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第四章、日常性からの反逆――『おさん』における家庭的な女の視 線

罹災、敗戦、事業の失敗で落ちぶれた夫の日常と自死を、妻としての「私」

は苦渋に満ちた口調で語る。ジャーナリストとして自認する夫は外泊を重ね、

女との不倫関係の泥沼にはまったままである。「私」はほろ苦い気分にさらさ れながら、夫の不実さを責める代わりに、むしろ、もっと気楽になってと願う。

ある日、夫は何の前触れもなく突然旅に出て、愛人と心中を遂げていく。革命 家ぶりを気取った夫の遺書を読まされた「私」はただその「馬鹿馬鹿」しく感 じ、ひたすら身悶えするばかりだった。安藤宏氏は『ヴィヨンの妻』を夫婦間 の齟齬と懸隔が描出されている作品として指摘し、『おさん』の場合はそれ以 上「より強い否定形で拡大」46したものだと評を下している。また、太田静子 の妊娠と山崎富栄との恋愛を妻に知られることへの恐れと罪の意識からの煩 悶、そして自らの破滅への予感という作家太宰の負の意識が、作家の周辺事情 があきらかにこの作品の背景として反映されていた。

4-1.夫の死を眺める妻の冷ややかな眼

「私」は夫のことを悲しく同情するが、何も対抗することが出来ない。夫の 思想や革命への思いに「私」は共感することがあるし、共感しないところもあ った。夫の革命思想と違って、「私」が気がかりだったのは家庭、夫、そして、

自分と子供の幸福だったのである。それは日常的な小市民の幸福願望を抱いた 妻である「私」が夫との間の大きな相違点である。夫婦の疎外意識と懸隔は夫 の前では言葉にすることはなかった。また、そうした妻の表象に関して、野原 一夫氏は以下のような見解を示している。

(前略)『おさん』の妻は、太宰治の願望が生んだ理想の女房像と言えよ う。いや、それは、すべての男性がひそかに希求している理想の女房像 かもしれない。遊女と深い仲になっている亭主の思いを遂げさせてやる ために、有金と衣類のすべてをさしだして身請けさせようとする「心中 天の網島」のおさんのなかに、近松門左衛門も理想の女房像を見出して いたのかもしれない。しかしそれが、身勝手な願望であることを、いち ばんよく知っていたのは太宰治だったはずである。47

46 安藤宏「『ヴィヨンの妻』試論」、国文学解釈と鑑賞、1988.6

47 野原一夫『太宰治 生涯と文学』、筑摩書房、1998.5、P.412~413

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理想的な女房を具現化した『おさん』の妻像は全く批判的な目でぐうたらの 亭主を見る視線が存在していなかっただろうか。第一章において先行研究の説 で触れたように、夫という性的他者を見つめる妻の批判的な視線こそ問題視さ れるべきものだと思われる。そして、『おさん』の語りを厳密に再検証するこ とによって、そこで特徴付けられる妻の表象を新たに意味づけ、定着させてい きたい。

(変ったお方になってしまった。いったい、いつ頃から、あの事がはじ まったのだろう。疎開先の青森から引き上げて来て、四箇月振りで夫と逢 った時、夫の笑顔がどこやら卑屈で、そうして、私の視線を避けるような、

おどおどしたお態度で、私はただそれを、不自由なひとり暮しのために、

おやつれになった、とだけ感じて、いたいたしく思ったものだが、或いは あの四箇月の間に、ああ、もう何も考えまい、考えると、考えるだけ苦し みの泥沼に深く落ち込むばかりだ。)

どうせお帰りにならない夫の蒲団を、マサ子の蒲団と並べて敷いて、そ れから蚊帳を吊りながら、私は悲しく、くるしゅうございました。」(P.272)

敗戦後、妻の「私」は夫の身の上に何かが変わったと敏感に読み取っていた。

戦争のために、自分たちが長い間住んでいた小さい貸家は爆弾に襲われ、ほぼ 崩壊されたくらいであった。もう親子四人で住める家ではなくなったため、

「私」は二人の子供をつれ、里の青森市に疎開することにした。夫は一人で東 京に取り残され、今まで通りに雑誌社に通っていた。「私」たちが青森市に疎 開し、四ヶ月もたたぬうちに、今度は青森市も空襲に襲われる羽目になった。

大変な苦労をして実家に持ち運んできた荷物でさえ完全焼失され、自分たちは 余儀なく「着のみ着のままのみじめな姿」(P.270)で知り合いの家に窮屈な思 いをしてしばらく身を置かせることにした。まもなく日本が無条件降伏になり、

やっと酷い戦争が終わった。「私」は「東京が恋ひしくて、二人の子供を連れ、

ほとんど乞食の姿でまたもや東京に舞ひ戻」(P.270)ったが、「夫の身の上が 変わって来」(P.270)たと感じた。「私」は「よい夫、やさしい夫」(P.271)

に恵まれ、結婚以来の十年間、「いちども私をぶつたり、また口汚くののしつ たり」(P.271)したことはなく、「仕合せ者」だと思っている。「夫の優しさ」

(P.272)を思いつくと、夫が恋しくてならない。だが、ただの四ヶ月のうち に、これまでのやさしい夫がまるで別人のように変わった。夫は自分の視線と 直接見合わせることが怖いようで、昔より「無口」(P.271)になってきた。ま るで「たましひの、抜けた」(P.267)空っぽの人間のように、「幽霊のやうな、

とてもこの世に生きてゐるものではない」(P.267)ような姿であった。「私」

の目に映った夫の姿を見つめ、いまの自分の身の落ちぶれより「つらい」

(P.269)と思った。

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三畳間で、子供たちは、ごはん、夫は、はだかで、そうして濡れ手拭い を肩にかぶせて、ビイル、私はコップ一ぱいだけ附合わせていただいて、

あとはもったいないので遠慮して、次女のトシ子を抱いておっぱいをやり、

うわべは平和な一家團欒の図でしたが、やはり気まずく、夫は私の視線を 避けてばかりいますし、また私も、夫の痛いところにさわらないよう話題 を細心に選択しなければならず、どうしても話がはずみません。」(P.273)

「可愛いでしょう? 子供を見てると、ながいきしたいとお思いになら ない?」

と言ったら、夫は急に妙な顔になって、

「うむ。」

と苦しそうな返事をなさったので、私は、はっとして、冷汗の出る思い でした。」(P.276)

「私」は夫が変わったのを感じ取り、そのような夫のことが不憫に思い、せ めて家庭の穏やかさだけを保ちたいことで懸命であった。上の引用のように、

「私」は夫の機嫌をとるために、一緒にビールを飲み、少しでも夫を楽しませ ようとした。「取り残され」(P.276)ていることに、ただ「わびしい溜息」(P.276)

をつくだけで、「夫の恋の風の向きの変る」(P.276)を祈るしか何も打つ手が なかった。妻の「私」は夫が変ったとしても、強いて夫を引きとめたりしない。

ただ辛抱強く、夫を待つ妻の役割を果たした。また、「子供のためにも」(P.276)

夫と別れることもできないし、子夫に長生きしてもらおうと、懇切に願ってい る。一方において、革命思想を甲高く唱えている夫は、フランスのロマンチッ クな王朝を破壊するように、「平和な家庭をも、破壊しなければならない」

(P.275)と言ってのけて憚らない。「私」は夫のつらさが「よくわかる」(P.275)

が、自分だって「夫に恋をしてゐる」(P.275)から、そのまま夫を放っておい て家庭を壊すわけにもできないのである。

その時、ふっと私は、久方振りで、涼しい幸福感を味わいました。(そ うなんだ、夫の気持を楽にしてあげたら、私の気持も楽になるんだ。道徳 も何もありやしない、気持が楽になれば、それでいいんだ。)(P.279)

「私」は毎日夫の「食がちっともすすまぬ様子で、眼が落ちくぼんで、ぎら ぎらおそろしく光」(P.278)ってる姿を見、苦しい思いをするばかりである。

夫が「いっそ発狂しちゃったら、気が楽だ」(P.278)と、やけくそにいった。

「私」も夫の絶望的な気持にひどく同感のと同様に、夫が「苦しさうだと、あ たしも苦しいの」(P.278)と、妻の告白である。夫が「私」と少しでも対話す

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るなら、「私」は幸福さえ感じた。「私」は道徳なんか一向気にせずに、夫婦間 の楽しい気分のほうがよほど大事なものではないだろうかと思う。そういう単 純な気持は「私」の一種の「鈍感」(P.278)のせいかもしれないが、夫の存在 が恋しいだけに、夫が気楽にさえなれるのを願っている。やせた自分のことを 心配してくれて自分は「なんともおもつてやしないわ」(P.279)と健気に答え た。自分を心配してくれるよりも、「私」は夫が彼自身のことを心配したらよ いのだと考えている。自分は「利巧ですから」(P.279)、夫から心配される女 ではない。

男のひとは、妻をいつも思っている事が道徳的だと感ちがいしているの ではないでしょうか。他にすきなひとが出来ても、おのれの妻を忘れない というのは、いい事だ、良心的だ、男はつねにそのようでなければならな

男のひとは、妻をいつも思っている事が道徳的だと感ちがいしているの ではないでしょうか。他にすきなひとが出来ても、おのれの妻を忘れない というのは、いい事だ、良心的だ、男はつねにそのようでなければならな

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