第一章 兆民の「義」の政治と人間観
第三節 リベルテーモラル
前節で、兆民は、人間は生得的に道徳能力を持ち、人民は自発的に秩序を守 るという考え方の持ち主だと言ったが、この節で、そのことについて説明する。
兆民の道徳観と自由観は強く連結しているから、まず兆民の自由観を紹介する。
宮村治雄氏1は、「自由」の概念を中心として、日本の政治思想史を通観した。
その論文を参照しながら、そこで分析された福沢諭吉および植木枝盛の自由観 との対比を通じて、兆民の自由観の特徴を見る。
明治初期、福沢諭吉は最初に西洋の「自由」の概念を日本人に紹介した啓蒙 思想家の中の代表的な一人である。福沢は、西洋の「自由」の概念を、近代以 前の日本の「自由」の概念「我儘放盪にて國法をも恐れず」2と区別するために 苦心した。自然状態の人間が持っている「天賦の自由」の一部を放棄し、より 多くの「処世の自由」を手に入るという「社会契約」的な自由論を通し、「『天 賦の自由』から『処世の自由』へという変化の過程の中に西洋的『自由』の提 示する新たな意味を発見しようとした」3。
處世の自由とは、人々此世に處して、其世俗人間中の一人たる身分を以て 受け得たる所の自由なれば、天賦の自由に人為の法を加へて稍々其趣を變 じ、以て天下一般の利益を謀りたるものなり。之に由て考ふれば、法律を 設けて人を害するの罪を制するは、其狀或は人の天賦の自由を減するに似 たれども、其實は之に由て大に處世の自由を増加せり。4
近代社会では、その自由は何でもしてもいい全く拘束のないような「我侭放 盪」な自由ではなく、一部の「人を害する」天賦の自由を減じ、より多くの「処 世の自由」を増加すると、福沢は主張する。そして、人民と政府と法律の関係 について、福沢は以下のように述べる。
1 宮村治雄『日本政治思想史―「自由」の観念を軸にして―』、放送大学教育振興会、2005 年。
2 「西洋事情初編」『福澤諭吉全集』一、290 頁。
3 宮村治雄『日本政治思想史―「自由」の観念を軸にして―』、放送大学教育振興会、2005 年、
186 頁。
4 『西洋事情二編』『福澤諭吉全集』一、496 頁。
政府は既に國民の總名代となりて事を為す可き權を得たるものなれば、政 府の為す事は即ち國民の為す事にて、國民は必ず政府の法に從はざる可ら ず。是亦國民と政府との約束なり。故に國民の政府に從ふは政府の作りし 法に從ふに非ず、自から作りし法に從ふなり。國民の法を破るは政府の作 りし法を破るに非ず、自から作りし法を破るなり。其法を破て刑罰を被る は政府に罰せらるゝに非ず、自から定めし法に由て罰せらるゝなり。この 趣を形容して云へば、國民たる者は一人にて二人前の役目を勤るが如し。
即ち其一の役目は、自分の名代として政府を立て一國中の悪人を取押へて 善人を保護することなり。其二の役目は、固く政府の約束を守り其法に從 ひ保護を受ることなり。5
また、国家を会社に例える。
譬えばこゝに百人の町人ありて何とか云ふ商社を結び、社中相談の上にて 社の法を立てこれを施し行ふ所を見れば、百人の人は其商社の主人なり。
既にこの法を定めて、社中の人何れもこれに從ひ違背せざる所を見れば、
百人の人は商社の客なり。故に一國は猶商社の如く、人民は猶社中の人の 如く、一人にて主客二樣の職を勤むべき者なり。6
「福沢における『天賦自由』論は、人々が『社中』を取り結んで自ら規則を 決め、自らその規則に従って『社中』を運営する自発的な結社の論理と、それ を政治社会に投射した『社会契約』の論理を、もう一つの契機としていた」7。 政府は人民全員の代理であり、人民はその政府の作った法律を守ることは、自 分の作った法律を守ることに等しい。すべての国民は、「自分の名代として政府 を立て一国中の悪人を取押へて善人を保護する」役目と、「固く政府の約束を守 り其法に従ひ保護を受る」役目、二つの役目がある。しかし、宮村氏によると、
5 『學問のすゝめ』『福澤諭吉全集』三、63-64 頁。
6 『學問のすゝめ』『福澤諭吉全集』三、70 頁。
7 宮村治雄『日本政治思想史―「自由」の観念を軸にして―』、放送大学教育振興会、2005 年、
188 頁。
福沢の「天賦自由」論と、「政府と人民の約束」論には、政治理論としての曖昧 さがある。
実際、福沢は、明治政府自体を「既に国民の総名代となりて事を為す可き 権を得たる」ものとし、その「政府の作りし法」を直ちに「自ら作りし法」
とみなすことで「国法の貴き」ことを根拠付けようとしていたとさえいえ る。福沢の意図が「守て便利なる法」を活用することで「一身の独立」を 確保しようとすることにあったとしても、福沢の議論に潜む「約束」の虚 構性は明らかであり、その帰結は「法を是非すること」への制約のみなら ず、「天賦の自由」を侵犯した場合の対抗を極めて限定的なものとしたこと に現れていた。8
政府は人民の授権を得て、代理として国の法律を作り、国のあらゆること を決める。人民は代理権を政府に与えたので、その法律を守ることと自分 の作った法律を守ることは同じことであるため、法律を守る義務がある。
しかし、政府と人民の間の「授権」と「代理」についての「約束」の論理 は曖昧で虚構的である。福沢の論理においては、虚構的な「約束」に根拠 付ける政府は、巨大な権力を持ち、人民の生存権など捨ててはいけない「天 賦の自由」を侵害することもあるかもしれない。しかも人民はそれを反抗 する正当性もない。
さらに、「自由と我儘との界は、他人の妨を為すと為さゞるとの間にあり」9と のように、福沢の思考においては、「民衆の自由と社会秩序とは限界点において 必らず矛盾するのであり、それを規制する原理は、他人の妨げをするか否かと いう形で外的に設定される以外にないのである」10。米原謙氏によると、こう した一見近代的に見える自由観は、民衆の自由の衝突を調整するために政府が
8 宮村治雄『日本政治思想史―「自由」の観念を軸にして―』、放送大学教育振興会、2005 年、
189 頁。
9 『學問のすゝめ』『福澤諭吉全集』三、31 頁。
10 米原謙『日本の近代思想と中江兆民』新評論、1986 年、206-207 頁。
設けられたとされ、天皇制の支配原理と密通していた。11
初期の福沢の自由論は、明らかにルソーの『社会契約論』の影響を受けてい たが、福沢はルソーとは一つ大きな違いがある。それは、主権者は政府と人民 のどちらにあるのかということである。ルソーは、政府と「社会契約」によっ て成立した国家あるいは共同体を区別し、政府はただ主権者の意思の執行機関 に過ぎないと考える。しかし、福沢は政府と国家を混同している。政府と国家 の区別をつけないと、政府は共同体の意思を代表できる、実質の主権者になる のである。前に話した宮村氏の指摘した福沢自由論の問題点は、このような政 府の優越性によって生じたものだと思う。
次は植木枝盛の自由論を検討する。植木は明治の啓蒙思想家の加藤弘之の影 響を受け、「自由」を人間の本性だと考え、「自然の自由」と区別した「社会の 自由」を、更に「私事の自由権」と「公事の自由権」と分ける。12「私事の自 由権」は参政権以外の市民権であり、「本来天ヨリ賜ハル」権利である。「公事 の自由権」は国の政治に参与する権利であるが、「その本天より稟けたるに非ず、
一人の身分に具はるにあらず、国家を結び、政府を建て然して後に得るもの」13 である。「公事の自由権」がないと、「私事の自由権」も固く保ち得ないと、植 木は「公事の自由権」の重要性を強調した。
植木と加藤の違いは、「公事の自由権」に対する考え方にある。加藤は、「私 事の自由権」の天賦性を肯定するが、それは「公事の自由権」の要求を「時期 尚早」として退ける根拠を作ろうとする意図の下になされていた。それに対し、
植木は「私事の自由権」を徹底することを通して、「私事の自由権」を保護する 手段としての「公事の自由権」の必要性を、加藤以上に明確に自覚したのであ
11 米原謙『日本の近代思想と中江兆民』新評論、1986 年、207 頁。
12 宮村治雄『日本政治思想史―「自由」の観念を軸にして―』、放送大学教育振興会、2005 年。
13 「民権自由論二編甲号」『植木枝盛集』一、154 頁。
る。14
「天賦の自由」(「自然の自由」)と「処世の自由」(「社会の自由」)の境界を
「社会契約」の理論で定める福沢と比べると、植木の自由論では、「自然の自由」
と一部の「社会の自由」(「私事の自由権」)の境界線は曖昧であり、「社会の自 由」の中の「公事の自由権」の重要性は区別され強調される。植木は「社会契 約」の理論に対して批判的な態度を取る。
蓋シ今彼ノ国家ハ衆民ノ約束ヲ以テ立ツル所ニシテ、已ニ保護ノ事ヲ衆民
蓋シ今彼ノ国家ハ衆民ノ約束ヲ以テ立ツル所ニシテ、已ニ保護ノ事ヲ衆民