第二章 コーヒー
2.3 日本のコーヒーに関する記述
日本のコーヒーは寛永 18(1641 年)に入ってきた。文献に確認され るのは文政 9 (1826)年の『輿地誌略』の中で、「常に哥喜(コーヒー)
及泉水を好み用ゆ」とあるのが最初である。
先にも見たように明治時代に入りコーヒーが徐々に身近なものに なったが、明治時代で発行された記述を見てみよう。
まず、村田文夫の『西洋聞見録』(1869-71)を見てみよう。『西洋聞 見録』は、明冶時代で海外のニュースや西洋に関する調査結果を記 したものである。この『西洋聞見録』(後・三)の中で、コーヒーが 以下のように紹介されている。
西洋にて加菲を多く用ゆる事煎茶と並び行はる。加菲とは本と 亜剌伯、巴西の如き凡て暖国に産する菓實の名にして、豆なれ も其豆を燋し、其煎汁に砂糖或は牛乳液を和ン之を用ユル所消 化セシメ、コル体に可ナルを覚フ。西洋諸邦にて一年に費す所 の加非の高、三万トン(凡我が六万石)と云う。また倫敦に加非 店八百家ありと云フ、悉く加非のみら供セズと雖のも亦以て其 盛なるを知るべし36。
ここでわざわざ紹介されているように、当時は珈琲は珍しいもの であった。また『中外新聞』慶應 4 (明治元年 1868) 年の 5 月 31 日
34 竹村(2010):41.
35 コーヒーの歴史 日本史におけるコーヒー:
http://www.unicafe.com/CoffeeLife/museum/historyJ04.html
36 明冶文化研究会編集(1992-1993):261.
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号を見ていただきたい。「茶、コッヒー等は商売少なく値段高下無し」。 このことからもわかるように当時コーヒーは商売の対象とはあまり なっていなかった。さらに服部誠一(1874-76)『東京新繁昌記』六、
28 ページでも西洋料理のことが説明されているが、その中でコーヒ ーがお茶の役割を果たしていることが紹介されている:「茶に滑比と 曰ひ、菓に巴的岌希と曰ひ」。このように当時はまだコーヒーはわざ わざ紹介されるべきものであった。
時代が下ると、コーヒーが一般に広がってきたことがわかる。例 えば、坪内逍遙(1886)『内地雑居未来之夢』五「ここの『コヒイ』
は甘くないから」とある。これは坪内がこれまで何杯もコーヒーを 飲んできたことを示している。幸田露伴(1889)『露団々』十二「然 るに彼は一杯のコーヒー(コウヒイ)をも与へずして吾輩を園中に 禁錮するにあらずや」。この記述(とくに「をも」)から珈琲がそう とう普通のものとなっていることがわかる。
そして、『風俗画報』16 号(1890)によると「茶酒を飲むにも瀬戸九 谷の製を好み菓物を盛りコーヒー(コッフィー)を喫するにも清水 有田の産を用ひんとするもの」とある。ここからコーヒーがお金持 ちの間で非常に楽しまれていたことがわかる。森田(1998)の『明治 人ものがたり』中に、明治 39 (1906) 年頃に、「天皇、皇后は毎朝、
まずコーヒーをお飲みになる」がある37。陛下も朝からコーヒーを飲 まれていたようだ。
さらにコーヒーを使った別の飲み物も生まれた。次に、村井弦斎
『食道楽』は明治 36 (1903) 年の小説であるが、『食道楽(下)』の「菓 物の効」一章の中に、「珈琲のアイスクリム」、「モカ」といった飲み 物が書かれている。またコーヒーにクリームをのせ始めたことが言 われている。
アイスクリームは客の前に呈せられぬ。広海子爵珍しくそうに
「中川さん、これは珈琲のアイスクリムですね」中川さん「さ
37 森田(1998):41.
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ようです。モカといって珈琲の上等を濃く出して五勺ばかりと 牛乳を一合、玉子の黄身が二つ砂糖を山盛二杯、新鮮なクリー ム二合とそれだけを混ぜて器械で寄せたのです38。
と記されている。これ等いくつかある用例から見えると、当時の 珈琲はさまざまなところに使われている。もう一つ、『食道楽』(上) の中に、贅沢の例を挙げた。以下の引用文ように、
……大原今度は珈琲を飲み「これは色が薄くって味が濃くっ て大層妙ですな」お登和「それは玉子の卵白でアクを取りまし たのです」大原「ヘイ隨分贅沢な珈琲ですな」お登和「贅沢の ようなで贅沢でありません39。
そして、外国との接触の中で珈琲について述べられた記述もある。
森鴎外(1909 年)『ヰタ・セクスアリス』明治 42 年の中にもある。以 下のように、
伯林の Unter den Linden を西へ曲った処の小さい珈琲店を思 い出す。Café Krebs である。日本の留学生の集る処で、蟹屋 蟹屋と云ったものだ。(中略)咽せる様に香水を部屋に蒔いて、
金井君が廊下をつたって行く沓足袋の音を待っていた。
München の珈琲店を思い出す。日本人の群がいつも行ってい る処である。そこの常客に、稍や無頼漢肌の土地の好男子の連 れて来る、凄味掛かった別品がいる。
とある。以上の引用文のように、日本人がイギリスに留学した時 に、いつも集めていたところにも分かった。そして、かつてドイツ に留学した森鴎外がいつも流連した喫茶店が分かった。
38 村井(2012):65.
39 村井(2012):53.
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