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入れられないものである。

このような考えは先述の『和泉式部』でも見られた。「小町は、人に恋ひられ て、その怨念とけざれば、無量の咎によりて、その因果のがれず、……」13 と、

式部が思い、道命のもとへ訪れたのは先に述べた通りである。

一口で言うと、小野小町と同じく相手からの要求に応じ、奉仕する行動が物 語にての和泉式部にも見られる。従って、小町でも式部でも遊女の「献身的要 素」を多く求められたと言えよう。

第三節 往生及び遁世について 一 和歌の徳

先述の通り、和泉式部にまつわる物語の結末は仏門に入るパターンが多い。

管見の限り、それは恐らく彼女のその和歌に結びつくのであろう。

性空上人のもとによみて遣はしける

雅致女式部

暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月

(平安時代中期・『拾遺和歌集』)14

その他、『古本説話集』15 や『無名草子』16 も同様に和泉式部と性空上人と の話が載せられてあって、さらに話の続きがある。歌のお返しに上人から袈裟 を得られ、それを着て往生したという筋が次のように加えられたのである。

御返事に、袈裟をぞつかはしたりける。病づきて失せむとしける日、その 袈裟をぞ着たりける。歌の徳に後の世も助かりけむ、いとめでたき事。

13 大島建彦訳注『御伽草子集』(小学館、一九九二年)390 頁。

14 小町谷照彦校注『新日本古典文学大系 7 拾遺和歌集』(岩波書店、一九九〇年)394 頁。

15 中村義雄・小内一明校注『新日本古典文学大系 42 宇治拾遺物語・古本説話集』(岩波書店、

一九九〇年)413-414 頁。

16 樋口芳麻呂・久保木哲夫訳注『新編日本古典文学全集 40 松浦宮物語・無名草子』(小学館、

一九九九年)271-272 頁。

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(平安時代末期か・『古本説話集』和泉式部歌事)

その気にや、和泉式部、罪深かりぬべき人、後の世助かりたるなど聞きは べるこそ、何事よりもうらやましくはべれ

(鎌倉時代初期・『無名草子』)

以上のように彼女は歌の徳により罪深い身から救い出され、往生を遂げたと 結んでいる。

「暗きより」だけでなく、『一乗拾玉抄』巻三「化城喩品」でも、彼女の和歌 の徳及び悟性の高さを描いている(勿論、二つ目の歌は真作か偽作かが本論で は追究しない)と考える。法花とは法華、つまり『法華経』を指す。式部は女 人成仏の方法について上人に尋ねたところ、上人が「無二亦無三」と答えた。

それを聞いて式部が「無二無リトツノアラジトゾ思17 と詠 んだ。

この一節から、崔恵珍氏は「『法華経』の中では、女人には五つの障りがあっ たので、それを償うために和歌を読み、歌うことによる罪を償うという発想が うまれたと考えられる」18 とし、また、式部の二番目の歌には五障を否定して、

女性も自身の意思により救済され得る、女の力で乗り越えたい主張が含まれて おり、他の物語で仏教に帰依して救済を求める和泉式部の造型とは異なり、新 たな式部像が見られると論じている。19

傾聴に値する考え方ではあるが、多分に誤解を招きやすいところもある。ま ず、上人の言う「無二亦無三」とは、「十方仏土中、唯有一乗法20 、無二亦無 三、除佛方便説(十方の仏土の中には、唯、一乗の法のみありて、二も無く、

亦、三も無くし、仏の方便の説をば除く)21 」一句に出自である。意味として は、仏となる道はただ一つ一乗であり、二乗、三乗は衆生を導くための方便で

17 崔恵珍「和泉式部像の再検討――中世後期に変化する和泉式部像の一考察――」(『文藝論叢』

第六十五号所収、大谷大学文芸学会、二〇〇五年)20 頁。

18 崔恵珍「和泉式部像の再検討――中世後期に変化する和泉式部像の一考察――」21 頁。

19 崔恵珍「和泉式部像の再検討――中世後期に変化する和泉式部像の一考察――」21 頁。

20 一乗法とは、悟りを開くための唯一の道である一乗真実の教え、主として法華経を指すので ある。

21 坂本幸男・岩本裕訳注『法華経(上)』(岩波書店、一九六二年)106 頁。

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ある(同経「方便品第二」22 )。『法華経』が一乗の教えと言われるので、つま り成仏への道は『法華経』以外にないことが提示されている。「無二亦無三」の 一句は鎌倉時代初期(1196~1202 頃か)に成立した『無名草子』にも見られる。

『法華経』については、その素晴らしさを賛美し、人間として生まれてきて『法 華経』にめぐり逢えたことが幸運であると書いている。23 ここでは少なくとも 当時の知識人が『法華経』を深く信仰していることを考慮するなら、「無二亦無 三」の出自及び意味を当然把握していると考えるのが妥当であろう。次に、式 部の言う「五障」とは、「提婆達多品第十二」に「又女人身。猶有五障。一者不 得。作梵天王。二者帝釈。三者魔王。四者転輪聖王。五者仏身(又、女人の身 には、猶五障有り。一には梵天王となることを得ず。二には帝釈、三には魔王、

四には転輪聖王、五には仏身なり)」に由来している。これは、仏の弟子である 舎利弗が「云何ぞ女身速かに成仏することを得ん(女人に五障があり、あなた が速やかに成仏するわけがない)」24 と述べたのに対し、悟りを得た竜女が彼 の前に一瞬男子に変わり、成仏したとする物語の一節にある。つまり、「五障」

とは、女人の即身成仏を示す物語の一節から用いられているのである。

これは女身がそのまま成仏するというわけではないが、変成男子によって女 性は救済される対象になり得ることを示している。従って、『法華経』には女人 を差別する考えに基づいてはいるが、女人を救わないと言っているのではない ことがわかる。そもそも『法華経』の趣旨は「一切衆生悉皆成仏」を説く経典 である。むしろ他の経典と違って、『法華経』の教えは女性をも救済すると位置 づけられているのである。

22 「方便品第二」(田村芳朗・藤井教公『仏典講座 7 法華経』上、大蔵出版、一九八八年)153 頁。

23 樋口芳麻呂・久保木哲夫訳注『新編日本古典文学全集 40 松浦宮物語・無名草子』186-187 頁。作者はこの世で捨てがたいものとして六項目を挙げ、その中の一つは『法華経』である。

なお、『法華経』についての描写は次の通りである。

また、「功徳の中に、何事かおろかなると申す中に、思へど思へどめでたくおぼえさせた まふは、法華経こそおはしませ。(中略)これは、千部を千部ながら聞くたびにめづらし く、文字ごとにはじめて聞きつけたらむことのやうにおぼゆるこそ、あさましくめでたけ れ。『無二亦無三』とおほせられたるのみならず、『法華最第一』とあめれば、こと新しく かやうに申すべきにはあらねど、さこそは昔より言ひ伝へたることも、必ずさしもおぼえ ぬこともはべるを、これは、たまたま生まれあひたる思ひ出でに、ただこの経にあひたて まつりたるばかり、とこそ思ふに(後略)」

24 「提婆達多品第十二」(藤井教公『仏典講座 7 法華経』下、大蔵出版、一九九二年)647 頁。

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ところで、平安時代の浄土教における女人成仏は、『法華経』を忠実に解釈し、

女性は死後の往生によって、転女成男し、または、臨終出家によって、変成男 子し、それから成仏に至ることを説いていた。25

だが、鎌倉時代になると、女人成仏は飛躍を遂げていく。「鎌倉新仏教」の内、

浄土教の開祖と目される法然は、女人往生については『無量寿経』に語られた 法蔵菩薩の四十八願中の第三十五願26 を「女人往生の願」と名付け、さらに『無 量寿経釈』では「十方世界有女人処即有地獄。云云。加之内有五障、外有三従。

五障者、一者不得。(中略)乃由弥陀大願力故、女人称仏名号、正命終時、即転 女身得成男子。弥陀接手菩薩扶身、坐宝華上、随仏往生、入仏大会証悟無生。(中 略)或有道俗云、女人不得生浄土者、此是妄説不可信也。云云(十方世界に女 人ある処には、即ち地獄ありと云々。しかのみならず、内に五障あり、外に三 従あり。五障とは、一には、不得云々、(中略)乃ち弥陀の大願力によるが故に、

女人仏の名号を称えて、正しく命終の時に、即ち女身を転じて男子となること を得。弥陀接手し、菩薩身を扶けて、宝華の上に坐して、仏に随って往生し、

仏の大会に入って無生を証悟す。(中略)或いは道俗ありて云く、女人浄土に生 ずることを得ずといわば、これはこれ妄説なり、信ずべからず)27 」と、女の 最期に男となり、往生できると述べている。28 さらに親鸞になると、『浄土和 讃』にて第三十五願を「変成男子の願をたて、女人成仏ちかひたり」と述べ、

法然の「女人往生」より積極的とも思える「女人成仏」の語彙を使っている。29 一方、日蓮は『開目抄』にて「竜女が成仏これ一人にはあらず、一切の女人 の成仏をあらわす。法華経已前の諸の小乗経には女人の成仏をゆるさず。諸の 大乗経には成仏往生をゆるすやうなれども、或は改転の成仏にして、一念三千

法然の「女人往生」より積極的とも思える「女人成仏」の語彙を使っている。29 一方、日蓮は『開目抄』にて「竜女が成仏これ一人にはあらず、一切の女人 の成仏をあらわす。法華経已前の諸の小乗経には女人の成仏をゆるさず。諸の 大乗経には成仏往生をゆるすやうなれども、或は改転の成仏にして、一念三千

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