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竹取物語―――鬩ぎ合う異界と現実

一、 前書き

『竹取物語』は、『源氏物語』で「物語りいできはじめの祖(おや)」と呼ば れて、よく知られている物語である。『竹取物語』は複雑な構造をもつ、幾つの 神話や昔話を取り入れ、人間描写や社会への諷刺を混じって、再構成、新しく 仕立てている幻想性とリアリズムを富む伝奇小説である。話型からみれば、こ の物語はかぐや姫の誕生と人間界での生活、そして昇天という結末を持つ天人 羽衣譚(白鳥処女型・天人女房型)の中に、五人の貴族達と帝の求婚という現 実性がつよい難題求婚譚をはめ込む物語である。天人羽衣譚は異界からの女を 主体にする話型であるために、その神話性や幻想性―つまりその異界性を、

『竹取物語』から強く意識させてくれると同時に、その異界性と現実性が作品 の中で鬩ぎ合っているのもまた強く感じられるであろう。この論文では時間・

世の中の理・かぐや姫の情感的な変化・地上に留まった帝と翁からこの作品 の異界観と常世観を比べ、最後はこれらによって作者の現世に対する抱えてい る思想を討論したいと思う。

二、 変化の人

かぐや姫の異界性は色々なところから見られるが、まずはその身体的・物 理的・時間的な相違性から討論したい。物語のはじめに、かぐや姫の出で立ち を以下のように述べた。

…筒の中光りたり。それをみれば、三寸ばかりなる人、いとうつくしう て居たり。…竹取の翁、竹をとるに、この子を見つけて後に竹取るに、節 を隔ててよごとに、黄金ある竹を見つくること重なりぬ。

…この児、養ふほどに、すくすくと大きになりまさる。三月ばかりにな るほどに、よき程なる人になりぬれば、髪上げさす、裳着す、帳の内より も出ださず、いつき養ふ。

この児の容貌のけうらなる事、世になく、家の内は、暗き所なく、光満ち たり。翁の、心地あしく、苦しき時も、この子を見れば、くるしきことも やみぬ。腹立たしきこともなぐさみにけり

かぐや姫は三ヶ月ばかりで成長し、その光は人の心を癒すという不思議な 存在である。また後で帝に御輿へ連れられそうとした時、「きと影になりぬ」な ど、色々な段落からかぐや姫の異人性が見える。

ここで時間の流れのスケールに注目したい。『竹取物語』の中に時間に関

する問題は、三ヵ月ばかりで成長するという所だけではなく、後の「天の羽衣」

の段落の中でも、かぐや姫も翁に「片時の間とて、かの国よりまうで来しかど も、かくこの国には、あまたの年を経ぬるになむありける」と言い、お互いの時 間観念の相違を指示した。後半の天人が降りる段落にも以下のような場面が見 られる。

「汝、をさなき人、いささかなる功徳を、翁つくりけるによりて、汝が助 けにとて、片時のほどとし、下ししを、そこらの年ごろ、そこらの黄金を 賜ひて、身を換へたるがごとなりにたり。かぐや姫は、罪をつくり給へ りければ、かく賎しきおのれがもとに、しばしおはしつるなり。罪のか ぎり果てぬれば、かく迎ふるを、翁は泣き嘆く。能はぬことなり。はや出 だしたてまつれ」といふ。翁、答へて申す。「かぐや姫を養ひたてまつる こと、二十余年になりぬ。片時とのたまふに、あやしくなり侍りぬ。また 異所に、かぐや姫と申す人ぞおはすらむ」

天人とかぐや姫が「かた時」に言われた時に、年数について、翁が「かぐや 姫を養ひたてまつること、二十余年になりぬ」というのは些か無理があるとし ても(翁がかぐや姫を連れ戻してから成人まで育つのは三ヵ月、男達が翁の屋 敷の外にうろうろしてるのを仮に三年とし、五人の求婚者たちの物語は同時に 進んでいるためにまた三年、そして最後の帝との物語の三年を加え、最低限で も九年三ヵ月には経っている)、九年あまりの時間は地上にとってそう長くと は言えがたいとしても、少なくとも「かた時」一言では片付けない時間である。

天人と地上の時間観念の相違は、翁を「幼き人」と呼ぶ場面にも現れる。翁 のように地上で長い歳月を過ごした老人でも、天人の目から見れば、所詮「幼 き人」である。このように、地上の「あまたの年」を「かた時」と呼ぶのも、翁を

「幼き人」と呼ぶのも、月世界と現世の時間の流れが違うためであろう。時間の 流れが違うというのは、浦島子などの日本の伝承話・説話の中にもよく見られ る現象であり、異界という神話的な概念を強く意識させる。

三、 世間の理

  文本からみれば、かぐや姫は、貴族達との結婚だけではない、宮使えにな ることまでも断った。ここからみると、どうもかぐや姫に、世間の常理に縛ら れない性質がありそうだ。まず、「つまどひ」の中に、このような段落が見られ る。

翁、かぐや姫に言ふやう、「わが子の仏、変化の人と申しなから、ここら 大きさまで養ひたてまつる心ざし、おろかならず。翁の申さむことは、

聞き給ひてむや」と言へば、かぐや姫、「何事をか、のたまはむことは、う けたまはらざらむ。変化のものにて侍けむ身をも知らず、親とこそ思ひ

たてまつれ」と言ふ。翁、「嬉しくも、のたまふものかな」と言ふ。「翁、年 七十に余りぬ。今日とも明日とも知らず。この世の人は、男は女に婚ふ ことをす、女は男に婚ふことをす。その後なむ、門ひろくもなり侍る。い かでか、さることなくてはおはせむ」かぐや姫のいはく、「なんでふさる ことはし侍るらむ」と言へば、「変化の人といふとも、女の身持ち給へり。

翁のあらむかぎりは、かうてもいますがりなむかし。この人々の、年月 を経て、かうのみいましつつのたまふことを、思ひ定めて、一人一人に 婚ひてまつり給ひね」

  ここでは、翁が彼女を人間ではなく、変化の者だと認めたが、それでもか ぐや姫に人間世界で生きているかぎりに女は結婚を避けがたいものだと言い、

彼女を説得しようとしている。だがかぐや姫がそんな翁に対して「なんでふさ ることはし侍るらむ」と言い、結婚について疑問を持つ事にとどまらなく、後 に難題を出して、結婚を拒もうとしていた。結婚というのは、世の中の男女に とっての常理だが、天女羽衣譚の中にもよくみられるように、異界のものを

「この世」に繋ぎとめる手段であり、異界のものを「この世」に同化させる方法 でもあった。「天女」が男との結婚を通じて「家」を為し、男と交わして「女」に なる。この繋ぎは絶対的な物までとは言えないが、少なくとも結婚に通じて異 界のものの異界性を薄くするというのはまず間違いないことであろう。かぐや 姫が結婚から逃げようとするのは、「地上」との融合・同化を拒む意思によっ て取った行動ではないかと、私は思う。

「御狩の御行」の段では、帝の内侍が「仰せごとに、かぐや姫の容貌におはすな り。よく見て参るべきよし、のたまはせつるになむ、参りつる」と、帝の代言と して求婚に来たが、かぐや姫は「よき容貌にもあらず、いかでか見ゆべき」と返 事したが、これを聞いて翁が「うたてものたまふかな、帝の君の御使いをば、い かでかおろかにせむ」とかぐや姫に言った。そんな翁に対してかぐや姫は、「帝 の召してのたまはむこと、かしこしとも思はず」と言った。かぐや姫が帝の使 者に向かって「帝の召してのたまはむこと、かしこしとも思はず」と言えるの は、「この世」の御門の権威などというものを気にしていないからではの行動 である。それを聞いて内侍が食い下がるが、それもまたかぐや姫に「国王の仰 せごと背かば、はや殺し給ひてよかし」と、返事された。後に帝に官爵で懐柔さ れた翁にかぐやがまた「もはら、さやうの宮仕へ、つかうまつらじと思ふを、し ひて仕うまつらせ給はば、消え失せなまうず。御宮爵つかうまつりて死ぬばか りなり」、自分の死を持って翁を脅した。これらの台詞からして見ると、かぐや 姫を「国家への痛烈な反逆者」と呼んでも過言ではないであろう。帝が、かぐや 姫を連れて行こうとする時に、「おのが身はこの国に生まれてはべらばこそ使 ひたまはめ、いと率ておはしましがたくやはべらむ。」と、かぐや姫は、自分が

この国の者ではない、異国の生まれであったから、この国の王たる帝の命令は 月から来た自分にとって絶対的ではないと言った。ここまで至れば、かぐや姫 は世間の理に縛られていない存在というのは自明なことだ。

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