• 沒有找到結果。

立 政 治 大 學

N a tio na

l C h engchi U ni ve rs it y

第三章、『斜陽』における悪女の革命

敗戦後の混乱する世相の中、かず子は母と一緒に東京の家を処分し、静かな 伊豆の山荘を買って、そこに引っ越した。かず子は今の生活の底に潜在した不 安を意識し、書く事を通して自分の中の「暗い影」を見つめると同時に、それ と戦おうともする。そして、それらの事を考えていくうちに、美しい母を食い 殺す、胸の中にひそむ「蝮」を意識し、「下品な女」になっていく自分を自覚 する。また、小説家上原との「ひめごと」は次第に増幅され「恋」に変ってい った。この「恋」を成就させることは、つまりそのまま母を裏切り、これまで かず子が身につけてきた「女大学」的な、つまり伝統的日本女性の生き方を壊 す、非道徳的行為であることを意味する。

そして、弟の直治はかず子にとって、どのような存在であろうか。直治の日 記を読む前に、かず子にとって、ただ疎ましい存在に過ぎなかった。しかし、

「夕顔日誌」を読んだかず子は、生きる希望をなくした弟の姿を見届けつつ、

弟と自分との同一性を見出したのと同時に、その相違点も見出した。結局、生 きていることの意味を見出せなかった直治は自殺し、かず子と逆の方向へと歩 み出していった。

また、上原に犯された後の朝、かず子は彼の「犠牲者の顔」を見た。そして、

「かなしい、かなしい恋の成就」とかず子は書くが、この「かなしい恋」は、

それまでの「恋」とは本質的に違うものである。かず子が頭の中で観念的に作 り上げてきた「虹」としての「上原さん」ではなく、ただ「田舎の百姓の息子」

ゆえのコンプレックスを隠してきた平凡な男であった。

母の病死と弟の自殺を経験したかず子は、世の中の「古い道徳」に対し、自 分が「過渡期の犠牲者」のひとりとして、雄々しく戦っていくと告げる。この 闘いを支えるものとして、このときのかず子が自覚しているのは、ほかならな い貴族としての「誇り」なのである。かず子は、いったんは自分の中で否定し た、貴族の精神の「復活」こそを、願うのであった。

鳥居氏は『斜陽』が二つの主題を持っていると述べた。

母に象徴される「滅びの美」という第一主題は、「アナーキズム風の桃 源境」が現実に辿ってしまった道ほどの帰結であり、「かず子の復活」と いう第二主題は、そのような終末からの、見通しはないが、それしかな い唯一の脱出口であるということができよう。そして、結果的に第一主 題が大きく響きすぎて、第二主題が圧倒されているような事態があると すれば、それはまさしく、当時の太宰の陥っていた窮状を示すものであ ると考えられる。しかしそうは言っても、「斜陽」の第二主題はいかに不 充分であるにもせよ太宰自身によって設定せられたものなのであり、太 宰にとって、それを書くことは戦後の歩みが必然的に要求しているもの

‧ 國

立 政 治 大 學

N a tio na

l C h engchi U ni ve rs it y

であったということになるであろう。37

その「アナーキズム風の桃源境」への望みや追求にはかず子の生命力が生き 生きと感じられると思う。「滅びの美」はかえってその生命力を彫りだしたの ではないだろうか。本章はかず子が伝統的な考えに束縛されることなく、自分 の意志で、これからの人生に勇敢に立ち向かうことを分析し、母と弟、恋人と の犠牲などのトラウマ体験を持っていながらも、そこに宣言された「道徳革命」

が一体完成されたかどうかという問題を考察していきたいと思う。その過程に おいて目覚めた生命力の根源は一体どこから来るものか。また、弟と恋人の犠 牲はどういう意味や示唆が示されたかということにも及んで、検証していきた い。

3-1.書く女の戦い

3-1-1.生きていくための不良

物語りの発端において、かず子は蛇の事件に対して忌まわしい暗示のような ことを感じずにはいられない。かず子の焼いてしまった卵を探していたような 一匹の蛇がいる。その蛇は「ほつそりした、上品」な蛇だった。かず子はその

「悲しみが深くて美しい美しい母蛇」がお母様の顔に似ていると思う。しかし、

自分の胸に住んだ「蝮みたいにごろごろして醜い蛇」がいつか、その美しい母 蛇を食い殺してしまうという感じがした。

けれども、お母さまには、もうお金が無くなってしまった。みんな私た ちのために、私と直治のために、みじんも惜しまずにお使いになってしま ったのだ。そうしてもう、この永年住みなれたお家から出て行って、伊豆 の小さい山荘で私とたった二人きりで、わびしい生活をはじめなければな らなくなった。もしお母さまが意地悪でケチケチして、私たちを叱って、

そうして、こっそりご自分だけのお金をふやす事を工夫なさるようなお方 であったら、どんなに世の中が変っても、こんな、死にたくなるようなお 気持におなりになる事はなかったろうに、ああ、お金が無くなるという事 は、なんというおそろしい、みじめな、救いの無い地獄だろう、と生れて はじめて気がついた」(後略)(P.125)

今まで貴族として不自由なことがひとつもなく、お母様にかわいがられてい たかず子は伊豆の山荘に引っ越した。お金が全部使い切られたゆえに、余儀な く「眼をつぶ」って、お母様と二人きりでこの山荘で新しい生活を過ごしてい く。お母様にとって、東京の西片町の家」(しかもお父様のなくなった家)を

37 鳥居邦朗「斜陽」、『作品論太宰治』所収、P.351

‧ 國

立 政 治 大 學

N a tio na

l C h engchi U ni ve rs it y

捨てることは何よりも心外なことである。しかし、「かず子がゐてくれるから」、 お母様はあえて伊豆へ引っ越した。「死んだはうがよいのです」という、東京 の家から出てきたお母様の弱音には、かず子が今まで感じたことのなかった実 生活の苦しみをつくづくと痛感した。そして、お母様の噛みしめるその苦しみ はかず子が自身にも責任を感じずにはいられなかった。お母様は優しすぎ、自 分と直治をかわいがり過ぎていたから、このような羽目に遭ったのだと、自分 はまるでお母様を食い殺したようなものである。

私は翌日から、畑仕事に精を出した。下の農家の中井さんの娘さんが、

時々お手伝いして下さった。火事を出すなどという醜態を演じてからは、

私のからだの血が何だか少し赤黒くなったような気がして、その前には、

私の胸に意地悪の蝮が住み、こんどは血の色まで少し変ったのだから、い よいよ野性の田舎娘になって行くような気分で、お母さまとお縁側で編物 などをしていても、へんに窮屈で息苦しく、かえって畑へ出て、土を掘り 起したりしているほうが気楽なくらいであった。(P.140)

伊豆の山荘に引っ越したかず子は母と穏やかな生活を送っていたが、時々こ のような生活は「全部いつはりの、見せかけに過ぎない」と感じた。「私たち の人生は、西片町のお家を出た時に、もう終わった」のである。今までお嬢さ んとして扱われてきたかず子は伊豆のこの山荘に引っ越して、村の人々からは 親切に扱われた。しかし、自分の不注意で火事を起こしてしまった。それは無 事に終わったが、かず子は村のあるお嫁さんに叱られ、やっと今まで気づいて いなかったことを感じた。自分とお母様の生活はまるで「ままごと」のような ものであり、「子供が二人で暮してゐるみたい」な世間離れした非日常的な生 活様式そのものである。かず子はそれを意識し、翌日からその暮し方が一変し た。今までのような暮し方ではいけないと、かず子はそう思ったのではないだ ろうか。大体、自分の貴族生活はこの山荘に引っ越したことともに終わったの である。それは現実社会の日常性を意識し始めたかず子の意識変化というもの である。「野生の田舎娘」(P.140)になってもよいくらい、かず子はこれから 生き方を変えていこうとした。

これが私たち親子が神さまからいただいた短い休息の期間であったと しても、もうすでにこの平和には、何か不吉な、暗い影が忍び寄って来て いるような気がしてならない。お母さまは、幸福をお装いになりながらも、

日に日に衰え、そうして私の胸には蝮が宿り、お母さまを犠牲にしてまで 太り、自分でおさえてもおさえても太り、ああ、これがただ季節のせいだ けのものであってくれたらよい、私にはこの頃、こんな生活が、とてもた まらなくなる事があるのだ。蛇の卵を焼くなどというはしたない事をした

‧ 國

立 政 治 大 學

N a tio na

l C h engchi U ni ve rs it y

のも、そのような私のいらいらした思いのあらわれの一つだったのに違い

のも、そのような私のいらいらした思いのあらわれの一つだったのに違い

相關文件