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先行研究

在文檔中 中江兆民的政治思想 (頁 10-16)

松永昌三氏も米原謙氏も、兆民をほかの民権論者と区別するのは、兆民は「利 益」「快楽」を目的とせず「義」「道理」にかなう政治に徹底することだと指摘 した。1兆民と民権派の浅野乾との快楽説をめぐる論争について、松永氏は両者 の快楽についての考え方が違うとし、「浅野の場合、立憲制樹立は快楽を目的と したものであるから、立憲制が樹立されたとき、またそれ以後には問題は残ら なくなる。兆民の場合は、立憲制樹立後も、いぜん、『道理』の観点からの批判 が続けられるのである」 2と述べ、両者の自由民権に対する認識の深さの違い を強調した。

米原氏は、快楽主義・功利主義・実証主義に対する兆民の批判的思想を、明 治前期の思想状況の中で捉えた。「功利主義は旧秩序の崩壊とそこからの解放に は手を貸したが、民衆の自立的秩序の形成には無力であった。それは伝統的な 規範意識をつき崩す上で強力であったが、近代的市民として民衆を自己形成さ せる方向には作用しなかった」。3兆民はその欠陥に気づき、批判したのである。

さらに米原氏は、「兆民は功利主義におけるような『利』についての量的思考を はっきり否定し、行為が『義』に合致する時に自然に『公利』が生ずると主張 する。つまり行為の結果ではなく意図を重視し、行為が『義』にかなっていな ければ、結果的に利益が生じても、それは『公利』ではないと考える」4と指摘 した。

兆民の「利益」観について、松永氏は少し違う考え方をしている。松永氏は

「まず第一に理義(理想、理論、急進)に徹して考え、その方向・指針を定め、

次いで、利益(漸進)を考慮し、現実への対策を設定するというものであった

(中略)この理義は原則であり、利益を考慮する場合も、この原則を逸脱しな

1 松永昌三『中江兆民の思想』靑木書店、1970 年。米原謙『日本の近代思想と中江兆民』新評 論、1986 年。

2 松永昌三『中江兆民の思想』靑木書店、1970 年、123 頁。

3 米原謙『日本の近代思想と中江兆民』新評論、1986 年、203 頁。

4 米原謙『日本の近代思想と中江兆民』新評論、1986 年、202 頁。

い範囲で行なわれた」5と兆民の思考方法を分析した。兆民は理想主義者ではあ るが、現実に背を向けずに理想と現実が兼ね合う対策を考えるということに同 意する。しかし、「利益を考慮」することについて少し惑いを感じる。利益と理 義を実現するために解決すべき現実の問題を混同したのではないかと思われる。

松永氏が取り上げた兆民の論文の中で明確に「理義」と「利益」を対置した のは「国会問答」(1881)と『国会論』(1888)である。「国会問答」は未完に終 わっているので、最後に言及された「正則ノ理」と「変則ノ利」6は具体的に何 を指すのかわからない。『国会論』では、兆民は、国会の開設する理由は「正理 に係る趣意」と「利益に係る趣意」だと述べている。「正理に係る趣意」につい て、国会は「名義の不明なる政府の名義を明にする者なり」7と述べ、「利益に 係る趣意」について、「政府たる者真の政府と為り人民たる者真の人民と為り正 理既に伸び公道既に張るに於ては、農工商賈の業、文芸学術の道も亦隨ふて進 闡する」8と述べている。米原氏が指摘したように、兆民は「行為が『義』に合 致する時に自然に『公利』が生ずる」と主張するのである。それに対し、「『正 理』のあるところをまずとらえ、その方向に進むにあたり『利益』の観点を導 入して、もって『正理』の実現を期すというのが、兆民の思想方法の特徴であ る」9という松永氏の指摘は、「正理」の観点の説得力を高めるために「利益」

の観点を持ち出すこととも読み取れるが、「利益」を考慮して「正理」の実現を 期すという解釈ならやはり賛同できない。

井田進也氏は原著の『社会契約論』の内容を分析し、『民約訳解』の翻訳中断 の原因をつきとめた。10『民約訳解』に収められた第二巻第六章までの内容は

5 松永昌三『中江兆民の思想』靑木書店、1970 年、29 頁。

6 「国会問答」『中江兆民全集』十四、34 頁。

7 『国会論』『中江兆民全集』十、73 頁。

8 『国会論』『中江兆民全集』十、75 頁。

9 松永昌三『中江兆民の思想』靑木書店、1970 年、23 頁。

10 井田進也『中江兆民のフランス』岩波書店、1987 年。

原理論に当たる部分で、それ以降の現実論の中に、兆民はその原理論を日本に おいて実現するための具体的方法を読み取ったとされる。兆民は、『国会論』で、

正理公道が原則だとしても、各国の独自の歴史と習慣、気風にやむを得ずしば らく因循することもあると述べている。それは『社会契約論』の第二巻第八章 から第十二章までの内容と共通している。

井田氏は、兆民において「正則」とは『民約訳解』そのものであったとすれ ば、「変則」とは天皇制のことだったと指摘した。「変則」として不可避的な天 皇制の問題について、兆民は「君民共治」の説を提出したのである。井田氏は、

兆民の君民共治論は、共和政治の「名」や「形態」よりもその「実」を取る理 論であり、民主制を理想とする兆民にとって、君民共治は決して満足な制度と は言えないが、当時の日本にとって最善の制度だと考えられたと指摘した。

松永昌三氏も兆民の君民共治論について、「君主の形式的有無は問わないので、

その実質において、人民主権を妨害する君主の有無は問題とされている」11と 述べ、兆民は「君民共治」によって、実質的に人民主権の政体を作り出そうと しており、「君民共治」という表現は、共和政治反対者への説得であったと指摘 した。

井田氏と松永氏の指摘について特に異論はないが、「君民共治」は日本現状に 対する妥協や言葉の綾だということが感じ取れる。しかし、やはり兆民にとっ ては、君主の有無は問題にせず、実際に主権を行使する者は人民であるかどう かこそが問題なんだろうと思う。

米原謙氏は「自治」は『民約訳解』が最も強調した概念の一つだということ を認め、兆民の目標の一つは、ルソーを媒介としながら、民権派志士に「自治 之国」の人間モデルを提出することだと指摘した。12「citoyen」(市民)と呼ば

11 松永昌三『中江兆民の思想』靑木書店、1970 年、107 頁。

12 米原謙『日本の近代思想と中江兆民』新評論、1986 年。

れる「自治の国」の人間モデルは、契約国家を支えるに足る市民的倫理を持っ ていなければ、『社会契約論』の全構造が崩壊する。兆民はそれを「士」と翻訳 する。儒教の世界では、「士」は、礼楽をもって自律し、高い教養と道徳的能力 を持つ人を意味している。それは兆民の自由観に関連する。兆民はとりわけ「リ ベルテーモラル」(心の自由)を強調し、欲望にとらわれず自ら克脩して初めて 心の自由を得る。「リベルテーモラル」がすべての自由や学芸の出発点なのであ り、個人の道徳的自立をぬきにしては、近代的自由について語れないという兆 民の考え方を指摘した。

松永昌三氏は兆民は自己の自由と他者の自由の対立衝突を自発的に調整する 精神作用として、道徳を重視し、道徳と自由を一体として把握すると指摘した。

13兆民は『続一年有半』(1901 年)で、神や霊魂の存在を否定し、人間の良心や 信念を支える絶対者を求めることを拒否し、人間の良心なるものは有限なる人 間の内なる心の働きにほかならないと主張する。兆民は、人類の事は現世そし て人類の中で処理すると思っている。また兆民は「自省の能」を強調し、個々 人の「自省の能」により形成した「社会制裁力」が、国家権力の抑制のため機 能することを期待した。松永氏は最後に兆民の哲学の実践的性格を強調したの である。

宮城公子氏は哲学の視点から近代思想史の中で兆民の道徳観と人間像を捉え る。宮城氏は、兆民の『東洋自由新聞』で自由について論じる文章を分析し、

兆民の「リベルテーモラル」とは社会秩序との連続性をたたれ、内面化された ものであり、近代的個人の内面の尊厳の主張だと指摘した。14兆民は、「リベル テーモラル」が世界の本質だとした時期では意思の自由を認めたが、晩年の『続 一年有半』では意思の自由を否定し道徳の基礎として「自省の能」を設定する ことに対し、宮城氏は、「それは兆民の『歴史の実際』つまり現実の社会とのか

13 松永昌三『中江兆民の思想』靑木書店、1970 年。

14 宮城公子「一つの兆民像―日本における近代的世界観の形成」『幕末期の思想と習俗』ぺり かん社、2004 年。

かわりの中で、その人間観、社会観、自然観において修正をせまられた」15と 解釈した。

以上の指摘で、兆民は人間の道徳の可能性を信じ、外側の法律や社会規範で はなく、人の内面的な道徳能力で自分と他者の対立を自発的に調整し、更に正

以上の指摘で、兆民は人間の道徳の可能性を信じ、外側の法律や社会規範で はなく、人の内面的な道徳能力で自分と他者の対立を自発的に調整し、更に正

在文檔中 中江兆民的政治思想 (頁 10-16)

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