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第一章 序論

二、 先行研究

き出している。近代化問題に着眼する二人の作家は、果たしてどのように国民 国家統合とそれに伴った近代化の問題を作品と文芸的関心に反映しているかが 興味深い。

二、 先行研究

先行研究について、まず近年行われてきた漱石と張文環の比較研究を検討し てから、研究動機に沿って漱石研究と張文環研究においてまだ提起されていな い研究の方向を提示していきたいと考えられる。

(一)夏目漱石と張文環の比較研究への検討

李郁蕙「「未亡人」の家―日本語文学と漱石の『こゝろ』」は、漱石の『こゝ ろ』と張文環の「父の要求」を「父権回復」11傾向で繋げ、明治天皇に忠心な父 から離れる青年の「私」のことを描き出した『こゝろ』と、「未亡人の家」から 離れる被植民者の青年の陳有義のことを描き出した「父の要求」の内容を、「子

=「個」」、「「家」を土台とする天皇制・家父長制国家が崩壊へ傾く過程」、「植 民地支配に乗り出した時代が破綻に向う」象徴として捉えている12。しかし、そ の論説は、『こゝろ』における「明治の精神」と殉死の意義に対する説明が不十 分なまま、象徴義で家族国家観を反対する作品として直結してしまった。また、

「父の要求」における陳有義の帰郷後に郷里に向けた視線の意味と父との関係 という作品の核心なところも討論していない。家父長制国家の問題から両作家 の作品の接点を論じるには、作家の全体の思想の本質をつかまえてから論じた ほうがいいではないかと考えられる。

11李の論述では勝又浩「明治文学と父の消去、父の復権」((「国語と国文学」1988.08)『夏 目漱石反転するテクスト』有精堂,1990.04,P108)を参照している。勝又浩は、四迷の

『浮雲』、鷗外の『舞姫』、漱石『三四郎』における父権崩壊と立身出世主義から新父権再 建の失敗を見、漱石の『それから』、志賀直哉『児を盗む』、『暗夜行路』に至る父子対立と 新父権の建立を日本近代文学の鉱脈として提示している。

12李郁蕙「「未亡人」の家―日本語文学と漱石の『こゝろ』」『日本研究』31 集,2005.10,

P143-158

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第十二期, 2008.06,P5-26

14蕭幸君「<知>の覇権へのまなざし―漱石『虞美人草』と張文環『芸妲の家』を中心に―」

『越境する漱石文学』思文閣,2011.03,P57-116

15平岡敏夫「「虞美人草」論」(『漱石序説』1976)『漱石作品論集成第三巻 虞美人草・野分』

桜楓社,1991.07,P98-106

16大久保典夫「『虞美人草』論ノオト」(『作品論夏目漱石』1976)『漱石作品論集成第三巻 虞 美人草・野分』桜楓社,1991.07,P98-106

17磯田光一「『虞美人草』の文脈」((「ユリイカ」9 巻 12 号 1977『漱石作品論集成第三巻 虞 美人草・野分』桜楓社,1991.07,P107-109)は、「藤尾の自殺には、濃厚な「近代」の影 がある」、「「道義」は現実に立脚しつつ、なお個人の恣意性を抑制することによって成立し うる社会の掟の原型である」と指摘した。

18張文薫『植民地プロレタリア青年の文芸再生―張文環を中心とした『フオルモサ』世代の 台湾文学―』(2005,P86-98)では、「芸妲の家」を論じるに当って、養女制度に対する張 文環の批判を、「老娼撲滅論」、「救はれぬ人々」などの評論に関連付けて論証している。

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代化批判の比較も、日本対西洋よりももっと広い視点で行ったほうがいいと考 えられる。

以上、比較研究を検討してきたところ、国民国家統合とそれに伴った近代化 の視点で漱石と張文環を比較する研究が、まだなされていないと観察できる。

では、個別研究においてはどうだろうか、次項で検討していきたいと考えられ る。

(二)、漱石研究と近代化社会に対する漱石の批判

生卒年がほぼ明治時代と重ねた夏目漱石(1867~1916)は、明治維新の改革 で没落した江戸の旧名主の家に生まれ、近代新式学校19で教育を受け、英文科を 志望して公費留学で渡英し、文学者になる道を歩み、明治社会の近代化問題を 批判することで、「文明批評家」として評価されてきた。

近代化社会に対する漱石の批判は、金銭至上と実利主義観を諷刺する『吾輩 は猫である』(明治 38.1~8「ホトトギス」)、「黄白万能主義を信奉するの弊」20 を打倒しようとする白井道也を造形した『野分』(明治 40.1『ホトトギス』)、実 利主義の叔父を造形した『こゝろ』(大正 3.4.20~8.11 同)によって、まず金 銭批判と実利主義批判の一面として認識されてきた。その上で、平岡敏夫「「虞 美人草」論」が、『虞美人草』(明治 40.6~10「朝日新聞」)を物質と徳義との対 置を表現した「文明批評小説」21と指摘し、大久保典夫「『虞美人草』論ノオト」

が、さらに「利害(「文明」)が「道義」(過去)に敗れる物語なので、そこに漱

19漱石は、東京新設立の戸田小学校に入学(明治 7 年)、市が谷学校の下等小学校に転校(明 治 9 年)した。東京府第一中学校正則科に入学した(明治 12 年)が、英語がないために退 学し、漢学塾二松学舎に入学(明治 14 年)、のち退学(明治 15 年)して成立学舎に入学(明 治 16 年)した。英語を学びながら大学予備門予科(明治 19 年に第一高等中学校と改めら れた)に入学、それから高校は、第一高等中学校本科第一部に進学(明治 21 年)し、英文 科を専攻していた時、同級生の米山保三郎に文学の道を薦められ、英文科を志望し、文学 者になる道を歩みだした。それで、大学は帝国大学英文学科に入学(明治 23 年)した。(石 井和夫「漱石伝記事典」(三好行雄編『夏目漱石事典』(二版)学燈社,1992,P10-32)を 参照。)

20夏目漱石『野分』新潮文庫,2007,P93

21平岡敏夫「「虞美人草」論」(『漱石序説』1976)『漱石作品論集成第三巻 虞美人草・野分』

桜楓社,1991.07,P98-106

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石の「文明」批判がある」22と『虞美人草』の実利主義批判の意図を明示したこ とで、漱石の実利主義批判と近代化批判の繋がりが認識されてきた。

中村光夫「文明開化の性格」では、漱石の「現代日本の開化」(明治 44 年和 歌山での講演)に提起されている「外発的」開化の不安の根本を、「近代社会の 成立による人間の欲望の拡充、それに伴ふ功利主義、といふよりむしろ功利的 な人生観の普遍化、道徳の人間主義化または弛緩」23と分析し、西洋化と功利主 義と対置する漱石の近代化批判を提起した。それと関連して、熊坂敦子「反近 代・日本の漱石」は、『草枕』(明治 39.9~40.1「新小説」)における俳句と写生 文の要素と、自然没入、漢詩趣味や古典趣味を指摘し、『草枕』を「理想郷」を 追求する作品として捉えた上で、イギリス留学で西欧に対して挫折感を抱き、

「利己や自閉に陥って「外発的」であった脆弱さ」に気付いて、「非功利的な、

脱俗世界への郷愁」24を発展したと、漱石の文芸意識を捉えた。平川祐弘『夏目 漱石―非西洋の苦闘―』も、『草枕』を「反文明」、「反西洋としての東洋」を表 現する俳句的小説25として捉え、その他の作品も西洋との対置の流れにおいて論 じた。また、越智治雄「漱石と文明」は、『夢十夜』(明治 41.7~8 東京・大阪

「朝日新聞」)の第七夜における乗船の不安を、西洋に向う不安、「皮相上滑り の開化」の裏に「生存競争から生ずる不安や努力」26と捉えた。それらの先行研 究を通して、漱石の近代化批判は西洋との対置が深く印象付けられてきたと観 察できる。

一方、吉田孝次郎「漱石三部作の世界」は、『三四郎』(明治 41.9~12「朝日 新聞」)に描かれている九段の燈明台と偕行社の共存現象を、「新旧文化の無秩 序状態」27だと指摘し、越智治雄の前掲論文も、『三四郎』と『それから』(明治 42.6.27~10.14「朝日新聞」)に描かれている都市化現象に関して、物質文明の

22大久保典夫「『虞美人草』論ノオト」(『作品論夏目漱石』1976)『漱石作品論集成第三巻 虞 美人草・野分』桜楓社,1991.07,P98-106

23中村光夫「文明開化の性格」(「文学界」1944)『日本文学研究資料叢書 I 夏目漱石』有精 堂,1990,P60

24熊坂敦子「反近代・日本の漱石」『解釈と鑑賞』40(2)1975.02,P25-32

25平川祐弘『夏目漱石―非西洋の苦闘―』(第 2 刷)講談社,1993,P342

26越智治雄「漱石と文明(一)」『解釈と教材の研究』17(13)1972.10,P182-188、「漱石と 文明(二)」『解釈と教材の研究』17(14),1972.11,P172-178

27吉田孝次郎「漱石三部作の世界」(「文学」1945)『漱石作品論集成第五巻 三四郎』桜楓 社,1995,P17

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発展の圧迫感と新旧交錯の矛盾28を提起することによって、物質文明を中心に発 展する明治の近代化に対する漱石の批判のまなざしを示した。その上で、高橋 和己「知識人の苦悩」は、近代人における実利追求の偽善性及び、作中に提起 された大逆事件、大倉組と日糖事件に見られる「日本資本主義の矛盾の激化」29 を指摘し、代助の造形を「国家的規模においては一応成功した近代を内部批判」

するインテリと捉えた。粂田和夫「『道草』論」は、『道草』(大正 4.6.3~9.14 同)に描かれている人生問題について、「健三の周囲の人々、半封建的な土壌か ら抜けきれず、近代資本主義の苛酷な金利、功利主義にからめとられていく姿 をも照射しているのである」30と論じ、資本主義のもたらした実利主義の問題を 提起した。明治社会における資本主義の発展という視点で漱石の作品を解読す る稀な作品論である。

飛鳥井雅道『近代文化と社会主義』は、さらに『明暗』(大正 5.5.26~12.14 同)における植民地落ちの小林の造形を、「見栄と意地のかっとうが前面に浮き

飛鳥井雅道『近代文化と社会主義』は、さらに『明暗』(大正 5.5.26~12.14 同)における植民地落ちの小林の造形を、「見栄と意地のかっとうが前面に浮き

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