

Abstract】

Hu Jintao’s military leading group has been kept at its strong power base. Hu still trusts people who belongs same group with Jiang Zemin era and has assigned them to the important posts in the Central Military Commission. The main interests of the People’s Liberation Army (PLA) are enlarging a important point of their strategic task from power to win the war to talent for carrying out stratagem. Military new role “historical mission” gave them more powerful role in politics. The distinctive feature of political work is to put in a good amount of effort to making rules and regulations. China’s Taiwan policy has changed from “early reunification” to “anti-independent”. After Beijing addressed their policy to safeguard their interests concerning sovereignty, national security and development, the U.S.-China military confrontation became very obvious in 2010. However, CPC’ central showed their strong initiative to solve this problem as Hu Jintao directly managed to improve relationship with U.S. At the fifth Plenary Session of the 17th CPC Central Committee, it was referred to the importance of building a moderately prosperous society in all respects, and adjusted its hard-line foreign policy. The top post in Committee of Border and Coastal Defense comes from military and Combat Operation Command team at the General Staff Department of the PLA takes charge of its operation to maintain its power in the coastal defense policy.

Keywords: Hu Jintao’s military leading group; military strategy and talent

for carrying out stratagem; safeguard China’s interests in terms of sovereignty, security and development; building a moderately prosperous society in all respects; State Committee of Border and Coastal Defense

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〈参考文献〉 「日中外相会談(概要)」外務省、http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/g_komura/asean_08/ jch_gk.html。 「 東 シ ナ 海 に お け る 日 中 間 の 協 力 に つ い て ( 日 中 共 同 プ レ ス 発 表 )」 外 務 省 、 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/higashi_shina/press.html。 「海外の自衛隊・韓国軍、軍需物資など相互提供」『読売新聞』2010 年 7 月 19 日、 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100719-OYT1T00112.htm. 坪田敏孝「中国の安全保障政策の分析」『問題と研究』(2010 年 7.8.9 月号)。 秋田浩之「中国外相が消えた『一時間の謎』」『日本経済新聞』2010 年 9 月 7 日、2 面。 ______「国防長官を激怒させた伝言、米中が大げんか」『日本経済新聞』2010 年 7 月 20 日、2 面。 「人打常委會第十三次会議閉幕」『人民日報』(北京)、2010 年 2 月 27 日、第 1 版。 歷 「人民海軍戰略 史轉變」『瞭望新聞週刊』(北京)、2009 年 4 月 20 日、頁 36。 「小康生活水平的基本標準」人民網、2002 年 11 月 19 日、http://www.people.com.cn/ GB/jinji/222/9520/9524/20021119/869961.html。 「中方堅決反對美國防部發表2010 年度《渉華軍事與安全發展報告》」新華網、2010 年 8 月18 日、http://news.xinhuanet.com/world/2010-08/18/c_12460035.htm。 「中台辦、國台辦就陳水扁終止“國統會”“國統網領”發表聲明」新華網、2006 年 2 月 28 日、http://news.xinhuanet.com/tai_gang_ao/2006-02/28/content_4237886.htm。 「中央外事工作會議在京舉行胡錦濤温家寶作重要講話」『人民日報』(北京)、2006 年 8 月24 日、第 1 版。 「中央軍委下發關於加強和改進新形勢下軍隊黨的建設的意見」『解放軍報』(北京)、2010 年1 月 4 日、第 1 版。 「中央軍委印發《軍隊黨組織實施黨內監督的規定(試行)》」『解放軍報』(北京)、2010 年12 月 30 日、第 1 版。 「中共十七屆五中全會在京舉行」『人民日報』(北京)、2010 年 10 月 19 日、第 1 版。 「中共中央關於制定國民經濟和社會發展第十二個五年規畫的建議」『人民日報』(北 京)、2010 年 10 月 28 日、第 1 版。 「中美舉行副外長級政治磋商」新華網、2010 年 8 月 28 日、http://news.xinhuanet.com/ world/2010-08/28/c_12493825.htm。 「中國政府朝鮮半島事務特別代表武大偉訪問美國」新華網、2010 年 9 月 3 日、 http://news.xinhuanet.com/politics/2010-09/03/c_12516935.htm。 「中國軍隊謹慎加薪」鳳凰網、2006 年 8 月 17 日、http://news.ifeng.com/opinion/detail_ 2006_08/17/1318675_0.shtml。 「 中 華 民 國 第 十 一 任 總 統 副 總 統 就 職 慶 祝 大 會 」 中 華 民 國 總 統 府 官 網 、 http://www.president.gov.tw/Default.aspx?tabid=131&itemid=9453&rmid=514。

(33)

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參考文獻

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