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ここまでの流れを振り返ってみよう。第 3 章では、能格構文の基本形を設定 した。第 4 章では、能格性述語はどのように能格構文の基本形と対応するのか について、「非対格性の仮説」と「語彙概念構造」などの理論を通して考察した。

しかし、能格構文は果たして対格構文とどのように違うのか。また、日本語に おいて、能格構文はなぜ存在するのだろうか。これらの問題は、本章の議論で 明らかにする。他には、能格構文の理論を現在の日本語文法体系に導入して、

どのようなメリットがあるのか、または、これまでの文法理論にはどのような 問題点が存在するのか、などのような疑問も、第 5 章において述べていく。

5-1 日本語における能格構文と対格構文

第 3 章で考察したように、能格構文の基本形は、ある性質をもつ「内項」が まず存在し、それから「外項」が入り、その性質を認知して、感情による「使 役化」が発生することを通して成立した。その基本形を、図 5-1 に示しておく。

図 5-1 能格構文の基本形と統語構造

一項構文 二項構文

yガ z x△ yガ z

上図によると、「使役化」が発生する前に、統語構造は「yガz」と規定され、

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唯一の項である「内項」は「ガ格=主格」で標識される。そして、「使役化」が 発生したあと、統語構造は「x△yガz」となり、「内項」は依然として「ガ格

=主格」で標識されるが、新たに入った「外項」は「△格=能格」によってマ ークされる。それに対し、対格構文の基本形は、図 5-2 のように考えられる。

図 5-2 対格構文の基本形と統語構造

一項構文 二項構文

yガ z xガ yヲ z

対格構文は、一見能格構文と同じ仕組みになっているが、決定的な違いがあ る。その相違点として、能格構文は、一項構文から二項構文へと派生する成立 過程であるのに対し、対格構文は、逆に二項構文から一項構文へと変化するこ とが考えられる。その証拠は、両構文における格配置を観察することでも知る ことができる。まず、能格構文と対格構文の例文を検討してみよう。

(1) 火事が こわい。

(2) 私△ 火事が こわい。

(3) 花瓶が 割れる。

(4) 私が 花瓶を 割る。

例えば、能格構文では、(2)の「使役化的述語」は(1)の「非対格述語」が

「使役化」して生成した結果と見られる。その理由は、「火事」は(1)も(2)

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も「ガ格」によって示すので、(2)は(1)をもとに何かを加えた印象が強いか らである。格標識を観察したこの結論は、第 3 章で考察した能格構文の発生過 程(一項構文から二項構文へ)と一致している。

しかし、対格構文では、(3)(4)における「火事」はそれぞれ違う格標識に よってマークされるため、対格構文のように(4)は(3)から来たとは言いが たい。むしろ、先に(4)があって、(3)は後に生起されたと考えた方が自然で ある。なぜなら、物事の成立順序において、まず「私が花瓶を割る」という行 為が発生してから、「花瓶が割れる」という結果が成立したからである。

それでは、このような派生順序の違いは果たしてどこから来るのか。本稿の 考えにより、主観性と客観性の問題に係わると考えられる。この点について、

本稿では以下のように仮定する。能格構文は、主観性をもつ構文である。それ に対し、対格構文は客観性をもつ構文である。次節より、能格構文と対格構文 を別々に考察し、その仮定を実証してみる。

5-1-1 主観性をもつ能格構文

もう一度図 5-1 を見る。能格構文において、一項構文でも二項構文でも、「ガ 格」によって標識されたのは「内項」である。これは、話し手がどちらの構文 に対しても、「内項」を同じ意識をもって認知することを意味している。一項構 文では、「内項」は唯一の項なので「ガ格」をそこに置くのは考えられるが、二 項構文でも、「ガ格」を「内項」に置くのはなぜだろうか。一般的に、「ガ格」

は最も認知されやすいもの、いわゆる「主役」を標識する。名詞句階層による と、上位に立つ名詞句ほど活動性が高いので、先に認知される可能性も順番的

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に他のものより高い。そこで、能格構文の「外項」は感情を発する人間である ため、当然「内項」より活動性が高い。それにもかかわらず、日本人は「外項」

よりも、「ガ格」を活動性の低い「内項」に置く理由は一体何だろうか。

ここで、もう一度能格構文の発生過程を振り返ってみよう。前章の考察では、

能格構文は主観性による使役化を経てはじめて成立すると分かった。そこで、

主観性は主観に依存する性質なので、もちろんその事件を実際に体験した当事 者でないと判断できない。つまり、認知のルートは当事者を通さないと主観性 が成立しない。故に、当然のことながら、能格構文の発話時の視点は、当事者 自分自身に置かれることになる。視点を自分に置くために、「外項=自分」はも ちろん視野には入らない。その結果、視野内にあるのは「内項」だけとなり、「ガ 格」でその唯一の項を標識するのも大変合理的である。図 5-3 は、能格構文が 構築されるときの視点をイメージしたものである。

図 5-3 能格構文の視点図

一項構文 二項構文

yガ z x△ yガ z

上図で示したように、能格構文の発生過程において、二項構文は一項構文を もとに派生されたと見られる。そして、一項構文から二項構文へと変化するプ ロセスには主観性が伴うゆえ、視点が話し手自身に置かれることになる。そこ で、当然ながら視野に入るのも「内項」しかない。ここで、特に注目すべきな

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のは二項構文のところである。二項構文は、空間的に「外項」と「内項」が両 方とも存在するが、話し手の視点が「自分=外項」に置かれたため、当然「自 分=外項」は話し手の目には映らない。そこで、まず「ガ格」をもって視野内 の「内項」を標識し、それから、視野外の「外項」を「行為・過程の出発点」

を明示する「能格」でマークすると考えられる。

日本語の能格構文は、視点を話し手自分に置く証拠として、一人称制限構文 という現象が挙げられる。日本語には、一人称制限構文が存在することは周知 の通りである。これまでも、西尾(1972)、寺村(1982)、金水(1989)、益岡(1997)

などの学者によって研究がなされてきたが、それを能格構文に関連付けようと する研究は管見では未だにない。一人称制限が存在する根本的な理由も、完全 に解明されていない。そこで、本稿は、一人称制限構文の原因は主観性をもつ 能格構文に由来すると考え、両者には関連性が存在すると主張したい。

(5) 火事が こわい。

例えば、(5)において、話し手が発話したときの視野は、目の前にある「火 事」だけだと考えられる。なぜかというと、文の中で具現化された名詞句はそ れしかないからだ。そこで、視野内に入ったのは「火事」しかないので、それ が話し手にとっていちばん認知しやすいものとなる。したがって、話し手は「ガ 格」を使って、その唯一の項をマークしたと考えられる。

(6) 私は 火事が こわい。

(7) *彼は 火事が こわい。

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そして、(6)において、「私」という新たな名詞句が入ったため、名詞句が二 つに増えたが、話し手の視野内にあるものは、やはり(5)と同じ「火事」だけ だと思われる。その証拠は、「火事」は(5)(6)とも同じ「ガ格」という格標 識でマークされることの他に、もう一つある。それは、「外項」が一人称の(6)

は、正しい文として成立するのに対し、「外項」が三人称の(7)は、非文にな ってしまうということである。

非文になる原因は、能格構文を成立させるための「使役化」というプロセス は、当事者自分を通さないと成立しないからだと思われる。即ち、(6)の認知 ルートは、まず話し手が「火事」というものを目に映し、それを認知してから 自分の心から感情を発したので、「使役化」は話し手自分自身を通してはじめて 成立する。ところが、(7)の場合、話し手は当事者ではないため、「使役化」の 過程は、話し手自分自身を通していない。第 3 章で、能格構文のプロセスは、

客観から主観への変化だということを述べた。即ち、能格構文の成立は、主観 性による使役化がいちばん大切な発生条件である。ただ、主観性の認定は人に よってかなり異なるので、原則的にその当事者でないと分かるはずがない。つ まり、話し手が「火事」を目に映したとしても、別の人が感情を発したかどう かは、その別の人にしか分からない。そのため、能格構文は「外項」が一人称 の場合のみ成立することが多い。これで、能格構文は視点を話し手自分自身に 置く主観性をもつ構文であることは、裏付けられたと考えられる。

能格構文の視点が一人称に置かれる、そのもう一つの証拠は、「外項」が一人 称のときは、よく省略されることである。日本語の省略現象について、池上(2007)

は、次のように述べている。(下線筆者)

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