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佛教所見之中世遊女像 ──以小野小町‧和泉式部傳說為中心── - 政大學術集成

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Academic year: 2021

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(1)國立政治大學日本語文學系研究所 碩士論文. 指導教授:永井隆之. 立. 博士. 政 治 大. ‧ 國. 學 ‧. 仏教から見る中世遊女像. n. al. er. io. sit. y. Nat. ──小野小町・和泉式部伝説を中心に──. Ch. engchi. i n U. 研究生:林怡伶. v. 撰. 中華民國一○三年一月.

(2) 仏教から見る中世遊女像 ――小野小町・和泉式部伝説を中心に――. 要旨. 女流歌人として名を馳せた小野小町・和泉式部二人は中世の伝説において恋 多き好色の女として、さらには遊女としても描かれている。遊女小町が神仏の 化身とされ、衆生を引導する者としての描写が多く見られるのに対し、遊女式 部は女人救済のモデルとされる場合が多く見られる。このことから、二人がそ れぞれ異なる役割を担っていたように考えられる。言い換えれば、遊女像にこ の二つの要素があることを示していよう。何故このような要素が見られること になったのだろうか。本論文はこの二人にまつわる伝説を用い、仏教思想の観 点から中世の遊女像を探究することを試みたい。 第一、二章には、小野小町・和泉式部の伝説から遊女像の生成及び当時の遊 女観について検討するものである。第三章には、中世の遊女説話の前提となっ ている女人罪業観と救済思想について詳しく論じるものである。第四章には、 中世の遊女説話に見られる仏教女性観について確認し、その形成過程を、平 安・鎌倉仏教史を踏まえて議論するものである。 各章をまとめて見てみると、遊女を名高い二大女流歌人や菩薩の化身とされ ることは遊女を美化していると考えられる。また、仏教側による女人布教とい う目的も見られる。遊女が文芸作品を通して遊女の存在価値を見出され、仏教 や男性にとって重要な意義が付与されていたことを考えてみると、当時の社会 では無くてはならない存在であったと言えよう。そしてこれらの伝説に付与さ れた意義としては、凡そ以下のようにまとめられるのであろう。第一、中世の 理想の遊女像が窺えることである。第二、仏教が中世の庶民社会への伝教手段 を見られることである。第三、女性蔑視観を受容された女性に後世の希望を与 えること。. 立. 政 治 大. ‧. ‧ 國. 學. n. er. io. sit. y. Nat. al. Ch. engchi. i n U. v. キーワード:中世遊女像、小野小町、和泉式部、女人救済、女人罪業観. i.

(3) 佛教所見之中世遊女像 ──以小野小町‧和泉式部傳說為中心──. 摘要. 以女流歌人聞名於世的小野小町與和泉式部二人在日本中世的傳說 中被描寫為好色的女性之外,甚至還被描寫成了遊女。遊女小野小町多被 視為神佛的化身或是引渡眾生者,而相較之下,遊女和泉式部則多為佛教 救濟女性之範例。由此可見兩人分別肩負不同的角色。換言之亦顯示出中 世的遊女像中擁有上述兩項要素。為何遊女像會有如此要素存在?本論文 試將列舉二人之遊女傳說,並以佛教的觀點來加以探究中世之遊女像。 第一、二章為探討小野小町與和泉式部傳說中關於遊女像的生成以及 當時的遊女觀。第三章中則詳細論述作為中世遊女物語前提之女人罪業觀 與救濟思想。第四章乃先提示中世遊女物語所見之佛教女性觀,再以平 安‧鎌倉佛教史為背景,闡述其觀點之形成過程。 綜觀以上各章之所述,將遊女以頗負盛名的兩大女性歌人亦或是菩薩 之化身等詞彙形容可視為一種美化遊女的作用。又,由此得以看出佛教對 女性進行傳教一目的。遊女透過文藝作品中找出自我的存在價值,且對於 佛教以及男性而言具有重要意義。依上所述,遊女在當時的社會是不可或 缺之存在可見一斑。這些傳說所被賦予之意義大致可歸結如以下三點:第 al v i 一、可窺探中世理想之遊女像。第二、可看出佛教於中世庶民社會的布教 n Ch 方式。第三、給予已受容女性蔑視觀之女性來世希望。 engchi U. 立. 政 治 大. ‧. ‧ 國. 學. n. er. io. sit. y. Nat. 關鍵字:中世遊女像、小野小町、和泉式部、女人救濟、女人罪業觀. ii.

(4) A Buddhist View of the Images of Courtesans in the Middle Ages of Japan: Focusing on the Legends of Ono no Komachi and Izumi Shikibu. Abstract. Ono no Komachi and Izumi Shikibu, the two famous female poets, are portrayed as lustful women, or even courtesans in the Middle Ages of Japan. Ono no Komachi is seen as the personification of Buddha or the messiah. Compared to Ono no Komachi, Izumi Shikibu is seen as the model of female salvation. From this point of view, the two women play different roles. It also reveals that the two characteristics are included in the images of courtesans in the Middle Ages of Japan. Why are these characteristics included in the images of courtesans? This thesis will examine the images of courtesans in the Middle Ages of Japan from a Buddhist view and will take the legends of Ono no Komachi and Izumi Shikibu for example. Chapter 1 and chapter 2 are concerned with the emergence of the images of courtesans and the ideas of courtesans in the legends of Ono no Komachi and Izumi Shikibu. Chapter 3 analyzes thoughts on the sin of women and salvation, characteristics in courtesan tales in the Middle Ages of Japan. Chapter 4 begins by presenting the Buddhist view of women in courtesan tales in the Middle Ages of Japan, and then lays out the development of this view based on the history of Buddhism in the Heian period and the Kamakura period. From the above chapters, courtesans can be idealized by describing them as famous female poets or the personification of Buddha. This idealization aims at Buddhist preaching to women. Courtesans realize the value of self-existence through literary works. These women are important to Buddhism and men. It is clear that courtesans are indispensable at that time. The meanings of these legends are composed of three points: first, an observation of ideal images of courtesans in the Middle Ages of Japan; second, an observation of preaching methods of Buddhism in Medieval civil society; third, an observation of the idealization which gives hope of afterlife to women who take the contempt of women for granted.. 立. 政 治 大. ‧. ‧ 國. 學. n. er. io. sit. y. Nat. al. Ch. engchi. i n U. v. Keywords: The images of courtesans, Ono no Komachi(小野小町), Izumi Shikibu(和 泉式部), nyoninkyūsai(女人救済), nyoninzaigōkan(女人罪業観). iii.

(5) 目次. 要旨 ……………………………………………………………………………. ⅰ. 摘要 ……………………………………………………………………………. ⅱ. Abstract ………………………………………………………………………. ⅲ. 目次 ……………………………………………………………………………. ⅳ. 序論. 政 治 大. 第一節 研究動機と目的 ……………………………………………… 第二節 先行研究の歴史. 立. 一 史料研究について ……………………………………………. ‧ 國. 學. 二 中世仏教説話における遊女像について ……………………. 1. 3 6. 第三節 研究内容と方法 ……………………………………………… 10. ‧ y. Nat. 第一章 小野小町伝説における遊女像. io. sit. はじめに ………………………………………………………………… 11. n. al. er. 第一節 伝説の中の小野小町 ………………………………………… 11 第二節 「色好み」について. Ch. engchi. i n U. v. 一 千人の男に逢う ……………………………………………… 15 二 和歌の徳 ……………………………………………………… 16 第三節 観音菩薩の変化について 一 遊女成仏譚 …………………………………………………… 18 二 観音変化譚 …………………………………………………… 19 おわりに ………………………………………………………………… 22. 第二章 和泉式部伝説における遊女像 はじめに ………………………………………………………………… 23 第一節 伝説の中の和泉式部 ………………………………………… 23. iv.

(6) 第二節 遊女気質について 一 五条と遊女 …………………………………………………… 26 二 やさしき遊女 ………………………………………………… 27 三 美人としての因果 …………………………………………… 29 第三節 往生及び遁世について 一 和歌の徳 ……………………………………………………… 31 二 謡曲「東北」 ………………………………………………… 35 三 遁世譚の定着 ………………………………………………… 36 おわりに ………………………………………………………………… 37. 第三章 遊女説話の前提(1). 立. 政 治 大. ―仏典における女人罪業観と救済思想―. ‧ 國. 學. はじめに ………………………………………………………………… 38 第一節 法華経と女性 ………………………………………………… 38. ‧. 第二節 菩薩と女性 …………………………………………………… 42 小括 ……………………………………………………………………… 45. sit. y. Nat. n. al. er. io. 第四章 遊女説話の前提(2). i n U. ―平安・鎌倉時代の女人罪業観と救済思想―. Ch. engchi. v. はじめに ………………………………………………………………… 46 第一節 物語における女人罪業 ……………………………………… 46 第二節 物語における観音変化思想 一 歌舞の菩薩 …………………………………………………… 51 二 生身の普賢菩薩 ……………………………………………… 53 三 如意輪観音変成玉女事 ……………………………………… 54 四 小括 …………………………………………………………… 55 第三節 浄瑠璃物語における仏教思想 一 浄瑠璃物語における即身成仏思想 ………………………… 55 二 浄瑠璃物語に見られる観音信仰 …………………………… 58 おわりにかえて――女人罪業思想の形成と受容について ………… 58 v.

(7) 結論 …………………………………………………………………………… 60. 参考文献 ……………………………………………………………………… 68. 謝辞 …………………………………………………………………………… 76. 立. 政 治 大. ‧. ‧ 國. 學. n. er. io. sit. y. Nat. al. Ch. engchi. vi. i n U. v.

(8) 序論. 第一節 研究動機と目的 かつて日本文化にかかわる主張として「日本は農本主義である」、「日本文 化の基礎は稲や稲作農民にある」という「常識」があった。しかし、その常識 はある歴史家の登場によって大いに否定されることとなった。その人物とは、 中世史家の網野善彦氏のことである。彼は既に農民史・社会経済史が全盛の 1970 年代に、領主と農民との関係を中心に描く、硬直化してしまっていたマル. 治 政 大 する非農業民や職能民に注目し、社会を支える人々の総体として社会の歴史を 立 描くよう提言したことで知られる。彼のこの主張は、ヨーロッパのアナール学 クス主義的な歴史像を批判し、これまで重視されてこなかった山野河海で活躍. ‧ 國. 學. 派を日本に紹介した阿部謹也氏の言説と絡むことで、学界および論壇に、社会 史ブームという一大センセーショナルを巻き起こした。. ‧. 網野氏の登場を契機として、社会経済史から社会史へと大きくスタイルを変. sit. y. Nat. 化させた歴史学会では、非農業民が学問研究の対象として認められるようにな. io. er. り、民俗学や考古学との共同作業を通じて、様々な成果が積み重ねられた。本 研究が対象とする遊女に関する研究も、都市史研究や女性史研究の隆盛とあい. n. al. Ch. i n U. v. まって、その存在形態に関する議論が盛んに行われるようになった。. engchi. この遊女研究は、網野氏の提言以前にも既に滝川政次郎氏らの業績があり、 それ以後も大和岩雄氏、後藤紀彦氏、脇田晴子氏等によって、精力的に研究が 進められた。これまで近世遊女の前史として語られるに過ぎなかった古代・中 世の遊女について様々な角度から考察がなされ、 新たな解釈や発見が相次いだ。 具体的には、網野善彦の「遊女・白拍子は宮廷に属する職能民」説や網野―脇 田の「卑賤視時期」論争に決着をつけようとした豊永聡美氏の見解などがあげ られる。その内容に関する詳細は後の節の先行研究に譲りたい。なお、遊女研 究の現時点におけるもっとも新しい成果は、恐らく服藤早苗氏の『古代・中世 の芸能と買売春』と思われる。1 1. 筆者が本論文を執筆する間に出版された遊女研究における最新成果は恐らく 2012 年 9 月 30 1.

(9) しかし、研究が深化する過程で、見解の一致をみない大きな課題も残された。 例えば遊女の起源については、中山太郎氏・柳田國男氏の「巫女起源説」2 に 対して、滝川政次郎氏が「外来民族起源説」3 を主張し、また、遊女の身分に ついて滝川・脇田両氏が「法外の民」4 や「化外の民」5 と位置づけるのに対 して、網野・後藤両氏が「職人」身分6 と説いていることがあげられる。さら に当時の遊女などの命名についても議論があり、仏教起源説をとる柳田氏7 ・ 中山氏8 ・沖浦和光氏9 に対し、滝川氏が「中国宋代の名妓の真似」10 とする 見解を発表していることも未だに解きがたい課題として残されている。 日に出版された服藤早苗氏の著書『古代・中世の芸能と買売春――遊行女婦から傾城へ』(明 石書店、2012 年)である。 2 中山太郎氏は「我國の性的職業婦人の起原は、神寵の衰へたる巫女、又は神戒に叛きたる巫 女によって発生したものである。私の所謂「巫娼」なるものは、これを意味してゐるのである。 (中略)その神社の近くに遊廓を有してゐることは、古き巫娼の存在を想はせるものである。 從って是等の巫娼から出た我國の遊女が、古く流れの身と言われていながらも、猶ほ立烏帽子 を着け、皷を持ち、更に太夫と称して、歌舞にまで関係してゐたのである」と論じている。中 山太郎『日本巫女史』(八木書店、一九七四年復刻第二刷、33-34 頁)を参照。一方、柳田國 男氏は遊行女婦について、「社會學の研究者などは、屢々昔の巫女の娼女であったことを説き ますが、實はそれでは言ひ樣が悪いので、寧ろ遊女がもと巫女の一種であったのです」と論じ ている。柳田國男『定本柳田國男集第八巻』(筑摩書房、一九六二年、355 頁)を参照。 3 滝川政次郎氏は朝鮮の白丁民と傀儡子族の漂泊性・信仰の一致や芸能・生業の類似すること から「傀儡子族は白丁民の遺蘖ではあるまいか」と推断を下した。滝川政次郎『遊女の歴史』 (至文堂、一九六五年、23-31 頁)を参照。 4 滝川氏は『傀儡子記』の内容「不耕一畝田、不採一枝桑、故不屬縣官、皆非土民、自限浪人、 上不知王公、傍不怕牧宰、以無課役、為一生之樂」を採り、法律上の身分を持たない所謂法外 の民と考えている。さらに氏は、遊女クグツは編戸の民ではないから、良民でも賎民でもない が、唐令においては賎民である妓女即ち遊女クグツに対して、唐令を母法として律令法を制定 した日本社会では高い地位を認めるはずはない、と考えている。滝川政次郎『遊行女婦・遊女・ 傀儡女』(至文堂、一九六五年、71-73 頁)を参照。 5 脇田晴子氏も滝川氏と同じく『傀儡子記』の「不耕一畝田、不採一枝桑、故不屬縣官、皆非 土民、自限浪人、上不知王公、傍不怕牧宰、以無課役、為一生之樂」を採り、「王化に浴びし ない民すなわち「化外の民」であり、保護もない代わりに納税義務もない。世の身分外の身分 ということができよう」と論じている。脇田晴子『女性芸能の源流:傀儡子・曲舞・白拍子』 (角川書店、二〇〇一年、87 頁)を参照。 6 網野善彦氏は後藤紀彦氏の研究から「遊女・白拍子は「公庭之所属」と言われ、平安時代後 期にはすでに内教坊と推定される官司の統轄下にあり、傀儡子にしても同様の方向で考えうる ので、やはり「法外」の存在とは言い難い」と後藤氏の論点を賛同している。網野善彦『中世 の非人と遊女』(講談社学術文庫、二〇〇五年、152 頁)を参照。なお、後藤氏の研究につい ては、網野善彦・後藤紀彦共同編集『週刊朝日百科 3 日本の歴史 中世Ⅰ-③遊女・傀儡・ 白拍子』(朝日新聞社、二〇〇二年)4-81、4-82 頁に詳しい。 7 柳田國男氏は王朝時代の名妓の名を多く蒐集した相場長昭の「遊女考」を言及し、その中に は「観音小観音文珠御前孔雀など仏教に因める名称多し」と指摘した。柳田國男『定本柳田國 男集第四巻』(筑摩書房、一九六三年、489 頁)を参照。 8 中山太郎氏は、当時の遊女の名前が普賢・観音・勢至という仏名をしたことは、売笑をもっ て菩薩行の一つと信じた民間信仰の現れであったと考えている。中山太郎『売笑三千年史』(パ ルトス社、一九八四年、181-182 頁)を参照。 9 『遊女記』に記された十八人の遊女の名は神仏にゆかりのある名を付けていて、つまり神仏. 立. 政 治 大. ‧. ‧ 國. 學. n. er. io. sit. y. Nat. al. Ch. engchi. 2. i n U. v.

(10) このように、研究者の立場、史料の解釈の違いによって、様々な主張・意見 が見られるように、今、遊女研究は盛んであり、新たに研究する余地がないほ どに議論が出尽くした感がある。そこで、本論文では、これまでの研究とは異 なる視点、即ち仏教思想の観点から中世の遊女像を探究したいと思う。検討対 象となるのは、平安時代末期から室町時代にかけて成立した、とりわけ小野小 町と和泉式部を遊女にとする文芸作品『玉造小町子壮衰書』・『和歌知顕集』・ 『冷泉家流伊勢物語抄』・謡曲『卒都婆小町』・『小町草紙』・『和泉式部』・ 『一乗拾玉抄』・『琴腹』、そして赤木文庫蔵『浄瑠璃物語』十二段目などで ある。これら作品に見られる仏教思想を通じて、中世の遊女像の一面を提示し たい。. 政 治 大. 立. ‧ 國. 學. 第二節 先行研究. 一 史料研究について. ‧. まず、中世の遊女をめぐる研究史を整理する。ここでは、遊女の起源と実態. y. Nat. sit. をめぐる研究にしぼって見ていきたい。. n. al. er. io. 中世の遊女を語る上で避けて通れないのが、平安時代後期成立した大江匡房. i n U. v. の『遊女記』『傀儡子記』である。これらは遊女研究の第一級史料と見做され、. Ch. 後世に決定的な影響を与えた。. engchi. また、鈴木登氏の「平安朝に於ける遊女の研究」は遊女研究の先駆的論文で ある。 ここで氏は遊女という名称の起源について次のように整理している。 一、 歌を唄い、楽を奏で舞を踊り、遊興の相手をした女であるから遊女という説。 二、『萬葉集』の「遊行女婦」を略したものであるとの説。三、中国の『詩経』. の化身で霊妙な神通力のあることを名にほのめかしていたと沖浦和光氏が考えている。沖浦和 光『「悪所」の民俗誌――色町・芝居町のトポロジー』(文藝春秋、二〇〇六年、79 頁)を参 照。 10 滝川氏は中国・唐の文物制度を導入した奈良・平安時代には当然、遊女の制をも唐に模倣し、 また、遊女は唐・宋を慕いてその妓女の流行りに倣ったと考えた。例えば「観音」は宋の名妓 「賽観音」の名を採って己の名としたものである。滝川政次郎『遊女の歴史』33-34 頁を参照。 3.

(11) に「漢有游女」の語を取って、水辺を遊行し売色する女を指して遊女と呼ぶと する説をあげる。11 その後、半世紀を過ぎて、遊女起源をめぐる議論は活況を呈するようになる。 まず、滝川氏・脇田氏は『傀儡子記』から、遊女や傀儡子を朝廷による統制を 受けない「法外の民」または「化外の民」として把握し、また、脇田氏は遊女 が鎌倉時代以前から卑賤視され始めたとする。12 これに対して、網野・後藤両 氏は平安時代末期から鎌倉時代にかけて、遊女や白拍子を母に持つ貴族が数多 く存在することなどから、遊女らは決して卑賤視されていなかったと真っ向か ら反対する説をとなえている。また彼らは、遊女が宮廷の女官を起源とし、朝 廷に属する身分であったとも主張しており、朝廷による統制を受けないとする. 政 治 大. 滝川・脇田説を批判している。13. 立. 遊女の実態については、滝川氏などによる『遊女記』と『傀儡子記』の比較. ‧ 國. 學. 検討から、遊女が、傀儡子と芸能の内容を多少異にするとともに、陸を主体と する傀儡子に対して、 水上を主な活動の場所とすることが明らかにされている。. ‧. だが、その後、徐々にその芸能や形態における違いがなくなり、ついに江口・ 神崎のあそび者を遊女と呼び、それ以外の諸国のあそび者を傀儡子と呼ぶに至. y. Nat. sit. ったという。そして、鎌倉時代中期以降、江口・神崎の賑わいが衰え始め、代. n. al. er. io. わって京都と鎌倉を結ぶ東海道の宿駅が賑わうようになり、傀儡子が遊君と呼 ばれるようになったと述べている。14. Ch. engchi. i n U. v. 遊女の組織などの存在形態について、西国だけでなく東国のあり方について も詳しく検討したのが豊永聡美氏の「中世における遊女の長者について」であ. 11. 鈴木登「平安朝に於ける遊女の研究」(一)・(二)・(三)(『社会史研究第九巻三・四・ 五号』所収、日本学術普及会、一九二三年)。しかしながら、游女とは漢水の女神という見解 もある(袁愈嫈・唐莫堯訳『詩経』上(台北市:台湾古籍出版、一九九六年)20-22 頁を参照)。 12 脇田氏の見解は、傀儡子・遊女は鎌倉時代末期から南北朝、所謂天皇・宮廷の力が弱まった 時点から卑賤視が強化されたと考えるものである。よって、前期に卑賤視がなかったというも のではない。このことは、「給田を与えられたり、天皇・貴族の子を産んだからといって、卑 賤視がないことにはならない。ただ、子が親王・内親王になっているのは卑賤視が弱いといえ るだろう」との見解から明らかである。脇田晴子『日本中世女性史の研究―性別役割分担と母 性・家政・性愛―』(東京大学出版会、一九九二年、68-69 頁)を参照。 13 網野氏は「少なくとも鎌倉時代までは遊女・傀儡・白拍子は化外の民でもなく、また後代の ように卑賤視の対象でもなかった」と述べ、彼女等を供御人や神人と同じ立場の者と位置付け ている。網野善彦・後藤紀彦共同編集『週刊朝日百科 3 日本の歴史 中世Ⅰ-③遊女・傀儡・ 白拍子』4-71 頁を参照。 14 滝川政次郎『遊行女婦・遊女・傀儡女』25 頁を参照。 4.

(12) る。遊女の組織については、『遊女記』から、そこに記述された「宗」「祖」 の意味から、遊女集団には長者がおり、単にその集団の頭であるというだけで なく、その土地の祭祀を司る者でもあったことを想定している。また、氏は『海 道記』の検討から「足柄」という今様が美濃・青墓の遊女により広められたこ とを指摘し、交通上の要所において活動する遊女が都と地方の文化交流の一翼 を担ったと論じた。15 さらに豊永氏は網野―脇田氏の論争について、遊女とは いえ、ランクの差によって生活形態や待遇も変わっていくとし、大江匡房の記 述には誇張があるかもしれないが、 そこには最下級の者が含まれていると考え、 網野・後藤両氏が対象とした人々を遊女の内でも上位者であるという結論を下 した。16. 政 治 大. しかしながら、網野氏はこの見解に対して「史料に現れない遊女等を想定す. 立. ることは、問題を不可知の世界に導いてしまう結果になるのではなかろうか」17. ‧ 國. 學. と反論している。確かに史料に記されていないことを推測で述べるのは、実証 性に乏しいとの批判を受けるのかもしれないが、豊永氏の見解に可能性が全く. ‧. ないとは言い切れまい。. 実際、小谷野敦氏は豊永氏の見解を支持し、「平安後期から史料上でも東海. y. Nat. sit. 道の宿駅に現れている傀儡または遊女の類は、地理的に言ってもそのすべてが. n. al. er. io. 宮廷に関与していたとは考えにくく、やはり豊永が論じるように、その土地の. i n U. v. 勢力者に結びついていたと見るべきだし、遊女にも階層があったと考えるのが. Ch. engchi. 最も自然である」18 と述べている。. 15. 豊永聡美「中世における遊女の長者について」(『中世日本の諸相』下卷所収、吉川弘文館、 一九八九年、406-407 頁)を参照。 16 これに該当する豊永氏の見解を次に引用しておく。「一様ではない遊女や傀儡の何れの階層 を対象とするかによって生じているのではないかと考えられるのである。すなわち一口に遊女 といっても、上は天皇の寵愛を受ける者から、下はその日暮しの者まで様々な階層が存在した のである。『傀儡子記』『遊女記』に見られる記述は網野氏が言うように大江匡房による誇張 があるかもしれないが、そこには最下級の者を含んだ遊女や傀儡の一般形態が述べられている と思う。それに対して網野氏や後藤氏が挙げられた例は、あそび者の中でもいわば上ランクに 位置する長者的存在の遊女や傀儡に関するものであったと思われる。ただし今日、史料となっ て歴史上に現れる遊女たちは、そのほとんどが上ランクの者であり、中世社会との密接な結び つきを明らかにし得るのも彼女たちなのである」。豊永聡美「中世における遊女の長者につい て」406 頁を参照。 17 網野善彦『中世の非人と遊女』233 頁。 18 小谷野敦「「聖なる性」の再検討」(『日本研究』第 29 集所収、国際日本文化研究センタ ー、二〇〇四年)307 頁。 5.

(13) 豊永氏の研究以降、さらに詳細な遊女の実態に関する研究が続いていくこと になるが、これら個々の研究については、本論で必要な限り検討していくこと にする。. 二 中世仏教説話における遊女像について これまでの遊女研究において、仏教説話とのかかわりから遊女を位置づけよ うとする研究が少なからずある。本論もこの仏教説話とのかかわりから中世遊 女像について検討していきたい。この説話の中で、遊女として位置づけられて いる史上高名な女性としては、小野小町・和泉式部があげられる。本論では両. 治 政 大 まず、この分野での主な業績を概観してみよう。 立 佐伯順子氏は『遊女の文化史』にて、和泉式部の多情性によって性の神の神. 者を通じて中世遊女像の実態に迫りたいと思う。. ‧ 國. 學. 性を象徴していると言い、また大島建彦氏も和泉式部の伝承が遊行巫女の伝承 らしいと推定することを述べている。そして『和泉式部』に母子相姦は伝説の. ‧. ヒエロス・ガモス. 世界では「聖なる婚姻」19 に他ならないとし、式部が後に出家した件は、近親. y. sit. 氏は、小野小町だけでなく、衣通姫の性格も美貌と和歌の才に特徴づけられ. io. er. 20. Nat. 相姦を悪とみなすより後代の精神世界が表層にかぶさったものと推測している。. ていた衣通姫の性格も含め、色好みであることが伝承世界で性の神のシンボル. n. al. Ch. i n U. v. となり得たとし、色好みは聖なる性の実践であると説く。そして、小町が最終. engchi. 的に観音菩薩の化身とされたのは、歌と色好みへの信仰に基づく神格化の現れ であるという。21 大和岩雄氏は著作『遊女と天皇』にて、衣通姫を神妻としての一夜妻を説き、 彼女の流れを受け継いた小町、それと彼女の後身と見做される遊女は言うまで もなく一夜妻であると主張する。『小町草紙』に色好みの遊女小町が観音の化 身と記されているのは、一夜妻のイメージを重ねたからであり、当時の神仏習 合思想によって観音とされたからであるという。小町の原像は猿女君の祖の天. 19. 聖なる婚姻は神婚、聖婚ともいう。男神と女神、神または神性を有する者と人間との結婚で ある。(『日本国語大辞典』第二版・第七巻、小学館、二〇〇一年)594 頁を参照。 20 佐伯順子『遊女の文化史』(中央公論新社、一九八七年)66-68 頁。 21 佐伯順子『遊女の文化史』81 頁を参照。 6.

(14) 鈿女命に求められるという。一方、『和泉式部』に式部の母子相姦譚のような 異常な性交譚は、蛇や動物などの異類婚譚と同じジャンルに属し、神婚譚の流 れに入ると論じる。22 佐々木孝二氏は「御伽草子「小町草紙」論」にて、小町の懴悔譚はこの語り の主題であると言い、人々を導くために観音が小町、業平に身を借り、この世 に現れ、人の世の苦悩を自らも体験するという構想は中世の典型的視点の一つ である唱導の語りに他ならないと指摘した。23 さらに物語の冒頭について、中 世の人は当時の宮廷の女房たちの生活実態を知らず、日頃華美な服を着て遊宴 に侍りや王公貴族と浮き名を流すといった生活が遊女の生活形態と重なる部分 があるので、「内裏に色好みの遊女あり」24 という架空のイメージが生まれた. 政 治 大. と解釈している。最後に語り手についての人間像を色好みの歌人の成れの果て. 立. を思わせる女性で、諸国を巡り歩き、神仏の霊験や信仰を唱導する巫祝と想定. ‧ 國. 學. している。25. 今関敏子氏は『〈色好み〉の系譜――女たちのゆくえ』にて、遊女としての. ‧. 小町像が形成され、定着していく過程で、大きな役割を果たしているのは、 『伊 勢物語』であると推測する。26 『伊勢物語』に『古今和歌集』に収録される小. y. Nat. sit. 町の歌を「色好みなる女」が男に贈答する事例が見えるからである。さらに小. n. al. er. io. 町と和泉式部を対比し、小町が男を待つ身となりながら、その結果を拒む自ら. i n U. v. 行動する「拒む女」と類型し、この女のタイプは結果的に落魄していくとし、. Ch. engchi. 一方、小町と全く逆に「受容する女」として捉えた和泉式部が最終的に女人往 生に結びつくと推測する。そして、和泉式部が遊女と重なっていく過程は小町 以上に男たちにとって望ましい変化であったと指摘している。27 柴佳世乃氏は「『和泉式部』――室町期における物語の広がり――」にて、 先に「五条」は「遊女」と深く結びついた場であることを提示し、これが和泉 式部の説話に持ち込まれ、彼女の遊女像をより鮮明に浮かび上がらせる効果が. 22. 大和岩雄『遊女と天皇』(白水社、一九九三年、294-302 頁)を参照。 佐々木孝二「御伽草子「小町草紙」論」(『国文学解釈と鑑賞』60 巻 8 号所収、至文堂、一 九九五年)60 頁。 24 『小町草紙』(大島建彦訳注『御伽草子集』所収、小学館、一九九二年)110 頁。 25 佐々木孝二「御伽草子「小町草紙」論」63-65 頁。 26 今関敏子『〈色好み〉の系譜――女たちのゆくえ』(世界思想社、一九九六年)17 頁。 27 今関敏子『〈色好み〉の系譜――女たちのゆくえ』77 頁を参照。 23. 7.

(15) あったとする。そして最後に「くらきより」の歌で物語に終止符を打つことで 和泉式部を語る際に不可欠な好色・歌徳・仏教の三要素を見いだすことができ ると論じた。28 濱中修氏は「『小野小町』――乞食と菩薩――」にて、細川涼一氏曰く、男 性優位社会に於ける根強い女性蔑視の影響という論点に賛同する。29 また、氏 は「落魄」と「観音」という両極端な小町像を併記されている点については、 その乞食・非人としての姿は、むしろ彼女の菩薩としての聖性を保障する苦行 の姿として捉えられると述べ、賤形もまた苦行の一形式で、それによって聖性 は保障されている、という見方を提示している。30 さらに同氏は、「御伽草子 『和泉式部』『小式部』論」にて、中世の和泉式部伝説の二大要素は歌才と好. 政 治 大. 色にあると指摘した。31 さらに『小野小町』と『和泉式部』両者は共に好色女. 立. 性の零落譚として位置づけられると論じ、『和泉式部』の意図は、女性を賎視. ‧ 國. 學. することでなく、そのような賎視さるべき女性でも救済の道はあることを示す ことにあるとも論じた。32 また同氏は『女神たちの中世物語』にて、『伊勢物. ‧. 語』の古注釈書『和歌知顕集』巻一において、小町を観音と見做すのは、末世 においては正統的な方法で悟りへの道を説いても衆生の耳には入りにくいので、. y. Nat. sit. 「二滞」の法によって菩提へ導くべく、業平と相談して如意輪観音が好色の美. n. al. er. io. 人に化したと述べ、小町菩薩説に関する思想的背景について論及している。私. i n U. v. 見によれば、この氏の見解と小町以外の遊女菩薩説との間には相違点も見られ. Ch. engchi. るのだが、遊女説話の女性に仏性を見る視点は中世の信仰と文学領域において 普遍的に見られたことは確かであり、氏の指摘には大いに学ぶべきところがあ ろう。33 濱中氏の論文からも窺われる通り、中世においては小野小町や和泉式 部のような歴史上に有名な女性の名を借り、女人救済をテーマとする物語が多 く作り上げられたが、その中でも『和歌知顕集』における小町菩薩説には「む 28. 柴佳世乃「『和泉式部』――室町期における物語の広がり――」(『国文学解釈と鑑賞』61 巻 5 号所収、至文堂、一九九六年、55 頁)を参照。 29 濱中修「『小町草子』――乞食と菩薩――」(『国文学解釈と鑑賞』61 巻 5 号所収、至文堂、 一九九六年)57 頁。 30 濱中修「『小町草子』――乞食と菩薩――」60 頁。 31 濱中修「御伽草子『和泉式部』『小式部』論」(『国文学解釈と鑑賞』60 巻 8 号所収、至文 堂、一九九五年)120 頁。 32 濱中修「御伽草子『和泉式部』『小式部』論」123 頁。 33 濱中修『女神たちの中世物語』(新典社、二〇一一年)84、91 頁。 8.

(16) しろ色好みこそ」即身成仏になるような発想があった。よく見られる女人罪業 思想による念仏往生類型と異なり、少し奇抜な説ではあるが、遊女菩薩化身説 に斬新な視点を提示していると思われる。管見の限り、石川透「注釈書・教説 の中の小野小町」・小峯和明「中世説話の小町」にも『和歌知顕集』中の小町 説話について言及があるが、猟師と結婚及び小町の観音化身の話に触れるに止 めており、34 濱中氏の提起したような議論にはなっていない。 崔恵珍氏は『和泉式部・小野小町の人物像の比較研究:平安歌人から中世遊 女までの人物像変遷について』にて、まず小町像については、平安時代に成立 した『玉造小町子壮衰書』が小町像の定型を作り、これを受け継いだ中世前期 の『伊勢物語抄』を契機とし、中世後期に入ってから様々な伝説が生まれ、多. 政 治 大. 様な小町像が『謡曲』に見られるようになったと論じた。35 小町が零落れてい. 立. くことについては、 「恐らく男がかつて人生で最高の美の対象として、夢を見、. ‧ 國. 學. 神まで通ういみじさに憧れた女の最も純粋な変化しない考えに対する憎しみで あろうか」36 と推測している。和泉式部像については、「和泉式部像の再検討. ‧. ―中世後期に変化する和泉式部像の一考察―」にて、和泉式部が恋愛遍歴を重 ね、宮廷の女房として豊かな知性があったために、遊女とイメージされ、仏教. y. Nat. sit. 説話に頻繁に登場したのではないかとみている。また、歌人和泉式部が遊女へ. n. al. er. io. 変化したのは、字を知って知識を持っているところに遊女と宮廷の女房と共通. v. 性があったために、結びついたのではないかと推測している。37. Ch. engchi. i n U. これら研究史を振り返ってイメージできることは、小野小町が神仏の化身と され、衆生を引導する者としての描写が多く見られるのに対し、和泉式部は女 人救済のモデルとされる場合が多く見られるということである。 このことから、 同じく遊女とされた二人が、それぞれ異なる役割を担っていたように考えられ る。それは言い換えれば、遊女像に二つの要素があることを示していよう。そ れでは遊女像にどうしてこのような要素が見られることになったのだろうか。 34. 石川透「注釈書・教説の中の小野小町」75-77 頁、及び小峯和明「中世説話の小町」50 頁(以 上、『国文学解釈と鑑賞』60 巻 8 号所収、至文堂、一九九五年)。 35 崔恵珍『和泉式部・小野小町の人物像の比較研究:平安歌人から中世遊女までの人物像変遷 について』(大谷大学大学院研究科仏教文化専攻博士論文、二〇〇六年、94-95 頁)を参照。 36 崔恵珍『和泉式部・小野小町の人物像の比較研究:平安歌人から中世遊女までの人物像変遷 について』96 頁。 37 崔恵珍「和泉式部像の再検討――中世後期に変化する和泉式部像の一考察――」(『文藝論 叢』第六十五号所収、大谷大学文芸学会、二〇〇五年)25 頁。 9.

(17) このことを改めて問題としなければならないであろう。. 第三節 研究内容と方法 本論はまず、中世に成立された小野小町及び和泉式部二人にまつわる数々の 物語の中でとりわけ「遊女」として描写されるものを取り上げ、その遊女像に ついて検討する。そのために、前の二章にて、二人が遊女として扱われた物語 から遊女としての性格を明らかにし、これを通じて中世の遊女像一般について も論及したい。また、二人の遊女としての性格と仏教説話との関連について論. 治 政 大 どういう風に認識されていたのかについても検討したい。次に二人にまつわる 立 数々の伝説に見られる仏教の女性観、とりわけ女人罪業観と救済思想について じ、これらの説話を通して当時の遊女がどのように見られていたのか、または. ‧ 國. 學. 検討したい。まず、『法華経』に代表される仏典における女性観や遊女観音変 化譚の下地と思われる菩薩と女性との関係について、 基礎的な確認作業を行う。. ‧. さらに、これらを日本で受容したと思われる平安・鎌倉時代の仏教史における. y. sit. io. n. al. er. を議論したい。. Nat. 女性観について整理し、この女性観がいかに中世遊女像の前提となっているか. Ch. engchi. 10. i n U. v.

(18) 第一章. 小野小町伝説における遊女像. はじめに 六歌仙として名を馳せた小野小町は、古代末・中世を通じて、歌物語におけ る歌人としてだけでなく、様々な説話において恋多き好色女として、さらには 遊女としても描かれるようになる。 本章は、諸先学の研究を参考にし、かかる小野小町の伝説から遊女像の生成 及び当時の人々の遊女観について検討するものである。. 立. 政 治 大. 第一節 伝説の中の小野小町. ‧ 國. 學. 小野小町にまつわる伝説は少なくない。その理由について前田善子氏は伝記. ‧. が未伝であること、美人であること、及び優れた歌人であり、一生を不幸のう ちに終わったと推定されるという四点にまとめた。ゆえに後人の興味を引き、. y. Nat. sit. 数々の伝説が生まれたと考えられている。前田氏はさらに小町の伝説を美人流. er. io. 浪伝説、美人驕慢伝説、美人好色伝説、歌人伝説の四種類に分類している。1 前. al. n. v i n Ch れる。本章では、小町と遊女との関連性を示す史料、美人好色伝説、特に小町 engchi U 田氏のこの分類は、現在でも小町説話を整理する際の基準となっていると思わ. 遊女伝説にかかわる物語に検討の範囲を限定し、これまでの諸先学の研究を検 討した上で、自身の研究の方向性を示しておきたい。 それではまず、遊女としての小町像の具体相を把握しておきたい。次の諸史 料(抜粋)は遊女小町像に関する代表的なものである。. ①. 女答予曰。吾是倡家之子。良室之女焉。壯時憍慢最甚。衰日愁歎猶深。 齢未及二八之員。名殆兼三千之列。被寵華帳之裏。不歩外戸。被愛珠簾 之内。無行傍門。(傍線筆者、以下同じ). 1. 前田善子『小野小町』 (三省堂、一九四三年)221 頁。 11.

(19) (平安時代後期・『玉造小町子壮衰書』). ②. かの業平は馬頭観音としてこの事をあんし給しに、小野小町は如意輪観 音としてともに議し給て、かれはたわれおとなり、これはたはれめとな りて、おなし世にいて給し人也。されは、こうしゆひゝくといへとも、 たゝかされはこゑをなさすとて、男よにこゑて色ありとおもへとも、女 さためすは信しかたし。女いろあまりとも、男ほめすはあらわれかたき か故に、かれこれむまれあひて、たかひに、しなをさため、とくをほめ たる女なれは、これをかきたる也。 (鎌倉時代・ 『和歌知顕集』 ). ③. 立. 政 治 大. 『宇治殿の物語』には、小町は馬頭観音の化身也。井出寺して死と云う. ‧ 國. り。されは、井出寺にて死とはなかりと云り。. ‧. (鎌倉時代・ 『冷泉家流伊勢物語抄』 ). y. Nat. いたはしやな小町は、さも古は遊女にて、花の貌輝き、桂の黛青うして、. sit. ④. 學. 事、一旦の説なれとも、其後衰幣して相坂の辺にて骸をさらすとみへた. n. al. er. io. 白粉を絶えさず、羅綾の衣多うして、桂殿の間に余りしぞかし。. ⑤. Ch. i n U. v. (室町時代・謡曲『卒都婆小町』 ). engchi. そもそも、清和の頃、内裏に、小町といふ、色好みの遊女あり。……こ の小町は、歌を詠むことすぐれたり。古の衣通姫の流れとも申し、観音 の化身とも申し、かりにこの世に生れ給ひて、うあく、むあく、衆生の 迷ひ深き、女人あまりに心もなきものの、あはれをも知らず、仏をも礼 せず、神を拝まずして、いたづらに月日を送り給ふことを悲しび、色好 みの遊女と生れ、(後略). また、小町は、男に逢ふこと、まづ千人と記したれども、逢うて逢はぬ とも見えたり。かたちのよきこと、李夫人、衣通姫にも異らず、見る者 聞く者、これをしのぶこと、筑波嶺のこの面の茂きこと數を知らずして 12.

(20) ありしことも、(後略). 「 (在原業平)古の色好みの小野小町は、これにわたらせ給ふか」. 「 (小町)よくよく思へば、同じ色好みの、情けもことに在原の、おもか げは業平の、あら恥づかしいわが姿(後略)」. 「 (小町)その歌人の色にふけりしこと、数を白玉の、手に取る文の数あ またありしかども、身の果てしまでは、情の夫はなかりけり(後略)」. 政 治 大. 「 (業平)われも心を移し、身を捨てて、色好みは、数を知らずあひ馴れ. 立. しかども、その中にも、思ひとめしはわづかなり。 (中略)みづからも、. ‧ 國. 學. 千人と記したり。これみな偽りの情なり。(後略)」. ‧. この物語を聞く人、 まして読まん人は、 すなはち観音の三十三体を造り、 供養したるにも等しきなり。 小町は如意輪観音の化身なり。 また業平は、. y. Nat. sit. 十一面観音の化身なり。あだにもこれを思ふべからず。南無大慈観音菩. n. al. er. io. 薩と、回向あるべし。. Ch. i n U. v. (室町時代・『小町草紙』). engchi. 最初の①「玉造小町子壮衰書」は平安時代後期に成立したといわれる。2 生 没年が平安時代前期と推定される小町にとって、これは最初に彼女について記 された作品と言えよう。この作品に登場する倡家之子とは倡女、つまり遊女の ことを言う。この物語の主人公が小野小町とは明白に示していないが、彼女の 物語として読み継がれている。従って、平安時代後期以降に小町を遊女視する 傾向が生まれたと考えられる。この「玉造小町子壮衰書」以降、小町の遊女と してのイメージは強くなり、定着していくことは、室町期の史料から明らかで. 2. 細川涼一『女の中世 小野小町・巴・その他』 (日本エディタースクール出版部、一九八九年) 237 頁。また、渡辺秀夫「小野小町愛の地獄――「玉造小町子壮衰書」 」 ( 『国文学:解釈と教材 の研究』28 巻 9 号所収、学灯社、一九八三年)84 頁。 13.

(21) ある。 次に②の『和歌知顕集』及び③の『冷泉家流伊勢物語抄』は『伊勢物語』の 古注釈書である。 『伊勢物語』を構成する多くの段において、登場人物は「男」 「女」と記されているのみであるものの、これらを実在した人物に当てはめて 解釈している。その内容は「今日から見れば、荒唐無稽としか言いようがない ような付会が注釈の方法となっている」3 とされるが、その分、注釈を施した 当時の人々の男性像・女性像が反映されていると考えられる。ここでは②の巻 第一「伊勢物語大事」の一部を、そして③の第六十三段の一部を抜粋して引用 した。 ④の『卒都婆小町』の内容については、乞食の老女と高野山の僧との宗教問. 政 治 大. 答が行われ、そこで老女が、教化しようとした僧を言い負かしてしまうという. 立. エピソードが載せられている。僧に名を聞かれ、老女は小野小町の成れの果て. ‧ 國. 學. と答えも、突然、彼女は深草の四位の少将の霊に憑かれ、狂い始める。やがて 狂気を脱し、静かに後世を願うという内容である。本章に引用した箇所は、僧. ‧. が目の前の老女が小町と知り、思わず嘆息をもらすシーンである。 最後の⑤『小町草紙』は、清和の頃に内裏に色好みの遊女小野小町がいて、. y. Nat. sit. 若い時に栄華を極めたが、老後に落ちぶれ、ついに死に、在原業平の回向を受. n. al. er. io. けるという物語である。本章に引用した箇所は、若い小町の美しい姿・性格を. i n U. v. 表しているところと、また、老後落ちぶれていて草庵に住む小町が業平に対す. Ch. engchi. る懴悔を申す場面、そして物語の最後にある読者に対する教訓の部分である。 本章では、これら史料から窺える遊女小町像の内、 「色好み」譚と「観音菩薩 変化」譚に注目する。 それは両者が小町を遊女たらしめる最も重要な構成要素と なっていると思われるからである。以下、まず「色好み」から述べてみよう。. 3. 片桐洋一・山本登朗編『伊勢物語古注釈大成』第一巻の「解題一『冷泉家流伊勢物語抄』と は何か」 (笠間書院、二〇〇四年、276 頁)を参照。 14.

(22) 第二節 「色好み」について 一 千人の男に逢う 「小町草紙」にある「内裏に色好みの遊女あり」について、佐々木孝二氏は 「御伽草子「小町草紙」論」にて、中世の人は当時の宮廷の女房たちの生活実 態を明確に把握ができず、日頃華美な服を着て遊宴に侍りや王公貴族と浮き名 を流すといった生活が遊女の生活形態と重なる部分があるので、 「内裏に色好み の遊女あり」という架空のイメージが生まれたと解釈している。4 ヽ. 今関敏子氏は「〈色好み〉の流浪」にて、「小町草紙」の「また小町は、男 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ. ヽ ヽ. ヽ ヽ. にあふこと、まづ、千人としるしたれども」の記載から、色好みについて、多. 政 治 大. くの相手と契る、剥き出しの欲望に従う放埒な性関係という意味であると論じ. 立. る。. ‧ 國. 學. 同じく松田修氏も「遊女百科・聖と俗のデュアリズム」にて、 「逢うて逢はぬ」 というような表現は逆説的レトリックで、 日本性愛論の常套と論じる。 つまり、. ‧. 小町は業平と同じく「千人」の相手と関係を持ったと位置づけられている。 それでは次に、これら諸先学の研究に対する私見を述べたい。. y. Nat. sit. まず、佐々木氏の見解については、遊女をもと朝廷に属する職能民であると. er. io. する網野善彦・後藤紀彦両氏の説とのかかわりを指摘しておく。平安時代後期. al. n. v i n Ch 『右記』の管絃音曲について述べた条に「倡家女・白拍子は皆な是れ公廷之所 engchi U. から鎌倉時代初期にかけての皇族であった守覚法親王(1150-1202)の著した. 属也」5 とある。記主の守覚法親王の父と言えば、今様狂いで知られる後白河. 天皇 (1127-1192) である。 後白河天皇は十歳から今様を習い始め、 保元三年 (1158) に退位して院となって、仁安四年(1169)に法住寺殿において出家し、法皇と なり、五十歳の頃に『梁塵秘抄』を編纂したことは周知のことである。後白河 院は三十一歳の時、今様の名人・傀儡女の乙前を参内させ、彼女が死ぬまで優 遇したと言われる。このことを踏まえると「小町草紙」の時代設定たる清和の 頃(在位 858-876)に、内裏に遊女がいることは想定可能であろう。しかしな 4. 佐々木孝二「御伽草子「小町草紙」論」 ( 『国文学解釈と鑑賞』60 巻 8 号所収、至文堂、一九 九五年)63 頁。 5 大正新脩大蔵経刊行会編『大正新脩大蔵経』第七十八巻 続諸宗部九(大蔵出版、一九九二 年)602 頁。 15.

(23) がら、このことを「小町草紙」の受容層が認知していたかどうかは検討の余地が ある。 次に今関氏と松田氏の解釈について述べたい。両氏が「色好み」の意味を解 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ. ヽ ヽ. ヽ ヽ. くための史料は、 「又小町は、男にあふこと、まづ、千人としるしたれども、逢 うて逢はぬとも見えたり」の箇所である。この「逢うては逢わぬ」の意味につ いて、私は「小町草紙」の別の部分を採って論拠にするほうが適切だと考える。 物語中、小町が自らの住む草庵を訪ねてきた在原業平に対して、 「よくよく思へ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ. ば、同じ色好みの、情けもことに在原の、おもかげは業平の、 (後略) 」と自ら 業平と同じく色好みと認めているが、この小町と同類とされた業平が、後に彼 の「色好み」を懴悔に記述している箇所に注目したい。 「われも心を移し、身を ヽ ヽ ヽ ヽ. 政 治 大. ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ. 捨てて、色好みは、数を知らずあひ馴れしかども、その中にも、思ひとめしは. 立. ヽ ヽ. ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ. わづかなり。 (中略)みづからも、千人と記したり。これみな偽りの情なり」と. ‧ 國. 學. あるのである。このことから、この「逢うて逢はぬ」とは、小町の側に引き寄 せて考えてみれば、小町は多くの男と関係を持ったけれど、その多くは意に添. ‧. わぬ多くの相手との行為であったという意味となる。ここからは、小町が自分 の性欲や恋愛感情を満足させるために多くの男と関係を持ったのではなく、彼. y. Nat. n. al. 二 和歌の徳. Ch. engchi. er. io. 践していたという解釈が可能となってこよう。. sit. 女を求めてくる男たちのために奉仕した、つまり自己犠牲を伴う利他行為を実. i n U. v. もう一つ注目しておきたいのが小町の和歌の徳である。小町は和歌に優れ、 六歌仙の一人として数えられていることは周知のことである。このことは、次 に引用する『小町草紙』の一節から窺えよう。. 日本の歌の道ほど、もてあそぶべきものはなし。万のことの葉となりにけ り。歌の徳あまたあり。世の中の憂きにも辛きにも詠じ、神仏のたまふ偈 にもなり、または、力を入れずして天地を動かし、目にも見えぬ鬼神をも あはれと思はせ、男女の中をもやはらげ、たけき武士の心をも慰めぬるは 歌なりとて、この小町は、歌を詠むことすぐれたり。 16.

(24) されば、歌をよく詠めば、仏を造り、供養し奉り申すと同じ。悪く詠めば、 仏を造り損ざするとみえたり。 ( 『小町草紙』 ). 以上は、 『古今和歌集』仮名序の引用である。和歌の素晴らしさを説き、和歌 を通して男女の関係を睦まじくなることや良い歌を作れば、その功徳は仏像を 造って供養することと同じであると述べられている。佐伯順子氏も『遊女の文 化史』にて、上述の段落を引用し、男女の仲だちは歌の効用のうちの重要なひ とつに数えられていると述べている。6 なぜ和歌によって男女の仲が良くなる. 政 治 大. のかと言うと、古代には男女互いに和歌を贈答し、何回も掛け合いながら、対. 立. になり恋愛関係になる習慣があるからである。 『小町草紙』に老女となった小町. ‧ 國. 學. は「その歌人の色にふけりしこと、数を白玉の、手に取る文の数あまたありし かども、身の果てしまでは、情の夫はなかりけり」と、歌人としての自分は若. る。. ‧. き頃、数えられないほど多くの恋文をもらうことで好色に耽っていたといわれ. y. Nat. sit. これらのことから、色好みの女としてはただ単に美貌を有するだけでは不十. n. al. er. io. 分であり、これに加えて人を魅了する和歌を詠む才能がなければ恋を成就する. i n U. v. ことができないと考えられていたことがわかる。ここに和歌と色好みとの密接 な関係が窺える。. Ch. engchi. 先ほどの二つの文には和歌と色好みとの関連性を示した他、仏教に関連する 記載もあった。それは歌を上手く詠めば仏像を造って供養する功徳に相当する ことである。 『和歌知顕集』にも、 「文字三十一字に定し事、如来の三十二相に なずらふるべし、そもそも、如来の三十二相の中に、無見頂相といふ相ましま す。凡眼しる事なし。かるがゆへに、あらはれては、三十一相也」7 と書かれ ている。三十一文字の和歌の形式を仏教思想で説き、まさに歌道即ち仏道とい う考え方が表れている。中世においては、かかる言説が一定の説得力を持つも のとして流布していたと思われる。 6 7. 佐伯順子『遊女の文化史』 (中央公論新社、一九八七年)73 頁。 片桐洋一・山本登朗編『伊勢物語古注釈大成 第二巻』 (笠間書店、二〇〇五年)3 頁。 17.

(25) 和歌を詠むに功徳があれば、和歌詠みが得意な小町に、実は功徳があること が暗示されていると思われる。ただし、 『小町草紙』の冒頭で述べたように、小 町は罪深い女のうえ、若い時神仏も礼拝せず、懺悔せずにして、老後に落魄の 極みを味わなければならなくなる。. 第三節 観音菩薩の変化について 先に掲載した史料には、小町を観音の化身とする一節があった。この観音変 化の性格についての検討は第四章第二節に譲りたい。. 治 政 大 程との関連から検討を加えたい。 立. ここでは第四章第二節での検討を準備する作業として、観音変化譚の形成過. ‧ 國. 學. 一 遊女成仏譚. ‧. まず、観音変化譚を検討する前に確認しておかなければならないのは、研究. sit. Nat. が先行して存在するということである。. y. 史においてあまり注目されてこなかったことだが、その前史として遊女成仏譚. er. io. 「玉造小町子壮衰書」において小町が最後に仏道に帰依するとあるように、. al. n. v i n Ch を歌って聖との結縁を願い、 罪業深き身から救いを求めたとする物語 ( 『発心集』) engchi U 遊女に関する説話にも遊女と仏教の上人との対話を載せ、遊女が和泉式部の歌. 8. や、法然上人の説法により室の遊女が仏門に帰依した( 『法然上人行状絵図』. 9. 、 『法然上人伝全集』10 )という遊女教化(成仏)譚が少なからず見られる。 具体的に成仏譚の内容を述べておこう。 『法然上人行状絵図』によると、建永. 二年(1207)三月十六日に法然が配流先の讃岐国へ向かう途中、室津の港で遊 女が舟で追いかけてきて、 「世をわたる道まちまちなり。 いかなるつみありてか、 かゝる身となり侍らむ。この罪業おもき身、いかにしてかのちの世たすかり候 8. 大曽根章介・久保田淳編『鴨長明全集』 (貴重本刊行会、二〇〇〇年)206 頁。 中村直美「遊女考――『法然上人行状絵図』 ・ 『和漢朗詠注』――」 ( 『佛教大学大学院紀要』 三六号所収、佛教大学、二〇〇八年)146-147 頁。 10 中井真孝「法然諸伝に見える遊女教化譚――『行状絵図』と『九巻伝』の前後関係――」 (宮 林昭彦教授古稀記念論文集『仏教思想の受容と展開』第一巻所収、山喜房佛書林、二〇〇四年) 473-474 頁。 9. 18.

(26) べき」と問いかけてきたという。これに対し、上人は「もはら念仏すべし。弥 陀如来はさやうなる罪人のためにこそ、 弘誓をもたてたまへる事にて侍れ。 たゞ、 ふかく本願をたのみて、あへて卑下する事なかれ。本願をたのみて念仏せば、 往生うたがいあるまじき」11 と教えた。遊女は法然の言いつけを守り、近くの 山里で只管念仏を称え、往生を遂げたという。 次に『発心集』「室の泊の遊君、鄭曲を吟じて上人に結縁する事」12 による と、室の泊の遊女が舟を漕ぎ着け聖のもとへ向かい、和泉式部のかつて性空上 人と結縁のため送った和歌「暗きより暗き道にぞ入ぬべき遥かに照らせ山の端 の月」を歌って、結縁を願ったという話が載せられている。深い闇に迷い込ん だ遊女が仏教の教えを月光に例え、その光こそ聖であると思い、浄土への回向 を聖に託したのであろう。. 立. 政 治 大. そして『梁塵秘抄』の口伝集巻第十にも次のような一節が載せられている。. ‧ 國. 學. 遊女のたぐひ、舟に乗りて波の上に浮かび、流れに棹をさし、着物をかざ. ‧. り、色をこのみて、人の愛念をこのみ、歌をうたひても、よく聞かれんと 思ふにより、ほかに他念なくて、罪にしづみて、菩提の岸にいたらむこと. y. Nat. n. al. er. io. sit. を知らず。それだに、一念の心おこしつれば、往生しにけり。13. i n U. v. 以上の叙述には遊女を卑賤視にする考え方が見えてくるが、一方で遊女のよ. Ch. engchi. うな者でも仏に帰依すれば素懐を遂げることができるとする遊女成仏が説かれ ていたことが窺われよう。. 二 観音変化譚 さて、このような成仏譚に混じり、観音変化譚が生じてくるわけであるが、 その形成時期はいつ頃のことであったのか。このことについて、次の図表を参 照してほしい。関係諸史料を成立年代順に並べてみると、遊女成仏譚よりも観. 11. 大橋俊雄校注『法然上人絵伝(下) 』 (岩波書店、二〇〇二年)116-117 頁。 大曽根章介・久保田淳編『鴨長明全集』206 頁。 13 臼田甚五郎・新間進一等訳注『神楽歌・催馬楽・梁塵秘抄・閑吟集』 (小学館、二〇〇六年) 379 頁。 12. 19.

(27) 音変化譚が後発であることが改めて確認でき、さらにそれが鎌倉期以降である ことが窺える。. 書名. 成立年代. 性質. 『梁塵秘抄』口伝集巻第十. 1180 年前後. 成仏. 遊女のような者は、一心に仏に帰 依すれば、往生を遂げる 『法然上人行状絵図』巻三十四第 建永二年(1207)3 月 16 五段. 日14. 『発心集』巻六. 1216 年以前15. 治 年の間に 政 1212-1215 大. 『古事談』第三僧行 性空上人見. 立. 生身普賢菩薩. ‧ 國. 観音化身. 観音化身. 1264-1275 年頃までに. 観音化身. 性空上人と遊女. ‧. 『撰集抄』巻三第三. 成仏. 1252 年成立. 學. 『十訓抄』三ノ十五. 成仏. 室遊女遁世之事. sit. y. Nat. n. al. er. io. ただし、遊女ではないが女性が観音菩薩の変化であったとする物語は、すで. i n U. v. に平安時代前期に成立した『日本霊異記』から知られるところである。その例. Ch. engchi. として、次に二つ挙げておく。 「孤の嬢女の、観音の銅像を憑り敬ひしときに、 奇しき表を示して、現報を得し縁」16 、そして「極めて窮れる女の、千手観音 の像を憑み敬ひて、福分を願ひ、以て大富を得し縁」17 がある。 西口順子氏の検証によると、菩薩が女性に化して人を救済する物語は遅くと も十二世紀にほぼ明確な形で存在したことが指摘されている。18 遊女の観音変. 14. 『法然上人行状絵図』の成立年代は徳治二年(1307)より 10 年かけて完成と推測されてい るが、ここでは法然上人が遊女を救う日付を示しておく。 15 『発心集』は鴨長明(1155-1216)晩年の編著とされるため、ここでは 1216 年以前と示して おく。 16 中田祝夫訳注『日本霊異記』 (小学館、一九七五年)234 頁。 17 中田祝夫訳注『日本霊異記』251 頁。 18 西口順子「成仏説と女性――「女犯偈」まで――」 ( 『日本女性史論集 5 女性と宗教』所収、 吉川弘文館、一九九八年)338 頁。 20.

(28) 化譚が女性のそれに比べて十三世紀成立と遅れて成立することについて、現在 確たる論拠を示すことができないが、やはり、当時の遊女に対する卑賤視や罪 悪の印象が強すぎて、遊女を観音菩薩の化身とすることに抵抗があったという 事情を想定した方がよいかもしれない。観音変化譚に先行する遊女成仏譚が遊 女観音変化譚を可能にするための下準備となった可能性もある。 また、遊女観音変化譚の形成に関して、見逃してならないのが、これに先行 して、僧の相手をする女性が菩薩の変化であるとする物語が登場していること である。その具体例として、親鸞が建仁元年(1201)四月五日19 の夜に京都・ 六角堂で救世菩薩 (如意輪観音) の示現を蒙って得たとされる偈を次に示そう。. 政 治 大. 親鸞夢記云. 立. 六角堂救世大菩薩、示現顔容端政之僧形令服著白衲御袈裟端座広大白蓮告. ‧ 國. 學. 命善信曰. 行者宿報設女犯. ‧. 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳. y. Nat. sit. 臨終引導生極楽. n. al. er. io. 救世菩薩誦此文言、此文吾誓願、一切群生可説聞告命、因斯告命数千万有 情令聞之覚夢悟了20. Ch. engchi. i n U. v. この中の偈は「女犯偈」と呼ばれ、偈の内容を簡単に示すと、修行者(僧) が前世の果報にして戒律を破り、女性と性的関係を持つことになっても、菩薩 が高貴な女性(玉女)に化身して代わりをつとめ、僧を救済するという、観音 変化譚が説かれている。 かかる僧の相手をする女性の観音変化譚も、遊女観音変化譚の形成に大きな 影響を与えていると思われる。. 19. 『親鸞絵伝』西本願寺本は建仁元年(1201)とするが、その他の諸本は建仁三年(1203)と 伝える。田中貴子「 〈玉女〉の成立と限界」 ( 『シリーズ女性と仏教 4 巫と女神』所収、平凡社、 一九八九年、123 頁の注 1)を参照。 20 名畑崇「親鸞聖人の六角夢想の偈について」 (真宗連合学会編『真宗研究』第八輯所収、百 華苑、一九六三年、57 頁)を参照。 21.

(29) おわりに 本章では、遊女小町像を構成する「色好み」と「観音菩薩変化」について検 討した。 「色好み」については、 「逢うて逢はぬ」の解釈を深めることで、相手 を選ばず、求めてきた相手の要求に応じ、偽りの情で、愛を施すという遊女像 を示すことができた。伝説の中で醜悪な老女として描かれている遊女小町は、 千人とも言われる男たちの要求を満たしてきた者の姿であった。これを単なる 悪女として評するわけにはいかないであろう。 この遊女小町像と遊女を観音菩薩の化身とする観音菩薩変化譚とは、お互い に響きあう関係にあるように思われる。多くの男たちのために身を犠牲にして. 治 政 大 り合う。おそらく遊女小町像を受容した人々にとってもそれはある意味、想像 立 可能な事柄だったのではないだろうか。 きた遊女小町と多くの人々を仏道へ導き救済する観音菩薩とはその形象が重な. ‧ 國. 學. また本章では、この遊女観音変化譚に先行して遊女成仏譚があることも指摘 した。そして、この成仏譚が先に受容されることで、すでに平安前期からみら. ‧. れた女性観音変化譚が遊女にも適用されるようになったのではないかと推測し. n. al. er. io. sit. y. Nat. た。これはまだ検討を要する課題である。. Ch. engchi. 22. i n U. v.

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