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以 上に述 べた 米国の 対日 安保政 策を 対照し なが ら、本 節で は米国 内の対日イメージを振り返る。

1 第1 期:占領期(1945 年~1952 年)

米 国世論 は、 太平洋 戦争 中に敵 対関 係にあ った 日本人 に対 して、

残虐や卑劣であるというイメージを持っていた。だが、1941 年以降、

対 日戦争の遂 行と戦後処 理の必要か ら、日本語 が堪能な人 材およ び 日 本研究者の 確保が急務 となり、日 本研究の人 材を育成す るとい う 意外な道をたどることとなった。

62 「首脳会談終了時における中曽根内閣総理大臣とレーガン大統領の発表(1983 年 11 10 日)」、『データベース「世界と日本」、東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究 室』、http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPUS/19831110.O1J.html。

終 戦後、 連合 国の占 領に 伴い、 民主 主義や 資本 主義と いっ た西方 の 政治経済モ デルが日本 に導入され た。その後 冷戦が始ま ると、 ア ジ アのパート ナーとして 西側諸国の 対日イメー ジを改める 必要が 生 ま れた。占領 期の改革は 、このよう な対日イメ ージの変化 に合理 性 を 与えた。言 い換えれば 、この改革 によって、 日本は封建 制度や 軍 国主義から解放され、西側諸国の制度を受け入れることができた。

そのため、占領期の対日イメージは主に「後進的な日本人」「西側 に学ぶ生徒」であった。例として、1951 年マッカーサーは米国上院 で 「科学・美 術・宗教・ 文化などの 発展の上か らみて、ア ングロ ・ サクソンは45 歳の壮年に達しているとすれば、ドイツ人もそれとほ ぼ同年輩である。しかし日本人はまだ生徒の時代で12 歳の少年であ る」63と述べている。当時のメディアの報道や評論でも、日本人が民 主制度やアメリカの方式を学ぶといった報道が多い64

2 第2 期:経済的復興の時期(1952 年~60 年代)

1950 年代から 1960 年代までには、日本研究者の成果が続々と出版 され65、その結果、米国では日本に対する関心が高まっていった。こ の 時期の研究 内容は、日 本の伝統や 歴史に焦点 を合わせた もので あ った。そして、「審美的な日本(aesthetic Japan)」および「精神的な

63 斎藤元一「日米パートナーシップの相互イメージ」『国士舘大学政経論叢』第4 号(通

号第82 号)、1992 年、141ページ。

64 Susan D. Moeller, “Pictures of the enemy: Fifty years of images of Japan in the American press, 1941-1992,” Journal of American Culture,Vol. 19, No. 1 (Spring 1996), p. 32.

65 例えば、Donald Keene, The Japanese Discovery of Europe: Honda Toshiaki and Other Discoverers 1720-1952 (London; Routledge and K. Paul, 1952); Donald Keene, Japanese Literature an Introduction for Western Readers (New York; Grove Press, 1955); Edward Seidensticker, Kafu the Scribbler: The Life and Writings of Nagai Kafu, 1879-1959 (Stanford; Stanford University Press, 1965).

日本(spiritual Japan)」という新しい対日イメージが現れた。これは 戦 前の日本研 究者によっ て植え付け られた古い 日本のイメ ージの 復 活 とも言うべ きものであ った。戦時 中の日本の イメージか ら戦前 の イ メージに揺 り戻される 傾向にあっ たと言える 。主要メデ ィアで も 日 本の伝統の 美を伝える 報道がしば しば掲載さ れた。ここ で注目 す べ きなのは、 日本の伝統 を伝えるこ とで米国と の異質性が 明らか と な ったが、こ の異質性は 西側に対し て挑戦的な ものではな かった 。 日 本は伝統的 文化を保ち つつ、西側 の現代化モ デルを受け 入れる イ メージを強調した66

60 年代には、日本の経済が復興し高度成長を達成した。1960 年代 末には日本は西ドイツを抜き GNP で世界第 2 位にまで上り詰めた。

日 米経済関係 もより緊密 になってい たため、米 国内では日 本の経 済 成長に対し肯定的な評価がなされた。米国では1958 年に、ミシガン 大学のRobert E. Ward and John W. Hall 教授が主導した学際的研究プ ロ ジ ェ ク ト 「 日 本 に お け る 近 代 化 の 問 題 (The problems of modernization in Japan)」67が発足した。この研究プロジェクトは、日 本の近代化の成功と経済成長の要因を模索するために、政治的展開、

経 済的発達、 社会的変化 、文化的変 容、思想・ 態度の継続 と発展 の 面 から総合的 に分析する ものであっ た。その目 的は、他の 発展途 上 国に対する米国政策の参考にあり68、日本が民主主義と資本主義の道

66 Susan D. Moeller, “Pictures of the enemy,” p. 33.

67 このプロジェクトについて Mark T. Berger, “Modernization theory,” The Battle for Asia:

From Decolonization to Globalization (Routledge, 2004), pp. 91-122; Ruud Janssens,

“Because of our Commercial Intercourse and Bringing about a Better Understanding Between the Two Peoples: A History of Japanese Studies in the United States,” Michael Kemper and Artemy M. Kalinovsky, Reassessing Orientalism: Interlocking Orientologies during the Cold War (Routledge, 2015), pp. 120~152 を参照。

68 臼井祥子「米国における日本研究」『日本研究』第 10 集(1994 年 8 月)、200 ページ。

を 選び急速な 経済成長を 遂げ、平和 で民主的で 経済的な国 となり 得 た と肯定的に 評価した研 究であった 。こうして 、米国では 「近代 化 する日本(modernizing Japan)」と「モデル(手本)としての日本」

というイメージが生まれた。

こ の頃、 西側 制度を 採用 してア ジア の成功 国に 躍り出 た日 本に対 す るイメージ は、かなり 好意的なも のであった 。その理由 は、日 本 の 成功が米国 の占領期に おける政策 や対日援助 政策の成功 であっ た と 証明するも のであった ためである 。加えて、 西側のモデ ルが優 れ ており、アジアでも適用するということも証明した。さらに、60 年 代 まで、米国 は自由陣営 において経 済的・軍事 的に主導的 な地位 に あ り、日本の 成功を西側 に対する挑 戦と看做す のではなく 、西側 の 先 生として、 日本を勤勉 で真面目な 生徒である とした誇り を持っ て いたと考えられる。

3 第3 期:対日イメージの分裂(1970 年代)

70 年代からは、対日イメージの評価が割れ始めた。今まで通り日 本 の成功を賞 賛する研究 や評論も引 き続いなさ れてはいた が、日 本 の成 功や日本が 独自の道を 歩き出すこ とを危惧す る言論も出 始めた 。 まず、賞賛派は引き続き日本が経済大国になる前の1960 年代初期 の 日本経済復 興期を研究 し、日本か ら教訓を得 るというブ ームが 起 こ った。この 時期、肯定 的な対日イ メージを訴 えた代表的 な学者 と して、エズラ・ヴォーゲル、ジェラルド・カーティス(Gerald Curtis)、

ハーマン・カーン(Herman Kahn)がいる。カーンは、21 世紀は日 本の世紀と予測した69。また、ヴォーゲルは 1979 年に出版した『ジ

69 Herman Kahn, Emerging Japanese Superstate: Challenge and Response (NJ: Prentice-Hall, 1971).

ャ パン・アズ ・ナンバー ワン』で日 本社会論を 展開し、日 本式経 営 の特徴を分析し、日本の制度の優れた点を明らかにした70。同書は、

米 国における 最も著名な 日本研究専 門書と言っ ても過言で はない だ ろう。

一方、70 年代から「日本問題」を提唱する学者や評論家が現れ、

日本経済の奇跡は他の国にとっては危険を孕んでいる71と批判した。

その背景には、1970 年代にベトナム戦争の泥沼化により、米国が国 際 経済におい て優位性を 失い、国内 でも反戦抗 議による高 等教育 の 停 滞や人種問 題等が浮き 彫りとなり 価値観が変 化していた 時代が あ る。日米経済関係では、1965 年に日本が対米貿易を黒字とし72、70 年代には繊維製品を中心に経済摩擦が増加した。

4 第4 期:経済摩擦の時期(70 年代後半から 80 年代)

日本が経済大国になった80 年代、米国内の対日批判は強まり、「競 争 相手として の日本」と 「異質な日 本」という 批判的なイ メージ が 再び現れた。1985 年にレーガンの軍拡政策により米国は純債務国と な ったが、対 照的に日本 はすでに世 界一の債権 国であった 。米国 の 国際収支赤字を改善するため、1985 年 9 月 22 日に G5 の蔵相・中央 銀 行総裁会合 で「プラザ 合意」を発 表し、当時 アメリカの 対日貿 易 赤 字が顕著で あったため 、それは実 質的に円高 ドル安に誘 導する 内

70 Ezra Vogel, Japan as Number One: Lessons for America (Harvard University Press, 1979).

71 See especially Willard Price, “The Peril,” in Willard Price, The Japanese Miracle and Peril (New York: John Day Company, 1971), pp. 321-37.

72 日本は対米貿易黒字は 1970 年の$3.80 億ドル、1971 年に$25 億ドル、1971 年に$30 億ドルのように増えてきた。Narrelle Morris, “Destructive Discourse: ‘Japan-bashing’ in the United States, Australia and Japan in the 1980s and 1990s” (PhD Dissertation) (Murdoch University, 2006), p. 56.

容 であった。 だがドル安 になっても 、米国の対 外貿易を増 加させ る 効 果は出なか った。その ような中、 日本に市場 開放を要求 する政 府 間の日米構造協議(Structural Impediments Initiative)がなかなか合意 に至らず、80 年代後半には日本経済がバブルに沸き、日本企業によ る 米国不動産 や企業の買 い占めが起 こった。特 に印象的な のは、 三 菱地所が米国のシンボルとされているロックフェラー・センターを、

ソニーがCBS レコード及びコロンビア映画をそれぞれ買収したこと で あろう。こ うした動き は日本の米 国侵略とよ ばれ、米国 メディ ア の日本叩きを煽って、一部の米国人は反日感情を高揚させた。

これまで日 本を肯定的 に評価して きたが、日 本が経済大 国にな っ て 米国と摩擦 を続けた結 果、日本を ライバルと 看做し、日 本の現 実 的 状況を直視 するべきだ という見方 が現れた。 それらの研 究者は リ ビジョニスト(Revisioinist、対日修正主義者)73と呼ばれ、彼らは日 本異質論74を展開した。リビジョニストの代表的な研究者はチャーマ ーズ・ジョンソン(Chalmers Johnson)やハルミ・ベフ(Harumi Befu)

である。ジョンソンの名著である『通産省と日本の軌跡』は1982 年 に出版された75。そうした潮流から米国学術界では日本に対する認識

73 修正主義者という言い方はジャーナリストの Robert C. Neff が最初に使用した。Robert C. Neff, Paul Magnusson and William J. Hostein, “Rethinking Japan: The New, Harder Line toward Tokyo,” Business Week (August 7, 1989), p. 44.

74 ピーター・ドウス(Peter Duus)によると、リビジョニストの論点として日本と米国

74 ピーター・ドウス(Peter Duus)によると、リビジョニストの論点として日本と米国

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