• 沒有找到結果。

『新臺灣叢刊』と「台湾民主自治同盟」の成立

第二章 「台湾独立」から「台湾自治」への転換

第二節 『新臺灣叢刊』と「台湾民主自治同盟」の成立

ほぼ同じ時期に、謝雪紅は楊克煌、蘇新らと刊行物を創刊するため、「新台 湾出版社」を設立した。その刊行物は『新台湾叢刊』である。『新台湾叢刊』

の第一冊の出版期日は 1947 年 9 月 25 日、その後の 11 月に「台湾民主自治同 盟」(略称「台盟」)の設立準備会が設立した。さらに、台盟の中心と言える謝、

楊、蘇の三人も『新台湾叢刊』を直接に刊行物の運営、編集を担当していて、

謝自身も寄稿したことがあるので。そのため、『新台湾叢刊』は相当な程度で 謝と台盟の立場を表していると推測できる。

中国共産党の勢力を借りて、国民党政権とその背後にあるアメリカ帝国主 義に対抗することの外に、その次の一歩はこの『新台湾叢刊』に掲載されてい る。謝雪紅が『新台湾叢刊』で使用したペンネームは、「斐英」や「一斐」で あった。これは彼女自身が 1920 年代に使用していた「謝飛英」という名前に 由来していた47

(筆者註:新しい中国の連合政府は)不是那個黨派要來代替這個黨派,

       

47  陳芳明『謝雪紅評傳』、台北市:麥田出版、2009 年、P295。訳文:陳芳明著、森幹夫訳『謝 雪紅・野の花は枯れず』、東京:社会評論社、1998 年、P318。 

45 

或是誰要來代誰的問題,而是必須建立一個包括共產黨,民主同盟等各民 主黨派及愛國民主人士的,代表全人民利益的,真正民主的聯合政府。而 台灣必須在這個聯合政府之下,實現完全以台人治台的民主自治,這是台 灣人民的最正確的目標,而且是唯一的生路48。((新しい中国の連合政府 は)ある党派が他の党派に代わって、またある個人が他の個人にとって 代わって政治を行なうという問題ではなく、共産党と民主同盟などの各 地の民主党派および愛国民主人士を含めて、全人民の利益を代表する真 の民主的な連合政府を樹立しなければならない、ということである。し たがって、台湾はこの連合政府の下で完全に台湾人が台湾を統治すると いう民主的な自治を実現しなければならない。これは台湾人民の最も正 しい目標であるばかりか、唯一の生きる道である。)

繰り返しになるが、謝の文章は殆ど他人が代筆することで出来たので、こ の時期の謝の人間関係から考えてみれば、この「明天的台灣」もおそらく楊克 煌の手を経て完成したと推測できる。

以上の文章から見れば、謝が強調したいポイントは、まず、「全人民の利益 を代表する真の民主的な連合政府の樹立」、次に「台湾人が台湾を統治すると いう民主的な自治の実現」である。もちろんこれは、謝が共産主義を深く信じ ており、また当時中国共産党は一番「全人民の利益を代表する真の民主的な連 合政府の樹立」に近い勢力である、という認識を前提とする。

       

48  一斐「明天的台灣」、『新臺灣叢刊第三輯 明天的台灣』、香港:新台灣出版社、1947 年 12 月 1 日、P16-17。 

46 

「台湾民主自治同盟」が成立した後も、謝は依然としてこう主張している。

第二次国共内戦において、中国共産党の勝利を目にした謝は中国共産党に 対して最大の期待をかけたのは当然のことであった。このような状況で、謝雪 紅、楊克煌、蘇新らによって、「台湾民主自治同盟」(略称「台盟」)の設立準 備会が 1947 年 11 月 12 日に成立し、1948 年 7 月 12 日に正式に成立した。主 席は謝雪紅で、楊克煌と蘇新は理事を務める。この組織の役割は、台湾への中 国国内の革命情勢の宣伝、国民党政権による台湾人への圧迫と搾取を世界各国 と中国国内に暴くということなどがある。名前の通り、謝と台盟のメンバーた ちは「民主」と「自治」の両立を求めていた49

台盟が提出した「民主」と「自治」の内容について、その「台湾民主自治 同盟綱領」で次のように明記している。

一、省為地方自治最高單位,省與中央政府權限之劃分,採取均權主義,

省得自制定省憲及選舉省長。(省は地方自治の最高単位である。省と中央 政府は均権主義を採用して、権限を分割する。省は自ら省憲法を制定し、

省長を選挙することができる。)

二、實行台灣省徹底的地方自治,省長、縣長、市長、區長、鎮長、鄉長,

一律由人民直接選舉。(台湾省は徹底的な地方自治を実施しょ、省長、県 長、市長、区長、鎭長、郷長は一律に人民が直接選挙する。)

三、省設省議會,縣設縣議會,市設市議會,為代表人民行使政權之機構。

       

49  古瑞雲『臺中的風雷』、台北市:人間、1990 年、P210。 

47 

(省には省議会を設け、県には県議会を設け、市には市議会を設け、人 民を代表して政権を行使する機関とする。)50

中国共産党も確かに、一度に各党派による「民主聯合政府」の制度を提出 したことがある。このことについて、1948 年 5 月 7 日台湾民主自治同盟が発 表した「告台湾同胞書」にも言及した。

中共中央最近發表紀念「五一」勞動節口號,其中第五條說:「各民主黨派、

個人民團體、各社會賢達,迅速召開政治協商會議,討論並實現召集人民 大會,成立民主聯合政府!」(略)在這時候,中共中央發表了這個號召,

正切合全國人民目前的要求,也正切合台灣全體人民的願望。無論任何政 府的產生,必須建築在全國人民的共同意旨上,即必須能夠真正代表全國 人民的利益51。(筆者訳:中共中央は最近五一労働節の記念宣言を発表し た、その第五条は「各民主党派、各人民団体、社会的有識者は速やかに 政治協商会議を開催し、人民代表大会の召集を討議してこれを実現し、

民主連合政府を成立させよう。」52である。(略)この時期に中共中央がこ の宣言を発表したのは、まさに全国人民の当面の要求にこたえたもので あり、また台湾人民全体の願望にも合致したものでもある。どのような 政府が誕生するにしても、全国人民の合意に基づいて樹立されなければ なりません。)

       

50  陳芳明『謝雪紅評傳』、台北市:麥田出版、2009 年、P302。訳文:陳芳明著、森幹夫訳『謝 雪紅・野の花は枯れず』、東京:社会評論社、1998 年、P316。 

51  丁原英、張振鵠ら「台灣問題資料輯錄」、『近代史資料』、北京市:科学出版社、1954 年第 3 期、P54-55。 

52  訳文:陳芳明著、森幹夫訳『謝雪紅・野の花は枯れず』、東京:社会評論社、1998 年、P336-338。 

48 

これも台盟の設立準備会が 1947 年 11 月に成立して以後、台盟が中共支持 を公然と表明した最初の文書である53。しかし、事実上、中国共産党は 1949 年 10 月中華人民共和国が建国以降、台湾の「高度自治」について、一切の承 諾はしていない54

それにも関わらず、中国共産党の五一宣言を信頼した謝と台盟のメンバー たちは、香港会議55の後、正式に中国共産党の配下に収められた。これ以降、

謝も依然として、「高度の台湾自治」を堅守し、1949 年 9 月新政治協商会議で

「処理台湾問題意見書」を提出し、再び前述の「告台湾同胞書」で挙げた「高 度の台湾自治」を強調した。しかし、台盟は中国共産党に重視されることもな く、「処理台湾問題意見書」も返事さえもらえなかった。

中共の立場はさておき、次は謝と台盟は何故「高度の台湾自治」を堅守し ていた理由を説明する。

1948 年 1 月 1 日刊行の『新臺灣叢刊第四輯 自治與正統』の中に、「自治與 正統」56という文章があった。この文章中で、ただ台湾自治の必要性を強調す るだけではなく、台湾の高度自治の困難性とその理由をも指摘しているが、そ        

53  陳芳明『謝雪紅評傳』、台北市:麥田出版、2009 年、P324。   

54  陳芳明『謝雪紅評傳』、台北市:麥田出版、2009 年、P322。 

55  香港会議。1948 年 6 月香港で、謝雪紅と彼女が主導する台盟、蔡孝乾と彼の台湾省工作委 員会、李偉光の上海台湾同郷会、の三つ組織によって行われた会議。その目的は、当時台湾に おける共産党の地下工作の指導権問題と台湾革命の理論の再確認。その結果として、蔡は台湾 に戻り地下工作を続け、謝は北京へ中国共産党が主導する政治協商会議を参加しに行くという。

謝と台盟の「高度の台湾自治」の主張は早くもこの時期から中国共産党によって批判を受けた。 

56 臬紹「自治與正統」、『新臺灣叢刊第四輯 自治與正統』、香港:新台灣出版社、1948 年 1 月 1 日、P19-23。 

49 

の一番大きな理由は「中国正統」の観念である。

這是脫胎於封建意識的觀念,是時時刻刻阻撓著中國政治改革的毒素。這 種意識的東西是或多或少普遍隱藏於中國人腦筋裡面。(略)蓋正統觀念對 於台灣的起碼態度就是:中國治台灣。換句話,台灣必受中國統治。「光復」

以來,官僚政府即本著這種觀念去統治台灣。官僚們用統治各省的同一觀 念(自然地亦由假民主的妙論及假自治的官法等等)去統治台灣。詎不到五 百日,就碰到二二八自治運動的反擊了。(略)當前國民黨政權正在沒落中。

可是台灣真自治還是要靠台灣民眾自己去繼續二二八的實踐而取得的。因 為中國的正統觀念不會因國民黨政權的崩潰而立刻消滅的。即使國民黨政 權倒了,假定所謂聯合政府成立了,那個時候「中國治台灣」的正統觀念 還是仍舊要驅使新中央政府派遣新的省主席去主持台灣的──那個時候,

可是台灣真自治還是要靠台灣民眾自己去繼續二二八的實踐而取得的。因 為中國的正統觀念不會因國民黨政權的崩潰而立刻消滅的。即使國民黨政 權倒了,假定所謂聯合政府成立了,那個時候「中國治台灣」的正統觀念 還是仍舊要驅使新中央政府派遣新的省主席去主持台灣的──那個時候,