• 沒有找到結果。

漱石文學中之中國情懷(2/2)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

Share "漱石文學中之中國情懷(2/2)"

Copied!
22
0
0

加載中.... (立即查看全文)

全文

(1)

行政院國家科學委員會專題研究計畫 成果報告

漱石文學中之中國情懷(2/2)

研究成果報告(完整版)

計 畫 類 別 : 個別型 計 畫 編 號 : NSC 95-2411-H-002-010- 執 行 期 間 : 95 年 08 月 01 日至 96 年 09 月 30 日 執 行 單 位 : 國立臺灣大學日本語文學系 計 畫 主 持 人 : 范淑文 計畫參與人員: 碩士班研究生-兼任助理:陳意平、陳意平 處 理 方 式 : 本計畫可公開查詢

中 華 民 國 96 年 12 月 09 日

(2)

■ 成 果 報 告

行政院國家科學委員會補助專題研究計畫

□期中進度報告

行期間:95 年 8 月 1 日至 96 年 9 月 30 日

畫參與人員:陳意平(助理)

):□精簡報告 ■完整報告

各一份

處理方式:除產學合作研究計畫、提升產業技術及人才培育研究計畫、

涉及專利或其他智慧財產權,□一年□二年後可公開查詢

行單位:國立台灣大學 日本語文學系

中 華 民 國 96 年 11 月 31 日

(計畫名稱)

漱石文學中之中國情懷 2/2

計畫類別:■ 個別型計畫 □ 整合型計畫

計畫編號:NSC 95-2411-H-002 -010-

計畫主持人:范淑

共同主持人:無

成果報告類型(依經費核定清單規定繳交

本成果報告包括以下應繳交之附件:

□赴國外出差或研習心得報告一份

□赴大陸地區出差或研習心得報告一份

□出席國際學術會議心得報告及發表之論文

□國際合作研究計畫國外研究報告書一份

列管計畫及下列情形者外,得立即公開查詢

(3)

畫分別以中國情懷之展現與中國文化之受容兩方面為重點進行研究探討。 「滿洲」之定位、遊記『滿洲點滴』 中對「滿洲」 『虞美人草』、『三四郎』、 文本之仔細閱讀與漱石藏書、手札等之 關鍵字:中國情懷、中國觀、中國藝術、中國風、東西衝擊 計畫中文摘要 漱石文學中之中國情懷 曾以文部省公費赴英留學,研究英國文學之大文豪夏目漱石在文學創作上大量投 入西方之小說創作方法,引導日本文學邁向新紀元,其貢獻之鉅自不待言。然而自幼 酷愛南畫,深受中國古典薰陶之成長背景,更是研究漱石文學時不可忽視之一環。漱 石內心不時受到西化與中國風兩大力量相互抗衡之煎熬,在此衝擊下,如何展現中國 情懷以造就融合東西為一體之漱石文學,正是筆者近幾年來所關注之研究課題。本計 (一)探討漱石如何看待同為亞洲地區之中國、中國人? 明治維新時期,日本舉國高唱帝國主義,擴張勢力範圍至中國東北,當時任職於 「滿洲」鐵道總裁之中村是公正是漱石昔日同窗好友,漱石受邀參訪「滿洲」,並撰成 『滿洲點滴』一文,此外在『草枕』、『之後』、『門』等作品中「滿洲」話題亦佔相當 重要之份量,本研究第一階段中將透過上述作品中 、「滿洲人」之描寫,分析探索漱石之中國觀。 (二)漱石如何將中國藝術、古典融入文學中? 檢視分析中國繪畫、漢詩等古典文學以何種風貌呈現於 『一夜』以及漱石『漢詩』等作品中,並透過 對照,探索漱石所現解之中國藝術、古典。

(4)

計畫英文摘要

oseki’s passion for China, has two main 1.

bove and rodokoro.

2.

e Art and Classics by intensive reading nd contrast of his bibliotheca and notes.

or China, Viewpoint about China, Chinese Art, Chinese Style and Cultural Shock

The Passion for China in Soseki’s Works

It goes without saying that Natume Soseki’s devotion to Japanese Literature is magnificent. Soseki, a classic, received subsidy from Minister of Education, Culture, Sports, Science and Technology to study English Literature in Britain, uses amount of writing skills from western novels in his works and he also leads Japanese Literature to a new era. However, when studying his works, it is significant to know Soseki’s being passionate for Nanga and cultivated in Chinese Classics in his childhood. Therefore Soseki often struggles for being westernized or keeping his Chinese tradition. How Soseki, under such circumstance, deals with his Chinese tradition and creates works combining western and eastern cultures is what I have studied recently.

This study, concerning Chinese style and S sections.

How does Soseki view China and Chinese?

In Meiji Ishin, Japan promoted Imperialism and invaded the Northeast China. Meanwhile, the president of Railway in Northeast China, Nakamura Zeko, one of Soseki’s best friends, invited Soseki to visit Northeast China. Then Soseki wrote Mankan Tokorodokoro (An essay on Northeast China and Korea). Apart from this article, the topic about Northeast China is quite important in, for example, Kusamakura, Sorekara, Mon. In the first section, I will study Soseki’s viewpoint about China by how he views Northeast China in these works mentioned a

how he describes Northeast China and Manchu in Mankan Toko How does Soseki put Chinese Art and Classics into his works?

In this section, I will analyze how Soseki puts Chinese Art and Classics into Gubijinso, Sanshiro and Ichiya and his Kanshi (Chinese Poetry). Also, I would like

explore Soseki’s viewpoint about Chines to

a

(5)

目錄:Ⅰ.報告內容---4--- 5 .參考文獻---6--- 20 果自評---21 Ⅰ 『虞美人草』以及『草枕』『一夜』等作品為研 (文人畫)史、及其 自幼酷愛中國漢詩、文人癮士生活方式之漱石以何種方式表達其對中華民族、中華地 域之關愛? ,並予已付梓,該專書大致內容分為: 『之後』 等作品中也多次涉及「偽滿洲」之話題,暗諷日本人以統治者的姿態在殖

Ⅱ Ⅲ.計畫成 .報告內容 漱石專精西方文學並將小說創作理論實際運用於寫作外,在成長過程中亦多方涉獵漢 學、中國文人畫等東方素養,因此文學作品中常可窺見漱石苦於如何取捨東西文化。本計 畫為兩年期計畫之第二年計畫案,第一年以『虞美人草』為主要研究素材,重點放於漱石 對當時日本殖民地台灣所抱持之態度、探討劇中角色小野與「台灣館」描寫之吻合處,闡 述作者藉著批判小野一昧追求洋化之膚淺而影射日本政府對台灣建設推行之不當、宣傳之 誇大不實,透過如此之探討得以瞭解漱石對殖民地之情懷。 本年度(亦即第二年度)計畫係將漱石對南畫之酷愛、中國文人以及漢詩之傾慕等中華 情愫作一全盤性之考證研究。以『三四郎』 究文本,並加上漱石漢詩及『之後』『門』等長篇小說亦列入探討範圍。分成以下兩部分做 深入探討。 (1)將漱石對南畫所作之繪畫評論、當時畫壇上美術雜誌介紹之南畫 作畫理念等予以對照比較,首先整理出漱石所認識之南畫特質,繼而探討漱石以何種方式 將之投射於文學作品中?該手法又具有何種意義? (2) 筆者自 2006 年起,以「漱石文學中之中華情懷」為探討主題,將近三、四年來所作之 漱石相關研究陸續整理、集結成專書『漱石研究「場の模索」──チャイニーズとの接点を 通して──』(凱侖出版社) (1)--探討漱石如何透過小說創作表達其對同為亞洲地區之中華民族、中國地域表現其 關懷之意? 明治維新時期,日本舉國高唱帝國主義、擴張勢力範圍至中國東北, 當時對日本政府,、日本拓荒者在「偽滿洲」的開發與建設,日本舉國上 下無不讚賞有加,一般作家也抱持正面態度撰文宣揚。置身如此情況下, 人氣正如日中天之漱石受邀參訪「偽滿洲」,並受託將該參訪過程與心境撰 文以饋日本國人、並期收教育之效。此種時代背景下產生之遊記『滿洲點 滴』乍看確實滿足了邀請者「偽滿洲」鐵道建設公司總裁之殷望,亦符合 當時日本社會之潮流。不過仔細閱讀檢視之結果,發現漱石表面上對「偽 滿洲」之建設做了一番歌功頌德,實際上不經意地刻畫了當地中國人生活 之疾苦、受日本統治者壓榨下失去鬥志的當地居民姿態,藉此描寫漱石表 達了自己對中國人的情懷。除了『滿洲點滴』之外,漱石在『門』

(6)

中「台灣館」一隅特別 注意,筆者注意到對此「台灣館」之描寫恰巧與劇 這意味著漱石似乎嘗試將漢詩中之抒 『漱石研究「場の模索」──チャイニーズとの接点を通して──』一 做口頭發表。 民地「偽滿洲」或台灣等地行為猖狂、狂妄自大。 此外,在『虞美人草』一作品中,漱石刻意安排了劇中人物一行至當 時舉辦之東京勸業博物館觀賞近代化之成果展,其 醒目而引起劇中人物之 中人物小野之描寫重疊,透過對小野的批判也顯示了作者對日本政府處理 ( ) 『台灣館』 包含了台灣、台灣人民 態度的不滿,另一方面漱石也表達了自 己對台灣關懷之意。 ? (2)--探討漱石如何將中國藝術、古典融入其文學創作中 此部份分為繪畫與漢詩兩大部分進行分析研究。前項以作品中投入大 量繪畫色彩之『一夜』『草枕』『虞美人草』『三四郎』等作品為主要研究文 本,檢視分析出在『一夜』『草枕』『虞美人草』三部作品中漱石或以南畫 (中國文人畫傳入日本再經日本畫家斟酌吸取其精髓而成之畫派)之構圖、 或採取南畫中常出現之風景、甚或以冷色系列之表達等各種不同方式將之 呈現於各作品當中,以凸顯作品之禪味或劇中人物冷徹理性等獨特之個性。 後者則以漢詩為探討重點,選取『三四郎』為研讀文本,將該作中男女主 角數度仰望雲彩之舉及其心境之描寫與漱石漢詩中呈現之寄情於白雲之心 境做一比較,證實有多處不謀而合, 情逸趣運用在小說中,顯示了漱石即便在小說之創作中亦不忘發揮其漢 學、漢詩方面之素養、透露了漱石對中華文化之情素。 上述 書如全部加入本報告中,恐佔篇幅過大,因此僅將該書之序章及最後一章節編列 如后。 附記 上述專書中呈現之漱石文學作品中繪畫手法所具意義等研究內容之外,筆者又於 2007 年 7 月,就漱石之晚期南畫作品為素材嘗試以藝術角度之研究、冀望發現漱石繪畫 作品蘊含之文學意義。本研究鎖定漱石繪畫遺稿 No.42「閑來放鶴圖」、No.43「煙波漂 渺圖」、及 No.46「秋景山水圖」等南畫作品作一檢視。研究各作品在構圖上之特色,發 現上述作品均呈現房屋聚集一處或數位人物近距離交談之構圖特色,這與一般隱士離群 索居之刻板風格大異其趣,筆者對此現象極感興趣,進而查閱當時日本或中國畫家之風 格,發現雖然也有部分作品與上述漱石作品呈現之現象相近,不過僅限於局部作品,多 數描繪深山作品仍以離群索居、亦即人物或住宅象徵性地點綴於深山間。 其次,筆者查閱漱石手札、日記等資料,確認漱石的內心世界對陶淵明、王維等中 國文人隱士之人生態度極為嚮往;並將上項南畫作品與其漢詩作一比較,發現漱石多次 在漢詩中歌詠身在喧嚷塵囂中如何排解煩憂之情,南畫中住宅人物聚集一處之構圖正符 合了漱石漢詩中歌詠之「城市隱士」的理想,與中國詩人陶淵明的「結廬在人境,而無 車馬喧」之情境有異曲同工之妙,能否處之泰然端乎「心遠」與否之心態。以上研究內 容目前正著手整理,撰寫完成之論文將於明年一月於日本關西大學舉辦之國際研討會上

(7)

Ⅱ. 參考文獻:出版專書內容摘要 書名: 『漱石研究「場の模索」──チャイニーズとの接点を通して──』 の小説家としての顔であり、もう一つは英文学者としての顔である。この二つの呼称を漱石にく も写ったからだろう。 路を決定すべき一高本科進学の時のこと、慣れ親しんできた漢詩や東洋文化の影響か、その 頃には文学を面白く感じ、これを仕事として生かせる方法は無いものかと考えるようになり、 について悩んだ事がある。しかも本格的に英語の勉強を始めたのはその後の本科時代からだ。 このように内情は、どうも英文学から文学へ転じたのではなさそうである。 の夢を実現しようと思い悩んだ末、西洋の英文学の道を選んだのである。勿論そこには友人菅 そのための手段として英文学が存在したのである。 →英文学→小説家という関係が存在しており、 決して、英文学→小説家という外見の部分だけではなかろう。言わば、漱石は最初から小説家 国大学の英文学講師になるなど、小説家活動を始めるまで として英文学を利用し おりしも国を挙げての近代化の時代、周囲の西洋化が進む中、英語は必要とされるのではない かと、ややもすれば打算的な、しかも、不確定的な動機に基づく選択であったと思われても仕方 凱侖出版社(經匿名審核) はじめに 著名なる夏目漱石とは、二つの顔を持つ人物でもあると言われている。一つは日本近代文学 だしたのは他でも無い世の人々であり、また認識でもあった。世間の目からはお偉い英文学者 様が、新聞社専属小説家になった訳であり、庶民には自分達の世界へやってきた変り種だとで しかし、実際は、世間の目とは裏腹に、英文学が好きで好きで、それが転じて小説家に進ん でいったという筋書きではなさそうである。というのも、当の本人は、その生い立ちから見ても分 るように、幼き頃より東洋文化思想(漢学、南画など)に触れて育ってきた。そんな漱石は人生進 進路 上記でも述べたように、本来、物書きを生業にするという希望を持っていた漱石は、何とかそ 虎雄氏や米山保三郎氏の一言も影響しているだろうが、趣味である文学を仕事にしたい、世の 中にとって必要とされる仕事に従事したいと漱石は人生の岐路で悩み考えたのであり、彼には そして、そこには、文学青年(もの書き志望) になるべくして成ったのである。漱石の人生にとっては、一本の線上につらなる一つの方向性を もつ人生ベクトルであり、別個の二つの仕事ベクトルからなる組み合わせの人生ベクトルではな かったということが言えるかもしれない。 しかしながら、目に見える経歴では、英文学を選択、その分野で自他共に認める人物になる 決心をして、明治二二年(一九八九年)一高本科入学、明治二三年(一八九〇年)帝国大学文科 英文学科入学、明治三三年(一九〇〇年)第一回国費留学生として英国に留学、後に東京帝 の長き間、英語教師や英文学者と して人生をおくった時期があるのは事実であり、これが、世の人々の目からは、結果として英文 学者が小説家になったとの軌跡を描くことになったのだろう。世間は英文学者から新聞社専属 小説家になった変り種だと認識したのもうなずけるものがある。 このようにみてくると、文学を愛し、仕事として続けて生きたいと願い、その実現のための手段 ようとしたと考えることも出来る。それは、当時の日本のおかれた立場から、

(8)

しかし、飛ヶ谷美穂子氏は、英文学と漱石作品との関係に注目し、作品の構成や内容に英文 学が生かされていることを捉え、漱石文学に於ける英文学の影響は大きいと述べている。確か がないかもしれない。 れは英文学作品の構成の模倣や投影といった作品の語りの中での表層部分を捉えての論であ く小説家としての漱石と文学の姿が 者が小説家になったというところだけに焦点を当てるのではなく、もっと広く、もっ →英文学→ 小説家(素人から玄人へ)へと歩んできた道を時間を追ってみていかなければならない。しかし、 素人から玄人への変化を初期及び中期の作品群から掘り起こし見ていく必要があると思われ る。 筆者は、この論を進めていくために、作家としての目(作家→作品→読者)の関係や作家の心 情を「場」という言葉で追っていくことにする。そうすることで、成長し変化していった小説家漱石 の「場」が、彼の文学の根流を垣間見せてくれると確信しているからである。 空間と言った意味として捉えていただきたい。まず、前段階と 漱石自身の言 「英語英文に通達して、外国語でえらい文学上の述作をして、西洋人を驚かせよう」注一 「洋書に心酔」注三 に作品の中に見え隠れしたり、構成全体がその影響を受けていたりしているのは認めるが、そ る。本論では、漱石の作品の深層部分に目を向け、根底に流れるものは何かを見ていきたいと 考えている。漱石の人生においてキーワードの一つと言えるのに文学がある。筆者は、その文 学の立場で小説家としての漱石を作品をとおして見ていくと、そこには、作品ごとに成長してい あるように思えてならない。 その成長の過程に共通して流れるものは何なのだろうか。それを導き出すためには、英文学 と根本的に見 ていく必要があると筆者は考える。それには、漱石自身が文学青年(もの書き志望) それは、取りも直さず、漱石の読者としての目(読者→作品→作家)から作家としての目(作家→ 作品→読者)への変遷を捉えることに他ならない。特に作家としての目(作家→作品→読者)では 序 章 第一節 「場」の追求 ―自己のための「場」の設定― この章では本論の全体に流れる基本の考え方を簡略に紹介し、後章での各作品分析の指 針とするものである。本論ではその根底に一貫として「場」という言葉を使用するが、これは現実 架空を問わず、存在する世界とか して、読者としての目しかなかった漱石から作家としての目に変化する部分を見てみよう。漱石 が英文学を学び始めた頃の様子は、まるで小さな子供が流行の新しい玩具を手にして無我夢 中に遊んでいる様子に似ている。読者としての文学青年の様子が窺える部分を 葉で探ってみた。 「我等が洋文学の隊長とならん」注二 とその意気込みを語っている。また、当時の漱石の英語被れを皮肉っている。正岡子規は、 その頃の様子を

(9)

と述べている。東洋文化思想を基盤とする俳句や短歌や漢文や絵画など、それまで努力してき 何故西洋でなければならなかったのか。「洋文学の隊長」への憧れは何 かろうか。そこには近代化の波の乗ろうという単なる打算的と一言では片付けられないものがあ るように思われる。この彼の選択の裏には、漱石の生い立ちに深く根ざす暗い影が潜んでいる のではあるまいか。漱石は、将来を決める段になり、亡き兄に相談している。その箇所を引用し てみよう。 私 ない、アツコンプリツシメントに過ぎないものだと云つて、寧ろ私を叱つた。然しよく考へて る。それは、先ず一つには何故彼は文学でなけ 又、二つには、何故英文学を選んだのか、そして、三つ目には、執筆で漱石が目指す目的は 何だったのかという疑問である。この疑問の解を求めるには、漱石自身の生い立ちに大きく影響 していると考えられる漱石自身の精神の根底の支えとなった東洋つまり「チャイニーズ文化•思 想」が存在し、深く関わっているようにも思われる。それが先のような自分が存在出来る「場」の たものを一切合切捨てて、全く別の、西洋文化思想を基盤とする異世界に闇雲に入り込もうとし ている姿が窺える。ましてや自分の東洋文化思想芸術の師とも言える人物にこのような挑戦状 的な文章を送るとは一体どうしたというのであろうか。はっきりと「えらい文学上の述作」を世に出 したいといっているが、 なのだろうか。また、何が漱石をそう駆り立てたのだろうか。 漱石のこのような心情は、当時の日本の開化に向けての近代化の表層と重ねて見るだけでよ も十五六才の頃は、漢書や小説を読んで文学といふものを面白く感じ、自分もやって 見ようといふ気がしたので、夫れを亡くなつた兄に話して見ると、兄は文学は職業にやなら 見るに、自分は何か趣味を持つた職業に従事して見たい。それと同時にその仕事が何か 世間に必要なものでなければならぬ。何故といふのに、困つたことには自分はどうも変物 である。当時変物の意義はよく知らなかつた。然し、変物を以て自ら任じてゐたと見えて、 迚も一々此方から世の中に度を合せて行くことは出来ない。何か己を曲げずして興味を持 つた、世の中に欠くべからざる仕事がありそうなものだ。注四 と述べているように、どうせなら「何か趣味を持つた職業に従事して見たい」から、面白みを感 じている「文学上の述作」を生業にしたい。また「同時に」この「仕事が何か世間に必要なもので なければなら」ないと考え、選んだのが「洋文学」である英文学、しかも「隊長」とはいささか夢が 大きいように思える。この引用には明確に漱石の人生の目標とその手段の一つが、はっきりと書 かれている。しかも、自分の本来の夢である文学について「何か己を曲げずして興味を持つた、 世の中に欠くべからざる仕事がありそう」だとあくまで文学を捨てる気がない事を明言している。 しかし、自分が望む文学と手段としての英文学というこの二つは、本当に一本の連続したベク トルになりえたのだろうか。東洋文化思想に接していた者が行き成り西洋文化思想へ走る、接点 はしっかりしていたのだろうか。また、そこまで文学に固執し、英文学に走るのは、生い立ちに起 因する心理的要素であるより良き自己のよりどころ の「場」 (自分が自由になれる世界=現在 対比した現実世界の向こう側の理想の世界) を求めての逃避なのか、それとも既存の癒しの 「場」 (自分が自由になれる世界=既存の小説の世界=虚の世界) の固守のためなのだろう か。 趣味をかねた文学と仕事としての英文学、この二つの関係を見る時、三つの疑問が沸いてく ればならなかったのか、何故仕事に選んだのか、

(10)

追求として顕われているのではなかろうか。 ちから見て取れるように、常に内的世界としての「自己のよりどころの「場」」を求め悩んでいた。 それは現実の「自己」からの逃避、不幸な「過去」の否定からであったことは容易に想像がつく。 子のおしゃぶりにも似た存在であり、それを仕事に選ぶのもうなずけるものがあるよ しての問題、日常生活における「他者による自己の肯定認識の 「場」」を必要としていたからである。里子、そして養子と、親にさえ受け入れられなかった幼少時 なるものを選んだのではあるまいか。 して「自己のよりどころの「場」」と「他者により自己の肯定認識の「場」」を得ようと「場」の追求を試 みたのではなかろうか。 漱石が、そこからの逃避願望を底に潜ませ、自分が今居る現実世界の向こう側に存在する虚の 『吾輩は猫である』 の前に発表されたイギリス から帰国後最初の文章作品である 、「自己のよりどころの「場」」と「他者により自己の肯定認 識の「場」」を得ようとする大きな志を踏まえて目指した夢は、西洋の英文学にはなかったことが 手段などであり、その技術方面は数多く紹介してくれたし、体系化されてもいたし、得るものは多 先ず、最初の疑問である何故文学に走ったのかという問題を見てみよう。漱石はその生い立 つまり、日常生活を取り巻く東洋文化の世界、取り分け文学の世界への誘いは漱石にとっては 苦悩からの離脱可能な「場」であったと言える。一瞬でもその苦悩の全てを忘れさせてくれ、且 つ安堵を感じる「場」、そこでは漱石は自在になれたのである。そんな彼が折角手にした隠れ家 とも言える現実とは違う異次元の空間を捨てられる筈が無かった。だからこそ、それは、乳飲み うに思える。 では、そうした漱石が何故英文学を選んだのか。次に、二つ目としてその問題を考えてみよう それは彼自身の外的世界と の出来事が鬱憤となり、何とか認めて貰おうと考え、社会が開化の為に向上志向のあおりを受 けて活気付いている中、自分も一つ近代化に役立つ人物をとおして陽の目を見たくて、外国語 そして、この二つ(目指す文学と英文学)の選択によって漱石は以前からの精神的苦悩の解と 三つ目の疑問を見ていく前にちょっとここで捉えておくべき重大なことがある。というのは、文 学を志し、英文学を手段としたこれまでの過程はすべて、その時までの不幸な境遇を過ごした 世界への憧れから出発したものである。つまり、読者側からみた文学の世界に憧れている夢多 き若き文学青年の姿であった。文学とは何か、作家として作品を作るとは一体どういうものなの か全く知らない状態であったろう。まだはっきりと作家としての目に変化しきれていなかったので はあるまいか。只、そこに存在したのは「自己のよりどころの「場」」と「他者により自己の肯定認 識の「場」」を得ようとする読者としての目をもったままの大きな夢のみだったのではなかろうか。 独りよがりの「場」の追求だったからこそ、英文学もそのための技術の習得、方法の会得の手段 でしかなかったのだと思われる。それが証拠に 『自転車日記』 は、自分の世界だけの「場」だったため、作 品としては不評だったし、処女作になれず、結局、影をひそめてしまったようである。そこには、 素人のもの書きが自分の日記の延長的内容を 『ホトトギス』 という同人誌に載せたものであり、 漱石自身の意識も知り合いの仲間に面白おかしく読ませようという程度の作品にしか過ぎなか ったのではなかろうか。まだ、作家としての目になっていないのである。これが自分の世界だけ の「場」なのである。その後の一年半、彼は大きく変化し作家としての目を養い、後の 『吾輩は 猫である』 の好評を手にすることになる。 さて、三つ目の疑問である小説を通して伝えたかったものは何かという問題であるが、これは 先の二番目の問題と関連があるように 大きく関わってくる。というのも英文学は、そもそも漱石にとって文学を職業とするための方法や

(11)

かったようである。しかし、肝心の文学の内容の指針は英文学のどこにも紹介されていないし、 と考えられ た青年は、自分一人になれる所か、誰一人として自分を知る者が居ない 所へ行きたいと願い、只単に漠然と隠れ家を見つけたいと希望していた。そんなある日、今住ん でいる東洋世界よりは、西洋の方が聞こえも良いし体裁も良いと考え、英国へ出かけ暮らしてみ たが、目指す安らぎなど何処にも無く、西洋の生活様式には馴染めず、寧ろ自己嫌悪に陥り、 西洋式近代化を進める自国の様子に危機感を覚えたのである。更に隠れ家に相応しい場所に は東洋的世界が最適だと東洋を再発見したのである。 ガ デ ダ 人間ノ頭脳ノ発達デコノ一ツノ物ヲ離レ離レニ考ヘツコトガ出来得ルノデアル。ダカラ詩ノ つまり「アル物ヲアラハス時。アル物トアラハス技術ガ必要」なのだが、「アル物ハ即チ技術ノ 誰も教えてもくれなかった。近代的な西洋には大きな期待をしていた漱石は、ここにきて彼の誤 算となったのではなかろうか。行き着く所何も無しといった状態だったであろう。このことは留学 時代の様子を見れば明らかである。 更に、生まれてから今までの境遇での言葉にならない鬱憤の対象として漠然と求め続けてい た癒しの「場」が、英国留学を機に実は自分の中にある事に気付かされたのである。それは漢 詩や俳句や絵画など東洋文化思想に培われてきた東洋的美の感覚であった。漱石にとって我 が鬱憤も東洋的なれば、美を感ずるもまた東洋的、西洋と対等に比較出来るものも東洋である。 また更には、開化するにも西洋的では破局を招く。漱石の言葉を借りれば、「自己本位」や「個\ 人主義」といった東洋的なものを想起される言葉に託された世界が、三番の疑問の回答である る。 以上の如く纏めてみると、こういう話になるのではないだろうか。小さい頃から日常生活に厭 な事が多く苦悩してい つまり、東洋的なものを想起される言葉に託された含意に漱石が伝えたいものが含ま れているのである。ここで、こういう心境を語った箇所を引用してみよう。 アル物ヲアラハス時。アル物トアラハス技術ガ必要デアル。従ツテアル(、、)物(、)ト之ヲ アラハス(、、、、)技術(、、)ハ別物デアル。然シアル物ハ即チ技術ノ遂行デ、技術ノ発現ハ 即チアル物ニ過ギンノダカラ。ツマリハ一ツ物デアル。一ツ物ト云フノハ同物ト云フノデハナ ク。一個ノ作品ノウチニアル物ト技術ガ結ビツイテ居ル。此二ツガ含マレテ居ル。タトヘバ 一物ノウチニ色ト形 含マレテ居ルト同様デアル。アル意味カラ云フト色モ形モ一ツ物デアル只同物デナイノ アル。 カラ事実上カラ云フト形ヲハナレテ色ナク、色ヲ離レテ形ナキガ如クアル物ヲ離レテ技 巧ナク技巧ヲ離レテアル物ナキ訳デアル。但之ヲ放スノハ理解上便宜デアルカラデアル。 ハジメ文ノハジメニハ質ト形ノ区別ハナカツタロウ。 シバラク之ヲ二個ト区別シテ見ルト。(一)アル物トハ何ゾ (二)アル物ノ種類 (三)アル物 ノ高下抔ノ問題ガ出ル。又技術ニ就テモ同様ノ問題ガ出ル。而シテ技術ハ此アル物ヲ ベ スト、アドヷンテージニ発現スル手際デアル。ト仮定スルト技術ハ手段デアル物ハ目的デア ル。必竟ズルニ技巧ハ目的ヲ達スル道具デアル。 本来カクアルベキ筈デアル。カラシテ作品ノ価値ハ技巧ヨリモ技巧ニヨリテウマク発現セ ラレタル目的デ定マル。注五

(12)

遂行デ、技術ノ発現ハ即チアル物ニ過ギンノダカラ。ツマリハ一ツモノ」であると言う事は、東洋 的なものを想起される言葉に託された「アル物」とは取り 『漱石の源泉―創造への階段』注六の中で「生涯を挙げてこ 文学に取り組んだ理由は、結局のところ彼が英文学を愛していたという一事に尽きるように思わ れてならない」と述べているが、これは作品の表層を捉えての見方であると思われる。しかし、そ れは手段としての英文学であり、寧ろ作家自身が伝えたい心象である「アル物」には、この英文 学が好きという目に見える行為の奥にある深層部分に秘められた東洋思想を含む文学.美術. 芸術が流れているように思える。 従って、以上のように見てくると、英文学の作品への影響は作品の本質的なところにはないよ 見てみよう。 り を求めての自分の開化」の行き着くべき所の無い事を思い知る所となったのであろう。日本が進 めていた自己の内的世界を捨て、外的世界にしがみ付くような文明近代化は、真の開化ではな い。留学したことで自分もまた同じような過ちをしていることに気づいたのだろう。その結果、漱 く東洋であった 可能性は如何なものだろうか。筆者は、これこそ も直さず東洋的な「アル物」という事にな る。即ち、日本文化思想の基礎に根ざす「チャイニーズ文化思想」となるのではなかろうか。 また、飛ヶ谷美穂子氏は著書 れを学ぶも、あながちに悔ゆることなかるべし」と言った漱石の言葉に対して、「信念をもって英 うに思われる。寧ろ、漱石文学は東洋的だったのではないかと見えてくる。ここで、彼の日記を 日本人ヲ観テ支那人ト云ハレルト厭ガルハ如何、支那人ハ日本人ヨリモ遙カニ名誉アル 国民ナリ、只不幸ニシテ目下不振ノ有様ニ沈淪セルナリ、心アル日本人ト呼バルヽヨリモ支 那人ト云ハルヽヲ名誉トスベキナリ、仮令然ラザルニモセヨ日本人ハ今迄ドレ程支那ノ厄介 ニナリシカ、少シハ考ヘテ見ルガヨカラウ、西洋人ハヤヽトモスルト御世辞ニ支那人ハ嫌ダ ガ日本人ハ好ダト云フ之ヲ聞キ嬉シガルハ世話ニナツタ隣ノ悪口ヲ面白イト思ツテ自分方 ガ景気ガヨイト云フ御世辞ヲ有難ガル軽薄ナ根性ナリ。 注七 とは、英国留学中の日記である。ここでは、「チャイニーズ文化•思想」のかたを持つような感じ を受ける内容が書かれている。自分が愛した英語のために渡英した彼は、本来ならば賞賛すべ き西洋文化と思想であるはずなのに、欧州の国の人々は自国が一番だと思っているのを目の 当たりにして、何故か自国日本の近代化に疑問を投げかけている。彼が自分の好きな物書きに なって世をあっと言わせようとした大きな目標を達成するために選んだ筈の西洋、彼はその西洋 の地で気付いたのである。目的達成の為に選んだ西洋だったが、そこには「より良き自己のよ どころとしての「場」」もそれを手助けするものもなかった。先にも述べたように西洋の地に足を下 ろした漱石にとって、「過去を切り捨ててきた自分」の行き先の無い事、逃避を伏線とした「変化 石は「過去」を含む自分の内的世界を見つめ直し、悟ったのではなかろうか。そして、その中に こそ「より良き自己のよりどころとしての「場」」があると感じたのだ。それは、まさし 漱石文学の根底に流れる息吹ではないかと考 えるのである。 第 二 節 「場」の視座 ―自己と作品と他者、変化する「場」―

(13)

さて、前節では、漱石が作家になるまでの過程を見てきた。その段階では、自己と言う内的世 界に作品を取り込んだ半ば、他者(読み手)不在の「場」であり、文学青年が、作家に転じようとし た時期であった。また、作家としての自己の目標を再発見の時期でもあった。 今度は作家としての彼が素人から玄人へと作家としての目が変化していくいくつかの節目を みていこう。というのは、そこには、より良き「自己のよりどころとしての「場」」が変化していくから である。つまり、漱石が作家として読者に接近する過程があるからである。それは、文学を通して 伝えたいものがよりはっきりとしてくる過程でもある。 れた読み手)と他者(読者側の観察された内容と現実の読み手)の関係に置き換えられる。例え 他者(読み手)とは、語り手である漱石が勝手に創造したものである。実際の他者(読み手)はその 葉を借りれば「アル物トアラワハ技術」が共存する「物」に当る。又、「場」と「場面」は、木村勝弘 このようにして作品を捉えると、作品の中に登場させた人物や出来事や物や状況は全て作家 自身が認識したり創造したりして感じ、反応し、必然的に存在したものであり、作家の「意識」を 執筆活動の内容が変化した頃)のものである。従 来の自己本位の一方的な自分の世界の「場面」を設定した読者用の表現(初期作品=教壇と掛 た他者(読み手)に自由空間を持たせた読者参与型作品に変化しているが、そ 来事、物、人物、状況などとして登場し、作家の「場」の中で命を吹き込まれ、他者(読み手)の方 所謂、自己と作品と他者の世界は、作品という媒体を共有する自己(作家側の語り手と仮想さ ば、ある所に人物、出来事、状況などが先ずバラバラに存在する自然な場面があるとしよう。こ の段階では、人物、出来事、状況などは全て相互関係の無い独立した存在であり、互いに認知 されていないかもしれない状態である。しかし、この混沌とした状態を作家である語り手は、自己 の世界に取り込み、それに自分が伝えたい「意識」を含め、命を吹き込み、新たな場面を作り出 し、他者(読み手)に提供される。この状態の場面は明らかに虚の世界に属する状態である。他 者(読み手)はこれを自分の世界から眺め、次第にその虚の世界へと這入っていき、その場面に 共振する。つまり、漱石が求めている「場」とはあくまで自分の世界に属すもので、その中にいる 枠外にいるのである。漱石自身の「場」の向うに他者(読み手)の「場」がある。 ここで、本論に於ける「意識」、「場」と「場面」について説明しておこう。これは「語り手」と「読み 手」と「作品」の三つの関係を捉えたものである。「意識」とは作家の心象を捉え、語り手がどうや って、どんな状況で何を伝えたいのかと言うもので、作品の執筆の本髄である。漱石自身の言 氏注八が述べているように「会話は場面を話し手と聞き手が共有し、それぞれが場面に自分を 投影し、自分と相手という場の意識が清々される。またそれに対して、読みの場合は読者とテク スト(作品)が場面を最初から共有していないので、読者は語り手の主体的立場によって推し進 められ、それを参照しながら場面を観察し、そこに読者としての場を生成する」ことになる。 身ごもった作家の色に染められた「物」である。読者はこの虚の世界に入り込み、自分の場を生 成する空間に他ならないのである。これに関しては先にも引用したが、漱石は執筆活動の中で ≪「アル物」=「意識」=表記された文字+含意≫ を意識しているのが窺われる。 時期的には、上記の引用部分は漱石が新聞小説家になった頃(見えない読者に分りやすい 場と場面を設定して作品を作ろうとして、その け持ち時代の作品)を反省し、やっと真の小説家として、不特定多数の読者に、より彼等にとっ て近い距離の作品(新聞小説家になってからの作品)を書く作家として成長したのであろうか。 以上述べてきたように筆者の目的は、独りよがりの全て押し付け型作品時代から、一歩引い の作品に常に出

(14)

へ場面として提供され、それが読み手自身が自己の「場」としての相手を生成するのに使われ、 自己(語り手作家)の本当の意識を伝える役を担っているものが漱石の作品には「アル物」として それは幼児期から漱石を支えたもので、「心のよりどころ」としてきたもの、留学を通して思い おさず、長き歴史を誇る中国思想のものだっ いろいろの形で登場させている。そして漱石 ラハス技術」と「チャイニーズ文化思想」とがどのように存在しているのかを見ていくことにする。 た。四つの区分けとして、一つは、英文学者と小説家の二束わらじを履いた小説家成りたての 『吾輩は猫である』 と対比するかのように存在する短編作品 集 『漾虚集』 という名で出された短編集の一 つで、明治三八年九月に書かれた。七つの作品のうち、 の世界を描いた「幻影の盾」「薤露行」と、紀行文とも言い難い「倫敦塔」「カーライル博物館」は、 存在しているのである。 知らされたもの、それは「東洋の発見」であり、その普遍な代表「東洋文化思想」それは取りもな たのではなかろうか。漱石は作品の場面に時には 人物として、時にはものとして、時には社会として、 の「意識」である「アル物」は、開化への考え方(近代化ではない)を知らしめているのである。 つまり、先の漱石の引用にある「アル物トアラハス技術」なるものとは開化や近代化の定義を 勘違いしている文明の民に対する警告、つまり「開化や近代化に潜む危険な兆し(心の破局の 提示)」と「東洋思想の再発見(心の理想郷の提示)」なのである。漱石はこの「アル物トアラハス技 術」という一つの塊に「チャイニーズ文化思想(東洋思想が生んだ文芸や美術)」を使ったことが 色濃く見えてきたのである。以下、作品にどのようにその「アル物」=「チャイニーズ」が潜んでい るのか、漱石の作品の「場」へ足を踏み入れてみよう。 第三節 作品にみる「場」の模索 ―本書の構成概要― 先述したように作家として成長していく過程を文学(作家の心象)という角度を通してみると、漱 石の初期作品の中にはその深層部分に「チャイニーズ文化思想」との接点の可能性をさぐって みた。以下の章では、作品を実際に取り上げ、それぞれの作品の中で、漱石の言う「アル物トア 本来なら、全ての作品についての見当が望ましいのであるが、筆者の力不足もあり、漱石の小 説家活動から四つのターニングポイントを選び、それぞれの代表作品に絞ってみていくことにし 漱石が明治三八年一月に書いた 『漾虚集』 の中から明治三八年九月の「一夜」。二つ目は、二束わらじを脱ぎ、新聞社専属 作家成り立ての明治四〇年六月二五日から同年一〇月二五日までの連載 『虞美人草』 。そ して、三つは、漱石初期三部作の最初の作で、初のリアリズム作品と呼べる明治四一年九月一 日から一二月二九日までの連載『三四郎』。更に四つ目は、他人の構想により創作させられた 明治四三年一〇月二三日から同年一二月二六日まで連載の『満韓ところどころ』 である。これ らの作品は漱石の執筆活動の中で作品の基本構造の構築上意義深いものである。 以下各章の概要を紹介しておこう。 (1)第一ターニングポイント 第二章 『一夜』の世界へのアプローチ――絵画の視座より―― この作品は、七つの短編を後の明治三九年五月 現存する歴史、時は英国中世の騎士

(15)

英国関連のもので漱石が最初から「場面」を強要して設定した間枠に読者を置いている。それ に対して、「一夜」「琴のそら音」「趣味の遺伝」の場合は、前述二つのように、過去という世界で はなく、現在という世界の向う側に存在する別の現実「世界」が設定された「場面」として他者(読 み手)に提供されている。その色が一番濃いのが 『一夜』であろう。しかも、面白い事に 『一夜』 は、時を同じくして書かれていた連載小説 『吾輩は猫である』の「場面」も過去や時間といった 「世界」が設定された「場面」として読者に提供されているのである。同時に映画の二本立てのよ うに小説 の世界へのア る。 共有の絵が出来るのである。こうした絵の構図と文人画の構図などを比較しなが られることを る。 風景そのものとは別に一つの南画の心象風景と思われる「場」は存在していないかと設問し てみた。その対象となるのは甲野の亡き父の肖像画である。そこで、その亡き父の肖像画を眺 める甲野やその風景描写が、幼少期の漱石が蔵や床の間で南画を眺めていた状況を髣髴させ 世界の設定ではなく、今と相対比するもう一つの今=現在という世界の向う側に存在する別の 『吾輩は猫である』 と 『漾虚集』 の一部が期せずして同じ「場」の構成を持っている のは、面白いことである。 プロの画家ではないが、東洋の芸術にも傾倒し、西洋の芸術からも洗礼を受けた漱石は、芳 賀徹氏注九に既に指摘された通りに「やがて作家活動が盛んになってゆくと」「絵画的関心 ・絵 画的発想は、ラファエル前派や南画への偏愛も含めて、言わば作品内に生かされ、内在化され てゆくということができる」のである。『一夜』 は禅的ムードが濃厚な作品であるが、漱石が用意 した「場面」には、美•画がその話題の材料として明確に取上げられている以上、例外なく、漱石 の「絵画的関心•絵画的発想」が文学作品に内在化されているに違いない。但し、それが顕在化 されていないため、これまでは注目の的から外されていたのであろう。よって、本稿は上記の禅 的要素の観点からの先行研究と異なった方向で、絵画に視座を置いて、『一夜』 プローチを試み、「美しき国」とはいかなる国であろうかを解明してい キーワードは「こゝにも画が出来る」という髯ある男のことばである。この言葉によって、虚構の 画がいくらでもできる。この方法によって、床の間を一枚の画の枠と見なし、その枠内に納めら れている実在の対象――花瓶、香炉、蜘蛛など――を画の対象とする虚構の絵、つまり三人の ら、文人画であ ることを立証し、更に「蓮の葉に蜘蛛下りけり香を焚く」及び「蠨蛸懸不揺、篆烟遶竹梁」とそれ ぞれ女及び髯ある男の詩吟によって、立派な南画、文人画の世界が八畳間の空間に繰り広げ 検証する。こうした「美しき国」に女と髭ある男、そして丸顔の男との三人はどの姿勢 を構えているのであろうかはもう一つ気になることである。『一夜』 の拡大図と思われる 『草枕』 で言及している「非人情」を一つの基準として、三人特に中心人物と思われる女の方に重点を 置き、それぞれの構えている姿勢を考察する。 (2) 第二ターニングポイント 第三章『虞美人草』小考一 ――変容した南画―― 『虞美人草』 の中から南画の要素を抽出して論じたのは、玉井敬之氏だけであった。氏は、 甲野と宗近が叡山に登っている風景はすなわち「俗世間からの脱出」と見做し、春という季節の 設定に重ね合わせ、「まさに春風駘蕩たる南画に似た世界」注一〇と指摘してい

(16)

漱石の南画的な原風景体験の再現とみなすことが出来るのではなかろうか。たとえ束の間でも 非近代化の象徴であり、そこで、外の近代化的空間から南画的空間へ逃れ、更に近代化に対 く。 縁の眼鏡など金がつくものを必死に追求しているが、古い過去を切ろうとしても切れない因縁め 「雲」の働きはどのように、 『三四郎』で再現しているのか、三四郎が眺めている「雲」とは果たし て同質のものなのだろうかなどを探って見る。 同じ言葉や表現を一箇所に集中して、繰り返すことによって、読者の注意を引こうとする手法 る事を立証する。父親の肖像画は甲野にとっては南画の閑かなムードをかもし出す存在であり、 淋しい気持ちを紛らわす事が出来る。そのエアポケットに身を浸り、他者との紐帯を回復するこ とが可能になる一つの共有の「場」である。 更に、其の一枚の画とは限らず、カーテンを締め切っている書斎も南画的な効果を作り出し ている。部屋の外の小野や藤尾などの人物と部屋の中にいる甲野とは、それぞれ正に近代化と する批判などが寓意されているとも読み取れないかと推論していく。 第四章 『虞美人草』小考2――漱石の台湾への眼差し―― これまで、文明批判は『虞美人草』の先行研究の大きな柱の一つである。小論ではそれを土 台として、「台湾館」に焦点を絞り、小野との類似点を考察しながらすすめて行きたい。 筆者は「台湾館」は一見単なる博覧会の一角に設けられている展示会会場の一部に過ぎな いように思われがちだが、宗近の「台湾館で御茶を」飲もうという言葉や、全員が揃って会場に 集まり、喫茶店で小野が藤尾や宗近ら一行に見られる設定から、同じ眺められる立場の「台湾 館」は小野と重なっているのではないかと問題意識したのである。そこで、小野と「台湾館」の外 見描写や内質などに注目し登場人物の評価を検索してい 「台湾館」は最も絢爛たるイルミネーションで飾られているが、その実態はまだまだ遅れている のが実情であったし、内部には問題を多く抱えてもいた。一方、小野は金時計や金ボタン、金 いたものがついている。両者は相通じるところを持っているかもしれない。小野を髣髴させ「台湾 館」のキャラクターを立証できれば、小野への批判を「台湾館」への一種の評価とも見なすことが 出来るのではないだろうか。 小野への評価は藤尾とその母親である「謎の女」、及び甲野や宗近など立場も評価基準の正 反対の二つのグループから検索できる。前者は近代化の象徴と思われ、後者は非近代化の代 表と思われる。藤尾の死を通して、前者の敗北後者の勝利、換言すれば一種の近代化への批 判が寓意されているとも捉えられるのであろう。 (3) 第三ターニングポイント 第五章『三四郎』試論――漱石の漢詩における「雲」の再現―― 勝田和學氏注一一が「しゃがんだ男と立つ女」というポーズに注目して、『三四郎』の枠組み、 構造を論じている。私は、美禰子が眺める「雲」、及びその後の三四郎が下向きから上向きと姿 勢を変えて眺める空の「雲」の含意と、漱石の漢詩で詠んでいる雲との類似点を考察し、その

(17)

は漱石の漢詩で詠じている雲と会い通じるところが (4) 第四ターニングポイント はその本来の文 体から外れ、批判を招く始末となったのである。そうした結果になったのは潜在した被統治者へ 統治者、しかも江藤淳注一二が所謂「大名九年前の英国留学とは異り、いずれにせよこれは 二八一頁 三 『全集 第二二巻』 書簡二〇 (明治二四年八月三日正岡子規宛書簡) 四 『全集 第二五巻』 別冊上「処女作追懐談」 二八〇頁 明治四一年九月一五日談話「処女作追懐談」『文章世界』) 注 注 六 飛ヶ谷美穂子 『漱石の源泉―創造への階段』 二〇〇二.一〇.三〇 は漱石の作品にはしばしば見られる。『三四郎』 に於ける「雲」という表現もその一つである。美 禰子も三四郎も作品の中で他の登場人物より遥かに「雲」を眺めるキャラクターとして設定され ている。しかも二人とも恋に陥り、悩んでいる立場の人間である。筆者はその「雲」を眺める寓意 あるのではないかと設問し、考察していく。先 ずは漢詩で詠じている雲の意味を分類し、更に美禰子が「雲」を眺める場面の状況、前後の心 理描写に重点を置き、「雲」の含意や漢詩のどれに当たるのかを検索する。続いて三四郎の部 分に焦点を当て、三四郎の「雲」への思い、美禰子のそれとの相違点を検出し、中国の詩人の 影響の有無を探っていく。 第六章 『満韓ところどころ』小考―「満州」人への眼差し― 古き友人であり、当時、満州鉄道の総裁でもあった中村是公の招きを受けたことやまた漱石 の被統治者への感情的作用も重なり、紀行文であるべき 『満韓ところどころ』 の感情の移入によるものではないかと興味をもち、本論の考察を始めたのである。 成功者の旅というべき大名旅行であった。中村是公が「総裁」になったのが大成功ならその「総 裁」に招かれて満韓を旅する漱石とて成功者でないことはない。大学を辞めて小説記者にはな ったものの、今の漱石は只の小説記者ではなくて「総裁」の客」という身分でありながら、時々被 統治者の遭遇に眼を向けざるを得なかったのであろう。満鉄総裁の友人という身分やまた満鉄 を宣伝して欲しいという皆の期待を抱えていたからであろうか、被統治者への眼をはっきり表現 することが出来なかった。そのためその部分の描写も顕著ではなく、隠喩的になっていると考え られる。 たとえば、豆を運搬する「クーリー」や売春婦、又は馬車に轢き逃げられた老人など「満州」人 に対する描写は、「無口」「機械」などの表現を使っている。これは、元気溌剌に働いている、進 取の気象に富んでいるという開墾者である日本人に対する描写とは全く異なっている。こうした 対照的な描写を通して漱石は何か暗示したかったに違いないだろう。 筆者はこうした曖昧な表現に注目し、作者の被統治者への眼差し、または統治者への一種 の批判を施している姿勢を見出そうと試みる。 注 一 『全集 第二五巻』 別冊上 「処女作追懐談」 (明治四一年九月一五日談話「処女作追懐談」『文章世界』) 注 二 『全集 第二二巻』 書簡二〇 (明治二四年八月三日正岡子規宛書簡) 注 注 ( 五 『全集 第一九巻』 日記・断片 明治三九年三五B 二三二―二三三頁

(18)

慶應義塾大学出版会 ⅰ―ⅱ頁 注 七 『全集 第一九巻』 日記・断片明治三四年三月一五日 注 八 木村勝博 『テキスト論と五つの相互作用―文学的認識性を求めて―』 二〇〇三.七 郁朋社 三五―三七頁 注 九 芳賀 徹 『絵画の領分』一九九〇.一〇 朝日新聞社 四〇六頁 注一〇 玉井敬之 「虞美人草」『国文学 解釈と教材の研究』特集一四巻第5号 一 くものである。筆 者は、この観衆はその芸術品を借り物として捉え、更に作品内に観衆自身を生成し、作者の伝 いう領域の中でどの「場」に座して、誰に向かって、そしてどんなメッ 転じた後の小説家としての成長過程毎に「場」が振幅しているのが窺がえた。 九六九.四.二〇 学灯社 注一一 勝田和學 「『三四郎』の構造」『一冊の講座 夏目漱石』一九八二.二.八 有精堂 注一二 江藤 淳 『漱石とその時代 第四部』 一九九五.一〇 新潮社 二六九―二八五頁 結 論 二十世紀初めに作家としての夏目漱石がその産声を上げた。それから今まで、凡そ百年とい う時が流れたが、その間さまざまな形の漱石論が成されてきた。作家論あり、作品論あり、文化 論あり等々その数たるや膨大である。が、ただ言える事は、作品を見るにしろ、作家漱石を見る にしろ、人間漱石を見るにしろ、皆それぞれに漱石本人の生い立ち、経歴、健康状態、家族問 題、などと関連付けて語られているのが多いように感じられる。それはとりもなおさず、本人の歴 史を紐解き作品研究の切り口にしている。言わば、本人の外面的歴史要素による考察であると 言えるのである。しかし、内面的歴史要素である心の眼の歴史を切り口にしたものは少ないよう に思える。あったにせよ、それは先に述べたように生い立ちや家族問題など社会的環境とのつ ながりが強い。人間漱石を論じているのである。 ところで、漱石に限らず、文学を含む芸術作品を創り出す者全てには共通する伝達という概 念である基本要素(作者と作品と観衆)の関係がある。周知の通り、芸術品は作者の創造物で あり、作者に帰属するものである。観衆はその芸術品を借り物として捉え、更に作品内に観衆自 身の存在を生成し、作者の伝えたい物と共振して、最後に観衆側に受容してい えたい物と共振するという部分に注目し、伝達概念における作品の位置を((作者と作品)と観 衆)と捉えなおし、作品と観衆の関係を考えた。それは作品に込められた作者の意図が作者と セージを発信しているのか を捉えることである。美術作品は複製を含めてもその数は有限であり、作品自身が観衆に意識 的に近づく必要はない。寧ろ一部の観衆の方から接近する努力をする。よって、作者は自分の 「場」のみに集中出来るし、作品も高額売買されると言える。が、文学の作者はそうは行かない。 あくまで向こうには読者が存在し、しかも薄利多売が実状である。どんな読者に、どこまで提供 するのか、言葉を変えれば、作品に投影する作者自身の「場」が誰に対しての物なのか、また作 者自身がどこまでこの「場」を読者に開放するかによって、作品としての外的評価は変わってくる 程、創作生命全般に渡って存在しているものである。 このように芸術作品を作り出す者にとって「場」の存在は大きいものがある。では、この「場」の 存在を以って漱石文学を斬るとどうなるのだろうか。漱石文学における小説家漱石としての「場」、 その可能性を追ってみた。すると、漱石が幼少の頃より追い求めていた「場」を底辺に小説家に

(19)

媒体と成り得る材料を自分の「場」に取り込み、存在の意味を与え、メッセージを載せて作品 として出したものには、一貫した「アラハス技術」による「アル物」が明確に存在していたのである。 える作品である。 己の「場」として描かれ での「場」の模索は、作家漱石が、友人でもある満鉄総裁の 招きとは表向きで、実際は新聞社の専属小説家という身分に見込まれての招待であったことは、 百も承知していたに違いないと思われる。しかし、漱石は、小説家としての一面とサラリーマンと しての物書き屋という一面が自分自身の中で葛藤しつつも、結局は、満鉄総裁に、あたかも、後 の連載される紀行文の内容に関するまでをも選定され、読者への場面も設定された後の、いわ ば そこには、チャイニーズとの接点がしっかり根付いていた。 以下各作品の「場」を通してみた「アラハス技術」による「アル物」の存在をまとめてみよう。 (一)第一章の 『一夜』 に於ける「場」の模索は、髯ある男も女も丸顔の男もみんな「非人情」の 姿勢を構えつづけることが出来る「美しき国」という「場」が、作品に登場する場面に配置され、作 家である漱石自身に生命を吹き込まれた対象物により、作り上げられた虚構の空間(南画=文 人画)に他ならないのである。これは、とりもなおさず漱石自身が追及していた「場」、「チャイニ ーズ」という「アラハス技術」がもたらす「アル物」の一つだと言える。 (二)第二章の 『虞美人草』 での模索は、最初から、現実の世界に主人公である甲野が求めて いる「場」が、作家漱石の意思で意識的に作品の中の場面として準備されている。しかも、その 「場」は共時的に現実に存在する父親の書斎という隔離された空間である。そこには父親の肖 像画や以前幼少時代に蔵や床の間で見た南画があり、時を越えた癒しの「場」があるのである。 構成しているものは、「アラハス技術」としての南画などと南画的原風景経験であり、「アル物」が 漠然と作品全体に広がっている。「チャイニーズ」との接点がモチーフとして大事な存在をしめ ていると言 (三)第三章の別の角度から捉えた 『虞美人草』 では、近代化を進める日本政府の単なる業 績発表会とでも言える博覧会の中にあって、特に世の注目を集めていた台湾館は、当時の出 来事であると言える。近代化という波に浮き足立っていた文明の平民は、西洋の近代化とは似 ても似つかぬ日本の目標のない近代化を見極める力すらないまま踊らされていたのである。漱 石は、作品『虞美人草』をとおして、小野の生き様を「台湾館」に含まれるあらゆる要素と絡ませ て「アラハス技術」とし、文明の平民に日本が薦めている近代化の本当の姿を示すことで、「アル 物」を伝えようとしているのである。 (四)第四章の 『三四郎』 での模索は、作品『三四郎』の「雲」=「アラハス技術」と捉えると、漢 詩の世界での「白雲の郷」と同様に虚構の世界といった別の世界であり、自分自身をも含む自 ているのがよく分かる。この「場」には、西洋的な要素は微塵も無く、東洋 思想を基盤とする漢詩の理想郷「白雲郷」を以って枠組みを作り、更に作家が主人公三四郎と してその中で戯れている。我々の眼には、そういった「雲」=「アラハス技術」による「アル物」が 見えはしないだろうか。 (五)第五章の『満韓ところどころ』 漱石は満鉄総裁の代弁者かの如くの連載となってしまいかねなかったのである。つまり、作

(20)

石の「場」が、彼の文学の根流を垣間見せてくれた。そして、どの作品にも「アラハス技術」(= 「アル物」)としてのチャイニーズが作品に投影された漱石の自己の「場」をしっかりと育み、流れ、 今回は漱石文学の初期および中期の作品に的を絞っての考察であった。しかし、初期 中期だからこそという面白さもあった。と言うのは、「口で言うのはたやすいが、それを自らや ってみると意外とうまく行かないものである。」とはよく言われる事である。が、漱石も多分に もれず、小説家の道を歩んでみて、その七転八倒の苦難の過程を経てようやく小説家とし てさまになってきたのである。その苦難の過程が初期及び中期作品にはよく現れていると 思われる。その過程の中、小説家として成功をさせてくれたのは、何を隠そう、読み手その ものであった。作家(語り手)に成り立ての頃は、自己の「場」の追求にばかり熱中し、小説 家にとって一番大切な聞き手である読者の「場」が見えていなかった。好評を得たり、悪評 をもらったり、批判されながら、一番大切な聞き手である読者の「場」へ近づこうと模索を繰 り返した。つまり、社会の出来事や社会的地位、経済問題や健康問題など自分の「場」の 基盤が揺さぶられながら、自己の押し付けでもなく、メッセージの一〇〇%の提示でもなく、 参与できる空間を設けることにより、作家側で作品に設定される「場面」を変化させ いったのである。そこには、文明の民と騒がれている人々みんなとの共通の過去の源流 由来する現在の世界が使われた。日本の歴史がその発展の上で、師として仰ぎ、支えら てきた東洋文化、その多くは中国文化思想であったのは歴史上まぎれもない事実である。 の中国の考え方から生まれた美術や文学など日本芸術は、日本人の血肉化した内的世 である。西洋の外的世界のものには東洋人の精神は入っていないのであり、また、載せ れないのである。漱石は、小説家と読者にとって、一番共通部分の多い、共振してもらい すいものとして「チャイニーズ文化思想」を用いたのである。また、同時にこれは、漱石自 身が、幼少の頃より悩んでいた「自己」と「他者」との問題に対する解の方向性でもあった。 っと自分の外にある対象に解答を求めつづけても、ずっと得られぬままだった解が、洋行 、挫折したことによってその方向性が間違っていたのを知らされたのである。それは、真の 化を示す考え方「チャイニーズ文化思想」に他ならなかったのである。少なくとも漱石の 者としての自己の「場」の余地も与えられない状態での執筆となったのである。しかし、最後には 漱石は与えられた「アラハス技術」はそのままに、作品が本当に意味する内容をすり替え、あくま で物書き屋という一面ではなく、小説家としての一面で「アル物」を伝えようとしたのである。満州 の現状を知らしめ、日本の外発的近代化が誤っていることを告げたかったのかもしれない。 以上の如く、筆者は、この論を進めていくために、作家としての目(作家↑作品↑読者)の関 係や作家の心情を「場」という言葉で追っていくことで、成長し振幅し変化していった小説家漱 読み手である他者の目にさらされていたのである。 あとがき 読者が て に れ そ 界 ら や ず し 開

(21)

品にはこの「アル物トアラハス技術」が生み出す一つの「アル物」(=「アラハス技術」)= チャイニーズ文化思想」が根底に流れている。 それは、「場」をキーワードに作品を見ていったからこそ得られたものである。作品が進化 していくように、作家自身も成長進歩していくことを忘れてはならないと思う。 作 「 を

(22)

Ⅲ. 『一夜』等作品為研究文本, 究計畫探討之主題較不吻合,因此將該作品排除於本次研究對象之外,其餘全數文本並加 上漱石漢詩及『之後』『門』等長篇小說亦列入探討範圍。而探討結果與計畫之預期約略相 同。 研究計畫成果:出版『「場の模索」──チャイニーズとの接点を通して─-』一專書, 可謂完全達到計畫目標,此外筆者尚就漱石晚期南畫作品與漢詩之關連性做一番探討、更 進而推論其與陶淵明思想之異同,此點如併入評比,則計畫執行結果較原訂計畫超前一些。 本研究計劃大抵如期順利完成,並撰成專書付梓。對日本近代文學研究領域方面具有如下 幾點價值:(1)計畫中以漱石作品中融入之南畫要素、南畫在該作品中所佔地位及其意義 為研究重點,可補足漱石文學與繪畫研究領域之不足(一般多以西洋畫為 比照對象)。 (2)『一夜』之研究中,除了南畫的構圖之外,更延伸至該南畫所隱射之禪境, 不啻提供了漱石文學與禪學相關研究領域的新方向。 (3)透過漱石南畫與漢詩及陶淵明之比較研究,豐富了漱石漢詩研究之方法, 同時對日本繪畫之研究亦提供了與漢詩作比較之研究方向,並可達到刺激 外國文學與中國繪畫比較研究之功效。 計畫成果自評 本計畫原訂以『三四郎』『虞美人草』『夢十夜』以及『草枕』 分: (1)漱石將南畫以何種色彩何種型態注入作品中?具有何種意義? (2)自幼酷愛中國漢詩之漱石以何種方式表達其對中華民族、中華地域之關愛? 兩部分做深入探討。計畫經實際執行,結果其中『夢十夜』一作品經檢索發現與本研

參考文獻

相關文件

Accordingly, the article is to probe into how Taixu and the others formed the new interpretation to reason the analogy between Vaiduryanirbhasa and a pure land in this world, also

In Section 3, the shift and scale argument from [2] is applied to show how each quantitative Landis theorem follows from the corresponding order-of-vanishing estimate.. A number

Teachers may consider the school’s aims and conditions or even the language environment to select the most appropriate approach according to students’ need and ability; or develop

(a) In your group, discuss what impact the social issues in Learning Activity 1 (and any other socials issues you can think of) have on the world, Hong Kong and you.. Choose the

In the third paragraph, please write a 100-word paragraph to talk about what you’d do in the future to make this research better and some important citations if any.. Please help

The objects on orange orbits (Mercury, Venus, Mars, Jupiter, and Saturn) rotate around the sun.. Johannes Kepler, Weil, Württemberg

In the first paragraph, how does the writer convince us that many people think the classroom of the future will be based on technology.. (A) She describes

In this portion of my article, I first discuss the “Pious Wives” section of Patricia Ebrey’s widely circulated book, The Inner Quarters: Marriage and the Lives of Chinese Women