日本人男性が読む舞鶴『余生』と津島佑子『あまりに野蛮な』:
中村勝の『捕囚』と脱植民化概念を中心に
中村 平 ﹝韓国﹞漢陽大学校国際文化大学 准教授 【要旨】 本報告は舞鶴『余生』(中国語、1999)、津島佑子『あまりに野蛮な』、そし て中村勝『捕囚:植民国家台湾の主体的自然と社会的権力の歴史人類学』 (2009)のテクスト(歴史と記憶の記述)を通して、台湾原住民族をとりま く脱植民化(decolonization)の課題を検討する。舞鶴は台湾漢人男性の立 場から、津島佑子はわが子を亡くした日本女性の立場から、リアルに日本植 民統治が現代の台湾原住民族に与えた影響を描写している。中村勝は資本主 義と国家の結託(中村の言う「植民国家資本」)を分析の基礎にし、1874 年 の日本の「台湾出兵」(牡丹社事件)と植民地統治初期(1910 から 20 年代を 中心に)に植民主義暴力が台湾山地において展開していったことを実証的に 描いている。これら三者の採るスタイル(小説と学術論文)、描写する時間の 対象(現在と過去の絡まりあった関係、過去の歴史)、主題となるテーマ(フ ィールドワーカーが霧社をめぐって経験したこと、1930 年代と 2000 年代の 女性と暴力のトラウマ的記憶、植民国家資本の下での原住民族社会)、そして 立場はそれぞれ異なる。しかしこれら三者に共通するのは、植民統治に直面 して、それぞれの位置からそれを克服する方途を模索するという点であり、 それは脱植民理論と実践に貢献する一環となっている。本報告は報告者の日 本男性の立場を自覚しつつ、重層的かつ複雑な構造の中にある脱殖民概念自 体とその重要性を検討・発展させる。言い換えれば、脱植民概念が台湾原住 民族の男性と女性にとってのみならず、ナショナリズム下にある「日本」「台 湾」「中国」人にとって重要であることを主張する。日本男性讀舞鶴《餘生》與津島佑子《過於野蠻》:
以中村勝《捕囚》與去殖民概念為主
中村 平 ﹝韓國﹞漢陽大學校國際文化大學 準教授 【摘要】 本報告透過舞鶴的《餘生》(1999)、津島佑子的《過於野蠻》(日文 2009)、 以及中村勝《捕囚:關於殖民國家台灣之主體自然與社會權力的歷史人類學》(日 文 2009) 的 文 本 ( 歷 史 記 憶 書 寫 ) , 來 探 討 圍 繞 台 灣 原 住 民 族 去 殖 民 (decolonization)的課題。舞鶴站在台灣漢人男性的立場,津島佑子站在喪失過 孩子的日本女性之立場,寫實地描述日本殖民統治對當代台灣原住民族的影 響。中村勝以資本主義與國家的勾結(中村所謂的「殖民國家資本」)為分析基礎, 實證地描述以 1874 年日本「台灣出征」(牡丹社事件)與殖民統治初期(1910 和20 年代為主)殖民主義暴力在台灣山地的展開。雖然這三者利用的方式(小說 與學術)、描述的時間對象(現在與過去的糾纏關係、以及過去歷史)、主題對象(田 野工作者圍繞霧社所經驗的事、1930 和 2000 年代女性與暴力創傷記憶、以及 殖民國家資本下原住民族的動態)、在站的位置有所不同。但此三者共通的是, 面對殖民統治,想盡找出克服它的辦法,換言之貢獻給去殖民理論與實踐的一 環。本報告從日本男性的立場,探討和發展重層且複雜的結構中的去殖民概念 本身與其重要性,換言之去殖民概念不只是對台灣原住民族男女性,而且是對 國族主義下「日本」/「台灣」/「中國」人的必要性。 (作者自譯)1.脱植民化とは 韓国や日本の歴史学や思想界において2010 年は、韓国併合百年の特集や シンポジウムが多く組まれている。翻って日台関係を考えると、今年は1930 年の「霧社決起」、あるいは「霧社事件」の80 周年に当たる。2001 年から 2008 年に渡る陳水扁民進党政権のもとでは、台湾原住民族自身による歴史 の探究とアイデンティティの追究が進められ、民族議会設置による自治推 進の運動が行なわれてきた。こうした東アジアの状況を一言で表すなら、 帝国日本の歴史を、マイノリティ被植民者または先住民族の立場から、脱 植民化という方向性において批判的に振り返る事態である。台湾原住民族 においては、帝国日本の統治を離れた、第二次大戦後の中華民国=国民党 統治の振り返りも同様に大きな課題である。 脱植民化は英語でdecolonization、中国語で「去殖民」と表記される。日 本語では「脱植民地化」と表記される場合も多いが、本稿では、脱植民化 が被植民者だけの問題ではなく、むしろマジョリティである植民側の問題 であるということを強く喚起するために「脱植民化」を用いる。丸川哲史 (2000)が言うように、この語は「脱帝国化」とほぼ同義である。私は別 の論考で、タイヤルを中心に台湾原住民族知識人の脱植民化の主張を整理 し、二つに焦点化した。一つは帝国日本の土地の国有化であり、土地収奪 という歴史と現状の認識である。もう一つは精神や魂の脱植民化とも言う べきもので、支配者日本人・中国人の価値観どおりに行為するよう主体化 されてきた(主体化してきた)という点である(中村平 2009;周 2009、 深尾 2009 も参照)。 この二つ目はフェミニズムの観点から但し書きが必要である。ドメステ ィック・バイオレンス(家庭内暴力)にさらされてきた原住民族女性から は、すぐ上に述べた「支配者」には「男性」がつけ加えられ、「被植民」状 況は民族間にも、性別間にもある。原住民族女性にとって脱植民化は、民 族間の自治のみを達成すればよい訳ではなく、暴力に脅かされずに真に民 主的な関係を作っていくことが課題となる(中村平 2009;利格拉楽リ カ ラ ッ 1998 も参照)。 2008 年 5 月からの馬英九国民党政権のもとでは、2010 年 6 月に締結さ れ た 「 中 台 経 済 協 力 枠 組 み 協 定 」(ECFA: Economic Cooperation Framework Agreement) に見られるように、反対運動を抑えつつ、経済面 から中国と台湾の統合的地ならしが進められている。こうした潮流の中で 「台湾」原住民族がいかなる自治を模索していくのか、早急なコンセンサ スが求められていると言えよう。
以上のような台湾原住民族の脱植民化の大きく困難な、重層的な課題を、 本報告は日本との関係から、記述者の立場に注意して探究する。今回取り あげる学術書と小説二つのテクストは、中村勝(1944 年生)の『捕囚:植 民国家台湾における主体的自然と社会的権力に関する歴史人類学』(2009 年)、そして舞鶴(1951 年生)の『余生』(1999 年)、津島佑子(1947 年生) の『あまりに野蛮な』(2008 年)である。まず『捕囚』から植民化の原因 を「植民国家資本」にあることを確認し、暴力を含め起こってしまったこ とへの対応が、自らの立場を留意しつつ記述されている二つの小説を見た い。これらのテクストは明確に脱植民化の記述の運動と言えるものであり、 その運動のスタイルと成果を三つのテクストから抽出し洗練させる。 2.植民化の原因の探求:中村勝『捕囚』 脱植民化の探究に関して、帝国日本の台湾山地統治とくに「理蕃」政策 と原住民族の動きを分析した研究が中村勝により精力的になされている。 『台湾高地先住民の歴史人類学:清朝・日帝初期統治政策の研究』(2003)、 『「愛国」と「他者」:台湾高地先住民の歴史人類学Ⅱ』(2006)、そして本 報告で主に取りあげる『捕囚』(2009)である。 いずれも歴史実証的には、1930 年の霧社事件に至るまでの時期を検討し ているが、『捕囚』で注目される点は植民化の原理的探究に紙数を費やして いることである。『捕囚』は、日本と台湾双方における資本と天皇制近代国 家の植民主義的展開を、日本と台湾先住民(former-inhabitants)の関係で 描いている。「捕囚」とは、日本資本と結託した植民国家(「植民国家資本」) による台湾先住民の土地の収奪(expropriation)、その上で「出役」として 強制される労働力搾取(exploitation)、統制された「蕃社」への「移住集 団」化と「蕃童」教育(「社会の学校化」)を中心に展開する生の「囲い込 み」(enclosure)の総状況を言い、中村はこの状況を植民国家資本の原始的 蓄積(primitive accumulation)過程に規定されるものと見る1。 植民地台湾特に先住民との関係において近代日本の所業を自省的にふり 返るという一点において、津島(1947 年生)と中村(1944 年生)という 同世代の最近の作品は重なり合っており、600 ページを超える中村の『捕囚』 1 中村は、帝国日本の植民地支配に取り込まれる前の台湾先住民のあり方を「主体的自然」 と名づけている。台湾先住民の主体的自然は、植民国家-資本の「社会的権力」により 収奪され、隷属的「捕囚」状態へ変容を余儀なくされる。例えば中村は、三井合名会社 と「理蕃」行政が協力し、台北州の「屈尺蕃」に対して土地収奪と夫役的労働者化を強 制していったことを実証している(第7章第4節)。なお原始的蓄積が資本主義の初期段 階にあるのではなく、資本主義の発展と共に継続するという視角(「継続的本源的蓄積」) はマリア・ミースとクラウディア・V・ヴェールホフによって提出されている(ミース、 ヴェールホフ、トムゼン 1995、石原 2007: 77-8も参照)。
を一節で整理することはもとより不可能であることを知りつつ、ここでは 記憶と歴史の認識追究の仕方を植民統治責任のとり方というスタンスから 整理しておきたい。 津島の小説では、日本人と台湾住民、特に台湾先住民族との支配/被支 配者という両者の節合(articulation)が、女性による記憶とくに暴力の記 憶の分有によりなされる。『あまりに野蛮な』と、資本制の政治経済的分析 を重点に精神・心意構造を見据え脱植民化を志向する中村勝の史的分析が、 植民地の人間と土地とモノの「収奪」と植民暴力の想像と分有という点で 節合されうるだろう。両者の重点の違いは、女性と男性、死と資本、記憶 と歴史といった点にさしあたりあるがそれは固定的なものではない。『あま りに野蛮な』から言うと歴史に還元されない、記憶の確固とした領域があ ると考えられる。もちろん資本制は、死に付随する医療や葬式など様々な 文化に関与する。しかし『あまりに野蛮な』で描かれるような子どもを喪 失するという経験そのものは、さしあたり資本に還元されえない固有の領 域だ。資本制と天皇制、ナショナリズムは日本人の生を規定してきたが、 ただしその分析にのみ還元され得ない、ひとりひとりの固有の生きられた 経験がある。そこにはひとりひとりの固有の痛みに寄り添うような言葉が 求められなければならず、津島の『あまりに野蛮な』は、二人の日本人女 性主人公であるミーチャとリーリーの経験と思いに対して、そのような言 葉を模索していると考えられる。 中村の歴史人類学は一方、津島が死と「家」「家族」「家庭」の内実を含 め主題化しようとするさまざまな「野蛮」のうち、国家と資本の結託と台 湾先住民主体への影響の史的分析に向かう。この主体は、国家に規定され る「民族Nation」ならぬそれ以前の血縁による「民属 Volk」の「主体的自 然」と分析・概念化される2。『捕囚』は浩瀚な史料を用いて先住民の主体的 自然が植民国家資本に捕囚化される様を、主として1874 年の「台湾出兵」 時の先住民の物売りの少女の斬殺経験から「1930 年闘争」(いわゆる霧社 事件)に至る 1920 年代までを実証する3。中村の歴史人類学的記述は、津 島が既存の研究に頼りながら1930 年の霧社事件を題材化した『あまりに野 蛮な』の前史を扱うものであると同時に、植民国家への抵抗の敗北とも読 みうる先住「民属」主体の変遷に植民国家資本を分析したものである。 2 「民属」は、村井康男と村田陽一が1954年に翻訳したエンゲルスの『家族、私有財産お よび国家の起源』(原著1884年、邦訳大月書店国民文庫)に拠っている。訳者解説(1954) も参照。 3 この主体的自然の実践(中村は「受動的実践」とする)については、官命の下山移住に 抵抗した「ピヤハウ社」タイヤルの頭目ム ル フ ー「ウイランタイヤ」、官命使役労働に抗したブ ヌン族「イカノバン社」の「ラマタセンセン」、イレズミをしたタイヤル女性で「蕃語 講習所」講師を務めた「ヤユツペリヤ」に見られるとしている。これらの者に対蹠する 存在が、「理蕃」の社会的権力に従属して生きる「先覚者」たちと認識される。
植民男性的暴力は、『捕囚』からは資本と国家が結託する帝国-植民主義 化の社会的権力の実践、端的に軍国主義の発露として読み取れうる。『あま りに野蛮な』からは、どこか中性的に設定される客家人の「ヤンさん」に ついての描写に見られるように、死の痛みと喪失に向き合うところから抑 圧的でない関係性が切りひらかれ、植民男性的暴力の乗り越えが示唆され る。『捕囚』が日本の植民統治と暴虐の責任を資本と国家の絡み合いの歴史 に求める一方、『あまりに野蛮な』は植民統治の暴力を日本人女性個々人の 痛みから分有し乗り越えようとする。 以上のように中村『捕囚』は、植民化の原因を植民国家資本の運動にあ ると見て、そのメカニズムの解明を行なう。中村の議論から、台湾原住民 族と日本人の脱植民化は、植民国家資本の暴力と捕囚化の歴史を認識し、 そこからの脱却にあることが導き出される。これを踏まえた上で、直接植 民地統治を経験していない世代の台湾人と日本人によって描かれた、台湾 原住民族についての近年の小説を取り上げよう。脱植民化は、植民化のロ ジックと歴史を認識することと同時に、現在漢人や日本人がどのように台 湾原住民族と出会い、植民化の歴史が現在の原住民族にいかに影響を与え ているかを想像し理解しようとする地点から始められる。漢人や日本人が どのように自らの脱植民化を進めていくかを考える上で、舞鶴と津島佑子 のテクストは、豊かな議論の土台となるものだ。 3.起こってしまったことへの対応Ⅰ:舞鶴『余生』 小説『余生』は、文学とフィールドワーク・ルポルタージュを融合する 境地を切り開いた。中国語により書かれたこの小説の題名である「餘ユ ーシェン生」 は、小説中に「劫後餘生」(災難にも死なず生き残った命)としてもたびた び登場するように、災難から「幸いに生き残った命」という意味である。 日本語の「余生」は「盛りの時期を過ぎた残りの生涯」という語感がある。 ここでは、「生き残された生」、あるいは直接に「余生」という訳語を採用 するが、読者にはその意味を理解願いたい。小説『余生』は霧社事件のサ バイバーの生に寄り添いつつ、事件の原因とその影響、さらには癒しを模 索するものである。 霧社事件の現在性と「余生」 舞鶴は「後記」や小説中で、小説のテーマについて自らに確認するよう に述べている。そのうちの一つが「私が住んだ集落で見聞きした余生、生 き残された生」であり、霧社事件の現在性である。霧社事件の原因と正当 性、そして舞鶴が住んだ集落の隣人である「姑娘グーニャン」の「遡行の旅」(追尋之 行)と共に、これらの三つのテーマを往還しながら小説は進行する。舞鶴
は言っている。「私はこの三つを、何度も重複しつつ一気呵成に書き上げた。 それは小説芸術上の『時間』の為にではなく、この三者の意味内包がすべ て、『生き残された生』の同時性の裡にあるからである」(251 頁)4。 舞鶴の言う三者の「同時性」について補足しよう。それにはこの小説に おいて度々言及される、「現代の霧社事件」という視角について述べなけれ ばならない。「現代の」は中国語で「當代」である。なお、捻じ曲がり晦渋 な舞鶴の文体は、できる限りそれを読者に伝えるように、同時にある程度 の分かりやすさを念頭において翻訳した。 * * * 現代が呼ぶ現代の歴史は私に、疑問点があり議論すべき点が多々ある事件 を「過去形の」永遠にしてしまうことに注意を喚起し、それを引っ張り出し現代とい う陽光の下にさらけ出し、「現在形」のものとする必要があり、そうして過去の歴 史は生き生きとした現代の歴史のひとつの支流となり、「現代」はあたかも肉付き のよい乳房または臀部すなわち現代と呼ぶに耐える豊饒となり、であるから「現 代の霧社事件」あるいは「霧社事件が現代にあるということ」はごまかしや冗談で はなく、それはこの小説の主題であるだけでなく適切な歴史観でもある……(85 頁) * * * 霧社事件の正当性と「生き残された者たちの生」は、「娘さん」の「遡行 の旅」を主軸とした、また同時にさまざまに聞き書かれる「余生」の記述 において展開される。そこでの時間概念とは、過去が現在に至るという直 線的なイメージではない。上に書かれるように、豊かな現在に入り混じっ たものとして過去が登場し描かれることになる。 「霧社事件」決起の正当性は植民政策、特にセデック民族を骨抜きにす る同化政策の批判に向けられる。また、日本植民地統治終了後の中華民国 体制における同化政策への批判が、セデック人たちの生き残りの生を物語 る中で展開されている。日本と「中国」の同化政策は、舞鶴の「現代の霧 社事件」あるいは「霧社事件の現代」という観点から、つまりセデック人 たちが現在「余生」を生きる描写の中で描かれる。霧社事件の多くの生き 残りの人々と子孫が、天皇のために義勇志願し南洋の戦場に赴いたこと。 1970、80 年代には台北の寶斗里(華西街近く)の娼妓たちに多くのタイヤ ルの少女たちがいたこと(116 頁)。舞鶴は小説の登場人物に「90 年代は反 4「姑娘」は「未婚の娘」と同時に「娼妓」の意味を持つ言葉であり、本稿では暫定的に 「娘さん」と訳しておく。 川中島(現在の南投県「清流」集落)で生まれ育った「娘さん」は、長年の「平地」 での暮らしで娼妓となっていたことが示唆されている。
同化と同時に、同化が最も早く進んだ時期でもある」(187 頁)と語らせて いる。コンビニエンスストア「7-11」やファーストフードの「M バーガー」、 百貨店といった消費主義と資本主義文化に、セデック人たちが飲み込まれ る様を描く。 遡行の旅 「遡行の旅」は、霧社事件の生き残り子孫で、「平地」に降りてから様々 なことを経験してきた「娘さん」が心の「平静」を得るものとして登場す る(202 頁)。主人公の「私」がそのように心を砕くのである。「遡行の旅」 は中国語の原文では「追尋之行」であるが、「溯之旅」(110 頁)という表現 もあり、ここではそのように訳出した。「娘さん」は遡行の旅の途中、自分 が決起の首謀者と見なされているマヘボ社頭目のモーナ・ルーダオの孫娘 であると告白する(43、211 頁)。そしてその旅は、「祖先の霊」つまり祖 霊を求める旅としても登場する。遡行の旅は祖霊を求める精神的なもので もあるが、同時に具体的な肉体移動を伴う形式的かつ儀式的な旅としても 構想される。祖霊は霧社事件後、頭目モーナ・ルーダオらが立てこもった マヘボの奥山、そしてさらに奥の合歓山や奇莱山にいると想像される。「私」 が思索したその旅のルートはブセガン渓を遡り、マヘボの奥山を目指す (204 頁)。出発点は、作家である「私」がフィールドワークと研究と執筆 のために住んでいる川中島(清流)である。心の平静を得るということは、 舞鶴が注意を払って記述している「思索」の重要性(212 頁)につながる。 遡行とはこのように精神的な旅でもある。 記念碑、「余生」の碑 舞鶴は川中島に住み、人々の「生き残された生」すなわち「余生」の重 要性を認識し、それを小説の題名とした。この認識に至った大きなきっか けは、川中島に立てられた「余生の碑」である。 * * * 余生の碑の周り、両側には高い杉の木が対称的に並び、平らな山とへこんだ 台地があり、厚く苔むした二つの灯籠はそれがかつて「神社」のものだったことを 示し、「天皇」の栄光が去った後十余年にして人々は黙って謙虚に一つの「余生 碑」を建てた、小学生くらいの高さで、健康な小学生に似た体つきで純粋に人を 感動させ、不平を言ってわめいたりまた栄達の輝きを誇ることなく。私は偶然に 川中島に来たのではない、純粋に「余生」この二文字が私をここに住まわせたの だ……(185 頁)。 * * *
「余生の碑」の謙虚さは、大戦後の中華民国による体制の中で政府の立 てた記念碑との対比にあって際立つものである。これまで中華民国政府は 「原住民抗日之像」「モーナ・ルーダオ像」「モーナ・ルーダオ烈士之墓」 を霧社に立ててきた。更に遡れば日本統治時代には、日本人のための「霧 社事件殉難殉職者之墓」が立てられていたが、戦後取り壊された。 * * * 政府の立てた記念碑のそばのモーナ・ルーダオの像は歴史の英雄であり現代 の偶像であり、現在政府も申し訳程度に取り扱うことの退屈さとナンセンスさを認 識し次第に英雄の偶像を破棄するようになり、今日島国の至る所のゴミ処理場と 墓 場 の中 にはどれだけの彫 像 あるいは銅 像 が眠 っているだろうか……(117 頁)。 * * * 舞鶴は国家による事件の解釈枠組みに批判的な目を向け、生き残りの生 の裡に事件と歴史を見ようとする。総統蒋介石の銅像は中華民国時代の台 湾で無数に立てられた。「抗日英雄」としてのモーナ・ルーダオの銅像が立 てられることで、「余生」を静かに生きる人々の姿が逆に見えにくくなって いるのではないか。そのような声がこの小説からは聞こえてくる。生き残 りの生を想像させてくれるきっかけとなり、その探求のそばに居続けるも のとして、小学生くらいの高さの、謙虚な姿で静かに立つ「余生の碑」が ある。舞鶴たちの遡行の旅を見守り支えるものとしてこの碑が立っている。 4.起こってしまったことへの対応Ⅱ:津島佑子『あまりに野蛮な』 津島佑子の小説は、日本女性の体験を日本女性が自ら語り直すと同時に、 それが台湾の植民化の暴力の体験の想像と重ねられて行なわれるものとな っている。その日本女性とは、現行民法に照らして国家による承認を受け ずに男性との間に子を持ったが、それを亡くすという経験をもつ女性が中 心に据えられている。そのような日本女性「ミーチャ」「リーリー」の立場 から脱植民的な想像を豊かに行うが、大きな核心は国民再生産を担わされ てきた「家庭」からの脱出と、新たな親密な関係の構築にある。深尾葉子 (2009)がいう「魂の脱植民化」を実践するものと言える。 植民国家における母性と家庭 「モダンガール」(伊藤他編 2010)と呼ばれたような東京の流行最前線 には気後れしつつも、洋服が好きで、椅子は能率が上がると考えるミーチ ャ(上 38)は、恋愛結婚をする「新しい女」の系譜を引きつつ、家庭主婦
をまじめに務める良妻賢母を目指した女性だった。同時に、母性を母に特 有のものとする想像上の明彦の意見に反論して、「実際には人間の場合もつ と複雑な感情があるのではないか。母性愛という耳障りで漠然とした言葉 で猿や鳥と同じに片付けられるのはどうにも切ない」(下 114)と、外部か らの型の押し付けには反発を見せる。一方「私は革命烈女の秋瑾じゃない から、おとなしく家のことしかしてないわ」(下 264)と考えるあたりは、 ごく標準的な中流階層の主婦の価値観を体現してもいる5。 ミーチャが奮闘した舞台は、植民地台湾における「家庭」家族だった。 一方2000 年代の主人公リーリーは「リビングのある家」を離れて、心身の 居場所を求める旅に出る。植民地には日本式の「茶の間のある家」が数多 く建てられた(西川 2000: 36)。ミーチャの家は「女中部屋」は確認できな いが、「茶の間」のある家だった6。西川(2000)によると、「家庭」が重要 性を増してくるのが第一次大戦(1914-15 年)後のことだ。このころから都 市の人口増加が進み、中産階級が規模を持って成立し、「家」家族ではなく 「家庭」家族が都市を中心に実体化していった。給与所得者が増すにつれ て、「家庭」家族は大都市だけでなく植民地においても飛躍的に増えていく (同上:21)。日本型近代家族の特徴は「家庭」概念とその物理的イエの実 現であり、「茶の間のある家」モデルの普及がはじまった 1920 年から「リ ビングのある家」モデルが完成した 1975 年の間が、色濃く「家庭」家族の 時代であった(同上:61)。 ロマンティックな恋愛を実践し、相補的で協力しあう夫婦関係、子を核 とした愛情深い家族関係などを特徴とする、20 世紀前半に登場し現代に至 るまで影響力を持った新しい家族を、牟田(2006)は「ジェンダー家族」 と呼んでいる。上記西川の「家庭」家族に重なる概念だ。この背景には、 国家が人間の「生」と「性」をターゲットとしつつ、「国民」として取り込 んでいく近代的な統治技術の東アジアへの普及があった7。このジェンダー 家族の主役となったのが「新しい女」の系譜を引く女性たちであり、ジェ ンダー家族により実践される家庭は、第一次大戦後の産業化と、都市への 人口集中、俸給生活者である新中間層により現実化していく(牟田 2006: 5 「どんな家を、どんな庭を、そしてどんな生活を私は夢見てゐたのだらう」(上168)。「タ イホク」で暮らし始め、数ヶ月して書いたミーチャの日記。「庭にはバラが咲き乱れ窓 には白いレースのカーテンがそよぎドレスを着た私は坊に寄り添ひ音楽にうつとり耳 を傾ける?」というような、幸せな家庭が疑問符をつけながらも想像される。 6 確認できるのは、台所、風呂場、明彦の書斎、寝間、玄関わきの納戸部屋である。初め て来た台湾人女中のメイメイは週5日間を住み込み(上318)、納戸部屋で寝ている(上 323)。台湾人女中のタマさんは近くの自分の家から通っている(「二十」)。 7 「お国のためにこうしてがんばって赤んぼを産むんですから、総督府から賞状をいただ けるかもしれないわ。あら、いやだ。こんなのもちろん、冗談よ」(出産直前のマダム 池田の会話、下267)。
80-84)。ミーチャは、台北という植民地におけるジェンダー家族的な家庭 の主人公として犠牲者となったのであり、70 年後のリーリーは「ジェンダ ー家族を超えて」(牟田 2006 の題名)、脱植民的な関係性を台湾の人々や 死者と形成する。 植民地状況と収奪、日本人として背負うもの 1934 年秋、日本から帰台したミーチャは基隆港で下船前に荷物検査を受 ける。トランクの中から明彦の母親が買って詰めてくれたモノが次々に取 り出され、ミーチャはうろたえて泣き出したくなる。「あれもこれもおぼえ のないものが、どうしてこんなにたくさん、わたしのトランクに詰めこま れているのだろう。盗んだ品物だと疑われ否定できそうにない」。「わたし は盗っ人です、つみびとです、ごめんなさい、お許しください」という言 葉が出かかる(「二十」)8。 西川(2000)によれば、近代国家にとって重要課題である国民としての 中間層の形成と国民再生産を担う家族形成は、植民地からの収奪があって 初めて可能となる。日本型近代家族が「家」家族から「家庭」家族へ移行 する際、植民地の存在が大きな役割を果たした。戦前の日本の大都市にお いて貧困ラインすれすれの生活をしていた若い男女が植民地においては特 別手当のつく給料を得て、現地の家事使用人を多数使う中流の家庭生活を 営むということがしばしばあった(西川 2000: 248)。そしてこの「家」家 族から「家庭」家族への移行は、国民動員の要請の下、戦時下において進 行していた(同上:22)9。ここでいう「戦時下」は狭義には 十五年戦争 を指すだろうが、台湾の文脈においては継続して戦争、鎮圧と占領を引き 起こしてきた「植民体制下」と読みかえることが出来る。日本社会の新中 間層の育成には経済発展がどこまでも続くことが必要だったのであり、「家 庭」家族の成立は植民地収奪の上に成立していた(同上:37)。ミーチャは この「収奪」を敏感に察知しているのであり、この点は前述の中村勝の植 民地収奪―「捕囚」論へと節合される。 2000 年代日本人女性の台湾の旅:リーリーとヤンさん 2000 年代の物語は、日本人中年女性のリーリーを中心に展開する。本名 を「茉莉子」というリーリーは、ミーチャの姪に当たる。伯母のミーチャ 8 『あまりに野蛮な』は、時代を超越した「私」により物語られる「枠小説(枠物語)」 であり、1930年代と2000年代の二つの時代が24の章により語られる。各章からの引用 は、「二十」のように記す。 9 家庭という女性固有の領域が誕生し、女性が家庭内役割の責任主体として捉えられるこ とそのものが、女性の国民化をうながす回路となっていた(小山 1999: 256)。選挙権 を持っていない女性は、二流国民という差別を受けながら植民者日本人として国民化さ れたと言える。
に顔がそっくりと言われて育つが、会ったことはない。「十七」に至って56 歳と明かされる。リーリーはミーチャの残した書簡を読んで、「台湾の山に あこがれつづけていた、わたしのおばのタマシイを、ここまで運んであげ たい、と思って」いる(下 99)。両親の離婚で、「男親と縁がなかった」と ヤンさんに対して明らかにしている(「二十三」)。同時に他の女性とも付き 合っていた男性との間に、「いいかげんな出産」をして子を産んだ。17 年前、 その子どもが11 歳だった時に亡くしている(「二十三」)。 先にも触れたヤンさんはリーリーとの会話の中で、両親が離婚し「男親 とは縁がなかった」ため、父という存在についてよく分からないと明かし ている(下290)。こうしたヤンさんが体現する「ニセモノの父」とは、本 当の血縁がないがそのフリをしている父であり、いわば擬制的血縁関係に よって民族を超えた人間の関係を新たに生み出す存在だ。天皇は家族国家 観を現実化させた帝国日本において、家長としていわば「ニセモノの父」 となって植民地支配を貫徹しようとした。 ヤンさんが天皇と異なるのは、それが「文明/野蛮」といった図式に結 びつかず、他者を啓蒙し指導するのではなく、他者との繊細な交感の関係 を生み出す点にある。植民者と被植民者間の天皇制イデオロギーによる心 的な紐帯こそが、家族国家帝国日本の支配の核心のひとつであるが(中村 等 1997;中村勝 2003, 2009)、『あまりに野蛮な』はまさに心的な紐帯を 国家から取り返す試みとしてある。リーリーが戸籍を入れずに男性との間 に子を設けたことの意味も、国家との関連で推測できる。戸籍を入れると いう国家の承認と保護を求める行為をあえてしないということは、親密な つながりを、国家を媒介せずに自らの手で織り成していこうという意味が 込められているのではないだろうか。 死者との交感 『あまりに野蛮な』は「父の記憶を引き継ぐ娘たち」をモチーフにして いると、坂元さおり(2009)は指摘している。日本軍「慰安婦」について 言及されている箇所では、日本の兵隊が「原住民」の娘を閉じ込めて、多 くの日本人が台湾で父親になったとされる。ヤンさんはここで「これは父 親の話ですね」と語る(下304-5)。 本報告が脱植民化と関わって注目したいもうひとつの重要なモチーフが、 死者との交感である。死者たちとの交感の描写においては、「野蛮」による 暴力と死の記憶の「分有」が一つのクライマックスであり、そのイメージ は台湾先住民族の口承文芸が女性によって語りなおされる形をとっている。 本書における死者たちとは、1930 年の霧社事件における日本人と台湾先住 民族セデック人の死者であり、事件決起のリーダーとされるモーナ・ルー
ダオであり、主人公の一人である日本女性「ミーチャ」とその姪である「リ ーリー」が失った子どもであり、ミーチャの亡くなった父や兄弟ら家族で ある。そして更には、津島自身が小説のテーマとしてずっと書き続けてい る、自らの失った子どもである10。 死者たちと交感する際に登場する台湾の「蕃人」「原住民」、つまり台湾 先住民族のイメージに注意したい。台湾先住民族のイメージは、ミーチャ、 日本人、そして読者にここではないどこかに通じる道を切りひらき示して くれる、力を持った存在として描かれる。ここではないどこかとは、死者 の世界であり解放された理想的な世界である。台湾先住民族のイメージは 首を狩るという「野蛮」を兼ねる強い力を持つ、期待と「おそれ」を感じ させる存在である11。 以上のような記述は、オリエンタリズムと帝国主義的なノスタルジアに 彩られた植民主義的なものであり、当時の日本人の「蕃人」認識をうまく 描いているが、もしそれだけならこの小説は植民主義を反復するものとし て批判されるはずだ。しかし津島はこの危険な記述と同時に、脱植民的な 想像(decolonial imagination)を実践する記述に出ている。まず、現代の 台湾原住民族は「原住民」としてすべて括弧がつけられていることに注意 されたい。それは、原住民族自身が中国語で「原住民族」を自称してきた 権利獲得運動の歴史が存在し(中村平 2009 を参照)、日本語に残る「原住 民」の差別的な語感と区別して用いるためだと考えられる。 津島の脱植民的な想像は、夢と現実が重なる世界における、死者との交 感において強く描かれる。その他にも、山梨という「田舎」出身の「野蛮 な」女性、「山」でつながる山梨と台湾のイメージ、そして自らが性器に歯 を持つ女性像(後述)というスタンスからの記述がなされる。津島は、ミ ーチャに「私の家族は皆未開の蛮人みたい」(上 162)と述べさせている。 山梨と台湾山地は「山」のイメージによりつなげられる(上316)12。 ミーチャは台湾へ向かう船の中で、霧社事件で首を吊って亡くなった「蕃 人」たちを想像する。「どんな歌なのかさっぱりわからないけれど、霧社の 山のあちこちにひびいたという『別れの歌』に、蓬莱丸の二等和室のなか 10 津島は「手続き上の結婚」を経ていない男性との子を38歳の時に亡くしており(与那 覇編 2006)、そのことを小説のテーマにしてきた。 11 ミーチャと語り手は、日本人にとってのモーナ・ルーダオの存在について、「絶滅した 日本オオカミに寄せる思いに似た、『未開の世界』に対するなにかしらの期待とおそれ に変わりつつあった」(上151)と述べている。 12 リーリーは「母もおばも日本の山育ちで、海を知らない田舎者だとずいぶんばかにされ ながら、それでも、やっぱり山が好きだったんです。わたしも山が好きです」と述べて いる(下92)。この「山」のイメージには、名馬の産地である山梨を思わせる躍動感あ る馬の描写が重ねあわされる(「十四」)。
でミーチャは耳を傾ける。数えきれない大小の首吊り死体の影が、その歌 に合わせて揺れる」(下157)。ミーチャは、モーナの娘であるマホンの父に 対する思いを想像する(上314)。 一方リーリーにとっては、誰かは明示されない死者が、三匹のチョウと なって夢としても現実にも登場する(「十七」)。「さっきからずっと、おば もこの場にいるような、そんな気がしています。……それに、わたしの子 どもも……」(下 99)。パイワン族の盲目の老女、ムトクトクさんは言う。 「このチョウは、死んだひとたちの声なの」(下101-2)。またリーリーが住 んでいた東京の家は、亡くなった母や子どもが自分を呼ぶ声が柱からも、 天井からも聞こえてくる。「それで、いつも耳が痛くて、全身が痛くて、ど こを向けばいいかわからなくなった」(下103-4)。このようなリーリーとム トクトクさんの「悲しみが同じ」(ヤンさんの言葉、下 169)だから、リー リーとムトクトクさんは会う運命にあったとされる。 ヤンさんとの交流を含め、リーリーが体現する脱植民的な関係性は、齋 藤純一らの言う「親密圏」の作り直しとも言える。親密圏とは、大まかに 定義をすると、顔の見える具体的な他者への配慮と関心を媒介とする親密 な関係性を言う(齋藤編 2003)。親密圏は「変容する家族」といった既存 の認識枠組みを超える動きを名づけたものであるが、リーリーが体現する 親密圏は、リビングのある家を離れて、国家に依存せず、死者をも範疇に 含み、ロマンチック・ラブとも距離を置くものである。最後のロマンチッ ク・ラブと距離を置く点であるが、それは性的なもの(セクシュアリティ) を排除するものではない。『あまりに野蛮な』のセクシュアリティの記述は、 ミーチャと明彦が織り成す近代家族の範囲内のものにまず目を引かれ、ヤ ンさんとの関係では直接は記述されていない。むしろヤンさんとの関係は、 坂元さおり(2009)が指摘するように父と娘の関係である。家族という枠 組みに捉われないセクシュアリティの豊かな描写は、津島の別の小説『山 を走る女』を参照されたい。 閉塞感と孤独、暑さと抑圧を感じ、万引きして捕まったミーチャは、マ ラリアの影響もあって、意識の中で熱い水、熱い海の底に沈みこんでいく。 その中で雲豹やキョン、熊たちとの交感が始まり、馬たちがミーチャを外 へ連れ出すべく迎えに来る(「二十四」)。その中でミーチャは自分の首を切 ってしまい、その首は三つ目の太陽となって世界を熱にさらす。ミーチャ は何者かに「この世界を、わたしたちは修復しなければ」と呼びかけられ、 命という命が焼き尽くされるように「めちゃくちゃになってしまった世界 を守る」のは自分の「責任」なのだと考える(下331)。 この小説のクライマックスは、ミーチャとリーリーが夢のような世界で
70 年の時空を越えて出会い直し、死んだ台湾人のメイメイ、モーナ・ルー ダオの妹のテワス、そしてモーナと一体となったヤンさんが合流する場面 だ(「二十四」)。これらの人々はミーチャとリーリーにとって強く心に残っ た人々だ。いつの間にかミーチャとリーリー、ヤンさんの背中には亡くな った子どもたちが、赤ん坊となって背中に負ぶわれている。女性4人と男 性1人の一行5名は、台湾原住民族の「太陽を射る話」のように、三つの 太陽を射るために歩き出す。 女性が語り直す物語 『あまりに野蛮な』における「性器に歯の生えた女性」と「うつぼ舟」13、 「太陽を射る話」のモチーフは、それらが女性とは何者かという物語の、 女性による語り直しを体現している。「性器に歯の生えた女性」の物語は、 台湾のみならず世界的に伝播し語り継がれている口頭伝承である(金関 1976)14。小松和彦(1987)はこの物語(‘Vagina Dentata’)の伝播と普及 の心理学的背景として、男性自身が男性優越的な社会支配を不安に感じ、 コントロールしきれない他者性を「自然」に近く怖ろしい女性というイメ ージに投影し、それを男性が再秩序化するものとして分析する。つまり「性 器に歯の生えた女性」の物語とは、女性について男性が語る物語であった といってよいだろう。女性性器に生えた歯は、主に男性が削るというこの 物語の内容を想起してもよい。 津島は現代の語り部として、下巻の「参考文献」に挙げられた『生蕃傳 説集』(1923 年)から分かるように、もともとは台湾「原住民」が(そし ておそらくは「原住民」男性が)語り継いできた「性器に歯の生えた女性」 の物語を、日本女性が台湾とのつながりを確認するものとして語り直して いる。『生蕃傳説集』は「生蕃」という差別的な書名からも分かるように、 佐山融吉15と大西吉壽という植民者日本人が台湾「原住民」から聞き書き編 集したものである。このように受け渡されてきた台湾「原住民」の物語を、 ミーチャ=津島の日本人女性が、女性とは何者かという新しい「私たち」 の物語として、語り直しているのである。同じく、台湾先住民族の説話で ある「太陽を射る話」も語り直されている。語り直された点は、「太陽の巣 に向かうのが屈強な青年たちではなく、ひとりの男と、年齢もばらばらな、 病弱なミーチャとメイメイを含んだ四人の女たち」であることだ(下345)。 13 「うつぼ舟」は古代より日本と東アジアに伝わる話で、何者か(しばしば女性である) が密封された小舟に閉じ込められて流されるモチーフを持つものである。 14 この説話と金関論文についてご教示いただいた山田仁史氏に感謝します。 15 臨時台湾旧慣調査会「蕃族科」(1909年設置)の補助委員を務め、『蕃族調査報告書』 全8巻(1913-21年)の執筆に当たった人物である(日本順益台湾原住民研究会編 2001: 241-2、山室 2005: 127を参照)。
日本人男性がコロニアリズムとジェンダーを正面から扱った小説を批評 するという行為は、批評する自らを対象と切り離して遠隔操作的に行なえ るものではない。とすれば、自らの子の生誕と喪失という経験のない男性 日本人である私が、津島の「女性が語りなおす物語」を更に語り直す意味 が新しく生じてくる。このテーマを、子を失った経験を持つ「女だけのこ と」として、自分と切り離して対象化しないということにつながるのだ16。 この小説を味わいこの文章を書く中で、私もミーチャとリーリーの痛みを 想像し、そして「母の記憶」、「父の記憶」と私というテーマが、明確に私 の中に浮上してきている。それは私を、父と母との関係において新しく作 り直してくれるような力をはらむものだ。 読者が最後にテキストを読んでいるように見えながら実は「次の受け手 のためにそれを読まされている」と言うのは、津島の別の長編小説『火の 山』を読む山本亮介(2005)であるが、それは『あまりに野蛮な』にも通 じるものだ。津島、ミーチャ、リーリーの痛みは、霧社事件や日本の台湾 原住民族に対する暴力を想像する行為と平行して、更に私自身の家族史の 痛みが到来する中で、私に分有される。私は脱植民化運動の中にありなが ら、この物語を新しく読者に向けて語り直すのである。 5.当事者の立場からの記述の運動、読みの運動:脱植民化のスタイル 台湾原住民族への日本による植民化の原因として中村勝の研究から、資 本と国家のつながりのメカニズムとしてまとめた。次に、植民化という暴 力が起こってしまった後の対処として、舞鶴の小説を取り上げ、心の平静 を求める「遡行の旅」と、国家による顕彰を拒む形の「余生の碑」のあり 方を見た。津島佑子の小説からは、台湾原住民族に限らず広く流布する神 話イメージに乗りながら、国家に捉われた家庭をひとまず離れ、民族と生 死の分断を乗り越えるイメージを持つ親密圏の再構築のあり方を見た。 舞鶴はシラヤという平埔族を出自と認識し、国民軍の暴力を見すえ、自 らの痛みを感じながらフィールドワークを行い、「平地人―山地人」という 権力関係を突きつけながら霧社事件の「余生」を書いた17。津島は、国家に 承認を求めることのない家族のあり方、そして子どもを失うという痛みの 16 ノンフィクション作家の久田恵は『あまりに野蛮な』の書評(2009)において、死者 を背負って生きる女性の痛みを描く「この小説を理解できる男なんかいるのだろうか」、 「ミーチャの痛みとリーリーの痛みが重なり、そして、女であるところの私の痛みへと 連なっていく」と言っている(書評はasahi.comの「書評」欄に掲載されている)。 17 舞鶴は、自己アイデンティティを台南生まれの「台湾人」(『余生』にある紹介による) としている。『余生』中には「私は平へい埔ほシラヤ大漢人」とも書いている(133頁)。また 小説の冒頭に、自らの兵役経験と、「軍隊に去勢された」その衝撃、国家と軍隊の起源 と意味について思考を促されたと書いている(43頁)。
経験を見すえ、霧社事件の暴力の想像を行なった。 川中島集落に住み始め、調査と研究と記述を始めた舞鶴に強烈な一言が 投げかけられる。「娘さん」のいとこの女性の発言だ。「あんた何の研究に 来たのさ?」「あたしら先住民はこんなに少なくて小さくて、何を研究しよ うってのさ、あんたら漢人こそ研究したほうがいいんじゃない?」「偉大な る漢民族(大漢ダ ー ハ ン)をちゃんと研究しなさいよ」(50-1 頁)。集落の人からの こうした発言を書き込むことにより、漢民族の小説家であり、事件を研究 する者という舞鶴の立つ位置が明確に示されることになる。舞鶴は、その ようにはっきりと言われるまで、「われわれ」漢人が研究の対象になること をすこしも想像しなかったこと、「弱小エスニック・グループ」を研究すれ ばよいという気持ちを抱いて山にやってきたことを告白する。 このように舞鶴と津島佑子はそれぞれが自らの立場を見すえ、また台湾 原住民族との関係の中で自らの立場を認識させられ、記述を深めている。 こうした記述のスタイルは、当事者の立場から自らが関係した歴史へ肉薄 するものである。痛みに寄りそうような記述を厚くしていくことにより、 暴力をポルノグラフィカルに描くのではなく、暴力を緩和し、癒されるこ とを念頭に置きつつ記述を実践していく。このような記述の運動こそが脱 植民化の重要なスタイルなのであり、それは読む側の読みの運動に様々な 喚起を引き出しつつ連動してくるものである。 日本人と中国人はナショナリズムに縛られてきた主体であり、そうした 主体にとって脱植民化は、同化政策の中で暴力を含めた経験をしてきた台 湾原住民族を理解しようとすることだろう。舞鶴と津島佑子の小説は、そ うした台湾原住民族の経験に対して自らの立ち位置を見すえ、生き残され た生と野蛮の想像から理解を試みるものである。台湾原住民族をとりまく マジョリティにとっての脱植民化は、このような台湾原住民族の経験を想 像することと、資本と国家の関係によりなされてきた植民化のメカニズム を追究していくことの、双方を統合する地点にある。
引用文献
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Studies on the Pacific Coast (ASPAC) 2010.6.18.(Portland State University)での報告と重複しています。