第 1 章 萬葉集ホトトギス歌と望帝の故事
1.2 中国古典のホトトギス
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「卯の花」
(6) 皆人の待ちし卯の花散りぬとも鳴くほととぎす(霍公鳥)我れ忘れ めや
(八・1482)
「橘」
(7) 橘は常花にもがほととぎす(保登等芸須)住むと来鳴かば聞かぬ日 なけむ
(十七・3909)
当該歌のホトトギスは、いま確認してきた夏の季節感とは無縁の詠まれ方 をする例である。既述のとおり、そうした当該歌のホトトギスに関して先 行研究は、中国古典における望帝の故事との関連を指摘している。そこで 次節では、望帝の故事を中心に、中国古典におけるホトトギスの表象を概 観する。
1.2 中国古典のホトトギス
はじめに、望帝の故事に先立つ『楚辞』(春秋戦国)の例を見る。
(8) 恐鵜鴃之先鳴兮 使夫百草為之不芳 (『楚辞』「離騒」)
(8)で「鵜鴃」とあるのがホトトギスのことである。中国古典のホトトギ スは「杜鵑」と記されることが多いのだが、この場合、そうなってはいな い。また、ここでのホトトギスは、望帝の故事との関わりを持たないのは
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もとより、後世の例に見出されることのある「懐旧」や「恋愛」といった 性格も認められない。(8)におけるホトトギスは、鳴くと草花を散らせて しまう鳥と見なされ、むしろ恐ろしい鳥というイメージが持たれていたわ けである。
次に、望帝の故事に関して、中国北宋に編纂された『太平御覧』の「剣 道南」の記述を確認しておく2。
(9) 揚雄《蜀王本紀》曰:(前略)后有王曰杜宇,出天墮山;又有朱提氏 女名曰利,自江源而出,為宇妻;乃自立為蜀王,號曰望帝,移居郫邑。
(10) 《十三州志》曰:(前略)時巫山壅江,蜀地洪水,望帝使鱉冷鑿巫 山,治水有功。望帝自以德薄,乃委國禪鱉冷,號曰開明。遂自亡去,
化為子規,故蜀人聞鳴曰:「我望帝也」。
このような望帝とホトトギスの関わりが作品の中に見出される例として、
鮑照の作「擬行路難」(魏晋南北朝)が挙げられるのだが、そこには「杜鵑」
という語が現れてもいる。次の(11)を見られたい。
(11) (前略)中有一鳥名杜鵑 言是古時蜀地魂
聲音哀苦鳴不息 羽毛憔悴似人髭(後略) (「擬行路難」)
2 『太平御覧』に引かれる『蜀王本紀』(前漢)及び『十三州志』(北魏)の原典は散逸 している。
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孫(2014)が述べるとおり、この(11)では、ホトトギスが「失意した天 子の喩」とされているのである。
一方、李商隠の詩「錦瑟」(晩唐)は、より積極的に望帝の故事を取り入 れたものである。
(12) 錦瑟無端五十弦 一弦一柱思華年
莊生曉夢迷蝴蝶 望帝春心托杜鵑(後略) (「錦瑟」)
見られるとおり、ここでは、望帝がホトトギスと化したことが正面から述 べられているわけである。さらに、下に引く白居易の『琵琶行』(中唐)に も望帝の故事が援用されている。
(13) (前略)住近湓江地低溼 黃蘆苦竹繞宅生
其間旦暮聞何物 杜鵑啼血猿哀鳴(後略) (「琵琶行」)
(13)の場合、「ホトトギスが血を吐く」という発想も盛り込まれているこ とは、確認されるとおりである。
1.3 萬葉集ホトトギス歌と望帝の故事
本節では、望帝の故事と萬葉歌の関連について確認していく。「序論」第 4 節で確認したように、身崎(1989)は、萬葉集の和歌において望帝の故 事が喚起するイメージは「先帝追慕」ということに限られ、「懐旧」一般へ
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と通じていくものではないと述べている。次に身崎(1989)の述べるとこ ろを引いておく。
しかし、後代はともかくとして、萬葉時代にあっては、望帝杜宇の故 事がただちに「懐旧」を想起させる、といた強固なむすびつきはなか ったのではないだろうか。
また、高桑(2008)は、石上堅魚と大伴旅人の贈答を考察したものであ るが、そこにも萬葉歌におけるホトトギスと望帝の故事に関する言及が見 られる。次に、その石上堅魚と大伴旅人の贈答を引く。
(14) ほととぎす(霍公鳥)来鳴きとよもす卯の花の共にや来しと問はま しものを
(八・1472)
(15) 橘の花散る里のほととぎす(霍公鳥)片恋しつつ鳴く日しそ多き
(八・1473)
(14)は大伴旅人の妻である大伴郎女が病で没し、その喪を弔うために勅 使として派遣された石上堅魚が詠んだもので、(15)は、その(14)に対す る大伴旅人の返歌である。高桑(2008)はこの贈答を論ずるにあたって、
次のように指摘している。
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ここで注目されるのは、蜀魂の鳥ホトトギスを詠むことで「死者追慕」
を歌ったのは、旅人の②(引用者注:本研究での番号は(15)である)
が最初らしいということである。蜀魂の鳥として初めてホトトギスを 詠んだ額田王の歌では、ホトトギスにより「先帝追慕」が表現されて はいたが、それを「死者追慕」と言いかえることはできないだろう。
(中略)旅人の試みは、蜀魂の鳥ホトトギスを「先帝追慕」を表象す る鳥から「死者追慕」を表象する鳥へと転換することで、新たな死者 追慕の歌い方を創出する試みともなっていたのである。
萬葉歌のホトトギスの表象に「死者」一般への追慕という性格がもたらさ れたのは、大伴旅人の創意によるのであって、当該歌におけるホトトギス は、あくまでも「先帝追慕」の文脈の中にあると述べるわけである。
さらに、萬葉集ホトトギス歌と、それより後のホトトギス歌とを比較し た孫(2014)には、次の言及が見られる。
和歌におけるホトトギスの歌は、『萬葉集』に始まり、懐旧の鳥・恋の 鳥・賞美される鳥として詠まれたが、『古今集』を経てそのイメージは 一変し、悲哀な色に染められ、さらに、生と死の世界の通い使者とし て詠まれ、悲痛な鳥として後の世に伝承されてきた。
つまり、ホトトギスの表象という点では、萬葉の時代と古今以降との間に 分水嶺がある。萬葉集のホトトギス歌は、総体として、まだ「死」のイメ
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