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試論琉球漢詩的一個面向 ー與中國和日本的漢詩比較談起ー

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Academic year: 2021

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(1)台大日本語文研究第 29 期 2015 年 6 月,頁 47-73 2015-03-31 收稿,2015-05-27 通過刊登 DOI: 10.6183/NTUJP.2015.29.47. 試論琉球漢詩的一個面向 ー與中國和日本的漢詩比較談起ー 朱秋而*. 摘要 近來學界對中國以外的漢詩文化圈的相關研究蓬勃發展,相較於 以往漸漸受到更多學者的關注。透過重要作品的解讀和比較分析,瞭 解各地區文學表現、思想性或是文化跨界等諸多問題,也已經累積了 不少的研究成果。不過綜觀目前研究,不可否認的是仍以日本和朝鮮 的漢學討論居多,琉球、越南和蒙古地區的探討相對有限。 這不過,位居中國和日本之間的琉球,自古在政治、文化、經濟 和軍事上,在東亞世界有其重要地位的琉球,其漢學的成立和發展過 程,一方面受到日本五山禪林的影響,另一方面也與明清兩代的文化 交流有著緊密的關連,長期以來致力於琉球漢學的文獻考掘、整理和 研究分析的琉球大學名譽教授上里賢一先生已經累積許多優秀的成 果。 因此本報告擬在學界先進的琉球漢學研究基礎之上,從最早且舉 足輕重的《中山詩文集》中歌詠琉球世子賜給本書編者程順則「鳳尾 蕉」時,多位同僚詩人為紀其此殊榮時吟咏的十七首作品,透過與中 國詩中的「鐵樹」描寫,還有江戶後期漢詩的「鳳尾蕉」詩以及芭蕉 等 許 多 俳 句 詩 人 吟 咏 的「 蘇 鐵 」之 詩 歌 意 象 與 創 作 手 法 進 行 比 較 分 析 , 期能藉此釐清琉球漢詩在東亞漢詩史上之特色與該如何評價的問題之 一端。. *. 台灣大學日本語文學系教授.

(2) 48 台大日本語文研究 29. 關 鍵 詞 :《 中 山 詩 文 集 》、 雪 堂 紀 榮 詩 、 鳳 尾 蕉 、 鐵 樹 、 蘇 鐵.

(3) 『中山詩文集』から見る琉球漢詩の一側面 49. A Side View of Han Poetry in Ryukyu : Comparing Han poetry in China and Japan Ju, Chiou-er *. Abstract The recent studies on Han poetry in regions outside China thrive and thus receive a great deal of academic attention from scholars and investigators. It is the trend to interpret and compare the key works to know the issues on literature, ideology and cultural crossover in respective regions, which has exerted plentiful papers concerned. A holistic view into the present studies identifies research on Han s tudies in Japan and Korea as the mainstream and investigation on Han studies in Mongolia, Ryukyu (Okinawa) and Vietnam as minority. Since the ancient times, Ryukyu between China and Japan geographically used to play the key role in the East Asian region politically,. culturally,. economically. and. militarily.. Clearly,. the. launching and history of Han studies in Ryukyu used to receive Gozan zenrin (Japanese monks) in Kyoto Japan and tie closely with Ming and Ching Dynasties as well. Uezato Kenichi, the honorary professor, Ryukyu University, has many papers concerning Han studies in Ryukyu due to his long-term dedication and engagement in literature archeology, compilation and investigation. With the previous papers, the author expects to clarify the qualities and evaluation of Han poetry in Ryukyu in the history of Han poetry in East Asia through comparing the image and approach concerning sago cited in 17 poems of peer poets in honor of Chen Shun -tse (Tei Junsoku) *. Pro fessor o f the Depar tme nt o f J ap anese Lang uage and Literature, Natio nal Taiwa n University.

(4) 50 台大日本語文研究 29. the editor of Ryukyu Lyrics Anthology (the first work with the most significance) receiving sago from the Ryukyu prince and Sago cited in Chinese poetry, and sago poems in Han poetry in the late Edo period, and sago chanted by Matsuo Basho Haiku poet.. Keywords: Ryukyu (Chushan i.e. Central Mountain) Ly rics Anthology , Setsudokiei Poem, Hobisyo, Sago,Sotetsu.

(5) 『中山詩文集』から見る琉球漢詩の一側面 51. 『中山詩文集』から見る琉球漢詩の一側面 ―中国と日本の比較を通して―. 朱秋而*. 要旨 中国以外の漢詩文学圏の研究は近年、とくに注目され作品を通 して、文学表現や思想性や文化的な越境等多くの課題が提起され、 本家の中国と比較しながら、研究が盛んに行われ、一定の成果をあ げている。これらの考察を地域的で見ると、日本や朝鮮の漢詩漢文 に集中している傾向が否めない。ベトナム・琉球・モンゴルに関す る研究は限られている。 が、中国と日本の間に位置する琉球は、文化や経済や軍事の上 で非常に重要な役割を占めていることは周知のとおりである。その 漢学の成立と流れも日本の五山と中国の明清との交渉と緊密な関係 を有することは、琉球大学名誉教授の上里賢一氏先生の多くの優れ た業績によって明らかにされている。 本報告は、これまで積み重ねられた先学たちの研究を踏まえな が ら 、『 中 山 詩 文 集 』 に 詠 じ ら れ た 一 連 の 「 鳳 尾 蕉 」 詠 を 取 り 上 げ 、 中国詩にある「鉄樹」と江戸漢詩に見る「鳳尾蕉」それに俳諧に登 場する「蘇鉄」の表現と意味を分析比較し、漢詩史上における琉球 漢詩の特色とその意味の一端を探ってみたいものである。. キ ー ワ ー ド :『 中 山 氏 文 集 』、「 雪 堂 紀 栄 詩 」、「 鳳 尾 蕉 」、「 蘇 鉄 」. *. 台湾大学日本語文学系教授.

(6) 52 台大日本語文研究 29. 『中山詩文集』から見る琉球漢詩の一側面 ―中国と日本の比較を通して― 朱秋而. 一、はじめに 『 中 山 詩 文 集 』1 は 、琉 球 に お け る 本 格 的 な 漢 詩 文 集 の 嚆 矢 と 言 わ れる。十八世紀前半に初版、十九世紀半ばごろに重訂版も刊行され た。琉球王国時代の漢学の動向を知る、非常に貴重な資料である。 収録作品の中に、 「 雪 堂 紀 栄 詩 」と い う 一 連 の 詩 は 、王 世 子 が 臣 下 の程順則に自分の庭に植えている「鳳尾蕉」を分け与えた。その御 恩を記念するため、諸僚友たちは雪堂で十数首の紀栄詩を作った。 例 え ば 一 首 目 は 聲 亭 紫 金 大 夫 蔡 鐸 が 詠 じ た も の 、次 に 示 し て お こ う 。 古株如鐵葉蓁蓁. 儲主移來賜世臣. 堪與大夫同勁節. 還宜君子共長春. 慙予紀勝無佳句. 羨爾傳家有異珍. 從此庭中留寳樹. 朝曦光照雪堂新. 上里賢一氏はその成立について、 「 鳳 尾 蕉( 蘇 鉄 )を 贈 ら れ た 一 六 九 三年(康熙三二)だが、陳元輔の跋文は、程順則が進貢北京大通事 として渡清し、福州で陳元輔に会った時に書いてもらったもので、 成立はこの後ということになる。おそらく、つきの「雪堂燕遊艸」 の 成 立 と 同 じ 九 八 年 ( 康 熙 三 七 ) だ ろ う 」 と 指 摘 し て い る 2。 「鳳尾蕉」は、日本の「蘇鉄」の中国名で、一般的には「鉄樹」 と呼ばれる亜熱帯の植物である。本報告は「雪堂紀栄詩」の表現趣 向を中国と日本の漢詩における「鳳尾蕉」の詠み方を比較分析し、 琉球漢詩の特色の一端を明らかにすることを試みる。. 二 、 中 国 詩 に 詠 ま れ る 「 鉄 樹 」「 鉄 樹 の 花 」 1 2. 上 里 賢 一 氏 『 校 訂 本 中 山 詩 文 集 』、 九 州 大 学 出 版 、 1998 年 。 注 1 の 「 解 説 」、 P 31 - 32 。.

(7) 『中山詩文集』から見る琉球漢詩の一側面 53. 四庫全書等の検索によると、中国における鉄樹の詩詞は宋代まで し か 遡 れ な い 。『 漢 語 大 詞 典 』( 上 海 古 籍 出 版 ) の 【 鐵 樹 】 に つ い て の説明はつぎのようなものである。 1. 植 物 名 。 一 種 葉 似 香 蒲 而 呈 紫 色 的 樹 。 產 於 廣 東 。 ● 宋. 楊萬里 《歲朝發石塔寺》詩:. “佛桑解吐四時艷,鐵樹還如九節蒲。” 自注:“又有小木名鐵樹,葉似蒻而紫,幹似密節菖蒲。” 2. 植 物 名。蘇 鐵 的 通 稱。一 種 常 綠 喬 木。葉 聚 生 於 莖 的 頂 端,花 不常開。 ●宋. 黃 庭 堅 《 采 桑 子 ‧贈 黃 中 行 》 詞 :. “西鄰三弄爭秋月,邀勒春回,箇裏聲催,鐵樹枝頭花也開。” 中国の詩文や記録を調べて確認したところ、鉄樹は二種類の植物を 指している。一つ目は楊誠斎の詩と注に見えるように、葉っぱの形 は香蒲に似ていて、色は紫の小さい植物である。もう一つは北宋の 黄山谷の詞に「鉄樹の頂に花も咲いている」とあるように、日本で 言う蘇鉄を詠んでいるは間違いないだろう。中国ではめったに花を 見せない鉄樹の開花を珍重する傾向が早くも山谷の作品から先蹤を 見ることができよう。 ほかの鉄樹を詠む中国の作品をほぼ時代順で挙げて、内容を検討 してみよう。先ずは南宋の范成大『石湖詩集』に見る作品である。 ① 至昌為具、賞東軒千葉梅、然梅尚未開。 玉葉重英意已芽. 新移竹外小橫斜. 東齋何似春工晚. 鐵樹已花梅未花. 梅 の 開 花 が 待 ち 遠 し い 対 比 と し て 、鉄 樹 は も う す で に 花 を 咲 か せ て い る こ と が 引 き 合 い に 持 ち 出 さ れ て い る 。南 宋 三 大 人 の 一 人 で あ る范成大が詠んだ鉄樹は果たして蘇鉄かどうかはちょっと判断し が た い と 思 う 。誠 斎 詩 で 詠 ま れ た 蒲 に 似 て い る 植 物 の 可 能 性 も な い で は な い が 。 続 い て は 明 代 初 頭 の 林 弼 ( 約 1360 年 前 後 生 存 ),『 林 登州集』 卷二の ② 題黄誠甫鐵樹開花圗.

(8) 54 台大日本語文研究 29. 刺桐城西仙母家. 百年種徳如種花. 春風吹暖滿庭院. 坐見鐵樹開瓊花. 瓊花的的簇丹穗. 仙母見之一驚異. 人名此樹狀元紅. 偶爾開花必為瑞. 阿兒讀書五車多. 解來瑞應期無他. 寫圗寄之喜欲舞. 題品直上金鑾坡. 玉堂多士誇珍竒. 何異漢室生金芝. 赤花光照永春縣. 黄家瑞應無終期. 「鉄樹開花図」を詠む題画詩のような作品である。たまにしか花 を咲かせてくれない鉄樹の開花は瑞祥なしるしとしておめでたいと 詠じられている。山谷の詞と同じ蘇鉄を詠んでいる一首である。明 代 後 半 の 徐 渭 ( 1521 年 - 1593 年 ), 畫紅梅 即使胭脂㸃. 猶成冷淡枝. 杏花無此榦. 鐵樹少其姿. 挂壁紛紅雪. 圍春在錦池. 無由飄一的. 嬌殺夀陽眉. 紅梅の美しい姿には及ばないと、杏の花と一緒に鉄樹が引き合い に出されている。蘇鉄に好感を込めて詠んだものとは言えない。そ して、やはり元末明初に生涯出仕せず、生涯隠居生活を送った陶宗 儀 ( 1329 年 - 1410 年 ) は 《 輟 耕 錄 ‧金 果 》 に ③ 泉 州 萬 年 棗 三 株,識 者 謂 即 四 川 金 果 也,番 中 名 為 苦 魯 麻 棗, 蓋鳳尾蕉也。 とあり、 「 万 年 棗 」・「 金 果 」・「 四 川 金 果 」・「 苦 魯 麻 棗 」を 連 ね 、こ れ らはつまり「鳳尾蕉」のことと述べている。そして明末になると、 謝 肇 淛( 1567 年 - 1624 年 ) 《 五 雜 俎 ‧物 部 二 》に も「 鳳 尾 蕉 」つ ま り 蘇鉄に触れている。 有 鳳 尾 蕉,其 本 粗 巨,葉 長 四 五 尺,密 比 如 魚 刺 然,高 者 亦 丈 餘 。 幹は太く、葉は長さは四、五尺で、魚のとげのように整然として並 べている。.

(9) 『中山詩文集』から見る琉球漢詩の一側面 55. や や 後 の 明 の 曹 學 佺 ( 1574 年 - 1646 年 ),『 石 倉 歷 代 詩 選 』 卷 二 百 二十三 「 附 劉麟瑞 詩」である。 ④ 沙洋堡裨將邊公居誼 兵威破竹列城驚. 誰信偏裨不肯迎 聲霹靂. 二雄交斃氣崢嶸. 可憐侯服微臣在. 忍見人間大厦傾. 萬木凋零風雪裏. 空餘鐵樹一花明. 激しい戦闘が行われていたが、今になって人間が建てた立派な建 物も傾き、木々は風雪の中で傾き、空しくも一面映えているのは鉄 樹が花を咲いている。芭蕉の「夏草や. 兵どもが. 夢の跡」と同工. の趣を詠じているように見える。 清代に入ると、次のような例が見られる。清の高宗 『御製詩集』 初集卷三十八 ⑤ 廣濟寺鐡樹歌 石橋之北鳳城西. 莊嚴浄域開招提. 我来白晝考嵗月. 苔階偶撫昔人碑. 石柱出廢址如幻. 具足非然疑寳構. 珠纓懸日月相好. 特表天人師戒壇. 左峙授摩羯擘窠. 詩題を見ても一目瞭然のように、乾隆帝はお寺に植えられている蘇 鉄を詩に詠みこまれている。そして清の劉璟 『易齋集 』に ⑥ 題梅 西湖處士骨已槁. 髙節至今長不老. 鐵樹開花今㡬年. 海水桑田幾騰倒. 鐵樹花何清. 知心更有宋廣平. 我今為爾聯芳名. とあり、梅を詠む詩に鉄樹開花という特殊の習性が使われている。 そ れ に 、『 竹 隱 畸 士 集 』 卷 六 の ⑦ 走筆謝仲逹餉新橘詩 薄暮傳呼使者忙. 兒童顛倒着衣裳. 花開鐵樹何曽識. 棗熟東家漫得嘗. 厭客欲開丞相閣. 絶交先寄洞庭香.

(10) 56 台大日本語文研究 29. 直須載酒同君飲. 免使繁枝怨曉霜. とあり、友人の好意に報いるお礼の詩作で、鉄樹が咲いても見分け ることが出来ないと詠っている。 一 方 、明 清 時 代 の 琉 球 関 係 記 録 に 鳳 尾 蕉 に 関 す る 描 写 が 見 ら れ る 。 次のように記しておこう。 ● 戶 科 左 給 事 中 臨 安 蕭 崇 業 ( ? - 1588), 行人司行人長樂. 謝. 杰. 編. 同 編 『 使 琉 球 錄 』卷 下「 羣 書 質 異 」. 『 大 明 一 統 志 』土 産、無 鬭 鏤 樹。有 鳳 尾 蕉、以 葉 翛 然 似 鳳 欲 飛 、 故名之。四時不凋、此諸夏所無有者。 蕭崇業「航海賦」 「其草木、則石帆、鳳尾。紫絳綸組、抗莖敷蕚、布濩皐丘。 ● 兵 科 右 給 事 中 玉 山 夏 子 陽 ( 1552—1610 年 ), 行人司行人. 泗水 王士禎. 同編. 編. 『使琉球錄』. 『大明一統志』土產鬭鏤樹、問之亦不知。或言其國有橘、小橘 可 作 醯 者。方 言 音 頗 相 類、意 即 此 物、然 亦 無 足 據 也。有 鳳 尾 蕉 、 以葉蹁蹁似鳳尾、故名。今閩中亦多有之。 ●清 徐葆光『中山傳信錄』 奧山龍渡寺、…遍地植佛桑、鳳尾蕉等、頗可憩玩。 鐵樹、即鳳尾蕉、一名海椶櫚。身蕉葉、葉勁挺對出、䙰褷如鳳 尾。映日、中心一線、虛明無影。四時不凋、處處植之。 蕭 崇 業 と 謝 杰 が 編 纂 し た『 使 琉 球 録 』の「 羣 書 質 異 」の と こ ろ に「 此 諸夏所無有者」と、鳳尾蕉つまり蘇鉄は中国本土には無かったもの だと述べ、琉球特有の植物であると認識されているようである。 し か し 、 の ち の 夏 子 陽 と 王 士 禎 編 の 『 使 琉 球 錄 』 に 、「 有 鳳 尾 蕉 、 以葉蹁蹁似鳳尾、故名。今閩中亦多有之」と、今中国の福建地方に も多く見られると書き記している。さらに、清の徐葆光『中山傳信 錄』の中に、鉄樹という名前で琉球の名所にある鳳尾蕉の目だった 景色を描いている。 以上、見ていたように、蘇鉄という植物はもともと中国本土に自 生しているかどうかは、文献上では確かめがたいが、しかし歴史や.

(11) 『中山詩文集』から見る琉球漢詩の一側面 57. 文学の上で鳳尾蕉 が注目され始めたのは、明清における琉球冊封史料と密接な関係 があるのではないか。実は中琉における蘇鉄の交流はいかなるもの かについて、上里賢一氏はすでに『閔江のほとりでー琉球漢詩の原 郷 を 行 く ー 』( タ イ ム ス 選 書 Ⅱ ・ 12、 沖 縄 タ イ ム ス 社 、 2001 年 ) と いう本の「鉄樹開花」一文に詳しく述べられている。ちょっと長い 引用文になるが、琉球と中国の蘇鉄を考える上で非常に有益なご意 見を提供してくれるので、全部示しておこう。 二月の中旬、京都のある私立大学の大学院博士課程で研究中 の中国人学生が沖縄に来られた。中国で日本語科を卒業したあ と、この私大に留学し、夏目漱石の研究をしておられる。彼女 を案内して中・南部をまわった日は、車の窓を開けていても暑 いくらい陽射が強く、平和記念公園では、木陰でソフトクリー ムをなめた。 中城城跡の古びた石垣の上に立つと中城湾の海がまぶし く、崖の下から吹き上がってくる風が涼しかった。その城壁の 石に立つしがみ付くようにソテツが数本根を下している。いつ も見慣れているものだし、別段気にもとめなった。彼女にはこ の 植 物 が 珍 し か っ た ら し い 。「 あ れ は 、 そ れ つ で す ね ? 」「 そ う だ よ 。中 国 で は 鉄 樹 と か 番 蕉 と か 鳳 尾 蕉 な ど と い っ て い ま す ね 。」 「これがソテツですか。上海の公園で魯迅の碑の近くで見た以 外 に は 、 中 国 で 見 た こ と が な い も の で す か ら … … 。」「 ソ テ ツ の 花 、 見 た こ と な い で し ょ う 。 見 せ て あ げ ま し ょ う 。」「 見 た こ と ありません。めったに咲かないんでしょう?」. 「いいえ、. 沖 縄 で は 毎 年 、 ど こ で も 見 る こ と が で き ま す 。」 (中略)もう風景はどうでも良い。石垣の上や石と石との間 にはえているソテツをみてまわった。花でけではない、小さい けれども実のついている株もある。彼女は、中国ではめったに 見ることのないソテツの花を初めて見たばかりでなく、その赤 い実まで手に取ることができて、幸運だ幸運だと、珍しい宝物.

(12) 58 台大日本語文研究 29. でも手にしたように喜んだ。私もつい嬉しくなって、ソテツあ 雌雄別株であり、沖縄に自生いていること、かつては飢饉の時 の非常食おして利用されたこと、そのため人工的に植えられ、 今でも沖縄各地にソテツの群落があることなどを話した。 中国では、ソテツは広東省などの東南部に産すると言われ、 その花は丁卯の年に一度だけ咲くと言われている。つまり、六 〇 年 に 一 度 だ け 咲 く わ け で 、そ の た め 、 「 鉄 樹 開 花 」と は 、い つ まで待っても見込みがないことや不可能に近いこと、珍しいこ となどの喩えとして使われていることである。… 一九八五年の夏、福建師範大学で開かれた沖縄と中国の学術 会議の場で中琉の物産の交流に話題が及んだ時、イモ・落花生 などと一緒にソテツが論議の対象になった。沖縄では、ソテツ は中国から伝わったらしいと言っているのに、中国では逆に沖 縄から伝わったと言われている。中国でも沖縄でもかなり古い 地層からソテツの実や樹の化石が出土しているので、ずいぶん 古くからある植物のようだ。たかがソテツなどと、軽く見ては いけないのかもしれない。中国と琉球交流史の意外な一面が隠 されているかも知れないだから。 中国も沖縄も古い地層から蘇鉄の化石が発見されているから考えれ ば、植物学的にはどちらにもかなり古くから自生していたと思われ る。しかし文化史的に認識されたのは、先ほど検討してきたように かなり後のこととなる。中国では早くても北宋あたり、鳳尾蕉と呼 ばれ認識がより全面的に定着したのは、恐らく明清を待たなければ ならないと言えよう。琉球の文化史の上でも同じく、中国文献の伝 来によって、蘇鉄を鳳尾蕉・鉄樹・蕃蕉などの漢語名で再認識され たのであろう。上里氏が指摘されたように、蘇鉄は中琉文化交流史 上、とても興味深い一例と言えよう。 次章は琉球漢詩に現れる蘇鉄の作品を検討してみよう. 三 、『 中 山 詩 文 集 』 の 「 雪 堂 紀 栄 詩 」 と 序 文.

(13) 『中山詩文集』から見る琉球漢詩の一側面 59. 琉 球 最 初 の 漢 詩 集『 中 山 詩 文 集 』に 収 録 さ れ る「 雪 堂 紀 栄 詩 」は 、 編者で三十六姓の久米村出身の政治家・外交官・教育者・文学者と 高 く 評 さ れ る 3 。程 順 則 が 才 学 と 功 績 に よ っ て 、王 の 世 子 か ら そ の 庭 に植えてある鳳尾蕉、つまり鉄樹・蘇鉄を贈られた時、同じ久米村 の先輩や同僚たちがその栄誉を讃えて詠じた作品を収めている。詩 の前に序文がある。次に示しておこう。 孤山栽梅、彭澤種柳、濓溪愛蓮、從來賢人君子、往往托之花 木、以寓其簫然高寄、曠然物外之懐、風何古歟。至於召之棠竇 之 桂、田 之 荆 王 之 槐、此 又 和 氣 致 祥 瑞、藹 家 國 而 流 芳 於 奕 世 者 。 今程子寵文之以鳳尾蕉受賜於王世子也、則異是。盖寵文爲中山 喬木、有巖谷幽蘭之雅度、兼山川香草之風流。筮仕以來、𨿽舟 車䟦渉、莫敢吿勞、知名於國中久矣。王世子愛其才、嘉其績、 特 沛 此 隆 恩、殆 異 數 也。按 鳯 尾 蕉 卽 鐵 樹、一 名 海 㯶、勁 節 凌 霜 、 饒有古意、毋亦勵乃節、而旌厥忠乎。誠可作傳家之寳、與尋常 寵賚、徒作鑒賞之珍者、自有間矣。寵文膺兹曠典、拜手𥡴首、 敬奉於雪堂中、是日開宴、集諸僚友賦詩紀榮、予思聖天子、握 符御宇、聲教誕敷、而我王國夙被同文之化、亦駸駸有吟咏風、 無吐鳯之章、聊效雕蟲之技、俾知栽培德意、千載一時、寧僅出 内苑仙株、移賜近臣、爲班聯生色。㔾哉予忝從大夫之後、敬爲 之倡云。 中山王府紫金大夫蔡鐸聲亭氏敬譔 序 文 を 制 作 し た 蔡 鐸( 1644-1724)は 琉 球 王 国 の 外 交 史 料 の『 歴 代 宝案』を編集した人物で、国政に深くかかわった三司官蔡温の父で あ る 4 。内 容 は 程 順 則( 寵 文 )の 受 賜 に よ っ て 、雪 堂 で 祝 賀 の 宴 を 開 き、久米村の同僚たちは詩を賦してその栄誉を分かち合ったという ようなものである。この紀栄の詩宴を通して、寵文の尽力と貢献が 世 子 に 認 め ら れ 、高 く 評 価 さ れ た こ と は 、久 米 村 役 割 が 重 要 視 さ れ 、 全体の地位の向上にも繋がっているようにも思われる。 3 4. 同注1の「四 編者程順則について」に詳しい。 島 尻 勝 太 郎 選 、 上 里 賢 一 注 釈 『 琉 球 漢 詩 選 』「 蔡 鐸 」「 蔡 温 」 を 参 照 。.

(14) 60 台大日本語文研究 29. 程順則のほか、十二名の僚友があわせて贈られた鳳尾蕉(蘇鉄) を中心に十六首の紀栄詩を詠じた。一首目は序章に紹介した蔡鐸が 詠んだものである。茂っている蘇鉄は受賜のめでたさと僚臣の士大 夫の高潔な節操に喩えられ、子孫たちに伝わり、代々守っていくべ き希世の宝物であるとその光り輝く栄誉は雪堂いっそう明るく照ら し出していると。次は徳江正議大夫金元逹が詠んだものである。 鐵樹頒來香滿座. 雪堂開宴會羣英. 微臣豈有凌雲賦. 喜爲承恩一紀榮. この詩は律詩より短い七言絶句である。ご恩を受けて蘇鉄を頒ち得 たことを平明に詠んでいる。そして祚菴正議大夫の蔡応瑞は 金盆捧鐵樹. 賜自五雲邊. 葉豈隨風落. 花非浥露鮮. 獨高君子節. 不減大夫年. 開宴雪堂上. 恩光照素箋. と詠っている。高貴な方から賜った珍重すべき蘇鉄は、葉も花も一 般のものと異なり、落ち葉せず、花は露を湛えず、まさに君子の孤 高の節操や大夫の信念を表している。続いては賡橋中議大夫鄭明良 の 海上仙㯶岀日邊. 恩光高照雪堂前. 舊傳内苑長生樹. 今見諸臣紀勝篇. 霜落不愁凌晚節. 庭閒正好度秋天. 樹人樹木傳佳話. 肯與山花共闘妍. で あ る 。こ の 詩 は 蘇 鉄 の も う 一 つ の 漢 語 名 の 別 名「 海 棕 」 5 を 使 っ て 詩想をめぐらしたものである。 「 仙 㯶 」の「 㯶 」は「 棕 」の 正 字 で あ る。内苑の長生樹で秋になっても凋落せず、節操を曲げない人のよ うな喜ばしいはなしであると詠じている。本寜中議大夫の梁邦基は. 5. 『 漢 語 大 詞 典 』「 海 棕 樹 」 の 項 目 に よ る と 、 「 明 李 時 珍 《 本 草 綱 目 ‧ 果 三 ‧ 無 漏 子 》: “千 年 棗 、 萬 年 棗 、 海 棗 、 波 斯 棗 , 番棗、金果,木名海棕,鳳尾蕉。無漏子名義未詳。千年、萬歲,言其樹性耐久 也 。 曰 海 , 曰 波 斯 , 曰 番 , 言 其 種 自 外 國 來 也 。 ”」 と あ っ て 、「 海 棕 」 と 鳳 尾 蕉 は同じ植物と記している。.

(15) 『中山詩文集』から見る琉球漢詩の一側面 61. 琪花瑶草自争新. 特岀仙㯶賜近臣. 内苑古株張鳯尾. 東封喬木捲龍鱗. 園中作賦鄒枚侶. 花裏題詩漢魏人. 今日開筵同紀勝. 年年唯見雪堂春. とうたっている。爾兆都通事の蔡灼も 儲君特賜海㯶花. 古色何曾借晚霞. 紅紫讓他桃李艶. 獨留鐵骨傲霜華. 蘇鉄を「海㯶花」と詠んでいる。鉄骨のような幹と茎は霜にも負け ない。さらに得聲副通事の梁鏞は 雨露偏教鐵亦芳. 榮分古樹沭恩光. 枝枝捧日承天眷. 葉葉臨風擬鳯翔. 湖海毎驚鱗甲動. 冠裳猶帶海㯶香. 從兹世作傳家寶. 共譜新詩上雪堂. 「鐵亦芳」 「擬鳯翔」 「鱗甲動」 「 海 㯶 香 」の よ う に 、蘇 鉄 を 鳳 や 龍 に 擬えて、芳しいや香りでその特殊な一面を捉えている。得濟副通事 の梁津が詠じた 東封苑裏有天葩. 移賜河南立雪家. 似鐵未曾緣火鑄. 如㯶寜肯受風斜. 龍騰瀚海鱗籠日. 鳯起高岡尾帶霞. 沈約偏難臨綺席. 但將寸管紀光華. という作品も「龍鳳」に比喩されている。もう一首。 鐵木由來天上枝. 恩深偏爲近臣移. 酬功不待膺封日. 樹德尤宜未老時. 鳯尾翩翩張夜月. 龍鱗㸃㸃映朝曦. 雪堂今日新承寵. 紀勝原湏共賦詩. 得 剡 太 學 生 都 通 事 の 梁 成 楫 も は や り「 鳯 尾 」 「 龍 鱗 」で 蘇 鉄 の 高 貴 さ を際立たせていて前の二首と類似な手法を駆使して、描いている。 天受太學生都通事の阮維新が詠んだ次の作品は龍や鳳の比喩表現は 見られず、 「 祗 寄 傲 」と い っ て 尊 い 節 操 は「 孤 竹 」よ り も 清 く 、そ れ に「不知寒」と一年中葉の色が変わらないことは「畹蘭」よりも勝.

(16) 62 台大日本語文研究 29. っている。 一株鐵木豈能殘. 儲主時常帶笑看. 葉向高秋祗寄傲. 枝臨深夜不知寒. 論淸未肯輪孤竹. 争翠從教過畹蘭. 此日雪堂承寵賚. 年年花裏報平安. 天章太學生都通事の蔡文溥の場合は、律詩一・絶句四、合わせて五 首が収録されている。 千年鐵幹出風塵. 勵節偏宜賜近臣. 葉帶霞光開鳯尾. 樹多烟甲起龍鱗. 雪堂膺寵聲名重. 東苑酬功德澤新. 莫怪海濱無紀勝. 筵前尚有賦詩人. 又七截(絶)四首 鐵木錚錚獨耐冬. 靑枝依舊帶春容. 看來似在波濤裏. 彷彿鱗生欲化龍. 不與閒花共度年. 獨宜雪後與霜前. 非金非石能如此. 莫是盆中別有天. 古幹從來不肯秋. 亭亭勁節有誰儔. 徂徠若續當年譜. 好把仙㯶筆下收. 寶樹遥從内苑來. 承恩移向玉盆栽. 雪堂紀勝徵詩日. 多愧予無子建才. 下 線 部 を 見 れ ば 、す ぐ わ か る と 思 う が 、 「龍鱗」 ・ 「 鳳 尾 」に 喩 え ら れ 、 「霜」 「 雪 」に 冒 さ れ ず な ど 尊 貴 な 出 自 や 毅 然 と し て い る 節 操 を 有 す る鉄木が詠まれている。それに浩然副通事の金溥の次の作品も 頒來鐵樹有輝光. 豈與尋常草共芳. 日照龍枝鱗甲動. 風來鳯葉羽毛翔. 托根内苑曾沾露. 移植中庭不礙霜.

(17) 『中山詩文集』から見る琉球漢詩の一側面 63. 立雪堂前承寵後. 徂徠高並古松蒼. 分 析 し て き た よ う に 、「 鳳 尾 蕉 」 を 詠 む と き 、 ほ ぼ パ タ ー ン 化 し た 「 龍 」・「 鳳 」・「 霜 」・「 露 」 の 表 現 で 蘇 鉄 と 友 人 程 順 則 が ご 恩 を こ う むった名誉な出来事を詠じている。 そして最後は「奉答諸公讌集雪堂賦詩紀榮」は一連の詩の締めく くりである。 承恩特賜鐵蕉花. 栽向金盆長綠芽. 淸葉不沾凡雨露. 新枝常帶早烟霞. 文星照耀開樽地. 寶樹芬芳立雪家. 何幸得邀詞賦客. 草堂今日有光華. 雪堂主人程順則が宴会に参加し、紀栄詩を作ってくれた諸氏に応酬 した作品である。 「 鐵 蕉 花 」と い う「 鳳 尾 蕉 」と「 鉄 樹 」を 自 由 に 組 み合わさった蘇鉄の新しい詩語は面白い。 この一連の鳳尾蕉詩は、実は『中山詩文集』の出版よりも早く、 中の数首は『皇清詩選』にも選ばれている。第二章と比較して見れ ば 、下 賜 さ れ た 世 子 内 苑 の「 蘇 鉄 」を 中 心 に 詠 ま れ た「 雪 堂 紀 栄 詩 」 は中国の漢詩史上にかつて見たことのない「鳳尾蕉」詠を繰り広げ ていることが一目瞭然である。 一方、日本漢詩や他の日本の文芸に蘇鉄はどのように取り扱われ ているのかも検討の視野に入れなければならないと思う。. 四、江戸漢詩・俳諧・庭園・絵画に見る蘇鉄 近世以前の日本漢詩に鳳尾蕉を詠む作品は、調べた限り、今のと ころはまだ発見できない。 『 日 本 国 語 大 辞 典 』を 頼 り に 見 つ け た 古 い 記述は次のようなものである。 * 文 明 本 節 用 集 〔 室 町 中 〕「 蘓 鐡 ソ テ ツ 」 * 蔭 凉 軒 日 録 ‐長 享 二 年〔 1488〕九 月 一 六 日「 興 文 首 座 話 云 、大 内庭にそてつと云草あり。自高麗来。かふより葉出而。一間に ははかるほとなり。せんまいの大なるやうな者也」 室町中期文明年間の『節用集』に「蘇鉄」が収録されている。ま.

(18) 64 台大日本語文研究 29. た時期がそのすぐあとの長享二年の相国寺鹿苑院内の公用日記に、 庭にある「そてつ」に言及している。高麗からもたらされたという 現在から見れば明らかにミス情報も混在している。このごろ京都の 庭 造 り に 新 し く 加 わ っ た 外 来 の 植 物 だ ろ う 。そ れ か ら 近 世 に 入 る と 、 『浮世草子』の * 好 色 万 金 丹 〔 1694〕 一 ・ 一 「 妙 国 寺 の よ り 見 事 な る 蘇 鉄 ( ソ テツ)三本」 と妙国寺にあるすばらしい蘇鉄が取り上げている。それに少し後、 寺 島 良 安 が 著 し た 『 和 漢 三 才 図 会 』( 1712 序 ) 巻 十 六 【 蕃 蕉 】 と い う項目に次のように引用と説明がされている。 華人は鉄樹という。 ○明 の 謝 肇 淛 「 五 雑 組 」 に 次 の よ う に い う 。 伝 え に よ れ ば 、 こ の樹は琉球から来たものといい、これを植えるとよく火患を防 げえる。 思うに、蕃とは外夷の呼称である。状が鳳尾蕉に似ているので 蕃蕉という。かれかけたときには、その根に釘をうつと生きか える。それで日本では蘇鉄という。もとは琉球の産で、薩州に 多くある。現今はあちこちの庭園や鉢に植えて珍重している。 おおきなものも小さなものも愛すべきものである。 寺 島 良 安 は『 五 雑 組 』を 引 用 し 、 「 鳳 尾 蕉 に 似 て い る の で 、蕃 蕉 」と いい、日本では蘇鉄と言っている。原産地は琉球と確定し、薩摩に も 多 い 。 庭 園 や 鉢 に よ く 植 え ら れ る 6。 そして『和漢三才図会』よる約五十年後、上方漢詩壇で活躍した 天 台 僧 六 如 上 人( 1737-1801)の『 六 如 庵 詩 鈔 』遺 编 に「 鳯 尾 蕉 」と 題する一首が見られる。. 6. 勁葉鋸牙利. 孤莖銕甲重. 氣能千碧漢. 性頗惡嚴冬. 『 国 語 大 辞 典 』 の 「 蘇 鉄 」 項 の 説 明 は 、「 ソ テ ツ 科 の 常 緑 低 木 。 九 州 南 部 、 沖 縄 お よ び 中 国 南 部 に 生 え 、観 賞 用 に 栽 植 さ れ る こ と も 多 い 。 ( 中 略 )漢 名 、 鳳 尾 蕉 、 番 蕉 、 鉄 樹 。 学 名 は Cycas revo luta 《 季 ・ 夏 》」 と あ る 。.

(19) 『中山詩文集』から見る琉球漢詩の一側面 65. 月𥚃鬅鬙影. 風前拓落容. 莫教瀕水種. 只恐化為龍. 首聯は葉の強靭さや枝分かれしない茎という蘇鉄の特徴をしっか り捉えている。この手法は「雪堂紀栄詩」の琉球漢詩の余り変わら ない。しかし寒さに弱いという正しい情報や観察が新たに盛り込ま れている。宋詩の真実に基づく緻密な観察眼が、器用に働いている といえよう。しかし、尾聯になると、水辺に植えると、龍に変じる 恐れもあろうと詠じる。六如とほぼ同世代の儒者尾藤二洲 (1745-1813) の 『 静 寄 軒 集 』 卷 二 に 、「 同 塾 生 分 咏 園 中 諸 卉 、 得 鳳 尾 蕉、韻十四寒」という作を見ておこう。 緣是園中地自寛. 假山還覺託身安. 不從桃李嬌春景. 且與松杉傲歲寒. 雨霽蒼龍髯尚動. 風來翠鳳尾將殘. 誰知疇昔城門火. 能使主人卧裏看. (注:銕蕉能辟火故末句及客歲免災事) 頷 聯 の「 不 従 桃 李 」や「 傲 歲 寒 」・ 頸 聯 の「 蒼 龍 」や「 翠 鳳 」と い う 詩歌表現は「紀栄詩」の詠み方に通じている。しかし、見逃しては いけないのは作者が注記した「蘇鉄」が火災を防げるという俗信を 詩の尾聯に取り入れた。同時代儒者・詩人、もう一人は賴春水 (1746-1816) で あ る 。 彼 の 詩 集 『 春 水 遺 稿 』 に あ る 「 春 盡 過 尾 路 、 題草香生鳳尾蕉軒」七絶は 芳樽今夜有盟尋. 廿載交情感慨深. 不管人間紅事盡. 鐵蕉無恙歳寒心. とある。書斎を鳳尾蕉軒と名づけた草香生のために詠じた詩作であ る 。 ま た 、 池 桐 陽 (1765-1834)の 『 桐 陽 詩 鈔 』 の 「 題 鳳 尾 蕉 」 詩 は 烟籠露灑兩相宜. 且想秋霜實熟時. 怪說安期東海棗. 試吟子美左綿詩. 龍鱗日出眠猶穩. 鳳尾風高舞屢移. 敢比群芳付攀折. 一株鋼鐵不成枝. 「鳳尾蕉」を題詠するものである。詩の前半は蘇鉄の実に注目し、.

(20) 66 台大日本語文研究 29. 「 東 海 の 棗 」は『 晏 子 春 秋 』外 篇 下 十 三 に み る 伝 説 上 の 果 物 で あ る 。 その対に杜甫「海棕行」の「左綿公館清江濆. 海棕一株高入雲」を. 踏まえている斬新な一面を見せていると思う。詩の後半は蘇鉄を龍 鳳に比喩し、幹が鋼鉄の如くほかの花々より抜きん出ているという 伝統的な詠法で締めくくっている。 近 藤 篤 山 (1766-1846) 『 篤 山 遺 稿 』 の 「 初 冬 石 黑 氏 招 飮 、 席 上 賦 謝、麒麟角・鳳尾蕉・冬至梅・寒菊諸卉、亦皆爲席珍、故詩中云」 は 高堂夜宴旣三更. 霜滿階前銀燭明. 談笑移時歡不盡. 献酬無算興逾淸. 孤盆鳳尾隨麟角. 十月梅花接菊英. 多謝主人寬待意. 風流最適隱淪情. 梅、寒菊等と並んで「孤盆鳳尾」と鉢植えされた蘇鉄が儒者・詩人 らの雅遊の席で賞玩される。今までの漢詩に見たことがない盆栽化 された蘇鉄が、登場した点は興味深い。当時の園芸の好尚と密接な 関係を垣間見ることができよう。 ほ ぼ 同 じ 時 期 に 活 躍 し た 詩 人 大 窪 詩 仏 (1767-1837) の 『 詩 聖 堂 詩 集 』 二 編 と 三 編 に そ れ ぞ れ 一 首 ず つ「 鳳 尾 蕉 」五 言 絶 句 を 収 録 し て いる。次のようなものである。 曾聞青鳳尾. 能有辟火功. 願得千萬本. 種満荏城中. 一句目は漢語名「鳳尾蕉」の連想による比喩表現から歌い出し、二 句目から結句までは火災の発生を防げる俗信から想像を膨らませて いる。江戸城中に千万本も植えたいという誇張的な表現を取ってい る。近藤篤山の「孤盆」と呼応するように詩仏も「小盆鳳尾蕉」と 題して、次のように詠っている。 風吹新葉舒. 重重如張翼. 莫道三寸小. 猶以鐡為食. 江戸後期の園芸ブームと日本人のミニチュア趣味をよく現している 短詩と指摘したい。検討してきたように、十八世紀半ばごろから、.

(21) 『中山詩文集』から見る琉球漢詩の一側面 67. 蘇 鉄 が 漢 名「 鳳 尾 蕉 」で 詩 の 素 材 と し て 突 如 江 戸 の 漢 詩 に 出 現 し た 。 室町中期ごろ上方や江戸にもたらされた蘇鉄は、近世中期の植木の 流行によって普及したと思われるが、近世詩歌の代表選手である俳 諧とのかかわりはないか。果たして日本漢詩独得なテーマ・素材な ど を 確 か め る 必 要 が あ ろ う 。電 子 版『 古 典 俳 文 学 大 系 』 ( 集 英 社 、2004) で蘇鉄が含まれる句を調べたところ、次のような作品が見られる。 俳書にも収録されている。. 03-006. 大坂独吟集. 句. 8. 蘇鉄まじりの浅あさ茅ぢ生ふの宿. 03-007. 信徳十百韻. 句. 909. 蘇鉄あり鳥に唐有り大和とあり. 03-021. 東日記. 句. 870. 蘇鉄の葉にて葺し庵有リ. 04-025. 大坂辰歳旦. 句. 172. 春明けて蘇鉄笠ぬぐ薗生ふ哉. 05-001-032. 芭蕉発句. 句. 584. 門に入ればそてつに蘭のにほひ哉. 05-001-032. 芭蕉発句. 句. 584a. 門に入れば蘭に蘇鉄のにほひ哉. 05-002-058. 世 に 有 (百 韻 ). 句. 6. 蘇鉄の亭チンに題を設クる. 05-002-067. 田 螺 と (世 吉 ). 句. 26. 蘇鉄に霙とは涙なる. 05-002-068. 月 と 泣 (歌 仙 ). 句. 16. 蘇鉄に刻む髭の毛薑. 05-002-124. 時 は 秋 (歌 仙 ). 句. 27. 風の音並ぶ蘇鉄のいかめしく. 05-002-130. め づ ら (歌 仙 ). 句. 13. 霜覆ひ蘇鉄に冬の季を籠めて. 05-006-003. 田舎の句合. 句. 44. 雪にとへばかれも蘇鉄の女なり. 05-006-003. 田舎の句合. 他. 45 前. 左の句は、お(を)かしき所に風情を めて風情あり。適山家のけし. 06-001. 武蔵曲. 他. 1前. 今 は む か し 、逍 遥 遊 1 い う の 翁 と い ふ も のあり。細2河のながれに. 06-001. 武蔵曲. 句. 46. 蘇鉄鳴ないて老母草は霜の笑草. 06-001. 武蔵曲. 他. 196 前. 蘇鉄林. 06-002. 虚栗. 句. 177. 仙 家 に は わ さ び( 濁 マ マ ) 摺 す る ら ん 蘇. 千春. 鉄原 06-002. 虚栗. 句. 248. 葉越ごしはあらぬ蘇鉄一株(濁ママ). 06-002. 虚栗. 句. 485. 芭蕉の女ねたし蘇鉄に釘打.

(22) 68 台大日本語文研究 29. 06-008. 其袋. 句. 498. 蘇鉄には宿らぬ月の薄すすきかな. 06-020. 炭俵. 句. 420. 箒目に霜の蘇鉄のさむさ哉. 06-021. 其便. 句. 356. 松と蘇鉄の間何間. 06-022. 笈日記. 句. 707. 門に入れば蘇鉄に蘭のにほひ哉. 07-001. 葱摺. 句. 284. こがらしにひとり撓ぬ蘇鉄哉. 07-003. 句兄弟. 句. 378. 忘れ水捨て蘇鉄の塩を出す. 07-011. 陸奥鵆. 句. 825. 蘇鉄見よとや炉路明あけて置く. 07-011. 陸奥鵆. 句. 1341. 飛かへる音は蘇銕の霰哉. 07-019. 国の花. 句. 2839. 岩間の蘇鉄雨の雪にも. 07-019. 国の花. 句. 2968. 蘇鉄など霜をいとふや高枕. 08-004. 一 笑 (金 沢 ). 句. 57. あらば分わけん蘇鉄の林ほととぎす. 08-021. 其角. 句. 48. 雪にとヘバかれも蘇鉄の女なり. 08-094. 曽良. 句. 89. 風蘭の先や蘇鉄の八九本. 09-017. 桃隣. 句. 322. 蘇鉄にも厚き手て当あてや霜覆ひ. 09-030. 百里. 句. 211. 山田守蘇鉄になれば石蕗の花. 09-044. 卜尺. 句. 9. 蘇 鉄 鳴 い て 老 母 草 < ヲ( オ ) モ ト > は 霜 の笑ひ草. 09-062. 野坡. 句. 536. 白壁に照るや蘇鉄の下つつじ. 09-064. 游刀. 句. 11. 箒目に霜の蘇鉄のさむさ哉. 09-088. 露川. 句. 534. 常盤なる蘇鉄に匂へ玉つばき. 11-001. 金龍山. 句. 510. 能は蘇鉄を馴じまする人. 11-001. 金龍山. 句. 894. 蘇鉄の露の榑木扱ひ. 11-010. 四時観. 句. 26. 蘇鉄を植ゑにかるさん軽袗で来る. 11-021. 麦林集. 句. 587. 秋はあの伊吹に有て蘇鉄山. 13-015. 五車反古. 句. 361. 大名をとめて蘇鉄の月夜哉. 13-016. 春秋稿. 句. 984. うめの雫落て蘇鉄に匂ひけり. 13-031. しら雄句集. 句. 945. 鬼歯朶も蘇鉄も雪の旦かな. 14-010. 加佐里那止. 句. 359. 星きらきら寒き蘇鉄のむしろ哉. 15-001-017. 一茶発句. 句. 730. 小夜砧菰きて蘇鉄立ちにけり. 17-004. 玉海集. 他. 2389 前. 妙国寺の蘇鉄をみて.

(23) 『中山詩文集』から見る琉球漢詩の一側面 69. 17-004. 玉海集. 句. 2389. つもれかし玄冬蘇鉄庭の雪. 17-005. 毛吹草. 他. 363 前. 蘇鉄. 17-008. 俳諧類船集. 他. むしろ 蘇木. 棕櫚ノ毛 つつじ 蘇鉄. 薩摩. 黄楊ノ木櫛ニ用之 三味線. あはもり. もだ. すぐわかるように、俳諧の蘇鉄の句は多種多様な詠み方を呈して い る 。囲 っ た 作 品 を 見 て お こ う 。芭 蕉( 1644-1694)が 詠 ん だ「 そ て つに蘭のにほひ」や弟子曾良「風蘭の先や蘇鉄」のように、蘇鉄と 蘭の取り合わせは、 「 紀 栄 詩 」の 鳳 尾 蕉 詠 に も 見 え る 。ほ か に も「 霜 」 「 露 」「 雪 」「 寒 さ 」「 松 」「 常 盤 な る 」 で 蘇 鉄 の 高 潔 さ を 現 す る と こ ろは似通っている。芭蕉の没年から類推すれば、ソテツ句の成立は 程順則らの「雪堂紀栄詩」より早かったようである。芭蕉の前の俳 人信徳たちはすでに蘇鉄を俳諧に取り入れていることが明白である。 しばらく眼を近世の絵画に転ずれば、次に掲げる画家の俳人であ る 蕪 村 の「 蘇 鉄 図 」が あ る 7 。明 和 五 年( 1768)に 描 か れ た 作 品 で あ る。. 7. 尾 形 仂 ・ 佐 々 木 丞 平 ・ 岡 田 彰 子 編 『 蕪 村 全 集 』 第 六 巻 、「 絵 画 ・ 遺 墨 」、 講 談 社 、 19 98 年 。.

(24) 70 台大日本語文研究 29. そして約三十年あと、蘇鉄の庭が壮大に描かれている『都林泉名勝 図 会 』 が 見 ら れ る 。 寛 政 11 年 (1799)年 に 刊 行 さ れ た も の で 、『 都 名 所図会』と同じく本文は京都の俳諧師秋里籬島が著し、挿絵は佐久 間 草 偃 、西 村 中 和 、奥 文 鳴 の 三 名 が 描 い た 墨 摺 五 冊 本 で あ る 。ま た 、 『都林泉名勝図会』は京都の吉野屋為八、江戸の須原屋善五郎から 刊行されたものである。次に示しておこう。.

(25) 『中山詩文集』から見る琉球漢詩の一側面 71. 実は蘇鉄の絵は日本内部のみならず、十七世紀初頭に薩摩藩の支配 下 に な っ た 琉 球 国 の 呉 継 志 が ま と め た『 質 問 本 草 』 ( 乾 隆 五 四 、寛 政 元年成立)という重要な本に、つぎの面白い蘇鉄の挿絵が載ってい る。.

(26) 72 台大日本語文研究 29. 五、結びに 「鳳尾蕉」は『本草綱目』や『三才図会』など蘇鉄の中国語の言 い方の一つでありながら、福建省等限られた地域の植物で漢詩史上 では、非常に弱小でマイナーな存在で、詩語としては全く取り扱わ れてなかったようである。強いて言えば中国でより一般的な呼び方 「鉄樹」とそのめったに花を咲かない性質がかろうじて詩作に取り 入れるのみである。 しかし、中国と違って琉球は「鳳尾蕉」即ち「蘇鉄」の名産地と し て 知 ら れ て い る 。日 本 の 場 合 は 、 『文明本節用集』 〔室町中〕 「蘓鐡 ソ テ ツ 」や『 蔭 凉 軒 日 録 』 ‐長 享 二 年〔 1488〕九 月 一 六 日「 興 文 首 座 話云、大内庭にそてつと云草あり。自高麗来。かふより葉出而。一 間にははかるほとなり。せんまいの大なるやうな者也」という記述 が見られる。室町後期から庭の植木として愛好されていたようであ る 。江 戸 時 代 に な る と 、芭 蕉 の「 門 に 入 れ ば そ て つ に 蘭 の に ほ ひ 哉 」 をはじめ、多くの俳諧が詠まれた。そして清新写実な詩風を唱える 江戸後期の漢詩人にも好んで作品に取り入れられた。 中国と日本の「鳳尾蕉」の詩歌と比べてみると、一組の「雪堂紀 栄詩」は紀栄詩の伝統的な方法を使っているが、琉球の特色をしっ かりと捉え、今まで漢詩史上に無かった蘇鉄詠を生み出したと言っ て も 過 言 で は な い だ ろ う 。琉 球 漢 詩 の 全 体 的 な 特 色 を 把 握 す る に は 、 より多くの詩人と作品を検討しなければならないが、今後の課題と させていただきたい。. 【 付 記 】 2014 年 12 月 に 琉 球 大 学 の 「 東 ア ジ ア 文 化 交 流 の 学 際 的 研 究」シンポジウムで初稿を発表した際、上里賢一先生より、貴重な ご教示を賜りましたこと、心より御礼申し上げます。なお、本稿は 発表したものを大幅に書き直したものです。. 参考文献 岩 波 講 座『 日 本 文 学 史 』第 15 巻「 琉 球 文 学 、沖 縄 の 文 学 」岩 波 書 店 、.

(27) 『中山詩文集』から見る琉球漢詩の一側面 73. 1996 年 。 村 井 章 介 『 東 ア ジ ア 往 還 』、 朝 日 新 聞 、 1995 年 。 上 里 賢 一 『 沖 縄 文 学 全 集 』 第 二 ○ 巻 、 国 書 刊 行 会 、 1991 年 。 比 嘉 実「 琉 球 文 学 概 論 」 『言語. 総 合 特 集・沖 縄 入 門 』、大 修 館 書 店 、. 1983 年 。 川 口 久 雄 「 琉 球 文 学 の 世 界 」『 国 学 院 雑 誌 1975 年 。. 佐 藤 謙 三 博 士 追 悼 号 』、.

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參考文獻

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6 《中論·觀因緣品》,《佛藏要籍選刊》第 9 冊,上海古籍出版社 1994 年版,第 1

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