• 沒有找到結果。

れている。ほかに日本の天岩屋

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

Share "れている。ほかに日本の天岩屋"

Copied!
1
0
0

加載中.... (立即查看全文)

全文

(1)

日研二 494246038 陳書萍 平安朝物語文學研究期末報

指導教授:賴振南老師

『竹取物語』小論

一、 はじめに

 『竹取物語』は日本人ならば、誰もが知っている作品であり、私は子供の時に も、よく日本の昔話などを聞いて、『竹取』は私にとって、『浦島太郎』『桃太郎』

などの物語と同じ存在に過ぎない。が、この『源氏物語』の中で紫式部が『竹取 物語』のことを「物語の出で来はじめの祖」と述べて、日本最初の物語とされて いることがわかってるのは、もう大学生になったごろでした。この作者や成立 年代さえ知らない作品が、こうして日本文学の代表の一つになった。この物語 はいったいどんな魅力があるのか、今回は改めて原点から『竹取物語』の世界 をまとめて、この物語のイメージに辿り着けるようになると思います。まずは その原典、その起源はどこからかを考えて、そして内容の構造について考えて みる。

『竹取物語』は、一人の作者による一回的な創作ではありえないように思わ れて、その出典もところどころとされている。日本には、『竹取の翁』の現れは 最初『万葉集』の巻十六である。「昔老翁有り、号を竹取の翁といふ。」この翁は 春に、ある丘で羹を煮る天女に遭遇して、翁が半生を振り返り、このような自 分にもモテた若かりし頃があったと長歌を詠み、天女たちも一首ずつ応える歌 物語である。しかしこれは、竹もかぐや姫も現すこともない『竹取の翁の物語』

ともいえ、『竹取物語』とはあまり関係がない。

現『竹取物語』は、まず平安朝末期の『今昔物語集』を挙げる。その基盤として 現存の『竹取物語』より、さらに『今昔竹取』よりもっと前にはある原型がある と思われるが、この部分は挙げないとする。ほかには、『古今和歌集』『海道記』

さらに中国のチベットに伝われた『斑竹姑娘』(『竹姫』)の中からも、この『竹 取物語』の原型を覗くことができる。息子(ランパ)と母は、祖先から受け継ぐ竹 を無理難題を命じて切り、金儲けをする役人から、一本だけ大きくならない小 竹を守る。その筒の中から女児が生れ二人はその児を育てる。乳児は数ヶ月で 竹姫になったので母は息子の嫁にと願うと、姫は「三年待ってください」と約 束する。その頃、放蕩息子五人が求婚して来る。竹姫は結婚条件に彼らに難題 を出し三年の期限をつけるが、彼らは失敗して悲惨な結末を迎える。そして竹 姫はランパと結婚し、三人は幸せに暮らしたという物語である。物語の文脈も 求婚条件も竹取物語の求婚難題譚にとても似ているし、かぐや姫の原郷と目さ

(2)

れている。ほかに日本の天岩屋戸神話に酷似するチベット族の「太陽と月の岩 窟」神話や、竹取物語に類似する昇天して月の妻となる月の桂樹神話などの対 比が試みられる。

また『竹取物語』は幾つもの伝承の型を取り入れ、それを複合させて新しい 物語に仕立てているので、それと似ているものを探せばまた幾つかの説話など を探せる。例えば『後漢書』や『華陽国志』には、今の貴州省西北にあった夜郎国 の建国神話として竹から生まれた男王の話がある。「豊かな竹を産物とする夜 郎の地の乙女が、あるとき遯水の川で衣を洗っていると、川上から節の三つ付 いた大竹が流れて来て乙女の足に絡み付いた。彼女が流れの方に押しやって もまた纏わりつく。仕方がないのでその侭にしておくと竹筒の中から乳児の 泣き声が聞こえてきた。不思議に思い家に持ち帰り竹を割って中を視ると小 さな男児がおった。」と由来は続き、長じて竹姓を名乗り、南蛮夷狄の王となり 漢の武帝のもとで侯の位に上った。さきが挙げたの『斑竹姑娘』とこれによっ て、『竹取物語』は中国産なのか、それども本国産なのか、これも面白い問題と なった。

二、内容構造について

 まずは、構造からもう一度分析して考えてみる。本書は全巻を十の章段に分 けた。

1. かぐや姫の誕生について---化生説話 2. 竹取翁の長者譚---致富長者説話 3. つまどひ、五つの難題---求婚難題説話 4. 御狩のみゆき・帝の求婚譚

5. かぐや姫の昇天---羽衣説話 6. 富士の煙---地名起源説話

かぐや姫の誕生について、竹取翁の長者譚

かぐや姫の生ひたちについて、現『竹取物語』には、「その竹の中に、本光る竹 なむ一筋ありける…それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうて居た り。」これはよく知られている内容で、また、『今昔物語』にも大体同じ内容があ る。「篁に行き、竹を切りけるに、篁の中に一の光あり。その竹の節の中に、三 寸ばかりなる人あり。」という。

面白いのは、『古今和歌集』と『海道記』などは、また違う言い方があること。

(3)

この二つの作品の同じ点は、かぐや姫が鶯の卵から生まれるということ。『古 今和歌集』には、「竹の中に鶯の巣をくひて、子を生めりけるが、いかにかはし たりけも、この親の鶯死ににけり…中に一つの卵子の中より、眉目美しき女子 出でたり。」という、かぐや姫は鶯の卵から生まれることがわかる。そして、『海 道記』にも、「翁が宅の竹林に、鶯の卵、女の形にかへりて巣の中にあり。」とい う話がある。

また、現『竹取』、『今昔物語』、『海道記』の中には、みんな竹取の翁がお金持 ちということがある。「この子を見つけて後に竹取るに、節を隔ててよごとに、

黄金ある竹を見つくること重なりぬ。かくて、翁やうやう豊かになりゆく。」と いう、つまり致富長者説話というものである。

つまどひ、五つの難題

五つの難題を考える前、まず「五つ」ということについて考えてみる。『今昔 物語』には、求婚する者は三人しかありませんが、現『竹取』は五人である。これ はわざとすることか、それども後の人が書き換わったものであろう。よく見れ ば気付けるのは、この作品の中に、よく「三」に関することが現れる。「三寸ばか りなる人」、「三月ばかりになる」、「このほど三日、うちあげ遊ぶ」など、『今昔』、

に出てくる難題は三つある、『竹取物語』も三の聖数が随所に出てくるが、かぐ や姫の求婚難題は五である。これは作者の思惟の中に五の数字に特別な用意が あるため、文脈に 三と五を交錯させるのか。

実は、三や五だけでなく、また九の数字が置かれている。「蓬莱の珠の枝」の 段落、庫持の皇子が「海に漂ひて、五百日という辰の時ばかりに、海の中にはつ かに山見ゆ…船に乗りて、追風吹きて、四百余日になむ、まうで来にし。」この 話しによって、五百日と四百日を加えて、ちょうど九百余日になる。他には、求 婚難題の期限は九百日余、帝との交誼も九百日余、それにかぐや姫の生誕から 髪上げまでが九十日余(三月)ということである。この章および物語全体の文 脈に、神仙思想を反映させる「三・五・九」の数の反芻が見える。

そして求婚難題の部分を見ましょう。求婚難題は、中国民間説話の中にもよ く出てくるパターンで、その型は内容によって二つの類に分ける。

1.求婚者求婚ヒロインやその父が難題を出す求婚者が難題を解決結婚        |

      他人からの援助

(4)

2.両人は夫婦になる悪党がヒロインを狙って、難題を出す主人公が難題を 解決円満       |

ヒロインからの援助  中国社会にとって、男子の能力が認めるかどうか、それが重要な条件で、求 婚するとき出した難題も、男子の能力を試練する方法だと思われる。

『海道記』『古今和歌集』には難題の部分はないから、『今昔物語』『竹姫』『竹 取物語』三つの作品にある難題の部分を出してまとめる。

『今昔物語』 『竹姫』 『竹取物語』

空に鳴る雷 撞いても割れぬ金の鐘 仏の石の鉢 優曇華の花 打ってもこわれぬ玉樹 蓬莱の珠の枝 打たぬに鳴る鼓 燃えない火鼠の皮衣 火鼠の皮衣

燕の巣にある金の卵 龍の頸の珠 海龍の額についている

分水珠 燕の子安貝

宝物の内容について、『今昔』のはあまり関連性はないので、『竹姫』と『竹取 物語』二つの作品のみ討論してみる。

一つ目の「仏の石の鉢」とは釈迦が所持した石の鉢だという、その実物は天 竺にあると聞いたが、石作の皇子はその代用品を山寺から取って来て、そして かぐや姫がそれが蛍ばかりの光りだになしから、偽物だと見抜いた。そして

『竹姫』では偽物を被う金箔がはげ落ちるから見抜いたのである。

二つ目の「蓬莱の珠の枝」と「打ってもこわれぬ玉樹」とは同じものだと思わ れる。中国神仙思想に現れる仙境「蓬莱」は、そんな簡単にたどり着くことはも ちろん無理なので、二つの作品の求婚者とも鍛冶匠を雇いで代用品を作り上げ るが、かぐや姫のところへ行ったとき、工人たちが報酬を求めて現れ、その嘘 も露顕された。

三つ目は同じ「火鼠の皮衣」である。火鼠とは中国民俗中で南方の火山に棲 むという動物であるが、『竹取物語』文中に「唐土にある」とあってこれも大陸 の方向を指示している。そして二人の求婚者はだまされて偽物の皮衣を手に入 れる。これをかぐや姫のもとに持っていくと、試みに火中に入れて、灰となっ てしまう。

(5)

宝物の内容はやや違うが、その結果は大体同じだと分かる。このように、宝 物だけでなく、探し方とその偽りが露顕される仕方、求婚者の運命、三年の期 限付きであることなどがとても似ている。さらに、この『竹姫』も元々三人の求 婚譚だと思われ、四つ目や五つ目の、後の加えた部分だと思われる部分も、そ の宝物、探し方、そして最後は同じかぐや姫のもとへもどることが出来ない部 分もそっくり。もちろん、この『竹姫』が、『竹取物語』求婚譚部分の原典とは思 えない。遠い昔にあったはずの「原典」の存在を確証し、それを受け継いだ一物 語と推測するほうが良いと思う。でもここからも、中国と日本とも、同じ源流 がある伝説を持つことが分かる。

かぐや姫の昇天

この部分を読むとき意識しているのは、異郷意識、また羽衣説話(天人女房説 話)である。タイの神話の中に、インドが起源ではないかとも思われる「異郷訪 問神話」と呼ばれる話がある。『天人女房』と『浦島太郎』が1つの話になってい る神話で、この1つになった『天人女房』の説話が『天人女房』と『竜女説話』に 分かれるそうで、分かれた後の『天人女房』は「難題型」「七夕型」「七星始祖型」

の3つに分類される。

異郷意識の提起は、最初かぐや姫の生ひたちから覗くことが出来る。「この 児、養ふほどに、すくすくと大きになりまさる。三月ばかりになるほどに、よき 程なる人になりぬれば…」三月ばかりなのに成長していた、こういうことある のか。もし解釈を求めるというと、それは異郷である月の都と、この世である 地上界との時間の経過速度が違いといえるであろう。このように、異郷につい て描かれているものは、必ず浦島太郎の話が挙げられる。この話における異郷 である竜宮と、この世である地上界の時間の経過速度の違いについて小松和彦 氏は次のように言っている。

…お伽草子の『浦島太郎』では、竜宮の三年が、人間世界の七百年以上の歳月

に相当するとしている。すなわち、浦嶋太郎の訪問した竜宮の一年が、人間世 界の二百年以上に当たるのである。人間界から竜宮を眺めた時、竜宮は不老不 死の世界とみえる。しかし、竜宮では時間が停止しているわけではない。時間 は流れているのである。その時間が人間界と比較した時、ほとんど停止してい るかにみえるほどゆっくりしているということなのだ。

『竹取物語』に還元して考えてみる。本文には、かぐや姫の言葉に次のような ものがある。「月の都の人にて父母あり。片時の間とて、かの国よりまうで来し かども、かくこの国には、あまたの年を経ぬるになむありける。」ここでは、異

(6)

郷である「月の都」において「片時」であることが、この世である地上界におい ては「あまたの年」であることが書かれている。

また、天人の王が次のように言っている部分がある。「汝、をさなき人。いさ さかなる功徳を、翁つくりけるによりて、汝が助けにとて、片時のほどとてく だしを…」これに対し、翁は、次のように答えている。「かぐや姫を養ひたてま つること、二十余年になりぬ。片時とのたまふに、あやしくなり侍りぬ。」 こ れらのことから、『竹取物語』における異郷であるところの「月の都」において も、お伽草子の『浦島太郎』における竜宮と同じように、地上界よりも緩やかに 時間が流れていることがわかる。

羽衣説話も、中国でも日本でもたくさんある。中国には、「牛郎と織姫」、日本 には、『丹後国風土記』にある「奈具社」や近江風土記逸文にある「伊香小江」な ど、その型は簡単に言うと、以下のように書かれる。

1.主人公(翁、それども若いもの)が天女を見たその羽衣を隠して、天女を 娘(妻)になってと説得羽衣を探し出して天界に帰る

2. 主人公(若いもの)が天女を見たその羽衣を隠して、天女を妻になって と説得天界の方に見つけて二人が別れる主人公に感動されて(難題を提 出)(難題を解決して)二人は再び会える(「難題型」「七夕型」)

 どっちも同じ、天女を見た主人公は、天女を引き留めるため、その羽衣を隠 した。「奈具社」には、「この井に天つ女八人降り来て浴水む。時に老夫婦あり…

この老らこの井に至り、窃かに天つ女一人の衣と裳を取蔵しつ。即ち衣と裳あ るは皆天に飛び上がり、ただ衣も裳もなき女娘一人留まりぬ。身を水に隠して 独懐愧ぢ居り。」こうして天女は、仕方なく地上界に残された。でも子供生んで も諦めず羽衣を探しつづける天女は、子供から、夫が羽衣を隠すところが分か って、そしてまた天上に帰る。このように、たくさん説話が伝われて、またこう して伝えた天人の子孫がこの世に残ることなども、よく言われることである。

三、 終わりに

子供のごろに読んだ作品を、その原文もう一度読み直してみると、また違う イメージがしている。その思い出を呼び出して、また新たな視点でこの物語を 分析すると、面白い感じでした。自分が気になるのは、やはり異郷説話の部分 で、または月に関する神話である。今回は月に関する部分や、富士の記の部分 を略したが、チャンスがあれば、またこの部分についてまとめてみようと思う

(7)

四、 参考資料

野口元大注『新潮日本古典集成 竹取物語』(新潮社、1979)

辛農編『唐詩三百首』(地球出版社、1989)

片桐洋一など注『新編日本古典全集 竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物 語』(小学館、1994)

小松和彦「日本人と異界」『NHK 人間大学、1993・10 十二期』(日本放送出 版協会、1998)

萬遜樹『かぐや姫考---「竹取物語」の出生をめぐる物語』(2001)

翁蛉玲『竹取物語中人物造型之研究』(中國文化大學、2004)

羅彩珠『中國「難題求婚」型故事研究』(靜宜大學、2004)

丹後の伝説(最後検索日:

2007/1/23)http://www.geocities.jp/k_saito_site/bunkeni.html#hagor

omod1

(8)

日研二 494246064 吳勵誠

竹取物語中月亮的形象

前言

在竹取物語當中,月亮相當於一個仙境,一個超乎現世的另一個世界。將月 亮與理想鄉連結,進一步又與八月十五中秋月跟不死仙藥結合的,竹取物語可 說是第一部。雖然竹取物語當中的「月亮」可說是引用自許多古老的傳說,然而 這個故事塑造出來的月亮形象相當突出,一直流傳至今仍然為許多人津津樂道。

儘管月亮這個仙境並未實際登場,但是光是故事當中的描寫,讓許多人想到月 亮就會想到竹取物語當中出現的月亮仙境。

月亮的形象經過許多次的演變,並非一開始的月亮就是竹取物語當中描述 的夢幻、美麗。對原為太陽信仰的日本而言,月亮起初是代表陰暗的一方,在古 籍當中也缺乏詳細記載。然而日本成為一個律政國家以後,月亮的形象也被中國 流傳進來的書籍、記事與傳說所影響,漸漸地有所改變。終於到竹取物語的時代 這些傳說百川入海、諸元歸一,真正地彙整起來;月亮擺脫了上古時期為人所忌 諱的形象,搖身一變成為美麗公主與天人的故鄉,也就是人類自古以來嚮往的 桃花源、理想鄉。中間經過的演變,可從許多文字記載當中窺得一二。本文將從 古事記出發,探討竹取物語前,月亮形象在日本古典作品當中的演變。並且討論 中國作品對於日本「月亮」概念有如何的影響。

禁忌的月亮

日本首度出現月亮的概念,可說是始自古事記當中的記載。古事記當中,日 本的創世之神伊邪那歧為了尋回亡妻伊邪那美,追到了黃泉之國;卻因為不遵 守與妻子之間的約定,讓妻子無法重回人間。於是心懷怨恨的伊邪那美帶著黃泉 醜女追殺伊邪那歧,伊邪那歧使盡渾身解數好不容易才擺脫追殺。回到常世之國 以後,伊邪那歧為了洗滌身上的不潔之物,到河邊脫掉衣物,進行「禊祓」此種 驅邪儀式。衣物後來化成了十二神,在儀式進行中則是誕生了十四柱神;最後伊 邪那歧洗滌雙眼、鼻子時,生出來的就是他最寶貝的三個孩子,天照大御神、月 讀命神跟須佐之男命,也就是日本神話當中所謂的「三貴子」。

在古事記當中,伊邪那歧命令這三個孩子分別掌管三個地方,月讀命神掌 管的就是「夜之食國」,又被稱為「夜見之國」。所謂的「夜之食國」,一般的看法 是指月亮出沒的夜晚世界,然而也有不同的說法,認為夜之食國(夜見之國)

事實上與伊邪那美所統治的黃泉津國有所重疊,也就是所謂的「死之世界」。除 了一段之外,古事記當中對於月讀命神完全沒有多加描寫。一般認為古事記當中 的月讀命神比較接近日本原始對月亮的觀念,認為月亮是禁忌,不應碰觸。

日本書紀中,伊奘諾尊(也就是伊邪那歧)命令月讀命神治理的是「滄海原 之八百重潮(滄海原の潮の八百重を治すべし)」,這個說法一般認為是因為月

(9)

亮跟潮汐作用有密不可分的關係。對於古代日本人而言,海洋雖然是生命的來源 也是相當可怕的地方,古代的日本人最了解海洋的威力有多可怕;月讀命神被 命令統治滄海原的八百重潮,其範圍之廣已經難以想像。要航行到達滄海原之危 險,對於古代人而言幾乎等於是要經歷過「死亡」,基本上也可以說,滄海原對 於古代的日本人而言,是另外一個遙不可及的「異界」。

另外,日本書紀當中有另外一則記載令人感到相當存疑。也就是日本書紀第 五段第十一節的部分,伊奘諾尊命令月讀命神統治「滄海原之八百重潮」,又命 令月讀命神跟天照大御神一起統治天(高天原)。隨後天照大御神又派月讀命神 下凡來找保食神,保食神從嘴巴裡面吐出種種魚蝦野獸,獻給月讀命神。月讀命 一怒之下,拔劍殺死保食神,保食神死後身體生出五榖,頭部跑出牛馬,這些 日後成為人類食物的來源;這是月讀命神在記紀當中首度有作為的記載,然而 天照大御神卻被激怒,從此不再與月讀命神見面,這也成為日夜分離的來源。 似的神話可在古事記裡面找到,主要是須佐之男命殺害從體內拿出食物給自己 吃的大氣都比賣命(オオゲツヒメ)神,這個神死後身體變成五榖。這兩個神話 的相似性高得驚人,但出現在日本書紀裡面則令人相當懷疑。日本書紀跟敘事體 系繁雜的古事記不同,經過相當程度的整理以及系統化,同時故事內容也經過 中國思想相當程度的塑造。為什麼在古事記裡面由須佐之男犯下的錯,在日本書 紀裡面卻變成月讀命神?最有可能的原因是,這個故事當中的主角神其實一開 始並非須佐之男,也非月讀命神,然而在記載當中這個神被遺漏了。而古代的日 本人在創造歷史的時候,有「必要」將這兩個神給污名化,因此而然。須佐之男 命後來下凡,成為人類的始祖,後來將國家交給大國主命,地位可說是相當重 要;因此在受過漢族系統化的陶冶下,日本書紀當中的記載才搖身一變而成為 在日本始終被視為禁忌的月讀命神。

綜合以上幾點,月亮在古代日本代表的意義主要是「禁忌」的。月讀命神的 形象在古事記當中非常淡薄,幾乎看不出這個神的形象為何。只能隱約從伊邪那 歧命令祂統治的是帶有負面意涵的「夜之食國」才看得出來,月讀在此時的形象 並不甚高。此後到了日本書紀時代(之間隔了約莫8 年),月讀統治的是「滄海 原之八百重潮」這個被視為幾乎等於死亡的地域。又月讀原本跟天照大御神共享 高天原,卻因為犯下錯誤而被驅逐,從此無法過問天照大御神統治的世界。這個 記載顯示,日本古代將月亮視為禁忌以及不潔的,其負面的形象更勝於暴風神 須佐之男命。或許是因為圓缺,月讀命神的性格也是反覆無常,唯一僅有的一次 記載(根據日本書紀的脈絡,月讀命神之後就被放逐了,自然不會對其有所著 墨)就是大怒殺人,甚至「月の顔を見るは忌むこと」這個迷信也可能是從此而 生。因此我認為,古代日本人心目中的月亮是相當不潔的,是一種忌諱、一種禁 忌。

詩情畫意的月亮

(10)

月亮的負面形象,大多出自於古事記以及日本書紀當中。而在稍晚的歌集當 中,月亮就不再以古老信仰當中的形象出現了。成立於西元7 世紀後半到 8 世紀 初的萬葉集是日本現存最古老的歌集,雖說如此,這本歌集跟古事記以及日本 書紀已經間隔了半個世紀以上,期間奈良朝廷不間斷地派遣留學生以及遣隋、遣 唐使前往中國取經,日本在這半個世紀當中受到中國文化的陶冶相當深。一直到 西元8 世紀初,菅原道真建議停派遣唐使為止,這一百年來可以說是日本受到 漢文化影響最大的時代。自然而然,在這段期間編篡而成的萬葉集,事實上也可 以看出不少中國的影響,中後期對於月亮的描寫已經超脫原本古事記跟日本書 紀當中的範疇。而後來的古今和歌集以後(八代集等等)受到中國的影響更為顯 著,月亮在歌人的心中已經不單純只是原始的禁忌,而是一種浪漫的象徵,一 種借以抒情的自然景觀。

月亮在萬葉集當中,主要以「月」、「月人」、「月人壯子(月人壯士)」等等 型態出現。當中的「月人」跟「月人壯子」基本上是來自於古事記跟日本書紀當中 的名詞(根據讀音判斷,月人的讀音跟月讀是一樣的)。月亮出現的場合,主要 分為指稱普通的月亮,跟帶有宗教意涵的月亮,後者的案例明顯地較少。大多數 都是指普通的月亮,或是以擬人法來描述月亮而已。而指稱普通月亮的時候,大 部分也都是借景抒情,如:

山の端を、追ふ三日月の、はつはつに、妹をぞ見つる、恋ほしきまでに 猶如山頭三日月,芳蹤一現彼姑娘,使我魂牽又夢縈

(萬葉集 2461,柿本人麻呂)

這首歌是在描述柿本看到一個女孩子,不過是驚鴻一瞥,就像看到已經掛在山 頭上的弦月(即將下山了)一樣,讓他魂牽夢縈思念不已。這首和歌裡面的月亮 就是用來譬喻那個女孩子的,這是月亮用來借以抒情的好例子。跟後面將述的譬 喻法比起來,這也是一種充滿日本味道的用法。

在萬葉集裡面,月亮除了一般「月亮」的用法,還有從中國學來的「月舟」之 類的譬喻法。宋朝蘇軾的『水調歌頭』:

明月幾時有,把酒問青天,不知天上宮闕,今夕是何年?…人有悲歡離合,月有陰情圓缺,

此事古難全,但願人長久,千里共嬋娟。

這是所有中國人耳熟能詳的一闕詞。這闕詞將中國人對月亮的觀念表現得淋漓盡 致:「明月」「天上宮闕」「嬋娟」等等都是中國人借指月亮的名詞。在中國主要 是以「嬋娟」、「月宇」、「宮闕(廣寒、廣寒宮)」來形容月亮,嬋娟容後再敘,

將月亮譬喻為宮宇的用法也相當普遍常見。如唐初的李嶠所作『甘露殿侍宴應

(11)

制』一詩:

月宇臨丹地,雲窗網碧紗。禦筵陳桂醑,天酒酌榴花。

水向浮橋直,城連禁苑斜。承恩恣歡賞,歸路滿煙霞。

這首是李嶠在甘露殿上受皇帝招待時,應詔而作的應景詩。內容將月亮比喻為宮 宇。「天上宮闕」一詞,早在魏晉南北朝時期的道教著作『黃庭內景經』當中的「廣 寒」一詞(「審能修之登廣寒」)就能發現,然而此時的廣寒似乎尚未代表月亮。

後來在唐初時的梁丘子所註『黃庭內景玉經注』當中敘述表示「冬至之日,月伏 廣寒之宮,其時育養月魄於廣寒之地,天人採精華者,採以日月之光」,這段話 的意思大概是,冬至的那一天,月亮會潛伏在廣寒宮裡面育養月魄(月亮不明 亮的地方),天人(神仙)採集日月精華,就是採取日月之光。這段敘述已將廣 寒宮與月亮扯上關係,又梁丘子為初唐的人物,推測在唐朝之前,月亮普遍已 經被以宮宇來形容。

日本被中國文化影響很深,可是在形容月亮的時候,卻不使用中國人慣用 的「月宇」來形容,相對地日本人非常常用「月之船」、「月之舟」來形容月亮。根 據我的推測,中國文化當中崇尚圓滿,雖然月亮有陰晴圓缺,中國人仍喜歡強 調月亮圓滿的一面,因此中國有八月十五賞月的風潮。然而日本並無這種包袱,

甚至在古事記當中,月讀命神有時也會被寫成「月弓尊」(讀音相同),從此可 以看楚日本人自古以來對於三日月(弦月)有著相當濃厚的情感。可能也是因此 古代的歌人在描寫月亮時,捨棄了他們並不熟悉的「宮殿」,選擇了他們較為熟 悉的「船」來描述他們心目中的弦月。在萬葉集204 首描寫月亮的和歌當中,光 是以「月船」「月舟」形容月亮的和歌就有十幾首。另外,日本神話裡面本來就有 所謂的「天河」、「天之浮橋」,日本人對於水比起中國人要熟悉得多,選擇船作 為描寫的素材也是很合情合理的。

中國的影響在萬葉集尚不明顯,到了古今和歌集之後,中國的影響開始較 為明顯了;但是即便在古今集當中,仍然看不到日本人賞月的習俗。雖然日本古 代就有十三月(又稱為栗名月),也就是在十三日晚上用庶民的糧食大豆跟栗 子祭拜月亮的習俗,但是日本始終沒有賞月的習慣。如前所述,我認為古代日本 事實上是很懼怕月亮的,除了對月亮的神話少得太誇張,日本人甚至沒有關於 星星的神話(可能只有跟天河有關的傳說稍算,天之浮橋事實上另有所指),

古代的日本人很可能覺得連「夜晚出門」都是一種忌諱也不一定。言歸正傳,民 間傳說日本的賞月習俗是始自繩文時代,然而比較可靠的記載,應該是始於平 安時代,也就是中國傳入的。日本賞月主要是乘船而賞,這應該也是跟萬葉集時 代慣於吟詠的「月船」有所關聯吧。

(12)

簡單整理一下,基本上在平安時代以前,也就是飛鳥、奈良朝時代,日本文 學受到中國很大的影響,連帶地對於月亮的印象也有所改變。原本月亮是種禁忌 的東西,在中國文化的影響下,卻慢慢地開始吟詠月亮。光是萬葉集當中已經有 204 首和歌是在歌誦月亮,或是透過月亮來表達自己思念、愛慕、思鄉的情緒。到 了古今和歌集更多,幾已難以計數。這個時期的月亮,信仰的成分已經非常淡化 取而代之的是一種風雅的氣息。

夢幻的月亮

月亮在中國的形象向來跟美女可以畫上等號,這可追溯至漢朝的『淮南子』

「覽冥訓」第12 節:「譬若羿請不死之藥於西王母,姮娥竊以奔月,悵然有喪,

無以續之」一般相信這是姮娥(嫦娥)傳說最早的記載。姮娥傳說對於中國、日 本等等「儒家文化圈」國家對於月亮的印象影響相當大。古代中國傳說月亮當中 有蟾蜍,如屈原的『天問』:「夜光何德,死則又育?厥利維何,而顧菟在腹?」

根據考證,所謂的「顧菟」就是蟾蜍,這表示在戰國時代之前中國已有蟾蜍的傳 說,一直到唐朝,詠月詩中始終不乏蟾蜍登場。另外漢代起,傳說月亮當中除了 蟾蜍,還有玉兔;漢代劉向的『五經通義』云:「月中有兔與蟾蜍。」東漢科學家 張衡的『靈憲』也說:「月者陰精之宗,積而成獸象蜍兔。」又說:「姮娥奔月者,

是為蟾蜍。」從漢朝起,中國人對於月亮的概念已經普遍確立:月亮是陰氣的精 華所組成,因此孕育出各種動物,然而姮娥傳說大大地改變了中國人對於月亮 的印象,原本只是陰氣之精的月亮應該是中性的,因此有「獸象蜍兔」等不同的 形象也是很正常的;但從姮娥傳說出現起,月亮就跟「女性」畫上等號,到了東 漢的時候甚至出現「姮娥奔月者是為蟾蜍」這種將姮娥跟古代傳說做連結,更晚 的魏晉南北朝的「廣寒(宮)」又再度跟姮娥傳說扯上關係,至此中國式的月亮 概念大全。直到現在,中國人依然想像月亮上面有隻玉兔,有隻銀蟾,有個美女 姮娥(嫦娥)住在廣寒宮裡面。

而這個傳說自然而然也傳到了日本,而且也影響了『竹取物語』。竹取物語 中的三個重要要素「赫映姬」、「月之仙境」以及「不死仙藥」都可以看得出姮娥傳 說的影子。然而雖然日本人自古以來便有「高天原=天界」的傳說,卻沒有將月 亮視為一個地點的神話,月亮更不可能是所謂的天界。日本神話的特色就是,所 有的萬物都被視為「人」來描寫,月亮便是被放逐的「月讀命」,不會是一個場所 然而在竹取物語當中的月亮卻成為了赫映姬的故鄉,成為有別於人類世界的桃 花源。這跟前面所述「禁忌的月亮」以及「詩情畫意的月亮」又有不同。上古的月亮 被視為一個神(人格化)來描述,中古的月亮則是在中國的影響下,以各種形 象來抒情寫景。中國流行的以「宮闕」借指月亮的這種手法顯然也沒有影響日本。

但是到了平安時代的竹取物語,月亮卻成為了一個帶有佛家色彩的「理想鄉」,

其中關節令人玩味。

(13)

竹取物語中,特別強調「赫映姬是來自月亮的」,而不像其他竹取說話裡面 只說「赫映姬是天女下凡」。天女傳說(羽衣傳說)是日本自古以來流傳的昔話 基本型之一,竹取說話的形式基本上並沒有超出傳統羽衣傳說的範疇。然而這個 故事又引用了姮娥傳說,使原本簡單的羽衣神話增加了夢幻的色彩。原本的天女 只說是來自於天庭,而沒有明確所指,在竹取物語引用了中國的傳說後,月亮 從原本單純的「物」而成為「地點」,從竹取物語起,月亮正式成為理想鄉的代名 詞。這是月亮形象在中國影響下的第二次重大轉換,之後月亮大致上就一直維持

「仙境」的形象,直到現在。

結論

對日本人而言,竹取物語可以說是月亮形象的集大成。在竹取物語當中描述 道月亮的情節主要有三:

かぐや姫、月のおもしろう出でたるを見て、常よりもの思ひたるさまなり。ある人の「月の 顔見るは、忌むこと」と制しけれども、ともすれば、人間にも月を見ては、いみじく泣き給 ふ。(竹取物語第九章「天の羽衣」1、傍線筆者)

 赫映姬時常若有所思地看著月亮,陷入沉思。婢女制止她:「看月亮的臉是禁忌。」然而赫 映姬依然在私底下看著月亮,然後哀傷地哭著。

(かぐや姫が言う)「……おのが身は、この国の人にもあらず、月の都の人なり。……」

(竹取物語第九章「天の羽衣」)

 (赫映姬說道)「……我其實並非人世間的人,而是來自月之都……」

(十五の夜に)……大空より、人、雲に乗りて降り来て、土より五尺ばかり上がりたるほ どに、立ち列ねたり。……「いざ、かぐや姫、穢きところに、いかでか久しくおはせむ」…

…天人の中に持たせたる箱あり。天の羽衣入れり。またあるは、不死の薬入れり。一人の 天人言ふ、「壺なる御薬たてまつれ。穢き所の物きこしめしたれば、御心地悪しからむも のぞ」……(竹取物語第九章「天の羽衣」)

 (在十五日的晚上)……有人乘著雲,自天空降下,到了距離土地約莫五尺之處,排列而 站。……「赫夜姬,妳還打算在這個污穢的地方停留多久?」……天人之一手持一個箱子,

裡面裝著天之羽衣。又有一個箱子裝著的是不死之藥。有天人說道:「服了壺裡的藥吧。妳 吃過污穢之處的食物,想必一定很不舒服吧。」……(下略)

第一項當中,看月亮的臉是禁忌這點,如前所述應該是自古日本流傳下來 的習俗。直到現在雖然大多數人並未察覺,實際上仍流傳在民間,成為一種迷信 第二項,月亮上面有月之都,這很明顯地並非日本原本流傳的想法,而是來自 中國的姮娥傳說以及廣寒宮傳說。至於第三點,天人停留在離地五尺的地方,這

1 新潮社出版、野口元大校注『新潮日本古典集成 竹取物語』の章節分け方を引用。

(14)

是日本淨土真宗「欣求樂土,厭離穢土」的想法;另外不死之藥又是來自於姮娥 傳說。另外雖然沒有引用,竹取物語的最後一段事實上也引含了對於賞月這種習 俗的描寫,竹取物語就某層面而言,或許可以說是從「禁忌」轉移到「賞月」的過 程記載吧。

竹取物語實在可以說是日本人對於月亮觀感的大集合。竹取物語裡面出現的

「月亮」元素,明顯地並非來自於同一來源。但無論如何,竹取物語中塑造出來 的月亮形象已經深植人心,直到現在,提到月亮許多人第一個想起的不是嫦娥,

就是赫映姬。許多日本漫畫也不停地借用這個傳統的元素,戲劇當中也不乏其例 而我認為這是竹取物語最成功的一點,從一個文學作品昇華到足以代表文化的 存在,縱看古今,幾乎沒有一個作品像竹取物語一樣,能夠影響文化如此之深。

(15)

參考資料

参考ウェブサイト

日本神話の御殿

http://nihonsinwa.at.infoseek.co.jp/index.htm

万葉集:月を詠んだ歌

http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/nature/tsuki.html

月を詠める和歌

http://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/88/8812/t01/881205.htm

中国哲学書電子化計画

http://chinese.dsturgeon.net/index_gb.html

参考書籍

古代文学講座2「自然と技術」 勉誠社 古代文学講座7「ことばの神話学」 勉誠社 N・ネフスキー『月と不死』 東洋文庫 平凡社

野口元大校注『新潮日本古典集成 竹取物語』 新潮社 荊楚歲時記譯注/襄陽耆舊記校注 湖北人民出版社 藝文類聚(刻本印刷、出版社不明)

(16)

平安朝物語文学研究          494246179

指導教授:頼振南先生       研二 頼詩韻

かぐや姫

―光をめぐって

はじめに

『竹取物語』は「取りつきやすく、かつ奥ゆきの深い作品2」といわれている。子供の 頃から知っているこの作品は読みやすかったが、何篇の先行研究を拝読してから、そ の内容の深さをおもしろく分かってきた。『竹取物語』は「単一の構造を持つ物語では なく、幾つもの伝承の型を取り入れ、それを複合させて新しい物語に仕立てている3 作品だと認めている。天神女房譚・貴種流離譚などといった伝承の型を受けつつも、

内容を意識的な手法で新しく創造された。意識的な意図があるゆえに、作品は興味深 くなって、後世のわれわれに広い想像の空間や研究の題材を与えたのである。また、読 者の感情をほんのうし、あはれという感情を引き出せ、しみじみ心の奥に味わえ、さす が紫式部がいった「物語の生で来はじめの親」という作品である。内容はいくつかの視 点で解読できるが、今度かぐや姫の「光輝く美しい」特色に着眼して述べてみたいと思 う。

光の設定

最初、翁が竹林でかぐや姫に出会う場面、

その竹の中に、もと光る竹なむ一すぢありける。あやしがりて、寄りて見るに、筒 の中光たり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。4(標記は 筆者が付けた。以下も同じ。)

という描写より最初からかぐや姫と光との関わりが深いと注目したい。また、かぐ や姫は翁の「屋の内は暗き所なく光満ち」ていた。「蓬萊の玉の枝」の節、くらもちの皇 子の所謂玉の枝を探し出すための偽りの漂流譚にも、蓬萊の山で「天人のよそほひし たる女」が「銀の金鋺」を持っていて、さらに「金・銀・瑠璃色の水、山より流れいでた り。それには、色々の玉の橋わたせり。そのあたりに照り輝く木ども立てり」と描写し ている。光を放つ輝くものいっぱい、美しい幻のイメージを与えた。まことにこの世に はない品物と感じられた。「黄金も銀も照りかゝやく木も異郷の物と観じられてい

2 小嶋菜温子「主題と表現」(鈴木日出男『竹取物語伊勢物語必携』 別冊国文学 34 号 学燈社 昭和 63・5)

3 野口元大『竹取物語』新潮社 昭和 61・5

4 方桐洋一ら『竹取物語伊勢物語大和物語平中物語』日本古典文学全集 8 小学館 昭和 61・10 以下本文を引用した出所も同じ。

(17)

5」と「光は、異郷に由来する6」のであろう。光の設定を通じて「異郷」という感覚を 連想させたがっていたと思われる。翁が「竹を取るに、この子を見つけて後に竹取るに、

節をへだてて、よごとに、黄金ある竹を見つくることかさなりぬ」ということも、「言 うまでもなく、異郷からの贈り物7」だと認められる。「異郷」からいらっしゃった者は

「異郷」に属していて、いつかきっと再びもとの「異郷」に戻るに決まっているだろう。

「異郷」を象徴する輝く光を有するかぐや姫は現世に存在しえない者として設定され た。ここで、悲劇的な結末になる予感がするのではないか。

光と月

最初、竹取翁が竹林でかぐや姫を発見したところ、「光輝く美しい子というより、月 界という垂直的な異郷から送りとどけられた閃光そのものであった。彼女の存在が月 の光そのもの、光の人格化であったというにふさわしい8」というかぐや姫は一種の月 の光だと認められた。つまりかぐや姫の本質は月の光だということである。どんな面 影を見せても、物事の本来の性質や姿という本質は永遠に変わらないのである。この 本質の定義からみると、月の光であるかぐや姫は人世におかれて、人間の感情に染み てあはれという人間らしい姿を見せても、その天人、あるいは月の光(無情のもの)

という本質は変わらないだろう。ちなみに、光輝く美しいというかぐや姫を形容する 言葉も地上の世人から月に対して一般的な感覚ではなかろうか。

月はとどまりなく「変化」しているもの、満月や新月という不同なかたちを見せて、

人間の我々に円満や物足りない感じを与えるが、月はずっともとの月であった。人の 感情を影響しつつも、思いやりなくその姿が変わっていて、月は無情だという感じが 自然に生ずるではなかろうか。またもし月が有情であるとしたら、満ちて欠けるとい う激しい自体の性質にも耐えられないだろう。空の高いところにあるあの月は地上の 人間にとって崇高な存在であり、世俗の一切を超越している性質をもっているのは理 であろう。

それでもちろん月の光を象徴するかぐや姫の本質は無情だと思われる。最後かぐや 姫昇天の場面でかぐや姫に天からの不死の薬を飲ませ、天の羽衣を着せてさしあげて、

長い間地上にいてからあらわした人間の感情である「物思ひ」が消滅してしまって、

「地上に放たれたかぐや姫という光は、再び月の光の世界と同化9」してしまった。最初 から「月の光の人格化」であったかぐや姫が最後も再び月の光の世界と同化してしま ったというのはとても合理的な物語の流れだと納得できようか。

光と難題譚

前掲で述べた光と異郷との関わりを踏まえて、ここでかぐや姫が五人の求婚者に与

5 関根賢司「竹取物語と異郷」(「竹取物語フィクションの誕生」『国文学』38 巻 4 号 学燈社平 成 5・4)

6 注 4 と同じ。

7 注 4 と同じ。

8 河添房江「かぐや姫―光と境界と外部」(「竹取物語フィクションの誕生」 『国文学』38 巻 4 号 学燈社 平成 5・4)

9 鈴木日出男・高田祐彦「竹取物語のキーワード」(「竹取物語フィクションの誕生」『国文 学』38 巻 4 号 学燈社平成 5・4)

(18)

えた難題の宝物と光との関係を述べてゆきたい。「異郷」から出自という暗示を与える 光が設定された。求婚譚の場面、五人の貴公子たちがかぐや姫をめぐって熱心に求婚 するのも、「この異郷からの奇しき光を憧憬し、それを所有したいという渇望10」を見 せている。五人の貴公子に与えられた難題のものも、翁が嘆いて「この国に在る物にも あらず」と示されたように異郷にある物だと考えられる。再び異郷を提起すれば、光と の関係も思い出すだろう。まず最初の難題である「仏の御石の鉢」から、『水経注』に記 載されたように「西域に仏の鉢有り。・・・其の色青紺にして光れり」、その「仏の御 石の鉢」は光を発するものであったろう。次の難題の「蓬萊の玉の枝」も、かぐや姫が

「銀を根として、金を茎とし、白き玉を実として立てる木」の枝と指定し、くらもちの 皇子もそれに応じて、「そのあたりに照り輝く木ども立てり。その中に、この取りて持 ちてもうで来たりしは・・・」と蓬萊への漂流譚を捏造した。この難題も述べられた ように、光と深く関わっているに違いない。「火鼠の皮衣」の場合、阿部の右大臣が「皮 衣入れたる箱を見れば、くさぐさのうるはしき瑠璃を色へて作れり。皮衣を見れば、金 青の色なり。毛の末には、金の光し輝きたり」という目の前にあるこの「火鼠の皮衣」

はいかにもこの世にない、異郷に由来するものであるに違いないと誰も禁じえなく信 ずるだろう。「龍の頸の玉」は言うまでもなく「龍の頸に五色に光る玉」と指定された ように光っている玉である。「燕の子安貝」なら本文に光との関係が明確に書かれてい ないが、『竹取翁物語解』には、「是、机上に置て、紙に摺て光沢を出すによし。貝-光-

祿と云物なり」という光と関連があるに違いない。

「難題物とかぐや姫の<光>の表裏の関係11」が見える。同じ難題譚『今昔物語集』や 中国種の『斑竹姑娘』と比較すると、『今昔物語集』の難題は、「空二鳴ル雷」「優曇華ト イウ花」「打タヌニ鳴ル鼓」であるが、光との関わりが目立たないといえるし、『斑竹姑 娘』でヒロイン竹姫の美しさを形容する言葉も「像牝鹿一樣美麗」とか、「鮮花一般的 美容」など、比較すればするほど『竹取物語』に描かれたかぐや姫の光との関係が一層 明確に見せたのではなかろうか。

「異郷の女性の光をもとめた12」求婚者たちは「かぐや姫のアイデンティティーを象 徴した13」光のある宝物を探し出してかぐや姫に差し上げられたこそ自分の「深き心」

を証明できる。かぐや姫の立場からみると「異郷の宝の光を得ることを、みずからを獲 物とする難題話の象徴的行為としなければならなかった。姫の難題の<光>へのこだ わりの理由はそこにある14」と考えられる。島内景二氏の主張からみれば、求婚者たち は本当に三年の試練を超えて宝物を求めたという立場に立って、石作の皇子の例を挙 げると、「三年間の努力は決して無駄ではなかった。皇子はそれなりの人格を獲得し、

それなりに光る鉢を手にした15」が、皇子の修行しえた蛍ぐらいの光はかぐや姫の前

10 注 7 と同じ。

11 注 7 と同じ。

12 注 7 と同じ。

13 高橋亨「かぐや姫論―変化のもの」(鈴木日出男『竹取物語伊勢物語必携』別冊国文学 34 号 学燈社 昭和 63・5)

14 注 7 と同じ。

15 小嶋菜温子・島内景二「竹取物語を読む」(鈴木日出男『竹取物語伊勢物語必携』別冊国文学

(19)

に「白山にあへば光の失するかと」、皇子の「所有する魂の光は、かぐや姫の所有する 魂の強烈な光の前には相手にならなかった・・・(中略)皇子が姫を凌駕し妻とし て所有することなど不可能16」なことになるという論説もそれなりの説得力がある。

河添房江氏の立場からみれば、難題の光の宝物と光のかぐや姫との間に一種の対決 の関係が有する。難題の光の宝物がもし、

真に物語にもたらされたとき、かぐや姫はその存在理由を喪うことになるだろう。

アイデンティティーを喪失した姫は、結婚拒否をつらぬけなくなるという次第だ。

地上の世界にあって神性を保持するとすれば、かぐや姫は唯一無比の光明であり続 けねばならない。17

と論じている。真の光の宝物が物語の中に現出させたら、光のかぐや姫が負けたと いうことになる。アイデンティティーを喪失して、超越の存在であることもできなく なって、地上の「この世の人は、男は女にあふことをす。女は男にあふことをす。その 後なむ門広くもなりはべる」という法則に従わなければならなくなる。結婚して子を 産んでのちに一門を繁栄させると完全に「穢き」この世に染まるという事態になった ら、全く地上の人間と同化してしまうといえよう。もとの天人の本質も保持できなく なって月の世界に戻ることも不可能になるではなかろうか。また、もし作者がこうい う流れを設定させるとしたら、後世の我々にはほかの視点で合理的な理を探し出しこ の物語を解釈するに違いないが、少なくとも最初と最後の一貫性が失った事態になる のではなかろうか。また、「迎えの天人来たり、かぐや姫昇天」という『竹取物語』で大 切な見事の部分もなくなるだろう。かぐや姫の月に戻らなければならない葛藤がゆえ に昇天の場面でひどく感動を与えたあはれという要素がなかったとすれば、『竹取物 語』は「物語の生で来はじめの親」という歴史的な美名も存在しえなくなるだろう。ゆ えに、かぐや姫は前掲の「地上の世界にあって神性を保持するとすれば、かぐや姫は唯 一無比の光明であり続けねばならない」と述べられたように、絶対に真の光の宝物を 見せなかった理由もここにあるといえようか。

光と帝

前掲の五人の求婚者、一人ずつ難題を与えられた。そして、五つ難題と光との関係は 論じたが、今ひとつ問題が提起できる。五人の求婚者の後にあらわれた帝も一人かぐ や姫に求婚する者として、なぜ帝の場合になるとかぐや姫が難題を与えなかったのか。

最後の求婚者として登場する帝は「本来この世の唯一絶対の光明としてイメージされ ることを押さえておけばよい。(中略)つまりかぐや姫と難題物の<光>の対決が、

帝の求婚譚ではかぐや姫と帝の<光>そのものの対決に変換されるために、難題の設 定は不要となる18」と論じられた。地上で最高位の人間である帝は光が有するとした 34号 学燈社 昭和 63・5)

16 注 14 と同じ。

17 注 7 と同じ。

18 注 7 と同じ。

(20)

らそれは「威光」だといえよう、それと相対して天人であるかぐや姫の光は「神性の 光」だとたとえられる。帝の使者(内侍)がかぐや姫のいるところで「国王の仰せごと を、まさに世にすみたまはむ人のうけたまはりたまはでありなむや。いはれぬことな したまひそ」といって、地上で最高位の存在である帝の権威を行使している。狩をよそ おい、かぐや姫に会いに行くという場面も帝が「かぐや姫の家に入りたまうて、見たま ふに、光満ちてきよらにてゐたる人あり。」と描写されて、かぐや姫の「神性の光」がこ こで強調される。「おのが身はこの国に生まれてはべらばこそ使ひたまはめ、いと率て おはしましがたくやはべらむ」とかぐや姫は自身がこの国(世)に属するものではな いと抵抗したが、なお帝が姫を運ぶ輿をちかよせたところ、かぐや姫が「きと影になり ぬ」ゆえに、帝も仕方なく断念した。それは小嶋菜温子氏がいった帝の「威圧的にたち はたらいた皇権と、それと拮抗してたぐりよせられた姫の神性とが19」直接に対決し ていると認められよう。地上の最高の威光を代表する帝もかぐや姫を自分に従うこと ができなかった。かぐや姫は最後までも帝都の中枢へ参入しなかった。「この世の濁り にもけがれ」なく本来の神性を貫徹したと考えられる。かぐや姫が地上で最高の帝の 威光までも超越できない「神性の光」をもっているゆえに、一切所謂世間の規則に従わ ないのもあたりまえで、人世に属しないかぐや姫(神性の光)は人世でないもとの出 自に戻るに決まっているだろう。

終わりに

『竹取物語』の作者は巧みな手法で伝承の型を取っていろいろ意識的な要素を加え て物語りたるレベルに到達した。『竹取物語』は少なくとも「垣間見・竹・煙・罪20」と 示されたようにいくつかの課題がある。今回先行研究をもとにして光をめぐって色々 述べてみたが、必ず将来ももっと光との関連からいろんな課題が出てくるだろう。先 行研究を読んで学者の論点はどの方も説得力があると思う。論説すればするほど『竹 取物語』の作者はまことに完璧だというほど最初の設定、流れ、最後の結末も矛盾がな いといえるぐらい一貫している。『竹取物語』はどの視点から論じてもそれなりの理が あり、長い歳月が流れつつも依然として我々に読むに耐える素晴らしい作品である。

19 注 14 と同じ。

20 注 8 と同じ。

(21)

平安朝物語研究

指導教授:頼振南 先生

学生:歐宛淳494246181

『竹取物語』小論 一、 物語の構成

『竹取物語』は主にかぐや姫の生い立ち(化生説話)、五つの難題(求婚難題 説話)、帝の求婚とかぐや姫の昇天などに構成され、全体を十章段に分けた。

求婚説話の部分を除くと、地上へ降り立ったものが福をもたらして天に帰る、

白鳥処女説話に近い形を取っているといえる。

『竹取物語』は三の法則によっている。竹の中から見つけた「三寸ばかりなる 人」が、「三月」ばかりで成人し、髪上げ‧裳着を「三日」の酒宴とともに行う。五 人に絞られた貴公子にかぐや姫が五つの難題を出すまで、物語に明記されては いないが、かぐや姫の発見からほぼ三年ほど経ったと覚しい。石作の皇子は難 題を聞いて「三年ばかり」の後に山寺の鉢を差し出し、庫持の皇子は「千余日」

かけて珠の枝を作りさせた。他の三人の求婚者については、物語中に示されて はいないが、それぞれ三年以内に決着がついたものと考えてようようである。

帝の求婚から姫の昇天までは「三年ばかりありて」と明記されている。

難題の数に関しては、現行物語のほうが増補されたのではないかと考えられて いる。かぐや姫が難題を出すとき、三番目の右大臣に「今ひとりには」と最後の 人であるかのような言い方をし、また叙述の仕方でも、前三人については、「石 作の皇子は、心の支度ある人にて」などのように、それぞれ冒頭に人物紹介が 付いているが、後二人は、人物紹介なしに物語の発端に入っていく。また、難題 の結果でも、前三人はともかくも命じられた難題の品物を持ってかぐや姫の前 に出るのに対して、後の二人は品物を入手できず、みじめな失敗の姿をさらし てしまい、姫の前に出ることはない。このように、前三者と後二者とは扱われ 方が異なっており、おそらく「三の法則」によって、難題三つが元の形であった のであろうと思われる。

二、問題提起

1、かぐや姫はどうして竹の中に生まれた?

かぐや姫は竹の中で翁に発見され、そしてすくすくと三月で成人した。成長の 速い竹のイメージを使って、そして「なよ竹のかぐや姫」の命名の由来は、「な よ竹」はしなやかな若竹という意味で、かぐや姫のみずみずしい、細くしなや かな、若い女性としての美しさを象徴してる。

2、かぐや姫がどして光を発する霊力を持つか?

參考文獻

相關文件

寫我口」、現代新文學運動胡適提出的「國語的文學,文學的國語」,都是以此為根

大きく違う点は、従来の BASIC ではプログラムの実行順序はプログラム作成時に予め決 めたとおりに実行する定義型であるの対し、Visual

主題 學習者 主要指導老師 教學重點 木都新語

主題 學習者 主要指導老師 教學重點 木都新語

Schopen 著,平岡聰譯<《大般涅 槃經》における比丘と遺骨に関する儀礼>;(4) 此 Schopen 之意見,美國學者 Silk Jonathan 及日本學者下田正弘均表同意。Silk, Jonathan, The

目前園方已緊急喊停,表示將廣徵民意後再做出最終決定。木柵動物園佔地 165 公頃,動物共 2407 隻,目前票價 60 元,比起新竹動物園佔地僅 2.7 公頃,動物 共

指導語 8:請將以下國語點字標點符號讀出來? (5 個題目). 指導語 9:請將以下英文字母讀出來?

高中課程的必修科目「中國語文」設有「戲劇工作坊」選修單