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対照的な関係を持つもの

在文檔中 立 政 治 大 學 (頁 52-55)

第 3 章 名詞修飾のラム

3.4 用例分析

3.4.1 対照的な関係を持つもの

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が、「現在」は「現在」であるもののことを「非アクチュアルな現在」と呼 ぶわけである。

以上をふまえると、(27)のラムは「非アクチュアルな現在」に対応して いることにはなるだろう。けれども、この「非アクチュアルな現在」とは

「超時」と何が違うのであろうか。(27)に即せば、「波が立つ」という事 態は時間の区別なく生ずるものであるから、「超時」の事態とも考えられよ う。そして、先に確認したとおり、この「超時」とは、ラムではなくムが 担うはずの時間である。このように、ラムが「現在対象」を担うと考える なら、その「現在」は「非アクチュアルな現在」を含まざるをえない。け れども、その「非アクチュアルな現在」は、ムの領分である「超時」との 異同が不明瞭である。ラムを「現在対象」という観点で論じるためには、

この問題を解決する必要があると考える。

3.4 用例分析

以下、本節では、萬葉集における名詞修飾のラムの振る舞いを「伝聞」

「推量」に捉われぬ観点から分析していく。なお、萬葉集の名詞修飾のラ ムの用例数は 50 例であった。

3.4.1 対照的な関係を持つもの

本研究が名詞修飾のラムを観察したところ、ラムを含んだ述語で修飾さ れている名詞の指示対象(以下、煩瑣を避けるため「ラムが修飾する対象」

と称する)には、詠み手との間に対照的な関係を持つものが認められた。

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ここで対照的な関係というのは、一方においてはある事柄が成り立つもの の、他方においてはそれが成り立たないという、肯定 / 否定の差異が生じ る関係のことである。このことを確認するために、先の(26)を再掲する。

(26) あさもよし紀人ともしも真土山行き来と見らむ(良武)紀人ともし も

(一・55)

(26)は「ともし」とあるように、詠み手は真土山を見ることができない。

それに対して、「紀人」はそれを見ることが可能である。このように、ラム が修飾する対象である「紀人」は、詠み手との間に、「真土山を見る」こと が成り立つ / 成り立たないという差異を有している。本研究では、そのよ うな関係のことを対照的な関係と呼ぶわけである。

(27) 大き船に立つらむ(良武)波は間あらむ君に恋ふらくやむ時もなし

(十一・2741)

再び引いた(27)は、詠み手の恋は合間がないのに対して、ラムが修飾す る対象である「立つ波」は合間があるということを詠むものである。即ち、

「合間がある」ことが成り立つかどうかという点において、「立つ波」と詠 み手は対照的な関係を結んでいる。

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ところで、先にも確認したとおり、(26)の名詞修飾のラムは「推量」と いう理解を可能としていたが、一方の(27)は、その名詞修飾のラムを「推 量」と解釈することはできなかった。名詞修飾のラムに「推量」という意 味を前提するなら、(26)と(27)の間には、このような相違点が生じてく るのだが、「推量」の観点を離れれば、両者は、詠み手とラムが修飾する対 象とが対照的な関係にある、という共通の性格を見出されることになるの である。これら(26)、(27)の他にも、その類例を一つ挙げておくことと しよう。

(29) 相思はずあるらむ(良牟)君を怪しくも嘆き渡るか人の問ふまで

(十八・4075)

(29)の詠み手は、「君」への恋情を持っているのに対して、「君」の方は 詠み手に恋してはいない。したがって、詠み手と、ラムが修飾する対象と の間には、対照的な関係が認められるのである。

以上、ラムが修飾する対象は、詠み手との間に対照的な関係を構成して いることを確認した。しかし、このような性格は、名詞修飾のラムすべて から認められるわけではない。次節では、そうした対照的な関係が見出さ れない例を見ていく。

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