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第五章 結論

第二節 巻二十八における笑い

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また、巻二十六~巻三十一において、巻二十六は「宿報」の巻であり、仏教 的宿報観からの解釈で全巻が統一されている。巻二十七は「霊鬼」の巻であり、

霊鬼の話が集まっている。また、巻二十九は「悪行」という巻であって、悪行 の話が多く書き記されている。巻三十、三十一は「雑事」の巻であり、放生・

還俗・夢見・漂着などの話が取り入れられている。その間に巻二十八が挟まれ ているが、笑い話が集中的に収録されている。このような構成からも、巻二十 六から巻三十一の中の、四巻は何かの主題によって集められていることが考え られる。このように考えると、巻二十六から巻三十一までの六巻も「無系統」

ではなく、何らかの「系統性」、或は「主題性」を持っていると考えなければ ならない。

これまでの先行研究では、巻二十五以降の六巻は巻一~二十五までの二十五 巻の性格と異なり、「無系統的」だと考えられているが1、以上の考察からは巻 二十八は社会秩序化という主題に従い、各話の間に一貫性が認められる、非常 に系統的なものといえよう。但し、本論文の検討対象である巻二十八には現に

「社会秩序化」という主題を持っているのだが、この主題は巻二十六から巻三 十一においての他巻にも見られるかどうかは今後の課題だが、現段階の考察に よって、従来、論じられてきた巻二十六から巻三十一までの「無系統性」とい う点は再検討する必要があるに止まることになる。

第二節 巻二十八における笑い

ところで、『今昔』の編者はなぜ「笑い」の話を巻二十八に集め、それを通 して、社会秩序化という主題を伝えようとする方法を取ったのであろうか。「笑 い」とはどのような機能を持つのか。本論文の最後にこの点について考えてみ たい。

「笑」の機能について、土井廣子氏「嘲笑の行方―『今昔物語集』巻第二八

1 黒部通善・森正人・小峯和明・出雲路修「〈シンポジウム〉『今昔物語集』の構造をめぐって」

『仏教文学』7 号所収、仏教文学研究会編集、1983.3、P47-94。

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をめぐって―2」では下記のように述べている。

笑われる者の窮状は罰せられている状態であり、笑い者になっている という窮状によって更に罰の度合いが重くなる。(中略)話と笑いが人々 の間に伝わり、広がりと持続をもつ間、罰も増幅し持続する。

要するに、「笑」とは社会秩序を乱す者を懲らしめる機能を持っており、「笑」

が広がれば広がるほど、笑われる者への罰が増幅していくのである。つまり、

編者は「笑」によって社会秩序の乱れの原因を排除し、秩序化を図ろうとして いるのであろう。

例えば、巻二十八第 1 話では、稲荷詣に参詣した重方が妻の扮した美女をく どいて、妻に頬を打たれ、衆人の前で日ごろの浮気をあばかれたのだが、その 時、「行来ノ人ニ見セテ咲ハセム」というように、重方の浮気のことが行き来 の人に笑わせたことが記されている。それだけではなく、話の最後に「妻ニモ 被咲ケル」「若キ君達ナドニ吉ク被咲ケレバ」と記されているように、重方は 妻にも君達にも笑われたのである。この話では、稲荷詣の場で笑われたのは罰 であり、その後、君達にも笑われたことによって罰が増幅された。

また、第 3 話では、円融院が子の日の遊宴で、召されもせず粗末な衣装で歌 詠みの座の末席に着座した曾禰好忠が咎められ、殿上人たちに追い立てられ、

これを見た多くの人々は笑い合った。話末評語に「召モ無キニ参テ.......

、此ル恥ヲ 見シ、万ノ人ニ被咲レ.......

テ.

」と述べており、召されもしないのに参上したので、

大勢の人に笑われることを強調した。この話では、「笑」こと自体が曾禰好忠 への罰であり、秩序を乱すことを懲らしめる機能を果していると見られる。つ まり、好忠がその場の秩序を乱す行動で笑われ、その場だけでなく、大勢の人 にも笑われた。話末評語には「万ノ人ニ被咲レテ........

」と書かれているが、「笑い」

の現場で笑う人から、「万人」までに広がっていったことにより、笑われる者 への罰の力が大きくなり、罰される時間も長くなったことが暗示されているの

2 土井廣子「嘲笑の行方―『今昔物語集』巻第二八をめぐって―」東洋女子短期大学紀要 32 号所収、東洋女子短期大学、2000.3、P11-23。

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である。ここからも、『今昔』においては、「笑」とは、教訓的・批判的な機能 を持っていることが明らかである。

このように以上の二話からは、社会秩序に悪い影響を与える人に対して、

「笑」でその行動を批判し、恥をかかせるという方法は『今昔』の編者が採用 したことが見られる。

しかし一方、笑いは単なる批判・教訓的な機能だけではなく、賞賛といった 機能を持っているのである。例えば、第 5 話では、六衛府の官人が大粮米を納 めなかった越前守藤原為盛の屋敷に駆けつけたが、為盛は官人たちを招き入れ、

塩辛物を肴に下剤入りの酒を飲ませて、下痢症状を起させた。それで、六衛府 の官人たちが「如此クスレドモ互ニ咲合テ.....

」「皆咲ヒテ....

腹ヲ病テ痢合タリ」と 描かれている。

話末評語に「極タル風流ノ物ノ上手」と為盛のことを褒め称えた。国が旱魃 に遭い、徴収した米が僅かしかないし、その米をまず上納しなければならない ので、自分の家にも米がなく、女童も餓えているという為盛の説明のおかげで、

この計画が成功した。そして、この説明によって、六衛府の官人も事情をよく 知り、自分は秩序を乱すほうなので、例え国守の計画で下痢しても、憎むこと ができない。この話では、「笑い」は為盛を褒める時に用いられたもので、「賞 讃」の意味が含まれているのである。

また、第 15 話では、豊後の講師が上京の途中で海賊に襲撃されたが、彼は 当時西国で賊徒に恐れられていた老雄―伊佐入道能観と名乗り、海賊を騙し退 散させたという話である。話の最後に人々が講師のことを「伊佐ノ新発ニモ増 タリケル奴也カシ」といい、「咲ヒケル」とあるごとく、豊後の講師の機知に 対して人々が笑って「賞賛」しているのである。

笑いの持つ「賞賛」の意義について、かつて国東文麿氏が提起したことがあ る。ところが、国東氏は「笑ふ」という語を嘲笑的と哄笑的なものに分けて、

嘲笑的なものの教訓性が強いこと、また哄笑的なものは機知警句を能くするも のを、〈ものいい上手〉〈ものおかしくいう者〉などの語を以て、賞賛辞を加え

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ることがあることを説いていながらも、賞賛のほうは普遍的価値規準による本 来のものでなく、特殊的臨機的のものであって、撰者の実用的類聚(賞讃・教 訓)意識の外に立つものであり、重要な意義を持っていないと考えている。更 に、氏は巻二十八を「教訓の巻」として分類している3

また、小峯和明氏は「本朝〈王法〉部の組織4」では、『今昔』の巻二十八は 国東氏が指摘している「教訓の巻」とは異なり、「教訓」と「賞賛」との機能 が同時に内含されており、それによって「社会の秩序化」を図ることができる 一巻であると指摘している。そして、「本朝〈王法〉部の組織」という論文が 上梓された十年後に、小峯氏は「中世笑話の位相5」では、再び『今昔』巻二 十八に描かれている「笑い」の持つ機能を論じた。彼は、「笑いにはきわめて 社会的な機能が負わされていた。たんに趣味的、消閑的なものではない、共同 体のより積極的な期待や批判、糾弾、制裁がこめられていた」と述べており、

「その笑いによって今までの価値観や秩序が解体し、中心に座していた者が疎 外される反転の構図だ」と考えている。小峯氏は自らの十年前の論述である「笑 いを軸にした社会秩序をはかる巻6」といった点について疑問視をして、「仏法 王法相即」に基づいた「笑いによる社会の秩序化」という嘗ての論説と異なっ て、巻二十八の「笑い」の持つ価値観や秩序を解体した働きに注目し、共同体 の批判・制裁などで、もとの秩序にいた権力者が権威を失い、「笑い」の攻撃 性と反権威性によって秩序が解体されると指摘している。

つまり、小峯氏は最初巻二十八には「教訓」と「賞賛」の機能があり、それ によって「社会の秩序化」を図ると指摘したが、十年後、その考えを一変して、

「笑い」の攻撃性と反権威性によって秩序が解体されると考えるようになった。

そして、森正人氏もまた巻二十八の「笑い」について、「社会のさまざまな

3 国東文麿「今昔物語集の構成」『今昔物語集成立考[増補版]』早稲田大学出版部、1978.5、

P101-103。

4 小峯和明「本朝〈王法〉部の組織」『今昔物語集の形成と構造』笠間書院、1985.11、P528-531。

(初出は「今昔物語集本朝〈王法〉部の形成と構造」『徳島大学教養部紀要』19 巻所収、徳島

(初出は「今昔物語集本朝〈王法〉部の形成と構造」『徳島大学教養部紀要』19 巻所収、徳島

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