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釣魚台列島(尖閣諸島)の帰属問題への一考察--日本の領有主張への質疑を中心として-

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釣魚台列島(尖閣諸島)の

帰属問題への一考察

-日本の領有主張への質疑を中心として-

春 宜

(国立高雄第一科技大学応用日語系准教授)

【要約】

2012 年 9 月 11 日、日本政府は釣魚台列島(尖閣諸島)の国有化に 踏み切った。このことが台湾、中国、日本の領有権争いを再燃させ、 また日中両国は、国交樹立以来の40 年間で、最悪の関係に突入して い った。安倍 晋三は総理 再就任後、 情勢を緩和 させるどこ ろか、 強 行な措置をとっており、対抗の態勢はさらにむき出しになっている。 例 えば、フィ リピン、ベ トナム、イ ンドなど中 国と領土係 争問題 を 持つ周辺国と今までにない安保関係を強化しようとしている。 当 該島嶼 をめ ぐって 、日 本の公 式見 解は「 解決 すべき 領有 権の問 題 はそもそも 存在してい ない」と主 張している 。果たして 、そう で あ るか検証し た結果、中 華民国(台 湾)の島嶼 であるとい う結論 に 至 った。明、 清両王朝の 記録、日本 の版図に編 入された経 緯、国 際 法 、国際海洋 法、地質、 地理、歴史 などの検証 から、台湾 領であ る ことは間違いない。 1970 年代以降、日本の実効支配になった所以は、アメリカの誤認 に よるもので ある。その 背景には、 信託統治や 、国共分裂 、東西 冷 戦 、戦前戦後 の関連国の 国力の消長 が絡み合い 、本件をよ り複雑 多 岐にさせていった。 キーワード:国有化、釣魚台列島、無主地先占、琉球群島、領有権

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一 はじめに

2012 年 9 月 11 日、日本の野田政権は、釣魚台列島(尖閣諸島)を 国 有化した。 この時点ま で台湾、中 国、日本が それぞれの 領有を 主 張 し、帰属を めぐって係 争中ではあ ったが、表 面上では相 対的に 平 穏 な状態を保 ってきた。 しかし、国 有化以降パ ンドラの箱 が開け ら れ たかのよう に、中日間 の情勢が一 変した。つ まり、両者 の対抗 、 対 立の態勢が 一気に顕わ にされたの である。そ れにより複 雑で、 険 し くなりつつ ある東アジ アの国際情 勢が現出し 、険悪の境 地へと 否 応無しに突入した。 釣魚台列島領有をめぐっては、1970 年代から数々の研究がなされ てきた。例えば、日本の井上清、奥原敏雄、台湾の楊仲揆、程家瑞、 中国の呉天頴、張植榮などは、代表的である。これらの研究成果は、 ほ とんど当該 島嶼がどち らに領有、 帰属すべき かに重点を おいて 解 析 され てきた 。言 い換え れば 、歴史 経緯 や、法 理的 側面―国際法、 国 際海洋法な どを以って 、もつれた 係争の糸を 解そうと、 問題の 解 決に取り組んできたのである。 しかし、筆 者はむしろ 当該島嶼は なぜ、領有 問題などが 起こっ た の か、に注目 したい。ま た、それの 解決に向け て果たして 法律で 対 処 しえるか、 と疑念を抱 く。現段階 において、 どちらも国 際司法 裁 判所(ICJ)への提訴を第一義にしていなかったからである。要する に 、近代にお ける日中両 国の国力の 消長によっ て引き起こ された も の だ、と考え るのである 。即ち、帰 属の係争な どの問題は なぜ起 こ っ たのかとい うことは、 当然ながら 、中日国力 の逆転に起 因する 政 治 的問題に属 すのであろ う。ゆえに 政治問題を 法律で対処 しよう と しても対処しえないのは、実情であり、現状でもある。 というのも 、現段階の 台、中、日 三者は、い ずれも当該 島嶼は 自

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国 領であると 主張し、こ れに対しど れも一歩も 譲らずに各 自の立 場 を 死守してい るからであ る。こうい った、真っ 向からの容 赦ない 対 立 は、もはや 法理の域を 脱している 。それに、 問題を実際 に検証 す る と、どれも これといっ た決定的で 、相手側が 頷けるよう な要素 に 欠 けているた め、お互い に相手の主 張を否定し あうことに 躍起に な るしかないのは明白である。 即 ち、水 掛け 論に陥 って しまう ので ある。 従っ て、法 理で 係争処 理 を収めるこ とができれ ば何よりだ が、現状で はそれは無 理なこ と で はなかろう か。この場 合、まず第 一に、当事 者間の合意 を得る こ と が 必 要 不可 欠 で あ る。 つ ま り 、如 何 な る 判決 (ICJ)の結果でも、 当 事国のいず れもそれを 無条件に受 け入れる、 ということ である 。 台 、中、日の 三者を見て みると、現 在そういう 気配はまっ たく感 じ 取 れない。中 日間ではむ しろ、経済 、外交、軍 事といった 側面の パ ワーを駆使して、対峙、対立を深めていこうとするからである。 本 稿は、 以上 の認識 を踏 まえ、 まず それぞ れが 領有を 主張 する理 由 を簡単に検 討し、係争 の問題の発 生、形成、 懸案になっ た背景 ・ 真 相を重点に 論じていき たい。そし て各当事国 は当該島嶼 の係争 問 題 の不毛性を 見極め、台 湾側の提案 である「東 シナ海平和 イニシ ア チブ」を評価し、実現できるようにと望んでいる。

二 係争の焦点

1970 年前後、在外(ほぼアメリカ)の華人、華僑によって、凄ま じ い「保釣運 動(釣魚台 列島を失わ ないように とうたった キャン ペ ーン)」がアメリカで展開され、当該島嶼の係争問題は初めて大々的 に 脚光を浴び た。以来、 当該島嶼に 関して、満 足のいく、 もしく は 受 け入れられ る解決策が 出現せず、 台、中、日 間の関係に は、あ た

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かも地雷のような凶器1が仕掛けられるにいたったのである。現に中 日 間では、ま さにこのた めに頭を抱 えているの ではなかろ うか。 係 争 の経緯を論 ずる前に、 以下に台、 中、日のそ れぞれが主 張する 領 有理由について触れておく。 1 台湾側の主張 釣 魚台列 島( 尖閣諸 島) に関し て、 台湾外 交部 の声明 の一 つであ る 「中華民国 対釣魚台列 嶼主権的立 場與主張( 中華民国政 府が尖 閣 諸 島 の 主 権 に 対 す る 立 場 と 主 張 )」2に よ る と 、 台 湾 側 の 公 式 見 解 の 概要は以下のとおりである。 (1)歴史、地理、地質、使用、国際法などいずれの観点からも、 釣魚台列島は、中華民国の固有の領土である。 (2)日本が戦前、戦後にわたって釣魚台列島を盗み取った詳細な 経過を論証し、先占の不成立、その他の日本側のすべての主 張を論破している。 2 中国側の主張 中 華人民 共和 国国務 院新 聞辦公室が公表している「釣魚島是中国 的 固 有 領 土 白 皮 書 ( 尖 閣 諸 島 は 中 国 の 固 有 領 土 で あ る 白 書 )」3に よ ると、中国の釣魚台列島に対する主張の大要は、次のとおりである。

1 村田忠禧『尖閣列島・釣魚島問題をどう見るかー試される21 世紀に生きるわれわ れの英知』(花伝社、2010 年 10 月初版第 2 刷)、第 8 頁参照。 2 中華民國外交部「中華民國對釣魚台列嶼主權的立場與主張」検索日:2013 年 8 月 9 日、http://www.mofa.gov.tw/official/Home/Detail2/a09cd75e-9b57-4ad3-8556-156be329fe 76?TopicsUnitLinkId=6e83b95d-6426-4bbc-8c19-074d9c540328。 3 中國國務院新聞辦公室「《釣魚島是中國的固有領土》白皮書」検索日:2013 年 8 月 9 日、http://www.scio.gov.cn/zfbps/ndhf/2012/Document/1225272/1225272.htm。

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(1)釣魚台列島(尖閣諸島)は中国固有の領土であり、日本がこ れを盗取したのである。 (2)サンフランシスコ平和条約が調印される前の 1951 年 8 月 15 日に、中国政府は次のような声明を出していた。「対日平和 条約の準備、制定、および調印などは、もし中華人民共和国 の参加がなかったら、その内容と結果の如何に関係なく、中 央人民政府は、一切不法かつ無効であると断定する。」 (3)ゆえにアメリカが釣魚台列嶼の施政権を日本に与えたのは、 日米両国間のみの私的授受関係に過ぎないと認知している。 (4)中国政府は、釣魚台列島の主権を維持、確保するため、闘争 を断固に遂行していく。 3 日本側の主張 日本外務省が公布した「尖閣諸島についての基本見解4」によると、 日本側の主張の大要は、以下のとおりである。 (1)釣魚台列島(尖閣諸島)をめぐり、解決すべき領有権の問題 はそもそも存在していない。 (2)中台領有権の主張の各点は、いずれも国際法上有効な論拠と して認められない。 (3)現に日本国が釣魚台列島(尖閣諸島)を有効的に支配してい る。 以上は、台 、中、日三 者それぞれ の主張のキ ーポイント である 。 上 述の文面か らすれば、 現在のとこ ろ、主権に 関しては三 者とも 互

4 外務省「尖閣諸島についての基本見解」2013 年 8 月 9 日、http://www.mofa.go.jp/mofaj/ area/senkaku/kenkai.html。

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い に妥協する 余地は一ミ リたりとも ないという のが現実で ある。 な ぜ、これだけの深刻な領有問題を発生、存在させているのか、以下、 その真因について概観してみたい。

三 係争の出自

釣魚台列島 係争の深層 には、中日 間の近代に おける国力 の消長 に 起因したものがあると断定できよう。というのも、日本は1872 年琉 球王国を琉球藩と改め、1879 年に琉球処分と称して沖縄県を設置し、 琉球併合を完了させた。そして 1895 年の日清戦争の勝利によって、 清朝から台湾を割譲した。 こ のよう に、 九州か ら一 直線に 南下 し、バ シー 海峡ま で連 なる大 小含める島嶼群、即ち、琉球、台湾、澎湖等の列島は、1945 年 8 月 まですべて日本の領土であったのである。 1945 年以降、アメリカは釣魚台列島を沖縄県とともに、信託統治 区域として利用してきた。1972 年、アメリカは沖縄県における施政 権を日本に返還する際、釣魚台列島も沖縄領として日本に移譲した。 そして、1970 年代より領有権を巡る係争の問題が浮上し、表面化す る にいたった のである。 以上の経緯 に基づいて 、戦前戦後 の中日 の 国 際社会の地 位、国力な どの変化、 消長につい て簡単に検 討して み たい。 1 天下国家の終焉・国力の谷底 19 世紀中葉以前の国際社会、とりわけ東アジアにおける国家の序 列 は、中国が 日本をはる かにしのい で上位にい たのは間違 いない だ ろう。しかし、1840 年清王朝と英国との間でアヘン戦争が勃発し、 清 王朝は完敗 を喫して、 英国より開 国開港や、 賠償、領土 の割譲 な どの懲罰を盛り込んだ不平等条約を強要された。

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アヘン戦争は20 世紀中葉までの中国の一連の衰退の序曲に過ぎな か った。中国 のその後の 更なる転落 は、救い難 い奈落にま で陥っ た か の様相を呈 した。後進 性や、閉鎖 性、複雑性 といった問 題の深 刻 さが、国際社会の明るみに出て、満身創痍の状態となった。つまり、 多国による占領や、分割、植民地支配などの境遇に苛まれていた。 一方日本は、辺境一小国といわれる情況から立ち上がり、1868 年 に 中央集権政 府を成立さ せ、その下 で挙国一致 となって近 代国家 を 目指した。以来 40 年も経たないうちに、日清、日露両戦争に勝ち、 清 王朝、ロシ ア両帝国を 倒して、台 湾や、朝鮮 半島、満州 地方な ど の 新領土や植 民地を次々 と獲得し、 勢力範囲を 拡大してい った。 や が て、東アジ アどころか 、世界五大 国の一つに まで登りつ めたの で ある。 上 述のよ うに 、中日 両国 の国力 や国 際地位 は、 まるで 人為 的に置 き 換えられた かのように 、強弱の態 勢が完全に 逆転した。 では、 中 日両国の近代における国力の消長が、1970 年代以降、台、中、日の 釣 魚台列島( 尖閣)領有 の係争問題 とどのよう な関係ある のか。 以 下にいくつかの分析を見てみよう。 2 日本の台頭 釣 魚台列 島を 日本の 領土 として 版図 に編入 する か否か とい うこと は、実際に日本政府が1885 年から計画し、保留、様子見といった過 程 があった。 つまり、最 初は沖縄県 令に調査を 命じたが、 清朝の 領 土との報告により編入する動きが止まった。しかし、1894 年の日清 戦 争において 、日本の大 勝が確定と なり機が熟 したと判断 され、 す ぐさま1895 年 1 月 14 日の閣議で釣魚台列島を編入した。(詳細はま た次節で論ずる)。 歴 史に「 もし もはな い」 と言わ れて いるが 、清 朝の国 力が 衰えな

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か ったら、日 本が琉球王 国を併合す る行動は、 まず執り行 われな か っ ただろう。 少し飛躍す ると、釣魚 台列島問題 の根源をさ かのぼ れ ば 、琉球王国 が日本に併 合されると ころに始ま る。即ち、 琉球が 日 本 に併合され ていなかっ たら、今日 の釣魚台列 島に対する 領有を 主 張する根拠は、何もなかったのである。 要するに、清朝は 1840 年のアヘン戦争以降、一途に没落、衰弱し た がゆえに琉 球王国の宗 主国の地位 を維持、確 保できなく なった 。 その反面、日本は1870 年代の琉球処分を抵抗なくスムーズに進める こ とができた のである。 この背景が 今日の係争 の根っこの 一つに な ったのである。 3 中国の内戦・国共分裂 1920 年代から、中国国民党と中国共産党は、中国の政権、指導権 を獲得するため、長きにわたって争ってきた。1937 年~1945 年の対 日 抗戦期間中 は、直接の 紛争、摩擦 は避けてき たが、いっ たん対 外 戦争が終結すると、翌年(1946 年)から、国共内戦が再発した。そ の決着は、共産党が1949 年 10 月 1 日に中華人民共和国を打ち立て、 中国全土の支配権を治めた。 他 方、国 民党 は台湾 に撤 退し、 中華 民国政 府を 代表し て生 き延び て きた。その 時点から台 湾海峡を隔 てて、北京 、台北の両 政府が 並 立 し、双方が 自称中国を 代表する唯 一の正統政 府であると 宣言し 、 1960 年代まで言い争ってきた。1970 年代に入ると、国際社会では、 世 界中の主要 国の多くか ら、北京が 中国正統の 政府である と承認 を 得ている。 こ の国共 分裂 が、釣 魚台 列島の 係争 となん らか の関係 があ るので あろうか。それは、1951 年のサンフランシスコ平和条約の調印式に 両 政府がとも に参加しな かったこと である。条 約内容の作 成をは じ

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め 、戦後体制 の構築、秩 序の再編成 などの作業 や、政策決 定など に 参 与しなかっ た結果、ア メリカ一国 のみの都合 で物事を動 かし、 す べてを決めていった、そのツケの一つが中台に回ったのである。 そして、1972 年の日米間の沖縄返還条約も、上記の平和条約を踏 襲 していると 日本側は主 張している 。中台はカ イロ宣言、 ポツダ ム 宣 言の遵守を 日本に要求 すると、日 本は戦後の 釣魚台列島 領有の 法 的 根拠は、戦 後の平和条 約と沖縄返 還協定にあ り、それら に依拠 し ていると弁明している。 ここで言いたいのは、国共分裂によって、日本の戦後処理に際し、 中 台双方とも 関与するこ とはなく、 アメリカ一 国の意のま まに采 配 さ れた。その ために、ア メリカの意 図的かどう かは今のと ころ判 明 で きないが、 中台は戦後 処理の関与 ができなか ったのみな らず、 自 国の領土(釣魚台列島)さえ守れなかったのである。 4 冷戦・信託統治・アメリカの単独支配 第 二次世 界大 戦後ま もな く、米 ソ間 には、 欧州 におい てそ れぞれ の 勢力圏の拡 大、確保と いった齟齬 により、両 陣営の対立 が先鋭 化 しつつあった。東側を代表するソ連陣営との対抗先は、当然ながら、 西 側を代表す るアメリカ であった。 これら両陣 営の対立の 状況は 、 ア ジア、なか んずく東ア ジアにおい ては、欧州 に勝るとも 劣らな い ほど険しかったと言えよう。 なぜならば、ソビエト連邦は勿論のこと、1948 年に北朝鮮、1949 年 に中華人民 共和国など 新共産主義 国家が続々 と樹立され ていっ た からである。さらに1950 年、北朝鮮は韓国を武力で制圧しようとす る 朝鮮戦争を 勃発させた 。それは、 韓国を共産 化するため の戦争 で あ り、アメリ カがこれに 介入しなか ったら、韓 国は赤化さ れてし ま ったに違いない。

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こ のよう な状 況下で 、ア メリカ は対 日占領 政策 や沖縄 の重 要性な ど に対する、 従来の政策 の見直しに 迫られ、そ の後の政策 転換が 大 き く影響を及 ぼした。例 えば、占領 政策の柱で ある日本の 民主化 、 非 軍事化の徹 底さを緩和 し、共産圏 を封じ込め るためには 、ソビ エ ト 連邦、中国 等の海軍、 空軍の太平 洋に進出す る出口の一 つに位 置 す る沖縄、南 西諸島とい った第一列 島線の確保 が必要とさ れる。 言 い換えれば、西太平洋における米軍の遠方投射、前方展開のために、 沖 縄列島群を 米軍の軍事 基地化、要 塞化、さら に西太平洋 の要石 に するのは、アメリカにとってこの上なく好都合であった。 こ うして 、ア メリカ は国 連の名 義を 借りて 、単 独で沖 縄本 島をは じめ南西諸島等への信託統治の長期化(1945 年~1972 年)に踏み切 っ た。この間 、アメリカ は精査せず に釣魚台列 島もその信 託統治 の 範 囲に編入し てしまう。 それに朝鮮 戦争発生後 、アメリカ と中国 は 正 面衝突し、 敵対状態に 入った。中 国の釣魚台 列島への関 与はで き なかった。 一方、米台間には1954 年に米華相互防衛条約(中華民国<台湾> と アメリカ合 衆国との間 の相互防衛 条約)が締 結されたが ゆえに 、 無 人島である 釣魚台列島 が米軍の使 用範囲に入 っても、台 北にと っ て 何らかの措 置を採らな くても差し 支えないと の認識が生 じた。 し た がって、釣 魚台列島の 帰属問題が アメリカに 誤認される 危惧へ の 注意、喚起はされにくくなった。この点が、中台において1970 年代 まで領有問題が表面化しなかった理由の一つである。 以上は、釣 魚台列島の 帰属が係争 問題にまで 発展した内 外の情 勢 の 概況である 。まとめて みると、中 国の内部と 外部の要因 に分け ら れ る。内部要 因としては 、戦前と戦 後に分けら れる。つま り、第 二 次 世界大戦前 では、主に 清朝の国力 の衰退に起 因しており 、戦後 で は 国共分裂に より中台が 分断国家と なったため 、戦勝国で ありな が

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ら も、アジア における戦 後処理、特 に日本に関 する部分は アメリ カ に 任せ切り、 もしくはア メリカに独 占され、中 台がほとん ど直接 に 関与しようにもできなかったためである。 次 に外部 要因 として は、 アメリ カ一 国の所 作に 尽きる 。東 西対立 の 大局の中で 、沖縄列島 が西太平洋 における対 共産圏封じ 込めの 最 前 線として位 置づけられ 、大きな役 割や機能を 発揮してき た。し か し 、その副作 用の一つと して、アメ リカの身勝 手で、釣魚 台列島 を そ の信託統治 の一部であ ると誤認す ると同時に 、沖縄と混 同して そ の 施政権まで 日本に返還 したのであ った。その アメリカは 、中台 か らの抗議を受けると、「釣魚台列島の主権」に関しては、中日双方が 自 ら解決すべ きことであ り、合衆国 はこれに対 して中立の 立場を 採 ると表明するのみである。

四 日本の領有主張への疑点

台、中、日 の三者は、 各自膨大な 資料を駆使 して自国に 有利な 点 の みを取り上 げているが 、ここでは それらに対 し、一々深 入りす る 紙 幅もないし 、また本稿 の主眼でも ない。本章 では単に日 本の主 張 を 中心にその いくつかの 問題点を取 り上げ、歴 史、国際法 、海洋 法 などに照らして検証に耐えうるか否かを概略的に検討してみたい。 1 歴史に見る釣魚台列島の帰属 日本側は、釣魚台列島(尖閣諸島)についての基本見解(平成25 年5 月)で、「尖閣諸島は(中略)清国の支配が及んでいる痕跡がな い 」と述べ、 よって釣魚 台列島がど の国にも帰 属されてい ないこ と を 証拠に挙げ 、日本側の 先占の合法 性を力説す る。支配の 痕跡が な いから無主地であると言えるのか、この点について検討してみたい。 1372 年に琉球王国が明王朝の冊封体制に正式に組み入れられて以

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来、1866 年まで、明、清両王朝から 24 回も冊封使を派遣する。釣魚 台 列島は福州 から那覇ま での冊封使 往来の航路 の途中にあ る島嶼 群 で ある。中国 、琉球間の 交流史の中 で釣魚台列 島の記述に ついて 、 現存する最古の史籍である『順風相送(1403 年)』にこう記してある。 「北風、東涌開洋、用甲卯、取彭家山、用甲卯及単卯取釣魚嶼。(中 略)正南風、梅花開洋、用乙辰、取小琉球;用単乙、取釣魚嶼南辺; ( 中 略 )」5。 上 記 の 内 容 の 概 要 は す べ て 航 海 上 の 航 路 の 把 握 に 関 す る指南である。 次に、1534 年冊封使・陳侃の『使琉球録』に釣魚台列島に関する 記載を見てみる。「…、十日、南風甚迅、舟行如飛、然順流而下、亦 不甚動。過平嘉山、過釣魚嶼、過黄毛嶼、過赤嶼、目不暇接、(中略) 十一日夕、見古米山、乃属琉球者」6。その概要は、以下のとおりで ある 。「一、十日 、南風が強 かったため 、舟が飛ぶ ように走っ たが 、 順 流に下るの で、揺れが それほどな かった。二 、平嘉山、 釣魚嶼 、 黄 毛嶼、赤嶼 と次々と過 ぎていき、 速さがそれ らを一々見 る暇が な か ったほどで ある。三、 十一日の夜 、古米山が 見え、琉球 国の国 境 である。」 赤 嶼は赤 尾嶼 (大正 島) であり 、当 時中国 の最 東端・ 国境 線のあ たりにある島嶼である。福州を出て、那覇に向かって出航する場合、 こ こを過ぎれ ば、次は黒 水溝、そし て古米山( 現在の久米 島)が 見 え 、琉球王国 の国境に入 る。要する に赤尾嶼は 中国国境の 最後の 島 で あるのに対 し、古米山 は、琉球国 境の最初の 島である。 両島の 間 の海面は、黒水溝、つまり沖縄トラフである。

5 浦野起央、劉甦朝、植栄辺吉編修『釣魚臺群島(尖閣諸島)問題・研究資料匯編』 (香港:勵志出版社、刀水書房共同出版、2001 年 9 月)、第 3 頁から引用。 6 同上、第6 頁から引用。

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その水深も異なる。赤尾嶼のあたりは、200 メートル未満であるが、 沖縄トラフの最深部は、2,700 メートルあまりもある。海底が深いの で 、海水の色 も青黒くな り、中国と 琉球との天 然の境界線 になる 。 こ のことから 、沖縄トラ フ以東は、 琉球に属し 、反対に以 西は、 中 国 に属する事 を示してい る。即ち、 釣魚台列島 は、明、清 王朝を 承 継 する中華民 国・台湾に 属すべきで あり、琉球 に属するは ずでは な い のである。 これは交流 史において は、一種の 常識といっ ても過 言 ではない。 というのも、1562 年の册封使である郭汝霖の『重編使琉球録』に も、国境の関連記載もあるからである。「…三十日、過黄茅。閏五月 初一日、過釣魚嶼。初三日、至赤嶼焉。赤嶼者、界琉球地方山也。(中 略)」7。上記の大要は、以下の通りである。「30 日に、黄茅を過ぎ、 閏年の5 月 1 日に釣魚嶼を過ぎた。3 日に赤嶼に至った。赤嶼という のは、琉球地方の境界と為す山である。」 換 言すれ ば、 赤嶼( 赤尾 嶼・大 正島 )の向 こう は琉球 領で ある。 赤 嶼は国境線 の識別対象 物として使 われる。ま た、中国と 琉球の 国 境 は、ちょう ど黒水溝( 沖縄トラフ )によって 隔てられ、 台湾か ら の 手前は釣魚 台列島であ り、向うは 琉球諸島で ある。地質 から見 て も 、釣魚台列 島と琉球諸 島との地殻 構造も異な る。釣魚台 列島は 東 シ ナ海の大陸 地殻であり 、黒水溝は 海洋地殻で ある。要す るに、 そ れ ぞれのプレ ート構造も 違ったので ある。更に 台湾から釣 魚台列 島 までの海底、海域は、海洋法第76 条「大陸棚の定義」、第 77 条「大 陸棚に対する沿岸国の権利」の規定によれば、台湾の主張と合致し、 自然である。 上記の文献以外の関連記載は、後の清王朝(1616 年~1912 年)時

7 同上、第8 頁から引用。

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代の冊封使録も同様で、なお多数存在するが紙幅の関係で割愛する。 ここでは、1562 年鄭若曾(号は開陽)の『鄭開陽雑著』中の『籌海 図編』の資料を取り上げ検討したい。 『鄭開陽雑著』巻八:「万里海防図8」第 5、6 絵図には、彭湖嶼、 小 琉球、東沙 山、鶏籠山 、釣魚嶼、 黄毛山、花 瓶山、赤嶼 等々の 島 嶼が描かれてある。これらの島々を中国の海防範囲に納め9、長円形 で表示されている。一方、琉球の属土は、長方形で表示されている。 こ のように両 国の地域を 区別するの である。鄭 若曾のもう 一つの 著 作・『籌海図編』にも、類似の絵図がある。「巻二」にも、「福建使往 日本針路(福建から日本への航路)」との絵図もある。 こ のよう に、 釣魚台 列島 は万里 海防 図に示 され ている よう に、明 王朝(1368 年~1644 年)時代の 16 世紀中葉から、すでにはっきり と 中国の領域 になってい る。また、 この絵図よ りもっと早 期の陳 侃 の『使琉球録』、郭汝霖の『重編使琉球録』などの文献記録と併せて 考 えてみれば 、琉球領で はなく、中 国領である ということ は揺る ぎ ない証拠である。 し かし、 一部 の日本 人は 、防衛 と領 有は別 個だ と主張 して いる。 ア メリカが日 本を防衛し ているが領 有していな い、という ケース を 事 例とするの か。しかし 、それは条 約によるも のであるし 、現代 国 際 社会のあり 方をそのま ま中世に当 てはめてい いのだろう か。何 が 何でも認めたくないという論調は、詭弁だと見られるだろう。 以 上を総 合す ると、 釣魚 台列島 は、 福州か ら琉 球、も しく は日本 へ の航路の途 中にある。 中世から国 境線や、航 海時の道標 のよう な

8 同上、第8 頁から引用。 9 当時、中国の沿海部で、倭寇が跳梁跋扈し、その退治、対策のために、防衛区域や、 戦略戦術などの設定、実施が必要である。

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役 割を果たし てきた。無 人島ではあ るが、無所 属ではない 。日本 側 が注文している、近代の基準でのいわゆる実効支配の痕跡の立証は、 ま るで現代人 の思惟行動 をそのまま に古人に当 てはめて、 是非云 々 を批評するのと同じような無意味なことではなかろうか。 2 日本の版図編入の顛末 明治維新と 同時に、日 本帝国の対 外拡張主義 もスタート したと い っ ても言い過 ぎではない だろう。と いうのも、 徳川政権か ら天皇 親 政への移行により引き起こされた内紛は、1869 年にようやく収まり、 1872 年の琉球併合、1874 年の台湾出兵、1875 年の朝鮮での江華島事 件、翌年の「日朝修好条規(江華条約:不平等内容)」の締結、1879 年 の琉球王国 の完全抹消 など、次々 と強行して いったから である 。 まさに已むこと知らず、引き続き南方へと展開していく。 まず、1885 年 9 月 22 日、沖縄県令・西村捨三より内務卿・山県有 朋への文書を見てみよう。 「 第 三 百 十 五 号 久 米 赤 島 外 二 島 取 調 ノ 儀 ニ 付 上 申 。 (省略)中山伝信録10ニ記載セル釣魚台黄尾嶼赤尾嶼ト同 一 ナ ル モ ノ ニ 無 之 哉 ノ 疑 ナ キ 能 ハ ス 果 シ テ 同 一 ナ ル ト キ ハ 既 ニ 清 国 モ 旧 中 山 王 ヲ 冊 封 ス ル 使 船 ノ 詳 悉 セ ル ノ ミ ナ ラ ス 夫 々 名 称 ヲ モ 附 シ 琉 球 航 海 ノ 目 標 ト 為 セ シ 事 明 カ ナ リ 依 テ 今 回 大 東 島 同 様 踏 査 直 ニ 国 標 取 建 候 モ 如 何 ト 懸 念 仕 候 間 来 十 月 中 旬 両 先 嶋 ヘ 向 ヶ 出 帆 ノ 雇 汽 船 出 雲 丸 ノ 帰 便 ヲ 以 て 不 取 敢 実 地 踏 査 可 及 御 届 候 条 国 標 取 建 等 ノ 義 尚

10 徐葆光撰、1721 年成立、全 6 巻。冊封副使として派遣された際に、見聞した琉球の 地理、制度、風俗および清国との外交関係などについて、記している。

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御指導ヲ請度此段兼上申候也。 明治十八年(1885 年)九月二十二日 沖縄県令 西村 捨三 内務卿伯爵 山県有朋 殿」11 上記文書の要旨は、以下のとおりである。 (1)久米赤島(赤尾嶼)久場島(黄尾嶼)魚釣島(釣魚台嶼)へ の調査を実施するとともに、国標の建設も許可してほしい。 (2)久米赤島、久場島、魚釣島との島嶼は、『中山伝信録』に記 載されていた赤尾嶼、黄尾嶼、釣魚台嶼と同一のものであろ う。 (3)伝信録には、これらの島嶼を詳らかに記録され、命名され、 以って冊封使節船往来の路標と為す。 (4)大東島と一緒に調査し、国標も建立するか、とのことである。 引 き続き 、本 件に関 連し て、国 標を 建立す るか どうか につ いて、 政 府内部の調 整が必要で あったため 、外務卿・ 井上馨より 内務卿 ・ 山県有朋へ送られた以下の秘密照会文書を見てみよう。 「明治十八年(1885 年)十月二十一日発遣 親展第三十八号 外務卿伯爵 井上馨 内務卿 山県有朋 殿 沖 繩 県 ト 清 國 福 州 ト ノ 間 ニ 散 在 セ ル 無 人 嶋 久 米 赤 島 外 二嶋沖縄県ニ於テ実地踏査ノ上国標建設ノ儀…(省略)清 国国境ニモ接近致候…(省略)殊ニ清国ニハ其嶋名附し有 之 候 ニ 就 テ ハ 近 時 清 國 新 聞 紙 等 ニ モ 我 政 府 ニ 於 テ 台 湾 近

11 浦野起央、劉甦朝、植栄辺吉編修、前掲書、第164 頁から引用。

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傍 清 國 所 属 ノ 島 嶼 ヲ 占 拠 セ シ 等 ノ 風 説 ヲ 掲 載 シ 我 國 ニ 対 シ テ 猜 疑 ヲ 抱 キ 頻 ニ 清 政 府 ノ 注 意 ヲ 促 シ 候 モ ノ モ 有 之 候 際 ニ 付 此 際 遽 ニ 公 然 國 標 ヲ 建 設 ス ル 等 ノ 處 置 有 之 候 テ ハ 清 國 ノ 疑 惑 ヲ 招 キ 候 間 差 向 実 地 ヲ 踏 査 セ シ メ 港 湾 ノ 形 状 并 ニ 土 地 物 産 開 拓 見 込 有 無 詳 細 報 告 セ シ ム ル ノ ミ ニ 止 メ 国 標 建 テ 開 拓 等 ニ 着 手 ス ル ハ 他 日 ノ 機 会 ニ 譲 候 方 可 然 存 候 且 曩 ニ 踏 査 セ シ 大 東 島 ノ 事 并 ニ 今 回 踏 査 ノ 事 共 官 報 并 ニ 新 聞 紙 ニ 掲 載 不 相 成 候 方 可 然 存 候 間 夫 々 御 注 意 相 成 置 候(省略)」12 上記文書の概要をまとめてみよう。 (1)熟慮の末、無人島である久米赤島および他の二島での国標建 設については、先延べすべきである。というのも、前に調査 した大東島と違って、周囲は小さいし、清国の国境に近接し、 そして命名もしてあるからである。 (2)最近、清国の新聞紙(上海申報)上では、我が政府(日本) が台湾近くの島嶼を占拠しようというデマを流し、清国政府 の注意をしきりに喚起しようとする。 (3)この際、国標を公然と建てれば、清国の猜疑を呼び起こすで あろう。 (4)本件および大東島調査済み等の事は,官報、新聞紙等に公表 しない方がよい、というのである。 ここで指摘したいのは、当時の日本政府の狙いは、釣魚台列島(尖 閣 諸島)の占 領である。 しかも、で きるだけ波 風を立たせ ないと い

12 同上、第165 頁から引用。

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う 方法を用い てであった 。それは清 国に対する 遠慮という よりも 、 西洋列強への危惧、警戒である。 この後、明治二十三年(1890 年)、二十六、七年(1893、1894 年) に、一貫して釣魚台列島の領有を企てている。最初の計画から約10 年 後、釣魚台 列島を領有 するチャン スがやっと 訪れた。日 清戦争 の 勝利が確実になった時である。戦争は1894 年 7 月に勃発し、同年 11 月 、清軍の陸 、海軍とも に日本軍に 完敗を喫し た。釣魚台 列島を 日 本版図に編入する動きがついに決着をつけた。1895 年 1 月の閣議で の決定である。 版 図編入 に踏 み切る きっ かけと なっ た閣議 提出 前の文 書を 見てみ よう。 「秘別第133 号 久場島魚釣島へ所轄標杭建設の義、… (中略)貴省(外務省)とご協議の末、指令及びたる次第 も有之候得共、其当時と今日とは事情も相異候に付、別紙 閣議提出の見込に有之候条、一応及御協議候也。(中略) 明治27 年(1894 年)12 月 27 日 内務大臣子爵 野村 靖 外 務 大 臣 子 爵 陸 奥 宗 光 殿 (B03041152300 の 29)」13 上 記の要 旨と しては 、日 清戦争 の前 と現時 点の 日清戦 争に おいて 日 本がすでに 勝利を収め 、歴然とし て我が方( 日本)に有 利な情 勢 が生じた、と今昔の状況の変化を述べている。 これに対し、外務省からの返書を見てみよう。

13 村田忠禧『日中領土問題の起源―公文書が語る不都合な真実』(花伝社、2013 年 6 月)、第195~196 頁から引用。

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「親展送第2 号 明治 28 年(1895 年)1 月 10 日起草 明 治 28 年 1 月 11 日発遣 機密 外務大臣子爵 陸奥宗光 内 務 大 臣 子 爵 野 村 靖 殿 久 場 島 及 魚 釣 島 へ 所 轄 標 杭建設の件 (中略)本件に於ては別段異議無之候付、御 見 込 の 通 御 取 計 相 成 可 然 と 存 候 。( 中 略 )(B03041152300 の39)」14 要 旨とし ては 、内務 省の 久場島 (黄 尾島) 及魚 釣島( 釣魚 島)で の 国標建立の 件に対し、 外務省は特 に異議がな いという意 見表示 で ある。 10 年前の内務、外務両省の協議は、外務は慎むべきだと返答して い るのに対し 、今回は特 に異議なし ときっぱり と決められ たのは 、 日清戦争における圧勝が背景にあるためである。 1895 年 1 月 14 日、21 日の閣議で、ついに版図編入および当該島 嶼 での国標建 設の許可を 決定した。 しかし、そ の後現地で の国標 の 建設はされなかった。実際には74 年後の 1969 年 5 月 9 日に石垣市 が慌てて、初めてそれを建立したのである。つまり、1968 年に国連 アジア極東経済委員会(ECAFE)が釣魚台列島周辺海域の海底に石 油 が大量に埋 蔵されてい る可能性が あるという 報告が発表 された 翌 年のことである15。台、中、日間においては、石油埋蔵の話が出てか ら 、初めて領 有権をめぐ り、相互に 批判、指摘 が開始され たが、 実 は三者の主張はいずれも五十歩百歩である。 以上の経緯を見てみると、1885 年~1895 年の約 10 年間における 当 時の内務卿 ・山県有朋 、沖縄県令 ・西村捨三 、外務卿・ 井上馨 、

14 同上、197 頁から引用。 15 同上、第200 頁参照。

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後 の内務大臣 ・野村靖、 沖縄県知事 、外務大臣 ・陸奥宗光 らの本 件 に関するやりとり、および 1885 年の上海新聞紙・申報の関連報道、 または戦勝が確実になった時点、即ち1895 年 1 月の編入、講和をひ か えた当時の 情勢から判 断すると、 釣魚台列島 は清国の領 土であ る との明確な認識は日本政府にあったに違いない。 繰 り返し にな るが、 釣魚 台列島 は明 王朝か ら無 人島で はあ るが、 無所属ではない。これは、先占の法理16である「如何なる国の領土に も帰属していない」無主の地であると言えるのか。また、1895 年 1 月 に日本の領 土として編 入されたと きも、秘密 裏(内政的 )に行 な い 海外には正 式に公表し なかった。 これでは、 先占の原則 を満た し ていないのではなかろうか。 3 先占の法理と法の遡及性 上 記の経 緯を 踏まえ ると 、日本 の不 法占領 は揺 るぎな いも のであ ろう。以下に先占の法理と法の遡及性について触れてみたい。 国際法上領土の取得についての規定は、一般的に1、譲渡(売買、 交換、 割譲を含む )、2、征服(国連憲章がこれを認めない)、3、先 占、4、添付、5、時効などがある。日本の戦前における釣魚台列島 ( 尖閣諸島) 領有の理由 は、上記の 一つである 先占の法理 による も の であると主 張している 。先占の法 理を援用す るなら、国 際法上 、 当 該土地はど の国にも領 有されてい ないし、ま たは領有後 も正式 に 何らかの対外宣告の措置を執るべきである。しかし、前述のように、 戦 前の日本は 釣魚台列島 が清国に帰 属されてい ることを意 識しな が ら 、ひそかに 版図に編入 した。つま り、その過 程はすべて 秘密裏 に 行 なってきた 。中台側か ら、窃占( 盗み取る) と批判され る所以 は

16 丘宏達著『現代国際法』(台灣:三民書局、2001 年)、第 495~497 頁参照。

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そこにある。 無主地先占の国際法が生み出される背景17には、近世のヨーロッパ 列 強の間に各 自に自己勢 力を拡大、 確保するた めに、熾烈 な争奪 を 如 何に避けら れるかとい う点におい て作り出さ れた一種の 妥協の 産 物 である。つ まり、一定 のルールに 沿って互い に規律する という こ と である。当 然、そのル ールは、強 者の論理、 強者の都合 、強者 の 利益につながらなければならない。 要 するに 、強 権国の 関心 は、そ れぞ れ自国 の最 大限の 利益 を確保 し 、その代償 は最低限に しなければ ならないと いう要請の 下、強 権 国 の都合に沿 って、ルー ルを認定、 変化、修正 していくし かなか っ たのである。例えば、「無主地」は単に無人の地ではない。有人であ っ たとしても 、国際法上 の主権国家 に所属され なかったら 、同じ く 無 主地と見な される。ア フリカや、 中南米、ア ジア、ない し北米 と い った地域が 、それぞれ 先住民が居 ても領有や 植民地化さ れたと い うことが、何よりの証左である。 先 占の法 理は 、有限 の地 球空間 に略 奪の競 争者 が多く いれ ば、独 占 できるルー ルをますま す厳しくし なければな らない、と いう論 理 を如実に反映しているのではなかろうか。要するに、無主地が多く、 しかも競争者も少なかった16、17 世紀には、条件は単純で、発見の みで領有の条件が充足されるのである。 さらに、18、19 世紀になると、無主地も減少し、競争者も多くな っ ていく。当 然、ルール も情勢の推 移によって 変遷してい く。例 え ば、16 世紀~18 世紀末葉までには、「発見」18で領有の権利を満たせ

17 井上清『「尖閣」列島―釣魚諸島の史的解明』(第三書館、1996 年)、第 50 頁~56 頁 参照。 18 宣言や、国旗の掲揚、標柱、十字架などの樹立等の措置を取れば、領土の取得が成 立する。

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ることができる。これは、15 世紀からの大航海の時代と関連してい る。 16、17 世紀には、主にスペインや、ポルトガル人が、18 世紀、19 世 紀には、オ ランダ、イ ギリス人な どが時期を 前後して、 アメリ カ 大 陸、太平洋 の島々、ア フリカ大陸 、アジア大 陸およびそ の島嶼 群 (例えば、インドネシア、マレーシア、フィリピン、台湾等19)など を植民地化し、または自国の領土として占領していくからである。 現 実には 、前 期の海 権国 家であ るス ペイン ・ポ ルトガ ルお よび後 期 の海権国家 であるオラ ンダ・イギ リス、また は後発のフ ランス ・ ド イツなどの ヨーロッパ の列強間に は、領土や 勢力範囲の 獲得に お い て、互いに 競合する態 勢にあった 。こうして 、無主地の 帰属を め ぐ って、紛糾 を免れるた め、多くの 確かな条件 が指定ある いは要 求 され、武力対決を回避してきた。 19 世 紀 後 半 に な る と 、「 発 見 」 だ け は も う 通 用 で き な く な っ た 。 「実効的支配20」といった条件が要求されることになる。換言すれば、 時 代が下れば 下るほど、 競争の参入 者が多くな るし、無主 地とい え る ところもほ とんど残ら ない。新領 地として取 得できる条 件は、 言 うまでもなく細かく規定されなければならない。 こ れは、 いわ ゆる無 主地 先占法 理の 国際法 の本 質であ る。 大航海 時 代以来のヨ ーロッパの 強権国の力 任せ、力の 移行、力の 関係に よ

19 インドネシアはオランダ、フィリピンはスペイン、マレーシアはイギリス、とのそ れぞれの領有時代がある。台湾の場合は、1624 年からオランダ、1626 年からスペ インがそれぞれ一時期台湾の一部分を領有、支配したことがある。 20 現実に土地を占有し、かつ有効に支配している。したがって、仮に人が住んでいて も、国際法上の主権国家であると認められなかった国に所属しても、依然として無 主の土地と認定される。例えば、アフリカは、多国の植民地化されたのは、そうで あった。

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る 結末が法理 として奉ら れることに なった所以 である。前 述した 、 16 世紀にすでに明王朝の倭寇防御範囲(萬里海防図、1562 年)に入 っ ている釣魚 台列島の帰 属問題は、 何世紀後の 後世の欧州 列強の 新 領 地略奪の正 当化のため のルールで 拘束される べきだろう か。ま た は 、法の遡及 性は、何百 年も前の領 地の帰属問 題にも適用 できる の だ ろうか。総 じて、釣魚 台列島は、 何世紀前も 帰属が明ら かであ る のに、後世の無主地の要件を受けるべきなのか、ということである。 4 中華民国からの感謝状の件 1920 年に中華民国政府から日本政府へ感謝状21を贈ったことが あ る 。同事案は 、中国人の 漁民は釣魚 台列島周辺 海域で遭難 し、日 本 の 救助で助か ったのであ る。長崎に ある中華民 国領事館か ら感謝 の 意 を表するた め、日本に 感謝状を贈 った。その 中には釣魚 台列島 は 日 本の領土と して扱って いる文言が 見える。こ れを以って 、当該 島 嶼 は日本の領 土だと中華 民国の政府 がすでに承 認している 、と今 の 日 本政府は主 張している 。つまり、 釣魚台列島 は日本の領 土であ る 根拠となっている。 しかし、1895 年 4 月の下関条約調印以降、日本は台湾、澎湖およ び これらの付 属島嶼を接 収している 。中台側に とって、釣 魚台列 島 は 台湾の付属 島嶼である ので、台湾 の割譲とと もに日本の 版図に 入 るのは当然である。したがって、1920 年の時点で、釣魚台列島を日 本 領であると 認定するの は当然なこ とである。 無人島の釣 魚台列 島 は おろか、台 湾本島でさ え日本の領 土なのであ る。むしろ 日本領 と 扱わないとするのはおかしい。

21 外務省「尖閣諸島について」2013 年 3 月、第 12 頁参照。検索日:2013 年 8 月 10 日、http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/pdfs/senkaku.pdf。

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5 日米間の合意のみで有効か? 戦後の日本の釣魚台列嶼(尖閣諸島)領有の根拠として、1951 年 9 月 8 日に締結されたサンフランシスコ条約および 1972 年 6 月 17 日 に日米両国 が調印した 沖縄返還条 約が挙げら れる。ここ で二つ の 問 題点をあげ てみる。そ の一つは、 前述した中 華人民共和 国によ る 1951 年 8 月 15 日の宣言である。それは、中華人民共和国が参加しな か ったすべて の対日文書 (条約、協 定等)は、 一切認めな いので あ る。 もう一つは、ポツダム宣言第 8 条には、「…日本国の主権は本州、 北海道、九州、四国並びに吾等の決定する諸小島に局限せらるべし」 との文言である。 ポツダム宣言は、戦後処理における最有力文書である。「吾等の決 定 」の文言に 示されるよ うに、日本 との戦後処 理は、東ア ジアで は 少 なくとも米 英中ソ(ロ )の協議が 必要とされ る。結局、 実際は ア メ リカ一国の みですべて を決めてい った。した がって、サ ンフラ ン シ スコ条約や 沖縄返還条 約などの規 定について 、特に中華 人民共 和 国への拘束力は皆無といえる。 戦 後、釣 魚台 列島領 有の 法源は 、上 記の両 条約 の規定 であ ると日 本 側が力説し ている。し かし、条約 締結などを 含む戦後処 理の過 程 を 検視すると 、完全に日 米両国間の みの関係で あるかのよ うに事 を 済ましてきた。突き詰めなければ、穏便に物事を前進させていくが、 争 議が出てく ると、すべ て文書、文 献を辿って 、原点に回 帰する し か ないだろう 。ことに法 理で解決を 目指すなら ば、そうで ある。 日 本 の両条約に 依拠してい る、と領有 の正当性を 主張する説 への疑 念 を禁じえないのである。

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6 沖縄返還前の録音記録 日本のNHK は 2013 年 6 月 7 日、沖縄返還協定の 10 日前に、釣魚 台列島の帰属に関する議論:「釣魚台列島(尖閣諸島)の日本返還巡 る米の録音記録」22を放送した。番組の要旨は、次の通りである。メ ン バーは、ニ クソン大統 領、キッシ ンジャー安 全保障担当 補佐官 、 ピ ーターソン 国際経済担 当補佐官と の三人であ る。尖閣の 帰属に 関 す る議論は、 結論から言 えば、ピー ターソンは 台湾に、キ ッシン ジ ャーは日本に、とそれぞれ主張している。 ニ クソン 大統 領は、 最終 的にキ ッシ ンジャ ーの 意見を 採用 した。 つまり、議論の10 日後、1971 年 6 月 17 日に日米両政府は沖縄返還 協定に調印し、釣魚台列島の施政権は沖縄諸島と一緒に日本に返還、 そ の運命が決 められた。 キッシンジ ャーは「条 約に関して 具体的 な 境 界線を宣言 したとき、 われわれは 尖閣諸島( 釣魚台列島 )を含 め た が、それに 対し異議は 出なかった 。その時点 で話に決着 はつい て い る」との理 由で、日本 に帰属させ るようと、 ニクソン大 統領に 進 言した。 キ ッシン ジャ ーの話 に対 して、 承服 しかね ると ころが ある 。彼の い うとおりの 法的根拠で 、まったく 問題ないの であれば、 なぜ主 権 ま で日本に与 えなかった のか。なぜ 、主権を留 保して、施 政権の み 日 本に帰属さ せたのか。 この点に対 し、何かの 手違いなの か、思 惑 あ ってのこと か、あるい は何かを企 んでいるの ではないか 、と懐 疑 を 抱かざるを 得ない。ま た、アメリ カは精査せ ずに第三国 の領土 を 軽々しく操って、自由にA 国か B 国かに一方的にその帰属を左右し て いる。大国 の身勝手さ 、力による 無責任、無 慈悲の采配 を如実 に

22 NHK NEWS WEB「尖閣諸島の日本返還巡る米の録音記録」2013 年 6 月 7 日、 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130607/t10015132821000.html。

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反映しているのではなかろうか。 7 石油埋蔵可能発表後 繰 り返し にな るが、 日本 側は、 中台 側に対 し、 以下の よう に批判 している。「国連が 1968 年にその海域には大量の石油が埋蔵されて い る可能性が あるという 報告を世に 公表して、 中台は初め て領有 を 主 張する。ゆ えに不当、 不法である 」と。しか し、実際に 日本の 学 者・村田忠禧の最近の研究成果23によれば、中台だけでなく、日本も 石 油埋蔵の調 査が発表さ れた後、同 じく初めて 日本領だと 主張し 始 めたのである。 というのも、国標の設置を同意したのは、1895 年 1 月 14 日の閣議 であったが、しかし、実際に着手したのは、約 4 分の 3 世紀の歳月 を経過してから、ようやく実施されたのである。即ち、74 年後の 1969 年 5 月 9 日であった。以上のように、日本による中台に対する非難 は 、日本にと っても何の 有利な立場 を与えるも のではなか ったの で ある。 8 地図の掲載問題 地図の記載に関しては、前述の中国側の「萬里海防図、1562 年」 以外に、近世の日本経世家である林子平(1738 年~1793 年)の「琉 球 三省并三十 六島之図」 にも、釣魚 台列島が中 国本土と同 じ色で 塗 られている。この図は『三国通覧図説』の付図(5 枚)である。1785 年 に出版され たこの図に は、日本を 中心として 、朝鮮、琉 球、蝦 夷 地 など「数国 接壌ノ形勢 ヲ見ル為」 とし、南は 小笠原諸島 、西は 中

23 村田忠禧『日中領土問題の起源―公文書が語る不都合な真実』前掲書、第 200 頁参 照。

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国 、北はカム チャッカと いった東ア ジア各国の 範囲、境界 が明示 さ れている24。 よ って当 時の 日本が 、こ の図に より 海防意 識を 喚起し よう とした と いうのが主 眼である。 しかし、日 本政府はこ の林子平の 付図に 対 し 、単に中国 領として機 械的に色分 けしたもの で価値がな いと一 蹴 し た。日本側 のこのよう な対処は、 もう言い争 い以外の何 物でも な い。 ま た、地 図に 関して 日本 側から の批 判、指 摘は もう一 件あ る。石 油埋蔵発表される前、即ち1970 年代まで中台側から発行された地図 に は釣魚台列 島を自国領 として扱っ ていなかっ た。したが って、 そ の 間の地図に は釣魚台列 島を掲載し ていなかっ たのである 。その た め 、日本側は 、釣魚台列 島は日本領 であり中台 領ではなく 、この 件 を日本領である動かない証拠だと扱っている。 実際はどうなのか、以下に見てみよう。戦後1970 年代までに、台、 中 、日三者の 間には、石 油埋蔵の可 能性がある という情報 が流さ れ る 前に、当該 島嶼の領有 に関する係 争は一度も なかった。 互いに 当 該 島嶼の位置 が領土に入 っていない と批判し合 うのも、石 油発見 以 降のことである。1970 年代になって、いずれも相手にとって不利な 資 料を必死に 探し求め、 自身の主張 、立場を少 しでも正当 化、合 法 化 にするため に躍起であ った。例え ば、中台側 では、戦前 の地図 を 用 いて明確に 日本領では ないと指摘 する。日本 側では、戦 後中台 側 の地図に自国領と明記されていなかったと批判する。 決着は、以下の引用文を見てみよう。「中国の地図(台湾当局をも 含 む)におい て釣魚島、 黄尾嶼、赤 尾嶼を中国 の領土であ ると明 示 す るようにな ったのも、 日本の文部 省検定済み の地理教科 書にお い

24 井上清、前掲書、第42 頁~49 頁参照。

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て 、尖閣諸島 なる名前で これらの島 々の存在が 登場するよ うにな っ たのも、すべて領土問題が発生した 1972 年以降のことである」25 上記の事実から、いずれに是か非かの軍配を上げることはできない。 互 いに石油埋 蔵の話が出 てから、初 めて領有に 参入したと いうこ と を示している。要するに1972 年まで台、中、日三者の地図にともに 示されていなかったのである26 以上、当該 島嶼の日本 領有の公式 見解の根拠 に焦点を当 てて、 そ の 不十分なと ころを指摘 し、論証し てきた。総 括すれば、 少なく と も、無主地先占の法理およびポツダム宣言の第 8 項である「カイロ 宣 言ノ条項ハ 履行セラル ベク又日本 国ノ主権ハ 本州、北海 道、九 州 及 四国並びに 吾等ノ決定 スル諸小島 に局限セラ ルベシ」と いった 点 を 日本側の主 張に照らし て検証すれ ば、その「 解決すべき 領有権 の 問 題はそもそ も存在して いない」と いう公式見 解における 詭弁性 は 否めないであろう。

五 おわりに

釣 魚台列 島の 領有を めぐ って、 歴史 的、地 理的 、法理 的な どの側 面 から検討し てきた。ど の角度から も、日本の 公式見解で ある「 日 本固有の領土」であり、「解決すべき領有権の問題はそもそも存在し て いない」と いった主張 は、完全に 「無理強い 」と言わざ るを得 な い。なぜなら、 1. 当該島嶼は無人島ではあるが、無主地ではない。また、19 世 紀の無主地先占の法理を当該島嶼に適用することもできない。

25 村田忠禧『尖閣列島・釣魚島問題をどう見るかー試される21 世紀に生きるわれわ れの英知』前掲書、第46 頁から引用。 26 同上、第43~46 頁参照。

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2. 日清戦争の勝利が確実になった後、日本は密かに当該島嶼を版 図に編入した。その時点の大清帝国は、まさに「連大廈都顧不 了了、怎顧得了一個尿桶(屋敷さえ守れないのに、おまる一つ を守れるか)」という危急存亡の時期であった。 3. 戦後、カイロ宣言、ポツダム宣言の規定により、当該島嶼は中 華民国に返還すべきであるのに、直ちに中華民国に返還しなか ったのは、米軍による占領、または朝鮮戦争勃発、そして後の 信託統治のためである。 4.アメリカは精査なく、沖縄と混同して当該島嶼を日本に返還し、 台、中からの抗議を受けると、主権については三者自ら解決す べきで、米国は中立の立場を採ると表明するのみ、という主な 事情があったからである。 ま た、以 上を 総合し 、さ らに敷 衍す れば、 次の ような こと を指摘 できる。 一 つは、 当該 島嶼は 無人 島(居 住に 適しな いた め、特 に近 代以前 の 科学技術未 発達の段階 で、歴史的 に領有の痕 跡の立証は 困難で あ る)であったがゆえに、また、現代的な排他的経済水域(EEZ)や、 戦 略的航路、 海底資源開 発などと関 わっている という意識 が今ほ ど 認 識されてい なかったが ために、そ れほどの注 意と関心と が払わ れ て いなかった 。いったん その有利、 有用さが明 らかになる と、今 度 は その大切さ に過剰とも 、必死とも 言えるほど の反応が出 たので あ る。一方から他方を完全に抹消するという手法はまさにこれである。 も う一つ は、 アメリ カの 身勝手 であ る。こ れは 、偶然 か、 意図的 か は現段階で は知る術が ない。つま り、釣魚台 列島の施政 権のみ を 日 本に帰属さ せ、そして 主権に関し て中立を採 るというア メリカ の ス タンスであ る。われわ れが言える のは、これ によって引 き起さ れ

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た領有係争に対する悪影響は、計り知れないということである。 な ぜなら 、台 、中、 日の 当事国 をは じめ、 第三 国、地 域ま でにも 影 響を及ぼし ているから である。中 日両国は、 それぞれ大 国のス テ ー タスを持ち 、地球規模 の投資と貿 易とを展開 している西 太平洋 の 両 雄で、世界 第二、第三 の経済大国 の地位を占 めているに もかか わ ら ず、両国は 釣魚台列島 の領有に直 面すると、 祟りかある いは呪 い か がかけられ るように、 アメリカの 一駒に過ぎ なくなって しまう の である。 智慧に優れ た両民族な ら、事態の 不毛性を見 極めうるだ ろう。 そ し て台湾が練 り上げた「 東シナ海平 和イニシア チブ」は見 つめ直 す に値するだろう。 ( 寄 稿 :2013 年 11 月 14 日、採用:2013 年 12 月 9 日)

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釣魚台列嶼(尖閣諸島)之歸屬問題探討

-聚焦對日領有之質疑-

春 宜

(國立高雄第一科技大學應用日語系副教授)

【摘要】

2012 年 9 月 11 日、日本政府將釣魚台列嶼國有化,此舉再度引爆 台 、中、日三 方對該列島 領有權之爭 議,進而使 中日兩國關 係降到 建 交40 年來的最低點。安倍晉三就任首相重新取得政權,非但未將情勢 緩 和,反而採 取更為強硬 措施,雙方 對抗,攻防 之態勢形成 。譬如 , 日 本試圖聯合 菲律賓、越 南、甚或印 度等與中國 存在領土爭 議問題 之 周邊國家共同對抗中國。 有 關釣 魚台列 嶼之 歸屬, 日本 的官方 聲明 是「蓋 不存 在須待 解決 之 領土問題」 。果真如此 ?透過對明 、清兩朝之 記錄,日本 將之劃 歸 其 版圖之經緯 、國際法、 國際海洋法 、地質、地 理、歷史等 之驗證 , 應屬中華民國台灣,實屬無誤。 1970 年代之後,該列島所以成為日本之有效管轄,乃肇因於美國 之 誤認。其中 牽連戰爭前 後國力之消 長、國共分 裂、東西冷 戰、美 國 的信託統治等背景,使本案更添複雜多變因素。 關鍵字:國有化、釣魚台列嶼、無主地先佔、琉球群島、領有權

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Whose Islands Are They? An Examination of

Japan’s Claims over the Diaoyutai (Senkaku)

Islands

Chuen-Yi Wu

Associate Professor, Department of Japanese, National Kaohsiung First University of science and technology

Abstract】

On September 11th, 2012, the Japanese government nationalized the Diaoyutai Islands, which once again caused a sovereignty dispute between Taiwan, China, and Japan. Subsequently, anti-Japan demonstrations sprung up in every corner of China and the Beijing government expressed strong objections by sending ocean surveillance ships into the seas of the Diaoyutai Islands. On the other hand, the Japanese Liberal Democratic Party government, which regained political authority later in the year, took even tougher measures, such as participating in the anti-China group, whose members include the Philippines, Vietnam, Indonesia, and even India, all of which have long-term territorial disputes with China.

This study challenges the Japanese government’s claim that “territorial disputes between Taiwan, China, and Japan do not exist” by exploring the history, geology, treaties, international law, law of the sea, and declarations of Japan before and after World War II. Our findings show that the Ryukyu Dynasty and China agreed with the Black Ditch (Ryukyu Trench) as a mutual territorial bond. Since the Diaoyutai Islands are located to the west of the Black Ditch, China undoubtedly has sovereignty. Japan seized Taiwan and the Diaoyutai Islands after the victory of the Sino-Japan War, and therefore the current sovereignty should go to Taiwan. Japan’s long-term administration of the Diaoyutai Islands is definitely illegal.

Keywords: Nationalization, Occupation, Rightward trend, Ryukyu Islands,

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〈参考文献〉 井上清『「尖閣」列島―釣魚諸島の史的解明』(第三書館、1996 年)。 浦野起央、劉甦朝、植栄辺吉編修『釣魚臺群島(尖閣諸島)問題・研究資料匯編』(香 港:勵志出版社、刀水書房共同出版、2001 年 9 月)。 村田忠禧『尖閣列島・釣魚島問題をどう見るかー試される21 世紀に生きるわれわれの 英知』(花伝社、2010 年 10 月初版第 2 刷)。 村田忠禧『日中領土問題の起源―公文書が語る不都合な真実』(花伝社、2013 年 6 月)。 NHK NEWS WEB「尖閣諸島の日本返還巡る米の録音記録」2013 年 6 月 7 日、http://www3. nhk.or.jp/news/html/20130607/t10015132821000.html。 外務省「尖閣諸島について」2013 年 3 月、第 12 頁参照。検索日:2013 年 8 月 10 日、 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/pdfs/senkaku.pdf。 外務省「尖閣諸島についての基本見解」2013 年 8 月 9 日、http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ senkaku/kenkai.html。 中華民國外交部「中華民國對釣魚台列嶼主權的立場與主張」、検索日:2013 年 8 月 9 日、 http://www.mofa.gov.tw/official/Home/Detail2/a09cd75e-9b57-4ad3-8556-156be329fe76?T opicsUnitLinkId=6e83b95d-6426-4bbc-8c19-074d9c540328。 中國國務院新聞辦公室「《釣魚島是中國的固有領土》白皮書」、検索日:2013 年 8 月 9 日、 http://www.scio.gov.cn/zfbps/ndhf/2012/Document/1225272/1225272.htm。 丘宏達『現代國際法』(台灣:三民書局、2001 年)。

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參考文獻

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