以上のように、6 月末の時点で、習政権は蔡政権への対応策に、一 定 の結論を出 し、蔡政権 もそれに対 応したもの と考えられ る。と こ ろが、習政権の実際の行動を観察すれば、3 月以来蔡政権への圧力を 増 大させてい るとはいえ 、それはい わば「退路 を残した」 圧力で あ り、蔡政権を完全に追い詰めて対立を煽ることを避け続けていた。
第 1 は、中国当局者と同席する多国間の国際会議への台湾当局者 の参加である。WHA の場合は、会議参加に関する交渉の大部分が馬 英九政権末期になされた。結局中国は台湾当局代表のWHA 出席を、
全力を挙げて阻止しなかった。WHA で恒例となっていた「両岸閣僚 級会談」こそなされなかったものの、彼らは通路で「偶然」出会い、
短いながらも会話を交わしたのである62。このため、10 月に予定さ れていた国際民間航空機関(ICAO)の総会で、蔡政権には若干の楽 観 的観測を持 ったが、最 終的に参加 は拒絶され 、代表団は 会場の 外 で 関 係 国 と 会 合 を も つ し か な か っ た63。 と こ ろ が 、 ペ ル ー の リ マ で 11 月に行われた APEC 首脳会議の総統代理には宋楚瑜が選ばれた。
こ れまで中国 は影響力を 行使して、 陳水扁総統 が派遣を検 討した 李 元 簇元副総統 や王金平立 法院長など を拒絶した ことがあり 、全力 を 尽 くせば蔡の 代理人選を 拒絶できる はずであっ た。ところ が、事 前 に 絶望視され る報道があ ったものの 、結局宋楚 瑜の会議参 加は実 現 し、彼は習と短時間接触することもできた64。
62 「両岸代表握手寒喧―WHA 場外不期而遇―」『中国時報』2016 年 5 月 25 日。
63 「参與 ICAO 李大維:楽観」中央通訊社、2016 年 9 月 13 日、http://www.cna.com.tw/
news/firstnews/201609130300-1.aspx。「我ICAO 代表団抵加 安排場外会談」『聯合報』
2016 年 9 月 27 日。
64 「宋楚瑜出席 APEC 陸否決」『中国時報』2016 年 9 月 7 日。「宋習APEC 会前碰面『談
第 2 に、いわゆる台湾と承認国との間の「断交ドミノ」が政権交 代 直後にとり あえず発生 しなかった ことである (サントメ プリン シ ペとの断交については後述)。蔡は、6 月 24 日から運河の拡張工事完 成 式典参加の ためパナマ を、そして その後にパ ラグアイを 訪問し た
65。9 月 2 日からは、カトリック教徒である陳建仁副総統がバチカン 公国を訪問した66。いずれも断交がささやかれている「重要な友邦」
で ある。特に バチカンに ついては、 司教任命権 をめぐって 中国と の 間 で妥協が成 立したとい う台湾に圧 力を感じさ せる報道が あり、 い つ外交関係の切り替えがあってもおかしくない67。つまり、いずれも 中 国が本気に なれば、総 統や副総統 の訪問を阻 止すること が不可 能 ではなかったはずだったのである。
第 3 は、事故と自然災害をきっかけとした中台間の最低限の連絡 復活である。7 月 1 日午前、高雄の左営港に停泊中の台湾海軍の艦艇 から、「雄風Ⅲ型ミサイル」が誤射され、澎湖島近海の台湾漁船に命 中 して死者が でるという 事故があっ た。台湾の 関係者は携 帯電話 の シ ョートメッ セージで中 国のカウン ターパート に通報した が、中 国 側 関係者は基 本的にほと んど返信を していない ものの「既 読」で あ ることが判明した68。7 月 8 日に台湾をおそった台風 1 号などの自然
両岸経貿』」『聯合報』、2016 年 11 月 21 日。ただしその後いかにこの接触が取るに足 らないかということを強調する報道が続いた。「與習只談 1 分鐘?宋:認定太狭隘」
『聯合報』2016 年 11 月 25 日。
65 蔡はパナマで(中華民国ではなく)「台湾の総統」とサインしたことが取りざたされ た。「蔡英文:称台湾総統応該不為過」『聯合晩報』2016 年 5 月 26 日。
66 「陳建仁:聖和之旅 円満成功」『自由時報』2016 年 9 月 9 日。
67 「対台施圧?梵陸伝将解決主教争議」『聯合報』2016 年 10 月 22 日。
68 「雄三飛弾那天 熱線還是打不通」『聯合報』2016 年 7 月 7 日。「雄三誤射 陸委会 2 度簡訊通報陸」『聯合報』2016 年 7 月 11 日。
災害では、国台辦からお見舞いの言葉が記者会見で述べられた69。そ して、7 月 19 日に台湾の桃園市で発生したバス火災で搭乗していた 中国観光旅行客全員が死亡した事故(後に運転手による放火と判明)
で は、中国か ら国台辦と 海協会の職 員が上海市 旅行業協会 職員の 身 分を使って台湾を訪問して対応したことが判明した70。8 月 13 日に は 福建省で台 湾の観光客 が乗ったバ スの事故が あり、死者 が出た 。 こ の際も双方 の旅行業協 会同士に加 えて海基会 と海協会が 連絡を 取 り合ったとされる71。11 月 30 日には、両会が春節時期の直航便増便 について電話とファクスで調整したことが明らかになった72。
第 4 は、中台間の経済交流が受ける影響が最小限に止まっている ことである。前述したように 3 月の段階で「台湾からの買い付け」
と 「台湾への 団体観光旅 行客」の削 減が一種の 「経済制裁 」とし て の 機能を持ち 始めていた 。しかも観 光旅行は、 運転手の放 火によ る バ スの乗客全 員死亡とい う衝撃とそ の後の蔡政 権の対応が 人道軽 視 と の批判をよ んだことに より、さら に減少した ものと考え られる 。 しかし、9 月 18 日に、「92 年コンセンサス」を受け容れている国民 党および無所属 8 県・市の首長が北京を訪問した際、上記の買い付 けや観光旅行を8 県・市に限って維持することが提起された73。これ は 民進党を孤 立させる伝 統的な統一 戦線工作で あるとも考 えられ る が 、台湾全体 に一律の「 経済制裁」 を課さない ことをも意 味して い
69 「国台辦発言人対台湾台風災情表示慰問」中共中央台湾工作辦公室・国務院台湾事 務辦公室、2016 年 7 月 8 日、http://www.gwytb.gov.cn/wyly/201607/t20160708_11503806.
htm。
70 「国台辦:不渉両岸協商機制啓動」『聯合報』2016 年 7 月 21 日。
71 「陸委会:聯繋国台辦協助」『聯合報』2016 年 7 月 21 日。
72 「両岸春節加班機 伝真、電話喬好的」『聯合報』2016 年 11 月 30 日。
73 「陸差異化対待 利多只給我 8 県市」『聯合報』2016 年 9 月 18 日。
る。さらに、10 月 18 日に、中国はコール市場に台湾の銀行 5 行の参 与 を許可した が、これは 、中国が経 済面で善意 を示した行 為と受 け 取られている74。結局 2016 年の中国大陸観光客は対前年度比 16.1%
減 であったが 、他の国・ 地域からの 大幅増加に より、減少 分が補 わ れ、台湾への観光旅行客は史上最高水準に達した75。中国の「経済制 裁」は台湾が対応可能な水準にとどまっている。
こ うした 情況 からみ て、 対話回 復の 「機会 の窓 」は必 ずし も完全 に 閉じていな いことが、 観察されて いる。馬英 九の大陸政 策のブ レ ーンとされる亜太基金会の趙春山前董事長は、「習近平の談話(引用 者注:11 月 1 日の談話を指す)は、原則を堅持する以外に、両岸の 将来の意思疎通のための妥協空間を残していて、92 年コンセンサス に符合する限り、双方はやはり意思疎通できる」76と観察している。
中国側では、周志懐が11 月 30 日に「大陸は『92 年コンセンサス』
以 外に創造性 を有した代 替的なコン センサスを 打ち立てる ことに 必 ずしも反対ではない」、と発言し、双方の接触拡大を提案したのであ る77。
ただし、習と蔡をめぐる環境にはずれが生じている。習は、10 月 末に開催された中共第18 期中央委員会第 6 回全体会議(18 期 6 中全 会 )において 、党中央の 「核心」と 表現され、 公式に強力 な地位 を
74 「両岸関係冷 中国釈善意」『経済日報』2016 年 10 月 19 日。
75 杜兆倫「2016 年来台旅客創新高 蔡英文簡体中文『謝謝』陸客」風伝媒、2017 年 2 月9 日、http://www.storm.mg/article/221492。
76 「趙春山:習近平為両岸溝通留空間」中央通訊社、2016 年 11 月 1 日、http://www.
cna.com.tw/news/aipl/201611010486-1.aspx。
77 「周志懐:可建立有一中原則内涵的両岸新共識」中国評論新聞網、2016 年 11 月 30 日、http://bj.crntt.com/doc/1044/8/8/4/104488421.html?coluid=7&kindid=0&docid=104488 421&mdate=1130171656。
確保した78。しかも、習の権力基盤は、19 全大会でさらに強化され る 可能性があ る。他方、 蔡は政権発 足以降、内 政面での希 望に応 え きれず、支持率が低下傾向を見せている79。言うまでもなく、リーダ ー シップが強 力であるほ うが政策の 柔軟性を発 揮し易い。 上記の よ う に挑発を避 け、中国へ の配慮を見 せていた蔡 は、少しず つ台湾 内 部や党内への配慮を強めなければならなくなっていった。
第 1 は、党内の台湾独立派への配慮が増加したことである。ダラ イ ラマ招聘の 言説や、国 連加盟運動 、いわゆる 「ソフト台 湾独立 」 な どに対して 中国から加 えられた批 判は、蔡が こうした民 進党の 動 きを阻止せずに放置していることに集中している80。難産した海基会 董 事長は、陳 水扁政権時 期に外交部 長を務めた 田弘茂が選 ばれた 。 田 は、必ずし も台湾独立 派ではない が、それま で取りざた された 宋 楚 瑜や王金平 などよりも 明確に独立 派に近く、 中国への配 慮が多 い 蔡に対する党内の批判をかわす意図が考えられる81。
第 2 は、中国の圧力に抵抗して日本やアメリカに接近する姿勢を 見せていることである。10 月に、蔡は、Wall Street Journal のインタ ビューで、「台湾は中国の圧力に屈服しない」と発言し、『讀賣新聞』
第 2 は、中国の圧力に抵抗して日本やアメリカに接近する姿勢を 見せていることである。10 月に、蔡は、Wall Street Journal のインタ ビューで、「台湾は中国の圧力に屈服しない」と発言し、『讀賣新聞』