第二章 「台湾独立」から「台湾自治」への転換
第三節 中国共産党の弾圧と「台湾人無漢奸論」
謝の台湾「独立」から「自治」の姿勢への転換は、それは謝の妥協によっ て生じたものだと、批判をもたらした。これももっともよく議論される論点で ある。
今回の新政治協商会議の開催およびこの会議にって組織される中央人 民政府の成立と中華人民共和国の成立とは、完全に全中国人民の意志と 利益に基づいてもたらされたものであります。六百七十万人の台湾人民 が三百余年にわたってオランダ・スペイン・清朝・日本などの異民族の 侵略と抑圧に反抗し、また国民党反動派の封建的・買弁的支配に反抗し
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て、流血の犠牲を伴う闘争を一貫して推進してきたのは、まさにこの目 的のためにほかなりませんでした。全台湾省人民は、全国人民の民主統 一戦線によって組織された中国人民政治協商会議を全面的に擁護し、や がて誕生する労働者階級が指導し労農同盟を基礎とする人民民主専政 の中華人民共和国中央人民政府を全面的に支持するとともに、この中国 人民政治協商会議の共同綱領に全面的に同意します。この共同綱領の中 の一つ一つの条項はわれわれの利益を代表しています。したがって、わ れわれはこれを遵守しなければならないばかりではなく、この綱領を完 全に実現するために、最後まで努力奮闘しなければなりません。とくに この綱領草案第十二条に掲げられている『各級人民代表大会は人民が普 通選挙によって成立させ、各級人民代表大会は各級人民政府を選出する』
という規定に、われわれは非常に満足しています。台湾人民の政治的要 求はまさにこの一ヵ条に集約されています。59
陳芳明は、この「台湾民主自治同盟首席代表謝雪紅發言」を引用し、分析 した。「擁護」、「支持」から「同意」という言葉への推移をみると、謝雪紅は すでに自己の「台湾に於ける高度自治」の主張と立場を徹底的に放棄している。
その理由は、ただ共同綱領第十二条のという規定だけであった。この条文を除 いて、台湾の經濟的な内容や歴史的に残されていた未解決の問題などについて は、謝は二度と触れようとはしなくなった。若いころからそなえていた謝の革 命精神は殆ど失われてしまって、完全に中国共産党の政策の執行者となったと、
59 「台湾民主自治同盟首席代表謝雪紅發言」、『人民日報』、北平、1949 年 9 月 24 日。訳文:
陳芳明著、森幹夫訳『謝雪紅・野の花は枯れず』、東京:社会評論社、1998 年、P382。
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陳は述べている60。
言い換えれば、陳の注目点は、謝の中国共産党との「妥協」、若しくは中国 共産党に対する「服従」、その上、台湾共産党が政治大綱で強調した「台湾民 族」の概念を諦め、「高度自治」の主張も諦め、台湾の所有権を中国共産党に しようとしたことである。この点から見れば、確かにそうであるが、謝の人生 経験を前提として、謝のこの転換を考えてみれば、逆に謝の思想の中心となっ ていた点を強調したと考えられる。つまり、謝の中では、謝が共産主義を武器 として使っていたように、「台湾独立」、「台湾の高度自治」そのものが目的で はなく、一定の目的を達成するための手段である。その故に、謝は転換した。
この目的こそが、謝の思想の中心だと考えられる。ここではあえて触れずに、
第二章のまとめの所で説明する。
謝の「台湾人無漢奸論」について、謝の署名のある文章にはないが、謝と 関連する者たちの発言によって、謝の立場は記録された。
解放以後、彼女は職権を利用して資産階級右派の活動を推進し、日本統 治時代や国民党支配時代に漢奸になった台湾人を自己の陣営に集結し て、彼らが摘発されると彼らのために弁護した。北京、上海、広州で彼 らを台盟に加入させ、彼らを登用した。彼らの一部の財産は、国民党に よってさえ没収されてしまった。例えば、ある者は漢奸の行動をしてい たが、解放後の人民政府に対し申請書を出して、われわれは台湾人だか
60 陳芳明『謝雪紅評傳』、台北市:麥田出版、2009 年、P373-374。
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らその財産を没収するのは不当なことだ、と訴えた。これは、まぎれも なく典型的な『無漢奸論』であった。彼女は台湾人は日本統治のもとで は日本国民で、日本人の命令に従って行動したのにすぎないのだから、
台湾人が戦犯になるはずはなく、また漢奸になるはずはない、と主張し ている。(略)したがって日本国民だったのだから台湾人には漢奸はい なかったという謝雪紅の主張は、それこそ漢奸の立場に立っている。(略)
彼女は資産階級の個人的野心家であり、実際には台湾独立の観点に立っ ている。『台湾人が台湾を統治する』とか、『台湾の領土は台湾が統治』
とか、『台盟は台湾各階層人民の統一戦線の核心である』などといった スローガンは、いわゆる台湾は台湾人の台湾だ、ということである。だ が、台湾は資産階級の台湾なのかどうか、それとも労働者・農民の台湾 なのだろうか?彼女が台湾は台湾人の台湾で、省長・県長は台湾人がな るべきだなどと主張しているのは、表面的には台湾人のために主張して いるようにみえるが、実際は地主、資産階級の統治を主張しているにす ぎない61。
陳炳基、吳克泰、蔡子民の三人は、謝とは敵対立場の蔡孝乾派の人で、彼 らがこの発言をしたのは 1974 年で、謝が亡くなった 1970 年から、すでに 4 年 が経過していた。
謝の『台湾人無漢奸論』とは、台湾人は日本の国民だったので、その価値
61 林天雄、「訪陳炳基、吳克泰、蔡子民談二二八起義和謝雪紅事件」、『歐洲通訊』、Vol.13、1974 年 10 月。引用、訳文:陳芳明著、森幹夫訳『謝雪紅・野の花は枯れず』、東京:社会評論社、
1998 年、P478-479。
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観は台湾人の歴史を判断の基準にするべき。香港時期から謝が提唱していた
「高度自治」もしくは「台湾自治」は、中国共産党の中央の角度から見れば、
それは間違いなく「台湾独立」であり、つまり、中国共産党の中央は台湾人の 利益よりも、中国共産党の利益を最優先にするべきと考えている。自治の主張 が原因で、謝は何度も中国共産党の中央に批判され、もしくはこの引用文の通 り、政敵に「資産階級の支持者」と歪曲されたが、それでも謝は中国共産党で はなく、台湾人の利益を最優先にし、台湾人のために働いていた。
つまり、中国に渡り、中国共産党に支配されても、謝の中では、常に台湾 を中心にして考えていて、圧倒的な少数者だとしても、弾圧を受けても、諦め なかった。
しかし、1950 年代の「整風運動」から始め、一連の批判闘争によって中国 共産党と蔡孝乾派の手によって、謝は失脚に向かわせられ、やがて 1958 年 1 月に謝は「第一期全国人民大会代表」と「台湾民主自治聯盟主席」のポストか ら解任され、党籍をも剥奪され、根底から中国共産党党内の政治立場を失った。
第四節 まとめ
謝の立場について、林瓊華は、「流亡、自治與民主:試論陳芳明著作『謝雪 紅評傳』之貢獻及爭議」の一文において、陳芳明の研究には幾つかの問題があ ると指摘した。
まず、林が提出した陳の研究の問題をまとめる。その一つは、陳は自分自
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60:2、台北県:臺灣風物雜誌社、2010 年 6 月、P164。
64 林瓊華「女革命者謝雪紅的『真理之旅』(1901-1970)」、『第六屆中華民國史專題論文及』、
台北県:國史館、2002 年、P83。謝雪紅口述、前掲書、『我的半生記』、P130。
65 林瓊華「流亡、自治與民主:試論陳芳明著作『謝雪紅評傳』之貢獻及爭議」、『台灣風物』、
60:2、台北県:臺灣風物雜誌社、2010 年 6 月、P166-167。
66 林瓊華「女革命者謝雪紅的『真理之旅』(1901-1970)」、『第六屆中華民國史專題論文及』、
台北県:國史館、、2002 年、P24。
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もしくは同一性がある。そう林は示唆した67。
確かに、謝は青島で漢民族のアイデンティティーを持つようになった。す くなくとも 1960 年代末、中国共産党から激しい批判闘争を受けていた謝は『我 的半生記』で、このように 1920 年代の自分の行動を解釈している。「民族自決」
の概念に影響され、民族主義で帝国主義による搾取、圧迫の問題を解決しよう とした社会運動者は当時には多数であった。謝もその例外ではない。しかし、
林の主張の通り、上海大学に入学するまで謝の中では共産主義の理論はまだ乏 しかった。本稿では第一章で、共産理論の乏しい謝は如何にロシアの留学経験 で、少しつづ共産主義の理論を身につけ、自分の武器にしたと説明した。そう であれば、五・三〇事件の「台湾を取り戻す」と 1949 年以降の「台湾を取り 戻す」というのは同じものだとは言い難い。
ロシア留学する前の謝は如何に「帝国主義」の問題を理解し、解決しよう としたのか。『我的半生記』ではこうした段落がある。
第一章第一節も書いた通り、1923 年 4、5 月の頃、当時上海にいた謝と林木
第一章第一節も書いた通り、1923 年 4、5 月の頃、当時上海にいた謝と林木