20
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11
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年
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3
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月
月
24
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日
日
教師 石丸雅邦
教師 石丸雅邦
國立高雄大學
國立高雄大學
東亞語文學系
東亞語文學系
「日本近
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(
(
現
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)
)
代史」
代史」
第
第
4
4
堂
堂
明治維新後の改革
明治維新後の改革
18681868年(明治元年) 明治維新年(明治元年) 明治維新 18691869年(明治年(明治 22 年) 東京奠年) 東京奠 都、五稜郭の戦い、版籍奉還 都、五稜郭の戦い、版籍奉還 18711871年(明治年(明治 44 年) 廃藩置年) 廃藩置 県、岩倉使節団派遣 県、岩倉使節団派遣 18721872年(明治年(明治 55 年) 学制、年) 学制、 太陽暦採用 太陽暦採用 18731873年(明治年(明治 66 年) 徴兵令年) 徴兵令 、地租改正、征韓論問題(明治 、地租改正、征韓論問題(明治 六年政変) 六年政変) 18741874年(明治年(明治 77 年) 民選議年) 民選議 院設立建白書、台湾出兵 院設立建白書、台湾出兵 18751875年(明治年(明治 88 年) 大阪会年) 大阪会 議、樺太千島交換条約、江華島 議、樺太千島交換条約、江華島 事件、日清修好条規調印、秩禄 事件、日清修好条規調印、秩禄 処分、国立銀行条例 処分、国立銀行条例 18771877年(明治年(明治 1010 年) 西南戦年) 西南戦 争 争 18781878年(明治年(明治 1111 年) 竹橋事年) 竹橋事 件 件 18811881年(明治年(明治 1414 年) 開拓使年) 開拓使 官有物払下げ事件、明治十四年 官有物払下げ事件、明治十四年 の政変 の政変 18841884年(明治年(明治 1717 年) 群馬事件、加年) 群馬事件、加 波山事件、秩父事件、甲申政変、大同 波山事件、秩父事件、甲申政変、大同 団結運動 団結運動 18851885年(明治年(明治 1818 年) 大阪事件、内年) 大阪事件、内 閣制度発足 閣制度発足 18861886年(明治年(明治 1919 年) ノルマントン年) ノルマントン 号事件 号事件 18871887年(明治年(明治 2020 年) 保安条例年) 保安条例 18891889年(明治年(明治 2222 年) 大日本帝国憲年) 大日本帝国憲 法 法 18911891年(明治年(明治 2424 年) 大津事件、足年) 大津事件、足 尾銅山鉱毒事件 尾銅山鉱毒事件 18941894年(明治年(明治 2727 年) 日清戦争年) 日清戦争 18951895年(明治年(明治 2828 年) 下関条約、治年) 下関条約、治 安警察法、八幡製鉄所 安警察法、八幡製鉄所 19021902年(明治年(明治 3535 年) 日英同盟年) 日英同盟 19041904年(明治年(明治 3737 年) 日露戦争年) 日露戦争 19051905年(明治年(明治 3838 年) ポーツマス条年) ポーツマス条 約、日比谷焼打事件、日韓協約、ハー 約、日比谷焼打事件、日韓協約、ハー グ密使事件 グ密使事件 19101910年(明治年(明治 4343 年) 大逆事件(幸年) 大逆事件(幸 徳事件ほか)、韓国併合 徳事件ほか)、韓国併合 19121912年(明治年(明治 4545 年年 // 大正元年)大正元年)
五箇条の御誓文
五箇条の御誓文
広
く
会
議
を
興
し
広
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を
興
し
、
万
機
公
論
に
決
、
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す
べ
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。
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上
下
心
を
一
に
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て
、
さ
か
ん
に
経
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、
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綸
を
行
う
べ
し
。
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官
武
一
途
庶
民
に
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い
た
る
ま
で
、
お
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の
お
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そ
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志
を
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遂
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、
人
心
を
し
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倦
ま
ざ
ら
し
め
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倦
ま
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こ
と
を
要
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。
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旧
来
の
陋
習
を
破
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破
り
、
天
地
の
公
道
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基
づ
く
べ
し
。
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智
識
を
世
界
に
求
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め
、
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い
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起
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べ
し
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公卿や大名に示され、
公卿や大名に示され、
都市で発売されていた
都市で発売されていた
太政官日誌で布告されただけ
太政官日誌で布告されただけ
五傍の掲示(高札)
五傍の掲示(高札)
五箇条の御誓文の次の日に出す。
五箇条の御誓文の次の日に出す。
ほぼ全国に対し出す。
ほぼ全国に対し出す。
江戸幕府の政策を継承する内容。
江戸幕府の政策を継承する内容。
一札
一札
:
:
五倫道徳遵守
五倫道徳遵守
二札
二札
:
:
徒党・強訴・逃散禁止
徒党・強訴・逃散禁止
三札
三札
:
:
邪宗門(キリスト教)厳禁(
邪宗門(キリスト教)厳禁(
1873
1873
年
年
に諸外国から批判を受け廃止。)
に諸外国から批判を受け廃止。)
四札
四札
:
:
万国公法履行
万国公法履行
五札
五札
:
:
郷村脱走禁止
郷村脱走禁止
明治政府の権力交代
明治政府の権力交代
維新の十傑(明治政府発足時の中心)
維新の十傑(明治政府発足時の中心)
…
…
(薩
(薩
摩藩 )西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀、
摩藩 )西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀、
(長州藩 )大村益次郎、木戸孝允、前原一
(長州藩 )大村益次郎、木戸孝允、前原一
誠、広沢真臣、(肥前藩 )江藤新平、(肥
誠、広沢真臣、(肥前藩 )江藤新平、(肥
後藩 )横井小楠、(公家)岩倉具視
後藩 )横井小楠、(公家)岩倉具視
岩倉具視以外の
岩倉具視以外の
9
9
名が明治
名が明治
10
10
年「紀尾井坂
年「紀尾井坂
の変」までに死亡。
の変」までに死亡。
以降、長州藩の元老(伊藤博文、山県有朋、
以降、長州藩の元老(伊藤博文、山県有朋、
井上馨)が明治政府を主導。さらに伊藤博文
井上馨)が明治政府を主導。さらに伊藤博文
の政党政治と山県有朋の超然主義が対立。
の政党政治と山県有朋の超然主義が対立。
岩倉具視
岩倉具視
下級公卿出身。容姿や言動下級公卿出身。容姿や言動 に公家らしさがない→渾名 に公家らしさがない→渾名 「岩吉」。 「岩吉」。 朝廷主導の公武合体、現実朝廷主導の公武合体、現実 的開国、将来的攘夷→攘夷 的開国、将来的攘夷→攘夷 派によって親幕とされ失脚 派によって親幕とされ失脚 、蟄居。薩長同盟以降は倒 、蟄居。薩長同盟以降は倒 幕派に。「王政復古」クー 幕派に。「王政復古」クー デターの中心。 デターの中心。 新政府で輔相:国内行政全新政府で輔相:国内行政全 般と宮中の庶務→総裁は名 般と宮中の庶務→総裁は名 目上のみ。実質リーダー。 目上のみ。実質リーダー。 版籍奉還と廃藩置県を推進版籍奉還と廃藩置県を推進 。 。 「征韓論」派を押さえ込む「征韓論」派を押さえ込む 。 。 「明治十四年政変」を主導「明治十四年政変」を主導江藤新平
江藤新平
司法卿、法律整備に活司法卿、法律整備に活 躍。娼妓解放令、民衆 躍。娼妓解放令、民衆 に行政訴訟を認める法 に行政訴訟を認める法 、官吏の汚職に厳しい 、官吏の汚職に厳しい 。 。 明治
明治
7
7
年
年
(
(
1874
1874
年)の
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佐賀の乱で刑死
佐賀の乱で刑死
。
。
不平士族の反乱
不平士族の反乱
1876
1876
年に頻発
年に頻発
神風連の乱(しんぷう
神風連の乱(しんぷう
れんのらん)
れんのらん)
…
…
熊本
熊本
萩の乱
萩の乱
…
…
萩
萩
秋月の乱(あきづきの
秋月の乱(あきづきの
らん)
らん)
…
…
福岡県秋月
福岡県秋月
1874
1874
年:赤坂喰違の
年:赤坂喰違の
変
変
…
…
岩倉具視が襲撃に
岩倉具視が襲撃に
遭う。
遭う。
1878
1878
年紀尾井坂の
年紀尾井坂の
変
変
…
…
大久保利通が暗殺
大久保利通が暗殺
される。
される。
明治政府の派閥=藩閥政治
明治政府の派閥=藩閥政治
薩摩
薩摩
…
…
最初は最も有力だが内部分裂し、西南戦
最初は最も有力だが内部分裂し、西南戦
争で衰退。大久保利通が政府の最大実力者。
争で衰退。大久保利通が政府の最大実力者。
長州
長州
…
…
大久保利通暗殺後に台頭
大久保利通暗殺後に台頭
土佐
土佐
…
…
戊辰戦争に急遽参加→板垣退助が活躍。
戊辰戦争に急遽参加→板垣退助が活躍。
→権力闘争に敗れ、民権運動に。
→権力闘争に敗れ、民権運動に。
肥前
肥前
…
…
放射炉や江藤新平、大隈重信などの人材
放射炉や江藤新平、大隈重信などの人材
→権力闘争に敗れ、民権運動に。
→権力闘争に敗れ、民権運動に。
+ 公家
+ 公家
…
…
初期に岩倉具視、後に西園寺公望
初期に岩倉具視、後に西園寺公望
→
→
上は維新勢力、下は幕府
上は維新勢力、下は幕府
例)榎本武
例)榎本武
揚
揚
、渋沢栄一等
、渋沢栄一等
岩倉使節団
岩倉使節団
1871
1871
年
年
11
11
月
月
出発。
出発。
不平等条約保
不平等条約保
留を欧米に求
留を欧米に求
める。
める。
岩倉具視らは
岩倉具視らは
カルチャー
カルチャー
ショック。
ショック。
征韓論問題
征韓論問題
(明治六年政変)
(明治六年政変)
18731873 年年 88 月、岩倉不在の留守政府で西郷隆盛らが李月、岩倉不在の留守政府で西郷隆盛らが李 氏朝鮮に軍(一説に平和的使者)を派遣して開国させ 氏朝鮮に軍(一説に平和的使者)を派遣して開国させ るべきだと主張。三条(太政大臣)が閣議決定とした るべきだと主張。三条(太政大臣)が閣議決定とした が天皇は岩倉の帰国を待つよう命じた。岩倉は が天皇は岩倉の帰国を待つよう命じた。岩倉は 99 月に月に 横浜に到着。この論争を聞き、すぐに内務優先を唱え 横浜に到着。この論争を聞き、すぐに内務優先を唱え て征韓論に反対を表明。大久保利通も反対。三条が錯 て征韓論に反対を表明。大久保利通も反対。三条が錯 乱状態になった翌日、右大臣の岩倉が代わって太政大 乱状態になった翌日、右大臣の岩倉が代わって太政大 臣代理となり征韓論を却下。 臣代理となり征韓論を却下。 西郷、板垣退助・江藤新平・後藤象二郎・副
西郷、板垣退助・江藤新平・後藤象二郎・副
島種臣らが辞職。以降、征韓論を支持する不
島種臣らが辞職。以降、征韓論を支持する不
平士族から政府へのテロ、反乱が相次ぐ。
平士族から政府へのテロ、反乱が相次ぐ。
西南戦争
西南戦争
1877
1877
年(明治
年(明治
10
10
年)
年)
。西南役
。西南役
(せいなんのえき)、十年戦争
(せいなんのえき)、十年戦争
(鹿児島弁では「じねんのゆっ
(鹿児島弁では「じねんのゆっ
さ」)、私学校戦争
さ」)、私学校戦争
板垣退助
板垣退助
自由党を組織→自由民権運動
自由党を組織→自由民権運動
の開祖。
の開祖。
1882
1882
年(明治
年(明治
15
15
年)岐阜遭難事件→「板垣死
年)岐阜遭難事件→「板垣死
すとも自由は死せず」
すとも自由は死せず」
自由党は後に政友会に合流。
自由党は後に政友会に合流。
政府の懐柔→「自由」を取り
政府の懐柔→「自由」を取り
締まる内務大臣への就任→宮
締まる内務大臣への就任→宮
武外骨が「自由は死んだのに
武外骨が「自由は死んだのに
板垣は生きている」と揶揄
板垣は生きている」と揶揄
自身は無欲恬淡。
自身は無欲恬淡。
清濁合わせ呑むこ
清濁合わせ呑むこ
とが要求される政
とが要求される政
治家として有能で
治家として有能で
ない。
ない。
現実主義者。少年
現実主義者。少年
時代自ら稲荷神社
時代自ら稲荷神社
のお守りを厠に捨
のお守りを厠に捨
ててみて、神罰が
ててみて、神罰が
起こるか試した。
起こるか試した。
伊藤博文
伊藤博文
18631863 年に英国留学。英語に堪能。年に英国留学。英語に堪能。 初物好き:首相、宮内大臣、枢密初物好き:首相、宮内大臣、枢密 院議長、貴族院議長、韓国統監、 院議長、貴族院議長、韓国統監、 女子教育奨励会創立委員長。自ら 女子教育奨励会創立委員長。自ら 政党「政友会」を結成して総裁に 政党「政友会」を結成して総裁に 。 。 明治憲法考案。「天皇機関説」。明治憲法考案。「天皇機関説」。 4回首相に。4回首相に。 お世辞を言わない無骨な正直者でお世辞を言わない無骨な正直者で 、金銭にきれい。陽気で人気者← 、金銭にきれい。陽気で人気者← 天皇の信頼。 天皇の信頼。 「箒」。指名は二流・三流の芸者「箒」。指名は二流・三流の芸者 →地元の有力者と揉め事を起こさ →地元の有力者と揉め事を起こさ ないよう。 ないよう。 対外穏健派、韓国併合に反対。対外穏健派、韓国併合に反対。 「ビスマルク」でなく「グラッド 「ビスマルク」でなく「グラッド ストン」(英国自由党首相)。 ストン」(英国自由党首相)。 ハルビンで朝鮮独立運動家の安重ハルビンで朝鮮独立運動家の安重 根に暗殺( 根に暗殺( ?? ))大隈重信
大隈重信
財政の専門家。「明治財政の専門家。「明治 1414 年年 の政変」で下野。民権運動 の政変」で下野。民権運動 に投じ、 に投じ、 22 度首相になる。度首相になる。 早稲田大学の創立者。早稲田大学の創立者。 日比谷公園で葬式、約日比谷公園で葬式、約 3030 万万 人の一般市民が参列。 人の一般市民が参列。 33 週週 間後に同じ場所で行われた 間後に同じ場所で行われた 山縣有朋の「国葬」は翌日 山縣有朋の「国葬」は翌日 の東京日日新聞が「民抜き の東京日日新聞が「民抜き の国葬で、幄舎の中はガラ の国葬で、幄舎の中はガラ ンドウの寂しさ」と報じた ンドウの寂しさ」と報じた ほど。 ほど。 口癖は「何々であるんであ口癖は「何々であるんであ る」。時には「何々である る」。時には「何々である んであるんである」。 んであるんである」。 伊藤博文をライバル視、福伊藤博文をライバル視、福 沢諭吉と論客 沢諭吉と論客山県有朋
山県有朋
(山県狂
(山県狂
介)
介)
奇兵隊に入って頭角を現わす。奇兵隊に入って頭角を現わす。 22 回首相になる。「国軍の父」、 回首相になる。「国軍の父」、 「日本軍閥の祖」 「元老中の元老」 「日本軍閥の祖」 「元老中の元老」 。 。 宮中某重大事件で権威失墜。宮中某重大事件で権威失墜。 面倒見がいい→「山縣系官僚閥」を形面倒見がいい→「山縣系官僚閥」を形 成 →長閥として嫌われる。 成 →長閥として嫌われる。 山城屋事件など近代日本初の大掛かり山城屋事件など近代日本初の大掛かり な汚職疑惑に絡む。 な汚職疑惑に絡む。 「近代日本の暗部」「軍国主義者」「近代日本の暗部」「軍国主義者」 「帝国主義者」「ファシスト的」 「帝国主義者」「ファシスト的」……否否 定されるべき存在として「象徴化」。 定されるべき存在として「象徴化」。 「自分は一介の武辺」というのが口癖「自分は一介の武辺」というのが口癖 。 。 対外協調を重視。対華対外協調を重視。対華 2121ヶ条要求をヶ条要求を 批判。政党を嫌ったのは対外硬派が政 批判。政党を嫌ったのは対外硬派が政 党に多かったため。軍部大臣現役武官 党に多かったため。軍部大臣現役武官 制も、政党政治家が無謀な戦争に走る 制も、政党政治家が無謀な戦争に走る ことを避けるため。 ことを避けるため。井上馨
井上馨
財政で活躍。西郷:「三井の財政で活躍。西郷:「三井の 大番頭」。外務大臣も長期。 大番頭」。外務大臣も長期。 「雷親父」。渋沢は「避雷 「雷親父」。渋沢は「避雷 針」と呼ばれる。伊藤の盟友 針」と呼ばれる。伊藤の盟友 。 。 美術品収集に美術品収集に 熱心で強引に 熱心で強引に 奪い取る。明 奪い取る。明 治天皇は井上 治天皇は井上 の茶会で掛物 の茶会で掛物 を「貰う」と を「貰う」と 言い出し井上 言い出し井上 を狼狽させ、 を狼狽させ、 横暴をたしな 横暴をたしな めた。 めた。桂太郎
桂太郎
毛利氏重鎮の家系。
毛利氏重鎮の家系。
第2代台第2代台 湾総督。 湾総督。 「ニコポ「ニコポ ン宰相」 ン宰相」 日露戦争日露戦争 時の首相 時の首相 33 回首相に。日数は歴代1位。回首相に。日数は歴代1位。 山縣の腰巾着、政界の野太鼓と山縣の腰巾着、政界の野太鼓と 揶揄。晩年は政党政治を目指し 揶揄。晩年は政党政治を目指し 、山縣から離反。大正政変で失 、山縣から離反。大正政変で失 脚。民政党の母体を作る。拓殖 脚。民政党の母体を作る。拓殖 大創設。 大創設。榎本武
榎本武
揚
揚
18621862 年から年から 18671867 年までオラ年までオラ ンダに留学。国際法や軍事知 ンダに留学。国際法や軍事知 識、造船や船舶に関する知識 識、造船や船舶に関する知識 を学ぶ。「蝦夷共和国」を樹 を学ぶ。「蝦夷共和国」を樹 立して入札(選挙)の実施に 立して入札(選挙)の実施に より総裁に。 より総裁に。 18721872 年出獄、新年出獄、新 政府に登用された。 政府に登用された。 初代逓信初代逓信 大臣、歴 大臣、歴 代農相の 代農相の 中で最長。 中で最長。 民衆から 民衆から 「明治最 「明治最 良の官 良の官 僚」と謳 僚」と謳 われた われた。。渋沢栄一
渋沢栄一
幕臣出身者
幕臣出身者
第一国立銀第一国立銀 行や東京証 行や東京証 券取引所な 券取引所な どといった どといった 多種多様な 多種多様な 企業の設 企業の設 立・経営に 立・経営に 関わる。 関わる。 「日本資本 「日本資本 主義の父」 主義の父」 。 。 慶喜の弟・徳川昭武の随員とし慶喜の弟・徳川昭武の随員とし て、フランスを訪れる。 て、フランスを訪れる。 18691869 年大蔵省に入省。度量衡年大蔵省に入省。度量衡 の制定や国立銀行条例制定に携 の制定や国立銀行条例制定に携 わる。 わる。 18731873 年に井上馨と共に年に井上馨と共に 退官。以降はずっと民間に。 退官。以降はずっと民間に。 張作霖爆殺事件時、軍人厳罰を主張。田中張作霖爆殺事件時、軍人厳罰を主張。田中 義一が昭和天皇に叱責され内閣が総辞職← 義一が昭和天皇に叱責され内閣が総辞職← 立憲君主の立場からすればふさわしくない 立憲君主の立場からすればふさわしくない として、天皇を諫める。反対し続けた日独 として、天皇を諫める。反対し続けた日独 伊三国軍事同盟成立 伊三国軍事同盟成立 22 ヶ月後ヶ月後 19401940 年に死年に死 去。享年 去。享年 9090 歳。最後の言葉は「いったい歳。最後の言葉は「いったい この国をどこへもってゆくのや」。期待し この国をどこへもってゆくのや」。期待し ていた近衛文麿に離反され、首相に推薦し ていた近衛文麿に離反され、首相に推薦し たことを最後まで後悔。 たことを最後まで後悔。