総統選挙が台湾の安全保障に及ぼす影響
門 間 理 良
(防衛省防衛研究所主任研究官)【要約】
台 湾の総 統選 挙は、 どの 候補者 が当 選する のか 、当選 者の 政策は ど のようなも のかにスポ ットが当た りがちだが 、そのとき どきに よ っ て、台湾の 安全保障に 大きな影響 を及ぼす事 態を惹起す ること が ある。本稿では、蔣経国にとって最後となった 1984 年の総統選挙か ら最新の 2012 年までの第 5 回総統民選までを取り上げて、中国によ る 選挙干渉が 不可能であ ったケース 、干渉が逆 に作用し中 国が期 待 し た効果を全 く発揮でき なかったケ ース、内在 的要因で安 全が脅 か される可能性があったケースなどを指摘する。また、2012 年総統選 挙 では、経済 ・貿易交流 が盛んにな った中国と の関係をど のよう に 捉 え、どのよ うに安全を 確保してい くのかとい う問題に台 湾が直 面 していることを指摘する。 キーワード:干渉、安全保障、李登輝、陳水扁、馬英九一 はじめに
中華民国では憲法制定以降、総統選挙(任期 6 年)は国民大会代 表による間接選挙の方式で実施されてきた。1996 年より任期を 4 年 とする総統民選が実施され、2012 年までに 5 回を数えるに至ってい る 。総統選挙 は特に民選 が開始され てから注目 されるよう になっ て い るが、候補 者の政見を 通じて対中 政策に関す る意思表明 を台湾 住 民 が行う場と もなること もあって、 総統選挙は 中国との関 係に緊 張 を 生じ、台湾 の安全保障 が脅かされ る事態が幾 度となく生 じてき た 経緯がある。 そこで、本稿は蔣経国が最後に臨んだ 1984 年における総統選挙か ら、最新の 2012 年までの総統選挙を概観しつつ、その時々の選挙が 台 湾の安全保 障にどのよ うな影響を 及ぼしたの かを、主と して中 国 や アメリカと の関係とい う外部要因 との関係か ら明らかに するこ と を 試みている 。しかし、 一部の総統 選挙では内 部要因によ って台 湾 の安全保障が脅かされる可能性があったことも指摘している。 な お、本 文で は中華 民国 を台湾 、中 華民国 国軍 を台湾 軍、 中台の 指 導者が使用 する両岸関 係を中台関 係と便宜的 に呼称して いる( 引 用の前後関係上、正確さが必要な場合はこの限りではない)。二 1984 年総統選挙前後の情勢
1984 年 2 月、国民党 12 期 2 中全会で蔣経国は李登輝を副総統候補 に指名し、翌 3 月の国民大会における選出を経て蔣経国総統・李登 輝 副総統が誕 生した。こ の時点では 、台湾の安 全保障を直 接に脅 か す 事 態 は 発 生 し て い な か っ た 。 し か し 糖 尿 病 を 患 っ て い た 蔣 経 国 は、1980 年代に入ると急速に病状を悪化させており、その影響は彼 が 掌握してい た統治組織 の弛緩・失 調をきたす 形で表面化 してい くこととなった。その 1 つが 1984 年 10 月に台湾の国防部情報局長の 指 示で台湾最 大の暴力団 「竹聯幇」 が起こした 江南事件( 戦後、 台 湾 から米国に 移民した米 籍華人ルポ ライターが 『蔣経国伝 』の出 版 直 後にサンフ ランシスコ の自宅で殺 害された事 件)である 。台湾 の 国 家機関の指 令を受けた 台湾の暴力 団にアメリ カ人がアメ リカ国 内 で 殺害された のであるか ら、アメリ カの世論や 議会から強 い反発 が でたのは当然の成り行きであった。 そ の結果 、米 下院外 交委 員会ア ジア 太平洋 問題 小委員 会に おける 公 聴会で、武 器輸出管理 法修正条項 の発動が取 りざたされ たので あ る1。1979 年 1 月の米中国交正常化に伴い米台は断交していたが、こ の 時点にさか のぼる形で 米国では国 内法である 「台湾関係 法」が 制 定され、その第二条 B 項の中で「平和的手段以外によって台湾の将 来 を決定する 試みは、西 太平洋地区 の平和と安 全に対する 脅威で あ り 、合衆国の 重大関心事 と考える」 ことと「防 御的な性格 の兵器 を 台 湾に供給す る」ことが 明記されて いた。江南 事件は、台 湾への 武 器 売却を含め て現に台湾 海峡の情勢 に大きな力 を果たして いる米 国 を 後ろ盾とす る台湾の安 全保障に重 大な影響を 及ぼしかね ない事 件 だったのである2 。
1 若林正丈『現代アジアの肖像 5 蔣経国と李登輝』(岩波書店、1997 年)、164~169 ぺ ージ。 2 また、1984 年より前の時点ではあるが、1982 年に米中間で発表された「817 コミュ ニケ」は、主として米国の台湾に対する武器売却に関し、「長期的政策として実施す るつもりはないこと」、「質的にも量的にも米中国交正常化樹立以降の数年に供与さ れたもののレベルを越えないこと」、「武器売却を次第に減らしていき、一定期間の うちに最終的解決に導くつもりであること」などを表明している。しかし、同コミ ュニケの発表前に当時のレーガン政権は、台湾に対し「6 つの保証」を表明していた。 それは「①米国は台湾への武器供与の終了期日を定めない、②米国は台湾への武器 売却に関し、中国と事前協議を行わない、③米国は中国と台湾の仲介を行わない、
こ の時期 から 、人権 ・民 主に敏 感な アメリ カを つなぎ とめ ておく 必要 からも「中 華民国の台 湾化」、「 台湾の民主化」 が、具体的 に 動 き出していくことになった。「中華民国の台湾化」、「台湾の民主化」 とは、台湾の安全保障上の要請という側面も多分にあったのである。 台 湾の内 政状 況から する と、こ の時 期の国 民大 会にお ける 総統選 挙に関して言えば、「無風状態」と表現してよい時代であった。1970 年 代末期から 党外人士( 国民党外の 人物)の地 方公職選挙 におけ る 躍進が目立ってはきたものの、国民大会は 1947 年に代表が選出され た が、絶対多 数は国民党 籍であり、 その後、増 補選挙が実 施され た こ とはあるも のの、党外 人士が議席 を獲得する ことはほと んどな か っ たからであ る。その結 果、正副総 統選挙はす べて国民党 が勝利 を お さめた。し かも、ほと んどのケー スは蔣介石 や蔣経国だ けが出 馬 するだけであったので、彼らの得票率も自然と高く、1984 年総統選 挙における蔣経国の得票率は 90.0%であった3。 こ のよう な状 況であ った ため、 中国 が台湾 への 総統選 挙に 干渉す る ことは無理 であったが 、同年には 香港回収を めぐる中英 交渉が 成 立し、「一国二制度」の下で香港が運営される方針が決まった。これ は 1979 年に「台湾解放」から「祖国平和統一」へと大転換した中国 の 対台湾政策 に具体的方 向性を付与 したもので あっただけ に、台 湾 側 の受けた衝 撃は小さく はなかった ものと思わ れる。当時 の台湾 政 府は「三不政策」(中国共産党とは妥協しない、交渉しない、接触し な い)を維持 して中台統 一に関する 進展はなか ったが、民 間レベ ル の 交流はこの 限りではな く、人の往 来でも経済 交流でも大 きな進 展
④米国は「台湾関係法」の改正に同意しない、⑤米国は台湾の主権に関する立場を 変えない、⑥米国は台湾に北京と交渉するよう圧力をかけない」というものであっ た。 3 張玉法『中華民国史稿』(聯経出版事業公司、1998 年)、頁 602。
があった4 。
三 1990 年総統選挙前後の情勢
この時期の中台関係をめぐる情勢は大きく変化していた。1987 年 7 月に戒厳令が解除され、台湾の民主化は加速化していく状況を整え ていた。さらに、1988 年 1 月に蔣経国が現職のまま死去したため、 憲 法規定にの っとって当 日中に副総 統の李登輝 が総統に昇 格し、 本 来の任期である 1990 年まで総統を務めることとなった(これにより 副総統は空席となった)。これは、台湾において初めての本省籍総統 の 誕生であっ たが、中国 にとってこ の時点で李 登輝の総統 就任が ど の ような意味 を中台関係 にもたらす のかについ ては、判断 を下す こ とは難しかったと思われる。というのも、1988 年段階の李登輝が台 湾の体制内部において、依って立つ基盤が何もなかったからであり5、 そ のような立 場にある李 登輝が何を なすことが できるのか 、判断 が つきかねたからである。 しかし、李登輝が 1989 年以降に台湾の実利を追求していく外交姿 勢を 明確化(「台湾から来た 総統」とし てのシンガ ポール訪問 、「 台 湾・澎湖・金門・馬祖関税領域」の名称による GATT 加盟正式申請、 東 欧など共産 党諸国との 経済交流の 活発化など )するにつ れて、 台 湾 が蔣経国体 制まで引き ずっていた 「内戦思考 」から脱却 しつつ あ る ことに中国 は気が付い た。台湾省 籍の総統に よる中国離 れに対 し て、1989 年 6 月に天安門事件を起こして国際社会から孤立していた 中国は焦燥感と不快感を抱き始めた。それは、台湾の GATT 加盟申4 若林正丈『台湾海峡の政治 民主化と「国体」の相克』(田畑書店、1991 年)、56 ペ ージ。 5 若林正丈『台湾の政治 中華民国台湾化の戦後史』(東京大学出版会、2008 年)、174 ページ。
請 に 対 し て 中 国 外 交 部 ス ポ ー ク ス マ ン が 、 台 湾 は 中 国 の 一 部 で あ り、台湾の GATT 加盟申請は非法である、GATT は台湾の申請を受 け入れるべきないと述べたり6、1990 年 2 月から 3 月にかけて、新華 社 通信が「国 民党当局は 、民意を尊 重して、各 党派、団体 、各界 人 士 と十分に協 議し、共同 して真に『 一つの中国 』を堅持し 、国家 統 一 と社会の進 歩に努力す る人物を台 湾のリーダ ーに選出す べきで あ る」とする「権威人士」の談話を報道したり、その談話の直後に「香 港 消息筋」か ら「台湾独 立」勢力の 蠢動を警戒 して浙江か ら福建 に か けての中国 軍事基地が 警戒態勢に 入ったとの 情報がリー クされ た りしたことからも了解できる7。 こ のよう な具 体的事 例か ら、中 国が 台湾総 統選 挙に対 して 干渉を 試みたのは、1990 年総統選挙の時が最初であったと考えることがで き る。その理 由は、台湾 の対中政策 や外交政策 が、李登輝 と蔣経 国 と では異なり 、中国から 離れていく ことを志向 していると 中国が 判 断 したからと 思われる。 結果として 見るならば 、上記のよ うな干 渉 の 試みは成功 しなかった 。李登輝は 党内非主流 派の反対を 抑えき っ て、1990 年の国民大会で総統に選出(得票率は 96.0%)されたから で ある。しか しながら、 中台の交流 は現実とし て加速を続 けてい く ことになる。その流れを受けて 1991 年には、台湾の行政院で対中国 政 策の研究や 立案などを 行う行政院 大陸委員会 が設置され 、その 下 部 組織として 民間の形を 借りて中国 との実務交 渉を行う海 峡交流 基 金会も設立された。
6 中川昌郎『台湾をみつめる眼 定点観測・激動の 20 年』(田畑書店、1992 年)、141 ページ。以下、中川氏執筆の「台湾の動向」を引用した箇所については、本来原文 にあたるべきところだが、それができなかった。日本語訳に関しても中川氏の訳を 利用させていただいている。 7 若林、前掲『台湾海峡の政治 民主化と「国体」の相克』、60 ページ。
な お 、 天 安 門 事 件 の 発 生 に よ り 米 中 関 係 は 冷 え 込 ん で い た も の の、1990 年 8 月のイラクによるクウェート侵攻は、国連安保理で拒 否 権をもつ中 国の価値を 高めること になった。 アメリカが イラク に 対 する制裁を 実施するた めに国連安 保理で決議 を得るため には、 中 国 が拒否権を 行使しない ことが必要 だったため である。ア メリカ は 拒 否権を行使 しなければ 、銭其琛外相をホワイトハウスに招待す る ことを約束し、実際にそれが実現した8。すでに国際社会に国家とし て の存在を認 知され外交 上のカード を持つ中国 は、一時的 には国 際 社 会 か ら 制 裁 を 受 け て も 痛 手 を 回 復 さ せ る 手 段 を 有 し て い る 。 他 方 、国際社会 から締め出 されている 台湾は外交 上効果的な 一手を 打 つことがなかなかできないのが現実なのである。
四 1996 年総統選挙前後の情勢
こ の年の 総統 選挙は 、最 も明確 に中 国が軍 事的 圧力を 行使 したこ とで著名である。 1995 年 6 月、李登輝総統は博士学位を取得した母校、コーネル大 学 を同窓会出 席の名目で 訪問した。 同大学で李 登輝総統は 記念講 演 を行ったが、その中で「Republic of China on Taiwan」(中華民国在台 湾 )を何度も 使用したこ ともあり、 中国側は李 登輝総統を 「二つ の 中国論者」であるとして、『人民日報』の国際面で非難を繰り広げた ほか、7 月には中国人民解放軍(以下、中国軍と略記)が地対地弾道 ミサイルの発射訓練を行い、8 月には、同軍が軍艦・航空機も利用し て 、空対艦・ 艦対空・艦 対艦などの 各種ミサイ ルや火砲を 使用す る な どさまざま な兵器を使 用した演習 を行った。 中国の海峡 両岸関 係8 中嶋慎治「台頭する中国との関係は如何にあるべきか-中国の多国間主義外交と日 米の対応-」『立命館経済学』第 58 巻第 5・6 号(2010 年)、158 ページ。
協 会と台湾の 海峡交流基 金会の交流 は中断する ことを中国 側が通 告 してきた。 さらに 1996 年 3 月の総統選挙でも、台湾本島北東部・南西部海域 に 向けた短距 離弾道ミサ イル発射演 習および福 建省南部沖 合にお け る海空軍による実弾演習というあからさまな恫喝を用いた。1990 年 の 総統選挙ま では、国民 大会代表の 大多数は国 民党員で占 められ て お り、中国が 干渉できる 実質的余地 はなかった と言える。 しかし 、 1996 年からは総統選挙は 20 歳以上の台湾住民が選挙権を持つため に、中国は総統選挙への干渉が可能と判断したものと考えられる。 だ が、総 統選 挙への 干渉 手段と して 、なぜ ミサ イル発 射演 習とい う 強硬な策を 採用したの か。最終的 に中央軍事 委員会主席 である 江 沢 民が決断し たことはほ ぼ確かであ ると思われ るが、建議 そのも の は中国軍上層部からでたものと思われる9。なぜなら、1995 年の短距 離 弾道ミサイ ル発射演習 、ならびに 各種艦艇・ 航空機を動 員した 演 習 に加えて、 台湾本島の 北部と南部 を抑えると いう演習の シナリ オ は 、実際の台 湾武力侵攻 を意図した ものと解す ことができ るから で ある10。中国軍が本物の台湾を相手に武力侵攻を企図した兵力動員演 習 をしたわけ である。台 湾独立の色 彩が強いと 中国が考え る李登 輝 が 当選するの を看過でき なかったの かもしれな い。ただ、 李登輝 の 次 に得票を得 る可能性が あったのが 、李登輝よ り遥かに独 立派の 色 彩 が濃厚な彭 明敏(民進 党公認候補 )だったこ とは大きな 問題だ っ た。明確な統一派の当選を願うのであれば、得票的には 3 番手と目
9 ただし、当時中央軍事委員会副主席の地位にあった劉華清・張震両名の回顧録(『劉 華清回憶録』(解放軍出版社、2004 年)、および『張震回憶録』下巻(解放軍出版社、 2003 年))には、その時期の記述はない。 10 平松茂雄『台湾問題 中国と米国の軍事的確執』(勁草書房、2005 年)、153~155 ペ ージ。
さ れていた林 洋港・郝柏村ペアが当選しなければ意味がないが、そ の 実現はかな り難しいこ とであるこ とは中国側 にも事前に 予想し て い たはずであ る。よって 、ミサイル 発射演習の 目的は、誰 が総統 と な っても台湾 独立は絶対 に容認しな い姿勢を見 せつけつつ 、実際 に 侵 攻作戦をシ ミュレート することだ ったと解釈 するのが自 然であ ろ う。 で は、中 国軍 による 軍事 演習が 当時 の台湾 の安 全保障 にと って実 際 に危機をも たらしたの かとなると 、別の解釈 が可能であ ると筆 者 は 考えている 。このとき 、アメリカ はインディ ペンデンス を主力 と する空母戦闘群を台湾海峡に派遣していたが、さらに 3 月 12 日には イ ンド洋に展 開していた ニミッツを 中心とする 空母戦闘群 を台湾 海 峡 に派遣する ことを発表 した。アメ リカは台湾 有事に際し て、ど の よ うな対応を とるか事前 に明確にし ない戦略的 曖昧性を採 用して い る と言われて いたが、こ のときのク リントン政 権の対応は 、中華 世 界 初となる元 首の民選と いう民主主 義の成果を 保護し、紛 争勃発 を 防 止しようと する意図が 完全に明確 であった。 中国側もア メリカ 海 軍 の空母戦闘 群が台湾海 峡付近に展 開すると手 出しができ ない現 実 を 思 い 知 ら さ れ る 形 と な っ た 。 中 国 は 軍 事 力 を 誇 示 し よ う と し た が 、それは台 湾民衆の反 発を買い、 アメリカの 軍事力にも 敗北を 喫 したのである。
五 2000 年総統選挙前後の情勢
この年の前年 7 月、李登輝総統が「二国論」(両国論)を発表し、 中 台関係は極 度に緊張し た。そのう え、民進党 が勢いのあ る陳水 扁 ・ 呂秀蓮ペア を党公認総 統候補とし て選出した のに対し、 国民党 は 連 戦・蕭萬長 ペアを選出 したものの 、それに反 感をもった 宋楚瑜 が 無 所属候補と して出馬を 決めたため 、藍陣営は 分裂する事 態に陥 って しまった。 当時の基礎 票を元にす ると民進党 に勝ち目は なかっ た が 、藍陣営が 分裂したた めに勝利の 可能性も十 分にでてき たので あ る。そして、選挙戦終盤になって陳水扁陣営に勢いが増してくると、 中 国 側 の 台 湾 へ の 圧 力 も 矢 継 ぎ 早 に 見 ら れ る よ う に な っ て き た 。 2 月 11 日には、中国がロシアから購入したソブレメンヌイ級駆逐艦が 台湾海峡を通過した。2 月 21 日には、中国国務院台湾事務弁公室と 国務院報道弁公室が「一つの中国原則と台湾問題」(いわゆる台湾白 書)を公表した。投票日 3 日前の 3 月 15 日には、朱鎔基総理が記者 会 見で「誰が 政権の座に つこうとも 、絶対に台 湾独立を進 めては な らな い。いかな る形の台湾 独立もすべ て許されな い」、「われ われ は 決し て武力行使 の放棄を約 束しない 」、「台 湾の同 胞が賢明な 歴史 的 選 択をするも のと信じて いる」と陳 水扁に投票 しないよう 暗に呼 び かけた11。選挙は藍陣営の分裂によって漁夫の利を得た陳水扁が、得 票率 39.7%となる 497 万票で当選を果たした。だが、陳水扁勝利の 要因の 1 つには、このような干渉を続ける中国に対する反発もあっ たものと思われる。それらの点を総合すると、2000 年の総統選挙で は 中国からの 安全保障上 の脅威はさ ほど大きく なかったの かもし れ ない。 しかし、2000 年総統選挙では、中国やアメリカとの関係とは全く 異 なる内在的 要因から、 台湾の安全 保障が脅か されるので はない か と いう危機感 もあった。 それは総統 選挙によっ て、台湾で 初めて 政 権 交代が実現 する可能性 があり、そ れが現実の ものとなっ たとき に 国 軍がそれを 受け入れら れるのかと いう疑念で あった。台 湾軍の 出
11 中川昌郎『李登輝から陳水扁 台湾の動向 1995~2002』(財団法人交流協会、2003 年)、534~535 ページ。この記者会見については、国務院台湾事務弁公室の HP 内に は掲載されていない。
自 は国民党が 国民革命を 遂行するた めに生み出 した党軍で あった こ と は周知の事 実である。 それゆえ台 湾軍の幹部 になるとい うこと は 国民党籍を保持するのは当然であり、2000 年当時は国民党籍を持た な い将軍はま ずいなかっ たと見られ ていたほか 、ほとんど の高級 将 校は台湾の人口比中 10%程度しかいない外省籍の人間だったのであ る 。また、祖 国を統一す ることを究 極的責務と 考えるよう 教育さ れ て きた台湾軍 の外省籍高 級軍人にと って、台湾 独立の党綱 領を備 え る 民進党籍の 総統を統帥 に仰ぐこと は心理的に は高い障壁 があっ た と考えられていた。 し かし、 結果 的に懸 念さ れるよ うな クーデ タの ごとき 事態 は発生 しなかった。その大きな理由は、1970 年代後半から台湾において育 ま れてきた民 主主義の理 念と制度が 台湾に根付 いていたた めであ る と 思われる。 さらにそれ を法的に保 証させる措 置を李登輝 はとっ て いたことも強調しなければならない。1988 年から総統になった李登 輝は、自らは退陣する 2000 年総統選挙を前にしてシビリアンコント ロ ールの原則 と国軍の政 治的中立を 明確にうた った国防法 を可決 ・ 成立させている(施行は 2002 年)。中華世界の伝統を超克して「革 命 」によらな い政権交代 を準備した という点で も、李登輝 の功績 は 高く評価されるべきである12。また、軍の最高幹部も政権交代の可能 性 を視野に入 れて、軍が 暴発しない ように力を 注いだ。当 時参謀 総 長であった湯曜明上将は、3 月 18 日夕方、総統選挙の投票が締め切 ら れるとテレ ビを通じて 「誰が当選 しようと、 中華民国国 軍は新 し い三軍総司令官、つまり新しい国家元首である新総統に忠誠を誓う」 と 宣言した。 この当時、 参謀総長は 総統から直 接命令を受 けて実 戦
12 門間理良「台湾『国防法』の分析」『東亜』(2000 年 3 月号)、25~26 ページ。
部隊を指揮する立場であった13。その参謀総長が新総統に忠誠を誓う と 宣言したこ とで、軍部 でくすぶる 民進党政権 への敵対心 を一定 程 度緩和させる効果があった14。陳水扁は総統に当選すると、湯曜明参 謀 総長を留任 させるとと もに、国民 党籍である 唐飛国防部 長(元 参 謀 総長)を行 政院長に任 命した。こ れらの措置 は軍幹部の 心理を 安 定 させ、民進 党籍の総統 に忠誠を誓 わせる点で 大きな効果 があっ た ものと思われる15。
六 2004 年総統選挙前後の情勢
台 湾とア メリ カとの 関係 につい て言 えば、 陳水 扁総統 就任 直後は 大きな問題はなかった。陳総統も総統就任演説において、「5 つのノ ー 」を宣言し 、中国が武 力行使しな い限り、台 湾の独立宣 言をし た り 国号を変更 したりする などせず現 状維持に徹 する姿勢を 明らか に し た か ら で あ る16。 し か し 、 陳 水 扁 総 統 が 一 定 の 誠 意 を 見 せ た も の の、その後の中台関係は進展を見せず、2002 年 8 月に陳総統が「一 辺一国論17 」を提起するに至り、大きく悪化した。 さらに、台湾では 2003 年に住民投票法案が成立し、それを根拠に して 住民投票(「国防の強化 」と「中国 との対等な 交渉」)を総 統 選 挙 と同時に行 うことにし たが、それ は台湾海峡 の平和と安 定を破 壊 し 、台湾海峡 の現状を変 更しようと するもので あるとして 中国は 強13 この当時の国防部長の権限は、軍政面に限定されていた。 14 劉世忠「2000 年、台湾初の政権交代-その試行錯誤のプロセス」新台湾国策智庫 Newsletter No.14(2011 年 4 月)、4 ページ。 15 当時、筆者と旧知の台湾軍幹部も、唐飛国防部長が行政院長になる以上、自分たち も唐院長を支えなければならない旨筆者に語っていた。 16 「中華民國第十任總統、副總統就職慶祝大會」總統府新聞稿、2000 年 5 月 20 日。 17 「總統以視訊直播方式於世界台灣同郷聯合會第二十九屆年會中致詞」總統府新聞 稿、2002 年 8 月 3 日。
く 反発した。 アメリカは かねてから 住民投票に ついて懐疑 的な姿 勢 を見せていたが、2003 年 11 月にはアーミテージ国務副長官が、「区 域 内(アジア 太平洋地域 )の平和維 持に責任を もつすべて の指導 者 は、火に油を注ぐようなことをすべきではない18」と述べた。また、 12 月 1 日には国務省のバウチャー報道官が「台湾の地位変更、独立 につながるいかなる住民投票にも反対する19」と明確に反対した。結 果的に 2004 年の総統選挙でも中国は陳水扁の再選を阻止することが で きなかった 。しかし、 中国は台湾 の独立阻止 に関しては 、アメ リ カ と共同歩調 を取ること が可能な部 分もあるこ とを学んだ 。また 、 住民投票も投票率が両案ともに 45%台だったために不成立に終わっ た 。台湾の政 権が独立と いう過激な 方向に歩み を進めるよ うに見 え る と き は 、 ア メ リ カ も そ れ に ブ レ ー キ を か け よ う と し て い る こ と を、中国はしっかりと理解したのである。 なお、2004 年総統選挙関連では、台湾の安全保障上看過できない き わ め て 重 大 な 事 象 が 2 件 発 生 し て い る こ と を 指 摘 す る 必 要 が あ る。1 つは投票日前日の 3 月 19 日午後に発生した正副総統への銃撃 事 件である。 その日、台 南市でジー プに乗って 遊説してい た陳水 扁 総 統が何者か に銃撃され 、腹部に傷 を負った。 同乗してい た呂秀 蓮 副総統も右膝を負傷した20。台湾政府はこのとき、游錫堃行政院長が 急 きょ国家安 全非常時対 応メカニズ ム会議(原 文:国家安 全応変 機 制会議)を招集している21。銃撃を防げなかった護衛の対応は批判さ
18 中川昌郎『馬英九と陳水扁 台湾の動向 2003~2009.3』(明徳出版社、2010 年)、111 ページ。 19 「米報道官が台湾住民投票への反対を言明」人民網日本語版、2003 年 12 月 3 日、 http://j.people.com.cn/2003/12/03/jp20031203_34618.html。 20 「秘書長説明總統、副總統遭槍傷情況」總統府新聞稿、2004 年 3 月 19 日。 21 「有關總統及副總統槍傷事件召開國家安全應變機制會議」總統府新聞稿、2004 年 3
れ るにしても 、そもそも 政治上の最 高指導者は テロや暗殺 の対象 に な りうる。そ れゆえに総 統が執務不 可能となっ た時に遅滞 なく政 権 を 掌握するた めに副総統 が用意され ている。に も拘わらず 、その 両 名 が同じ場所 にいて同時 に負傷する などという ことは本来 あって は な らない事態 であった。 不幸中の幸 いは、正副 総統ともに 傷が浅 く 意 識も鮮明だ ったことだ が、もし、 中国軍特殊 部隊要員に よる「 斬 首行動」(台湾首脳の暗殺)22であれば、成功していた可能性も十分 にあったのである。 もう 1 つは、総統選挙終了後の台湾内における混乱である。陳水 扁ペアは 647 万票余り(得票率 50.11%)、連戦ペアは 644 万票余り (同 49.89%)をそれぞれ獲得し、わずか 2 万 9,518 票差で陳水扁が 再選された。このときに発生した無効票が 33 万票もあったこともあ り 、連戦らは 「不公平な 選挙を受け 入れるわけ にいかない 」と述 べ て 選挙の無効 を訴え座り 込みを行っ た。総統府 前での抗議 活動、 座 り込みに参加した人数は、少ない時で 500 人、多い時で約 1 万人で あった23。結局 3 月 26 日に中央選挙委員会が陳水扁ペアの当選を確 定 する公告を 出したとき 、中国国務 院台湾事務 弁公室のス ポーク ス マ ンは「もし 台湾情勢が コントロー ルを失い、 社会動乱を 引き起 こ し 、台湾の人 々の生命や 財産の安全 に危険がお よび、台湾 海峡の 安 定 を損なうの であれば、 我々は座し て見過ごす ことはない 」と述 べ
月 19 日。同会議に召集されたのは、邱義仁・総統府秘書長、康寧祥・国家安全会議 秘書長、湯曜明・国防部長、簡又新・外交部長、蔡英文・行政院大陸委員会主任委 員、林義夫・経済部長、林全・財政部長、彭淮南・中央銀行総裁、許応深・内政部 次長、王進旺・国家安全局副局長であった。なお、この当時の台湾の安全保障体制 に関しては、門間理良「台湾の安全保障体制」『問題と研究』第 33 巻 5 号(問題と 研究出版、2004 年)を参照されたい。 22 台灣國防部編『中華民國九十八年 國防報告書』(台灣國防部、2009 年)頁 66。 23 前掲『馬英九と陳水扁 台湾の動向 2003~2009.3』、154 ページ。
て干渉する可能性を示した24 。 中国は 2012 年現在に至るまで台湾武力侵攻の選択肢を放棄してい な い。中国の 台湾武力侵 攻を呼び込 む可能性と して従来指 摘され て いる事態の中に、「台湾内部で動乱が発生したとき25」という事項が ある。2004 年総統選挙後の情勢は、動乱に発展する可能性を秘めて いたと中国側が判断していたと推測することができる。
七 2008 年総統選挙前後の情勢
このときの総統選挙は 8 年間にわたる民進党政権を台湾民衆が肯 定 的に評価し て後継候補 である謝長 廷に投票す るのか、そ れとも 中 国 との経済面 で交流の進 展は見られ たものの、 政治的・軍 事的に は 中 国ともアメ リカともぎ くしゃくし たことに嫌 気がさして 、国民 党 の 馬英九に投 票するのか という点が 注目された 。ただ、事 前に馬 英 九 が当選する 可能性が高 いことが予 想されても いたため、 中国側 も そ の意味では 「もっとも 安心して見 られる」選 挙だったか もしれ な い。 し かし、 総統 選挙に 関連 して台 湾の 安全保 障に 波紋を 投げ かける 事 象がなかっ たわけでは ない。台湾 が総統選挙 と同時に実 施する こ と になった住 民投票(民 進党案の「 台湾名義で の国連加盟 」と国 民 党案の「中華民国名義での国連復帰」)に、米中がそろって実施に反24 同上、156~157 ページ。 25 台灣國防部編『中華民國八十一年 國防報告書』(黎明文化出版公司、1992 年)、頁 42。そのほかの状況としては、①台湾が独立に向かったとき、②台湾軍の戦力が相 対的に弱体化したとき、③外国勢力が台湾の内部問題に関与したとき、④台湾が長 期にわたって統一の交渉を拒絶したとき、⑤台湾が核兵器を発展させたとき、⑥台 湾が中国に対し「和平演変」を行い中国共産党政権に危機が及んだとき、が挙げら れている。
対 を表明した のである。 アメリカ政 府はこれま でもたびた び住民 投 票について反対表明はしていたが、2007 年 12 月 21 日(米東部時間)、 アメリカのライス国務長官が自ら反対の表明を行った26。アメリカの 国 務長官が住 民投票に関 して警告し たことはこ れまでなか ったこ と だった27 。さらに 2008 年 2 月 26 日、北京訪問中のライス国務長官は、 アメリカは 1 つの中国の政策を堅持し、台湾当局の「国連加盟に関 す る住民投票 」に反対し 、台湾海峡 の現状を一 方的に変え ること に 反対する、「住民投票」はいかなる一方にも利点はなく、実施すべき で ないと表明 した。また 、中国の楊 潔篪外相は 「台湾問題 は中国 の 主 権と領土保 全にかかわ るもので、 中国の最大 の関心事で ある。 現 在、陳水扁と民進党当局が国際社会の幅広い反対を顧みず、『国連加 盟 に関する住 民投票』を あくまで実 施しようと しているの は、台 湾 海 峡とアジア 太平洋地域 の平和と安 定に重大な 危険を及ぼ すこと で ある」と述べて、共同歩調をとって台湾に警告を行ったのである28。 さらに、中国の温家宝総理が、総統選挙投票日(3 月 22 日)が近 付いた 3 月 18 日にだめ押しするかのように「台湾と大陸が同じ『1 つ の中国』に 属する現状 を変更する ものであり 、住民投票 が実現 す れば、台湾海峡の情勢の緊張を引き起こすだろう」、「(台湾の前途は) 台 湾の同胞を 含む全中国 人民によっ て決定され なければな らない 。 台 湾を祖国か ら分裂させ る行為は目 的を達する ことはでき ず、必 ず 失敗に終わる29 」と述べている。
26 “Taiwan UN bid ‘provocative’ –US” BBC NEWS, 21 December 2007, http://news.bbc.co.uk/
2/hi/asia-pacific/7156515.stm. 27 前掲『馬英九と陳水扁 台湾の動向 2003~2009.3』、638 ページ。 28 「台湾当局の『国連加盟住民投票』に反対 北京でライス国務長官表明(北京 2008 年 2 月 26 日発新華社)」在日本中国大使館 HP、2008 年 2 月 27 日。 29 中共中央台灣工作辦公室・國務院台灣事務辦公室「温家寶:要維護台海和平穩定 促
この選挙は馬英九が 765 万票余りを獲得する歴史的大勝利を収め たが、住民投票は両案とも投票率が 35%台で不成立となっている。 2008 年選挙では 2004 年時と同様に、米中が共同して台湾(民進党政 権 )を抑え込 もうとする 構図が再現 されている 点には留意 すべき で ある。
八 2012 年総統選挙前後の情勢
1 月 14 日に投開票が行われた総統選挙は、現職の馬英九総統が民 進 党 主 席 の 蔡 英 文 候 補 を 退 け る こ と が で き る か ど う か が 注 目 さ れ た 。前回の選 挙で馬英九 総統は歴史 的大勝利を 得ていたた め、た と え 馬総統が勝 利するとし ても、前回 より獲得票 数が下がる ことは 誰 もが予想していた。投票結果は、馬英九総統が蔡英文主席に約 80 万 票差をつけての勝利であった。投票率は 2008 年の 76.33%を下回る 74.38%で民主主義国家の中では高いが、台湾の総統選挙としては投 票 率が伸びな かった。こ れは、選挙 に対して冷 静に対応す る台湾 民 衆 の態度が感 じられる。 裏を返すと 、今回の選 挙は過去の 総統選 挙 と 比較して、 最も「無風 選挙」とい う表現が当 てはまるも のであ っ たということかもしれない。 た だし、 今回 の総統 選挙 を通じ て見 えてき た台 湾の安 全保 障上の 問 題は、これ までの個別 具体的な事 象よりも、 より構造的 なもの で あった。総統選挙直前の 2012 年元旦に、ECFA は新段階を迎えた。 ゼロ関税品目数が 2011 年の 14%から 94%に激増した。また、中国 か ら台湾にや ってくる観 光客も順調 に増えてい る。工業で あれ観 光 で あれ、各種 産業にとっ て中国はな くてはなら ない存在と なって い進兩岸共同發展」2008 年 3 月 18 日、http://www.gwytb.gov.cn/speech/speech/201101/ t20110123_1723926.htm。
る。このような状況で、2011 年 12 月 16 日、政治協商会議の賈慶林 主席が、「92 年合意を否定すれば、両岸の話し合いを続けていくこと は 困難になる 。すでに存 在する話し 合いの成果 も実施する ことが 難 しくなる30 」と強く警告したのである。この警告は、2000 年の朱鎔 基 総理の警告 とは全く逆 に作用した 。台湾企業 のトップが 馬英九 支 持 を鮮明にし たこと、賈 慶林主席の 恫喝ともと れる発言に 対して 民 衆 から大きな 感情的反発 がなかった ことは、中 台関係にお いて経 済 カ ードがいか に強力であ るかという ことを示し ている。経 済・貿 易 交 流を通じて 中国経済に 組み込まれ ていくこと を台湾は選 択した 。 そ の選択は尊 重されなけ ればならな いが、台湾 が今後どの ように し て 自立性と安 全を確保し ていくかが 大きな課題 となってい ること は 確かである。
九 おわりに
台 湾の安 全保 障にと って 重要な こと は、中 国と の安定 的な 関係を 構 築すること とアメリカ の後ろ盾を 確保してお くことであ る。台 湾 で 徐々に成長 してきた国 民党外の土 着的政治勢 力の発展を 背景に 、 蔣 経国は国民党が台湾で生き延びていくために、同党の台湾化を 図 っていった。謝東閔に続き、1984 年の総統選挙で李登輝という本省 人 を副総統に 据えたのは その一環と 解すことが できる。ア メリカ が 国 民党 政権に 要求 してき た民 主化は 1988 年に総統に昇格し、1990 年 の総統選挙 で力をつけ た李登輝に よって強力 に進められ ること に なった。30 中共中央台灣工作辦公室・國務院台灣事務辦公室「賈慶林:在海協會成立 20 周年記 念大會上的講話」2011 年 12 月 16 日、http://www.gwytb.gov.cn/wyly/201112/t20111217_ 2216933.htm。
それは 1996 年の総統選挙に結実し、台湾の政治的民主化が一応完 成 したことを 世界に示し た。この時 、中国は総 統選挙への 干渉を 武 力 で試みたが 、台湾海峡 の安定と台 湾の民主化 を望んでい たアメ リ カの許すところではなく、クリントン政権は 2 個空母部隊を台湾海 峡 に派遣する ことで、中 国の意図を くじくこと に成功した 。この 時 点 で、台湾の 総統選挙は 台湾の安全 保障にとっ て非常に重 要な機 能 を果たしていたと指摘できよう。 2000 年の総統選挙は、台湾の政治的民主化がさらに一歩進む機会 を 与えた。平 和裡に行わ れた政権交 代である。 中国は前回 のよう な 大 規模な軍事 演習はしな かったが、 首脳の演説 などで恫喝 を加え た が 、政権交代 を実現させ た台湾は、 民主国家と しては歩を 進める こ と ができた一 方で、民進 党政権は中 国との関係 を緊張させ ていく こ と になり、こ れはアメリ カをいらだ たせること にもなった 。ただ 、 総 統選挙に伴 うクーデタ 発生という これまでと は性格の異 なる内 発 的 な台湾の安 全保障上の 疑念を、根 付いていた 民主主義の 理念を 背 景 にして、制 度の上から も人事上の 処置の上か らも正確に 対応し 、 払しょくできた意義は大きかった。 2004 年の総統選挙は、冷却化していた対米関係・対中関係の下で 実 施された。 この選挙で 陳水扁が採 用した選挙 戦術は住民 投票を き っ かけの一つ として台湾 住民の台湾 アイデンテ ィティに訴 えかけ よ う とするもの だった。陳 水扁は再選 を果たした ものの、そ の手法 は 中 国ばかりか アメリカか らも反対さ れた。その 結果、中国 は台湾 独 立 阻止という 面ではアメ リカとも手 を結びうる ことを学ん だので あ る 。また、正 副総統が同 時に負傷す るという安 全保障上あ っては な ら ない事件の 発生は、台 湾の安全保 障が非常に 詰めの甘い もので あ る ことを露呈 するものだ った。さら に、選挙後 の台湾内部 の抗議 運 動 は台湾から すると中国 に、社会動 乱の発生に とも受け取 られか ね
ないほどの緊急事態であった。 2008 年の総統選挙では、民進党政権がまたしても住民投票を持ち だしたため、アメリカは中国とともに反対を唱えるという 2004 年総 統選挙の構図を再現するものになった。 2012 年の総統選挙は、台湾の安全保障にとって政治や軍事といっ た 側面よりも 、経済や社 会のありか たといった より根元的 な面か ら 大 きな脅威を 受けるもの だった。中 国経済に組 み込まれた 台湾が 、 い かにして自 立性と安全 を確保して いくのかが 問われてい るので あ る。 な お、ア メリ カは中 国の 対台湾 武力 行使に つい てはそ れを 阻止す る 姿勢を明確 にするが、 台湾が中国 と対立する ような行動 をとっ た 場 合、中国と ともにそれ を抑え込も うとする姿 勢をとるこ とも、 明 確 となってい る。これは 従来中国が 危険視して いた「台湾 問題の 国 際 化」だが、 台湾を抑え 込むにはア メリカと共 同歩調をと ること が 効 果的である ことを中国 も理解し、 アメリカを 引き込んで 台湾に 対 するようになっている点は見逃せない。 ( 寄 稿 : 2012 年 5 月 16 日、採用:2012 年 6 月 18 日)
總統選舉對臺灣安全保障的影響
門 間 理 良
(防衛省防衛研究所主任研究官)【摘要】
臺 灣的 總統選 舉對 於哪位 候選 人會當 選, 有聚焦 於當 選者政 見的 傾 向,在各次 大選當中, 亦有引發了 大為影響臺 灣安全保障 的事態 。 本 文的討論從 一九八四年 蔣經國最後 的總統選舉 ,至最近的 二○一 二 年 第 五 次 民 選 總 統 為 止 , 指 出 其 中 中 國 大 陸 無 法 進 行 選 舉 干 預 的 例 子 ;或是因為 中國大陸的 干涉發生了 反動,反而 不能發揮中 國大陸 所 期 待的效果的 例子;也有 因為臺灣內 在的因素而 產生了威脅 安全的 可 能 性的情況。 另外也指出 了在二○一 二年的總統 大選中,臺 灣面對 如 何處理與經貿交流日盛的中國大陸的關係;如何確保安全等問題。 關鍵字:干涉、安全保障、李登輝、陳水扁、馬英九Impact of the Presidential Election on
Taiwan’s Security
Rira Momma
Chief Researcher, The National Institute of Defense Studies
【Abstract】
At the time of the presidential election in Taiwan, most concern centered on the election winner and his manifesto; however, major events that have affected Taiwan’s security have occurred during each election. In this paper, China’s failure in attempting to interfere with Taiwan’s elections will be illustrated in examples from Chiang Ching-kuo’s final election in 1984 to the nation’s fifth democratic election in 2012. Examples on backfired Mainland China’s interference that failed to achieve expected results are also provided. What’s more, examples of internal affairs jeopardizing Taiwan’s security are also discussed. Finally, the paper also discusses the 2012 presidential elections, during which Taiwan was confronted by questions on assuring Taiwan’s security amid the growing economic relation with China.
Keywords: Intervention, security policy, Lee Teng-hui, Chen Shui-bian, Ma
〈参考文献〉 「米報道官が台湾住民投票への反対を言明」人民網日本語版、2003 年 12 月 3 日、 http://j.people.com.cn/2003/12/03/jp20031203_34618.html。 「台湾当局の『国連加盟住民投票』に反対 北京でライス国務長官表明(北京 2008 年 2 月 26 日発新華社)」在日本中国大使館、2008 年 2 月 27 日。 中川昌郎『台湾をみつめる眼 定点観測・激動の 20 年』(田畑書店、1992 年)。 ______『馬英九と陳水扁 台湾の動向 2003~2009.3』(明徳出版社、2010 年)。 ______『李登輝から陳水扁 台湾の動向 1995~2002』(財団法人交流協会、2003 年)。 中嶋慎治「台頭する中国との関係は如何にあるべきか-中国の多国間主義外交と日米の 対応-」『立命館経済学』第 58 巻第 5・6 号(2010 年)、158 ページ。 平松茂雄『台湾問題 中国と米国の軍事的確執』(勁草書房、2005 年)。 門間理良「台湾『国防法』の分析」『東亜』(2000 年 3 月号)、25~26 ページ。 ______「台湾の安全保障体制」『問題と研究』第 33 巻 5 号(問題と研究出版、2004 年)。 劉世忠「2000 年、台湾初の政権交代-その試行錯誤のプロセス」新台湾国策智庫 Newsletter No.14(2011 年 4 月)、4 ページ。 若林正丈『台湾の政治 中華民国台湾化の戦後史』(東京大学出版会、2008 年)。 ______『現代アジアの肖像 5 蔣経国と李登輝』(岩波書店、1997 年)。 ______『台湾海峡の政治 民主化と「国体」の相克』(田畑書店、1991 年)。 「中華民國第十任總統、副總統就職慶祝大會」總統府新聞稿、2000 年 5 月 20 日。 「有關總統及副總統槍傷事件召開國家安全應變機制會議」總統府新聞稿、2004 年 3 月 19 日。 「秘書長説明總統、副總統遭槍傷情況」總統府新聞稿、2004 年 3 月 19 日。 「總統以視訊直播方式於世界台灣同郷聯合會第二十九屆年會中致詞」總統府新聞稿、 2002 年 8 月 3 日。 中共中央台灣工作辦公室・國務院台灣事務辦公室「賈慶林:在海協會成立 20 周年記念 大會上的講話」2011 年 12 月 16 日、http://www.gwytb.gov.cn/wyly/201112/t20111217_ 2216933.htm。 ______「温家寶:要維護台海和平穩定 促進兩岸共同發展」2008 年 3 月 18 日、 http://www.gwytb.gov.cn/speech/speech/201101/t20110123_1723926.htm。 台灣國防部編『中華民國九十八年 國防報告書』(台灣國防部、2009 年)。 ______『中華民國八十一年 國防報告書』(黎明文化出版公司、1992 年)。 張玉法『中華民国史稿』(聯経出版事業公司、1998 年)頁 602。
“Taiwan UN bid ‘provocative’ –US” BBC NEWS, 21 December 2007, http://news.bbc.co.uk/2/ hi/asia-pacific/7156515.stm.