中日関係の 40 年とその変遷
―1972 年から 2012 年まで―
楊 鈞 池
(台湾・高雄大学政治法律学科副教授)【要約】
今年(2012 年)は中日国交正常化 40 周年である。国交正常化当時 の田中角栄首相が訪中してからこれまで、2 国間関係においては通商 か ら外交、安 全保障戦略 まですべて 、極めて大 きな変化と コント ラ ストを見せた。中日双方は2012 年の「中日国民交流友好年」のキャ ッ チフレーズ を、「新た な出会い、 心の絆(中 文:新的相 遇、心 的 紐帯)」と定めた。これは中日関係がすでに、単なる 2 国間のもの か ら、相互に 依存し合う 交流関係と なったこと を指すと同 時に、 中 日 関係にはこ れから新た な進展があ ることを意 味している 。しか し な がら、両国 間では、グ ローバルま たは東アジ アの戦略的 な競争 に お いて、関係 に微妙な変 化が生まれ 、双方の政 治または安 全保障 の 側 面において 構造的な矛 盾を招く可 能性も出て きた。中日 間では 歴 史 や領土とい った要素に よりさまざ まな摩擦や 衝突が起こ るのは 避 け られないこ とではある が、このよ うな可能性 を取り除く という 観 点 に基けば、 両国のリー ダーは必ず 政治的な知 恵をもって 、中日 、 お よび東アジ ア地域の政 治と安全保 障に関する 不安定なリ スクを 抑 えなければならないのである。 キ ーワ ード: 中日関係、戦 略的互恵関 係、日本の 外交政策、 中国 の 外交政策一 はじめに
今年(2012 年)は中日国交正常化 40 周年である。国交正常化当時 の田中角栄首相の訪中からこれまで、2 国間の関係においては通商か ら 外交、安全 保障戦略ま ですべて、 極めて大き な変化とコ ントラ ス ト を 見 せ た 。 関 連 す る 学 術 論 文 は 非 常 に 多 い が 、 「 一 山 二 虎 」1 や 「政冷経熱」2、「中国の台頭」3、また「日本政治の右傾化」4 とい っ た表現では 、明確かつ 完全に中日 関係の特性 を言い表す ことは で きない。一方で、中日双方が2012 年の「中日国民交流友好年」のた めに定めたキャッチフレーズ「新たな出会い、心の絆」5(中文:新 的相遇、心的紐帯)も、中日関係が単なる 2 国間のものから、相互 に 依存する交 流関係とな ったことを 意味してい る。しかし ながら 、 日 本の国際交 流基金の小 倉和夫前理 事長が指摘 するように 「日中 は 過 去 の し が ら み か ら 解 放 さ れ る こ と が 必 要 」6 であり、中国人民政 治 協商会議外 事委員会主 任委員の趙 啓正主任の 言うように 、「( 中 日 双方は福島 第一原子力 発電所の) 事故の教訓 を共有し、 中日の 新 しい協力体制を構築しなければならない」7 のである。 本論文の主な内容は以下の通りである。中日の 2 国間関係ゆえに1 林添貴譯、Richard C. Bush 著『一山二虎:中日關係的現狀與亞太局勢的未來』(台北: 遠流出版社、2012 年)。 2 劉江永『中國與日本:變化中的 “政冷經熱” 關係』(北京:人民出版社、2007 年)。 3 讀賣新聞中国取材団『膨脹中国』(中央公論社、2006 年)。 4 張廣予『冷戰後日本的新保守主義與政治右傾化』(北京:北京大學出版社、2007 年)。 5 日本國駐華大使館『2012 中日國民交流友好年』、 http://www.cn.emb-japan.go.jp/cul_edu/jc40th.htm。 6 「日中文化交流成為當今世界的公共財富、日中邦交正常化 40 周年紀念研討會(I)概 要」『走進日本』、http://www.nippon.com/cn/features/c00708/。 7 同上。
生 ずる衝突や 協力といっ た側面や議 題などに共 通して存在 する現 象 は 、各自の政 治や経済、 社会など発 展の度合い に関わる問 題であ る と 同時に、国 際情勢の変 化が互いの 間や東アジ ア地域の秩 序にも た ら す影響にも 関わるとい うことであ る。より重 要なのは、 双方が こ の ような動的 な変化に対 し、それぞ れ異なる理 解を持って いるこ と が、時には相互の交流関係にも響くということである。 1 1972 年中日国交正常化およびその後の発展の分析 早稲田大学の毛里和子教授は、1972 年の中日国交正常化は、1971 ~72 年の米中接近の結果だとの見方を示す8。中国の研究者は、米国 が ベトナム戦 争の泥沼の 深みにはま り、ソ連の 脅威に対抗 するた め 中国との接近を願ったと認識している。例えば、1971 年には「ピン ポ ン外交」を 通じ、米国 のニクソン 大統領の訪 中が実現し た。こ う い った状況に 衝撃を覚え た日本では 、中国との 国交正常化 の呼び 声 が高まったのである9。1972 年 9 月、中日両国は半世紀余りの戦争・ 対立状態、冷戦下における20 数年の対峙という「不正常な状態」を 終結させ、外交関係を再構築した。 中 華人民 共和 国と日 本は 国交樹 立以 降、政 府が 主導す る形 で関係 を積極的に発展させ、経済や文化、科学技術などさまざまな分野で2 国間協力を展開した。1978 年 8 月 12 日、両国は「中日平和友好条約」 を締結し10、同年10 月 22 日には中華人民共和国の鄧小平国務院副総
8 徐顯芬譯、毛里和子著『中日關係-從戰後走向新時代』(北京:社會科學文獻出版社、 2006 年)、頁 43。 9 劉江永『中日關係二十講』(北京:中國人民大學出版社、2007 年)、頁 31。 10 1972 年の「日中共同声明」、1978 年の「日中平和友好条約」、1998 年の「平和と発展 のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言」は、中日国交に おける 3 つの政治文書。中日両国の友好協力関係発展のための基本原則を述べてお
理が訪日し、翌23 日に日本と平和友好条約の批准書を交換した。し か しながら、 鄧小平が訪 日する直前 、日本の靖 国神社は秋 季例大 祭 を行った際に、A 級戦犯 14 人を正式に合祀することとした。これに ま つわる争議 は、その後 の中日の交 流のプロセ スにおいて しばし ば 見ることができる。しかし、1989 年の天安門事件までは、中日関係 は 基本的には 急速に、か つ友好的な 方向に発展 した。特に 経済・ 貿 易関係では密接な交流が進んだ。 1979 年 12 月 5 日、日本の大平正芳首相が中華人民共和国を訪問し、 初めて中国側に政府開発援助(ODA)の資金提供を申し入れた。1980 年4 月には、双方が初めて日本から中国への円借款協定を交わした。 日本によるODA は、円借款、無償資金協力、技術協力で、うち円借 款の規模が最も大きい。1980 年から 2003 年までの間、中国は日本の 援助対象国として最大または2 番目であった。また、日本の ODA は 中 日の経済貿 易関係を形 成する重要 な部分であ り、中国の 改革開 放 初 期の経済建 設において 、「雪中送 炭(闇夜に 提灯)」的 な役割 を 果たした11。日本政府からみると、ODA は一方で中国の改革開放事 業 と経済建設 を支援し国 民感情を改 善、もう一 方では日本 企業に 中 国 市場参入の チャンスを より多く提 供し、経済 ・貿易面で の相互 協 力を促した。中国の研究者、金熙徳はこれに関し、日本のODA 戦略 の 当初の理念 は、中国の 潜在市場を 巨大な現実 の市場にす ること で あ り、「中国 特需」は日 本経済再生 の重要なけ ん引力とな ったと 分 析した12。 日本の ODA は中日双方に利益をもたらすという長所もあったが、
り、中日関係の政治的基礎となっている。劉江永、前掲書、頁36 を参照。 11 金熙德(主編)『21 世紀的中日關係』(重慶:重慶出版社、2007 年)、頁 312~313。 12 金熙德、前掲書、頁 314。
両 者の関係の 変化に伴い 、中日政治 摩擦の火種 の一つとも なるこ と もあった13。中国の研究者、金熙徳によると、1980 年代中期以降、 日本が「政治大国化」の足取りを早めるにつれ、対中ODA 政策の政 治色が深まり続けた。日本は1995 年には中国の核実験を理由に無償 資金協力を凍結し、1996 年には中国による台湾付近での軍事演習を 理 由に、円借 款交渉を先 送りした。 金熙徳は日 本の右翼と 右翼メ デ ィアが対中円借款問題を取り上げ、中国の経済成長率が比較的高く、 軍 事費の大幅 な増大と中 国が他国政 府に援助を 提供してい るなど の 理由で、対中ODA は「できるだけ早く卒業」すべきであるという論 陣を張って大騒ぎし、反中世論を煽ったと指摘している14。 毛里和子はこれについて、日本の研究者も2000 年から対中援助に 疑問を呈し始めたとみている。同年12 月、日本では「21 世紀に向け た 対中経済協 力のあり方 に関する懇 談会」が提 言を出し、 日本経 済 の停滞や対外援助を取り巻く世論の変化、中国経済の急成長を鑑み、 日 本の今後の 経済援助は 環境保護や 貧困問題克 服、医療・ 保健、 人 材 育成などに 重点を移す べきだとし ている。ま た、中国の 市場経 済 化へのたゆまぬ努力を支援し、軍備増強など「ODA 大綱」の原則に 合 致しないよ うな状況が 現れないよ う注意しな ければなら ないと 指 摘した15。 日 中関係 が国 交正常 化か ら、友 好的 な協力 に向 かって 進ん でいた ものの、両国の間にはさまざまな問題における確執が存在した。1982 年 6 月、文部省による中学・高校の歴史教科書検定で、日本の「侵 略 」が「進出 」にあらた められ、中 国と韓国は これを非難 した。 同
13 金熙德、前掲書、頁 317。 14 金熙德、前掲書、頁 317~318。 15 毛里和子、前掲書、102 ページ。
年9 月 26 日、鈴木善幸首相が中華人民共和国を訪問し、「日中関係 は すでに成熟 した段階に 入り、教科 書問題につ いて日本政 府は『 日 中 共同声明』 の精神に基 づいて解決 する」と表 明した。し かしな が ら 、歴史問題 は一貫して 両国の確執 が休まるこ とのない問 題の一 つ となっている。 歴史認識をめぐり起きるもめごとには、日本の首相や重要な閣僚、 政 治家の靖国 神社参拝に より生じる 問題がある 。中曽根康 弘首相 は 中国共産党の胡耀邦総書記を日本に招き、中日青年3,000 人交流計画 を実現し、中曽根首相時期にはより大規模な円借款計画を提供した。 その一方で、中曽根首相は 1985 年 8 月 15 日に靖国神社を公式に参 拝 し、中国官 民の激しい 批判にさら された。中 曽根首相の 靖国神 社 参拝問題や、1984 年と 1985 年に発生した中国の対日貿易赤字問題に より、1985 年 9 月 18 日から、中国の学生は「日本の軍国主義反対」、 「 中曽根政権 打倒」、「 靖国神社参 拝反対」、 「日本の経 済侵略 反 対 」、「日本 製品ボイコ ット」とい ったスロー ガンを掲げ 、激し い 反日運動を繰り広げた。 全体的に見れば、1970 年から 1990 年まで、中日関係は極めて緊密 であった。1980 年代後半から歴史や経済での摩擦などはあったもの の 、中日双方 は総じて抑 制的な態度 を採りつつ 、経済関係 の拡大 を 強く望み、対立の局面を避けることができた。鄧小平は1979 年 5 月 31 日に自民党の衆議院議員であった鈴木善幸氏と会見し、釣魚台(日 本 名:尖閣諸 島)に関し 「争議を棚 上げし、共 同開発する 」とい う 提 言と手法を 採るよう提 示した。中 国側の研究 者によると 、鄧小 平 にとって中日関係とは、全く問題がないわけはないが、「中日友好」 が 両国関係の 「大局」で あるからし て、「問題 」により「 友好」 を
壊 すことがあ ってはなら ず、「局部 」によって 「大局」を 覆すこ と があってはならないというものだった16。 中 日間の この 時期の 良好 な政治 的関 係は、 両国 の経済 関係 を新た な高みに押し上げた。中日貿易総額は1978 年の 10 億 3,000 万米ドル から 1993 年の 390 億米ドルに成長した。1983 年から 1993 年の 10 年間、中日貿易総額は年平均14.6% のスピードで成長し、日本は中 国 にとって最 大の貿易パ ートナーと なった。両 国の文化交 流や人 材 の往来、姉妹都市の締結など地方交流でも大きな進展が見られた。 1990 年代には国際秩序がポスト冷戦時期に入り、中日関係も緊密 な関係から徐々に構造的な変化が生まれた。この時期は大きく 2 段 階に分けられる。第一段階は1990 年から 2000 年で、中日関係は友 好 的な協力関 係から、歴 史認識や中 国の軍拡、 台湾問題、 安全保 障 戦 略 な ど 各 種 の 問 題 に お い て 徐 々 に 齟 齬 が 出 現 し た 。 第 二 段 階 は 2000 年から 2006 年までで、この時期の中日関係は上述の問題により 激 しい確執が 生まれたの みならず、 「政冷経熱 」といった 状況ま で 出現した。その後の第三段階は2006 年以降で、中日両国は新たな関 係―戦略的互恵関係―の発展、すなわち対話と協力を通じた両国関 係 の強化を試 みた。しか し、中日両 国の関係の 進展はより 複雑化 す る状況に陥っている。 2 1990 年代から 2000 年まで:友好と確執の間で 1989 年 1 月 7 日、天皇陛下が死去した。同年 2 月 24 日、中華人民 共 和国外交部 の銭其琛部長は楊尚昆国家主席の特使として、裕仁 天 皇の葬儀に参列した。1989 年 4 月 12 日、中華人民共和国の李鵬国務 院 総理が訪日 し、日本の 明仁天皇と 会見し、中 日間の不幸 な歴史 に
16 馮昭奎・林昶『中日關係報告』(北京:時事出版社、2007 年)、頁 377。
言 及した際、 初めて天皇 が「遺憾で ある」とし て遺憾の意 を表明 し た。 天 安門事 件以 降、日 本は 中国政 府に 対し、 第三 次対中 円借 款を凍 結するなど経済制裁を実施した。1990 年 7 月 11 日、日本の海部俊樹 首相は先進7 か国首脳会議で、中国への円借款再開を宣言した。1991 年8 月 10 日、海部首相は北京を訪問し、当時の中国が置かれていた 国 際外交上に おける孤立 という局面 を改善し、 中日関係で も政府 レ ベルで中日国交正常化以来の友好的な協力関係を回復させた。 1992 年 4 月 6 日、中国共産党の江沢民中央総書記が訪日し、天皇 皇后両陛下の訪中を招請し、10 月 23 日に両陛下は、歴史上初めて日 本の天皇による訪中を果たした。1995 年 5 月 2 日、日本の村山富市 首 相が中国を 訪れ、初め て盧溝橋と 中国人民抗 日戦争記念 館を見 学 した。8 月 15 日、村山首相は戦後 50 周年の際に、日本政府を代表し て 歴史問題に ついての談 話を発表し 、歴史の事 実に謙虚に 向き合 い 正 視すること が必要だと 明確に表明 し、これに ついて深い 反省と お 詫 びを表明す ると述べた 。これはの ちに「村山 談話」と呼 ばれる よ うになった。 だ が、「 村山 談話」 の前 後、中 日関 係には さま ざまな 問題 におけ る 確執が表面 化し始めた 。特に中日 関係に影響 を及ぼす国 内外の 環 境 の変化に伴 い、中日関 係は新たな 複雑な発展 の段階に突 入した 。 こ の段階にお いては中日 両国の間に 、歴史や台 湾、領土、 安全保 障 といった問題において極めて大きな論争が生まれた。 1994 年 6 月、永野茂門法務大臣がメディアのインタビューに対し、 「 南京大虐殺 はでっち上 げと思う」 と表明した 。永野法相 はただ ち に 辞任の意を 表明したが 、中国のメ ディアは「 日本の軍国 主義復 活 に対する憂慮」ありと批判した。1995 年 8 月 29 日に日本政府は中国 の 核実験に抗 議し、中国 に対する無 償資金援助 計画を大幅 に削減 し
た。1996 年 7 月からは、日本の右翼団体メンバーが前後して 4 度釣 魚 台に上陸し 、中国や香 港の「保釣 運動(尖閣 諸島の中国 領有を 主 張する反日活動)」を引き起こした。1996 年 7 月 29 日に橋本龍太郎 首相が靖国神社を参拝し、1985 年の中曽根首相以来、現職総理が参 拝しないという了解事項を反故にした。1997 年 9 月、橋本首相は訪 中し、同年11 月に中国の李鵬総理が訪日した。これは中日国交樹立 25 周年を記念して行われた相互訪問活動であったが、両国間では日 米防衛協力の新たなガイドラインといわゆる「極東有事」17 といっ た問題で論争が起こった。1998 年 4 月 21 日、胡錦濤国家副主席が訪 日 し 、 中 日 関 係 の 発 展 は 「 歴 史 を 鑑 と し. 未来に目を向ける(以史 為 鑑、面向未 来)」こと が必要だと 強調したが 、その訪問 が中日 関 係の悪化の局面を変えることはなかった。 1998 年 11 月 25 日、江沢民国家主席が訪日し、これは中華人民共 和 国の国家元 首による初 の訪日とな った。双方 は「日中共 同宣言 」 を 発表し、「 平和と発展 のための友 好協力パー トナーシッ プ」の 構 築に取り組むことを宣言した。これは中日関係における 3 つ目の政 治 文書となっ た。しかし 、江沢民の 訪日の間、 日本は中華 人民共 和 国 が期待した ように、日 本の中国侵 略という文 言を共同宣 言に取 り 入 れることは なく、中国 への侵略に 対し正式に 謝罪するこ とはな か っ た。これは 同年の日本 による韓国 に対する謝 罪とは明確 な対比 を 見せた。 1996 年、日本は中国が台湾海峡においてミサイルを試射したこと
17 日米防衛協力のための指針には「地域の有事」に関する規定がある。1997 年の新指 針について協議するまで、いわゆる「地域」とは日本とその周辺地域を指していた。 しかし、1997 年の新指針には特に「地域」の範囲を拡大するとは明記されていない が、「周辺事態」の概念により「地域の範囲」が説明されている。中国側はこの事態 の概念は、中国を念頭に置いたものであるとみている。
に対して抗議し、これをきっかけに一部世論ははばかることなく「中 国 脅威論」を 広めた。日 本は「中国 脅威論」に 対応するた め、日 米 同盟関係がポスト冷戦期の初めに「同盟漂流」18 に陥っていたが、 中国の核実験や台湾海峡のミサイル発射などの情勢に伴い、1996 年 に 日米は「日 米安全保障 共同宣言」 を発表し、 翌年には新 たに「 日 米 防衛協力の ための指針 」を定め、 ポスト冷戦 期の日米同 盟体制 の 再 定義とあら たな位置付 けを行った 。冷戦期と 比べ、日米 の新た な 同盟体制は明らかに中国に焦点を当てる傾向にある。 日 本と中 国の 歴史、 台湾 、領土 、安 全保障 など の分野 にお ける確 執 は、中日間 の絶え間な い政治的摩 擦を招くほ か、中日の 友好関 係 を 深刻に損な っている。 両国の一般 大衆の友好 感情もこれ に影響 さ れ、徐々に悪化している。このように1990 年代の中期には中日関係 は低迷に陥り、複雑で目まぐるしい「誤解」の状態に置かれた19。 中 日関係 にお いて、 ポス ト冷戦 期に みられ たこ のよう に大 きな変 化 の主な原因 は以下に述 べる通りで ある。まず 、国際的な 環境か ら みれば、冷戦の終結、特にソ連邦の解体により、中日米3 カ国の「連 携 してソ連を 抑制する」 という協力 の基礎が消 滅してしま った。 新 た な戦略の基 礎が欠けた 中日関係は 、これに伴 い不安定な 状態に 陥 っ た。次に、 日本国内の 政治的な生 態変化の影 響がある。 冷戦の 終 結 後、日本社 会の「全体 的な保守化 」、「右傾 化」により 、日本 の 社 会党や共産 党といった 「革新勢力 」が弱体化 されるとと もに、 日 本 国内の民間 の日中友好 運動の原動 力が、国交 正常化以来 最も弱 ま っ てしまった 。また一方 で、冷戦の 終結後、日 本の新しい 世代の 政
18 船橋洋一『同盟漂流』(東京:岩波書店、1997 年)。 19 陳來勝譯、杜浩(R. F. Drife)著『冷戰後的中日安全関係』(北京:世界知識出版社、 2004 年);岡部達味『日中關係の過去と將來-誤解を超えて』(岩波書店、2006 年); 王敏『日本と中國-相互誤解の構造』(中央公論新社、2008 年)。
治家20 が相次いで政界入りした。こういった人々は上の世代の政治 家 と違い、中 日交流の歴 史に対する 切実な実感 がなく、あ ってし か るべき理解が欠け、中国に対する贖罪意識も薄い。彼らは二度と「歴 史 の重荷」を 負いたくな いと願い、 現実的な国 家利益に基 いて中 日 関係の新たな位置付けを求めた。 さらに、中国の台頭も中日関係の発展に深刻な影響を与えた。1992 年 の鄧小平の 「南巡講話 」以来、中 国の改革開 放は新たな 段階に 突 入 した。これ と同時に、 バブル経済 の崩壊に伴 って日本経 済は戦 後 最 大の深刻な 低迷に陥っ た。中国の 急成長と日 本の長期に 渡る不 況 は 、両国の実 力の対比に 変化をもた らしたほか 、一般大衆 の心理 に も変化が生まれた21。日本人は自信を喪失し挫折、あせりや不安を覚 え た。中国人 は自信を増 大させ、お ごりも生ま れた。中日 両国の 一 般大衆のこのような心理的な変化は、必然的に両国の関係に反映し、 ここから両国の関係に影響を及ぼした22。 簡 単に言 うと 、ポス ト冷 戦期に おけ る日本 の対 中政策 の基 本は、 依 然として対 話の強化を 通じて中日 関係の安定 的な発展を 図るこ と で あった。こ れは日本の 経済的な利 益や地政学 な戦略、政 治大国 と いう目標の追求といった要素に関わるものである。中国にとっても、 中 日関係の発 展は国家的 な利益に合 致するもの であった。 江沢民 は か つて、中日 両国の人民 は隣り合わ せに住んで いるため、 中日は 友
20 吳寄南『日本新生代政治家』(北京:時事出版社、2002 年);李建民『冷戰後日本的 “普 通國家化” 與中日關係的發展』(北京:中國社會科學出版社、2005 年);陳峰(主編) 『日本社會政治生態變化與中日關係』(北京:世界知識出版社、2007 年);黃大慧『日 本大國化趨勢與中日關係』(北京:社會科學文獻出版社、2008 年)。 21 李琳譯、津上俊哉著『中國崛起-日本該作些什麼?』(北京:社會科學文獻出版社、 2006 年)。 22 魯義『中日相互理解還有多遠』(北京:世界知識出版社、2006 年)。
好 関係を強め ると決心し 、中日両国 はさらに仲 良く付き合 えるは ず だ と述べた。 両国はアジ ア地域にて 重要な関係 にあり、ア ジアの 振 興のために協調と協力を強化しなければならないのである23。 3 2000 年から 2009 年まで:衝突から戦略的互恵関係へ 2000 年に入ってから、中日関係にはより複雑で激しい摩擦状態が 生まれた。このわずかな数年内、特に小泉純一郎首相が連続 6 回に わ たり靖国神 社を参拝し たことは、 中日関係を 政治的な硬 直状態 に 陥 らせた。両 国高官の相 互訪問は中 断し、国民 感情は冷え 込み、 中 日関係は国交正常化以来最も複雑な局面に直面することとなった。 2001 年 9 月 11 日のアメリカ同時多発テロ事件以来、米国は同盟国 へ 積極的に、 弾道ミサイ ルや核兵器 、生物兵器 など大量破 壊兵器 と 関 連の生産技 術および運 搬方法の拡 散防止を呼 びかけた。 日本政 府 は 米 日 両 国 に よ る 1999 年 の 弾 道 ミ サ イ ル 防 衛 シ ス テ ム ( BMD、 Ballistic Missile Defense)の共同研究・開発の決定に引き続き、あら た めて双方が 大量破壊兵 器の拡散の 防止で双方 が協力し、 米国と 共 同 で「対テロ 協力」を進 めることを 決定した。 しかし、中 国は日 本 が 米国との対 テロ協力を 利用し、自 衛隊を海外 に派遣し軍 事行動 に 移し、日本の憲法の規定を超越するものだとの認識を示した。 2004 年 11 月、中国の人民解放軍に所属する原子力潜水艦が日本の 南 部海域の領 海に入り込 み、母港に 帰るという 事件が起き た。日 本 政 府は中国軍 が国際法に 違反して秘 密裏に日本 の領海に侵 入した と 非難し、海上自衛隊を派遣して追尾した。 2005 年に中国国内では「反日運動」が多発した。2005 年 4 月 9 日、 1 万人余りの中国の学生が、北京の中関村最大の商業施設に集合し、
23 馮昭奎・林昶、前掲書、頁 398。
日 本は第二次 世界大戦中 に中国に対 して犯した 悪行を認め ていな い と抗議し、日本製品の1 カ月間のボイコットを訴えた。4 月 16 日に は 上海でより 深刻なデモ が起こり、 これは規模 が最大で、 最も激 し い ものとなっ た。デモ参 加者は小泉 純一郎首相 の写真に血 痕が散 ら ばった図柄の T シャツを着用し、小泉首相を誹謗するプラカードを 手 に、日本領 事館や日本 食レストラ ン、日本メ ーカーの自 動車を 破 壊し、出会った通行人を殴打するなどした。3 週間にわたるデモによ る 抗議を経て 、北京はつ いに最後通 牒を出し、 これに類す るデモ 抗 議 活動は終止 符を打った 。このよう な「反日運 動」は主に 、日本 政 府が先ごろ認定した新たな教科書で、1937 年の南京大虐殺に簡単に 触 れるのみで 、日本が中 国に侵略し たという戦 争責任を否 認した こ と に対するも のである。 加えて、日 本の小泉純 一郎首相が 国際世 論 や その圧力を 顧みずに靖 国神社に参 拝したこと もある。よ り重要 な の は、このタ イミングは ちょうど、 国連が安全 保障理事会 の常任 理 事国のポストの増加を含む改革案を議論していたときであった。 中国で起こった「反日運動」に対し、日本側にも反発が生まれた。 日 本の世論は ますます中 国を脅威と みなすよう になり、小 泉首相 の よ うに中国に 強行的な立 場を採る政 治家の主張 を支持する ように な った24。日本の人々は中国の脅威を意識し、日本の戦後と平和憲法を 見 直し、軍事 防衛力を強 化するとい う考え方を 直視し始め た。中 国 の 研究者は、 両国はこの 段階におい て国交正常 化以来最も 難しく 低 迷 の時期にあ るとの見方 を示し、主 観的な原因 としては、 日本の 政 治 が日増しに 右傾化し、 政権を握っ ている政治 家が強硬な 対中政 策 を 行い、しき りに中日間 の論争を挑 発したこと にあるとし た。客 観
24 温洽溢譯、Susan Shirk 著『脆弱的強權-在中國崛起的背後』(台北:遠流出版社、2008 年)、頁181。
的 な原因は、 冷戦後の中 国の台頭が 始まり、日 本の政治大 国への 歩 み も加速し、 両国の戦略 が同時にシ フトチェン ジしたこと で、中 日 関 係は再調整 を必要とす る段階に進 まざるを得 なくなった ことで あ る25。つまり歴史問題と現実的な利益を考慮した結果、中日の両国関 係 の調整プロ セスは、極 めて複雑な ものとなり 、一連の矛 盾が両 国 関係に構造的な特徴をもたらしたのである。その代表的なものが「政 冷 経熱」であ る。国際関 係の専門家 は、これは 中日両国が 「権力 移 行(Power Transition)」の不確定性にどのように向き合うか、また両 者 が「不確実 な」権力移 行の過程で 採った対応 と戦略の調 整だと み た26。 2006 年 10 月、日本の安倍晋三首相は就任後間もなく、「破氷之旅 (氷を砕く旅)」と呼ばれる訪中を行った。これにより中日関係の改 善 を図り、正 常な発展の 軌道に乗せ たいと期待 したもので あった 。 安 倍首相の訪 中期間にお いて、中日 双方は両国 関係の新た な基本 的 枠 組みとして 「戦略的互 恵関係」を 構築するこ とで合意し た。安 倍 首 相が中国と 「戦略的互 恵関係」を 構築したい と提言した のは、 日 本 はすでに日 増しに台頭 する中国の 重要性を認 識し、中日 関係の 発 展 は日本の国 益に合致す ると表明す るものであ った。中国 にとっ て は 、中日の「 戦略的互恵 関係」の構 築は、戦略 的な高度で 長期的 な 角 度から中日 関係を見れ ば、中国の 改革開放や 経済建設、 政治や 社 会 の安定に直 接関わると 同時に、東 アジア地域 、ひいては 世界の 平 和、協力、発展に大きな影響を与えるものである。 2007 年 4 月、温家宝総理は日本に対する「融氷之旅(氷を融解さ
25 金熙德(主編)、前掲書、頁 22~23。
26 Mike M. Mochizuki, “Japan’s Shifting Strategy toward the Rise of China,” The Journal of
せる旅)」として、訪日を実現させた。中日双方は新たな形勢のもと の 「戦略的互 恵関係」の 内容と枠組 み、重点的 な協力分野 を確定 し た。主な内容は以下の5 点である。(1)相互に平和の発展を支援し、 政治的な相互信頼を増大させる。両国高官の往来を維持・強化する。 各 自の政策の 透明度を高 める。両国 の政府や国 会、政党の 交流と 対 話を 拡大し深め る。(2)互恵的な協力を深め、共同で発展を実現さ せ る。エネル ギーや環境 保護、金融 、情報通信 技術、智的 財産の 保 護といった分野での協力を強化し、協力メカニズムを強化する。(3) 防衛における対話と交流を強化し、共同で地域の安定に努める。(4) 人 と文化の交 流を強化し 、両国の人 々の相互理 解と友好的 な感情 を 促 進する。両 国の青少年 やメディア 、友好都市 、民間団体 の間の 交 流を 広く展開す る。(5)協調と協力を強化し、ともに地域的および 世界的な課題に対応する。 2007 年 9 月、就任した福田康夫首相は、その外交方針を「日米同 盟関係の強化とアジア外交の推進」と定めた。いわゆる「共鳴外交」 である。同年12 月、福田首相は訪中したが、これは「迎春の旅」と 呼 ばれた。中 日両国の首 脳による、 破氷、融氷 、迎春の旅 を経て 、 わずか 1 年余りの間に、中日関係は改善し続けただけでなく、良好 な 進展さえ見 られた。中 日両国は経 済・貿易、 国会、政党 、防衛 、 人・文化といった分野の交流と協力で新たな進展を成し遂げた。 2008 年 5 月、中国の胡錦濤国家主席による訪日は、「暖春の旅」 と呼ばれた。これは中国の国家主席による10 年ぶりの訪日となった。 訪 日期間中、 胡主席は明 仁天皇と会 見したほか 、福田康夫 首相と も 会 談し、戦略 的互恵関係 を全面的に 推し進める ことで広く 共通認 識 を達成した。両国は 4 番目の政治文書『「戦略的互恵関係」の包括 的 推進に関す る日中共同 声明』を発 表した。声 明では、中 日関係 は 両国にとって最も重要な 2 国間関係の一つであると指摘した。また
「 両国は、ア ジア太平洋 地域と世界 の平和、安 定、発展に 重要な 影 響 を持ち、厳 粛な責任を 負うもので ある。長期 にわたる平 和及び 友 好 のための協 力が中日両 国にとって 唯一の選択 である。双 方は互 い に 協力のパー トナーであ り、互いに 脅威となら ない」とし た。声 明 で は、中国の 改革開放以 来の発展が 日本を含む 国際社会に 大きな 好 機 をもたらし ていること に言及し、 歴史問題に 対しては前 向きな 姿 勢 を採り、戦 後の日本の 「平和国家 」としての 歩みを明確 に評価 し た。 こ の声明 は中 日両国 が双 方の新 たな 共同利 益に 基き、 大国 として の 国際的な責 任を明確に するという 基礎の上に 、新たな時 期の両 国 関 係の重要な 政治文書を 確立し、中 日関係の未 来の発展に 向けた 新 し い政治的な 基礎を打ち 立てたもの である。中 日の政治・ 経済協 力 の大前提は、平等、互恵、ウィン・ウィンであり、中国と日本は「共 同 の戦略的な 基礎の上で の互恵的協 力関係」を 明確に認識 し、こ れ を 今後の国同 士の関係発 展の基本原 則とし、両 国の関係の 成熟し た 発展を示す目印となった。 中 日の経 済関 係がよ り密 接にな るの に伴い 、経 済の相 互依 存を基 礎 に、双方相 互の利益と 互恵的な関 係を追求し 、相互の信 頼の基 礎 を 拡大、双方 の友好的な 和平関係を 構築する、 ということ が、両 国 が2006 年に戦略的パートナー関係を定めた重要な理由である。また こ れは、中国 の台頭以降 にみられた 中日関係に おける最も 特殊な 変 化である。しかし中日間には依然として論争が起こっている27。中国
27 Leszek Buszynski, “Sino-Japanese Relations: interdependence, Rivalry and Regional
Security,” Contemporary Southeast Asia, Vol. 31, No. 1 (April 2009), pp. 143~177; Christopher W. Hughes, “Japan’s Response to China’s Rise: regional engagement, global containment, dangers of collision.” International Affairs, Vol. 85, No. 4 (July 2009), pp. 837~856; James Manicom & Andrew O’Neil, “Sino-Japan Strategic relations: will rivalry
に とって、日 本がいかに 歴史問題を 処理するか 、また日本 の内部 の 右 傾化が日本 が再度、過 去の軍国主 義に向かう ことを意味 してい る の かというこ とがある。 また日米間 で中国に向 けた包囲戦 略を採 る の かといった ことが、往 々にして中 国による日 本の批判の 的とな っ て いる。日本 にとっては 、中国の台 頭は「中国 脅威論」で もあり 、 「 中国チャン ス論」でも あるかも知 れない。貿 易市場とい う角度 か ら みれば、中 国はすなわ ちチャンス である。軍 事的な角度 から評 価 す ると、中国 の軍事増強 は脅威であ る。また、 東アジア地 域にお け る 中日の衝突 は、歴史的 な角度によ り関係を見 ると、紛争 が尽き る こ とはなく、 「一山不容 二虎(一つ の山に虎は 二匹棲めな い)」 と すら言える。 レ シェク ・ブ シンス キー はかつ て、 中日関 係は 「相互 依存 の中の 対立」(Rivalry within Interdependence)と文章で述べたことがある28。
特に中日双方のリーダーとその特質は、2 国間の関係に負の影響を与 え る。日本は 小泉純一郎 首相ののち 、安倍首相 であれ福田 首相で あ れ、わずか 1 年前後で辞任し、日本が力のあるリーダーに欠けてい る ことを明示 している。 また、中国 共産党の指 導者は党内 の派閥 間 の 牽制により 、十分な権 威を持って 国内の抗議 運動を抑え られる の かという疑念を多くの人に抱かせている。 さ らに注 目に 値する のは 、両国 がこ の段階 にお いて同 時に 「海軍
lead to confrontation?” Australian Journal of International Affairs, Vol. 63, No. 2 (June 2009), pp. 213~232; Paul Smith, “China-Japan Relations and the Future Geopolitics of East Asia,” Asian Affairs, Vol. 35, No. 4 (Winter 2009), pp. 230~256; Haikuan Gao, “The China-Japan Mutually Beneficial Relationship Based on Common Strategic Interests and East Asian Peace and Stability.” Asia-Pacific Review, Vol. 15, No. 2 (November 2008), pp. 36~51.
の 実力」を高 めているこ とである、 日本は海の 軍備を発展 させて い る が、これは ある面では 米国からの 日本がより 大きなシー レーン の 防 衛と地域の 安全を守る 責任と負担 を担って欲 しいという 圧力を 受 け たものであ り、もう一 方では北朝 鮮からのミ サイルの脅 威に対 応 す るためであ る。中国の 指導者も経 済的な実力 に見合った 軍備を 追 求 するため、 積極的に軍 備の発展に 取り組み軍 事予算を増 加させ て いる29。両国が同時に軍事能力を発展させており、ともに自衛力を追 求 するのが正 しい手段で あると強調 しているた め、かえっ てこれ が 相 互に影響と 効果を生み これを強化 している。 ひいては相 手方の 手 段 や行為をも って自己の 行為を「合 理化」し、 自己の力を 拡張す る 言い訳にまでなっている。 4 民主党への政権交代後の中日関係 2009 年 9 月、日本の民主党は自民党に代わり政権の座に就いたが、 民 主党の外交 政策は自民 党と極めて 大きな差が ある。鳩山 由紀夫 首 相 は就任時に 、民主党の 外交政策は 「対等な日 米関係」、 「等距 離 の 米・日・中 関係」、「 在日米軍基 地の調整」 であると表 明した 。 言 い換えれば 、鳩山首相 は今後日本 と中国の外 交関係を強 化する と 明 らかに表明 したのであ る。しかし 、鳩山首相 は米国との 外交関 係 を 有効に処理 することが できず、極 めて大きな 政治的な代 償を払 う こ ととなった 。続いて就 任した菅直 人首相の外 交政策は比 較的実 務 的 であり、緊 密な日米関 係を維持す る一方で、 日中関係の 今後の 発 展の安定に務めるものであった。 しかし2010 年 9 月、日本の民主党代表選挙に横槍が入った。中国 の 漁船が釣魚 台の周辺水 域に進入し 、日本の海 上保安庁の 巡視船 に
衝 突したので ある。この 日本の巡視 船に拘留さ れた船舶と 船員に つ い て、中国は きわめて強 い外交的な 圧力を振る って、日本 に無条 件 で 船舶と船員 を釈放する よう求めた 。これ以降 、菅直人首 相の後 を 引き継いで就任した野田善彦首相は、2011 年 12 月の訪中時に、2012 年の中日国交正常化40 周年において、中日の戦略的互恵関係を深め るよう期待を示すとともに、6 項目の提言を出した。政治的な相互依 存を深め、東シナ海を「平和、友好、協力」の海とするよう促進し、 東日本大震災を機にした日中協力を促し、互恵的な経済関係を高め、 両 国の国民の 相互理解を 深め、地域 的・世界的 な課題にお ける対 話 と 協力関係を 強化すると いった内容 である。し かし、中日 は釣魚 台 (日本名:尖閣諸島)をめぐりますます多くの争いが生まれている。 2012 年 1 月、日本政府は尖閣諸島の 4 つの島に命名することを検 討 し、尖閣諸 島に対する 日本の主権 を示そうと した。人民 日報は こ れについて、中国の核心的な利益を損ねる行いだと表明した。3 月 2 日、日本は正式に命名したことを発表し、2010 年に施行した「低潮 線 保全・拠点 施設整備法 」に基き、 島嶼の管理 を強化する と宣言 し た。4 月 16 日、東京都の石原慎太郎都知事は、東京都の費用で尖閣 諸 島を購入し 、尖閣諸島 の公有化を 実現すると 表明した。 これに 対 し 日本の丹羽 宇一郎駐日 大使が懸念 を表明し、 これは日中 関係に 影 響 するとの認 識を示した にも関わら ず、丹羽大 使は「親中 」と批 判 を受け、その職務から更迭されることとなった。より重要なことは、 日本の野田佳彦首相は 7 月に、日本政府が尖閣諸島の購入に向けた 足取りを早めると宣言したことである。つまり尖閣諸島を「国有化」 す ると表明し たのである 。日本の政 治家の行為 と意思表明 は、当 然 な がら中国を 刺激し、政 府であれ民 間であれ強 い批判が噴 出した 。
特に2012 年は中日国交正常化 40 周年に当たっている30。 も しかす ると 、近年 の日 本と中 国の 関係は 常に 膠着状 態に あり、 双 方の外交上 の迂回の余 地も比較的 狭く、日本 はロシアや 韓国と い っ たその他の 周辺国家の 間でもこれ に類する争 議を醸し出 した。 こ の ように見る と、日本が その東アジ ア地域にお ける外交関 係を改 善 さ せたいなら ば、中国と の関係改善 は極めて重 要である。 しかし 問 題 なのは、尖 閣諸島の問 題において 、日本側の 行為は中国 により 釣 魚 台海域での 法執行の動 きを強めさ せ、双方の 関係は徐々 に悪化 の 一途をたどっていることである。 外 交折衝 のほ か、安 全保 障・防 衛の 面にお いて 、日本 の防 衛省は 離 島作戦に水 陸両用装甲 車を導入し 、尖閣諸島 を含む南西 諸島の 防 衛 力を強化す ることを決 定した。こ れは日本が 軍事的手段 の行使 を 厭 わ ず 島 嶼 問 題 を 解 決 す る と い う 決 心 を 示 し た だ け で な く 、「 専 守 防 衛」の戦後 の基本政策 の枠組みを 超越する可 能性もある ことを 示 している。日米両国は 2012 年 8 月から 9 月にかけ、「島奪還」を想 定 した共同訓 練を展開し た。日本側 は「いかな る特定の国 家を想 定 し たものでは ない」と強 調したが、 中国側はこ ういった説 明には 説 得 力がないと の認識を持 ったようで ある。加え て、日本は 東南ア ジ アなど地域の 6 カ国に地雷撤去や医療など非戦闘分野の支援を提供 し ている。こ れは国連の 平和維持活 動と国際緊 急救援活動 の参加 に 続 いて、日本 の自衛隊が 正式に海外 での活動に 乗り出した ことを 示 し ている。こ ういった姿 勢は、再び 日本の二枚 舌の外交ス タイル を 際 立たせてい る。これが 中日関係の 今後の発展 に貢献する かは見 守 る必要があるだろう。 今 後の中 日関 係を見 渡す と、も し中 日双方 が共 同の戦 略的 な利益
30 蔣立峰「釣魚島問題與中日關係」『日本學刊』(2012 年第 5 期)。
を 基礎に、双 方の互恵関 係をさらに 一歩進める と願うなら ば、現 段 階 の「政冷経 熱」の交流 モデルを徐 々に改善で きる可能性 もある 。 しかし、両国がいわゆる「安全保障のジレンマ」(Security Dilemma) に 陥ってしま えば、つま りどちらか 一方が敵対 側から防御 するた め に 対応する行 為を採って しまえば、 安心感喪失 の深みに自 らはま る こ とになる。 これがすな わちある種 の「安全保 障のジレン マ」で あ る 。なぜなら 、その国( 敵対国も同 様)は、ど こまですれ ば本当 に 国 家の安全保 障が実現で きるかを永 遠に理解す ることはな いから で ある。このように、両国の 2 国間関係改善への取り組みが「縁木求 魚(木に登って魚を探す)」ようなことになれば、東アジア地域の秩 序の安定的な発展に影を落とすことになりかねない。
二 結論
中 日国交 正常 化以来 、経 済の側 面か らみれ ば、 両国間 には 明らか に 強い相互補 完関係が存 在している 。日本は中 国にとって 最大の 貿 易パートナーで、日本の対中輸出額は2011 年には約 1,615 億米ドル、 中国からの対日輸出額は約1,834 億米ドルとなり、中日貿易総額は連 続 5 年にわたって日米間の貿易総額を上回った。投資については日 本の対中直接投資額は2011 年に 63 億 5,000 万ドルとなり、首位とな っ ている。中 日経済の相 互依存関係 はこのよう にますます 緊密に な っ ている。日 本からみれ ば、中日の 経済関係は 日本に一定 の経済 的 な 利益をもた らしている が、日本の 戦略上のラ イバルとな る可能 性 もある。2011 年には中国は経済規模で日本を超え、世界第 2 の経済 大国となった。2 国間の戦略的な競争関係にも微妙な変化が生まれ、 双 方の政治ま たは安全保 障面におい て構造的な 矛盾を生む 可能性 も あ る。そこで 、このよう な可能性を 取り除くた め、中日双 方は歴 史 や 領土といっ た要素から 生まれる摩 擦や衝突を 避け、中日 および アジ ア太平洋地 域の政治と 安全保障に おける不安 定なリスク を低減 す るべきではないだろうか。
( 寄 稿 :2012 年 8 月 15 日、採用:2012 年 9 月 24 日) 翻 訳 : 津村 あい ( フ リー ラン ス 翻 訳者 )
中日關係 40 年的歷史變遷及其分析
―從 1972 年到 2012 年―
楊 鈞 池
(台灣・國立高雄大學政治法律學系副教授)【摘要】
今年(2012 年)是中日關係正常化 40 周年,從當年田中角榮前首 相 訪問中國大 陸至今,兩 國關係,無 論是在經貿 、外交、或 是安全 戰 略等,皆出現相當大的轉變與對比。中日雙方確定2012 年為「中日國 民 交流友好年 」的口號- 「新的相遇 ,心的紐帶 」(新たな 出会い , 心 の絆),說 明中日已經 從單純的雙 邊關係發展 到相互依存 的互動 關 係 ,也意味中 日關係將有 新的發展。 然而,兩國 在全球或東 亞戰略 競 爭 關係上出現 微妙的變化 ,也有可能 導致雙方在 政治或安全 層面出 現 結 構性矛盾。 因此,基於 化解這樣的 可能性,中 日雙方雖然 不可避 免 地 因為歷史、 領土等因素 而出現不同 的摩擦和衝 突,然而兩 國領導 人 還 是必須透過 政治智慧來 降低中日及 東亞區域政 治與安全的 不穩定 風 險。 關鍵字:中日關係、戰略互惠關係、日本外交政策、中國外交政策Changes in the Relations between
Japan and China: From 1972 to 2012
Chun-Chih Yang
Associate Professor, Department of Government and Law, National University of Kaohsiung
【Abstract】
This year (2012) is the 40th anniversary of the normalization of diplomatic relations between China and Japan. After the shock visit to China by Japanese former Prime Minister Kakuei Tanaka, relations between China and Japan since then has had considerable changes and contrasts, whether in economy, foreign trade, diplomatic affairs, or security and strategic relations. As 2012 is the “Friendship Year for Japan-China People-to-People Exchanges”, Sino-Japan relations have developed from the bilateral relations to interdependent relationships. However, subtle changes in the strategic competition between the two countries may lead to a structural contradiction in political or security issues. Therefore, although potential conflicts could arise from historical and territory issues, both sides should exercise political wisdom and seek to develop a stable and future-oriented Sino-Japanese relations.
Keywords: Sino-Japanese Relations, Strategic and Mutually Beneficial
〈参考文献〉 岡部達味『日中關係の過去と將來-誤解を超えて』(岩波書店、2006 年)。 讀賣新聞中国取材団『膨脹中国』(中央公論社、2006 年)。 「日中文化交流成為當今世界的公共財富、日中邦交正常化40 周年紀念研討會(I)概要」 『走進日本』、http://www.nippon.com/cn/features/c00708/。 日本國駐華大使館『2012 中日國民交流友好年』、 http://www.cn.emb-japan.go.jp/cul_edu/jc40th.htm。 王敏『日本と中國-相互誤解の構造』(中央公論新社、2008 年)。 吳寄南『日本新生代政治家』(北京:時事出版社、2002 年)。 李建民『冷戰後日本的 “普通國家化” 與中日關係的發展』(北京:中國社會科學出版社、 2005 年)。 李琳譯、津上俊哉著『中國崛起-日本該作些什麼?』(北京:社會科學文獻出版社、2006 年)。 林添貴譯、Richard C. Bush 著『一山二虎:中日關係的現狀與亞太局勢的未來』(台北:遠 流出版社、2012 年)。 金熙德(主編)『21 世紀的中日關係』(重慶:重慶出版社、2007 年)。 徐顯芬譯、毛里和子著『中日關係-從戰後走向新時代』(北京:社會科學文獻出版社、 2006 年)。 張廣予『冷戰後日本的新保守主義與政治右傾化』(北京:北京大學出版社、2007 年)。 陳來勝譯、杜浩(R. F. Drife)著『冷戰後的中日安全関係』(北京:世界知識出版社、2004 年)。 陳峰(主編)『日本社會政治生態變化與中日關係』(北京:世界知識出版社、2007 年)。 黃大慧『日本大國化趨勢與中日關係』(北京:社會科學文獻出版社、2008 年)。 劉江永『中日關係二十講』(北京:中國人民大學出版社、2007 年)。 劉江永『中國與日本:變化中的 “政冷經熱” 關係』(北京:人民出版社、2007 年)。 蔣立峰「釣魚島問題與中日關係」、『日本學刊』(2012 年第 5 期)。 魯義『中日相互理解還有多遠』(北京:世界知識出版社、2006 年)。 温洽溢譯、Susan Shirk 著『脆弱的強權-在中國崛起的背後』(台北:遠流出版社、2008 年)。
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