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第一章 序論

一、 研究動機

第一章 序論

1871 年(明治 4 年)岩倉外使節団巡回の結果、明治政府は国力の弱さと条約 改正の困難への認識として、殖産興業と軍事力の強化を優先にする内治優先論 と、制度的西欧化の漸進論をとるに至り、三権分立・地租改正・学制・徴兵令・

秩祿処分・司法改革などの政策を推進し、財政の中央集権化による鉄道や郵便 などの交通・通信システム、銀行の発展、近代学校の建設を進めた。1895 年日 清戦争の結果として、明治政府は台湾を領有し、南進戦略と経済発展の基地を 図るために、制度、物質建設を指標とする明治近代化の経験を台湾植民地に取 り入れていた。その史実に基づいて、周婉窈は台湾植民地時代の近代化建設を 明治社会の近代化建設と対照し、台湾植民地社会の近代化を「小規模の明治維 新」1と呼んでいる。陳芳明は台湾文学史の脈絡を整理するに当って、台湾植民 地の近代化と明治の文明開化の関連性2に言及している。人間の生活の感情を伝 える文学そのものが、明治社会と台湾植民地社会の共通な近代化経験のもとで、

どのような繋がりを形成しているかが興味深い。

一、 研究動機

明治社会と台湾植民地社会の近代化は、物質文明の建設のほかに、社会体制 と思想上の顕著な影響関係が以下のように観察できる。

明治社会は、対外独立の緊迫に面して、儒教道徳と封建思想を掲げる徳川幕 府の体制を打破する維新風潮が起こっていた。欧化主義のもとで、資本自由主 義が流入し、自由主義国家を唱えるイギリスのスペンサアの社会進化論が歪め られ、「完全な生活とは実用を主とした幸福な生活」、「自己保存、種族保存が第 一」3という幸福論的思想が、加藤弘之・穂積陳重による社会進化論の紹介で流 行していた。啓蒙思想家の福沢諭吉の唱えていた実学主義と功利思想4もそうい

1周婉窈「殖民地化與近代化」『台灣歷史圖說』聯經,2009,P144-146

2陳芳明『殖民地摩登 : 現代性與台灣史觀』麥田,2011,P31-32

3吉田精一『明治大正文学史』桜楓社,1986,P11

4福沢諭吉の『学問のすすめ』(1874 年より刊行)は実学の重要性と功利思想を唱導し、『西

2 22 年(1889)に天皇集権体制を強固する『明治憲法』を制定し、学校令を改め、

洋事情』(1866 年より刊行)、『文明論之概略』(1875 年に刊行)で西洋の啓蒙思潮と政治制 度を紹介し、主知主義、資本自由主義を唱えている。

5野村明宏「植民地における近代的統治に関する社会学―後藤新平の台湾統治をめぐって」

『京都社会学年報』第七号,1999,P1-24

6李會園『日據時期臺灣師範教育制度』(南天,1997,P22-26)によると、公学校の義務教育 が正式的に六年制の初等教育として実施されたのは、日露戦争勝利の 1904 年 2 月以後であ 年報』第七号,1999,P1-24)も、1900 年における国語学校における実業部、電信科、鉄道 科、農業科の増設と、1928 年における医学重視の台北帝国大学の設立を、実学教育の偏重 と指摘している。

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『教育勅語』(明治 23 年、1990)を発布し、国定教科書による「国体」教育を 実施した8。台湾植民地社会でも、大戦に向かう中後期で内地延長主義政策に転 換され、民権運動が厳しく弾圧され、日本神話と天皇制に関連する郷土教材を 大量に採用した国語教育の推進が図られていた。殖民以前の歴史への消去と愛 国愛郷の精神の形成を図っていた台湾公学校の第三期教科書(1923-1937、児童 進学率の高い時期)の内容9と、1941 年の「大東亜戦争」への「志願兵」の徴兵 における天皇統制の正当性を強める家族国家観の強調から見られるように、資 本主義のもたらした個人主義の発展を防ぐために、台湾植民地の社会体制の発 展も国粋主義を展開した明治社会の近代化の矛盾な経験を踏まえていた。

西川長夫は、近代国民国家の形成の前提を「文明化」と指摘し、フランス国 民国家形成の典型への観察を通して、近代国民国家の構成について、(1)経済 統合(資本主義形成)、(2)国民の統治―支配にかかわる諸機関(憲法、軍隊 など)、(3)イデオロギー装置(家族のイメージ、近代学校)、(4)国民的な シンボル(国歌、国語、儀式、神話)、(5)イデオロギーとしての「市民(国 民)宗教」という五つで要素で提示する上で、「欧化主義と国粋主義が交互に現 れる」10という近代化に伴ってくる現象を指摘した。日本帝国の支配、生存競争 観に基づく功利主義観のもとで、「文明化」を前提とし、資本主義の発展、軍隊、

近代学校、家族国家観の形成、実学教育と天孫神話の提唱などから見られるよ うに、明治社会と台湾植民地社会は近代国民国家の構成の要素を備えている上 で、社会思想としては欧化主義と国粋主義が競合している。

その中で、明治時代の「文明批評家」の夏目漱石は、明治社会の近代化を批 判し、「国家」の概念と対置する「個人主義」を提起した一方、漱石と共通な文 芸的関心があると提起されてきた「植民地作家」の張文環は、1930 年代台湾文 壇の反植民と近代化批判の風潮の中で、反植民意識を抱き、近代化の問題を描

8色川大吉『明治の文化』岩波書店,1970,P301-335

9周婉窈「實學教育、鄉土愛與國家認同」(『臺灣史研究』第四期第二卷,1997,P38-45)は、

「公學校國語課本不乏對日本歷史(神話)或人物的描寫。例如卷五第一課〈天之岩屋〉、卷五 第十九課〈除蟒蛇〉(素箋鳴尊除八岐大蛇的故事)、卷六第八課〈征伐熊襲〉、卷六第十三課

〈仁德天皇〉、卷八第十六課〈幼年時代的伊藤公〉……」と指摘している。

10西川長夫「日本型国民国家の形成―比較史的観点から―」西川長夫・松宮秀治『幕末・明 治期の国民国家形成と文化変容』新曜社,1999.02,P10-19

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き出している。近代化問題に着眼する二人の作家は、果たしてどのように国民 国家統合とそれに伴った近代化の問題を作品と文芸的関心に反映しているかが 興味深い。

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