新疆ウイグル自治区における
ガバナンスの行方
熊
倉 潤
(日本学術振興会海外特別研究員/ 台湾・国立政治大学東亜研究所客座助理研究員)【要約】
中 国共産 党十 九回大 会の 開催を 前に 、新疆 ウイ グル自 治区 におけ るガバナンスは、2 つのジレンマに直面している。第一に、少数民族 問 題 の 解 決 の た め に 少 数 民 族 を 優 遇 す れ ば 漢 族 の 反 感 を 招 き か ね ず、他方、「反テロ」を継続すれば少数民族と政権の距離を一層広げ かねない。第二に、「一帯一路」のスローガンの下で行われている物 流 の促進、中 国企業の中 央アジア進 出には構造 的限界があ り、中 国 企 業が中央ア ジア以西に 進出しよう にも安易に 進出できな い状況 が 生じている。習近平の父習仲勲は、1950 年代前半に「西北」の少数 民 族政策の穏 健化に貢献 したことも あり、習近 平に対して 少数民 族 へ の歩み寄り が期待され ている向き もある。し かし、こう した期 待 とは裏腹に、上述の 2 つのジレンマにより、新疆ウイグル自治区の 経済はなお長期的に低迷し、「反テロ」が宣伝こそされないものの、 事 実上継続さ れ、同地の ガバナンス は少数民族 の民生の安 定には 程 遠いものとなることが考えられる。 キ ーワ ード: 新疆ウイグル 自治区、中 国少数民族 政策、一帯 一路 、 習近平、中央アジア一 はじめに
中国共産党十九回大会の開催を控えた今年(2017 年)、新疆ウイグ ル 自治区では 、ウイグル 族の関与と 見られる「 テロ事件」 が、依 然 として断続的に発生している。その一方で、「一帯一路」のスローガ ン の下、新疆 ウイグル自 治区を通過 し、中国と ヨーロッパ 各地を 結 ぶ 直通貨物列 車が運行を 開始したニ ュースも大 々的に報じ られて い る1。十九回党大会後、習近平政権は一層独自色を強めると見られる が 、新疆ウイ グル自治区 における中 国共産党の 「ガバナン ス」は 、 今後どのように展開するのだろうか。 本稿は、習 近平政権の 下での新疆 ウイグル自 治区におけ る「ガ バ ナ ンス」の現 状を分析し 、今後の展 望を明らか にすること を目的 と する。本稿が敢えて「ガバナンス」(以下括弧をとる)という語を用 い、「少数民族政策」等としないのは、少数民族地域の統治において、 少 数民族を対 象とする政 策、すなわ ち少数民族 政策だけで なく、 少 数 民族地域に 居住する漢 族に対する 政策の重要 性が無視で きない か ら である。少 数民族地域 における漢 族をいかに 統治するか という 問 題自体は、いわゆる「大漢族主義と地方民族主義の双方に反対する」 2という中国共産党の建前に見られるように、長い歴史を有する問題1 一例として、最近中国東部の都市義烏と英国ロンドンを結ぶ直通貨物列車が、初め て義烏=ロンドン間を往復したことが報じられた。「首趟倫敦返程中歐班列抵達義 烏」『新華網』2017 年 4 月 29 日、http://news.xinhuanet.com/fortune/2017-04/29/c_112089 4702.htm。 2 「大漢族主義と地方民族主義の双方に反対する」という言説は、その歴史的淵源を 辿れば、早期の中共が多大な影響を受けたロシア共産党において、レーニンが大ロ シア・ショーヴィニズム(大民族主義)に反対する表明をしていた点に遡ることが でき、中共におけるこの種の言説も、1956 年頃までは、大漢族主義への反対が盛ん
である。しかし、2009 年 7 月 5 日にウルムチにおいて主にウイグル 族等の少数民族が暴徒化し 197 人が犠牲となったといわれる騒擾事 件が発生し、更にその 2 日後の 7 月 7 日に漢族によるデモも行われ た ことから、 近年の新疆 ウイグル自 治区では、 いわゆる少 数民族 問 題だけでなく、漢族の問題も改めて注目を集めている3。少数民族問 題 だけでなく 、言わば「 漢族問題」 も分析の視 野に入れ、 中国共 産 党 の新疆ウイ グル自治区 における統 治の在り方 の全体像を 考察す る た め、本稿で は「少数民 族政策」等 の表現では なく「ガバ ナンス 」 という言葉を用いる。 十九回党大 会以降、新 疆ウイグル 自治区のガ バナンスが どのよ う
に表明されていた(たとえば、1956 年 4 月に行われた毛沢東の報告「十大関係を論 ず」においても、大漢族主義への反対が「重点」であり、地方民族主義への反対は 「重点」でないとされてきた(中共中央文獻研究室・國家民族事務委員會編『毛澤 東民族工作文選』〈北京:中央文獻出版社・民族出版社、2014 年〉、頁 242))。しか し、1957 年 6 月に『人民日報』上に発表された毛沢東の講演「人民内部の矛盾を正 しく処理する問題について」において、「大漢族主義であれ地方民族主義であれ、ど ちらも各族人民の団結に不利であり、克服しなければならない一種の人民内部矛盾 である」と公式に発表された(同上、頁262)。それに続いて行われた青島民族工作 座談会における周恩来報告(57 年 8 月 4 日)及び 8 期三中全会(拡大)における鄧 小平の整風運動に関する報告(9 月 23 日)において、大漢族主義的傾向に反対する ことも必要だが、地方民族主義への反対を強調することも必要であるという姿勢が 明確化されるに至った。こうして「大漢族主義と地方民族主義の双方に反対する」 というスローガンが徐々に定式化された。もっとも、1957 年秋以降、反右派闘争が 本格化すると、少数民族地域において漢族はほぼ批判されず、地方民族主義的であ ると評された少数民族が往々にして批判されるなど、このスローガンの登場により 地方民族主義への反対に力点が移った面もある。毛沢東の死後も今日までこのスロ ーガンは民族政策の基礎となっているが、1990 年代から 2000 年代にかけてあまり強 調されなくなった。 3 たとえば、星野昌裕「ウイグル族問題――なぜ中国は優遇政策に舵を切れないのか」 『Synodos』、2015 年 6 月 18 日、http://synodos.jp/international/14403。
に 展開される のかを見極 めるために は、第一に 、十九回党 大会を 経 て 独自色を強 めることが 予想される 政権の最高 指導者、習 近平の 個 人的背景について、改めて検討を加えることが必要である。第二に、 習近平政権の特徴的な政策である「一帯一路」、それから地域を取り 巻く国際関係の要素を総合的に考慮に入れなければならない。 そこで本稿 では、まず 習近平の個 人的背景と して、彼の 父親で あ る 習 仲 勲 の 事 績 に 焦 点 を あ て た い 。 習 近 平 が 国 家 主 席 に 就 任 し た 2012 年から習仲勲生誕 100 周年の節目の年にあたった 2013 年をピー ク に、習仲勲 の事績を美 化し礼讃す る文献等の 出版が相次 いだ。 習 仲勲は陝西省の出身であり、1950 年代前半に新疆ウイグル自治区(当 時 新疆省)の 少数民族に 対する政策 の穏健化を 指導した人 物でも あ る 。習仲勲を 礼讃した文 書の中には 、習仲勲の 故事に仮託 して、 今 後 習近平政権 が少数民族 政策を穏健 化すること への期待を 示した と 見 られるもの も存在する 。また習仲 勲の後妻で あり習近平 の母親 で あ る斉心が、 中共党史の 言わば生き 字引として 習近平に対 し助言 を 与 えていると 推察される ことから、 習家の歴史 は、今日の 観点に 照 ら して改めて 考察するに 値する課題 である。そ のため本稿 の前半 部 分では、習近平の個人的背景として、習仲勲の事績を検討した上で、 新疆ウイグル自治区におけるガバナンスの現状と展望を論ずる。 次に、習近平の特徴的な政策として、「一帯一路」を取り上げる。 「 一帯一路」 の概念の中 で「一帯」 の部分に相 当する「シ ルクロ ー ド経済ベルト」(絲綢之路經濟帶)は、新疆ウイグル自治区及び同自 治 区と国境を 接する中央 アジア諸国 を通過する ものであり 、新疆 ウ イ グル自治区 は「シルク ロード経済 ベルト」の 「核心区」 と位置 づ けられている。したがって、「一帯一路」は、新疆ウイグル自治区の ガ バナンスと 無縁ではあ り得ない。 そこで本稿 の後半部分 では、 新 疆 ウイグル自 治区と中央 アジア諸国 との国境を 越えた関係 を視野 に
入れながら、「一帯一路」の展開が新疆ウイグル自治区のガバナンス にもたらす影響について論ずる。 前半部分において、内政的観点から、後半部分において、「一帯一 路 」の展開と いう外交的 観点から、 現在進行形 で展開する 「習近 平 時 代」の新疆 ウイグル自 治区のガバ ナンスを分 析すること で、十 九 回党大会後の展望に対する議論を深めたい。
二 習近平の個人的背景:内政的観点
習近平の個 人的背景の 中で新疆ウ イグル自治 区に関係す る重要 な 要素として、習近平の父習仲勲の事績が挙げられる。習仲勲は、1950 年 代前半、建 国間もない 中華人民共 和国新疆省 (後の新疆 ウイグ ル 自治区)の国家建設において、特徴的な役割を果たした人物である。 本章ではまず、1950 年代に遡り、この歴史的事績を考察する4。その 上 で、習家の 歴史に基づ き、中国国 内の一部で 習近平に期 待され て い る傾向を論 じ、新疆ウ イグル自治 区のガバナ ンスの現況 と今後 を 展望したい。4 この時期の習仲勲の動向については、以下が近年出版されている。『習仲勳傳』編委 會『習仲勳傳』下巻(北京:中央文獻出版社、2013 年)。中共中央統戰部・中央文獻 研究室編『習仲勳論統一戰線』(北京:中央文獻出版社、2013 年)。本論文の作成に あたり筆者も参照したが、習近平の国家主席就任後に出版されたものであり、全体 的に習仲勲を美化する傾向が看取される。そこで筆者は、1990 年代に出版された『王 震傳』(『王震傳』編寫組『王震傳』〈北京:當代中國出版社、1999 年〉)及び同じく 1990 年代に作成された内部発行資料である『中國共產黨新疆維吾爾自治區組織史資 料』(中共新疆維吾爾自治區委員會組織部他編『中國共產黨新疆維吾爾自治區組織史 資料』〈北京:中共黨史出版社、1996 年〉)を比較参照している。本章の以下の記述 において、脚注をつけなかったところは主に『中國共產黨新疆維吾爾自治區組織史 資料』の理解に基づいている。
1 父習仲勲の事績 習近平の父 習仲勲は、 陝西省富平 県の出身で あり、中華 人民共 和 国建 国後、「西北 」(現在の陝 西省、甘粛 省、寧夏回 族自治区、 青 海 省 、新疆ウイ グル自治区 一帯を指す )を統括す る西北軍政 委員会 に お いて副主席 の重責にあ った。同時 に「西北」 を担当する 中共党 組 織 の部署であ る中共中央 西北局にお いて、第二 書記に就い ていた 。 当 時、西北軍 政委員会主 席及び中共 中央西北局 第一書記は 彭徳懐 で あったが、彭徳懐が 1950 年秋に「抗美援朝」(朝鮮戦争)の指揮の た め朝鮮に派 遣されると 、習仲勲が 「西北」の 行政を指導 するよ う になった。 その頃新疆ウイグル自治区は成立しておらず(1955 年成立)、新疆 省 の中共党組 織及び人民 解放軍の最 高指導者は 、中共中央 新疆分 局 第 一書記、新 疆軍区司令 員代理の王 震であった 。王震は新 疆省に お い て、中共の 統治を受け 入れようと しないカザ フ族(カザ フ人、 こ こ では中共の 呼称に従い 「カザフ族 」とする) をはじめと する遊 牧 勢 力を、武力 行使によっ て鎮圧しよ うとしてい た。しかし 、武力 を 用 いて遊牧地 区(当時「 牧区」と呼 ばれた。以 下「牧区」 とする ) を 平定しよう とする王震 の言わばハ ード路線は 、中央及び 習仲勲 率 いる中共中央西北局の方針とは食い違うものであった。 中央及び中共中央西北局の方針とは、最高指導者毛沢東の1949 年 11 月 14 日付の彭徳懐、中共中央西北局に宛てた指示「大規模な少数 民 族 出 身 の 共 産 主 義 幹 部 が い な け れ ば 、 徹 底 し て 民 族 問 題 を 解 決 し、民族反動派を完全に孤立させることは不可能である」5に代表さ
5 中共中央文獻研究室編『建國以來重要文獻選編(第一冊)』(北京:中央文獻出版社、 1992 年)、頁 39-40。中共中央文獻研究室・中共新疆維吾爾自治區委員會編『新疆工 作文獻選編(1949-2010)』(北京:中央文獻出版社、2010 年)、頁 27-28。
れ るように、 少数民族出 身の中共党 員を養成す ることで、 少数民 族 地 域に中共の 安定的支配 を樹立する ものであっ た。また習 仲勲は 、 1952 年 7 月に、 「漢族地区と比べ、新疆の統一戦線はより広汎であるべきだ。帝 国主義分子、反革命分子、地主階級を除いて、各民族の各階級、 階層、集団、重要人物、地主階級から分かれ出た開明人士、この 全てが我々の団結の対象である」6 と述べてお り、統一戦 線の形成を 重視してい たことが窺 われる 。 毛 沢東、習仲 勲の間では 、少数民族 を中共党組 織に導き入 れ、少 数 民 族との広汎 な統一戦線 を形成する ことが基本 的に志向さ れてい た の であり、中 共に靡かな い勢力を武 力で鎮圧す ることが奨 励され て いたのではなかった。 そのため、 王震の方向 性は、毛沢 東をはじめ とする中央 指導者 及 び習仲勲に問題視されるようになり、1952 年 6 月に北京で開催され た 中共中央新 疆分局常務 委員会議に おいて、王 震に対する 批判が な された。このとき習仲勲は、「王震同志を頂点とする新疆分局が犯し た 錯誤、特に 王震同志が 犯した錯誤 は、慎重か つ穏健漸進 の方針 に 違 反した」と 指摘し、王 震を直截に 非難した。 またその他 の出席 者 も新疆分局と王震を厳しく批判したという7。
6 1952 年 7 月の中共中央新疆分局第 2 期党代表会議における発言(『習仲勳傳』編委會、 前掲『習仲勳傳』下巻、頁196。中共中央統戰部・中央文獻研究室編、前掲『習仲勳 論統一戰線』、頁119-120)。 7 発言は以前の版の『王震傳』に見られる(『王震傳』編寫組『王震傳』上巻〈北京: 當代中國出版社、1999 年〉、頁 516)。この部分は 2008 年に出版された新しい版では 削除されている(『王震傳』編寫組『王震傳』〈北京:當代中國出版社、2008 年〉、頁
一連の王震批判と「錯誤」の糾正は、毛沢東の意向に沿ったもの で あった。毛 沢東は、習 仲勲を新疆 に派遣し、 習仲勲と直 接連絡 を と り あ い 、「 牧 区 」 工 作 の 基 本 方 針 の 策 定 に 自 ら 関 与 し て い た8。 特 に、1952 年 7 月に開かれた新疆省第 2 期党代表会議における「新疆 の 農業区にお ける土地改 革実行に関 する決議」 と「新疆に おける 牧 区 工作に関す る決議」は 、その草案 に毛沢東が 自ら指示を 書き入 れ たものであった9。習仲勲は毛沢東の意向の下、中共中央統一戦線部 副 部長、民族 事務委員会 副主任の劉 格平(回族 )とともに 自ら新 疆 に入り、新疆省第 2 期党代表会議を中心として運営し、中共中央新 疆分局の指導層を引き連れてイーニン10、天山山脈の「牧区」を慰問 に訪れるなどし、「牧区」工作の方針転換を指揮した。毛沢東は北疆
395)。また『習仲勳傳』(2013 年)は、この発言は紹介していないが、「牧区改革の 問題」において中共中央新疆分局と中共中央西北局の間に方針の相違が生じてお り、毛沢東が関心を持っていたとしている(『習仲勳傳』編委會、前掲『習仲勳傳』 下巻、頁191)。 8 たとえば新疆情勢の分析と問題解決方針に関する 1952 年 7 月 16 日の習仲勲の報告 に対し、毛沢東は正確であると評価し、そのように行うよう指示している。また、 その後の報告に対しても批評と修正点を与えており、当時両者が密接に連携したこ とが窺い知れる(中共中央文獻研究室・國家民族事務委員會編、前掲『毛澤東民族 工作文選』、頁160、166-167)(『習仲勳傳』編委會、前掲『習仲勳傳』下巻、頁 190-198)。 9 中共中央文獻研究室・國家民族事務委員會編、前掲『毛澤東民族工作文選』、頁 158-160。『習仲勳傳』編委會、前掲『習仲勳傳』下巻、頁 191-192。 10 習仲勲、劉格平らは 7 月 28 日、セイフディンとともにイーニンに飛び、視察を行っ た。イーニンでは、アフマディジャンら烈士の墓に参拝した後、アフマディジャン 夫人(マイヌル)を慰問に訪れた。翌29 日は、宗教界、商工業界の人士を集めた座 談会が催され、各族各界人士300 人がこれに参加した。会場で劉格平は、「各民族人 民の風俗習慣、宗教信仰を自由とする人民政府の政策」を説明した(「習仲勳副主席、 劉格平副主任等 赴伊寧視察各項工作」『新疆日報』〈迪化〉、1952 年 8 月 2 日、第1 版)。
( 新疆省北部 )の人々を 敵に回して しまったこ とを重く受 け止め 、 習仲勲と劉格平を現地に赴かせ、「錯誤」を糾正したのであろう11。 このときの 新疆考察に おいて、王 恩茂、ブル ハン、セイ フディ ン らを従え、天山の「牧区」を「慰問」に訪れた習仲勲は、『新疆日報』 の報道によれば、以下のように述べたとされる。 「カザフ族は本来、勇敢で、勤勉で、優秀な民族である。ただカ ザフ族同胞は歴史的に圧迫を受けてきた。新疆の解放は、国民党 反動統治者の新疆各族人民に対する圧迫を終わらせた。三年間の 各種事実がそのことを物語っていよう。カザフ人民はただ毛主席 の領導下でのみ、各民族と親密に団結し、社会秩序を安定ならし め、生活をよくし、牧牛、牧羊を発展させことができる。最後に カザフ族牧民の人々と家畜の両方の健康を祝し、またカザフ族同
11 第 11 期 3 中全会以降、この「錯誤」についても歴史の見直しが進められ、1979 年 3 月17 日、1952 年の新疆省第 2 期党代表会議の「牧区」工作に関する方針及び政策は 「完全に正確」であるものの、王震に対して向けられた批判は現実に符合せず、当 時王震を罷免したことは公正でなかったと結論づけられたといわれる(『當代中國』 叢書編輯部『當代中國的新疆』〈北京:當代中國出版社、1991 年〉、頁 87-88)。この 点を指摘し、新疆省第 2 期党代表会議がもたらした負の影響を主張するのが、最近 出版された王恩茂の伝記である(陳伍國『王恩茂傳』〈北京:中國文史出版社、2014 年〉、頁290)。他方、習仲勲の伝記は、前段の新疆省第 2 期党代表会議の「牧区」 工作に関する方針及び政策が「完全に正確」であったという前段のみを引用し、王 震に対する批判、罷免が公正でなかったという後段には触れていない(『習仲勲傳』 編委會、前掲『習仲勲傳』下巻、頁190-198)。王震批判の解釈については、今なお 微妙な問題を孕んでいると考えられるが、習仲勲の秘書張志功は、自らの著書の中 で、習仲勲と王震の間に意見の不一致があったものの、2 人の深い友誼に影響を与え ることはなかったとして、2 人の友好関係を強調している(張志功『難忘的二十年― ―在習仲勳身邊工作的日子里』〈北京:解放軍出版社、2013 年〉、頁 104-107)。
胞の生活が日に日に良くなることを祈る」12 1952 年に印刷されたこの部分には、民族の団結、社会秩序の安定、 少 数民族の生 活の改善と いった現代 のガバナン スに繋がる 重要な 概 念 も垣間みら れる。そし て何より「 カザフ族同 胞」へ歩み 寄ろう と する姿勢が顕著に認められる。 以上から、 習仲勲とは 、少数民族 の抵抗をい たずらに軍 事力を 行 使 して鎮圧す る「錯誤」 を糾正し、 少数民族社 会に対し穏 健かつ 慎 重 なアプロー チを採り、 民生を安定 ならしめる ことに腐心 した人 物 で あったとい う理解が成 立する。そ して習仲勲 に対し穏健 かつ慎 重 な 方向性を指 示したのは 、後年習近 平が否応な く意識する ことに な る往時の最高指導者、すなわち毛沢東であった。 習仲勲が当 時の毛沢東 と歩調を合 わせ、少数 民族社会に 対し穏 健 か つ慎重に向 き合う路線 を歩んでい たことは、 半世紀以上 経った 今 も称賛され、美化されている。習近平が国家主席となった翌2013 年 は、奇しくも習仲勲生誕 100 周年の節目の年でもあり、習仲勲に関 する多くの文献、論説、報道等が出版、発表された13。その中で、こ の 年出版され た中共中央 党史研究室 編『習仲勲 紀念文集』 には、 ブ ヘ(布赫)(モンゴル族)、イスマイル・エメトゥ(司馬義・艾買提)
12 「習仲勳、劉格平在新疆視察工作期間 赴天山牧區慰問哈薩克族同胞」『新疆日報』 (迪化)、1952 年 8 月 11 日、第1版。 13 この時期に出版された習仲勲の伝記(『習仲勳傳』編委會『習仲勳傳』下巻〈北京: 中央文獻出版社、2013 年〉)に美化の傾向があることは前に述べたが(前註 4 参照)、 これとは別に様々な論説、報道等が存在する。枚挙に遑がないため、ここでは典型 的な一例のみを以下に挙げる。王双梅「新中國成立初期習仲勛對西北民族工作的重 要貢獻」『中国共産党歴史網』、2017 年 3 月 6 日、http://www.zgdsw.org.cn/n1/2017/ 0306/c219001-29126859.html。
(ウ イグル族 )、ライディ( 熱地)(チベ ット族)ら 少数民族エ リ ー ト の文章も収 められてい る。新疆ウ イグル自治 区を代表す る少数 民 族 エリートで あるイスマ イル・エメ トゥの名で 発表された 文章は 、 上述の1950 年代における習仲勲の事績を紹介し、これを礼讃してい る14。表面的には習仲勲を称えた文章だが、中国の政治家の文章が故 事 を論じる場 合、そこに は何らかの 意図が込め られている のが通 例 で ある。習近 平が国家主 席となった 翌年に出版 されている ことか ら し て、習近平 政権が新疆 ウイグル自 治区の少数 民族に対し 一層歩 み 寄ることへの期待を示したものと見ても、邪推ではないだろう。 習近平が国 家主席に就 任すること が確実視さ れるように なって 以 来 、中国国内 の言論空間 において、 習仲勲の事 績を称賛す る言説 が 大量に飛び交ってきたが、そこでは上述のように、1952 年に習仲勲 が毛沢東の指導の下、「西北」の少数民族地域に対し穏健かつ慎重な 方 針を実行し たことが頻 繁に言及さ れ、礼讃さ れた。この ことは 、 習近平政権の姿勢が、1950 年代の習仲勲の事績及び毛沢東の言説と 常 に 比 較 さ れ る こ と を 意 味 し て い る と 言 っ て も 過 言 で は な い だ ろ う。 2 習近平に対する期待と現実 「西北」の 出身であり 、かつ新疆 ウイグル自 治区の少数 民族に 対 し 穏健かつ慎 重な方針を 採った習仲 勲を父に持 つ習近平に 対する 上 述 の期待に対 し、第十八 回党大会以 来、習近平 政権はどれ ほど答 え て きたのだろ うか。ここ で注目され るのは、習 近平が新疆 ウイグ ル 自 治区の少数 民族と漢族 の双方に対 し配慮する 姿勢が、新 華社等 の
14 司馬義・艾買提「我所了解的習仲勳同志」中共中央黨史研究室編『習仲勳紀念文集』 (北京:中共黨史出版社、2013 年)、頁 21-22。
報道により盛んに宣伝されている点である。習近平は2014 年 4 月に 自 ら新疆ウイ グル自治区 に足を運び 、視察を行 ったが、こ のとき 新 華 社は大々的 に宣伝を行 い、少数民 族及び漢族 との触れ合 いの模 様 を報道した15。更に重要なこととして、2017 年 3 月の両会期間に、 習近平が自ら新疆代表団座談会に臨席したことも挙げられる16。どち ら も報道を通 じて、習近 平が「西北 」なかんず く新疆ウイ グル自 治 区 を重視して おり、少数 民族と漢族 の双方に対 し「高度な 関心」 を 持っていることをアピールする狙いがあったと考えられる。 これとは別 に、特に少 数民族に対 する配慮を 見せた事例 として 、 2014 年 9 月の民族工作会議において、「狭隘民族主義」への反対と並 ん で 、「 大 漢 族 主 義 」 へ の 反 対 を 明 確 に 打 ち 出 し た こ と が 挙 げ ら れ る 。この民族 工作会議の 成果が報道 されると、 特に少数民 族地域 で は議論を呼んだ17。「大漢族主義に反対する」のスローガンは、「大漢 族 主義と地方 民族主義の 双方に反対 する」とい うかたちで 毛沢東 時 代 に盛んに表 明されたも のの、江沢 民、胡錦濤 が国家主席 であっ た 時期には表立って言われなくなっていた18。それがここに来て再度強 調 されるに至 った背景に は、習近平 政権が漢族 だけでなく 少数民 族
15 習近平の新疆視察に関する公式の報道としては、以下参照。「習近平新疆考察紀實: 民族團結是發展進步的基石」『新華網』、2014 年 5 月 3 日、http://news.xinhuanet.com/ politics/2014-05/03/c_1110509757.htm。 16 新疆代表団座談会については、以下参照。「習近平部署“總目標”下的新疆發展」『新華 網』、2017 年 3 月 11 日、http://news.xinhuanet.com/politics/2017-03/11/c_1120611290. htm。 17 報道に関しては、以下参照。「中央民族工作會議暨國務院第六次全國民族團結進步表 彰大會在京舉行」『新華網』、2014 年 9 月 29 日、http://news.xinhuanet.com/politics/ 2014-09/29/c_1112683008.htm。なお、筆者が 2014 年 12 月に寧夏回族自治区へ出張し た際、この話題を随所で聞き及んだことも指摘したい。 18 前註 2 参照。
に 対 し て も 平 等 に 配 慮 し て い る こ と を 示 す 意 図 が あ っ た と 見 ら れ る。 それに加えて、折しも昨今強まっている「第二代民族政策」19等の 主 張を牽制す る意図があ る可能性も 否めない。 現在中国で は、現 行 の少数民族政策を転換し、各少数民族の個性を希薄化し、「中華民族」 の 一体性を強 化する主張 が存在して いる。しか し習近平政 権とし て は 、少数民族 に対する優 遇を撤回す ることは、 少数民族地 域のガ バ ナ ンスに動揺 を来す虞が あり、これ を実行する ことは現実 的でな い という目算も働いたと考えられる。 以上とは別に、「反テロ」を事実上継続するも宣伝が低調になった ことが指摘できる。「反テロ」は、大多数の一般市民の生命に関する 問題であり、習近平政権も「反テロ」の指示を発出している20。実際 に、新疆では、2016 年 8 月、自治区党委員会書記が「江沢民派」の 張春賢から陳全国に代えられて以降、「反テロ」の名の下で行われる
19 「第二代民族政策」は、2011 年に中国科学院国情研究中心主任(当時)であった胡 鞍鋼らによって発表された同名の論文(胡鞍鋼、胡聯合「第二代民族政策:促進民 族交融一體和繁榮一體」『新疆師範大學學報』(哲學社會科學版)(第32 巻第 5 期、 2011 年)、頁 1-12)に由来する表現である。同論文は、従来の少数民族政策(論文の 言う「第一代民族政策」)を転換し、中国の 56 民族(族群)の意識及びアイデンテ ィティを希薄にし、代わりに「中華民族」の意識及びアイデンティティを強化する ことを求めた。同時に同論文は、主にソ連とユーゴスラビアの解体を念頭に置いた 上で、国家の分裂に反対する闘争を行うにあたり、「地方の民族エリート」に当該地 区の当該民族の利益代表及び指導者と称させないようにし、政治情勢がいかなる変 化を遂げようとも、彼らに国家を分裂させる役割を果たさせないようにしなければ ならないと注意を喚起した。そのため同論文の主張は「大漢族主義」であり、少数 民族を敵扱いしているという批判が現れた。 20 この点に関しては、台湾のメディアにおいても関連報道があるので紹介したい。「新 疆反恐 習近平批示 30 餘次」『中國時報』2014 年 5 月 29 日、http://www.chinatimes. com/newspapers/20140529000951-260309。
締め付けが厳しくなったとも言われる21。これは、一見すると、一部 で 習近平に期 待されてい る少数民族 に対する穏 健かつ慎重 な方針 と 矛 盾すると考 えられなく もない。し かし、ここ で重要なの は、習 近 平 政権の下で 陳全国が新 疆入りして 以来、一面 では「反テ ロ」を 強 化 し、他省の 武装警察を 新疆ウイグ ル自治区に 派遣するな どしつ つ も 、他方で「 反テロ」を 以前のよう に声高に宣 伝しなくな った点 で ある。2016 年 8 月の陳全国の新疆ウイグル自治区党委員会書記就任 以来、皮山等で発生した騒擾事件に対し、一応の報道は存在しても、 「反テロ」の宣伝が低調であることは注目に値する。 この変化は 、中央の政 争とも関係 している。 過去を顧み るに、 新 疆ウイグル自治区は、胡錦濤が国家主席であった時期から2016 年に 陳 全国が赴任 するまで、 一貫して「 江沢民派」 の支配が強 い地域 で あった。いわゆる「テロ事件」が発生し、「反テロ」の問題が騒ぎ立 て られるとき 、それは全 てではない ものの、胡 錦濤の外遊 等、重 要 な時期に不自然に重なることがあった。有名な例としては、2009 年 7 月 5 日にウルムチで発生した暴動事件(ウルムチ 7・5 事件)は、 胡錦濤の欧州歴訪と見事に重なっており、主要国(G8)首脳会議に 出席予定であった胡錦濤は日程を繰り上げて帰国した22。そのため中 国 の「人権弾 圧」に世界 の注目が集 まる結果と なったこと は言う ま でもない。 この奇妙な一致を前に、「江沢民派」が「テロ事件」を事前に察知
21 この点については明確な根拠を挙げることができないが、2017 年秋に筆者が新疆ウ イグル自治区に滞在した際、及びその後の連絡から受けた印象である。 22 ここでウルムチ 7・5 事件と胡錦濤の日程繰り上げの因果関係が問題となるかもしれ ないが、新疆情勢を受け胡錦濤が日程を繰り上げて帰国した点については、人民網 がそのように述べている。「胡錦濤主席、新疆情勢を受け日程を繰り上げて帰国」『人 民網』(日本語版)、2009 年 7 月 8 日、http://j.people.com.cn/94474/6695818.html。
し ていながら 、意図的に 放置し、胡 錦濤にダメ ージを与え る目論 見 があったのではないか、という陰謀論も一部に存在する23。筆者はこ の推論の妥当性を論ずる能力を持たないが、2014 年 9 月の習近平の イ ンド訪問時 に、新疆ウ イグル自治 区の人民解 放軍がイン ドとの 係 争地に向けて進軍し、中印首脳会談に負の影響を与えるなど24、新疆 ウ イグル自治 区の不穏な 動きと最高 指導者の外 遊の奇妙な 一致が 、 習 近平の国家 主席就任後 にも見られ たことは指 摘したい。 また習 近 平 の辞任を要 求する公開 状(倒習公 開信)が、 新疆ウイグ ル自治 区 政府のサイトから発表されたこともある25。したがって、習近平政権 は、「反腐敗闘争」を通じ、2016 年 8 月、「江沢民派」ではない陳全 国 を新疆ウイ グル自治区 党委員会書 記の地位に 送り込むこ とで、 同 地 における「 江沢民派」 の影響力を 低減させ、 中央政府に 対する 揺 さぶりを封じようとしていたと考えることができよう。 以上から、 習近平政権 は、少数民 族と漢族の 双方に配慮 しつつ 、 毛沢東時代のスローガンのように「狭隘民族主義」と「大漢族主義」 の 両方に反対 することを 明確に打ち 出し、なお かつ「反テ ロ」を 事 実上継続しつつも、「反テロ」の宣伝を低調にし、少数民族の感情を 害さないように努めている面があると言えよう。しかし、2016 年 8 月の陳全国の新疆ウイグル自治区党委員会書記就任以降も、「テロ事
23 たとえば、「習近平外訪 俞正聲趕赴新疆坐鎮」『大紀元』、2017 年 1 月 19 日、 http://www.epochtimes.com/b5/17/1/18/n8718131.htm。
24 この問題を指摘した報道の例として、Mallet, Victor, “China-India border stand-off
overshadows Xi Jinping’s deals”, Financial Times, September 19, 2014. https://www.ft. com/content/28c61aae-3f0f-11e4-a861-00144feabdc0.
25 この事件の報道の例として、沙磊「中國因促習近平辭職信扣押 20 人」『BBC 中文網』、
2016 年 3 月 25 日、http://www.bbc.com/zhongwen/simp/china/2016/03/160325_china_blog _xi_letter。
件」と目される事件は後を絶たない。そこには、「反腐敗闘争」を通 じ て、周永康 ら「江沢民 派」がコン トロールし ていた既存 の法政 系 統に綻びが生じた結果、「テロ」勢力の活動空間が広がった面がある こ とも否定で きない。そ れに対し、 目下習近平 政権は、他 省の武 装 警 察の派遣に よって対処 しているが 、これは一 部の少数民 族の目 に は 、かつて王 震率いる人 民解放軍が 武力をもっ て苛烈な鎮 圧を行 っ た ことと重な って見える 虞がある。 また一部の 少数民族に は、習 近 平 が「大漢族 主義」に反 対したこと も、単なる 空虚なパフ ォーマ ン ス と理解され ている可能 性もある。 翻って、新 疆ウイグル 自治区 に 駐 屯 す る 生 産 建 設 兵 団 及 び そ の 他 の 漢 族 移 民 に と っ て 、「 大 漢 族 主 義 」への反対 とは、自身 の存在意義 に対する謂 れのない批 判と受 け 止められている節もある。更に、「反テロ」の宣伝が弱まっても「テ ロ 事件」が相 次げば、習 近平を弱腰 として糾弾 する声が上 がるこ と も予想される。 したがって、「大漢族主義」への反対を標語に掲げつつ、「反テロ」 を 事実上継続 し、なおか つ「反テロ 」の宣伝を 低調にする 習近平 政 権 の方向性は 、少数民族 にも漢族に も理解され ず、双方か ら反対 を 受 ける危険性 を有する。 上述のよう に、習仲勲 の故事に仮 託して 、 少 数民族に対 する穏健か つ慎重なア プローチを 習近平政権 に期待 す る 向きが存在 するとすれ ば、現実の 政治の動向 は必ずしも その期 待 に添うものではない。「反テロ」の解決の見通しが立っていない現状 を踏まえるならば、習近平に対する一部の期待とは裏腹に、今後「反 テロ」が宣伝こそされないものの、「反テロ」の事実上の継続を余儀 な くされるこ とが考えら れる。漢族 と少数民族 の利害が交 錯する 新 疆 ウイグル自 治区のガバ ナンスにお いて、十九 回党大会を 経て習 近 平 の政策決定 の自由度が 増すことに より、習近 平政権がい かにジ レ ンマを克服しようとするのか、一層注視する必要がある。
三 習近平の「一帯一路」政策:外交的観点
「はじめに 」で述べた ように、習 近平政権の 特徴的な政 策であ る 「 一帯一路」 ないし「シ ルクロード 経済ベルト 」は、新疆 ウイグ ル 自 治区及び同 自治区と国 境を接する 中央アジア 諸国を通過 するも の で あり、新疆 ウイグル自 治区は「シ ルクロード 経済ベルト 」の「 核 心 区」と位置 づけられて いる。本章 では、まず 「一帯一路 」の展 開 に ついて、新 疆ウイグル 自治区の現 況を踏まえ ながら論ず る。そ の 上で、「一帯一路」の展開が、新疆ウイグル自治区のガバナンスにも たらした新たなジレンマの存在を解き明かす。 1 「一帯一路」の展開 「一帯一路」とは、「シルクロード経済ベルト」と「21 世紀海上シ ルクロード」(21 世紀海上絲綢之路)の双方を併せた概念であり、主 と して前者が 中央アジア を経由する 陸路、後者 がインド洋 を経由 す る 海路を指し ている。地 域としては 、中国から 西欧に至る 途中に 位 置 する中央ア ジア、ロシ ア、東欧、 東南アジア 、南アジア 、中東 、 北 アフリカ等 を含む広大 な地域をカ バーする可 能性を有す るもの で ある26。習近平が「一帯一路」を推進する背景には、彼の福建省時代 の職務経験があると論じられることもあり27、確かに福建省が「一帯26 地域について厳密な定義が存在しない。たとえば 2016 年に中国は南米のウルグアイ を「一帯一路」の関係国と正式に見なしたことがある。香港貿易発展局の以下のURL を参照。“China-Uruguay Joint Statement on Establishing a Strategic Partnership”, HKTDC Research, October 18, 2016, http://china-trade-research.hktdc.com/business-news/article/ The-Belt-and-Road-Initiative/China-Uruguay-Joint-Statement-on-Establishing-a-Strategic-Pa rtnership/obor/en/1/1X3CGF6L/1X0A7WA2.htm.
一 路」構想に おいて「核 心区」に位 置づけられ ていること はこの 文 脈において重要だが、同時に新疆ウイグル自治区にも同じ「核心区」 の格付けが与えられていることは注目されてよいだろう28。 福建省と並んで新疆ウイグル自治区が、「核心区」という別格の扱 い を受け、同 地域の重点 的開発が「 一帯一路」 の一つの柱 となっ た 背 景には、新 疆ウイグル 自治区の地 理的、戦略 的重要性が 指摘さ れ る。新疆ウイグル自治区は、中国東部から中央アジアに接続する「シ ル クロード経 済ベルト」 の大動脈に 位置してい る。換言す れば、 新 疆ウイグル自治区には、中国企業が陸路を用いて中央アジア、中東、 ロ シア、ヨー ロッパに進 出する際の 橋頭堡とし ての戦略的 重要性 が 存在すると言えよう。したがって、同地のインフラ建設は、「一帯一 路」の観点から重要課題と言え、例年多額の予算が配分されている29。 こうしたイ ンフラ建設 は、貨物輸 送等の物流 と密接に結 びつい て お り、新疆ウ イグル自治 区における 「一帯一路 」に関連す る宣伝 の 多くは物流に力点を置いている30。この点からも、習近平政権には、
での職務経験を指摘するものとして、以下がある。「『一帶一路』的重點是『一路』?」 『日經中文網』、2017 年 5 月 15 日、https://zh.cn.nikkei.com/china/ceconomy/25130- 2017-05-15-02-37-51.html。 28 2015 年 3 月 28 日に発表された「推動共建絲綢之路経済帯和 21 世紀海上絲綢之路的 愿景與行動」の中で、新疆ウイグル自治区と福建省が「核心区」とされた。全文は 以下のURL を参照。「推動共建絲綢之路経済帯和21 世紀海上絲綢之路的愿景與行動」 中華人民共和國國家發展和改革委員會、2015 年 3 月 28 日、http://www.sdpc.gov.cn/ gzdt/201503/t20150328_669091.html。 29 新疆ウイグル自治区のインフラ建設には例年多額の予算がつくことを常とするが、 2017 年には前年を 50%上回る 1.5 兆人民元が配分されたという情報もある。「新疆今 年計劃投資超1.5 万億元加速基礎設施建設」『新華網』、2017 年 1 月 20 日、http://news. xinhuanet.com/2017-01/20/c_1120351271.htm。 30 そのような宣伝の例として、「“一帶一路”引領新疆大物流乘風遠航」『新華網』、2016
新 疆ウイグル 自治区のイ ンフラ建設 を進め、同 地を中国沿 海部と 中 央 アジア以西 を結ぶ物流 の中心とす ることで、 新疆ウイグ ル自治 区 の経済を振興させる狙いがあることが理解される。実際に2013 年に 「 一帯一路」 構想が始動 すると、中 国=カザフ スタン間の 貿易に 関 して、2015 年までに 400 億ドルの貿易額を達成するという数値目標 が打ち出された31。このことは、「西部大開発」が語られて久しいに もかかわらず、なお低迷を続ける新疆ウイグル自治区を含む「西部」 (内陸部)の経済に新風を吹き込むものとして期待された。 以上の点と は別に、国 境を越えた 企業進出と いう要素も ある。 新 疆ウイグル自治区に限らず、「一帯一路」構想には、一般に中国企業 の 世界展開を 通じて、中 国国内経済 の振興を図 ってきた面 がある 。 中 央アジア諸 国に隣接す る新疆ウイ グル自治区 の企業に対 しては 、 国境を越えて中央アジア以西に積極的に「出て行く」(走出去)32こ と が、特に呼 びかけられ ている。こ の「出て行 く」という 表現は 以 前から使用されていたものであるが、「西北」の企業が、単に国境貿
年11 月 7 日、http://news.xinhuanet.com/silkroad/2016-11/07/c_129353423.htm。また以下 も参照。「新疆作為「一帶一路」核心區的發展」HKTDC Research, February 29, 2016, http://economists-pick-research.hktdc.com/business-news/article/%E7%A0%94%E7%A9% B6%E6%96%87%E7%AB%A0/%E6%96%B0%E7%96%86%E4%BD%9C%E7%82%BA-%E4%B8%80%E5%B8%B6%E4%B8%80%E8%B7%AF-%E6%A0%B8%E5%BF%83%E 5%8D%80%E7%9A%84%E7%99%BC%E5%B1%95/rp/tc/1/1X000000/1X0A5D5S.htm。 31 「中哈貿易衝四百億美元」『文匯報』、2015 年 5 月 7 日、http://paper.wenweipo.com/ 2015/05/07/YO1505070009.htm。 32 中国企業が海外に進出する戦略を指す「出て行く」(走出去)という表現は、「一帯 一路」の登場より前から使用されているものである。その一例として、「更好地實施 “走出去”戰略」中國政府網、2006 年 3 月 15 日、http://www.gov.cn/node_11140/2006- 03/15/content_227686.htm。
易を行うだけでなく33、中央アジア以西に積極進出するという方向性 は 、習近平が 主導する「 一帯一路」 が新たに打 ち出したこ との一 つ であろう。こうして 2013 年から 15 年に至るまで、従来の「西部大 開発」に代わる、そして「西部大開発」を超える経済振興策として、 「 一帯一路」 のスローガ ンの下で、 インフラ建 設、物流の 促進、 中 央 アジア地域 への企業進 出等が図ら れた。新疆 ウイグル自 治区に お け る「一帯一 路」構想は 、国内的に は「核心区 」と位置づ けられ 、 多 額の予算が 投じられ、 また対外的 には中央ア ジア諸国の 賛同、 協 力 もあって、 報道振りを 見るに一時 は軌道に乗 るかのよう にも見 え た34。 2 新たなジレンマ しかし、順 風満帆に思 われたのも 初期のみで あった。上 述の中 国 =カザフスタン間の貿易に関して、2015 年までに 400 億ドルの貿易 額 を達成する という数値 目標は、全 くクリアで きず、実際 の貿易 額 はむしろ過去に比べ著しく減少した(グラフ1)。このことについて、 中国政府の公式見解は、「2015 年以来、国内外の不確定要素を受け、 新 疆の対外貿 易は一定の 困難に遭い 、新疆の対 カザフスタ ン貿易 も 程度の違いはあるが減少を示した」と説明している35。確かに、原油 価 格の下落が 貿易額の減 少に作用し ている面は 否めないだ ろう。 し かし、グラフ 1 を見ると、ロシア=カザフスタン間の貿易の減少幅 と 比較した場 合、中国= カザフスタ ン間の貿易 の減少幅が 大きい 点
33 コルホズ等における国境貿易の振興に関しては、以前から言われていたことであっ た。 34 前註 30 参照。 35 「新疆搭建中哈經濟合作平台」中國國務院新聞辦公室網站、2015 年 6 月 24 日、 http://www.scio.gov.cn/zhzc/8/2/Document/1438586/1438586.htm。
が注目される。 このような相違が生じた背景には、同年1 月 1 日に正式発効した、 ロ シアを中心 とし、カザ フスタン等 が加盟する 「ユーラシ ア経済 同 盟」евразийский экономический союз(ユーラシア経済連合とも訳さ れ る)の存在 がある。実 際に、香港 貿易発展局 は、同年の 新疆ウ イ グ ル自治区の 貿易総額が 減少したこ とについて 、その理由 を「中 央 アジア地区の需要が減退した」ことに求めている36。ロシアの主導す る「ユーラシア経済同盟」と「シルクロード経済ベルト」ないし「一 帯 一路」は、 相互に対立 するもので はないとい うのが、関 係国の 公 式見解である。しかし、そうした建前にもかかわらず、「ユーラシア 経 済同盟」の 成立後、新 疆ウイグル 自治区の国 境を通過し て行わ れ る 中国=カザ フスタン間 の貿易は明 らかに伸び 悩んでいる ことが 理 解される。
36 前掲「新疆作為「一帶一路」核心區的發展」HKTDC Research, February 29, 2016。
物流にこの ような構造 的課題が見 出されるな らば、中国 企業の 現 地への投資に問題はないのだろうか。既に指摘したように、「一帯一 路 」には物流 だけでなく 、中国企業 が積極的に 外国に「出 て行く 」 こ とを促進す る面がある 。カザフス タンに投資 する新疆ウ イグル 自 治区の企業は、170 社に上ると言われており37、新疆ウイグル自治区 の 企業の国外 投資は「一 帯一路」の 重要な一部 となってい る。こ の 問題に対する政府の関心も強く、2015 年には新疆ウイグル自治区政 府 の指導層が 企業代表を 引き連れカ ザフスタン を訪問する ことが 行 われた38。新疆ウイグル自治区の企業の中央アジア諸国に対する進出 の場合、特に農業面での投資協力、技術協力等が強調された39。 しかし、「一帯一路」のスローガンの下に行われたこれら一連の企 業進出も、2016 年 4 月、カザフスタン西部の都市アクトベを中心に、 「 土地法」改 革に反対す るデモが同 時多発的に 勃発したこ とで、 挫 折 を見ること になる。こ こで言う「 土地法」の 改革とは、 外国企 業 が 土地を賃借 する際の制 限を緩和す ることを目 的とするも のであ っ た が、デモの スローガン 及び参加者 の発言等に よると、一 部の現 地 住 民は、カザ フスタン政 府が中国企 業に対し土 地を半永久 的に貸 し 与 えることに より、中国 人移民がカ ザフスタン に大挙押し 寄せる こ とになると認識していたようである40。このデモは、結果として中国
37 「張春賢率新疆黨政代表團訪問哈薩克斯坦」『中國共產黨新聞網』、2016 年 5 月 6 日、 http://cpc.people.com.cn/n1/2016/0506/c64094-28331436.html。 38 同上。 39 張藝、楊光、楊陽「“一帶一路”戰略:加強中國與中亞農業合作的契機」『國際經濟合 作』(北京)、2015 年第 1 期(2015 年)、頁 31-34。
40 このデモに関しては、以下参照。“Kazakhstan’s Land Reform Protests Explained”, BBC,
April 28, 2016, http://www.bbc.com/news/world-asia-36163103.
企 業がカザフ スタンにお いて土地を 賃借し農業 面での投資 を拡大 す る可能性を後退させることになった。同年 5 月にカザフスタン大統 領ヌルスルタン・ナザルバエフНурсултан А. Назарбаев は、「土地法」 改革の凍結を指示し、更に関連閣僚を罷免した。8 月には、カザフス タ ンの政治家 の中で最大 の「親中派 」と目され る、首相カ リム・ マ シモフ Карим К. Масимов が国家安全委員会議長に異動というかた ちで、首相の座から解任された。 更に11 月には、ナザルバエフが「一帯一路」の加盟国でない韓国 及び日本を歴訪し、インフラ建設への投資を呼びかけるなどした41。 こ こにはカザ フスタンが 掲げる「光 の道」構想 が、必ずし も中国 の 「 一帯一路」 に完全に包 含されるも のではなく 、韓国及び 日本を 含 め て多角化し 、中国への 依存度を低 下させる可 能性がある ことを 内 外 にアピール する狙いが あったと考 えられる。 こうして中 国は、 企 業 進出の面で 後退を余儀 なくされた だけでなく 、カザフス タン政 府 内 部における 良きカウン ターパート ナーを失い 、更にカザ フスタ ン と いう「一帯 一路」構想 に比較的忠 実と見られ た国家が韓 国及び 日 本に接近しようとするという振る舞いを許したのである。 以上の展開 を踏まえる と、隣国カ ザフスタン への中国企 業の進 出 に は、構造的 な限界があ ると言えよ う。中国企 業の投資は 、カザ フ ス タンの国民 の間に根深 い中国脅威 論を刺激し やすく、今 後デモ が 再燃する蓋然性も否定できない42。更にカザフスタン及び同じく新疆
https://centre1.com/kazakhstan/kazahstanskij-atyrau-vmesto-mitinga-na-subbotnik/. 41 「日・カザフスタン首脳会談等」日本首相官邸、2016 年 11 月 7 日、http://www.kantei. go.jp/jp/97_abe/actions/201611/07kazakhstan.html。「ナザルバエフ・カザフスタン大統 領との懇談会を開催」『週刊 経団連タイムス』No. 3293、2016 年 11 月 17 日、 http://www.keidanren.or.jp/journal/times/2016/1117_02.html。 42 中国脅威論とデモの因果関係については、新疆ウイグル自治区のガバナンスを主題
ウ イグル自治 区と国境を 接するキル ギスは、ロ シアが主導 する「 ユ ー ラシア経済 同盟」に加 盟している 。一般にソ 連解体後、 ロシア の 中 央アジアに 対する経済 的影響力は 低下してき たと考えら れてい る が 、ここに来 てロシアの 影響力が持 ち直し、ま た「ユーラ シア経 済 同 盟」が発足 したことで 、ロシア、 カザフスタ ン、キルギ ス間の 経 済統合が一層制度化された観がある。 もちろん、 ロシアもカ ザフスタン もキルギス も、中国の 経済的 恩 恵を受けることに無頓着であるわけではない。2017 年 5 月に開催さ れた「一帯一路」国際協力サミット・フォーラムに、カザフスタン、 キ ルギス、ロ シア等の各 国首脳が出 席したこと を見ても、 このこ と は 明白である 。またカザ フスタン政 府は、デモ の勃発後、 政策を 調 整したものの、「一帯一路」構想から離脱したわけではなく、引き続 き 「一帯一路 」を支持し ており、中 国との要人 の往来も行 われて い る43。他方、中国も中央アジア地域を重視する姿勢に変わりなく、「一 帯一路」国際協力サミット・フォーラムの翌 6 月にカザフスタンの 首 都 ア ス タナ で 行 わ れた 上 海 協 力機 構 (SCO)首脳会議に、習近平 が自ら出席している。同会議の成果文書は、「一帯一路」を「首脳ら は歓迎し、5 月の一帯一路会議の結果を称賛し、これまでの成果を支 持する」44と高く評価した。
とする本論文では立ち入った検討を行い得ない。この点については、さしあたり、 拙稿を参照されたい。熊倉潤「一帶一路和中亞潛在的『恐中症』」『國際與公共事務』 第6 期(2017 年)、頁 21-39。 43 たとえば、ナザルバエフ大統領の訪日から約一ヶ月後、カザフスタン上院議長のカ シム=ジョマルトゥ・トカイェフКасым-Жомарт К. Токаев が訪中している。「張德江 與哈薩克斯坦議會上院議長托卡耶夫舉行會談」『中國人大網』、2016 年 12 月 6 日、 http://www.npc.gov.cn/npc/xinwen/syxw/2016-12/07/content_2003106.htm。 44 「上海協力機構、一帯一路を歓迎」『日本経済新聞』(電子版)、2017 年 6 月 9 日、
しかし、一 連の「一帯 一路」に対 するカザフ スタンの支 持は、 ロ シ アと歩調を あわせて行 われている 点に注意が 必要である 。実際 に 2016 年 11 月のナザルバエフの訪日は、プーチンの訪日(2016 年 12 月 )とほぼ時 期を同じく して行われ ており、ロ シアの威光 を笠に 着 る ようにして 行った点も 注目される 。カザフス タンが「一 帯一路 」 の 枠組みを利 用して中国 から経済的 恩恵を受け ようとする 試みは 、 ロシアとの関係を前提とした上で行われていると言えよう。 このように 、ロシアの 影がちらつ く中央アジ アにおいて 、中国 企 業が物流を伸ばそうとすれば、「ユーラシア経済同盟」という障壁が 立 ちはだかり 、中国企業 の投資等を 進めようと すれば、住 民のデ モ が 立 ち ふ さ が る 。 中 国 企 業 を 強 引 に 中 央 ア ジ ア 以 西 に 進 出 さ せ れ ば 、中露関係 の悪化が危 ぶまれる。 そうである からといっ て、中 国 企 業を中央ア ジア地域に 出て行かせ ないのであ れば、新疆 ウイグ ル 自治区及び「西部」(内陸部)の経済は一層低迷しそうである。した が って、北朝 鮮問題、南 シナ海問題 、中印関係 等を背景に 、中露 関 係 を重視せざ るをえない 習近平政権 には、新疆 ウイグル自 治区の 中 国 企業を、中 央アジア以 西に出て行 かせように も安易に出 て行か せ られないジレンマが存在していると言えよう。 2013 年に習近平が「一帯一路」を提唱して以来、既に 4 年が過ぎ ようとしているが、「シルクロード経済ベルト」の大動脈にして「核 心 区」である 新疆ウイグ ル自治区の 経済を活性 化させるに は到底 至 っ ていない。 中国主要部 からヨーロ ッパ各地に 直通する貨 物列車 が 運行を始めたというニュースは聞かれるが45、これらの列車は新疆ウ イ グル自治区 を通過して も、具体的 に新疆ウイ グル自治区 の経済 に
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM09H7P_Z00C17A6FF8000/。 45 前註 1 参照。
ど の程度貢献 するかにつ いては不明 である。む しろ世界が 注目す る 重要な貨物列車が、「テロ」の横行する新疆ウイグル自治区を通過し て いることに 安全保障上 のリスクが あると言え よう。これ らのジ レ ン マとリスク を解決する 道筋が一向 に立たない まま、習近 平政権 は 十九回党大会を迎えることになる。
四 おわりに
以上の分析 によれば、 中国国内に は、習近平 に対し、少 数民族 へ の 歩み寄りを 期待する傾 向が存在し ており、ま た習近平政 権も「 大 漢 族主義」へ の反対を表 明する等、 一部の政策 を通じてこ うした 期 待 に答えてい る面がある ことは明ら かである。 そして十九 回党大 会 を 経て習近平 の政策決定 の自由度が 上がるとす れば、習近 平が現 行 の 少数民族政 策を堅持す るだけでな く、少数民 族の民生の 安定に 向 け て、少数民 族に対し一 層の歩み寄 りを見せる 可能性もあ る。し か し 、本稿の考 察から言え ることとし て、習近平 政権による 新疆ウ イ グ ル自治区の ガバナンス の前途には 、大きく分 けて、少な くとも 以 下の2 つのジレンマが存在している。 第一に、内 政的観点か ら見た場合 、少数民族 に対する配 慮は漢 族 の反感を招きかねず、他方、「反テロ」の継続は、少数民族と政権の 距離を一層広げかねない。「第二代民族政策」等の主張の存在は、現 行 の民族政策 に対する不 満が、主に 漢族の間で 燻っている ことを 窺 わせる。習近平政権は、「第二代民族政策」をとらず、従来の民族政 策 を維持して いるが、こ れでは多数 派の不満を 解消できな い。他 方 で少数民族に対しては、「反テロ」を事実上継続し強化しつつ、目下 の ところ「反 テロ」の宣 伝を低調に すること対 応している と観察 さ れるが、今後どのように打開するかの道筋は立っていない。 第二に、外交的観点から見た場合、「一帯一路」のスローガンの下で 行 わ れ て い る 中 央 ア ジ ア と の 物 流 の 促 進 は 、「 ユ ー ラ シ ア 経 済 同 盟 」という障 壁に直面し 、その成果 は芳しいも のではない 。更に 、 中 国企業の農 業面での投 資協力、技 術協力は、 カザフスタ ンにお い て 住民の反対 デモを呼び 起こす結果 となった。 中露関係を 重視す る 習 近平政権は 、中国企業 を中央アジ ア以西に出 て行かせよ うにも 安 易 に出て行か せられない 状況が生じ ており、新 疆ウイグル 自治区 の 経 済を活性化 させるまで には到底至 っておらず 、経済振興 の見通 し が立っていない。 こうした現 状を踏まえ るならば、 習近平に対 する一部の 期待と は 裏腹に、新疆ウイグル自治区の経済はなお長期的に低迷し、「反テロ」 が 宣伝こそさ れないもの の、事実上 継続され、 同地のガバ ナンス は 少 数民族の民 生の安定に は程遠いも のとなるこ とが考えら れる。 新 疆 ウイグル自 治区のガバ ナンスの行 方がこのよ うになるな らば、 そ れ は単に習近 平政権にと って、前政 権から引き 継がれた負 の遺産 が 未 解決のまま 持ち越され るというだ けでなく、 習近平政権 の特徴 的 政 策であり、 新疆ウイグ ル自治区を 「核心区」 とする「一 帯一路 」 の成否にも影響を及ぼすことを想定しなければならないだろう。 ( 寄 稿 :2017 年 5 月 17 日、採用:2017 年 6 月 22 日)
新疆維吾爾自治區治理之政策走向
熊
倉 潤
(日本學術振興會海外特別研究員/ 國立政治大學東亞研究所客座助理研究員)【摘要】
在 中國 共產黨 即將 舉行第 十九 次全國 代表 大會之 際, 新疆維 吾爾 自 治區治理之 政策將面臨 兩種進退維 谷的局面。 其一是,若 為了解 決 少數民族問題而特別禮遇少數民族,恐將招致漢族的反感,另一方面, 若 持續採取「 反恐」政策 ,則少數民 族和中共政 權的距離益 發漸行 漸 遠 。其二為, 在「一帶一 路」的口號 之下所推動 的物流以及 中國企 業 拓 展中亞市場 仍存在組織 結構上的限 制,使得中 國企業進軍 中亞以 西 的計畫更加窒礙難行。習近平的父親習仲勲對於1950 年代前期的「西 北 」少數民族 政策穩定發 展具有長足 貢獻,亦期 望習近平所 推行的 少 數 民族政策能 得到雙方共 識。然而, 探究如此的 期待下之反 面真意 , 並 對照前述的 兩種進退維 谷局面,新 疆維吾爾自 治區的經濟 仍持續 長 期 低迷,中共 政權表面上 雖未宣揚「 反恐」政策 ,實際上卻 是持續 實 行,此舉無疑使得當地少數民族距離民生安定之路更形遙遠。 關鍵字:新疆維吾爾自治區、中國少數民族政策、一帶一路、習近平、 中亞Governance Trends in the Xinjiang Uyghur
Autonomous Region
Jun Kumakura
Overseas Research Fellow, Japan Society for the Promotion of Science/Visiting researcher, Graduate Institute of East Asian Studies,
National Chengchi University
【
Abstract】
In the lead up to the 19th National Congress of the Chinese Communist Party (CCP) to be held in Autumn 2017, the CCP faces two dilemmas over China’s Xinjiang Uyghur Autonomous Region. First, if the Party extends any preferential treatment to the Uyghur population to moderate ethnic tensions, it could face backlash from the ethnic Han population. One the other hand, if the CCP continues to pursue its “Anti-terrorism” initiatives, it will deepen existing cleavages between itself and Uyghurs. Second, China’s promotion of trade and increased investments by Chinese companies in Central Asia under its “Belt and Road Initiative” are both substantially limited. In the first half of the 1950s, Xi Zhongxun, father of Xi Jinping, contributed to the moderation of the ethnic-minority policy in China’s “northwest”. Many still expect a revival of such moderate ethnic minority policies under the younger President Xi. However, contrary to expectations, because of the above dilemmas, in combination with the continuing economic slump in Xinjiang, the CCP is likely to maintain its “Anti-terrorism” policy even though such policies are likely to only further alienate ethnic minority populations and perpetuate instability.
Keywords: Xinjiang Uyghur Autonomous Region, China’s ethnic minority
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