中国外交における「核心利益」論の展開
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高
木 誠 一 郎
(日本国際問題研究所・研究顧問)【要約】
本 論文は 、主 として 南シ ナ海問 題と 尖閣諸 島問 題に関 して 、中国 が「核心利益」論をどのように展開してきたかを分析した。「核心利 益」という表現は、2000 年代初期に台湾問題の重要性を米国にアピ ー ルするため に用いられ るようにな ったが、以 後その適用 対象が チ ベット、新彊等にも拡大し、2009 年 11 月の米中共同声明に盛り込ま れた。翌2010 年春、中国政府高官が米国政府高官に南シナ海を「核 心 利益」と表 明したとの 報道が拡散 し、中国の 対外強硬姿 勢の一 環 と して内外で 注目された 。しかし、 同年夏頃か ら国内で対 外強硬 姿 勢に対する批判が高まったことを受けて、「核心利益」は限定的に規 定 されるよう になったが 、南シナ海 への適用は 明示的に否 定され な かった。尖閣諸島問題に関しても、2012 年春頃から「核心利益」と 規 定されたと 見られる事 象もあった が、どの程 度正式なも のかが 曖 昧であった。これらに関して中国は、「核心利益」規定に関し限りな く 近い表現で その重要性 を強調しつ つも、その 正式さを曖 昧にし て 外交上の自由度を確保しようとしたのである。 キ ーワ ード: 核心(的国家 )利益、南 シナ海、尖 閣諸島、自 己主 張 的対外行動、米国、日本1 本稿は公益財団法人日本国際問題研究所の 2012 年度研究プロジェクト「アジア(特 に南シナ海・インド洋)の安全保障秩序」に提出した「『核心利益』論の展開と中国 外交」と題する原稿に、その後の展開を中心とする微修正を加えたものである。
一 はじめに
中国が対外 関係におい て強硬にそ の確保を主 張する対象 を「核 心 利益」(核心的国家利益)と表現していることが広く注目されるよう になったのは2010 年春以降のことである。このことは中国の対外行 動が、それまで顕著であった「韜光養晦」(能力を隠し、時を待つ) と いう表現に 象徴される 協調姿勢か ら、強硬な 自己主張に 転換し つ つ あったこと の一環と認 識されたこ ともあって 、その後か なり数 の 専 門家が「核 心利益」論 の分析を試 みている。 例えば、マ イケル ・ スウェインは正に中国の自己主張的対外行動(assertive behavior)の 研究の第一部として「核心利益」論の分析を行っている2。前田宏子 は「核心利益」論を国益論争との関連で解明しようと試みた3。個別 の テーマを論 ずる中で重 要項目とし て「核心利 益」を扱っ たもの も あ る。ウィリ ー・ラムは 中国の対米 関係におけ るハト派と タカ派 の 対立を「核心利益」をめぐる論争として分析した4。防衛省防衛研究 所 の『中国安 全保障レポ ート』では 、外交面に おける人民 解放軍 の 発言力向上の一環として「『核心的利益』への固執」を論じている5。国際危機グループ(International Crisis Group)の南シナ海紛争に関す
2 Michael D. Swaine, “China’s Assertive Behavior Part One: On ‘Core Interests’,” China
Leadership Monitor (Hoover Institution, Stanford University), No. 34 (February 22, 2011),
pp. 1~25 (main text: 11 pp., endnotes: 13.5 pp.).
3 前田宏子「中国における国益論争と核心的利益」『PHP Policy Review』Vol. 6-No. 48、
2012 年 2 月 2 日、http://research.php.co.jp/policyreview/pdf/policy_v6_n48.pdf.
4 Willy Lam, “Hawks vs. Doves: Beijing Debates ‘Core Interests’ and Sino-U.S. Relations,”
China Brief, Volume X, Issue 17 (August 19, 2010), pp. 2~4.
5 防衛省防衛研究所編『中国安全保障レポート 2011』(防衛省防衛研究所、2012 年 2
る報告書は「核心利益」に関する項目をたてている6。増田雅之は尖 閣諸島問題との関連で「核心的利益」を論じている7。 これらの内、スウェインの研究は、本文 11 ページに対して文末注 に2.5 ページを割き、詳細に典拠を示した労作で、多少の誤りはある が 、極めて利 用価値が高 い。本稿は 、スウェイ ンの研究を 中心と す る先行研究に依拠しつつ、「核心利益」論の展開を跡付けた上で、主 と し て 南 シ ナ 海 問 題 と 尖 閣 諸 島 問 題 を め ぐ る 中 国 の 外 交 に お い て 「 核心利益」 という表現 がどのよう に使われて きたかを明 かにす る こ とによって 、中国外交 の特質の一 端を解明し ようとする もので あ る。
二 予備的考察
本題の分析 に入る前に 、二点確認 しておくべ きことがあ る。第 一 に、中国の言説空間においては、「核心利益」という表現は国益に関 し てのみ使わ れるもので はないとい うことであ る。前田宏 子も指 摘 し て い る と お り8、 中 国 の 学 術 情 報 デ ー タ ベ ー ス (China National Knowledge Infrastructure、CNKI)で「核心利益」という表現で検索 をかけると、「タクシー・ドライバーの核心利益」、「観光コミュニテ ィー の核心利益 」、「 企業の 核心利益」 等国益とは レベルの異 なる 利 益を扱った項目が出てくるのである。 第二に、中国における国益をめぐる議論においては、「核心利益」 を めぐる議論 が必ずしも 重要テーマ と見なされ てこなかっ たとい う6 International Crisis Group, “Stirring Up the South China Sea (I),” Asia Report, No223 (23
April 2012), pp. 4~5.
7 増田雅之「尖閣諸島をめぐる中国の対日政策」、『東亜』No. 545(2012 年 11 月)、28~37
ページ。
こ とである。 中華人民共 和国の歴史 においては 、国益追求 の正当 性 が 公式に認め られなかっ た時期があ る。マルク ス・レーニ ン主義 的 理解によれば、「国益」とは支配階級の利益の階級性を覆い隠す表現 に 過ぎないと いうことに なり、国益 の追求が当 然視される ように な っ たのは改革 開放以後の ことである 。中国にお いて初めて 本格的 に 国益論を展開したのは閻学通の『中国国家利益分析』(天津人民出版 社、1996 年)である。本書においては、国益が安全保障利益、政治 利 益、経済利 益、文化利 益に分類さ れ、その間 の優先順位 が論じ ら れ ているが、 その判断は 個別的国益 の重要性と 緊迫性に依 るべき こ とが指摘されているだけで、「核心利益」というカテゴリーは設けら れ ていない。 今世紀に入 って出版さ れた安全保 障利益に関 する張 文 木の著作9では、優先順位さえ議論されていない。 閻 学 通 を 含 む 論 客 に よ る 21 編 の 短 い 論 文 を 集 め た 国 益 論 集10に は、核心利益を表題にした文章が一編あるのみである11。この論文は 冒頭 で「核心国 家利益」が 米国国益委 員会の報告 書12における“Vital National Interests”の訳語であることを明らかにしている。同じ頃発表 された核心利益を論じた文章は、国家利益をその重要性に応じて「核 心利益」、「重要利益」、「主要利益」、「一般(普 通の)利益 」に分類 し、「核心利益」を主導的地位にあるものとしている13が、これは米
9 張文木『世界地緣政治中的中國國家安全利益分析』(濟南:山東人民出版社、2004 年)。 10 許嘉編『中國國家利益與影響』(中國與世界論叢・2006)、(北京:時事出版社、2006 年)。 11 潘蔚娟・江心学「中美核心国家利益之比較」許嘉編『中國國家利益與影響』、前掲 書、39~50 ページ。
12 The Commission on America’s National Interests, America’s National Interests (July 2000),
http://belfercenter.ksg.harvard.edu/files/amernatinter.pdf.
国国益委員会報告書の“vital”、“extremely important”、“important”、“less important or secondary”という米国国益の四分類14を 下 敷 き に し た も の と思われる 。なお、上 に挙げた国 益論集の巻 頭論文で閻 学通は 改 革開放開始後約30 年を経て、中国の国益は、日本を凌駕しつつある 国 力の上昇、 国際環境の 変化、技術 進歩等の影 響を受けて 、急速 に 変化しつつあり、その再確定をすべき時期にあると論じている15。米 国 国家利益委 員会報告書 はこのよう な状況認識 の中で参照 された も の と思われる 。しかし閻 学通はこの 論文におい ても「核心 利益」 は 論じていない。最近彼が共著で出版した国際関係論の教科書16には国 家利益を扱う1 章があるが、そこでも基本的に『中国国家利益分析』 の内 容が繰り返 されており 、「核心利益 」は論じら れていない 。「 核 心 利益」論は 以下に見る ように対外 関係(特に 対米関係) におけ る 説 得の論理と して使用さ れるように なった表現 で、国益に 関する 学 術的議論における主要概念ではなかったのである。
三 国益としての「核心利益」論の展開
1 『人民日報』紙における出現頻度の変遷 スウェイン が『人民日 報』データ ベースの検 索機能を利 用して 調 査したところに依れば、「核心利益」に言及した記事の数は次ページ の図のような変遷を遂げてきた。すなわち、2001 年までは間歇的に 1 年 1 件の記事があったに過ぎないが、2002-03 年に 1 年 3 件ずつ あり、2004 年に 25 件に急増し、2005 年に倍増して 55 件となり、以 後2 年間はほぼ同水準であったが、2008 年に約 1.6 倍増の 95 件とな14 The Commission on America’s National Interests, op. cit., pp. 5~8. 15 閻學通「崛起中的中國國家利益内涵」許嘉主編、前掲書、頁 3~7。 16 閻學通・閻梁『國際關係分析』(北京:北京大学出版社、2008 年)。
り、2009 年には激増して 260 件となり、2010 年にさらに 325 件に増
加している17。
図1 「核心利益」に言及している『人民日報』の記事と論評 (件数)
(出典)Michael D. Swaine, “China’s Assertive Behavior Part One,” p. 4.
2 用法の変化 上記のよう な使用頻度 の変化は、 用語法の変 化をも伴っ ていた 。 スウェインによれば、1980 年代と 90 年代には、公式メディアにおい て 国際関係の 文脈で「核 心利益」と いう表現を 使う場合の 主体は 、 中国ではなく、諸外国であった。1990 年代半ばに中国に関して「核 心 利益」とい う表現が初 めて用いら れた時、そ の内容は国 内の問 題 を指していた。『人民日報』紙が対外関係における中国の「核心利益」 に最初に言及したのは、2002 年 2 月 28 日の米中関係に関する王緝思
論文においてであったが、その内容は明示されていなかった18。 し かしそ の後 、台湾 問題 を公式 に「 核心利 益」 と表現 する ことに よ って、主と して米国に 、その深刻 さを訴える ようになる 。その 背 景には中国にとっての台湾問題の深刻化があった。すなわち1998 年 に台湾問題に関して中国の立場に接近した「三つのノー」19を表明し ていたビル・クリントン政権との関係が1999 年 5 月の米国空軍によ る 駐ベオグラ ード中国大 使館誤爆に よって悪化 していた中 で、李 登 輝総統が7 月に「二国論」を唱えて独立傾向を露呈し、翌 2000 年の 総 統選挙では 台湾独立を 党綱領に掲 げた民主進 歩党の陳水 扁候補 が 当選し、2002 年 8 月には陳水扁総統が台湾海峡両岸における「一辺 一国」を唱え、2003 年に入ると陳水扁総統が翌年の総統選挙の際に 台 湾独立の可 否を問う公 民投票を実 施する可能 性に言及し ていた の である。その間米国では、2001 年 1 月に発足したジョージ.W.ブッシ ュ政権が 4 月に台湾向けの大規模な兵器輸出の実施を表明し、台湾 の 安全保障に 対するコミ ットメント を明確にし ていた。こ のよう な 状況に直面した中国は、2001 年 9 月 11 日の同時多発テロ以降対テロ 戦 争に傾斜し ていった米 国との関係 改善を図り 、米国を巻 き込む こ と によって台 湾の独立傾 向の高まり を封じ込め ようとして いたの で ある。 台湾を中国の「核心利益」とする最初の公式発言は、2003 年 1 月 19 日の唐家琁外交部長とコリン・パウェル国務長官の会談でなされ た。翌年元旦には外交部の記者会見で報道官が台湾問題の文脈で「主 権と領土保全」を「核心利益」とする発言をした。以後2004 年を通
18 Ibid, p. 3 and note 7 (p. 13).
19 (1)二つの中国ないし一中一台、(2)台湾独立、(3)台湾の国家間組織加盟に対する不支
じ て、主権と 領土保全な いしは台湾 を「核心利 益」とする 公式発 言 が 急増し、発 言者も外交 部報道官や 外交官のみ ならず、唐 家琁外 交 部長がコンドリーザ・ライス安全保障担当大統領補佐官に(7 月)、 李肇星外交部長がパウェル国務長官に(10 月)、温家宝総理がアジア ・ヨーロッパ会議(ASEM)の演説で(10 月)、胡錦濤国家主席がブ ッ シュ大統領 およびオー ストラリア のジョン・ ハワード首 相との 会 見で(11 月)と徐々にレベルが上がり、相手も米国以外の国を含む ようになっていった20。 スウェインによると、今世紀最初の10 年の前半頃から中国は米国 に 対して「核 心利益」の 相互尊重を 盛り込んだ 公式文書発 出の要 求 を徐々に強めていった21。その中で、「核心利益」の適用対象も多様 化していった。2006 年 4 月には曽慶紅国家副主席がスリランカの首 相との会談で初めてチベットを公式に「核心利益」と規定した22。同 年 9 月には李肇星外交部長が「国家安全保障」を初めて公式に「核 心利益」とする演説をした23。同年 11 月には胡錦濤国家主席がパキ スタン訪問の際の演説で、「核心利益」を列挙した際に初めて人権問 題に関する決定権と新彊問題をそこに含めた24。これらの公式発言が 全て 2006 年に行われたことは、上述のように今世紀最初の 10 年の 中 頃に国益に 関する議論 の高まりが あったこと と関連して いると 思 わ れるが、具 体的な因果 連鎖の解明 は今後の研 究課題とし たい。 ま た これらの公 式発言を通 して、適用 対象の多様 化とともに 「核心 利 益 」という用 語には、妥 協や取引の 余地はなく 、その確保 のため に
20 Michael D. Swaine, “China’s Assertive Behavior Part One,”p. 3 and note 10 (pp. 13~15). 21 Ibid., p. 6.
22 Ibid., p. 8. 23 Ibid., p. 3. 24 Ibid., pp. 5 and 8.
は 、特に主権 と領土保全 に関しては 、武力行使 もありうる という 含
意があることが明確になった25。
こ の よ う な 状 況 を 背 景 に 、2009 年 7 月 の 米 中 戦 略 ・ 経 済 対 話
(Strategic and Economic Dialogue)の閉会演説で外交担当の戴秉国国
務委員は、「米中関係の長期的かつ健全な発展」のためには相互の「支 持、尊重、理解」及び「核心利益(core interests)の維持」が重要で あ ると述べ、 中国側の関 心は、①基本制度と国家安全保障の維持、 ② 国家主権と 領土保全、 ③経済的お よび社会的 な持続的発 展であ る と述べた26。これは、「核心利益」の内容を体系的に提示したものと 言え、その原型的表現は楊潔篪外交部長が同年 3 月に米国で行った 演説にも見られた27。しかし、その公式報道は米国国務省のウェブサ イトのみで、中国では華僑向け通信社のウェブサイトに掲載された28 だ けだった。 このことは 、外交関係 者を中心に 「核心利益 」の内 容 を 明確に規定 しようとい う認識があ ったものの 、国内向け に明示 す る に十分な指 導部内のコ ンセンサス までには至 っていなか ったこ と を示すものと思われる。 「核心利益」を盛り込んだ公式文書に対する中国の対米要求は2009 年11 月のバラク・オバマ大統領訪中に際して発出された「共同声明」 よって実現された。この共同声明には「双方は、相互の核心利益(core interests)の尊重が米中関係の着実な進展にとって極めて重要である こと に合意した 」という一 文が盛り込 まれたので ある。しか し、 こ
25 Ibid., p. 7.
26 U.S. State Department, “Closing Remarks for U.S.-China Strategic and Economic Dialogue,”
July 28, 2009, http://www.state.gov/secretary/rm/2009a/july/126599.htm.
27 Michael D. Swaine, “China’s Assertive Behavior Part One,” note 13 (p. 16).
28 「首輪中美經濟對話:除上月球外主要問題均己談及」中國新聞網(2009 年 7 月 29 日)、
の共 同声明は中 国側の要求 を十分に反 映したもの ではなかっ た。 米 国側 でこの共同 声明の内容 の交渉の任 に当たった ジェフリー ・ベ イ ダー 国家安全保 障会議アジ ア担当部長 によれば、 中国側は最 後の 瞬
間まで(up to the last minute)、中国の「核心利益」を台湾と新彊の
独立 に対する反 対であると 明示的に記 述すること を要求した が、 米 国側は拒絶した29。それにもかかわらず、中国はこの共同声明を米中 関係に「新時期」(new era)をもたらした「重要なコンセンサス」と し、 様々な問題 に関して中 国側の「核 心利益」の 尊重を要求 する よ うになった30。中でも南シナ海問題と尖閣諸島問題に関しては、それ らを 中国が「核 心利益」と 認定したの か否かが中 国の基本姿 勢を 判 断するための重要な材料となった。
四 南シナ海領有権問題と「核心利益」論
2010 年 4 月ニューヨーク・タイムズ紙は、「ある米国の中国政策担 当官」からの情報として、3 月に北京を訪問したベイダー部長とジェ ーム ス・スタイ ンバーグ国 務副長官に 対して中国 側が今や南 シナ 海 は主 権という「 核心利益」 に属してお り他国の介 入は許され ない と 述べ 、中国が初 めて南シナ 海を台湾、 チベットと 並ぶ「核心 利益 」 と表現したと報じた31。 その後同種の報道が中国内外の多く のメディアで繰り返されたこ とに より、中国 が南シナ海 を新たに「 核心利益」 に加えたと の認 識 が中 国内外で一 人歩きし、 上記報道の 表題が如実 に示すよう に、 中29 Jeffrey A. Badar, Obama and China’s Rise, (Washington, D.C.: The Brookings Institution,
2012), p. 56.
30 Michael D. Swaine, “China’s Assertive Behavior Part One,” pp. 6~7.
31 Edward Wong, “Chinese Military Seeks to Extend Its Naval Power,” New York Times, April
国の 軍事的拡張 主義的傾向 の証左とし て言及され るようにな った 。 また同年11 月には、5 月の米中戦略・経済対話において戴秉国国務 委員 が南シナ海 を中国の「 核心利益」 とする発言 をしたこと をヒ ラ リー・クリントン国務長官が自ら公式に認めた32。 しかしスウェインが精査したところ に依れば、ベイダーとスタイ ン バ ー グ に 対 す る 発 言 に つ い て は そ れ を 裏 付 け る 公 式 の 資 料 は な く、9 月に公式の確認を求められた外交部報道官は否定も肯定もしな い曖昧な反応を示した33。また、事情を「非常によく知っている」上 級 政 府 職 員(senior official)にスウェインが個人的に確認したとこ ろ、 この会合で 南シナ海を 明示的に「 核心利益」 とする発言 はな か ったとのことである。この点について当事者の 1 人であるベイダー
は 昨 年 出 版 さ れ た 著 書 で 外 交 部 常 務 副 部 長 (executive vice foreign minister)が南シナ海に対する中国の領有権について「国家的優先事
項」(national priority)として長々と述べたが、「核心利益」とはして
いなかった、と述べている34。
戦略・経済対話の際のクリントン国 務長官に対する発言について は、公表された戴秉国の発言記録には「核心利益」への言及がなく、 米国政府高官(one very well placed U.S. official)が上記のクリントン 長官 発言以前に スウェイン に個人的に 述べたとこ ろによると 、戴 秉 国は 南シナ海を 「核心利益 」とは呼ん でおらず、 戦略・経済 対話 に おけ る南シナ海 に関する発 言は下位の 政府職員に よるもので 権威 性 を持 つものでは ない。この ようなこと を踏まえて 、スウェイ ンは ク
32 Hilary Rodham Clinton, “Interview with Greg Sheridan of The Australian,” U.S. Department
of State, November 8, 2010, http://www.state.gov/secretary/rm/2010/11/150671.htm.
33 Michael D. Swaine, “China’s Assertive Behavior Part One,” p. 9. 姜瑜外交部報道官の回
答についてはnote43 (p. 23) 参照。
リン トン長官の 発言につい て、戴秉国 の発言が私 的かつ非公 式な も ので あった、ク リントンの 記憶違い、 中国側を牽 制するため に故 意 に事 実と違う発 言をした等 の可能性を 列挙しつつ 判断を回避 して い る35。 以上の考察を踏まえてスウェインは、中国が明確に南シナ海を「核 心利 益」と規定 したことは なく、たと え戦略・経 済対話でそ うし た としても非公式に行われたのであり、3 月にはベイダーとスタインバ ーグ に対して南 シナ海問題 の重要性を 訴えたが、 意識的にそ のこ と を明 確化するこ とを避けて いたという 判断を示し ている。な お、 南 シナ 海が「核心 利益」に属 するか否か を明確にし なかった理 由と し ては 、明確に肯 定した場合 には強い国 際社会の反 発が予想さ れ、 明 確に 否定した場 合には国内 的に弱腰と 見られる危 険があった こと を 指摘している36。 いずれにせよ、ニューヨーク・タイ ムズ紙の報道とそれに関連す る数 々のその後 の報道は、 前年末のコ ペンハーゲ ン国連気候 変動 会 議における強硬姿勢、2010 年 1 月の米国の台湾向け武器輸出と 2 月 のオバマ大統領のダライ・ラマとの会見に対する強烈な反発、3 月に 黄海で起きた韓国コルベット艦沈没事件に関する国際調査団が 5 月 に北 朝鮮による 魚雷攻撃と の結論を出 した後の、 国連安保理 事会 に おけ る北朝鮮非 難決議の阻 止、および 北朝鮮への 牽制を目的 に計 画 され た黄海にお ける米韓合 同軍事演習 に対する強 烈な反発等 と並 ん で、 中国の対外 的自己主張 の高まりの 一環として 、中国の領 有権 紛 争へ の対応の強 硬化の証左 と見なされ 、様々な国 際的波紋を もた ら した。
35 Michael D. Swaine, “China’s Assertive Behavior Part One,” ibid. 36 Michael D. Swaine, “China’s Assertive Behavior Part One,” pp. 9~10.
3 月に北京を訪問したベイダーとスタインバーグに対して中国側 が南 シナ海の領 有権を強く 主張したこ とと、軍人 や中位の政 府職 員 が折 に触れて南 シナ海が「 核心利益」 に属すると 主張してい たこ と から 、ベイダー とカート・ キャンベル 東アジア・ 太平洋担当 国務 次 官補 は南シナ海 に関する包 括的政策表 明が必要で あると判断 した 。 その政策表明はクリントン国務長官によって 7 月ハノイで開催され たASEAN 地域フォラ-ラム(ARF)で行うこととし、二人は参加国 への根回しをした37。ARF でクリントン長官は米国が南シナ海におけ る 「 航行 の自 由 、ア ジア の 海上 入会 地 (maritime commons)への接 近の 開放性、国 際法の尊重 」を「国益 」としてい ると表明し たの で ある 。長官はま た、領有権 紛争を強制 力に依らず に解決する ため の 領有 権を主張す る「全ての 国による協 調的外交プ ロセス」を 支持 す ると 述べて、二 国間での問 題を主張し ていた中国 よりも東南 アジ ア 諸国 寄りの姿勢 を示唆する とともに、 関係国に東 南アジア諸 国が 中 国に要求していた南シナ海に関する「行動規範」の作成を促した38。 このような展開を背景に、中国では 「核心利益」の南シナ海への 適用 に批判的な 見解が表明 されるよう になった。 国防大学の 韓旭 東 教授 は「核心利 益」の提示 に当たって 中国が用心 深い態度を とる べ きだ と主張した 。何故なら ば、中国の 総合国力、 特に軍事力 は全 て の「 核心利益」 を擁護する のに不十分 であり、そ の尚早な提 示は 逆 効果になるからである。また、「核心利益」の過度の強調は他の国益 の軽 視をもたら しかねない 。従って、 中国は国力 の増大に応 じて 徐 々に 「核心利益 」のリスト を明らかに していくべ きだという ので あ
37 Jeffrey A. Badar, Obama and China’s Rise, p. 105.
38 Hillary Rodham Clinton, “Remarks at Press Availability,” U.S. Department of State, July 23,
る39。国連協会の会長で元駐日大使、元国連大使の陳健は8 月末に東 京で行われた第 6 回「東京-北京フォーラム」で南シナ海を中国の 「核 心利益」と する考え方 を否定した 。その発言 は「東京- 北京 フ ォーラム」のウェブサイトでは概略しか発表されていないが、11 月 に日 本メディア の取材を受 けた際の記 録にはより 詳細に敷衍 され て いる。陳健は羅援将軍が発表した南シナ海は中国の「核心利益」であ るという文章をより直接かつ明確に批判して以下のように述べた40。 南シナ海が中国の核心利益である、という中の「である(是)」 と い う の が 正 し く な い 。 南 シ ナ 海 に 中 国 の 核 心 利 益 「 が あ る (有)」というのが正しい。「である」が与える印象は全南シナ 海が中国の核心利益であるということになる。[確かに]南シナ 海には西沙、南沙、中沙があり、これらの島礁に対して中国は 理由と十分な根拠をもって我々の領土であると説明している、 しかし[南シナ海には]我々の領土でないものも非常に多い。 しかも南シナ海は国際的公海であり、航行は自由である。・・ ・第二に、羅援は退役将軍であり、彼が発表したものは個人の 意見である。・・・南シナ海の関連島礁は中国の国家利益と関 係するが、核心利益ではない。中国の核心利益は第一に発展で あり、第二に台湾である。この二つについては交渉をしていな い(没有商量)・・・。しかし、南沙、西沙等の島礁について は争議があると認めている、・・・ベトナム、フィリピン、マ レーシア、ブルネイと争議があることを認めており、この争議 については平和的交渉による解決を主張している。・・台湾問
39 『瞭望週刊』(北京)、2010 年 7 月 25 日;Willy Lam, “Hawks vs. Doves: Beijing
Debates,” p. 3 より再引。
40 中國聯合國協會「陳建會長接受日本媒體採訪」2008 年 3 月 19 日、http://www.unachina.
題については米国との平和的交渉を通じて解決すべきだなどと 言ったことはない。従って二種類の問題はレベルが異なるので ある。([]内は訳者補充) 北京大学の朱鋒教授は、「南シナ海が中国の核心利益である」と政 府職員が公式に表明したことはないとして、以下のように述べた41。 ・中国が ある議題を 「核心利益 」であると 宣言するこ とは、 そ の 解決 のため に中 国が武 力行 使を含 むあ らゆる 選択 肢を保 留 していることを強調することになる。 ・南シナ 海は中国の 南沙群島だ けでなく、 アジアで最 も繁忙 な 通商路であり、7 つの国家の領海と排他的経済水域及び国際公 海を含む国際水域である。 ・南シナ 海を核心利 益と宣言す ることは東 南アジア諸 国の憂 慮 を 引き 起こす のみ ならず 、こ の水域 に重 要な商 業、 航運、 安 全 保障 上の利 益を 有する 国家 の警戒 を深 め、中 国が 東アジ ア で 海上 に勢力 範囲 の線引 きを しよう とし ている と解 釈され か ねない。 ・米国が 南シナ海問 題に手を出 すことには 断固反対し なくて は な らな いが、 我々 も南シ ナ海 を核心 利益 に格上 げし て、人 為 的に情勢を緊張させるつもりはない。 ・中国は 南シナ海問 題に関して 「核心利益 」というコ トバを 慎 重 に使 わなく ては ならな い。 第一に 、中 国は「 南シ ナ海に 関 す る行 動宣言 」に 署名し てお り、そ の政 策を変 更し たとい う 印象を与えてはならない。第二に、南シナ海問題は中国が「核 心 利益 」であ ると 宣言し ただ けで中 国の 理解す る方 式で解 決
41 朱鋒「中國“核心利益”不宜拡大化」『國際先駆導報』(北京)2011 年 1 月 7 日~13 日、 頁24。
できるほど簡単なものではない。 ・中国の 国家利益の 基本原則で ある「核心 利益観」と その外 交 政 策に おける 具体 的実践 とし ての「 核心 利益説 」を 混同し て は なら ず、外 交政 策上の アジ ェンダ をみ だりに 「核 心利益 」 とすることは逆に「核心利益」の概念を弱めることになる。 このような議論の高まりは、その間に 9 月に起きた尖閣諸島周辺 海域 における漁 船と日本の 海上保安庁 巡視船との 衝突以降の 日本 と の軋轢、11 月の北朝鮮の延坪島砲撃による米韓との軋轢等によって もた らされた、 強硬的自己 主張路線が 逆効果にな っていると いう 認 識の一端をなすものであった。従って、2010 年末以降「核心利益」 概念 の明確化に よる限定と 柔軟路線へ の回帰が並 行して進む こと に なる。 「核心利益」を公式に明確化したのは12 月初旬に外交部のウェブ サイトに掲載された戴秉国の論文42である。この論文は元々第 12 次 5 カ年計画の解説本に掲載されたものであったが、外交部ウェブサイ トだけでなく『人民日報』にも要約が掲載され、2010 年を総括した 『中国外交』(2011 年版)にも重要文献として掲載されている43。こ の論文で戴秉国は中国の「核心利益」を以下の 3 つに整理した。① 中国 の国体、政 体、及び政 治の安定、 すなわち、 共産党の指 導、 社 会主 義制度、中 国の特色あ る社会主義 の道、②中国の主権の安全、 領土 保全、国家 統一、③中国経済社会の持続的発展の基本保障。そ して 、台湾問題 を「核心利 益」に関わ るとして詳 しく説明し たが 、 その 他の例は挙 げず、当然 南シナ海に も触れてい ない。この よう な
42 中華人民共和國外交部「戴秉國:堅持走和平發展道路」2010 年 12 月 6 日、 http://www.fmprc.gov.cn/chn/pds/ziliao/zt/dnzt/jianchizouhepingfazhandaolu/t774662.htm。 43 中華人民共和國外交部政策規劃司編『中國外交(2011 年版)』(北京:世界知識出版 社、2011 年)、頁 405~414。
核心 利益の定式 化は、論文 の表題が示 すように「 平和的発展 」路 線 の再 確認として 、強硬路線 からの脱却 を説く立場 の一面を成 して い た。「韜光養晦、有所作為」という表現を取り上げた部分では、その 表現 を提示した 鄧小平の意 図が「謙虚 謹慎、トッ プに出ない 、旗 を 掲げない、拡張しない、覇を唱えない」ことにあり、「和平発展の道」 の思 想と一致し ていると説 いている。 また、中国 の国力が増 大し 対 外活動が拡大する中で柔軟路線を確認した2006 年 8 月の中央外事工 作会 議の成功に 言及し、そ の際の基本 了解となっ た中国が依 然と し て社 会主義の「 初級段階」 にあり、生 産力の発展 が最重要課 題で あ るとの認識44が再確認されている。 この「核心利益」の規定は翌2011 年にさらに権威性の高い形で提 示された。同年 9 月に刊行された「中国の和平発展」と題する政府 白書45は、「核心利益」に含まれるものとして、「国家主権、国家安全 保障 、領土保全 、国家統一 、中国憲法 が確立した 政治制度と 社会 の 大局の安定、経済社会の持続可能な発展の基本的保障」という 6 項 目を 挙げている が、基本的 に上記の戴 秉国論文の 規定と大差 ない 。 南シナ海については別の部分で触れているが、「中国は・・・対話と 交渉 による領土 と海洋権益 をめぐる隣 国との紛争 の処理を堅 持し 、 建設 的態度で『 係争棚上げ 、共同開発 』の主張を 提示し、最 大の 努 力を 尽くして南 シナ海、東 シナ海およ び周辺の平 和と安定を 擁護 し ている」と述べているだけである。
44 2006 年の中央外事工作会議については、Bonnie S. Glaser, “Ensuring the ‘Go Abroad’
Policy Serves China’s Domestic Priorities,” China Brief, Volume 7, Issue 5 (March 8, 2007) 参照。
45 國務院新聞辦公室「≪中國的和平發展≫白皮書」(2011 年 09 月 06 日)、http://politics.
五 尖閣問題と「核心利益」論
2010 年末頃からの「核心利益」の限定的内容規定を伴う柔軟路線 の 再確認に伴 い、中国の 外交行動に は柔軟性が 見られるよ うにな っ た。中国は、2010 年 10 月の ASEAN 拡大国防相会議における梁光烈 国防部長とロバート・ゲイツ国防長官の会談を契機に、1 月の台湾向 け兵器輸出以降中断していた、米国との軍事交流を再開し、2011 年 1 月 に は ゲ イ ツ 国 防 長 官 の 訪 中 と 胡 錦 濤 国 家 主 席 の 訪 米 を 実 施 し た 。3 月に東日本大震災が起きると、中国は日本に災害援助を提供 し、5 月に訪日した温家宝首相は被災地を訪問し被害者を激励した。 中国はまた7 月に ASEAN 諸国と南シナ海における行動規範に関する 交渉を開始することに合意した。 しかしながら、対外行動の柔軟性は限定的であった。2011 年 1 月 の ゲイツ国防 長官の北京 訪問中には 、それに合 わせるかの 如く、 開 発中であったステルス戦闘機 J-20 の飛行実験が行われた。3 月には フ ィリピンの パラワン島 付近のリー ドバンクで 中国の海上 監視船 が フィリピンの調査船を追いだし、5 月にはやはり海上監視船が自国の 排 他的経済水 域で調査を 行っていた ベトナムの 調査船の探 査ケー ブ ルを切断した。6 月には海上監視船に見守られて中国漁船がベトナム の調査船のケーブル切断を試みた。7 月には中国の漁業監視船が尖閣 諸島の領海に侵入した。8 月には大連で改修中であったウクライナか ら 中古で購入 した航空母 艦が試験航 行を行った 。中国は南 シナ海 に おける行動規範に関する ASEAN 諸国との交渉に期限を設けること に反対し、交渉は進展しなかった。2012 年 4 月にはフィリピン近海 の ス カ ー ボ ロ 礁 で フ ィ リ ピ ン 海 軍 が 中 国 漁 船 を 拿 捕 し た こ と に よ り、現場に急行した中国海上監視船とフィリピン海軍が 2 ヶ月にわ たって睨み合い状態になった。2012 年 4 月の石原慎太郎東京都知事による尖閣諸島購入の意向表 明に端を発し、9 月の野田佳彦政権による購入決定、中国の反日デモ と 展開した尖 閣諸島問題 をめぐる中 国の最近の 対日強硬姿 勢は残 存 す る対外強硬 姿勢の重要 な一端であ った。その 展開を詳細 に検討 す る ことは本稿 の埒外に属 するが、こ こではこの 問題との関 連で「 核 心利益」論がどのように提示されたかを簡単に跡付けておきたい。 中 国は尖 閣諸 島に対 する 領有権 主張 を「核 心利 益」と 規定 してき たのであろうか。2011 年 2 月に刊行されたスウェインの行った研究 に よれば、そ のような規 定は公式資 料には全く 見られず、 すべて 非 公式のものである46。外交部の洪磊報道官は2010 年 11 月の恒例記者 会 見で「中国 は台湾とチ ベット等の 問題を中国 の核心利益 に係る と 表 明している が、釣魚島 問題は中国 の核心利益 に係るのか 」と質 問 されて、「釣魚島およびその付属島嶼は古来中国固有の領土である」 と応じた47のみで、明確な回答は示さなかった。 2012 年に入って、中国が尖閣諸島問題を核心利益に含め始めたと みられる展開があった。1 月 16 日に日本政府が尖閣諸島の一部を含 む無人島に命名したことを発表すると、翌日の『人民日報』にはそれ を「中国の核心利益をおおっぴらに害する行動」と非難する論評が掲 載されたのである48。『人民日報』が中国共産党中央委員会の機関紙 であることから、中国側が尖閣問題の重要性を高めたことは否定でき ない。し か し、論評 は 「国際論 壇 」という コ ラムに掲 載 された本文 85 字の極めて短いものである。「鐘声」という著者名は人民日報社国
46 Michael D. Swaine, “China’s Assertive Behavior Part One,” p. 8.
47 「2010 年 11 月 2 日外交部発言人洪磊挙行例行記者会」中華人民共和國外交部、
http://www.fmprc.gov.cn/mfa_chn/wjdt_611265/fyrbt_611275/t766045.shtml.
48 鐘聲「中國維護領土主權的意思不容試探」『人民日報』(北京)、2012 年 1 月 17 日、
際部の筆名であり、その論評は社説よりはるかに公式度の低いもので ある。この論評は公式表明に至らないレベルで問題の深刻さを日本側 にアピールしたものといえよう。確かにこの論評は「日本は中国の主 権擁護の意志と決心を探ろうとしてはならない」と、日本側を牽制す る文章で結ばれているが、同時に「中国は一貫して大局への着眼を堅 持し、矛盾の激化を回避し、釣魚島問題が中日両国の関係全体に影響 することを回避してきた」と述べて、関係悪化阻止の意向も表明して いたのである。またこの論評に対しては、日本メディアによって「中 国の意図は海域に対するコントロールを拡大することにある」と「曲 解」されることになった、という批判もあった49。 その後、4 月に石原東京都知事が米国で東京都が尖閣諸島を購入す る という意向 を表明して 以来事態が 深刻化した 経緯はここ では詳 述 せず、「核心利益」規定との関係のみに関していくつかの指摘を行う こ ととする。 鐘声の上記 論評以降し ばらくの間 中国側から 尖閣問 題 を「核心利益」と関連付ける発言はなかった50。『人民日報』の報道 によれば、5 月 13 日に日中韓首脳会議のために訪中した野田首相と 会 談した温家 宝総理は「 新疆、釣魚 島等の問題 について中 国側の 原 則 的立場を重 ねて述べ、 ・・・中国 側の核心利 益と重大な 関心‧‧‧ ‧‧‧‧‧ ‧‧(事 項)を適切に尊重し、関連する問題を慎重かつ妥当に処理する」(傍 点筆者)よう要請した51。その1 週間後に鳩山由紀夫元首相と会見し た李克強副総理もほぼ同様のことを述べた52。これらの表明は、一方 で 高位の指導 者による発 言として権 威性を高め ながら、他 方で「 核 心利益」を「重大な関心」と併記することによって、尖閣問題が「核
49 謝奕秋「核心利益之辧」『南風窓』(廣州)2012 年第 4 期(2.15-2.28)、頁 13。 50 増田雅之、前掲論文、30~31 ページ。 51 「溫家寶分別會見韓國總統和日本首相」『人民日報』(北京)2012 年 5 月 14 日、頁 1。 52 「李克強會見日本前首相鳩山由紀夫」『人民日報』(北京)2012 年 5 月 26 日、頁 1。
心 利益」と規 定されるか 否かを明確 にしない微 妙なものと なって い る53。ここで新疆が言及されているのは、亡命ウイグル人の組織「世 界 ウイグル会 議」のラビ ア・カーデ ィル主席が 訪日し、そ の東京 会 議が5 月 13-17 日に開催される運びになっていたからである。した がっ て、「核心利 益」は新疆 問題、「重大 な関心」は 尖閣問題を 指 し て 言われたも のであり、 日本側への 牽制を強め るため敢え てその 区 別 を明確にし なかった、 と考えるの が自然であ ろう。中国 の指導 部 は 、限りなく 「核心利益 」規定に近 い形で問題 の深刻さを 訴えな が ら も、明示的 に「核心利 益」と規定 することに より妥協を 排除せ ざ るを得なくなる危険を回避したものと思われる。5 月中旬には、海上 における不測事態の際の防衛当局間の連絡メカニズムに関して2008 年 から行われ ていた協議 を拡大し、 海上法執行 機関や観光 当局も 含 んだ高級事務レベルの海洋協議の第 1 回会議が杭州で開催され、次 回を東京で開催することで合意が成立したのである54。 尖閣問題を「核心的利益と重大な関心」とする議論は 6 月中旬の 「国際論壇」の鐘声論評にもみられた55。しかし、興味深いことに、 その後8 月 15 日の香港活動家による尖閣諸島上陸、9 月 11 日の野田 内 閣による尖 閣諸島購入 の発表、中 国側の激し い抗議と反 日デモ 、 中 国側公船に よる尖閣諸 島海域侵入 、中国国家 海洋局航空 機によ る 領 空侵犯、中 国空軍機に よる事前通 告なしの防 空識別圏飛 行、東 シ ナ 海における 中国艦船に よる海上自 衛隊護衛艦 への火器制 御用レ ー
53 日本側ではこの発言を尖閣問題を「核心利益」に結び付けるものではないと理解し ていた。「『尖閣は核心的利益』中国言った?野田・温会談 解釈にズレ」『読売新聞』 2012 年 5 月 14 日(夕刊)、1 ページ。 54 外務省「日中高級事務レベル海洋協議(概要)」2012 年 5 月 16 日、http://www.mofa.go.jp/ mofaj/area/china/jc_kk_1205.html。 55 鐘聲「日本“購島”閙劇當休矣」『人民日報』(北京)2012 年 6 月 12 日。
ダー照射と、事態がエスカレートしており、『人民日報』には鐘声に よ る厳しく日 本を攻撃す る論評が数 多く掲載さ れたが、そ の中で は 「 核心利益」 そのものは もとより「 核心利益と 重大な関心 」とい う 表現ももはや用いられていない。2013 年 4 月 26 日には外交部の華春 瑩 副報道官が 定例会見で 尖閣問題に 関して「中 国の領土と 主権の 問 題であり、当然、中国の核心利益に入る」と述べたと報じられた56。 と ころが、外 交部のウェ ブサイトに 掲載された 記者会見の 尖閣関 連 部 分には「当 然、中国の 核心利益に 含まれる」 という内容 が含ま れ ていない57。中国側の計算としては、武力衝突に至らない限度内で尖 閣 諸島に対す る日本の実 効支配の浸 食を既成事 実化しつつ 、武力 行 使 も選択肢に 含まれるこ とを意味す る「核心利 益」という 表現の 尖 閣 問題への適 用を限界の 一歩手前で 回避するこ とによって 、徐々 に 日 本側に対す る圧力を高 め、自国に 有利な「妥 協的解決」 を追求 し ているものと思われる。
六 むすび
以上の検討から明らかなように、「核心利益」という表現は、国益 をめぐる学術的論議の中から生まれたものではなく、米国に対する説 得において特定の問題(主として台湾問題)の中国にとっての重要性 を強調する道具、「警告ないし外交上の梃子」58、として用いられた ものである。このことは中国でも自覚されている。謝奕秋はその「特 定の外交用語(外交辞令)」としての特徴を「一般道徳化された概念 やイデオ ロ ギーの説 教 に比べる と 、相手方 が 聞いて解 る コトバであ56 『朝日新聞』2013 年 4 月 27 日、4 ページ。 57 「2013 年 4 月 26 日外交部發言人華春瑩主持例行記者會」中華人民共和國外交部、 http://www.mfa.gov.cn/mfa_chn/fyrbt_602243/t1035595.shtml。
る」点に求め、その用法に関して「外交交渉中に重点的に注意を払う べき領域を表現するのに用いる場合は、その学理的価値を過度に完璧 にする必要はない。それに過度に抽象的な内容を添加すると実際的な 表現効果を阻害することになる」と喝破しているのである59。 謝奕秋はま た、「核心 利益を狭隘 化して外交 の『レッド ライン 』 と してしまい 、相手方の 口出しを容 認しなけれ ば、双方の 重視す る 問 題で無意味 な対峙をも たらし、一 方が口頭の 勝利を得て も、却 っ て戦略的対話の空間を押しつぶすことになる」と指摘している60。中 国 指導部によ る「核心利 益」の用法 は、完全に 同じという わけで は な くとも、こ のような配 慮を反映し たものと思 われる。「 核心利 益 と 重大な関心 」という表 現は「核心 利益」とい う表現の使 用を回 避 し つつ限りな くそれに近 い警告を与 えようとす るものであ ろう。 公 式 表明に「核 心利益」を 用いない問 題について も、非公式 にその 表 現 を使うこと が容認され ているのは 、国内政治 的配慮とと もに、 同 様 な効果をね らったもの と思われる 。尖閣諸島 問題で、現 場での 対 日 行動がエス カレートす るのとは裏 腹に「核心 利益」とい う表現 が 用 いられなく なったのは 、依然とし て妥協の余 地を残して いるこ と を 意味すると 思われる。 ただし、そ の妥協があ くまでも中 国側に と っ てのもので あり、中国 側に有利な 結果をもた らしうるこ とを前 提 としていることは言うまでもない。 いずれにせよ、特定の問題を「核 心 利益」と規 定すること は、問題の 深刻さをア ピールする 効果を も た らすが、そ れに必然的 に伴う外交 的柔軟性へ の制約を回 避しよ う とすれば、曖昧さを伴ったものにならざるを得ないのである。 ( 寄 稿 :2013 年 5 月 31 日、採用:2013 年 6 月 26 日)
59 謝奕秋、前掲資料。 60 同上。
中國外交中的「核心利益」論之適用
高
木 誠 一 郎
(日本國際問題研究所/研究顧問)【摘要】
本 文主 要分析 關於 南海問 題與 尖閣諸 島( 釣魚臺 群島 問題) ,中 國如何展開其「核心利益」論。所謂「核心利益」此一說法,是2000 年 代初期為了 向美國呼籲 臺灣問題之 重要性,而 開始被使用 ;然此 後 其適用對象也擴大至西藏、新疆等,被囊括至 2009 年 11 月之《中美 共同聲明》。2010 年春天,中國大陸政府官員向美國政府官員表明南 海 為其「核心 利益」之報 導擴散開後 ,因被視為 中國對外強 硬姿態 之 一 環,遂於國 內外引起關 注。然而有 關對外強硬 姿態,也約 在同年 夏 天 起於國內外 受到相當高 的批評,「 核心利益」 開始成為限 定性; 但 並無明示性地否定其適用於南海。另對於尖閣諸島問題,於2012 年春 天 左右,也有 被認為認定 為「核心利 益」之事態 ,然至於何 種程度 正 式 ,則相當地 隱晦。關於 這些,中國 對於「核心 利益」之認 定,近 乎 無 止盡的持續 強調其重要 性,然模糊 其官方的本 質,乃為確 保外交 上 之自由度。 關 鍵字:核心 (國家)利 益、南海、 尖閣諸島( 釣魚臺群島 )、自 我 主張性之對外行動、美國、日本The Evolution of the Discourse on
the “Core (National) Interest” in
Chinese Diplomacy
Seiichiro Takagi
Senior Adjunct Fellow, Japan Institute of International Affairs
【
Abstract】
This article analyzes how China has used the concept of “core (national) interest” in diplomacy, particularly in dealing with the South China Sea and the Senkaku problems. China began to use the notion of “core interests” to appeal the seriousness of the Taiwan problem to the United States in the early 2000s and expanded the application of the term to Tibet and Xingjiang in the latter half of the first decade. It was included in the U.S.-China Joint Communique of November 2009. In spring 2010, New York Times’ report of Chinese high officials characterizing the South China Sea as a “core interest” attracted broad attention as a manifestation of Chinese assertive foreign behavior. However, as the assertiveness was criticized as counterproductive within China, the term came to be defined in a limited manner, but its application to the South China Sea was not explicitly denied. Since spring 2012, there were several indications that the Senkaku islands belonged to the “core interests” but their official nature was unclear. On these issues, Chinese expressions came infinitely close to using the term to emphasize seriousness of the issues while remaining unclear about their official nature to retain diplomatic flexibility.
Keywords: Core (national) interest, South China Sea, Senkaku Islands,
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