日本の政治と学生
―政治との隔絶、政策への接近―
清
水 唯 一 朗
(慶應義塾大学総合政策学部准教授)【要約】
「日本の若者は政治に関心がない」。決まり文句のように語られて き たこのフレ ーズが権威 を失う事実 が、ここ数 年、相次い で起こ っ ている。そう論じると、多くの読者は2015 年夏に盛り上がりを見せ た 、安全保障 関連法案へ の反対デモ 活動を思い 浮かべるだ ろう。 こ れ まで静かで あった日本 の有権者た ちが、明ら かに自らの 声を上 げ るようになってきた。これは顕著な変化といっていいだろう。 しかし、本稿で扱うのは、こうした政治的な主張の発露ではない。 む しろ、その 基盤を形成 している、 若者たちの 国家や社会 問題へ の 関 心の変化で ある。ゆと り教育の正 の遺産であ る「考える 力」を 持 ち 、選挙によ る政治の変 化のなかで 「変化の可 能性」を感 じ取り 、 3.11 の悲劇に際会して「動くこと」を体験した彼らは、現実政治と は 距離を取り つつも、目 の前にある 課題を解決 すべく様々 な活動 に 取り組み始めている。 こ の変化 を構 造的に 捉え 、支援 し、 共に動 いて 行くこ とは 、とも す ると逼迫感 に苛まれる 現代日本に おいて、時 代を変革す る大き な 処方箋となるだろう。 キ ーワ ード: 人材育成策、 国家建設、 ゆとり教育 、政治的有 効性 感 覚、東日本大震災一 はじめに―日本の政治と学生
日本の大学 生のイメー ジはどのよ うなものだ ろうか。先 般、台 湾 で 日本研究を する学生た ちにアンケ ートを採っ てみたとこ ろ、そ の 回 答は、アル バイトに精 を出してい る、サーク ル活動に時 間を費 や し ている、化 粧をしっか りしている といった、 いわゆる「 リア充 」 の イメージが 大半を占め た。豊かで 充実した大 学生活、そ うした イ メージが持たれているのだろう。 他方で、こ うしたイメ ージはやや 前時代的な ものにも映 る。あ る 大 学の学生生 活実態調査 によれば、 学生たちの 生活費はか なり厳 し く 、遊ぶため のお金を稼 ぐというよ り多くの学 生が生活の ために ア ルバイトをしている1。台湾の学生たちが持っていたイメージはメデ ィ アなどによ ってもたら された、い わば「理想 の日本像」 であり 、 日 本の学生た ちはもっと シビアに生 きていると いうのが実 際のよ う だ。 そうした堅 実主義もあ いまってだ ろうか、学 生が将来就 きたい 職 業 にはひとつ の興味深い 傾向が見い だせる。大 手教育会社 が行っ た アンケートによると、高校生男子の就きたい職業は、先生、公務員、 研究者、医師と続き、5 位になってようやくコンピュータープログラ マ ーが現れる 。女子は保 育士、先生 、看護師、 薬剤師、理 学療法 士 と続き、6 位に公務員が現れる2。1 慶應義塾大学学生総合センター編刊『慶應義塾大学学生生活実態調査報告』第37 回、2015 年。 2 「第2 回 子ども生活実態基本調査 6.将来展望 職業ランキング」ベネッセ総合教 育研究所、http://berd.benesse.jp/berd/center/open/report/kodomoseikatu_data/2009_soku/ soku_15.html。2009 年度のやや古い調査だが、同研究所の公開データとしては最新 のものである。以下、インターネットサイトについては、すべて最終閲覧日 2016
従来であれ ば、この結 果は、資格 を必要とす る職業への 安定志 向 の 現れである と捉えるの が普通だっ ただろう。 しかし、本 稿はそ の 立 場を取らな い。教員も 公務員も看 護師も、い ずれも厳し い競争 を 勝 ち抜いて専 門の学部に 入り、日本 の大学のな かではかな り厳格 な 教 育課程で学 び、さらに 倍率の高い 資格試験を 勝ち抜いて ようや く 就 くことので きる職業で ある。コス トとベネフ ィットのバ ランス で 考えた場合、この選択は決して効率のよいものではない。 では、なぜ 彼ら彼女ら はこうした 職業を目指 すのだろう か。そ こ に は、競争を 勝ち抜くこ と、そのゴ ールとして 公に関わる 仕事を す る ことを「成 功」と位置 づけてきた この国の歴 史と現在が あると 筆 者 は考える。 そうした傾 向は、バブ ル経済を経 たあと、不 況と苦 境 に 陥った日本 においてよ り顕著に表 れてきたよ うに感じら れてな ら ない。 そのことは 、安全保障 関連法案の 審議の際に 見られたよ うな学 生 た ちの政治行 動とも無縁 ではない。 なにより、 日本の若者 が政治 に 無関心であるという俗説は、すでに学術的に否定されている3。バブ ル 後の不況と 東日本大震 災という苦 境と経て、 日本の学生 たちは 安 定志向の側面よりも、公共志向の側面を強く表出しはじめている。 以下、日本 における政 治と学生、 公共と学生 の関係が戦 前、戦 後 に わたってど のように構 築されてき たのか、現 在、どのよ うな関 係 が結ばれているのかを辿り、その前途を探っていく。
年2 月 16 日。 3 高橋征仁「若者は本当に政治に無関心なのか」田辺俊介編『民主主義の「危機」』(勁 草書房、2014 年)、22 ページ。
二 近代日本の政治と学生
まず、日本 の近代化の 過程におい て、政治と 学生の関係 がどの よ う に結ばれて いったのか を見ていく 必要がある だろう。そ れは、 他 者 との競争、 公共への貢 献の賛美と いう点にお いて、現在 と色濃 く 結びついているからである。 1 明治政府の人材登用策 近代国家としての日本の方針を表明した文書として第 1 に挙げら れ るのは五箇 条の御誓文 であろう。 通常、この 文書では、 徳川将 軍 家 による専制 を否定し、 衆議の重視 を表明した 第一条「廣 ク会議 ヲ 興シ萬機公論ニ決スベシ」が重視されてきた。 もちろん、 この一条は 政治の近代 化における 雄弁無比な 宣言で あ る 。一方で、 国家全体の 近代化を考 えるうえで は、第二条 、第三 条 の方がより大きな意義を持つように思われる4。第二条では「上下心 ヲ 一ニシテ盛 ニ経綸ヲ行 フヘシ」と 国民が一丸 となって国 家経営 に 臨 むことを、 第三条では 「官武一途 庶民ニ至ル 迄各其志ヲ 遂ケ人 心 ヲ シテ倦マサ ラシメン事 ヲ要ス」と 国民一人一 人が夢を描 き、そ れ を実現することで、国家全体が自立へと歩む将来像を提示した5。 なぜ明治政 府はそのよ うな宣言を 行ったので あろうか。 それは 、 第 一に徳川幕 府の専制を 越え、自ら の正当性を 確保するた めには 、 意 思決定への 参加を拡大 する必要が あったから である。実 際、明 治4 以下、本節については、特筆しない限り、清水唯一朗『近代日本の官僚』(中央公 論新社、2013 年)、第 1 章による。
5 Donald L. Keene, Emperor of Japan: Meiji and His World, 1852-1912, (NY: Columbia
政府は公議所にはじまる議政体の整備に試行錯誤を重ねていった6。 他方で、行 政機構に関 してはいわ ゆる藩閥勢 力による有 司専制 を 展 開したこと もよく知ら れている。 しかし、そ れは太政官 期の明 治 政 府を大臣・ 次官級の人 事から評価 した場合の 印象論であ る。太 政 官期においては、「判事政治」と呼ばれる官僚主導の状況が早くも現 出 していた。 しかも、藩 閥勢力はこ れらの官僚 を自前で供 給する だ けの人材を擁していなかった。 このため、 明治政府は その創立宣 言である王 政復古の大 号令に お い て「人材登 用第一之御 急務」とし て、心当た りのある人 材を政 府 に 推薦するこ とを広く宣 言した。こ の方針は「 徴士」とし て制度 化 さ れた。それ は出自や身 分に関係な く能力のあ る人材を積 極的に 登 用 することを 示したもの であり、五 箇条の御誓 文第三条を 具現化 し た ものとなっ た。この制 度のもと、 新政府の財 政を切り盛 りする こ ととなる福井藩の由利公正が第 1 号となり、伊藤俊輔(博文、山口 藩 )、大隈八太郎 (重信、佐 賀藩)、陸奥 陽之助(宗 光、和歌山 藩 ) など、のちに明治立憲国家を担う若い人材が参集、登用された。 もっとも、 若く、背負 うもののな い彼らは例 外であった 。多く の 人 材は、それ ぞれの藩に 留め置かれ 、政府がそ の人脈によ って藩 士 を登用しようとすると、藩がそれを遮ることもしばしば見られた7。 身 分の高い者 ほど、長い 主従関係の 恩義を捨て ることがで きず、 藩 の 呪縛に囚わ れて新政府 への出仕が 叶わなかっ たのである 。幕末 維 新 の激動期に あって、有 用な人材は 中央のみな らず地方で も必要 で あ った。まし てや未だ旧 幕府と新政 府の勝敗が 決せず、各 藩では 攘
6 山崎有恒「明治初年の公議所・集議院」鳥海靖ほか編『日本立憲政治の形成と変質』 (吉川弘文館、2005 年)。 7 佐々木克『志士と官僚』(講談社、2000 年)、93 ページ。
夷 派が跋扈し ている状況 下である。 藩が人材を 手放さなか ったこ と は 当然であっ た。各藩が こぞって新 政府に人材 を送り出す ように な ったのは、戊辰戦争の帰趨が定まった後のことである。 新政府は、 旧幕臣や留 学経験のあ る若者を特 に積極的に 登用し て い った。それ は、旧弊を 打破し、外 国と交際し 、新しい知 識を導 入 し て国家を建 設していく うえで彼ら の存在が欠 かせなかっ たから で あ る。この結 果、新政府 は大臣・次 官級の政治 家ではなく 、局長 以 下 の官僚たち が実際の政 策を決定し ていく官僚 主導のもと で機能 す ることとなった。 2 明治政府の人材育成策 徴士制度に よって、明 治政府はひ とまず当座 の人材を確 保する こ とはできた8。次に必要となるのは拡大を続ける行政に対して、恒常 的 に人材を供 給できる仕 組みを作る ことである 。より具体 的には 、 それは新知識を理解しうる人材である必要があった。 このため、 政府は徳川 幕府が創生 した洋学校 (開成所) の流れ を 汲 む大学南校 に着目し、 ここに全国 から有為の 青年を集め て教育 す ることとした。1870(明治 3)年、全国諸藩に対して、英語の素養が ある優秀な学生を大学南校に派遣するよう通達する9。それぞれ藩の 規模に応じて1~3 名を送るよう指示がされ、約 300 人の学生が東京 に集った。「貢進生」と呼ばれる彼らは、学費から生活費まで、すべ て 藩が面倒を 見るよう規 定された、 まさに藩か ら政府に「 献上」 さ れた人材であった。
8 以下、本節については、特筆しない限り、清水唯一朗、前掲『近代日本の官僚』、 第2 章による。 9 「大学南校ニ貢進生ヲ置ク」国立公文書館蔵「太政類典」第一編第十九巻・官制・ 文官職制五。
もっとも、 その国家建 設にもたら した意義は 大きい。そ れ以前 の 大 学 南 校 は 藩 閥 の 子 弟 で 埋 め 尽 く さ れ た 特 権 的 な も の と な っ て お り 、学問も活 発とは言い がたかった 。ところが 、この制度 によっ て 全 国から有為 の青年が集 ったことで その雰囲気 は一変した 。彼ら は 故 郷のプライ ドを賭けて 、他藩出身 者と競争し ながら学ん だので あ る 。とりわけ 、戊辰戦争 に負けた「 朝敵」藩の 子弟の努力 は凄ま じ いものがあった10。 この方針転換は、実は2 人の学生によるものであった。1 人は飫肥 藩 出身の小倉 処平、もう ひとりは米 沢藩出身の 平田東助で ある。 戊 辰 戦争の勝者 である小倉 は、五箇条 の御誓文が 「夢」の実 現を謳 っ て いるにもか かわらず、 大学南校の 門戸が閉ざ されている ことに 強 い 疑問を感じ ていた。敗 者である平 田は、何と か潜りこん だ大学 南 校 が弛緩した 空気に支配 されている ことに不満 を覚えた。 いずれ も 成績優秀で名を轟かせた 2 人が、満を持した改革案として、全国か ら学生を集めることを提案したのである。 これは、人 材が枯渇し ている政府 にとって有 効な提案で あった 。 全 国 有 為 の 青 年 を 自 分 た ち の も と で 教 育 す る こ と が で き る 。 そ れ は 、ひいては 政府に対す る支持と正 当性を全国 から調達す る手段 と も なる。小倉 たちの提案 は受け容れ られ、貢進 生制度がで きあが っ た。新政府の人材育成策は盤石となったかに思われた。 3 自由民権運動から官僚の道へ ところが、この安定は一挙に不安定へと転じる11。明治 10 年代に
10 唐澤富太郎『貢進生』(ぎょうせい、1974 年)、86 ページ。 11 以下、本節については、特筆しない限り、清水唯一朗、前掲『近代日本の官僚』、 第2 章による。
入 って盛んと なった自由 民権運動に 、多くの学 生たちが呼 応した の で ある。この ころ、大学 南校から改 組した東京 大学には、 貢進生 と し て切磋琢磨 したのちに 欧米の大学 で学んだ人 物たちが教 授とし て 帰 国しつつあ った。彼ら が持ち帰っ た新しい教 養と自由な 空気は 、 学生が運動に参加して社会変革を行おうとする意識を刺激した。 彼らは自ら が学んだ知 識を動員し て、民権運 動に理論的 根拠を 与 え ていった。 国家建設に 従事する人 材を育成す るため国費 の助け を 借 りて教育を 受けてきた 大学生たち が、政府を 批判する勢 力に荷 担 す ることとな ったのであ る。大学当 局の当惑は ひとかたで はなか っ た。当時、東京大学で教鞭を執っていたアーネスト・フェノロサは、 学生たちの行為は裏切りであると強くなじったという。 学生たちが そうした行 動を取るこ とには、そ れなりの必 然性が あ っ た。彼らの 多くは士族 であったり 、平民のな かでも裕福 な地方 名 望 家の出身で あることが 多かった。 そうでなけ れば大学ま での教 育 にかかる経済的負担に応えることができなかったからである。 彼らの実家 となる士族 や地方名望 家は、まさ に自由民権 運動の 主 体 であった。 彼らは地方 の指導的な 家に生まれ 、その環境 で教育 を 受 けて大学に 進み、専門 的な教育を 受けていた のである。 その専 門 性 を故郷の人 々の声に応 じて使おう と思うこと に何らの不 自然さ は なかった。 慌てたのは 政府である 。学生たち の裏切りを 放置するわ けには 行 か ないが、彼 らを大学か ら放逐して は、優秀な 将来の人材 を政府 か ら 失うことに なる。政府 は、これに 対して学問 的な正攻法 で向き あ っ た。当時、 政府には大 学を卒業し たのちに官 僚となり、 欧米に 留 学 し、最新の 知識をもっ て改革にあ たる若い逸 材が多くあ った。 憲 法 制定に関わ っていた金 子堅太郎、 財政再建に 従事してい た田尻 稲 次 郎、目賀田 種太郎らで ある。政府 は彼らを大 学に派遣し て講義 を
行 わせたので ある。折し も憲法をは じめとする 国家建設期 の真っ 只 中 にあり、彼 らが話す理 論と現実が 調和した政 策論は学生 を魅了 し た。 彼 らは、 着々 と制度 を構 築して いく 若手官 僚た ちを堅 実な 建設者 と 見て、権利 主張に明け 暮れる民党 を理想的な 破壊者と見 るよう に な った。政府 はこことば かりに、無 試験採用に はじまる数 多の優 遇 策 を提示して 彼らを取り 込んでいっ た。帝国大 学生の無試 験採用 特 権 はほどなく 廃止される が、官僚と なる流れは 変わらなか った。 法 学の専門教育を受けた学士官僚の誕生である。 1887(明治 19)年に制定された帝国大学令では、法科大学がその 最上位に位置づけられた12。法科大学に進めば試験を受けることが当 然 視され、不 合格となる ことはきわ めて不名誉 なことと受 け止め ら れるようになった。 か くして 、貢 進生制 度で 創始さ れた 全国か ら優 秀な学 生を 集めて 行 く方針は、 学校制度の 整備と相俟 って、小学 校、中学校 、高等 学 校、大学を経て官僚となる「立身出世」の道を作り上げたのである。 そ の 完 成 形 と い え る の が 、 大 日 本 帝 国 憲 法 第 十 九 条 の 規 定 で あ る 。この条文 では「日本 臣民ハ法律 命令ノ定ム ル所ノ資格 ニ応シ 均 ク 文武官ニ任 セラレ及其 ノ他ノ公務 ニ就クコト ヲ得」と、 日本国 民 で あれば誰で も努力によ って官僚、 軍人となる ことができ るとい う 道 を示した。 かくして官 僚と軍人は 立身出世の 頂点に置か れ、学 生 た ちはひとえ にそれを目 指して政治 運動からは 距離を置く ことと な った。
12 中野実『近代日本大学制度の成立』(吉川弘文館、2003 年)、184 ページ。
三 戦後日本の政治と学生
も ちろん 、戦 前の学 生が すべて 政治 運動を 嫌悪 したと いう つもり は ない。大正 デモクラシ ー運動の主 な担い手は 学生であっ たし、 行 政 のなかから 国家を変革 していこう というもの もあった。 しかし 、 社 会民主主義 勢力の消長 に代表され るように、 そうした運 動は主 流 とはならなかった。 1 行政の連続、立法の非連続 戦前戦後の 連続性、非 連続性につ いてはこれ までも多く の研究 が な されている 。とりわけ 、行政の分 野では辻清 明をはじめ とする 連 続論と、村松岐夫に代表される非連続論の論争がある。 両者には人 的、組織的 な連続性を 重視する前 者と、政策 決定過 程 の 変化に意味 を見出す後 者という差 がある。筆 者はそのい ずれも 説 得 力を持つと 考えるが、 本稿の視角 に応じるな らば、人的 、組織 的 な 連続性を強 調する前者 の議論がよ り適合的で あろう。な ぜなら 、 学 校制度に若 干の変化は あったもの の、学校階 梯は維持さ れ、帝 国 大 学 は 国 立 大 学 の 最 高 峰 に 位 置 づ け ら れ る こ と で そ の 地 位 を 保 っ た 。そして、 引き続き旧 帝国大学法 学部の卒業 生が官僚の 主たる 供 給源となった。 な により 、議 員と異 なり 、多く の学 士官僚 が戦 後もそ の地 位を保 った。GHQ が統治を行ううえでも、彼らの持つ専門性と情報収集力 は 欠かせない ものであっ たためであ る。かくし て行政にお ける人 的 な 連続性が保 たれ、多く の慣習や文 化が継承さ れることと なった 。 学 生たちも引 き続き、官 僚となる道 を成功のル ートとして 選んで い くこととなった。2 安保闘争と学生 政 治と学 生の 関係が 顕著 に変化 する のは戦 後の ことで ある 。太平 洋 戦争期に生 まれた学生 たちは、上 の世代とは 異なる論理 で反戦 運 動 を 展 開 し て い っ た 。 戦 争 に 自 ら が 主 体 的 に は 関 わ っ て い な い こ と 、戦後教育 によって戦 争そのもの を否定する 論理を身に つけて い た 彼らは、世 代としての 不満と不安 を安保闘争 へと向けて いくこ と となった。1960(昭和 35)年に激化した、いわゆる 60 年安保闘争で ある。 60 年安保闘争は、学生運動としてはかつてない規模に成長し、一 般 からの支持 を受けるこ とに成功し た。安保改 訂阻止には 失敗し た も のの、岸信 介内閣を退 陣させた学 生運動は、 その後、ベ トナム 反 戦 運動を経て 、大学紛争 へと継承さ れていった 。もっとも 、岸内 閣 のあとを受けた池田勇人内閣が所得倍増政策を掲げ、11 月に行われ た 衆議院議員 総選挙で大 勝するなど 、選挙や政 党勢力の消 長への 影 響は寡少であった。 そうした挫折の経験は、十年後の70 年安保闘争を激化させる一因 と なった。学 生たちは、 ヘルメット を被ったま まの姿で地 下鉄に 乗 っ て移動し、 各地で示威 行動を行っ た。ついに は彼らの運 動は実 力 行 使に及び、 道路を封鎖 し、破壊行 為を繰り広 げた。こう した活 動 に いわゆるノ ンポリの学 生や一般の 人々が同情 を示す余地 はなく 、 彼らはキャンパスにバリゲードを張って立て籠もった。 1969(昭和 44)年 1 月 19 日に安田講堂が陥落すると、その活動の 場は街頭や国会前へ戻っていったが、11 月に佐藤栄作首相とリチャ ー ド・ニクソ ン米大統領 の会談で沖 縄返還が発 表されると 、これ ら の運動はかつてのような勢いを失っていった。翌12 月に行われた衆 議院議員総選挙では、自民党が追加公認を含めて初の 300 議席超と なった一方で、社会党は初の100 議席割れとなった。
3 政治的安定とバブル景気、その崩壊 70 年安保闘争が沖縄返還に包み込まれるように消えていった一因 には、その主たる担い手が、1947 年から 49 年にかけて生まれた戦後 の 第一次ベビ ーブーム世 代、いわゆ る団塊の世 代であった ことも 見 逃 すことがで きない。彼 らは進学熱 の向上と相 俟って、常 に苛烈 な 競争に晒されながら「立身出世」の階段を上ってきた。 な かには 地方 から東 京に やって きた ものも 多く 、彼ら は東 京での 孤 独と将来へ の不安のな かで運動に 参加してい った。しか し、そ れ だ け に 彼 ら は 運 動 に 参 加 し 続 け る 積 極 的 な 動 機 を 持 っ て い な か っ た 。その多く が就職と同 時に運動か ら離れてい ったことも 必然で あ った。 そ のあと にや ってき たポ スト団 塊の 世代は 、高 度経済 成長 後の社 会 のなかで比 較的豊かに 過ごし、安 定的に職を 得ることが できた 。 大学・短大など高等教育機関への進学率は1970 年に 24.0%であった ものが、1980 年には 50.0%と倍増した13。大卒の就職率も、オイルシ ョックによる一時的な落ち込みはあったものの、1980 年には 75%の 水準を回復していた14。 経 済的な 安定 に加え 、自 民党の 包括 政党化 、社 会民主 主義 的な政 策 の導入は、 自民党一党 優位に対す る支持へと つながった 。その 結 果、1980 年の第 36 回衆議院議員総選挙では、大平総裁の急死への同 情票と相俟って、自民党は過半数を超える284 議席を獲得した。 そして1980 年代半ばから、日本経済は内需主導、金融緩和、原油 価 格の急落な どによる好 景気を迎え る。好景気 を背景に企 業は採 用
13 「高等教育機関への入学状況(過年度高卒者等を含む)の推移」『学校基本調査』、 http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/Xlsdl.do?sinfid=000018434812。 14 「卒業者に占める就職者の割合」『学校基本調査』、http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/ Xlsdl.do?sinfid=000002028282。
を拡大し、1990 年には大卒の就職率が 80%を超えた。就職側の売り 手 市場にあっ て採用競争 は激しく、 内定者に対 する接待や 拘束の た め の海外旅行 など、その 過熱ぶりは 社会的に問 題視される ほどで あ った15。 1991 年にバブル景気が崩壊すると、その批判の矛先は政治に向け ら れた。しか し、それは 新しい政治 勢力をサポ ートするも のでは な く 、既存政党 への不信と して現れた 。その結果 、衆議院議 員総選 挙 の投票率は、73.3%(1990 年)、67.3%(1993 年)、59.6%(1996 年) と急速に低下した。なかでもバブル期に大学生であった20 代の投票 率は、57.8 %から 36.4%と 20%以上の低下を見せ、この世代の政治離 れを象徴的に示すこととなった。
四 現代日本の政治と学生
翻って、現 在の日本に おける政治 と学生の関 係はどうな ってい る だ ろうか。そ れは、バブ ル期と較べ れば劇的な 変化を遂げ ている と 言 うことがで きる。昨年 の安保関連 法案に対す る学生団体 の抗議 活 動などはその象徴的なものであろう。 では、何が 学生たちの 姿勢を変え たのか。彼 らが歩んで きた道 を 振り返りながら、その要因と将来について考えてみたい。 1 変化の時代のなかで 2008 年のアメリカ大統領選挙においてバラク・オバマが“Change” を 標語に掲げ て当選した 影響があっ たのだろう か、日本に おいて も 随 所で変化の 必要性が説 かれるよう になった。 そうした動 きは政 治15 杉元伶一(Sugimoto Reiichi)原作の映画『就職戦線異状なし』など、そうした状況 を捉えた作品も多く世に出された。
に も求められ るようにな り、木村拓 哉扮する青 年政治家・ 朝倉啓 太 が憲政史上最年少の首相となって政治を変えるドラマ『チェンジ!』 が 好 評 を 博 す な ど16、 メ デ ィ ア で も 広 く 変 化 を 求 め る 声 が 支 持 さ れ た 。実際、大 学に入学し てくる学生 たちの意識 は大きく変 わって い る ように思わ れる。自ら 考えて問題 を発見し、 自ら問題を 解決し よ うと動く学生が増えていることは事実であろう。 その要因としては、3 つのことが考えられる。第 1 に、現在、いわ ゆ る「ゆとり 教育」を受 けた世代が 大学に進学 してきてい ること で ある。 「ゆとり教育」は、主として 2002 年度以降(高校では 2003 年度 以降)から2010 年度まで実施された旧学習指導要領による教育を差 す 。この教育 は、詰め込 み型の教育 を見直すと して学習内 容と授 業 時間数の3 割削減を行った17。この方針は学力の低下をもたらすとし て 批 判 さ れ18、2007 年 に OECD に よ る 学 習 到 達 度 調 査 で あ る PISA2006 の点 数 が 著 し く 下 が っ た こ と か ら 早 急 な 見 直 し が 行 わ れ た19。この教育を受けた1987 年度から 1995 年度生まれは「ゆとり世 代 」として揶 揄される傾 向にある。 大学の入学 年度で考え ると、 お およそ2005 年度以降 2013 年度までということになる。現在の大学 3 年生以上がこれにあたる。
16 2008 年 5 月~7 月、月曜夜 9 時台にフジテレビ系列で放映され、平均 22.1%と高い 視聴率を集めた。 17 「小学校学習指導要領」(平成十年文部省告示第 175 号)、「中学校学習指導要領」 (同、第176 号)。 18 例えば「改正論議は不毛だ 教育基本法(社説)」『朝日新聞』2003 年 3 月 23 日付、 「[社説]指導要領改訂 誤った教育観が混乱を招いた」『読売新聞』2003 年 12 月 27 日付など、施行 1 年あまりでそれぞれの立場からの批判が噴出した。 19 「新しい幼稚園教育要領、小学校学習指導要領及び中学校学習指導要領の公示につ いて(大臣談話)」。
こうして否 定的な評価 を下されて きている「 ゆとり世代 」であ る が 、一方で彼 らの世代の なかに、活 発に活動を 続けている 意欲的 な 人物が多くあることも見逃せない。学習内容と授業時間数の 3 割削 減によって生じた時間は「総合学習の時間」や週休 2 日制に充てら れ、その結果、充実した「考える」教育を受けた生徒たちが、考え、 自ら動くことを実践しはじめたのだ。2010(平成 22)年に伊谷陽介 氏(当時、高校3 年生)が立ち上げた日本高校生学会のように20、こ うした学生たちをSNS 上と現実世界の双方で結びつける動きが現れ たことも、彼らの動きを活気づけた21。 第 2 に、政治的有効性感覚に対する変化が挙げられる。前章で述 べたように、70 年安保闘争以後の世代は、自民党の安定的な政治運 営 を前にして 、政治的有 効性感覚を 高く持つこ とができず 、政治 不 信と相俟って投票率も著しい低下を見せていた。 しかし、2005 年の衆議院議員総選挙では、「郵政解散」を行った小 泉 純一郎が「 刺客候補」 を立てるこ とで自民党 内の「抵抗 勢力」 を 駆逐し、2009 年の総選挙では民主党を中心とした三党連立政権への 政権交代が実現した。前者は「ゆとり世代」の先陣である1987 年度 生まれが大学に入学した年であり、後者はその最後とされる1995 年 度生まれが中学2 年生の時である。 彼 らは政 治の 変化を 目の 当たり にし 、それ が投 票行動 によ って変
20 「日本高校生学会」、http://japanhighschoolsocie.wix.com/jpn-hs-society。 21 もっとも、こうした学生は、「ゆとり教育」「ゆとり世代」という言葉に危機感を覚 え、親も本人も意識的に動いた結果、活動的になったと見ることもできるだろう。 時間的なゆとりが得られた分、経済的格差や個人の能力差が彼ら彼女らの活動に大 きく影響を与えたことも否定できない。本稿では、こうした「ゆとり」の是非を論 じることはせず、「ゆとり教育」の結果として活動的な学生たちが多く現れたこと を指摘しておきたい。
え られるもの であると感 じることが できる時代 環境で育っ た。こ れ は前の世代とは大きく異なる政治的経験であるといえよう。 第 3 の要因は、ほかでもない東日本大震災である。2011 年 3 月 11 日 に日本を襲 った未曾有 の災害は、 日本中の人 々に「何か をしな け れ ば」という 気持ちを持 たせた。自 ら考えてき た生徒たち は、募 金 活 動、ボラン ティア活動 をはじめと して多くの 活動を立ち 上げ、 こ れに参加した。 著 者が勤 務す る大学 では 、福島 第一 原発の 事故 に伴う 計画 停電の 影響を受け、通常のように 4 月に新入生を迎えることができなかっ た。5 月、1 カ月遅れて彼ら彼女らを迎えたときの不安は今でも思い 出 される。し かし、新入 生が一同に 会する導入 講義の教室 に行っ て み て、その懸 念は一気に 吹き飛んだ 。ひとりひ とりの学生 がその 目 に強い使命感を持って教室に座っていたからだ。 当時の学生は言う。「私たちの代には、それまでと違ってスーパー スターはいなかった。でも、ひとりひとりが自分の特性を活かして、 何 かに取り組 むことで、 とても大き なうねりを 作り出した と思い ま す」22。なにより、ボランティア活動を通じて被災地と行き来を続け た こと、身の 回りにも被 災地出身の 学生が多く あり、彼ら が強い 想 いを持って活動を続けたことは、この世代の大きな原動力となった。 ゆとり教育、政権交代、東日本大地震と、3 つの要因が重なり、現 在 の大学生た ちは自ら考 え、動き、 繋がること が当然とな った。 こ う した学生た ちが、従来 とは異なる かたちで政 治と、いや 、政策 を 通じた社会変革へと活動をはじめている。
22 筆者による2011 年度入学生へのインタビュー。2016 年 1 月 15 日実施。
2 政治チャンネルに挑む学生たち まず、彼ら の活動のな かから、政 治そのもの であったり 、政治 と の 向 き 合 い 方 を 変 え よ う と す る 学 生 た ち の 動 き を 取 り 上 げ て み た い。 最初に取り上げるのはNPO 法人「僕らの一歩が日本を変える。」 である23。この団体は、2012 年に法政大学第二高等学校 3 年生であ った青木大和氏(現、慶應義塾大学 3 年)を中心とする高校 3 年生 の グループに よって設立 された。ア メリカ留学 を通じて、 日本の 若 者 の政治に対 する関心が 薄いことに 疑問を感じ た青木氏が 、高校 生 の ころから政 治家たちと 直接話す場 を設けるこ とで政治へ の関心 を 高 めることが できるので はないかと 考え、同年 夏に衆議院 議員会 館 で「高校生100 人×国会議員@国会議事堂」を実現した。 彼らの特徴 は、民主党 政権で盛ん に取り入ら れてきた「 熟議」 の 方 法を活用し 、特定の政 策や主張に 偏らず、議 論そのもの を重視 し たことにある。その後、代表であった青木氏が 2014 年 11 月に行わ れ た衆議院解 散に対して 疑問を投げ かけるイン ターネット サイト を 小学校 4 年生と詐称して立ち上げたことが問題となり代表を辞任す るという騒動があったが、現在では新代表のもと、選挙権年齢が18 歳 に引き下げ られたこと に伴う政治 教育活動「 票育」を全 国の中 高 等学校で展開している24。 さまざまな 情報をまと めて提供し ようという 試みも進ん でいる 。 その代表的なものが「日本政治.com」だ。このサイトも 2012 年 11 月に衆議院議員総選挙を見据えて、東京大学 4 年生(当時)の鈴木 邦和氏によって設立された。
23 「僕らの一歩が日本を変える。」、http://boku1.org/。 24 「ぼくいちの活動 票育」、http://boku1.org/activity/project07/。
既存メディ アをはじめ 、政治に関 する情報を 提供するサ イトは 他 に も数多ある 。このサイ トが異色で あるのは、 単に政治に 関する 情 報を 提供するだ けでなく、「投票マッチ ング」、いわ ゆるボート マ ッ チのシステムを提供していることだ25。同サイトで用意された 25 の 質 問に答えて いくと、自 分の考えに 最も近い政 党を提示し てくれ る シ ステムが実 装されてい る。これに より、政党 や候補者の イメー ジ で なく、政策 によって投 票先を決め られるよう 、配慮がな されて い る。 若者は政治 に無関心だ 、という言 説に異論を 唱える「政 治美人 」 と いうサイト も立ち上が っている。 一見、単な る美女コン テンツ と 見 せかけなが ら、アクセ スすると、 若者たちの 政治に対す る意見 が イ ンタビュー 形式で並ん でいる。イ ンタビュー を通じて若 者の政 治 に 対する考え を掘り起こ すだけでな く、それを 「若者は政 治に無 関 心 だ」と思い 込んでいる 中年以上の 層に対して 発信してい くデザ イ ンが取られている。 2015 年 7 月には「第 1 回政治美人コンテスト」を開催し、18 歳選 挙 権の実施に 向けて若者 の投票率を 上げるため のアイディ アが競 わ れ 、後半では 高校生、大 学生が憲法 や選挙につ いて議論す る「コ ッ カフェトーク」を実施した26。 内閣府の調査でも、1998 年以降、若者の政治に対する関心は高ま っ ていること が明らかに されており 、こうした 社会の側の 「思い 込 み 」が、若者 たちの政治 意識を萎縮 させること に繋がって いると い うのが、設立者である相川美菜子氏(現、慶應義塾大学 4 年)がこ
25 「日本政治.com 投票マッチング」、http://nihonseiji.com/votematches/。 26 「政治美人コンテスト開催レポート」http://seiji-bijin.com/contest2015/seijibijin-contest _report/。
のサイトを立ち上げた際の考えであった。 政 治チャ ンネ ルから のア プロー チと しては 、首 相官邸 前で アピー ル 活 動 を 行 う SEALDS が 目立 ってい るよ うに思 われ るが、 より 広 く 、政治に対 する関心を 特定の問題 や意見に偏 らずに発信 し、必 要 に 応じてそれ を変えてい こうとする 学生たちの 活動がある 。これ は 政 治に対する 距離を感じ ながら、高 い政治的有 効性感覚を 持ち、 日 本 を変えてい こうという 意識を表明 する現在の 学生独得の 活動で あ ろう。 3 非政治チャンネルから政策に挑む学生たち そ うした 学生 たちの 意識 がより 顕著 に表れ てく るのが 、非 政治チ ャ ンネルから のアプロー チである。 政治に直接 関わること や、個 別 の 政党に参加 することは クールでは ないと距離 を置きなが ら、日 本 社 会が直面し ている政策 課題に当事 者意識さえ 持ちながら 取り組 ん でいる学生たちが多くいる27。 情 報が溢 れる 社会の なか で、的 確に 必要な 情報 を届け る必 要があ る。とりわけ、医療情報はその最たるものであろう。2009 年 6 月、 鈴村沙織氏(当時、慶應義塾大学2 年)が立ち上げた NPO 法人「リ ボ ンムーブメ ント」は、 そうした思 いから子宮 頸がんの予 防検診 を 受けるように啓蒙活動を展開している28。 子 宮頸が んは 唯一の 「予 防でき る癌 」であ り、 検診を 受け ること で 早期に発見 し、重篤化 を防ぐこと ができる。 一方で、こ の癌は 遺 伝 ではなく性 交渉に起因 するもので あるため、 検診を忌避 する傾 向
27 この意味において、年齢の幼長、学歴の高低が無党派化と負の相関関係にあるとい う指摘は興味深い(田辺俊介「誰が支持する政党を持たないのか」田辺編、前掲『民 主主義の「危機」』、107 ページ)。 28 「私たちの想い NPO 法人リボンムーブメント」、http://ribbon-m.com/hope/。
が強かった。 こ のため 、リ ボンム ーブ メント は、 大学の 学園 祭など 若者 の集り や すい場でシ ンポジウム を展開し、 そこに必ず カップルで 来てほ し い とキャンペ ーンを行っ た。こうし て彼に対し て彼女が伝 えるか た ち で広まった ことで、こ のプロジェ クトは成功 を収め、現 在では 日 本各地に支部ができるほど定着している。 世 界各地 にあ る貧困 問題 を解決 した いとい う想 いは、 そう した地 域 を訪れた者 であれば必 ず抱く気持 ちだろう。 しかし、そ れを実 際 に行動に移す者は多くはない。NPO 法人「かものはしプロジェクト」 は、そうした想いから設立された貴重な団体である29。大学2 年生の 夏、カンボジアを訪れた村田早耶香氏(当時、フェリス女学院大学2 年)は、同地で目の当たりにした児童売春に強い衝撃を受けた。 帰国後、彼女はその想いをそのままにせず、2002 年にプロジェク ト を立ち上げ 、一時的な 生活支援で はなく、長 期的な自立 支援の 方 法 を模索した 。現在は、 縫製産業を 持ち込んで 女性たちの 自立を 促 す ほか、子ど も向けにパ ソコン教室 を展開する など、実績 を重ね て いる。 日本の社会問題のなかでも切迫しているものは少子高齢化と地方の衰 退で あ ろ う 。こ う し た 問題 に も 学 生た ち は 積 極的 に 関 与 して い る。 目下、政府は出生率の向上策を進めると同時に「一億総活躍社会」 に 代表される 労働人口の 確保という 政策を掲げ ている。こ れは学 生 た ちからすれ ば共働きと 子育てを両 立するよう 求められて いるこ と と 映る。その ことに対す る不安感は 女子学生の 方が大きい 。彼女 た ち の母親は多 くが専業主 婦であり、 彼女たちに とって仕事 と家庭 の
29 「かものはしの誕生 NPO 法人カモノハシプロジェクト」、http://www.kamonohashi- project.net/story/birth/。
両立は未知の世界であるからだ。 こうした女子学生の不安感を和らげようと、「女性が働きながらも 子 供を愛し育 てられる社 会づくり」 を掲げて活 動している のが学 生 団体 manma である30。この団体の主たる活動は、女子学生が子育て 中 の家庭と一 日を過ごす 「家族留学 」である。 子どもがい る一日 を 過 ごしながら 、仕事と家 庭を両立し ているお母 さんと話し 、自ら の キ ャリアを考 えることの できるプロ グラムは、 多くのリピ ーター を 生むほど人気となっている。 こ れは、 受け 入れる 家庭 の方も 同様 であり 、母 親のみ なら ず、父 親 にとっても 、仕事を、 家庭をどう していくの か、どうし たいの か を 考える大き なきっかけ になってい るようだと 、代表の新 居日南 恵 氏(現、慶應義塾大学3 年)は言う。 政 府の大 きな 政策と なっ ている 地方 活性化 につ いては 、と りわけ 多 くの学生団 体が取り組 んでいる。 なかでも注 目されるの は、町 お こしの成功例として全国に名前を知られる長野県小布施町で2012 年 から行われている小布施若者会議である31。同町にインターンに来て い た学生たち と市村良三 町長が、地 方創生のモ デルを打ち 出すた め の全国会議を発案し、実に 250 人の若者を同地に集め、民泊をしな がら考える3 日間のプログラムが提供された。 こ の会議 が注 目され るの は、こ こか ら派生 して 展開し てい る事業 が き わ め て 多 い こ と で あ る 。 こ れ は 立 ち 上 げ メ ン バ ー と 市 村 町 長 が、「これまでの町づくりコンテストはそのほとんどが提案で終わっ て しまい、実 現性に乏し いという問 題を孕んで いた」とい う問題 意 識 を共有し、 参加者に提 案したプロ グラムの実 現を要請し 、その た
30 「about 学生団体 manma」、http://manma.co/about。 31 「小布施若者会議とは 小布施若者会議」、http://obuse-conference.jp/about。
めのサポート体制を準備したことによる成果である。 こ こから 派生 したプ ロジ ェクト の代 表例を 二つ 紹介し てお こう。 ひとつ目は「信州学生 1000 人会議」である32。これは小布施若者会 議の第 1 回参加者である児玉光史氏が、東京で学ぶ長野県出身の学 生たち1000 人を集めて、ふるさとのこれからについて論じる場を提 供したものである。 児 玉氏は これ 以前か ら児 玉は農 家の 後継者 によ る地域 活性 化事業 として「倅(せがれ)」を展開していたが、この会議を通じて、農家 を はじめとす る地元で活 動する実業 家たちと、 東京で学ぶ 学生た ち の 意欲とアイ ディアを結 びつけるこ とに成功し ている。以 後、長 野 県だけでなく、四国、青森などに取り組みが広がっている。 地方のすてきなものをもっと東京の若い女性に伝えたい、「ハピキ ラFACTORY」はそうした想いから、小布施若者会議の実行委員であ った正能茉優(当時、慶應義塾大学2 年)と山本峰華(同、3 年)に よって立ち上げられた33。参加者たちが自分たちのプロジェクトを嬉 々 として運営 している様 子を見た彼 女たちは、 自分たちが 持つ特 性 は 、地域の人 の話をしっ かりと聞け る信頼関係 があること 、同世 代 の 女性たちに 何が売れる かという実 感を持って いることで あると 自 己分析し、「地方×女の子」ビジネスの先駆者として、「かわいい」を 入口に地方を元気にしていく活動をはじめた。 そ の活動 は瞬 く間に 小布 施から 全国 区とな り、 各種の メデ ィア媒 体 や政府機関 に取り上げ られる動き となってい る。現在、 彼女た ち は「地方×女の子」ビジネスを展開する後輩たちの育成に力を入れて いる。
32 「信州学生1000 人会議」、http://www.shinshu1000.jp/。
こ うした 活動 を展開 する 「ゆと り世 代」に とっ て、自 分た ちが社 会的に評価の低い「ゆとり教育」を受け、「ゆとり世代」として揶揄 さ れることは 、活動の大 きな原動力 となってい る。それだ けに、 彼 ら彼女らのなかには教育に関心をもって活動を行うものが多い。 中 学生や 高校 生が自 分の 夢を持 ち、 簡単に 諦め ること なく 実現へ と 歩 ん で い く た め に は 、 実 際 に ロ ー ル モ デ ル と な る 人 と 出 会 っ た り 、その夢の 一端を経験 してみる「 一次体験」 が重要であ ると考 え たのは石黒和己氏(現、慶應義塾大学3 年)である。 高校生が大学生を相手に夢を語る「カタリバ」で活動し、「カタリ バ」が委託契約を受けた文京区青少年プラザ b-labo で取り纏め役を 務めるなかで石黒はそう考え、自らの想いを実現する場として、2015 年11 月にウェブメディア「青春基地」を立ち上げて活動している34。 教育を軸とした動きは国内に止まらない。2011 年に小林亮介氏(当 時、ハーバード大学2 年)を中心に展開をはじめた H-Lab は、日本 とアメリカを多様なプログラムで繋いでいる。H-lab は、ハーバード で 学 ぶ 日 本 に 関 心 の あ る 学 生 た ち が 結 成 し た HCJI(Harvard Japan College Initiative)を母体として、日本に関心のあるハーバード生たち に訪日の機会を提供している35。 そ れ は 単 な る 観 光 事 業 で は な い 。 東 京 だ け で な く 地 方 に 足 を 運 び 、アメリカ で行われて いるリベラ ルアーツ教 育を中高生 に向け に 展 開し、その 見返りとし て学生たち は日本の地 方での様々 な生活 や 文化を体験することができる。この事業は現在、小布施町(長野県)、 牟岐町(徳島県)、女川町(宮城県)と全国各地に広がっている。
34 「高校生がニュース専門サイト『青春基地』発信」『東京新聞』2015 年 11 月 22 日。 35 「WHAT IS HLAB?」、http://tokyo.h-lab.co/about/what-is-hlab/。
五 おわりに―これからの日本の政治と学生
こ こまで 、日 本の学 生と 政治の 関わ りにつ いて 、近代 初期 から現 在 に至るまで の展開を見 て来た。た しかに日本 の学生は政 治に対 す る 関心は低い かもしれな い。とりわ け、政党に 参加するこ とに対 し て は嫌悪感す ら持ってい るようであ る。この意 味において 、日本 の 政 党 が 若 者 と の 関 係 を 見 直 す 必 要 に 迫 ら れ て い る こ と は 間 違 い な い。 香 港で雨 傘運 動が起 き、 台湾で はひ まわり 運動 が起こ った 。台湾 で はそれが政 権交代に繋 がるまでの 展開を見せ ている。こ うした 流 れに日本の若者たちも敏感であり、今年 1 月の台湾総統選・立法院 議 員 選 挙 の 際 は 、 視 察 に 訪 れ て い る 日 本 人 学 生 の 姿 を 多 く 見 か け た。日本にも、これらの運動の影響が見られるようになるであろう。 も っとも 、本 稿で指 摘し てきた よう に、こ れら の運動 と日 本のそ れ の間には見 逃すことの できない大 きな差異が ある。それ は特定 の 主 義主張を割 け、それぞ れの課題に 対して是々 非々で考え ていこ う と いう姿勢で ある。近代 、戦後との 連続性から 明らかなよ うに、 こ の こ と に は 明 ら か な 歴 史 的 経 路 依 存 性 (path-dependency)が認めら れる。 こ うした 感覚 は、従 来、 無党派 層な どとし て捉 えられ 、若 者の政 治 的 無 関 心 を 象 徴 す る も の と し て 批 判 的 に 論 じ ら れ て き た 。 し か し 、そうした ニュートラ ルなスタン スこそが、 現在におけ る若者 た ち のさまざま な活動に繋 がってきて いる。彼ら は特定の党 派的言 説 に 囚われない 、成熟した 市民社会の 構成員とし ての要素を 持って い ると評価するべきではないだろうか。 こう考えるようになったのは、今年の 1 月、台湾で総統選挙戦を 見 てからのこ とである。 筆者はそれ まで、台湾 の若者の政 治に対 する 関心が高い ことを羨ま しく感じて いた。しか し、実際に 現地で 彼 ら と話して見 ると、彼ら は国家やア イデンティ ティについ ては豊 富 な 知識から熱 心に論じる 一方で、他 者との議論 を経てもそ のスタ ン ス や主張が変 化すること は稀であっ た。また、 少子高齢化 や地方 の 衰 退といった 現実の政策 課題に対す る関心がき わめて薄い ことも 印 象 的であった 。これに較 べると、政 治とは距離 を置きつつ 、政策 課 題 に関心を寄 せる日本の 学生たちは 、むしろ、 洗練された 政治感 覚 を持っていると見てよいだろう。 も ちろん 、彼 らは「 ゆと り世代 」が 持つこ との できた 時間 や機会 を 最 大 限 に 活 用 す る こ と が で き た 、 特 殊 な 層 で あ る こ と は 否 め な い。多くの学生は「出る杭は打たれる」「政治を熱く語っていると『変 わ った人』と 見られてし まう」とい った過去の 「政治活動 」イメ ー ジから脱却できずにいることも事実であろう。 し かし、 だか らこそ 、彼 らはそ れを 自覚し 、同 じ世代 をど う巻き 込 ん で い く か を 常 に 考 え て 動 い て い る 。 政 治 と は 距 離 を 取 り な が ら 、自らの前 にある課題 に向き合い 、政策に取 り組んでい く。そ う し た彼らの行 動は、是々 非々の態度 で、主体性 を持って物 事に向 か う 姿勢を涵養 していくだ ろう。こう した現状に 鑑みれば、 民主主 義 は 危機を迎え ているので はなく、成 熟している とする社会 学者た ち の議論も首肯できる36。 そ うした 動き を揶揄 する ことは 容易 い。し かし 、そう した 主体的 な 取り組みを してこなか ったかつて の無関心世 代にそれを 嗤う資 格 が あ る だ ろ う か 。 自 ら が で き な か っ た こ と に 挑 む 世 代 を 見 守 り つ つ、励ましつつ、共に歩んでいくことが必要なのではないだろうか。 (寄 稿 :2016 年 3 月 19 日、採用:2016 年 6 月 3 日)
36 田辺俊介「民主主義の『危機』を打開するために」田辺編、前掲『民主主義の「危 機」』237 ページ。
日本政治與學子
―與政治疏離、向政策趨近―
清
水 唯 一 朗
(日本慶應義塾大學綜合政策學部准教授)【摘要】
「當前日本的青年對於政治漠不關心」,這種肯定卻略帶偏見的言 論 ,雖然會令 人感到有失 威望,然而 ,近幾年來 ,類似的聲 浪此起 彼 落。若深入探討此現象,或許多數讀者的腦海中可能浮現於2015 年夏 天 ,反對安全 保障相關法 案的遊行活 動甚囂塵上 。該遊行活 動亦反 映 出 長久以來, 無聲的日本 公民因安保 法案的議題 而勇於發聲 。前後 對 照公民對於政治的熱衷度,可謂有顯著的差異。 然 而, 本文所 欲探 討之內 容並 非揭櫫 公民 對政治 參與 的覺醒 ,而 是 研究青年對 於國家乃至 於社會問題 的關注態度 之轉變。培 育學子 擁 有「思考能力」,可謂新式多元發展教育模式的寶藏,培養青年透過觀 察選舉所產生的政治政策變化,了解「由變化所創造的可能性」。此外, 青年學子遭逢日本 311 大地震,亦體認到大自然的動能與力量,故而 在 青年學子與 現實社會中 的政治議題 保持距離的 同時,也由 於遭逢 天 災的自身經歷,無形中培養與鍛鍊解決難題的能力。 在 充斥 壓迫感 的當 代日本 現代 社會中 ,掌 握青年 對於 國家乃 至於 社 會問題的關 注態度之轉 變的社會脈 絡,並予以 支援,與其 俱進, 或 可成為日本社會在新時代改革中的一帖良藥。 關 鍵字:人才 培育政策、 國家建設、 多元發展教 育模式、公 民參政 之 實質效力意識、東日本大地震Politics and Students in Japan: Recusing
from Politics, Approaching Actual Policies
Yuichiro Shimizu
Associate Professor, Faculty of Policy Management, Keio University
【
Abstract】
“Japan’s young people are ignorant of politics.” The claim may be biased but it has indeed risen in recent years. However, when examining carefully into the issue, the reader may be reminded of the protest against new security law in the summer of 2015. In the protest, Japanese citizens, who has long been silent, demonstrated their outspokenness. The enhanced level of enthusiasm and involvement in the politics is thus revealed.
This paper focuses on the attitude swift of Japanese young generation towards national and social issues. Such swift can be first attributed to students’ ability of independent thinking, a treasure developed by the Yutori education, or the relaxed-education policy. Students are taught to observe the policy change through the election and apprehend the possibilities created by changes. In addition, the Great East Japan earthquake that rocked the nation has made the young witnesses the immense power of nature. As a result, young students maintain detached from social and political issues while at the same time, they grow and develop the capability of problem solving through experiencing the natural disaster.
In contemporary Japan, it is crucial to understand the social context of the attitude swift of the young generation towards national and social issues. Moreover, as we support and grow with the trend, the contemporary Japan might find the way for future reform in such a compressed society.
Keywords: human resources policy, nation-building, relaxed-education policy, sense of political efficiency, Great East Japan earthquake
〈参考文献〉
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