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中日兩國文學裡的「猿神退治」譚 ー以『今昔物語集』與唐代傳奇為主ー

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(1)台大日本語文研究第 28 期 2014 年 12 月,頁 41-61 2014-10-15 收稿,2014-11-24 通過刊登 DOI: 10.6183/NTUJP.2014.28.41. 中日兩國文學裡的「猿神退治」譚 ー以『今昔物語集』與唐代傳奇為主ー 陳明姿*. 摘要 《中日兩國的文學裡收錄了不少與猿有關的故事,這些故事也未 必都是兩者和平共處的故事,當中也有人與猿爭鬥的「猿神退治」類 型的故事,在日本現存古代的說話文學當中最早收錄「猿神退治」類 型故事者當屬『今昔物語集』卷二十六的「美作國神依獵師謀止生贄 語第七」及「飛彈國猿神止生贄語第八」的兩則故事,這兩則故事與 中 國 的 故 事 有 何 關 連 呢 ? 此 外,其 又 與 中 國 同 類 型 的 故 事 有 何 異 同 呢, 是一饒富趣味的問題,拙論作為探討中日兩國古代故事的關連及異同 之一環,特別聚焦於『今昔物語集』這兩則故事,以考察中日兩國故 事的相關及「猿神退治」譚之異同。. 關鍵詞:猿神、活人供品、英雄、神仙、今昔物語集. *. 台灣大學日本語文學系教授.

(2) 42 台大日本語文研究 28. The ape stories found in Konjaku monogatari (Ancient Japanese Literature) and The short tales from Tang Dynasty (Ancient Chinese Literature) Chen, Mung-tzu *. Abstract Tales about Apes and humans can be easily identified both in Japanese and Chinese literature. Among these tales, humans and apes do not necessarily have a peaceful coexistence. The “Monkey God Extermination (Sarugami Taiji)” genre depicts man and ape at war. Two tales from the Scroll 26 of Konjaku Monogatari are the earliest records of the (“Monkey God Extermination (Sarugami Taiji)” genre) which can still be seen today. This thesis is going to exam these two tales and their similarities and differences to those of the same genre from China. Having previously researc hed connections between ancient Chinese and Japanese tales, this research focuses on these two tales from Konjaku Monogatari with the purpose of examining the difference between ancient Japanese‘Setsuwa’ [說 話 ]and Chinese Tales.. Keywords : (Monkey God/ Sarugami) , Living Sacrifice, Hero, Fairy Hermit, Konjaku. *. Pro fessor o f the Depa r tme nt o f J ap anese Lang uage and Literature, Natio nal Taiwa n University.

(3) 日中両国の古代文学における猿神退治譚 43. 日中両国の古代文学における猿神退治譚 ―『今昔物語集』と唐代伝奇を中心に― 陳明姿*. 要旨 現存する日本古代の説話集の中で、最も早く猿神退治説話の例 が見られるのは、日本最大の古代説話集である『今昔物語集』の中 に収録される巻二十六の「美作国神依猟師謀止生贄語第七」と「飛 騨国猿神止生贄語第八」の二話である。この二つの説話は中国の説 話とどのようなかかわりをもつのか。また、中国の同類型の説話と どのような異同が見られるのか。興味深い問題である。小論は日中 両 国 古 代 の 説 話 の 関 連 と 異 同 を 探 求 す る 一 環 と し て 、『 今 昔 物 語 集 』 にあるこの二つの説話に焦点をあて、中国の説話とそのかかわりを 究明した上で、両国の猿神退治譚の異同を考察する試みである。. キーワード:猿神、人身御供、英雄、神仙、今昔物語集. *. 台湾大学日本語文学系教授.

(4) 44 台大日本語文研究 28. 日中両国の古代文学における猿神退治譚 ―『今昔物語集』と唐代伝奇を中心に― 陳明姿. 一、序 猿はこの世界における最初の霊長類である。地域によって多様な 異なる種類の猿がおり、外形ばかりでなく、その知能も他の動物よ り人間に近い。そのためであろうか、人間も古くから猿に対して興 味 を 持 っ て き た 。多 く の 国 の 文 献 に 猿 に 関 す る 話 が 収 録 さ れ て い る 。 日 中 両 国 の 文 学 に お い て も 様 々 な 猿 説 話 が 語 ら れ て い る 。そ れ ら は 、 すべて人間と平和的に共生する話ばかりでなく、中には人間と猿と 戦う猿神退治話型の説話も見られる。現存する日本古代の説話集の 中で、最も早く猿神退治説話の例が見られるのは、日本最大の古代 説話集である『今昔物語集』の中に収録される巻二十六の「美作国 神依猟師謀止生贄語第七」と「飛騨国猿神止生贄語第八」の二話で ある。この二つの説話は中国の説話とどのようなかかわりをもつの か。また、中国の同類型の説話とどのような異同が見られるのか。 興味深い問題である。小論は日中両国古代の説話の関連と異同を探 求する一環として、 『 今 昔 物 語 集 』に あ る こ の 二 つ の 説 話 に 焦 点 を あ て、中国の説話とそのかかわりを究明した上で、両国の猿神退治譚 の異同を考察する試みである。. 二、人身御供 「 猿 神 退 治 」説 話 は『 日 本 昔 話 集 成 』に よ れ ば 4 3 話 も あ る 1 。が 、 『今昔物語集』の巻二十六に収録された「美作国神依猟師謀止生贄 語第七」と「飛騨国猿神止生贄語第八」の二話は日本文学に現れた 早い例である。この二話からこの類型の説話の原型をある程度窺う 1. 関敬吾『日本昔話集成・第二部 30 年 6 月 ) p .12 52. 本 格 昔 話 3 』( 日 本. 東京. 角川書店. 昭和.

(5) 日中両国の古代文学における猿神退治譚 45. ことができると思われることから、ここではまずこの二話の大筋を 見よう。 「美作国神依猟師謀止生贄語第七」の筋は次のようである。 毎年の祭りの際美作国中山の猿神に生贄を供える習わしがあった。 生贄にはその国の未婚の娘を立てることにしていた。ある時、東國 の方から一人の猟師が所用でこの国へやって来た。そのうち生贄の ことが耳に入った。ある日、所用のためその年の生贄に指定された 娘の家へ行ったとき、娘が悲しんでいる様子を見て、同情の念にか られた。その両親に道理を言い聞かせたあと、娘を妻として所望し て、娘の身代りになると言った。猟師は自分の飼い慣らした犬の中 から、特に良いのを二匹選び出し、猿を食い殺す練習をさせた。祭 りの当日になり、猿が長櫃をあけようとすると、猟師がやにわに飛 び出し、二匹の犬の援助で、首領の大猿を殺した。二匹の犬は更に 他の猿達を多く食い殺した。生き残った猿達は抵抗する術もない。 そのうち、猿神が一人の宮に乗り移り、今後一切生贄を求めないか ら、許してもらえないかと言った。猟師は猿神にさらに堅い誓約を させた後、許してやった。その後、その里は人身御供の習俗がなく なり、猟師とその娘は夫婦として幸せに暮らしたわけである。2 次に「飛騨国猿神止生贄語第八」を見よう。 ある僧が行脚しているうち、飛騨国まで行ったが、山の中で道に 迷って、大きな滝が幅広く高所から落ちているところに行き当たっ た。引き返そうにも道がわからない。僧は滝の中に踊り入ったが、 意外にも無事通り抜けることができた。滝を隔てて、別世界が展開 する。そこには多くの人家が見えた。その人達が僧を見ると、争っ て彼を自分の家へ引っ張って行こうとする。最後はそこの郡司殿の 裁定で、僧はある浅黄服の男のもとへいった。その人は僧を家へ連 れて行くと、魚や鳥で料理した様々な美味佳肴を出してもてなす。. 2. ここにある本文の引用及び題名、章段・ページ数の標示はすべて馬淵和夫ら 校 注 ・ 訳 の『 今 昔 物 語 集 』 ( 日 本 東 京 小 学 館 、 1974 年 7 月 初 版 、198 9 年 12 月 第 16 版 に 拠 る )。 P.545 -5 5 1。.

(6) 46 台大日本語文研究 28. その上、たった一人の娘を彼に嫁がせた。こうして、八カ月遇した 後、妻の様子と周りの様子がだんだん怪しくなった。夫は不思議に 思って、妻に真相を聞く。そこで、はじめてその国に人身御供の習 俗があるとわかった。妻の親が彼に来てもらったのは、妻の身代り になってもらうためだった。夫はそのわけを聞いた後、妻によい刀 を見附けて来てもらって、隠し持った。当日になって、彼は裸にさ れ、大きな俎板の上に寝かせられた。彼はこっそり股の間に刀を挟 み込んでいた。やがて、祠から次々と猿が出て来て坐る。ある猿が 生贄に向かって来て、まさに切ろうとした。その瞬間、生贄の男が 股に挟んだ刀を手に取るや、さっと立ち上がり、大猿をはじめ、猿 供を次々に取り押えた。猿どもに生贄をやめるように戒めた後、釈 放した。その後、その里は人身御供の習俗がなくなった。この男は そこの長になり、妻と幸せに暮らしたわけである。3 第八話は第七話のように援助者の犬も登場しなかった上、神様が 宮司に乗り移り、許しを乞うなどの筋が語られていないが、二つと も「人身御供」の筋が重要な役割を果たしている。 そ も そ も 人 身 御 供 は 早 く『 古 事 記 』の 神 代 紀 に は す で に 見 ら れ る 。 速須佐之男命が高天原から降りたところは出雲国の肥河の川上であ る。そこで老夫婦が娘を間に置いて泣いているのを見たことから、 そのわけを尋ねた。老夫婦とは足名椎と手名椎のこと、本来八人の 娘があったが、八俣の大蛇が毎年やって来て一人の娘を食う。今年 もまたやって来る頃なので、老夫婦が悲しく泣いているのである。 それを聞いた速須佐之男命は老父に娘を妻として所望して、大蛇退 治の討略を案じ、娘を救った。 ここでの速須佐之男命はそれまでのわがままな行動や、乱暴なこ とをする腕白ものと打って変わって、立派な男として成長し、智慧 も勇気も具えている。八俣の大蛇とは正面衝突で戦うより、彼は計 略を廻らし、勝つ可能性の高い戦術を取った。まず強い酒で八俣の 大蛇を酔わせてから殺し、見事にそこの英雄になった。その結果、 3. 同 注 2 、 p .5 52 -56 8。.

(7) 日中両国の古代文学における猿神退治譚 47. 彼の望む通りに櫛名田比売を妻として迎えることができたばかりな く、出雲の首長にもなった。 中国の方にも人身御供の説話が見られる。 『 捜 神 記 』の 巻 十 九 に 収 録 されている「李寄」の話はその例である。 東越閩中の庸嶺に七、八丈の長さの大蛇があった。人の夢や神が かりに托して、十二、三才ぐらいの童女を生贄として食いたいと里 の人達に知らせた。東治の人達は毎年生贄を出しており、すでに九 人の童女を食い殺されていた。次の童女がなかなか見附らなくて、 困っているところへ、李誕の末娘の寄が名乗り出た。父母が止めて も彼女は聞かず、 「 身 を 売 れ ば 、金 が 入 る か ら 、親 孝 行 で き る 」と い っ て 、 密 か に 行 っ た 。「 好 剣 」 と 「 咋 蛇 犬 」( 蛇 噛 る 犬 ) を 捜 し て 来 てもらった。当日剣を隠し持って、犬を連れて廟へ入り、坐って待 った。あらかじめもちを作っておいた。その中に蜂蜜のからめた、 いりむぎを入れていた。それを穴口に置くと、蛇がその匂いに誘わ れて出てきて食べた。寄はすぐ犬をけしかけて、蛇を食わせた。寄 自身はさらに後の方から剣で数回も蛇を刺し殺した。蛇は痛みのあ まり、庭に飛び出し死んでしまった。越の王はそれを聞いて彼女を 后として迎えた。その後東治には妖怪がなくなったという。 『捜神記』の中の李寄はわずか十二、三の女童に過ぎないが、非 凡な資質を持っている。九人の女童を食い殺し、国中の人々を怖が らせた大蛇と敢然と戦う。なみなみならぬ勇気の持ち主である。そ して、決死戦を行うといっても、無謀な戦いではなく、前もって計 略 を め ぐ ら し 、「 好 剣 」、「 咋 蛇 犬 」、「 餈 ( も ち )」 な ど の 道 具 や 援 助 者をうまく利用し、大蛇を退治した。まことに知恵のある戦い方で ある。李寄も速須佐之男命と同じく知恵と勇気双方を備える英雄的 な 人 物 と し て 設 定 さ れ て い る 。但 し 、大 蛇 を 退 治 す る 方 法 は 、 『古事 記 』の 方 で は 、酒 で 大 蛇 を 酔 わ せ て か ら 殺 し た の に 対 し て 、 『捜神記』 の方では、 「 餈 」の ほ か に 、さ ら に『 古 事 記 』の 方 に 見 え な い「 好 剣 」 と「咋蛇犬」などのものを用いた。また、李寄はさらに親孝行な女 童として造形されている。両親に生贄になるのを止められた時、彼.

(8) 48 台大日本語文研究 28. 女は両親に「父母には六女もあるが、男子はいないから、跡取りが ないも同然だ。私は緹縈のように役に立てないし、父母を養うこと もできないから、徒に衣食を費やすことになるだけだ。生きていて も益なし、むしろ早く死んだほうがましだ。身を売れば、わずかな がら、銭が入るから、それで親孝行できる。これよりいいことはな い で は な い か 。」と 道 理 で 説 服 し よ う と し た 。儒 教 で も っ と も 高 く 評 価される徳目「孝」を遵守し、智慧もあり、堂々と道理を説いた。 いかにも理想的な人格を持つ人物である。女性でなければ、どこか の首長になれる筈である。そのような素質を持っていることから、 越の王に后として迎えてもらったのである。 『玄怪録』にある「烏将軍」の中の英雄郭元振も策略を使って、 豚妖怪の烏将軍の手を切って、生贄の娘を助けた。そして、彼も勇 気と智慧のある人物である。迷信を信じた村人の人達は彼が烏将軍 を負傷させたことから、不吉なことでも起きるのではないかと思っ て彼を捕えようとすると、彼はすぐ烏将軍のようなものを退治すべ きであると堂々と道理を説いて、村人達を説得した。村の人達も彼 の 見 識 に 折 れ て 、、一 緒 に 豚 妖 怪 を 殺 し た 。ま た 、彼 も 優 れ た 人 格 者 として語られている。娘からその父母に生贄として売られたことを 聞いた時、郭元振は義憤を覚え、かならず彼女を助けると誓った。 実に正義感のある人である。村人からの謝礼もきっぱりと断ったほ ど 、廉 潔 な 士 で あ る 。 「 正 義 」と「 廉 潔 」も 儒 教 の 重 要 な 道 徳 項 目 で ある。彼も立派な人格者として設定されているわけである。凡そ、 中国の人身御供説話の中の英雄は、勇気と知恵を備えるばかりでな く、儒教の教えもよく遵守し、見識があり、道理をもうまく説くこ とができる理想的な人格者として語り上げられている。. 三 、「 美 作 国 神 依 猟 師 謀 止 生 贄 語 第 七 」 と 「 飛 騨 国 猿 神 止 生 贄 語 第 八」 『 今 昔 物 語 集 』 の 方 を ふ り 返 っ て み よ う 。『 古 事 記 』 と 『 捜 神 記 』 も退治されたのは大蛇であるのに対して、なぜここでは猿神になっ.

(9) 日中両国の古代文学における猿神退治譚 49. たのか。池上洵一によると、本来山の神ないしその使者とされた猿 は里に下ると田の神ともなるとされ、農耕神でもあった。その意に そ わ ね ば 、農 作 に 害 を な す 神 と し て 恐 れ 敬 わ れ て い た の で あ る 4 。農 業時代においては地方によって猿神を祭りあげていることも考えら れ る こ と か ら 、猿 神 に 生 贄 を 供 え る と い う 習 俗 も で き た の で あ ろ う 。 人身御供類型の中の神も各地方の文化と事情によって異なるわけで ある。 第七話の方では、主人公は生贄に指定された娘が「物思タル気色 ニテ、髪ヲ振懸テ泣臥タル」という姿を見て、いいようのない同情 の念にかられた。その後、さらに娘の親がたった一人の娘が生贄に 指名されたことを嘆いているのを聞いて、その親に娘をくれるよう に頼み、自分が娘の身代りになると言った。娘の親はさらに方法を 聞くと、 「 只 可 為 様 ノ 有 也 。此 殿 ニ 有 ト テ 人 ニ 不 宣 シ テ 、只 精 進 ス ト テ 、注 連 ヲ 引 テ 置 給 ベ シ 」と 言 っ た 。親 は 娘 さ え 死 な ず に す む な ら 、 自分はどうなっても構わないと言って、人に知られずに、娘をめあ わせた。生贄の娘を妻として所望し、策を案じて娘を救おうという 筋には、 『 古 事 記 』に あ る 速 須 佐 之 男 命 が 八 俣 大 蛇 を 退 治 し て 、櫛 名 田比売を救う人身御供類型説話の趣旨が見られる。しかし、第七話 の方では主人公が娘の親が娘が生贄に指定されたのを嘆いたことを 聞いた時、さらに親に次のようなことを言い聞かせた。 「世二有人、命ニ増物無。亦、人ノ財二為物子に増ル物無。其 ニ、只一人持給ヘラム娘ヲ、目ノ前ニテ膾スニ造セテ見給ハン モ、糸心踈シ。只死給ヒネ。敵有者ニ行烈レテ、徒死為者ハ無 ヤハ有ル。仏神モ命ノ為二コン恐シケレ、子ノ為ニコン身モ惜 ケ レ 。亦 其 君 ハ 今 ハ 無 人 也 。同 死 ヲ 、其 君 我 ニ 得 サ セ 給 ヒ テ ヨ 。 我其替ニ死侍ナム。其ハ己ニ給フトモ苦シトナ思給ソ」5 命あっての物種、我が命を仏神にも優先させるべきであり、人間に 4. 5. 池 上 洵 一 「『 今 昔 物 語 集 』 の 猿 神 退 治 ―巻 二 十 六 第 七 話 を 中 心 に ―」 日 本 東 京 『日本文学研究大成 今昔物語集』平成二年十一月八日印刷、株式会社図書 刊 行 会 、 p.2 93 -3 05 。 同 注 2 同 掲 書 、 p .5 47 。.

(10) 50 台大日本語文研究 28. とってはどんな宝でも子にまさるものはない。命が惜しいのも子の ためである。たった一人の娘が目の前で殺されるのをただ手をこま ぬいて見ているだけなど、どんな親でもむしろ死んだ方がましだと いう。猟師は命の大切さ、父母としての果たすべき役割・存在意義 を堂々として言い聞かせた。 こ の よ う な 道 理 を 説 く こ と は『 古 事 記 』に は 見 ら れ ず 、む し ろ『 捜 神記』や『玄怪録』などの中国の人身御供類型説話の中によく見ら れるパターンである。 『 捜 神 記 』は 891 年 ま で に す で に 日 本 に 伝 わ っ て い る 6 。『 今 昔 物 語 集 』 の 震 旦 部 に も 『 捜 神 記 』 の 説 話 が 収 録 さ れ て い る 7 。『 今 昔 物 語 集 』 の 作 者 も 『 捜 神 記 』 の 「 李 寄 」 を 知 っ た は ずである。また、主人公が猿達と戦うために前もって犬と「微妙ク 磨」いだ刀を持っていったという設定にも李寄のやり方と同じであ る 。『 今 昔 物 語 集 』 の 作 者 は 第 七 話 を 書 く に 際 し て 、『 捜 神 記 』 な ど の人身御供の説話を取り入れたと思われる。そして、娘の親に先の 道理を説くことによって主人公が見識高く、叡智に富んだ人間とし てのイメージをもつことになった。勿論よく研いだ刀を持って、犬 を連れて行くということも主人公が無謀でなく智慧のある人間であ るという証にもなるのである。 第七話では、主人公についての描写は『捜神記』の「李寄」より 詳細である。男についての最初の紹介を見ると、次のようになって いる。 此人、犬山ト云事ヲシテ、数ノ犬ヲ飼テ、山ニ入テ猪鹿ヲ犬ニ 令噉殺テ取事ヲ業トシケル人也。亦、心ロ極テ猛キ者ノ、物恐 ヂ不為ニテゾ有ケル。8 彼はもともとは犬を使って野生動物を狩猟する猟師であるため、動 物と戦うのに馴れた人であった。その上、心が勇猛で物怖じなどし 6. 7. 8. 藤 原 佐 世 が 89 1 年 に 編 集 し た 『 日 本 国 見 在 書 目 録 』 に は す で に 『 捜 神 記 』 の 書名が見られた。 『今昔物語集』震旦部巻十の「病成人形医師聞其言治病語第二十三」の後半 は『 捜 神 後 記 』の 巻 六 の「 腹 中 鬼 」、 「於海中二龍戦猟師射一龍得玉語三十八」 は『捜神後記』巻十の「烏衣人」の話をもとにして書きかえた話である。 同 注 2 同 掲 書 、 p .5 46 。.

(11) 日中両国の古代文学における猿神退治譚 51. ない勇ましい性格の持ち主として設定されている。それは後程の猿 神 退 治 戦 に 勝 利 を お さ め る 伏 線 に な る 。そ し て 、勇 ま し い と は い え 、 娘のことを見て、同情心にかられて、彼の身代りになると名乗り出 る 情 の あ る 人 で あ る 。し か し 、猿 と 戦 う 様 子 を 見 る と か な り 冷 静 で 、 理知的である。 次に、猿たちと戦う場面に眼を転じよう。 横 座 ノ 大 猿 立 テ 長 櫃 ヲ 開 ク 。他 ノ 猿 共 皆 立 テ 共 ニ 此 ヲ 開 ル 程 ニ 、 男 俄 ニ 出 テ 、犬 ニ 、 「 噉 、ヲ レ ヲ レ 」ト 云 ヘ バ 、二 ツ ノ 犬 走 リ 出 テ、大ナル猿ヲ噉テ打臥ツ。男ハ凍ノ如ナル刀ヲ抜テ、一ノ猿 ヲ 捕 ヘ テ 、俎 ノ 上 ニ 引 臥 テ 、頭 ニ 刀 ヲ 差 宛 テ 「 、汝ガ人ヲ殺シテ、 肉 村 ヲ 食 ハ 、此 ク 為 ル 。シ ヤ 頸 切 テ 犬 ニ 飼 テ ン 」ト 云 ヘ バ 、猿 、 顔ヲ赤メテ、目ヲシバ叩テ、歯ヲ白ク食出シテ、涙ヲ垂テ、手 ヲ 摺 ド モ 、耳 モ 不 聞 入 シ テ 、 「 汝 ガ 多 年 来 、多 ノ 人 ノ 子 ヲ 噉 ル ガ 替ニ今日殺テン。只今ニコソ有メレ。神ナラバ我ヲ殺セ」ト云 テ、頭ニ刀ヲ宛タレバ、此二ノ犬多ノ猿ヲ噉殺シツ、適ニ生ヌ ルハ、木ニ登リ、山ニ隠シテ、多ノ猿ヲ呼ビ集メテ、響ク許呼 バヒ叫ビ合レドモ、更ニ益無シ。9 男は敵がまだ心構えができないうちに、先に手を打った。大猿が長 櫃を開けようとするとき、男はやにわに飛び出して、長い間猿を食 い殺すことを訓練してきた二匹の犬に攻撃させた。さすがの大猿も 食い倒された。よく戦略を考えたものである。首領と思われる大猿 さえ倒さすことができたら、他の猿達は慌てふためいたりして、逃 げるしかないのであろう。智慧ある人といえる。大猿は命乞をして も無駄であり、男は大猿の首に刀をさしあてた。二匹の犬もさらに 他の多くの猿を殺した。生き残った猿は木に登り、山奥に隠れ、多 くの猿を呼び集めて、山も響くほど呼び叫び合ったが、どうしよう もなかった。猿達はとうてい彼に叶わなかった。彼の強さはここで 余すところなく語られている。猿達は非常に不利な状況に陥り、猿 神も手も足も出ず、ついに降参した。そして、許してもらうために 9. 同 注 2 同 掲 書 、 p .5 50 。.

(12) 52 台大日本語文研究 28. 宮司に乗り移り彼と三つの約束をした。即ち、 一、これから永遠に生贄を求めない。 二、村人はぜったい彼に危害を加えはならない。 三、生贄の女をはじめ、その父母及び一族の者に咎め立てしては ならない。 猿神は完全に敗北して、彼に命乞いをすることになった。後の宮 司達も男に猿神を許すように頼んだが、男はなお許そうとしなかっ たが、猿神はさらに堅い誓約をしたことから、男はようやく許し、 猿達も山奥へ帰った。男のおかげで、この地方には生贄を猿神に供 える風習は完全になくなった。男は完全に智勇双方備える理想的な 英雄人物として語られている。人身御供の要素を濃くもつ英雄譚で ある。 第八話の方が時代的に第七話より遅れて成立したのかもしれない と考えられ、構成も内容も比較的複雑である。まず、冒頭のところ では、僧が大きな瀧に行き当って、引き返そうにも道が分からなく なる。死ぬつもりで、瀧に踊り入ると、無事に通り抜けることがで きた。瀧を隔てて、別世界が展開する。このような設定には『桃花 源記』の冒頭「縁溪行,忘路遠近,忽逢桃花,……復前行,欲窮其 林 。… … 豁 然 開 朗 ,土 地 曠 空 ,屋 舍 儼 然 。」の 趣 を 濃 く 漂 わ せ て い る 。 また、里人が僧を見ると、争って彼を自分の家へ招待しようとする ところにも『桃花源記』の「見漁人,大驚,問所從來,具答之,便 要還家,為設酒殺雞作食。村中人聞有此人,皆為問訊。……餘人各 復延至其家,皆出酒食。」の趣を感じさせる。但し、ここで僧を自 分の家へ連れて行こうとするのは別の下心をもっていたのである。 第八話は『桃花源記』の趣旨をとり入れたと思われる。 しかし、第七話の方では最初から主人公が英雄的特質をもってい る人として語られるのに対して、第八話の方では主人公は当初むし ろ消極的、受動的な印象を与えている。浅黄色服の人が僧を家へ連 れて帰ると、すぐ鳥や魚などの料理を出して、彼をもてなした。僧 はもともとよく戒律を守り、肉や魚を食べなかった。その家の主人.

(13) 日中両国の古代文学における猿神退治譚 53. はそれを見て、すぐ来て、食べるように勧めた。その上、娘をめあ わ せ る と 言 っ た 。僧 は 逃 げ る 術 も な く 、あ ま り 主 人 の 意 に 逆 ら う と 、 殺 さ れ る か も し れ な い と 思 っ て 、受 動 的 に 主 人 の い い な り に な っ て 、 魚や肉も食べてしまい、妻ももつようになる。僧は完全に強制的還 俗させられたのである。それから、舅は毎日御馳走を食べさせ、ど んな華麗な服でも着させ、妻とも仲睦じく暮した。本当に「楽しき 世界」での毎日である。 しかし、読者も僧と同じような疑問を抱えている。なぜ主人がこ こまで僧を手厚くもてなすのであろうか。さらに続きを読むと、し だいに疑問がとけるようになる。作者は入れ子型の箱でもあけるよ うな手法で徐々に真相を示していく。八ヶ月が過ぎた後、妻が悲し げな様子になってしまう。夫が聞いても、わけを教えてくれない。 またある日、その家に来た客と主人のかわしたあやしげな会話を耳 にする。しかし、主人はそしらぬ顔をして、客が帰った後、また、 彼に食物をもってこさせた。それを食べるにつけても、妻は思い嘆 く。妻の悲しい様子と客の言ったことと思いあせると、それは自分 の身にかかわる重大なことと思うようになり、おそろしくなって、 妻に尋ねてみたが、妻は何か言いたげな顔つきをしながら、やはり 何も言わない。周囲の雰囲気もしだいにあやしくなった。僧は聞く べきところもないが、妻をふくめ、皆が自分に何を隠しているとい うことに気付いた。そのうち、里の人々が大騒ぎをして、御馳走の 用意を始める。妻の泣き悲しむさまは日ましに募ってゆくので、夫 は つ い に こ ら え ら れ ず 、妻 に な ぜ 自 分 に 隠 し 事 を す る の か と 言 っ て 、 恨み泣きをした。妻もわざと隠すのではないと泣きながら、彼に一 部始終を打ちあけた。 一見桃源郷のように見えるこの里には人身御供のおそろしい習俗 があり、家々は順番で生贄を出すことになっている。生贄を捜し得 ない場合は自分の子を出なければならない。また痩せてみすぼらし い生贄を出すと、神様が荒れて、その年は不作になり、人も病み、 里も穏やかにならない。夫はそこですべてを理解した。何故里に着.

(14) 54 台大日本語文研究 28. いた時、皆自分の家に来てほしくとさかんに要求したのか、またな ぜここ数ヶ月の間、ここまで大切にしてくれたのか。それはすべて 自分に生贄にならせるためだ。夫はそれを知った後、泣きもせず、 逃げようともせず、むしろ神の形と生贄の食われ方についていっそ う詳しく聞くことになる。そして、妻によい刀を捜してもって来て もらった。その刀を手に入れて、十分に研ぎ澄まし、隠しもった。 また、前よりいっそう元気を出して、張り切り、食べものもよく食 べ、体を太らせた。 主 人 公 は 以 前 の 消 極 的 、受 動 的 な 態 度 と う っ て か わ っ て 、積 極 的 、 能動的に動き出したわけである。今まで命をまもるために、人の言 いなりに動いて来た。が、このままでは殺されてしまうと悟った。 今 度 は む し ろ 命 を 守 る た め に 積 極 的 、能 動 的 に 動 き 出 し た の で あ る 。 一 旦 気 持 が か わ る と 、勇 気 と 知 恵 も 出 て 来 た 。よ い 刀 も 隠 し も っ て 、 猿神と対決するつもりでいる。 当日になって、彼は山の中にある大きな祠へ連れられて行った。 飲食歌舞を興じた後、彼が呼び出され、裸にされ、大きなまな板の 上に寝かせられた。彼はこっそりと股の間に刀を挟み込んだ。やが て、一の祠と呼ばれている祠の扉が「ぎいっと」鳴って開く。その と た ん 「 少 シ 頭 毛 太 リ テ 、 ム タ ツ ケ ク 思 ケ ル 」。 続 い て 、 次 々 に 祠 の扉があいてゆく。彼は刀も用意して来ており、猿神と戦うつもり でいるが、いざ猿が扉をあけ、入って来ると思うと、やはり恐怖を おぼえたのである。恐怖の念を抱くが、大変注意深く敵の動向を見 た。その時、まず大きさが人間ほどの猿が祠のわきから現れた。そ れから、一の祠の簾を押し開いて、さきの猿より一段と大きい猿が 堂々と出て来た。こうして、祠から次々と猿が出て来て並んで座っ た。すると、一の祠の猿が何か「きゃっきゃっと言う。それに応じ て始めに祠のわきから出て来た猿が真魚箸と刀を取って生贄に向 い、まさに切ろうとした。間一髪の時、男は攻撃し始める。股には さんだ刀を手に取るやさっと立ち上がって、猿に向った。しかし、 男が向ったのは彼を切ろうとした猿ではなく、猿の首領だと思われ.

(15) 日中両国の古代文学における猿神退治譚 55. る一の祠の猿である。これも彼が考え付いた戦略であろう。首領さ え取り抑えれば、他の猿も簡単に片付けられると思った。実際彼の 思ったとおりに、急に飛び出したので、大猿が「周テ仰様ニ倒タル ニ 」、 男 は そ の ま ま 起 き 上 が ら せ る こ と な く 、 の し か か っ て 踏 み つ け、刀はまだ突き立てずに「己ヤ神」と言うと、その猿は否定もし ないで、手をすり合わせて、命乞いをした。 大猿はとりおさえられた後、完全に普通の動物になり、神らしい と こ ろ は ま っ た く み え な か っ た 。人 の 言 葉 も 話 せ な か っ た の で あ る 。 男は大猿を縛った後、さらに第二、第三の猿とさきほど彼を切ろう とした猿を大猿に呼ばせてこさせ、縛った。そして、四匹の猿を前 に追い立て、裸のままで里に降りて来た。今度は、里の人々が彼の ことを「神ニモ増タリケル人」と恐れまどった。彼は四匹の猿に二 度と生贄を求めてはならないと言い聞かせた後、ゆるしてやった。 又里の人々を呼び集め、残った祠を焼払った。これで里の人々は完 全に彼の言うことを聞くようになり、彼はついにその里の長になっ た。 この男は絶対絶命の時、能動的、積極的になり、知恵を働かせ、 勇しく猿神と戦った結果、みごとに勝った。そのため、自分の命を 守っただけではなく、さらにその里の英雄になった。第七話と構造 や内容はいささか異なっているが、二人とも猿神退治に成功し、人 身 御 供 の 習 俗 を 廃 除 さ せ 、人 々 に 敬 畏 さ せ る 英 雄 に な っ た の で あ る 。 この二つの猿神退治の説話はともに人身御供の要素をもつ英雄伝で ある。. 四 、「 補 江 総 白 猿 伝 」 『中国の唐代伝奇の小説にも猿神退治の話が収録されている。顧 氏文房小説家藏宋本の中に「補江総白猿伝」という小説が収録され ている。 『 太 平 広 記 』巻 四 百 四 十 四 の 畜 獣 十 一 に も「 歐 陽 紇 」と い う 題 名 で 同 じ 話 が 収 録 さ れ て い る 。そ の 下 に は「 出 続 江 氏 伝 」と あ る 。 即ち『太平広記』の「歐陽紇」も「補江総白猿伝」もおなじ話を収.

(16) 56 台大日本語文研究 28. 録したものである。言葉遣いにこそ些細な違いがみえるが、内容は 殆ど変らない。 「 補 江 総 白 猿 伝 」は 文 字 の 表 現 が「 歐 陽 紇 」よ り も 勝 れ て い る の で 、こ こ で は「 補 江 総 白 猿 伝 」の 内 容 に 拠 る こ と に す る 。 その筋は凡そ次のようになっている。 梁の大同の末、歐陽紇という将軍が南征で長楽に至り、かなり、 山のけわしいところまで入った。その妻も同行させたが、妻の方は たいそう美しい人である。その部下は彼に「美妻をここに連れてく るべきではない。ここには神がおり、よく女を盗んでいく。特に美 人 は 免 れ ら れ な い の で 、用 心 し て 守 っ た 方 が よ い 。」と 助 言 を 与 え て くれた。紇は大変恐ろしくなり、妻を密室の中に隠し、十数人の下 女に守ってもらったが、ある風雨の強い夜、妻はとうとう盗まれて しまった。紇は大変憤り、また痛ましく思った。病と称して、休暇 を願い出て、軍隊をそのままそこに駐在させ、方々に出掛けて、妻 を捜しまわる。一ヶ月過ぎた後、百里離れたところに妻の靴を見付 けた。紇はいっそうかならず妻を捜し出すと意を固めた。さらに十 日あまり過ぎた後、もとの場所から二百里離れたところに、南向き の山が在り、紇達が山の上に登ると、別世界が開けた。そこには数 十人の婦人が華麗な服を身にまとい、楽しそうに歌を歌ったり、談 笑したりしている。婦人たちは紇を見て、大変驚いて、ここへ来た わけを尋ねた。紇は理由を話すと、婦人達はその妻に会わせた後、 白猿退治の方法を教えてくれた。紇は美酒、麻糸と食用犬を準備し て、十日後に再度行った。まず食物をおく倉に身を隠し、かなり時 間がたってから、婦人達が出て来て、彼を招き入れる。紇は武兵器 をもって中に入ると、白猿は手足を縛られている。紇達は武兵器で 白猿を切っても鉄や石にあたったようで、切ることができない。へ その下に刺し入れると、血が流れるように噴出した。白猿が死んだ 後、紇はそこにあった金銀財宝を婦人達にわけあたえたあと、妻を 連れて帰った。 この小説の作者は不詳である。紇の妻が生んだ子は歐陽詢のこと である。詢の外形は猿に似ていたことから、この作品は作者が詢を.

(17) 日中両国の古代文学における猿神退治譚 57. 謗 る た め に 書 い た も の で あ る と い う 説 も あ る が 、真 偽 は わ か ら な い 。 し か し 、特 殊 な 才 能 を 有 す る 人 は し ば し ば 特 殊 な 人 相 を 有 し て い る 。 歐陽詢もその一人であろう。そして、中国の南部には古くから猿が 女性を盗むという伝説が言い伝えられていた。 『 捜 神 記 』巻 十 二 に は 「猳国馬化」という題で次の説話が収録されている。 蜀中西南高山之上,有物,與猴相類,長七尺,能作人行。善走 逐 人 , 名 曰 「 猳 國 」, 一 名 「 馬 化 」, 或 曰 「 玃 猨 」。 伺 道 行 婦 女 有 美者,輒盜取將去,人不得知。若有行人經過其旁,皆以長繩相 引,猶故不免。此物能別男女氣臭,故取女,男不取也。若取得 人 女,則 為 家 室。其 無 子 者,終 身 不 得 還。十 年 之 後,形 皆 類 之 。 意 亦 迷 惑,不 復 思 歸。若 有 子 者,輒 抱 送 還 其 家。產 子 皆 如 人 形 。 有不養者,其母輒死。故懼怕之,無敢不養。及長,與人不異, 皆以楊為姓。故今蜀中西南多諸楊,率皆是猳國馬化之子孫也。 「補江総白猿伝」の白猿とこの説話の「猳國馬化」とは次のよう な類似点が見られる。 一、白猿も猳國馬化も女性をさらっていく。 二、女性をさらっていく時に、まわりの人達は全然気付かない。 三、子を大切にする。猳國馬化の場合は母親が猿との間に生んだ 子 を 育 て な い と 、 命 を 失 う 。「 補 江 総 白 猿 伝 」 の 方 で も 白 猿 が 臨終の時に紇に子を大切に育てるように言い付けた。 作 者 は「 補 江 総 白 猿 伝 」を 書 く 際 、中 国 南 部 の こ の 伝 説 を 参 考 し て 書 き 上 げ た も の だ と 思 わ れ る 。し か し 、 「 猳 國 馬 化 」は 断 片 的 で 、 怪 異 ご と を 記 録 す る 性 質 が 強 い 、「 補 江 総 白 猿 伝 」 の 方 で は 一 つ の ま と ま り の あ る 話 を 語 る も の で あ る 。又 景 物 や 人 物 に つ い て の 描 写 もより詳細に行った。白猿の住むところについての語りを見ると、 次のようになっている。 遠所舍約二百里,南望一山,蔥秀迥出。至其下,有深溪環之, 乃 編 木 以 度。 絕 巖 翠 竹 之 間;時 見 紅 綵,聞 笑 語 音。捫 蘿 引 絙 , 而陟其上,則嘉樹列植,間以名花;其下綠蕪,豐軟如毯。清迥 岑 寂,杳 然 殊 境。東 向 石 門,有 婦 人 數 十,帔 服 鮮 澤,嬉 遊 歌 笑 ,.

(18) 58 台大日本語文研究 28. 出入其中。 白猿の住むところは人里遠く離れたところの山にある。その山は 大変けわしい。山の下は、さらに深い渓流に囲まれている。筏で渓 流を渡ると、蔓や組いとを頼らないと、登ることができない険しい 山となる。そこは完全に外界から隔絶される場所である。山に登る 途中では時折、翠緑の竹林の中から赤い絹が見えたり、人の声が聞 こえたりした。山の上に着くと、珍しい木がたくさん並んで植えら れており、中には有名な花もまぜられている。その下一面には草が たいへん茂って生えている。踏むと、絨毯のように柔かい。幽雅閑 寂で、俗世と異なり、桃源郷の趣を濃く漂わせている。作者は白猿 のすまいを書くに際して「桃花源記」を取り入れたことは明白であ る。 この小説は特に白猿について筆を費やした。白猿はどのように語 られ、またそれによって何をもの語ろうとするのかを見てみよう。 白猿は最後には歐陽紇によって殺されたが、それは歐陽紇一人で できることではない。歐陽紇は白猿の住む理想境に至ると、そこに 数十人の婦人がおり、彼に「何故ここへ来たのか」と尋ねた。彼は 仔細に話すと、婦人達は彼の妻への愛情に心を打たれたのであろう か。彼を助けてくれることになった。婦人達はまず彼に「賢夫人が ここへ来てから、すでに一月余り立ったが、今は病気で寝ている。 見 舞 い に 行 っ て や っ て く だ さ い 。」と 言 う 。妻 は 彼 を 一 目 ふ り か え っ て、すぐ速く去るように手を振った。白猿に見られたら、殺される であろうから、彼に早く出て行くように教えたであろう。そこを離 れ た 後 、婦 人 達 は さ ら に 彼 に 白 猿 を 退 治 す る 計 略 を 話 し た 。 「ここは 神物の住居である。その神は力が強くて、人を殺すことができる。 百人が武兵器をもって、彼と戦っても、勝つことができない。白猿 が帰って来る前に、早く逃げて、十日後に美酒二石、食用犬十匹、 麻糸十斤を持って来てください。私達がいっしょに彼を殺す策略を 考えょう。その神はいつも正午に来るから、あまり早く来ないでく だ さ い 。」と 白 猿 を 退 治 す る 道 具 を あ ら か じ め 彼 に 用 意 し て 持 っ て く.

(19) 日中両国の古代文学における猿神退治譚 59. るように言い聞かせた。十日後、紇は言われたものを全部手に入っ て 、再 び 行 く と 、婦 人 は さ ら に 詳 し く 策 略 を 教 え て く れ た 。 「彼は酒 好きで、いつも酔うまで飲む。酔うと力試しをする。私達はきぬで 彼の手足を寝台に縛る。彼がひとたび躍ると、全部とけてしまう。 三幅まで結ぶと、解くことができない。今度はさらにきぬの中に麻 糸を入れると、解くことができないと思う。全身は鉄のように丈夫 だが、臍の下数寸の所をいつも気を付けて守っているから、そこが 彼 の 弱 点 だ と 思 う 。」婦 人 達 は 白 猿 が 酒 に 酔 う と 、絹 で 力 を た め す 癖 を知っていたから、それを利用して、その中に麻糸を入れて、彼が 解くことができないように縛っておいた。また、白猿は全身鉄のよ うに丈夫だから、縛られてもかならずしもを殺せるとはかぎらない から、さらに白猿の弱点を教えたので、紇はうまく白猿を殺すこと が で き た 。歐 陽 紇 は 婦 人 達 の 策 略 で 白 猿 を 殺 し た の で あ る 。し か し 、 白猿の臨終の言葉「此天殺我,豈爾之能」という言葉からすると、 白猿は紇に殺されるのは天の意思であると考えていた。また、婦人 達の説明によると、今年の秋、白猿は急に愴然として、皆に「吾為 山 神 所 訴 ,將 得 死 罪 。亦 求 護 之 於 眾 靈 ,庶 幾 可 免 。」と 言 っ た 。し か し、先月は物忌の時、石坂から急に火が出て来て、彼のよく読む木 簡を焼いた。白猿は悵然として「吾已千歲,而無子,今有子,死期 至 已 。」 又 、「 此 山 複 絕 , 未 嘗 有 人 至 , 上 高 而 望 , 決 不 見 樵 者 。 下 多 虎狼怪獸,今能至者,非天假之。何耶?」と言った。白猿は山神に 訴えられたため、天帝に死罪と判じられた。白猿は諸神霊に庇護を してもらうように願った。最初は何とか免れられると思ったが。物 忌の時、大切な木簡が火に焼かれてしまった。白猿は凶兆として見 て、やはり死からは免れられないと考えた。即ち、表面的にはは婦 人達の策略と欧陽紇の能力で白猿を殺したが、実はすべて天の意思 であったのである。 「天殺我. 豈 爾 之 能 」と あ る よ う に 、天 の 助 け が. なければ、欧陽紇はとても白猿に勝つことができないのである。そ して、 「 吾 已 千 歲 ,而 無 子 ,今 有 子 ,死 期 至 矣 」と あ る こ と か ら す る と白猿もずっと子がほしかったのであり、その生まれてくる子にも.

(20) 60 台大日本語文研究 28. 愛 情 を お ぼ え て い た 。な か な か 人 間 に 近 い 心 を も っ て い る の で あ る 。 同情の涙を誘われなくもないが、白猿は決して只者ではない。この 作品は最初から白猿を神通力のもつ神として設定している。紇の部 下が紇に当地に美女をさらっていく〈何物〉かがあると説明する時 に も「 地 有 神 」と 言 っ た 。婦 人 達 も 白 猿 の こ と を「 神 物 」と 称 す る 。 紇は妻が盗まれないようにあらゆる手を尽くしたが、やはり盗まれ て し ま っ た 。白 猿 は 超 自 然 的 な 能 力 を も つ 神 物 で あ る 。 「有物如匹練, 自他山下. 透至若飛. 徑入洞中」とあることから白猿は自由に空を. 行 き 来 で き る 。ま た 、 「 有 美 髯 丈 夫 長 六 尺 餘 ,白 衣 曳 杖 ,擁 諸 婦 人 而 出 」と あ る こ と か ら 、白 猿 は 変 幻 自 在 で あ り 、猿 の 身 で あ り な が ら 、 「 美 髯 丈 夫 」の 姿 で 現 れ る こ と も で き る 。 「 所 居 常 讀 木 簡 ,字 若 符 篆 , 了不可識」とあることから、白猿の読んでいるのは人界の書物では な く 、 道 士 が 読 む 讖 諱 の よ う な も の だ と 思 わ れ る 。「 所 須 無 不 立 得 」 と、何でもほしいものがすぐ手に入るのはすでに仙術を身に付けて いたのである。将来のことも予知でき。自分の死をあらかじめ知っ ているばかりでなく、自分の子供が「将逢聖帝,必大其宗」と予知 することもでき、この作品は猿神退治の話であるが、白猿というキ ャラクターは神仙味を色濃く漂せているので、伝奇性の濃い神仙譚 になっている。. 五、結び 前以上『今昔物語集』の巻二十六の「美作国神依獵師謀止生贄語 第 七 」、「 飛 弾 国 猿 神 止 生 贄 語 第 八 」 な ら び に 唐 代 伝 奇 の 「 補 江 総 白 猿伝」を通して日中両国の猿神退治譚を考察してきた。残された課 題はまだ多くあるが、凡そ次のようなことが言えよう。 両国の文学者が猿神退治譚を作品として作る際は、日中両国の先 行 文 学『 古 事 記 』 (『 今 昔 物 語 集 』の 第 七 話 ) 『捜神記』 (『 今 昔 物 語 集 』 の 第 七 話 )と『 桃 花 源 記 』 (『 今 昔 物 語 集 』第 八 話 と「 補 江 総 白 猿 伝 」) の筋や趣きを取り入れて、人間がみごとに猿神を退治するという説 話を語りあげるが、その相違点も見られる。即ち、.

(21) 日中両国の古代文学における猿神退治譚 61. 一 、『 今 昔 物 語 集 』 の 猿 神 が 人 身 御 供 を 求 め る の は 人 間 を 食 べ る た め で あ り 、 動 物 的 性 格 を 強 く も っ て い る 。「 補 江 総 白 猿 伝 」 の方では白猿が女性をさらっていくのは交合のためである。 しかも人間と同じく審美眼をもっており、美しい女性のほう を選ぶ。人間との間に子まででき、その子にも愛情をおぼえ る。完全に擬人化されている。 二、 『 今 昔 物 語 集 』の 猿 神 は 人 間 の 言 葉 が で き な い 。人 間 と コ ミ ュ ニケーションをとる時は、宮司を通して行う。神とはいえ、 一度も神通力を使い、人間より優れていることを示すことは な い 。「 補 江 総 白 猿 伝 」 の 白 猿 は 神 通 力 を も っ て お り 、 神 仙 味 をいろ濃く漂わせている。 三 、『 今 昔 物 語 集 』 の 方 で は 、 英 雄 一 人 の 力 と 智 恵 で 猿 を 退 治 す る。たとえ犬の援助があっても、英雄の智恵で考え付いた計 略 、 英 雄 の 優 れ た 能 力 を と り た て て 語 ら れ て い る 。「 補 江 総 白 猿伝」の白猿は一見婦人達の策略と欧陽紇の力によって殺さ れたが、本当は神仙界の掟を犯し、山神に告発され、天帝に 死罪と判じられたから殺されたのである。神仙譚的要素を漂 わせている 即 ち 、同 じ く 猿 神 退 治 で は あ る が 、 『 今 昔 物 語 集 』の 方 で は 人 身 御 供 説話要素をもっている英雄譚として語り上げるのに対して、唐代伝 奇の「補江総白猿伝」の方では伝奇的な神仙譚として語られたもの といえよう。.

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參考文獻

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