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夏目漱石と張文環の文芸思想の接点――近代化社会の父権制度・資本主義をめぐって

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(1)

國立臺灣大學日本語文學系 碩士論文

Graduate Institute of Japanese Language and Literature College of Liberal Arts

National Taiwan University Master Thesis

夏目漱石と張文環の文芸思想の接点――

近代化社会の父権制度・資本主義をめぐって The link of literary thoughts between Soseki Natsume and

Wenhuan Chang

-on the patriarchy and capitalism of modernizing society

吳勤文 Ching-Wen Wu

指導教授:范淑文 博士 Advisor:Shu-Wen Fan, Ph.D.

中華民國 104 年 1 月

January, 2015

(2)

i

謝辭

高三時在升學考試的壓力下讀了《心》。故事的張力、人心的寫實和我對「明 治的精神」的無知,帶給了我一個喘息的空間。如果沒有那份喘息,也不會有這 篇論文的產生。

感謝在政大日文系學習日文的過程中特別幫助我的吉田妙子老師,也感謝大 學期間獲得交換學生的機會得以在宇都宮大學接觸近現代文學賞析的課程。

在台大日文所,指導教授范淑文老師輕鬆活潑的課堂,讓不擅與人交際的我 得以學習與他人做文學交流;老師特別重視人際關係連結的研究視點,不管是在 我的人生或是研究上都有很大的啟發。感謝御茶水女子大學提供的發表機會和范 老師的照顧,而在尋找論文研究方向時,老師也在忙碌之中指點我換過兩次題目,

每次的指點都幫助我突破研究和論文寫作上的盲點,提供了許多的建議和修正。

在我遭受挫折的時候老師也鼓勵我繼續前進,這一路走來有許多畢生難忘的回憶,

非常感謝老師的指導和幫助。

特別感謝我的三位口試委員,范淑文老師、黃錦容老師、黃翠娥老師。范淑 文老師特別指點了我在漱石研究方面以及論文整體結構上的問題,黃錦容老師在 提案及口試時針對近代化的概念對我的論文提出了很有益的批判,黃翠娥老師在 百忙之中一字一句細心閱讀我的論文,並在文本比較和論文主題的統一性上提供 了許多寶貴的意見。而在口試後修改論文的期間,為了探討論文的核心議題,我 在整體架構上做了很大的更動,並導入了其他的研究方法,在此將負起全部的責 任提出這篇論文。

日常學習方面,感謝陳明姿老師、太田登老師、米山禎一老師、林慧君老師、

朱秋而老師、徐興慶老師、辻本雅史老師、謝豐地正枝老師、林立萍老師、曹景 惠老師、洪瑟君老師、黃郁涵老師,於課堂上的啟發、鼓勵及生活上的關心。感 謝日文系系辦在課務上的諸多協助,以及擔任日文課程助教時,彭誼芝老師、李 欣倫老師、許惠晴老師、張鈞竹老師對論文進度和生活上的關心。感謝有機會透 過課程或研討會和川合康三老師、平岡敏夫老師討論漱石文學,並感謝林姿瑩學 姐介紹我幫忙垂水千惠老師翻譯論文以及平時的照顧。感謝各位學長姐、同學、

學弟妹在課業、日常生活上的提攜幫助和關心,並感謝侯紀安同學、徐廷瑋同學、

曾婧芳同學一直以來的支持鼓勵和陪伴。感謝好友洪思綺老師熱心幫我修正英文 摘要,以及好友景涵、昱丹、珮瑜、筱筑的陪伴。

最後,感謝我的父母和兄弟,因為有他們的援助和關懷,我才能在豐富的學 習生活之中完成這篇論文。願這篇論文是到訪漱石墓前未放上的那朵百合花。

(3)

ii

要旨

日本明治時代の近代化経験は、植民地時代の台湾に取り入れられていた。国 民国家統合に伴った近代化の中で、明治社会と台湾植民地社会は、日本帝国の 国家資本主義と家族国家観から影響を受けていた。

そういう社会体制のもとで、明治時代の「文明批評家」の夏目漱石は、作品 において資本主義と父権体制の問題を提起している一方、近代化の明治社会を 観察した結果、「国家」の概念と対置する「個人主義」の考えに辿り着いた。一 方、「植民地作家」の張文環は、日本帝国に対抗する反植民意識を抱きながら、

作品の中で近代化の中の台湾植民地社会の資本主義と父権体制の問題を描き出 している。その上で、両作家とも長塚節の『土』と島崎藤村の文学に対して関 心を持っている。

本研究は、文学社会学の方法に基づいて、漱石と張文環の文芸思想の本質を 探求し、両作家の共通な文芸的関心を通してその近代化批判と文芸思想の接点 を提示する。漱石に関しては、『草枕』と日清戦争後の社会小説の繋がり、『三 四郎』で探究される「新しき西洋」と「古き日本」の概念、『それから』におけ る代助の姦通心理とその近代化批判の関連、『こゝろ』の探求する明治社会の思 想問題と「明治の精神」の関連性に注目する。そして、張文環に関しては、「父 の要求」の提起している「階級と親子間の間の問題」、「過重」に描き出されて いる文明憧憬と立身出世の幻滅とそれに関わる「父の喪失」の現実への発見、『山 茶花』における台湾植民地社会の生活現実の描写、「閹雞」における自然主義風 のリアリズムと近代化社会の問題への描出に注目する。その上で、長塚節の『土』

と島崎藤村の文学に対する漱石と張文環の共通な文芸的関心を論じ、両作家の 文芸思想の本質に繋げていく。

本研究は、漱石と張文環の近代化批判と文芸思想の本質と接点を提示するこ とによって、明治社会と台湾植民地社会に影響を与えた国民国家統合とそれに 伴った近代化に対する批判的な時代思潮の一端を示すことを研究目的とする。

キーワード:近代化批判、資本主義、父権体制、国民国家統合、文芸思想

(4)

iii

摘要

日本明治時期的近代化經驗為台灣殖民地時期的近代化所採用。在國民國家統 合所伴隨而來的近代化當中,明治社會與台灣殖民地社會受到日本帝國的國家資 本主義與家族國家觀的影響。

在這樣社會體制下,明治時期的「文明評論家」夏目漱石,一方面在其作品中 提及資本主義與父權體制的問題,一方面導向了相對於「國家」概念的「個人主 義」思維,作為觀察近代化的明治社會的結果。而「殖民地作家」張文環懷抱著 反抗日本帝國的反殖民意識,於其作品中刻劃了台灣殖民地社會中的資本主義與 父權體制的問題。此外,這兩位作家皆對長塚節的《土》與島崎藤村的文學抱持 著關心。

本研究將基於文學社會學的方法,探究漱石與張文環的文藝思想的本質,並透 過文藝上之共同關心提示兩位作家在近代化批判與文藝思想上的的交集。漱石方 面,將關注《草枕》與甲午戰爭後日本國內盛行的社會小說的關聯、《三四郎》所 探討的「嶄新西洋」與「老舊日本」的概念、《之後》所描繪的代助的通姦心理與 其近代化批判的關聯、《心》所探究的明治社會的思想問題與「明治的精神」的關 聯性。張文環方面,將矚目於〈父親的要求〉所提起的「階級與親子間之間的問 題」、〈過重〉所描繪出的文明憧憬和光耀門楣冀求的幻滅及「喪失父親」的現實、

《山茶花》所描繪的台灣殖民地社會之生活現實、〈閹雞〉的自然主義風格之寫實 主義與對近代化社會問題的刻畫。此外,將論及漱石與張文環對長塚節的《土》

與島崎藤村的文學所抱持的共同的關心,與其文藝思想的本質做連結。

本研究的目的,乃透過提示漱石與張文環的近代化批判及文藝思想的本質與交 集,明示對影響明治社會與台灣殖民地社會之國民國家統合與其伴隨而來的近代 化具批判性的時代思潮的一個面向。

關鍵字:近代化批判、資本主義、父權體制、國民國家統合、文藝思想

(5)

iv

Abstract

Modernizing experiences of Meiji society were adopted to Taiwan colonial society.

Under the progress of modernization accompanied by integration of Nation-state, Meiji society and Taiwan colonial society are both influenced by state capitalism and the notion of Family state, which were carried forward by Japanese Empire.

Under that type of social system, “Modernization Critic”, Soseki Ntsume at Meiji period raised questions about capitalism and patriarchy in his literary works, and also, as the outcome of his observation on modernizing society, he arrived at a notion of

“Individualism” which is contrast to the notion of “Nation”. And “Colonial Writer”, Wenhuan Chang at Taiwan colonial period, having the thought of counter-colonization against Japanese Empire, depicted the problems of capitalism and patriarchy in modernizing Taiwan colonial society. In addition, both of the two writers paid great attentions on Takashi Nakatuka’s “Tsuchi” and Touson Shimazaki’s literature.

This study is based on the method of sociology of literature, analyzing the essence of Soseki Ntsume’s and Wenhuan Chang’s literary thoughts, and to point out the link of the two writers’ criticisms on modernization and literary thoughts through their common concerns in literature. About Soseki Ntsume, this study will concentrate on the relation between “Kusamakura” and social novel formed after First Sino-Japanese War, the concept of “New Western” and “Old Japan” explored in “Sanshiro”, the connection between Daisuke’s criticisms on modernization and his mentality to commit adultery in

“Sorekara”, as well as the connection of social thought in Meiji period and “Spirit of Meiji” explored in “Kokoro”. As for Wenhuan Chang, this study will focus on the

“problems between class and parent-child conflict” expressed in “Chichi no Youkyu”, disenchantment of cult of modernity and careerism for being conscious of the fact of father deprivation described in “Kajyu”, life reality in Taiwan colonial society depicted in “Sanzaka”, and realism with Naturalism tendency and expressions about the problems of modernizing society in “Yiamge”. After those issues, this study will analyze Soseki Ntsume’s and Wenhuan Chang’s common concerns on Nakatuka’s “Tsuchi” and Touson Shimazaki’s literature, and relate the discussions to the essence of their literary thoughts.

The purpose of this study is to portray an aspect of Zeitgeist resisting integration of Nation-state and the accompanied progress of modernization, which influenced Meiji society and Taiwan colonial society, by presenting the essence and link of Soseki’s and Wenhuan Chang’s criticisms on modernization and literary thoughts.

(6)

v

Keyword: criticisms on modernization, capitalism, patriarchy, integration of Nation-state, literary thoughts

(7)

vi

目錄

謝辭………i

要旨………...ii

摘要………..iii

Abstract………..iv

第一章 序論 ··· 1

一、 研究動機 ··· 1

二、 先行研究 ··· 4

三、 問題意識、研究方法、目的、範囲 ··· 17

四、 構成 ··· 21

第二章 夏目漱石の近代化批判と文芸思想 ··· 25

第一節 『草枕』―国民国家統合とそれに伴った近代化への批判の始まり ···· 25

一、日清戦争後の社会小説の動向との繋がり ··· 25

二、「憐れ」による近代化問題への超越 ··· 30

第二節 『三四郎』―近代化と国民国家統合への批判 ··· 38

一、近代人の戯画で示している近代化批判 ··· 38

二、「新しき西洋」と「古き日本」の問題 ··· 43

第三節 『それから』―国家近代化から離反する近代人 ··· 47

一、 代助の姦通心理に見られる資本主義と父権体制への反抗 ··· 47

二、 国民国家統合に対する反動の暗示 ··· 53

第四節 『こゝろ』-国民国家統合に反抗する「明治の精神」 ··· 55

一、 議論の分かれてきた『こゝろ』の思想性 ··· 55

二、 資本主義と父権体制への批判に繋がる『こゝろ』の手記と遺書 ··· 58

三、 「明治の精神」の真義と「個人主義」の国粋主義批判との繋がり ··· 64

(8)

vii

第五節 結び ··· 68

第三章 張文環の近代化批判と文芸思想 ··· 71

第一節 「父の要求」―反植民意識の中の国民国家統合批判 ··· 71

一、 国民国家統合に従属した父権体制への認識 ··· 71

二、 植民地における資本主義と父権体制の問題への批判 ··· 76

第二節 「過重」―地方主義文学によって反映される国民国家統合の問題 ·· 79

一、地方主義文学という背景 ··· 79

二、国民国家統合に置かれていた植民地知識人の重荷 ··· 82

第三節 『山茶花』―国民国家統合に影響されている植民地社会 ··· 85

一、台湾植民地における資本主義・父権体制問題 ··· 85

二、国民国家統合に抵抗する田舎恋着と脱ロマン性 ··· 89

第四節 「閹雞」―資本主義と父権体制への反抗に隠されている国民国家批判 ··· 95

一、資本主義と父権体制の環境への反抗 ··· 95

二、国民国家批判に繋がる自然主義風のリアリズム ··· 98

第五節 結び ··· 102

第四章 夏目漱石と張文環の近代化批判と文芸思想の接点 ··· 105

第一節 国家資本主義への批判で繋がる『土』への関心 ··· 105

第二節 父権体制と国民国家統合への批判で繋がる藤村文学への関心 ··· 112

第三節 結び ··· 119

第五章 結論 ··· 121

参考文献 ··· 126

(9)

1

第一章 序論

1871 年(明治 4 年)岩倉外使節団巡回の結果、明治政府は国力の弱さと条約 改正の困難への認識として、殖産興業と軍事力の強化を優先にする内治優先論 と、制度的西欧化の漸進論をとるに至り、三権分立・地租改正・学制・徴兵令・

秩祿処分・司法改革などの政策を推進し、財政の中央集権化による鉄道や郵便 などの交通・通信システム、銀行の発展、近代学校の建設を進めた。1895 年日 清戦争の結果として、明治政府は台湾を領有し、南進戦略と経済発展の基地を 図るために、制度、物質建設を指標とする明治近代化の経験を台湾植民地に取 り入れていた。その史実に基づいて、周婉窈は台湾植民地時代の近代化建設を 明治社会の近代化建設と対照し、台湾植民地社会の近代化を「小規模の明治維 新」1と呼んでいる。陳芳明は台湾文学史の脈絡を整理するに当って、台湾植民 地の近代化と明治の文明開化の関連性2に言及している。人間の生活の感情を伝 える文学そのものが、明治社会と台湾植民地社会の共通な近代化経験のもとで、

どのような繋がりを形成しているかが興味深い。

一、 研究動機

明治社会と台湾植民地社会の近代化は、物質文明の建設のほかに、社会体制 と思想上の顕著な影響関係が以下のように観察できる。

明治社会は、対外独立の緊迫に面して、儒教道徳と封建思想を掲げる徳川幕 府の体制を打破する維新風潮が起こっていた。欧化主義のもとで、資本自由主 義が流入し、自由主義国家を唱えるイギリスのスペンサアの社会進化論が歪め られ、「完全な生活とは実用を主とした幸福な生活」、「自己保存、種族保存が第 一」3という幸福論的思想が、加藤弘之・穂積陳重による社会進化論の紹介で流 行していた。啓蒙思想家の福沢諭吉の唱えていた実学主義と功利思想4もそうい

1周婉窈「殖民地化與近代化」『台灣歷史圖說』聯經,2009,P144-146

2陳芳明『殖民地摩登 : 現代性與台灣史觀』麥田,2011,P31-32

3吉田精一『明治大正文学史』桜楓社,1986,P11

4福沢諭吉の『学問のすすめ』(1874 年より刊行)は実学の重要性と功利思想を唱導し、『西

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2

う生存競争観に基づいでいた。そして、明治社会に流行していた社会進化論も、

やがて国家資本主義と功利主義の発展とともに、帝国主義国による侵略や植民 地化を正当化するイギリスの植民政策の論理に同調した。日清戦争後、台湾を 領有してから、植民地の管理に悩んでいた明治の為政者は、明治社会の近代化 経験を台湾植民地に取り入れるようにした。初任民政官の後藤新平は、生物学 原理を取り、政策としてルカスの英国植民政策学を参考にしていた 5。後藤は、

台湾植民地の旧習迷信の取り払い、科学、医療と「衛生」の建設などの物質文 明の建設によって、植民地政府の統制を絶対的な権限に祭り上げ、台湾を日本 の南進の基地と国家資本主義の延長にしたことに成功した。その上で、民権思 想を抑圧するために、義務教育反対の教育無方針主義6を実施し、政治と社会科 学の科目の排除の上で、国語と科学、工業、農業と衛生を重視する実学教育7を 推進した。

その一方で、明治社会では、欧化政策と明治政府の条約修正に不満した保守 派側は、政教社の成立、『日本人』の発刊、皇学館の設置を通して、国粋主義を 提唱して政変を行った。色川大吉の指摘によると、明治政府は明治十年代より 報徳社を後援して、荒村復興のための自己規律の通俗道徳をすいあげ、資本主 義による急速な家崩壊と都市移住で起り得る社会運動を防ぐために、「国家」の 概念で通俗道徳の概念を再解釈し、「家族」道徳に新しい意味をつけ、忠君愛国 の超目標を与えた。そして、明治十年代の自由民権運動を弾圧したのち、明治 22 年(1889)に天皇集権体制を強固する『明治憲法』を制定し、学校令を改め、

洋事情』(1866 年より刊行)、『文明論之概略』(1875 年に刊行)で西洋の啓蒙思潮と政治制 度を紹介し、主知主義、資本自由主義を唱えている。

5野村明宏「植民地における近代的統治に関する社会学―後藤新平の台湾統治をめぐって」

『京都社会学年報』第七号,1999,P1-24

6李會園『日據時期臺灣師範教育制度』(南天,1997,P22-26)によると、公学校の義務教育 が正式的に六年制の初等教育として実施されたのは、日露戦争勝利の 1904 年 2 月以後であ る。

7周婉窈「實學教育、鄉土愛與國家認同」(『臺灣史研究』第四期第二卷,1997,P22-30)は、

国語教育の実施の内実について、台湾公学校と各時期の教科書を考察し、第三期教科書に 科学、工業、農業と衛生など実学の紹介が多いという現象を指摘した。また、野村明宏「植 民地における近代的統治に関する社会学―後藤新平の台湾統治をめぐって」(『京都社会学 年報』第七号,1999,P1-24)も、1900 年における国語学校における実業部、電信科、鉄道 科、農業科の増設と、1928 年における医学重視の台北帝国大学の設立を、実学教育の偏重 と指摘している。

(11)

3

『教育勅語』(明治 23 年、1990)を発布し、国定教科書による「国体」教育を 実施した8。台湾植民地社会でも、大戦に向かう中後期で内地延長主義政策に転 換され、民権運動が厳しく弾圧され、日本神話と天皇制に関連する郷土教材を 大量に採用した国語教育の推進が図られていた。殖民以前の歴史への消去と愛 国愛郷の精神の形成を図っていた台湾公学校の第三期教科書(1923-1937、児童 進学率の高い時期)の内容9と、1941 年の「大東亜戦争」への「志願兵」の徴兵 における天皇統制の正当性を強める家族国家観の強調から見られるように、資 本主義のもたらした個人主義の発展を防ぐために、台湾植民地の社会体制の発 展も国粋主義を展開した明治社会の近代化の矛盾な経験を踏まえていた。

西川長夫は、近代国民国家の形成の前提を「文明化」と指摘し、フランス国 民国家形成の典型への観察を通して、近代国民国家の構成について、(1)経済 統合(資本主義形成)、(2)国民の統治―支配にかかわる諸機関(憲法、軍隊 など)、(3)イデオロギー装置(家族のイメージ、近代学校)、(4)国民的な シンボル(国歌、国語、儀式、神話)、(5)イデオロギーとしての「市民(国 民)宗教」という五つで要素で提示する上で、「欧化主義と国粋主義が交互に現 れる」10という近代化に伴ってくる現象を指摘した。日本帝国の支配、生存競争 観に基づく功利主義観のもとで、「文明化」を前提とし、資本主義の発展、軍隊、

近代学校、家族国家観の形成、実学教育と天孫神話の提唱などから見られるよ うに、明治社会と台湾植民地社会は近代国民国家の構成の要素を備えている上 で、社会思想としては欧化主義と国粋主義が競合している。

その中で、明治時代の「文明批評家」の夏目漱石は、明治社会の近代化を批 判し、「国家」の概念と対置する「個人主義」を提起した一方、漱石と共通な文 芸的関心があると提起されてきた「植民地作家」の張文環は、1930 年代台湾文 壇の反植民と近代化批判の風潮の中で、反植民意識を抱き、近代化の問題を描

8色川大吉『明治の文化』岩波書店,1970,P301-335

9周婉窈「實學教育、鄉土愛與國家認同」(『臺灣史研究』第四期第二卷,1997,P38-45)は、

「公學校國語課本不乏對日本歷史(神話)或人物的描寫。例如卷五第一課〈天之岩屋〉、卷五 第十九課〈除蟒蛇〉(素箋鳴尊除八岐大蛇的故事)、卷六第八課〈征伐熊襲〉、卷六第十三課

〈仁德天皇〉、卷八第十六課〈幼年時代的伊藤公〉……」と指摘している。

10西川長夫「日本型国民国家の形成―比較史的観点から―」西川長夫・松宮秀治『幕末・明 治期の国民国家形成と文化変容』新曜社,1999.02,P10-19

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4

き出している。近代化問題に着眼する二人の作家は、果たしてどのように国民 国家統合とそれに伴った近代化の問題を作品と文芸的関心に反映しているかが 興味深い。

二、 先行研究

先行研究について、まず近年行われてきた漱石と張文環の比較研究を検討し てから、研究動機に沿って漱石研究と張文環研究においてまだ提起されていな い研究の方向を提示していきたいと考えられる。

(一)夏目漱石と張文環の比較研究への検討

李郁蕙「「未亡人」の家―日本語文学と漱石の『こゝろ』」は、漱石の『こゝ ろ』と張文環の「父の要求」を「父権回復」11傾向で繋げ、明治天皇に忠心な父 から離れる青年の「私」のことを描き出した『こゝろ』と、「未亡人の家」から 離れる被植民者の青年の陳有義のことを描き出した「父の要求」の内容を、「子

=「個」」、「「家」を土台とする天皇制・家父長制国家が崩壊へ傾く過程」、「植 民地支配に乗り出した時代が破綻に向う」象徴として捉えている12。しかし、そ の論説は、『こゝろ』における「明治の精神」と殉死の意義に対する説明が不十 分なまま、象徴義で家族国家観を反対する作品として直結してしまった。また、

「父の要求」における陳有義の帰郷後に郷里に向けた視線の意味と父との関係 という作品の核心なところも討論していない。家父長制国家の問題から両作家 の作品の接点を論じるには、作家の全体の思想の本質をつかまえてから論じた ほうがいいではないかと考えられる。

11李の論述では勝又浩「明治文学と父の消去、父の復権」((「国語と国文学」1988.08)『夏 目漱石反転するテクスト』有精堂,1990.04,P108)を参照している。勝又浩は、四迷の

『浮雲』、鷗外の『舞姫』、漱石『三四郎』における父権崩壊と立身出世主義から新父権再 建の失敗を見、漱石の『それから』、志賀直哉『児を盗む』、『暗夜行路』に至る父子対立と 新父権の建立を日本近代文学の鉱脈として提示している。

12李郁蕙「「未亡人」の家―日本語文学と漱石の『こゝろ』」『日本研究』31 集,2005.10,

P143-158

(13)

5

曾秋桂「試圖與日本近代文學接軌,反思國族論述下的張文環文學活動」は、

張文環の創作と日本近代文学、特に漱石との場面描写の相似性を中心に考察し、

それと日本文学への摂取を張文環の反殖民意識に繋げるように捉えている 13が、

具体的な内容を明示していない。一方、長塚節の『土』に対する漱石の推奨と 張文環の愛読について、「英雄所見略同」(賢人は皆同じように考えるものだ)

とした提起は、漱石と張文環の共通な文芸的関心を指摘している。ただ、『土』

への関心が両作家の文芸思想の本質をどのように反映しているか、詳論が必要 だと考えられる。

蕭幸君「<知>の覇権へのまなざし―漱石『虞美人草』と張文環『芸妲の家』

を中心に―」では、「漱石、張文環が<知>の覇権へ向けた目差しは、近代の浪 にさらされた知識人の自覚であり、自己への批判である」、「女性・恋愛・結婚 の背後には日本における西洋、そして台湾における日本という<他者>が身を 潜めて」14いるというように、『虞美人草』と「芸妲の家」の接点を捉えている。

封建道徳に圧迫される女性の自由恋愛意志を西洋の「知」の覇権としたその捉 え方自体に問題がある。その上で、漱石の『虞美人草』は「文明批判小説」15で ある一方、「父系によって母系を断罪した小説」16、道義意識によって女性の主 体意識を抹殺した作品 17でもあるが、『虞美人草』を社会主義運動に伴うフェミ ニズムの世界動向と植民地内の女性地位改造運動を時代背景として台湾の養女 制度を批判していた18張文環の「芸妲の家」と比較するには、理由の説明が必要 だと考えられる。比較の作品対象の選択だけでなく、漱石と張文環における近

13曾秋桂「試圖與日本近代文學接軌,反思國族論述下的張文環文學活動」『台灣文學學報』

第十二期, 2008.06,P5-26

14蕭幸君「<知>の覇権へのまなざし―漱石『虞美人草』と張文環『芸妲の家』を中心に―」

『越境する漱石文学』思文閣,2011.03,P57-116

15平岡敏夫「「虞美人草」論」(『漱石序説』1976)『漱石作品論集成第三巻 虞美人草・野分』

桜楓社,1991.07,P98-106

16大久保典夫「『虞美人草』論ノオト」(『作品論夏目漱石』1976)『漱石作品論集成第三巻 虞 美人草・野分』桜楓社,1991.07,P98-106

17磯田光一「『虞美人草』の文脈」((「ユリイカ」9 巻 12 号 1977『漱石作品論集成第三巻 虞 美人草・野分』桜楓社,1991.07,P107-109)は、「藤尾の自殺には、濃厚な「近代」の影 がある」、「「道義」は現実に立脚しつつ、なお個人の恣意性を抑制することによって成立し うる社会の掟の原型である」と指摘した。

18張文薫『植民地プロレタリア青年の文芸再生―張文環を中心とした『フオルモサ』世代の 台湾文学―』(2005,P86-98)では、「芸妲の家」を論じるに当って、養女制度に対する張 文環の批判を、「老娼撲滅論」、「救はれぬ人々」などの評論に関連付けて論証している。

(14)

6

代化批判の比較も、日本対西洋よりももっと広い視点で行ったほうがいいと考 えられる。

以上、比較研究を検討してきたところ、国民国家統合とそれに伴った近代化 の視点で漱石と張文環を比較する研究が、まだなされていないと観察できる。

では、個別研究においてはどうだろうか、次項で検討していきたいと考えられ る。

(二)、漱石研究と近代化社会に対する漱石の批判

生卒年がほぼ明治時代と重ねた夏目漱石(1867~1916)は、明治維新の改革 で没落した江戸の旧名主の家に生まれ、近代新式学校19で教育を受け、英文科を 志望して公費留学で渡英し、文学者になる道を歩み、明治社会の近代化問題を 批判することで、「文明批評家」として評価されてきた。

近代化社会に対する漱石の批判は、金銭至上と実利主義観を諷刺する『吾輩 は猫である』(明治 38.1~8「ホトトギス」)、「黄白万能主義を信奉するの弊」20 を打倒しようとする白井道也を造形した『野分』(明治 40.1『ホトトギス』)、実 利主義の叔父を造形した『こゝろ』(大正 3.4.20~8.11 同)によって、まず金 銭批判と実利主義批判の一面として認識されてきた。その上で、平岡敏夫「「虞 美人草」論」が、『虞美人草』(明治 40.6~10「朝日新聞」)を物質と徳義との対 置を表現した「文明批評小説」21と指摘し、大久保典夫「『虞美人草』論ノオト」

が、さらに「利害(「文明」)が「道義」(過去)に敗れる物語なので、そこに漱

19漱石は、東京新設立の戸田小学校に入学(明治 7 年)、市が谷学校の下等小学校に転校(明 治 9 年)した。東京府第一中学校正則科に入学した(明治 12 年)が、英語がないために退 学し、漢学塾二松学舎に入学(明治 14 年)、のち退学(明治 15 年)して成立学舎に入学(明 治 16 年)した。英語を学びながら大学予備門予科(明治 19 年に第一高等中学校と改めら れた)に入学、それから高校は、第一高等中学校本科第一部に進学(明治 21 年)し、英文 科を専攻していた時、同級生の米山保三郎に文学の道を薦められ、英文科を志望し、文学 者になる道を歩みだした。それで、大学は帝国大学英文学科に入学(明治 23 年)した。(石 井和夫「漱石伝記事典」(三好行雄編『夏目漱石事典』(二版)学燈社,1992,P10-32)を 参照。)

20夏目漱石『野分』新潮文庫,2007,P93

21平岡敏夫「「虞美人草」論」(『漱石序説』1976)『漱石作品論集成第三巻 虞美人草・野分』

桜楓社,1991.07,P98-106

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石の「文明」批判がある」22と『虞美人草』の実利主義批判の意図を明示したこ とで、漱石の実利主義批判と近代化批判の繋がりが認識されてきた。

中村光夫「文明開化の性格」では、漱石の「現代日本の開化」(明治 44 年和 歌山での講演)に提起されている「外発的」開化の不安の根本を、「近代社会の 成立による人間の欲望の拡充、それに伴ふ功利主義、といふよりむしろ功利的 な人生観の普遍化、道徳の人間主義化または弛緩」23と分析し、西洋化と功利主 義と対置する漱石の近代化批判を提起した。それと関連して、熊坂敦子「反近 代・日本の漱石」は、『草枕』(明治 39.9~40.1「新小説」)における俳句と写生 文の要素と、自然没入、漢詩趣味や古典趣味を指摘し、『草枕』を「理想郷」を 追求する作品として捉えた上で、イギリス留学で西欧に対して挫折感を抱き、

「利己や自閉に陥って「外発的」であった脆弱さ」に気付いて、「非功利的な、

脱俗世界への郷愁」24を発展したと、漱石の文芸意識を捉えた。平川祐弘『夏目 漱石―非西洋の苦闘―』も、『草枕』を「反文明」、「反西洋としての東洋」を表 現する俳句的小説25として捉え、その他の作品も西洋との対置の流れにおいて論 じた。また、越智治雄「漱石と文明」は、『夢十夜』(明治 41.7~8 東京・大阪

「朝日新聞」)の第七夜における乗船の不安を、西洋に向う不安、「皮相上滑り の開化」の裏に「生存競争から生ずる不安や努力」26と捉えた。それらの先行研 究を通して、漱石の近代化批判は西洋との対置が深く印象付けられてきたと観 察できる。

一方、吉田孝次郎「漱石三部作の世界」は、『三四郎』(明治 41.9~12「朝日 新聞」)に描かれている九段の燈明台と偕行社の共存現象を、「新旧文化の無秩 序状態」27だと指摘し、越智治雄の前掲論文も、『三四郎』と『それから』(明治 42.6.27~10.14「朝日新聞」)に描かれている都市化現象に関して、物質文明の

22大久保典夫「『虞美人草』論ノオト」(『作品論夏目漱石』1976)『漱石作品論集成第三巻 虞 美人草・野分』桜楓社,1991.07,P98-106

23中村光夫「文明開化の性格」(「文学界」1944)『日本文学研究資料叢書 I 夏目漱石』有精 堂,1990,P60

24熊坂敦子「反近代・日本の漱石」『解釈と鑑賞』40(2)1975.02,P25-32

25平川祐弘『夏目漱石―非西洋の苦闘―』(第 2 刷)講談社,1993,P342

26越智治雄「漱石と文明(一)」『解釈と教材の研究』17(13)1972.10,P182-188、「漱石と 文明(二)」『解釈と教材の研究』17(14),1972.11,P172-178

27吉田孝次郎「漱石三部作の世界」(「文学」1945)『漱石作品論集成第五巻 三四郎』桜楓 社,1995,P17

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発展の圧迫感と新旧交錯の矛盾28を提起することによって、物質文明を中心に発 展する明治の近代化に対する漱石の批判のまなざしを示した。その上で、高橋 和己「知識人の苦悩」は、近代人における実利追求の偽善性及び、作中に提起 された大逆事件、大倉組と日糖事件に見られる「日本資本主義の矛盾の激化」29 を指摘し、代助の造形を「国家的規模においては一応成功した近代を内部批判」

するインテリと捉えた。粂田和夫「『道草』論」は、『道草』(大正 4.6.3~9.14 同)に描かれている人生問題について、「健三の周囲の人々、半封建的な土壌か ら抜けきれず、近代資本主義の苛酷な金利、功利主義にからめとられていく姿 をも照射しているのである」30と論じ、資本主義のもたらした実利主義の問題を 提起した。明治社会における資本主義の発展という視点で漱石の作品を解読す る稀な作品論である。

飛鳥井雅道『近代文化と社会主義』は、さらに『明暗』(大正 5.5.26~12.14 同)における植民地落ちの小林の造形を、「見栄と意地のかっとうが前面に浮き でているこの『明暗』を、下から照らすもの」31と捉え、漱石の反ブルジョワジ ー意識を指摘した。資本主義への批判、反ブルジョアジー意識との関連として、

漱石は大正 3 年 11 月 25 日に学習院で行った講演の「私の個人主義」で、ブル ジョア階級の学生たちに金力の濫用を戒めた。その一方で、漱石は国家主義を 個人主義の下位に位置した。仙北谷晃一の指摘によると、漱石の「個人主義」

の精神は、近代個人主義の利己性と区別し、他人に盲従しない「自己本位」の 精神、摯実の心、党派を作らない孤独、国家主義と相容れない私的個人性、イ ズムに囚われぬ自由精神という五つの特質32をもっている。加藤二郎は、<自然

>と<法>の視点から漱石と国家の関係を見、「私の個人主義」とそれに関連す る『こゝろ』などの作品の意義を論じるにあたって、「欧州戦争 宗教、社会主

28越智治雄「漱石と文明(一)」『解釈と教材の研究』17(13)1972.10,P182-188、「漱石と 文明(二)」『解釈と教材の研究』17(14),1972.11,P172-178

29高橋和己「知識人の苦悩」(『高橋和己全集』13 巻 1978.05 河出書房)『漱石作品論集成第 六巻 それから』1995.04,P49-62

30粂田和夫「『道草』論」(「作品」2 号 1974.05)『漱石作品論集成第十一巻 道草』桜楓社,

1991.06,P182

31飛鳥井雅道『近代文化と社会主義』1970,P188

32仙北谷晃一「漱石の個人主義」三好行雄編『講座夏目漱石 第 5 巻 (漱石の知的空間)』有 斐閣,2004.09,P268-295

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義、経済、人道、皆国家主義に勝つ能はず」という漱石の大正四年十二月の断 片を引用して、近代の戦争が「主権者としての「国家」の「力」に基づいた「個 人」の「自由」の滅却への忌避という形で展開された」33と、「国家」の概念と 対置する漱石の「個人主義」を捉えた。

資本主義への批判と反ブルジョアジーの意識で、国家と対置する漱石の「個 人主義」が形成したのか、あるいは国家に対する漱石自身の批判が内在してい るのか。それに関して、特に気になるところは、父権体制と道徳問題に関する 漱石の探究である。飛鳥井雅道の前掲著書は、代助の造形と彼の直面した近代 化社会の問題を明治三十年代の社会小説の動向に置き、ブルジョワジー父権社 会における父子対立34の問題を提示している。瀬沼茂樹「『彼岸過迄』」は、旧習 に拘る母に不信感を抱く須永の悲劇を描いた『彼岸過迄』(明治 45.1.1~4.29)

について、「明治末年の資本主義の生活機構や封建的家族制」35という須永をと りまく時代状況を提起した。また、片岡良一「『行人』と『こゝろ』の実験」は、

明治の慣習的結婚の中で妻の愛を求める家父長の一郎の悲劇を描いた『行人』

(大正 1.12.6~2.11.17 同)について、旧家族制度と旧い道徳という形式に対 する作中人物の懐疑によって「明治の家の暗さ」36を指摘し、そして片岡の説を 受け継いだ瀬沼茂樹、駒尺喜美も『行人』に関して明治の形式的慣習的結婚の 悲劇37を提起した。文明と道義が対置するように捉えてきた『虞美人草』の先行 研究と、遠藤祐「漱石の反自然主義をめぐって―『虞美人草』の周辺―」が、『虞 美人草』を「初期漱石文学を集大成する作」、「漱石は生命論的人間観が道義の 媒介なしに反自然主義と結びつくことを、なお悟らずに構想を立てたのであ る」38と指摘した影響で、漱石は道義的作家として捉えられてきた傾向が強い。

33加藤二郎「<自然>と<法>―漱石と国家―」『夏目漱石反転するテクスト』有精堂 1990,

P250

34飛鳥井雅道『近代文化と社会主義』晶文社,1970,P46

35瀬沼茂樹「『彼岸過迄』」『夏目漱石』東京大学出版会,1987,P224-225

36片岡良一「『行人』と『こゝろ』の実験」(『片岡良一著作集』9,1980.02)『漱石作品論 集成第九巻 行人』櫻楓社, 1991,P29-31

37瀬沼茂樹「『行人』」(『夏目漱石』1962.03)『漱石作品論集成第九巻 行人』櫻楓社, 1991,

P35、駒尺喜美「「行人」論―到着点と出発点と―」(『漱石 その自己本位と連帯と』1970.05)

『漱石作品論集成第九巻 行人』櫻楓社, 1991,P97

38遠藤祐「漱石の反自然主義をめぐって―『虞美人草』の周辺―」(『日本近代文学』3 集 1965.11)

『漱石作品論集成第三巻 虞美人草・野分』桜楓社,1991.07,P19-34

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しかし、山田晃「夏目漱石における倫理観補論」が、「道義を外在的な尺度を以 てはかる立場を捨て、内在的な原理に即した検討へと転身した」39、「長い封建 的治世の中で固定化し、形骸化した倫理的徳目については完全に醒めた認識を 持っていた」40と、『虞美人草』の甲野の道義意識から『それから』の代助にお ける天意の選択に転換した漱石の倫理観を指摘したように、漱石の見詰めてい た道徳問題は、決して『虞美人草』の道義意識で包括すべきものではないとい うことが分かる。漱石の近代化批判の思想の中には、文明と道徳の関係への探 究として、どのくらい明治国家の家父長体制を含んでいるかが興味深い。

以上、先行研究の指摘を総合してみると、漱石の近代化批判は日本と西洋の 対置や文明と道徳の対置という簡単な図式で捉えられるものではないというこ とが分かる。明治社会における資本主義の発展とそれに伴った実利主義、物質 文明に対する漱石の観察や批判が、どのように父権体制に触れて文明と道徳の 関係を探求する側面、さらに「国家」の概念と対置する独自の「個人主義」に 辿り着いた思想上の展開に繋がっていくかが、探求すべき課題だと考えられる。

(三)、張文環研究と近代化社会に対する張文環の批判

張文環(1909~1978)は、嘉義梅山の山の奥の旧地主家庭に生まれ、東京留 学の前に近代公学校教育41を受けていた。張文薫の考察によると、張文環は島内 に比べて言論の取り締まりのやや自由だった東京に留学し、1932 年 3 月に結成 し「コップ」(KOPF 日本プロレタリア文化連盟)の子組織として帝政批判の急進 的傾向を持つ「東京台湾文化サークル」に参加した。「コップ」が厳しく弾圧さ

39山田晃「夏目漱石における倫理観私見」『駒澤大學文學部研究紀要』24 号,駒澤大學文學 部,1966-03,P87

40山田晃「夏目漱石における倫理観補論」『駒澤大學文學部研究紀要』25 号,駒澤大學文學 部,1967-03,P106

41張文環の最初の教育は伝統の漢文書塾で四書を読んでいた(1917~1920)。のち町の梅仔 坑公学校に入学し(1921~1926)、日本語を通して新式の教育を受けた。そして卒業後、台 湾島内の政治統制に比べてより自由だった東京へ赴き岡山中学校に入学(1927)していた 頃、文学に興味が形成した。のち、東洋大学文科に入学(1931)し、1936 年に共産党の浅 野次郎との交友で連帯罪をきせらて三ヶ月間の入獄を経験するまで、反帝の社会活動と文 学活動を行っていた。(柳書琴編の作家年表(陳萬益編『張文環全集第八巻』中縣文化,2002,

P123-128)を参照。)

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れたのち、1932 年 9 月に反帝デモに参加したメンバーの逮捕でサークルも検挙 された。「コップ」の消滅と治安維持法の弾圧のもとで、サークルは 1933 年 6 月に左翼運動の最高指導者の佐野学と鍋山貞親による共産党脱退、天皇制肯定 の転向声明から打撃を受け、1934 年 2 月 22 日に解体した 42。その中で、1933 年より張文環は一部の同人たちとプロレタリア運動の合法派路線を取り、帝政 批判の色彩を消去させた同人誌『フォルモサ』を創刊した。しかしそれは僅か 二年続いて停刊した。のち、1936 年転向風潮の最盛期を経て、1937 の年満州事 変、二次大戦の勃発と日本主義の台頭の中で、張文環は 1938 年に台湾に戻り、

文学創作を継続した。1941 年 6 月に皇民奉公会台北支部に参加 43した一方、エ キゾチシズムを主張し対米戦争後「文章報国」を掲げた西川満の『文芸台湾』

に対抗するために、『文芸台湾』を脱退して啓文社を組織し、台湾文芸連盟の同 人たちを網羅し、リアリズムの手法で台湾人の現実生活への描写を理念とした 文芸誌『台湾文学』を創刊した。しかし、「大東亜戦争」を迎える文芸統制のも とで、『台湾文学』は廃刊を余儀なくされ、張文環を含める同人たちは文芸によ る戦争協力に動員されるようになった。

張文環は大戦期において「風俗作家」44と呼ばれていたが、葉石濤が「論張文 環的《在地上爬的人》」において張文環を「植民地作家」45と論じてから、張文 環研究は、張文環のプロレタリア運動への参与と、反植民意識と階級意識の問 題が重視されてきた。ただ、反植民意識と階級意識に関連して、日本帝国のも たらした近代化と植民地の人間の関係に関する指摘も少なくない。游勝冠『殖 民 主 義 與 文 化 抗 爭 ‧ 日 據 時 期 臺 灣 解 殖 文 學 』 は 、 張 文 環 の 処 女 作 「 落 蕾 」

(1933.7.15『フォルモサ』創刊号)について、義山の植民階級への悩みと家庭

42張文薫『植民地プロレタリア青年の文芸再生―張文環を中心とした『フオルモサ』世代の 台湾文学―』東京大学大学院人文社会系研究科,2005,P11-15

43柳書琴編張文環年表、陳萬益編『張文環全集第八巻』中縣文化,2002

44張文薰『植民地プロレタリア青年の文芸再生―張文環を中心とした『フオルモサ』世代の 台湾文学―』(東京大学大学院人文社会系研究科,2005,P2)によると、張文環を最初に「風 俗作家」と称したのは、龍瑛宗の「南方の作家たち」(『文芸台湾』3-6)であり、のち藤野 雄士「『夜猿』その他・雑談」(『台湾文学』2-2)、中村哲・竹村猛・松居桃楼「文学鼎談」

(『台湾文学』2-3)、黃得時「輓近の台湾文学運動史」(『台湾文学』2-4)、竹村猛「作家と その素質」(『台湾文学』2-4)も、「風俗作家」で大戦期における張文環を評価していた。

45葉石濤「論張文環的《在地上爬的人》」(「民衆日報」1978)柳書琴、張文薰編『臺灣當代 作家研究資料彙編 06 張文環』國立臺灣文學館,2011,P129-137

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に支配される秀英の結婚問題を、植民地における資本主義と社会階級の問題46と 指摘した。張文薫『植民地プロレタリア青年の文芸再生―張文環を中心とした

『フオルモサ』世代の台湾文学―』は、「青年知識人の抱く立身出世、近代文明 に対する憧憬と挫折」という視点で、「父の要求」(1935.9.24『台灣文藝』2 巻 10 号)に描かれている植民者側の女性に対する被植民者の知識人の恋を、「近代 文明への追求」、「現代化への憧憬」47と捉えた。陳萬益「一個殖民地少年的啟蒙 之旅─析論張文環小說〈重荷〉」は、近代学校に対する子どもの憧れと幻滅を描 いた「過重」(1935.12.28『台灣新文學』創刊号)の表現意図を、立身出世への 憧憬に相対する「無父的被殖民者的生存現實」48(父をなくした被植民者の生存 の現実)への凝視と指摘した。陳建忠「一個殖民地作家的自畫像 論張文環小 說中的成長主題」は、さらに「過重」における植民地教育の立身出世主義、コ ロニアルモダニティ49の存在を指摘した。柳書琴『荊棘之道臺灣旅日青年的文學 活動與文化抗爭』は、『山茶花』(1940.1.23~5.24「台灣新民報」)の世界への 把握として、生活に精一杯な農民、立身出世を目指して帝国へ向う知識人の青 年、婚姻と恋愛で「男性/都會/權利」の中心に寄せていく女性によって構成 された狭隘な出世観の社会50と提示した。施淑「簡析<辣薤罐>」は、『山茶花』

と同時期に発表された「辣韮の壷」(1940.4.1『台灣藝術』2 号)から、皇民化 の施策を強いられた殖民社会の中で己なりの民俗文化に生きる下層民衆、その 狭隘な世界観に見られる実利主義51を見出した。そのように、先行研究は張文環 の描いている植民地の人間が日本帝国のもたらした近代化に従属する位置にあ ると示していることが分かる。

それによって、張文薫は前掲博士論文で、『山茶花』の「昔のまま」の故郷の

46游勝冠『殖民主義與文化抗爭‧日據時期臺灣解殖文學』群學,2012.04,P474-477、501-505

47張文薫『植民地プロレタリア青年の文芸再生―張文環を中心とした『フオルモサ』世代の 台湾文学―』東京大学大学院人文社会系研究科,2005,P42-48

48陳萬益「一個殖民地少年的啟蒙之旅─析論張文環小說〈重荷〉」(「中央日報」19 版 1996)

柳書琴、張文薰編『臺灣當代作家研究資料彙編 06 張文環』國立臺灣文學館 2011,P175-178

49陳建忠「一個殖民地作家的自畫像 論張文環小說中的成長主題」(『日據時期臺灣作家論:

現代性‧本土性‧殖民性』2004.08)柳書琴、張文薰編『臺灣當代作家研究資料彙編 06 張文 環』國立臺灣文學館 2011,P185

50柳書琴『荊棘之道臺灣旅日青年的文學活動與文化抗爭』聯經,2009,P361-385

51施淑「簡析<辣薤罐>」(『中國現代短篇小說選析』第 2 巻,1984)柳書琴、張文薰編『臺 灣當代作家研究資料彙編 06 張文環』國立臺灣文學館,2011,P115-116

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イメージを張文環の伝統回帰の傾向とし、それを太平洋戦争期に創作された「地 方生活」(1941.10.19『台湾文学』二巻四号)における儒家思想の伝統への描写 と結びつけた上で、大戦末期に創作された「土の匂ひ」(1944.7.1『台灣文藝』

一巻三号)を「「故郷」を作り始める物語」、「都市(近代文明)と故郷(伝統価 値)との間に彷徨っていた過去への整理」52と見なした。さらに、「派遣作家と しての張文環―「雲の中」に語られたもの」という一文で、戦前期の最後の小 説「雲の中」(1944.11.1『台灣文藝』一巻五号)の意図を「桃源郷に辿り着こ うと再出発を図る」53と捉えた。張文薫は「文明」と「伝統」の対立に着眼し、

日本帝国のもたらした近代化に対する張文環の対置によってその反植民意識を 見出そうとした。王萬睿も「土の匂ひ」、「雲の中」を戦争協力作品として提起 したが、張文環の創作意図をやはり郷土への回帰に帰した54

しかし、資料をよく調べると、太平洋戦争の始まった 1941 年 10 月より、張 文環の参加した皇民奉公会台北支部は、「皇民奉公會臺北州支部娛樂指導班」の 方針、「臺北州下に青年演劇挺身隊の根本理念に就て」を掲げ、「今日建設せら るべき新日本文化は、新體制の下に立つ新しき文化であり、然もそれは當然日 本的文化でなくてはならぬのである。この事は、云ふまでもなく在来の資本主 義文化の否定である事は論を俟たぬ處である」55と、国の団結を図り欧米勢力と 対抗するために、在来の近代化の方針を見直し、資本主義批判を行い、道徳観 念と親権思想を神国思想に緊密に結びつかせようとした傾向が見られる。その 中で、張文環は評論の「台湾文学の自己批判」(1941.8.1『新文化』8 月号)に おいて、「資本主義が背負ってきた個人主義的な社会道徳の発展からきた弊害」、

「一図に欧州文化を取り入れて自己の持つべき美しい精神的なものを見失い、

東洋精神と日常生活のバランスを失なってしまった」、「深刻な自己批判によっ

52張文薫『植民地プロレタリア青年の文芸再生―張文環を中心とした『フオルモサ』世代の 台湾文学―』東京大学大学院人文社会系研究科,2005,P63-72

53張文薫「派遣作家としての張文環―「雲の中」に語られたもの」藤井省三、黃英哲、垂水 千惠編『台湾の「大東亞戰爭」:文学.メディア.文化』東京大学出版会,2002,P99-106

54王萬睿「跨不過語言的一代」(『殖民差異與認同:張文環與鍾理和鄉土主體的繼承』2005)

柳書琴、張文薰編『臺灣當代作家研究資料彙編 06 張文環』國立臺灣文學館 2011,P329

55皇民奉公会台北支部「臺北州下に青年演劇挺身隊の根本理念に就て」(「台湾文学」2 巻 3 号 1942)中島利郎,河原功,下村作次郎編『日本統治期台湾文學. 文芸評論集第四巻』緑蔭 書房,2001,P183

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てはじめて、この島に新しい文化が生まれる」56と、東洋文学の復興、日本精神 運動の唱導に協力する姿勢を見せていた。1942 年 10 月、「地方生活」の創作の 前にも、西川滿、龍瑛宗、濱田隼雄に伴い日本に赴き、第一回「大東亜文学者 大会」に参加57した上で、大会後「内地より帰りて」一文の中で「雄大な東洋の 道徳は、今度の大東亜戦争で、西洋人にも一つ大きな半生を促してゐる筈であ る」58と、「日本精神」の推奨に協力的姿勢を示した。そしてその協力的姿勢は、

大戦中に発表された大部分の作品の内容に影響を及ぼした。藤野雄士「「夜猿」

その他・雑談」は、「夜猿」(1942.2.1 同 2 巻 1 号)の内容を「南部山手の純朴 な農民が、一度ひつかゝた街に巣喰ふ高利貸的商業資本の網の目から逃れよう ために、生活の上でのたうち廻るものがなしい話」59と指摘したが、「夜猿」は 資本主義と対置する家庭の暖かさへの描写が見られ、家族国家観を強調する可 能性が大きい。そして、被植民者が戦場に赴くことしか出世できない階級差別 の悲哀を伝えている短編小説「頓悟」(1942.3.30『台灣文學』2 巻 2 号)は、

「しきりに資本主義等々と説明してゐるが、しかし私はきいて何がなんだかわ からなかった」、「私は兵隊を志願することになつたが、しかし私の両親は他人 の親と違って理解のある両親である。…だから精神生活を飛躍したい私の気持 を理解してくれるに違ひない」60という表現が見られ、資本主義批判と家族国家 観への強調という戦争協力の側面が明らかに観察できる。『台湾文学』に載せた

「地方生活」(1942.10.19『台湾文学』2 巻 4 号)でも、「自分一個人の仕合せを 願ふために、義理人情をも押しなければならならぬ遺産の紛争を、澤はいくつ か見た。これがもし現代の道徳であるならば、次に来るべき社会道徳はどんな ものであるか、澤は想像されるのだった」61という家族愛と道徳観念を強調する

56張文環「台湾文学の自己批判」(『新文化』8 月号 1941.8.1)陳萬益編『張文環日本語作 品及び草稿全編』台中縣立文化中心,2011

57張文環『張文環全集』第 8 巻 陳萬益編 中縣文化,2002、柳書琴編張文環年表を参照。

58「内地より帰りて」(『台湾文学』3 巻 1 号 1943.1.31)陳萬益編『張文環日本語作品及び 草稿全編』台中縣立文化中心,2011

59藤野雄士「「夜猿」その他・雑談」(「台湾文学」2 巻 3 号 1942)中島利郎,河原功,下村作 次郎編『日本統治期台湾文學. 文芸評論集第四巻』緑蔭書房,2001,P115-182

60張文環「頓悟」(『台湾文学』2 巻 2 号 1942.3.30)陳萬益編『張文環日本語作品及び草稿 全編』台中縣立文化中心,2011

61張文環「地方生活」((『台湾文学』2 巻 4 号 1942.10.19)陳萬益編『張文環日本語作品及 び草稿全編』台中縣立文化中心,2011)について、澤が親の言いなりに結婚しようとして、

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描写が見られる。「地方生活」の後に張文環の創作はしばらく途絶えたが、大戦 の最中に書かれた「迷兒」(1943.7.31『台湾文学』3 巻 3 号)、「媳婦」(1943.

11.17『台湾文学集』)も実利批判と家族愛の強調 62をテーマとし、「父に送られ て」(1943.12.2「興南新聞」))はさらに志願兵を推奨している。また、「ペン を銃にかえる」と掲げた台湾文学奉公会発行の戦争協力誌の『台灣文藝』63に発 表した「土の匂ひ」(1944.7.1『台灣文藝』1 巻 3 号)も志願兵の推奨を提起し た。「雲の中」(1944.11.1『台灣文藝』1 巻 5 号)はさらに、「雲の中とはいへ、

汽車の汽笛が鳴つてゐた。集材機のひゞきはがらがらと木靈としてさながら、

雲の中の都市のやうな感じであった。」「雲の中に上がってきても、尚俗気の取 れないのが悲しいである」64というように、経済略奪と文明の侵入を象徴した太 平山の増産前線を描いている。郷土回帰と思われるそれらの作品は、実際に家 族道徳の強調による実利批判という戦争協力の特徴が顕著であると伺える。郷 土に向ける張文環の視線を、日本帝国のもたらした文明への対置として、儒家 思想の伝統や郷土への回帰とした捉え方は、張文環の戦争協力の側面と社会体 制の関係を無視して形成した盲点だと考えられる。

その一方、「落蕾」を含める張文環の非戦争協力の作品では、確かに家族愛を 強調する戦争協力の作品と異なって、父権体制への批判と家族の間隔への描写 が見られる。柳書琴の前掲著書は、「父の要求」について、陳有義の社会主義運 動に干渉する「父」と下宿先の親子の勧誘から、陳有義に対する伝統親権と帝

婚約対象の婉仔の伝統的女性気質を賛美する一方、父の死に際して婉仔の兄の阿山ととも に、遺産を企むハイカラな妹の淑をさんざん叱ったという描写は、宗近の封建道義による 勧善懲悪、実利批判で甲野の妹の藤尾に対する行った制裁を描いた漱石の「失敗作」であ る『虞美人草』に彷彿する。

62張文環「迷児」((『台湾文学』3 巻 3 号 1943.7.31)陳萬益編『張文環日本語作品及び草稿 全編』台中縣立文化中心,2011)では、「大東亜戦争が始まると、女は特志看護士、男は志 願兵、と云ふふうに、國家と國民の生活は密接になつたので、大目仔はしかしたのもしく 思つた。」という描写に加えて、最後に消えた子どもを乞食収容所で見つけた一家団欒の喜 劇の場面が描かれている。「媳婦」(『台湾文学集』大木書店 1943.11.17、陳萬益編『張文 環日本語作品及び草稿全編』台中縣立文化中心,2011)では「親を思はない子には未練が ない」という描写がある。

63『台湾文学』と『文芸台湾』の廃刊ののち、戦争協力としての文芸雑誌として発刊された。

(尾崎秀樹『旧植民地文学の研究』勁草書房,1971,P178)

64張文環「雲の中」(『台灣文藝』1 巻 5 号 1944.11.1)陳萬益編『張文環日本語作品及び草 稿全編』台中縣立文化中心,2011

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国親権思想の抑圧 65を見出した。張文薫自身も前掲博士論文で、『台湾文学』で 発表した「藝妲の家」(1941.5.27『台湾文学』創刊号)について、資本主義と 父権制度の問題に根付く媳婦仔と藝妲制度に対する張文環の批判 66を詳しく論 じた。また、皇民劇と対置する厚生演劇会の創成を背景とした「閹雞」(1942.7.11 同 2 巻 3 号)について、吳麗櫻、鍾惠芬の修士論文は、「資本家―植民者―父権」67 という社会体制の支配構造を見出した。游勝冠の前掲著書も、「閹雞」という題 名の意味を植民地で権力を奪われた男性の去勢の象徴とし、父権社会に支配さ れる女性の立場を植民者に支配される台湾人の立場68と捉えた。つまり、張文環 の反植民意識や近代化社会へ批判を指摘するには、「文明」と「伝統」の対立の 視点よりも、日本帝国のもたらした資本主義の発展と結びつく父権体制への批 判から切り込んでいったほうがいいではないかと考えられる。

以上、先行研究と資料を通して考察してくると、戦争協力の作品と非戦争協 力の作品に分けられる張文環の作品は、近代化に対する捉え方がまったく異な っていることが分る。戦争協力の作品に反映されている国民国家統合の傾向に 相対して、非戦争協力の作品は、資本主義、都市化と物質文明の問題が中心と され、植民地人間の階級問題、物質文明への憧憬、そして父権体制に関する討 論が多い。ただ、非戦争協力の作品に関する先行研究は、日本帝国のもたらし た文明に対する植民地の人間の従属への張文環の描写に重点を置きすぎている。

非戦争協力の作品から国民国家統合とそれに伴った近代化に対する張文環の批 判を見出せるかが興味深い。

65柳書琴『荊棘之道:臺灣旅日青年的文學活動與文化抗爭』聯經,2009,P339

66張文薫『植民地プロレタリア青年の文芸再生―張文環を中心とした『フオルモサ』世代の 台湾文学―』東京大学大学院人文社会系研究科,2005,P86-99

67吳麗櫻「張文環小說中女性題材之研究」中興大學中國文學系碩士在職專班,2004、鍾惠芬

「張文環的文學活動及其小說主題意涵研究」屏東教育大學中國語文學系,2007

68游勝冠『殖民主義與文化抗爭‧日據時期臺灣解殖文學』群學,2012.04,P526-527 原文は:

「這是張文環作為殖民地被去權的男性,因為父權社會的女性處境相同衍生的共同感情」、「支 配月里命運的傳統社會體制,就像剝奪臺灣人男性特質的殖民體制,在「父權體制」上也是 同質。」

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三、 問題意識、研究方法、目的、範囲

(一)、問題意識

漱石と張文環は、それぞれ近代化社会に対する批判が指摘されてきた。しか し、明治社会における資本主義の発展とそれに伴った実利主義、物質文明に対 する漱石の観察や批判が、どのように父権体制に触れて文明と道徳の関係を探 求する側面、さらに「国家」の概念と対置する独自の「個人主義」に辿り着い た思想上の展開に繋がっていくか。また、戦争協力の作品に示されている国民 国家統合に対する協力的姿勢に相対して、張文環の非戦争協力の作品から国民 国家統合とそれに伴った近代化に対する抵抗が見られるかが、課題として残さ れている。

曾秋桂論文で提起された長塚節の『土』に対する漱石と張文環の関心は、両 作家の繋がりを示している。「「台湾代表的作家の文芸を語る」座談会」におい て、張文環は実際に「本当に好きなのは長塚節の「土」です。日本の作品で本 当に二回も三回も讀み返したのは「土」だけです。その他永井荷風、島崎藤村、

丹羽文雄、島木健作、大谷藤子、国木田独歩などです。」69と述べている。長塚 節の『土』だけでなく、島崎藤村の作品に対して漱石もかなり興味を示してい る。長塚節の『土』と島崎藤村の文学に対する漱石と張文環の共通な文芸的関 心は、どのように国民国家統合とそれに伴った近代化に置かれた両作家の近代 化批判と文芸思想に関連し、両作家の接点を示しているかが興味深い。

(二)、研究方法と目的

フランス初期ロマン派作家で政治思想を重視し、文芸評論を行っていたアン ヌ・ルイーズ・ジェルメーヌ・ド・スタール(Anne Louise Germaine de Staël、

1766-1817)は、社会背景がどのように文学に影響を与え、文学がどのように社

69台湾文芸連盟「「台湾代表的作家の文芸を語る」座談会」(1941.11.01、『台灣藝術』第 3 巻第 1 号)陳萬益編『張文環日本語作品及び草稿全編』台中縣立文化中心,2011

參考文獻

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