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本研究は、明治社会と台湾植民地社会に影響を与えた国民国家統合とそれに 伴った近代化に批判的な時代思潮の一端を示すために、明治社会と台湾植民地 社会に影響を与えた国民国家統合とそれに伴った近代化に対する漱石と張文環 の批判と文芸思想の本質を探求し、両作家の文芸思想の接点を提示してきた。

以下、本研究の解明を纏める上で、これからの課題を提示していきたいと考え られる。

一、社会と作者の繋がりから作品に体現される文芸思想を読み取る

日本帝国による国民国家統合は、明治社会にとって植民地にされないために 上から国内の自由民権を抑制され統制を図られた近代化の歴史である一方、台 湾植民地社会にとって、民族意識と関連するため、自由民権の抑制の上で、略 奪、統制、アイデンティティの混乱をもたらした悲惨な歴史である。そういう 植民と被植民の立場の違いが事実として横たわっていながら、社会の激変に息 づく人々の生活が事実として存在し、その中から国民国家統合とそれに伴った 近代化を批判する思想が生れている。

今までの漱石研究は、漱石の近代化批判と父権体制への提起に触れているが、

漱石がなぜ資本主義と父権体制の問題を探求し、独自の「個人主義」に辿り着 いたか、その関連性を明示していない。実際に『草枕』は、日露戦争の直前を 時代背景とし、日清戦争後の社会小説の流れを汲み、画工の理想への追求と現 実の認識を通して、資本主義と父権体制への批判を国粋主義への批判に関連さ せている。『三四郎』は、急激な近代化でもたらした都市化と物質文明の発展、

及び日露戦争後の社会情景、知識人の文明憧憬の崩壊への描写を通して、資本 主義の発展でもたらされた物質文明を示す「新しき西洋」と、父権体制と家族 国家観の結合を示す「古き日本」の概念を提示し、国民国家統合に伴った近代

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化を発展した明治社会の思想的問題を探求している。『それから』は、国家資本 主義の発展と関わる父権体制に対する批判を示し、子の姦通心理による反抗を 描き出した上で、国家権力によって握られていた資本主義の発展という時事の 要素と、政治的不安を反映する文学的要素と結びつくことによって、資本主義 と父権体制の結合で推し進められている国民国家統合とそれに伴った近代化の 全体主義の傾向を批判している。『こゝろ』は、手記と遺書を構成として、資本 主義と父権体制に閉じ込められた青年の「現代思想の問題」に関する問いと、

明治維新の啓蒙精神に根源し社会体制の束縛を打破しようとする「明治の精神」

への「先生」の殉死による答えを描くことを通して、国民国家統合とそれに伴 った近代化に対する漱石の作品表現による批判の到達点を示し、そして資本主 義の発展と関わるブルジョア階級に金力の使用を戒め、国粋主義の封建性に対 した批判を示した漱石の「個人主義」に繋がっている。

張文環研究は、張文環の作品における近代化問題の反映をその反植民意識に 繋げてきたが、植民地の生活現実を描いている非戦争協力の作品に関して、国 民国家統合の視点で切り込む体系的な研究が見られない。「父の要求」は、「転 向文学」の題材を借りて、「階級と親子間との間の問題」に対する主人公の思考 を描き出し、それによって、資本主義と物質文明を中心とした日本帝国の国民 国家統合の中の近代教育の価値観、及び家族国家観に従属した父権体制の問題 を照らし出している。「過重」は、地方主義文学の発展を背景として、近代学校 の掲げた物質文明と立身出世の価値観に憧憬した子供が、植民者の経済略奪に 遭わされた農婦の母のことを見詰めて立身出世の価値観が崩壊し、父の喪失の 現実に意識したことを描き出すことを通して、資本主義と日本帝国による国民 国家統合の価値観に呑み込まれ、主体性を喪失した台湾植民地社会の現実を照 らしている。『山茶花』は、植民地の人間の生活現実を反映する張文環の文芸理 念に基づき、台湾植民地社会における国民国家統合の傾向を反映しながら、資 本主義の侵入と父権体制の残存といった社会環境の問題を描き出し、そこに安 住できない知識人の東京進出によって反動の可能性を仄めかしている。「閹雞」

は、資本主義のもたらした実利主義と父権体制の封建性の残存が結合して人間

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に対する支配性が形成した社会環境と、道徳規範の打破をもってそれに反抗す る主人公の闘いと苦痛を描き出すことによって、資本主義による植民地支配を 隠蔽しようとし、家族国家観を唱える皇民化の価値観という創作背景に関連し、

国民国家統合に対する反抗意識を仄めかしている。「本島人の青年は封建的家庭 と個人主義的な社會の雰圍氣に惱まされ」ていると述べた張文環の考えていた

「個人主義」の意義は、単に資本主義で喚起した利己主義ではなく、むしろ国 民国家統合と被植民者の間の問題と結びついている。

漱石と張文環は、近代化社会の問題を見詰めながら、リアリズムの手法を確 立していくとともに、明治社会と台湾植民地社会に横たわる国民国家統合とそ れに伴った近代化の時代性をもっとも敏感に文学作品に反映している。本研究 は、資本主義の発展と父権体制の残存を典型的事象として国民国家統合とそれ に伴った近代化から抽出している。研究対象とした漱石と張文環はまさにその 典型的事象を批判する思想形成の典型として観察できる。この観察で生まれる 課題は、おそらく同事象に繋がるほかの作家の文学や思想家の共時的と通時的 研究であると考えられる。

二、「読者」を繋げる作品、作品で繋がる作者の思想

文学社会学は、作者の見つめる社会問題がいかに文芸作品に反映するかを探 求する一方、作品がどのように一定の時空の読者によって受け入れるかも観察 する。本研究は大衆読者と作品市場の関係を観察する文学社会学の研究上の展 開と異なり、研究対象となった漱石と張文環がいかに「読者」として、長塚節 の『土』と島崎藤村の文学に対する文芸的関心を示し、その文芸思想と関連し ていくかを観察してきた。

漱石は国家資本主義を中心とした明治社会の近代化を憂慮した上で、都市の 繁栄と農村の貧困の対比に意識し、長塚節の『土』の文学的価値を認めていた。

そして、漱石の文学だけでなく、近代化批判意識を表した「『土』序」の内容も、

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日本の国家資本主義の発展で呑み込まれた台湾植民地社会を憂慮し、『土』を愛 読した張文環によって意識されていた。島崎藤村の文学に関しては、漱石は父 権体制の封建思想の問題に直面した『破戒』のリアリズムの文学精神を賛美し、

のちの創作でも父権体制の残存と国粋主義の問題を提起したり批判したりして、

独自の「個人主義」に辿り着いた。一方、藤村文学への張文環の関心は、帝政 批判に繋がる封建階級への批判意識と、作品によく取り上げている父権体制へ の批判に繋がっている。漱石と張文環のそういう共通な文芸的関心は、人道主 義の同情深い視線を流露し、それぞれ国民国家統合とそれに伴った近代化を批 判する文芸思想の展開に繋がることによって、両作家の文芸思想の接点を示し ている。

漱石は、心理学と社会学の理論を応用した『文学論』の中で、文学社会学の発 端となったスタール夫人の交友圏で形成した「時代思潮(Zeitgeist)」という 言葉を「通語」として「社会進化の一時期における F」で指し示し、それが個人 の「一刻の意識における F」の集合によって形成されていると説明している290。 その理論を借りて例えれば、国民国家統合に対する漱石と張文環のそれぞれの 批判を個人の「一刻の意識における F」だとしたら、長塚節の『土』と島崎藤村 の文学への関心のほかに、明治三十年代に流行していた社会小説の流れを汲み、

制度上の道徳を打破するイプセンを賞賛し、ロシア革命に同情的な文学者アン ドレーエフの文学に関心していた漱石と、帝政批判のプロレタリア活動に参加 し、『フォルモサ』の階級批判の理念を引き継ぎ、植民地の現実を描き出す地方

制度上の道徳を打破するイプセンを賞賛し、ロシア革命に同情的な文学者アン ドレーエフの文学に関心していた漱石と、帝政批判のプロレタリア活動に参加 し、『フォルモサ』の階級批判の理念を引き継ぎ、植民地の現実を描き出す地方

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