第二章 コーヒー
2.2 日本のコーヒーの歴史
日本のコーヒーの歴史は、江戸時代から始まった。最初のコーヒ ーは、徳川家光の貿易政策によって日本に到来した。その寛永
9(1632)年に、長崎寄合町諸事之控中の『丸山遊女貰品目録』の中に、
「こおひ豆一箱、ちょくらーと」という記録がある22。そのあとで、
日本のコーヒーが長崎に現れた。寛永 18 (1641)年から長崎の出島 市のオランダ商館と日本の貿易が始まったが、日本と外国の貿易の 中心地には、長崎であった。多少の日本人がコーヒーを触ったかも しれない。しかしながら、当時のコーヒーを飲むこと出来る人は、
オランダ商館に来た客、上級人士に限られていた。23寛政 7 (1795) 年
『長崎見聞録』(五)の中に、「かうふいは蛮人煎飲する豆にて…(中 略)日本の茶を飲む如く、常に服するなり、かうひいかんは、かうひ いを浸すの器なり、真鍮にて製す」とある。この記録から見ると、
以前の外国人はコーヒー豆を煮てコーヒーを飲んでいた。しかしな
20 高島(1974):50.
21 高島(1974):50.
22 高島(1974):130.
23 UCC 上島コーヒーサイトに参照されている
http://www.ucc.co.jp/enjoy/knowledge/history/popup/j_1641.html
9
がら、日本人は依然としては、お茶を飲んでいた24。
17 世紀(1601-1700)に入ると、世界大航海時代である。天明 2(1782)
年の時に、蘭学者で翻訳者の志筑忠雄の『万国管窺』の中に、当時 のコーヒー状況が書かれている。「阿蘭陀の常に服するこつひという ものは豆の如くなれば実は木の実なり」と言っている25。ここから考 えると、当時は、オランダ人にとってはコーヒーを飲むことは常で あったということである。だが、江戸時代はざまざまな記録を見て も、日本人がコーヒーを飲んだ記録はほとんどない。
18 世紀(1701-1800)に入ると、日本では江戸時代に入る。文化 1
(1804)年に、日本人としてコーヒーを体験したはじめて人は大田 蜀山人である。大田蜀山人の『又綴』の中に、「紅毛船にて"カウヒ イ"というものを勧めて、豆を黒く炙って粉にし、白糖と混ぜして、
コーヒーというものなり、焦げくて臭く堪えない」と言っている26。 コーヒーに初めて触れた日本人にとっては、その匂いは耐えられな いものであったのだろう。
文政 9(1826)年に、長崎出島のオランダ商行で勤めていたドイツ商 人シーボルトはコーヒーの好い効果を推奨した。安政 3 (1856)年に、
オランダからコーヒーが輸入され始めた。安政 5(1858)年に、日米通 商条約を締結され、海外からコーヒーの正式的なに輸入が始めた27。 慶応 2 (1866)年に、コーヒー輸入税の徴収を始まった。
明治(1868-1912)に入ると、西洋料理店が開かれ、欧米からの西洋 式料理がみられるようになった。例えば、ミルク、ビール、パン、
など料理が次々にレストランのメニュ―中に現れた。明治 10 (1877) 年の『大日本外国貿易 56 年対照表』28によれば、最初は明治元年に コーヒーが輸入された。下の表1のように。
24 明治文化研究会(1979):1320.
25 高島(1974):140.
26 高島(1974):148.
27 湯本(2005):296.
28 角山(1980):210 を参照作成されたい
10
表 1 日本へのコーヒーの輸入
出典:角山(1980):210
他方、明治 10(1877) 年に、生コーヒー豆が日本へ輸入された記 録が残っている。当時の生コーヒー豆が日本への輸入量は、全日本 コーヒー協会サイトの「日本のコーヒーの輸入量の推移」によれば、
僅かに 18 トンの生珈琲豆が日本に輸入された。その後、コーヒーの 輸入は途切れることなく続いた。下の表 2 をみてほしい。
表 2 日本のコーヒーの輸入量の推移
年代 コーヒー生豆(トン)
1877 (明治 10 年) 18 1930 (昭和 5 年) 1887 1942 (昭和 17 年) 244 1950 (昭和 25)年 40 1960 (昭和 30 年) 3993
出典:全日本コーヒー協会 HP:
(http://coffee.ajca.or.jp/wp-content/uploads/2011/08/data01_2013_05.pdf)
かつて日本国内でコーヒーの木の栽培が試されている記述がある。
明治 15 (1882) 年に、2 月 22 日付けの『東京日日新聞』の中に、「兼 て小笠原島へ試植せられしコーヒーは(略)此ごろ全く成長して原
コーヒー(円)
明治元(1868)年 1 斤 742 円 明治 11(1879)年 75188 斤 13694 円 明治 15(1882)年 88108 斤 11736 円 明治 20(1887)年 95941 斤 21498 円 明治 25(1890)年 53033 斤 15757 円 明治 30(1897)年 107031 斤 39895 円 明治 35(1902)年 139377 斤 41858 円
11 printemp) 1886(明
12
出典:仲田(2003):278-282 と湯本(2005):296 を参照され
上の表にあるように。最初に作られたのは、明治元(1868)年の「カ フェ・プランタン(café printemp)」である。さらに、明治 19(1886) 年 11 月創業の「洗愁亭」である。明治 21(1888)年の4月に、東京 上野の西黒町で中国人の鄭永慶が「可否喫茶館」の名前で出店した30。 店内では、ほぼ現代の西洋の家具が使われていた。コーヒーの値段 は1杯1銭5厘、牛乳入り 2 銭であり、他に新聞、雑誌が置かれて いたほどにも付いている。しかしながら、明治 23(1890)年の「ダイ ヤモンドカーヒー」がある。明治 24 (1891) 年の頃に、「可否喫茶館」
13
ルの上にコーヒーがのぼるようになった。日本のコーヒーも大衆化 し、コーヒー・ハウスの「女給」という言葉が生まれた34。第二次大戦 以降(1945)は海外との自由貿易化、日本のもあり、コーヒー豆の輸 入量がますます拡大した35。