一、 前言
『竹取物語』を研究するにはいくつかのキーワードがある。題名『竹取物語』
にしていた通り、「竹」が日本においてどんな意味があるのかや、隠れた意味が 何であろうか、民俗学から着目にできる。翁がかぐや姫に告げた「この世の人 は、男は女に婚ふことをす。女は男に婚ふことをす」というこの世の理から、
「男・女」の恋愛に対する姿勢がポイントにできる。また、物語の最後に「その 煙、いまだ雲の中へ立ち昇るとぞ、言ひ伝へたる」と書いたように、ここの「煙」
はただ地名起源説話だけではなく、かぐや姫と帝を隔てる世界を結ぶイメージ をも込められている。
もちろんそれだけではなく、「垣間見」、「罪」、「光」、「月」など、たくさんある。
これらのキーワードに一番興味をそそられたのは「月」である。「月に都の人に て父母あり」と、かぐや姫は自分の本当の出身を明らかにした。彼女は犯した 罪を償うため、月の都から人間界に追放されたと語られたが、面白いことに、
なぜ作者は他でもなく月を選んだのか。日本は昔から「太陽=女神」、「月=男 神」というイメージが存在するし、輝くものなら断然太陽のほうが光が強いな のに、なぜ女主人公のかぐや姫は「月」の出身なのだろうか。それでは、「太陽崇 拝と月神信仰」と「陰陽思想」、この二つの点から「月でなくてはならぬ理由」を 論じたいと思う。
二、 太陽と月
竹取の翁が「本光る竹」の中に「三寸ばかりなる人」を養い、かぐや姫と命名 した、という物語の初段に二つのポイントが出てくる。それは「女性」と「光る」
である。物語の後半にかぐや姫が「月の都」の人であることが判明したが、「女 性と月」、また「光ると月」との関連性にどうも気に掛かる。もちろん月に女性 的イメージがない意味ではないが、上にも述べたように、日本人にとっては月 は男性的なイメージのほうがよほど強いである。
そして、自然界に光るものというと、月だけではなく太陽もその一つである 日本もどちらかというと、太陽崇拝の民族であるのだが、物語に重要視にされ た「光る」要素は「月」と繋がっていることは明らかである。結ばなくてはなら ぬ必然性はなんであろうか。まず、日本における太陽崇拝から見てみよう。
1. 太陽崇拝
稲作
東アジアの民族にある太陽崇拝は、農耕の出現と発展に深く関わっていると 思われる。なぜなら、日照時間の長さは農耕が豊作なるかどうかに直接関係す
る。日本の主食である米――すなわち稲作も尚更のことである。生きるための 食料を確保するために、自然に太陽を神として祭ることになるのは容易に想像 をつく。その証拠に、例えば『日本書紀』に敏達天皇六年二月の条に「詔して日 祀部を置いた」という記事が記されている。
日本書紀・天照大神
日本の太陽神といえば、女神の天照大神(アマテラス)である。天照大神の 誕生は『日本書紀』にこのように記されている。イザナキは死んだ妻のイザナ ミを黄泉国から連れ戻そうとしたが、約束を破ってイザナミを見てしまい、結 局失敗に終えて彼女と別れてしまった。イザナキは黄泉国の穢れを洗い清める ために禊払いをして、左目を洗うときに天照大神が生まれたという。彼女はそ の名の通りに、天で世の生物を照らす太陽を象徴する神である。
王権との結びつき
自然現象を人格化――つまり太陽を天照大神と称して、さらに祖神にされた のは八世紀ごろであると思われる。だが面白いことに、『日本書紀』とを検証し てみれば、天照大神が祖神として祀られたのは初代の神武天皇からではなく、
十一代の垂仁天皇のときに始めて伊勢の皇大神宮に祀られるようになったの である。
この問題にここでは深く追究しないが、天照大神が祖神にされたことは、つ まり太陽神を王朝・王権と結びついて、皇族の崇高性と権力をさらに強化した のである。だから「日の神=天照大神=皇族」とは、『竹取物語』の成立する時期 に普遍的な考えに違いないであろう。
また、周知のように、物語には藤原氏を風刺する意図が隠れている。平安期 に藤原氏は摂関政治として知られているが、実質上天皇より権力(王権)を握 っている。なので、一番天皇に近い藤原氏を風刺するには、光り輝くかぐや姫 を太陽の出身にすれば不条理であって、正反対の月が一番妥当であろう。
2. 月神信仰
稲作
続いて、月神信仰から見てみよう。月信仰は主に三つの系統がある。「死の起 源説話(蛇の脱皮型や月の盈虚型)」、「若返り」と「農耕・暦法」である。月神 の性別に関わると、「若返り」を除いて、前者と後者は正反対である。この現象 を生じた原因は、社会人類学者ブリフォートはこう述べたのである。月神を男 性にしたのは、ほとんどは農耕を知らぬ採集階段の原始文化であって、多少で も農耕を知る民族には、月神を女性と考える傾向が多い。なぜなら、最初の原 始農耕は女性の職掌とされていたので、大地に雨露をもたらす月と結びついて 自然に女神という形になる。
それなら、おかしいである。日本の月神信仰は稲作に結びついたと思われて いるのに、なぜ女神ではなく男神なんだろう。まず、稲作が中国から伝来した ことを忘れてはいけない。確かに、縄文時代から植物の繁茂を司る月はすでに 農神・植物神として深く信仰されている。月の色によって雨量の多寡を推測し て、豊凶を占う習俗も古くから行われておる。だが、稲作の伝来した時期が弥 生時代(或いは縄文晩期)であることは、すでに知れ渡っている。要するに、
農耕が始める前に月信仰はとっくになされたのである。故に、日本における月 神は男性的イメージをするのも自然なことだし、農神・植物神であることも変 わりはないので、わざと女神に変わる必要もないであろう。
日本書紀・月読尊
日本の月神といえば、男神の月読尊(ツクヨミノミコト)である。前に述べ た『日本書紀』の話には、左目で生まれた天照大神に対して、月読尊はイザナキ が右目を洗うときに生まれたという。他の本にもこの二神の誕生を描く段落が あるが、逆に右目が天照大神、左目が月読尊になっている。なぜ違いが生じた のかはさておき、この二神の誕生についての描写はあることを示されている。
つまり、天照大神と月読尊とは対として日本の日月起源譚を代表する。
保食神殺し
奇妙なことに、天照大神と素戔嗚尊(スサノオノミコト)と違って、同じ
「三貴神」なのに月読尊に関する記述は皆無といっていいほど少ない。『日本書 紀』に保食神(ウケモチノカミ)と絡んだ段落も、『古事記』には素戔嗚尊に変 わられたのである。ここは『日本書紀』の説に従うことにする。
月読尊は天照大神の指示に従い、保食神のところに赴いた。保食神はご馳走 するため口や鼻や色んなところから食べ物を持ち出したが、それを見た月読尊 は「けがらわしい」と怒って剣で保食神を殺した。彼の凶行を知った天照大神 はたいそう怒り、離れて住むようになったという。これは昼と夜(日月分離)
の起源譚である。
さて、この起源譚を基にして月読尊とかぐや姫と比較してみれば、いくつか 似ている部分は明らかになる。月の長である月読尊は罪を犯して夜に追い出さ れた。一方、罪を犯した月の住人であるかぐや姫も人間界に追放された。この 類似性は単なる偶然だとは思えない。かぐや姫が下界に下りるに「罪」は大前 提であるので、もしかしたら作者は「罪」という要素で月読尊とを結びつき、彼 女を「月の都」の住人にしたのではないか、という推測ができるであろう。
3. 月にする理由
太陽崇拝と月神信仰と、この二つの民俗角度から問題を見れば、上述のよう に答らしきものが分かるようになる。比較的発達した文化に太陽を祭る・拝む
ことから、王権と結びついたことによって、王者は支配権を正当化にして、至 高点に達するのは一般的である。政治に一程度の批判が潜む作者の意図からし てみれば、主人公を皇族と同じ出身にすると、諷刺の意義が台無しになってし まうであろう。逆に、正反対の月を使うことによって、月光はなんと日光に勝 る、ということで揶揄の面白さも出てくると思う。
それに、物語を頂点に高まらせるために帝を出場する点から見れば、かぐや 姫を日の出身にすることも考えにくいである。人は一般的に、自分と正反対、
それに、物語を頂点に高まらせるために帝を出場する点から見れば、かぐや 姫を日の出身にすることも考えにくいである。人は一般的に、自分と正反対、