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第四章 巻二十八の構成

第三節 配列意識

立 政 治 大 學

N a tio na

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第 5 話越前守の話のように、六衛府の官人が押しかけてきたら、機知と弁才で 退散させることができるし、また、第 31 話の租税を納めない藤原清原に対し ても、機知で租税を納めさせることもできる。海賊や盗賊に遭っても、豊後講 師と阿蘇史のように、機知と弁才で危機から逃し、周りの人も助けることがで きる。要するに、揺れている社会では、「機知」と「弁才」が社会を秩序化に する方法だということを編者が伝えようとすると考えられよう。

第三節 配列意識

一方、『今昔』の巻二十八の全容を把握するために、巻の構成も見逃しては いけない点である。編者が如何なる配列意識を持って巻二十八を編纂したのか、

そこから編者が示したい主題にも関わっている。

巻二十八には四十四話あるが、第 1~20 話は官人と僧の話が数話ずつ交替す る形をしている。第 21~39 話は基本的には官の話だが、数話の官の話に一話 の僧の話が挿入されているという形をしている。そして、第 40~41 話は身分 が低い人の話であり、第 42~43 話は官の話で、第 44 話はまた身分が低い人の 話になる。こうした四十四話の配列からも、巻二十八の話は、第 1~20 話は前 半部(官と僧が数話ずつ交替する)で、第 21~44 話(数話の官の話に一話の 僧の話が挿入されている)は後半部であると見ることができよう。更に、前半 部には官と僧の話数がほぼ同じだが、後半部には官の話数が大半を占めている。

この四十四話を図にしてみれば、次のようになろう。また、便宜のため、A~

P の番号をつけてグループ分けをしてみた。(目録標題は『新全集』によるも のである)

‧ 國

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尼共入山茸舞語第二十八 ⇒J.僧 中納言紀長谷雄家顕狗語第二十九

左京属紀茂経鯛忌巻進大夫語第三十 大蔵大夫藤原清廉怖猫語第三十一 山城介三善春家怖蛇語第三十二

大蔵大夫紀助延郎等唇被咋亀語第三十三 筑前守藤原章家侍錯語第三十四

右近馬場殿上人種合語第三十五

比叡山無動寺義清阿闍梨嗚呼絵語第三十六(未完)⇒L.僧 東人通花山院御門語第三十七

信濃守藤原陳忠落入御坂語第三十八 寸白任信濃守解失語第三十九

以外術被盗食瓜語第四十 近衛御門倒人蝦蟆語第四十一 語立兵者見我影成怖語第四十二 傅大納言得烏帽子侍第四十三

近江国篠原入墓穴男語第四十四 ⇒P. 身分が低い人

このような図からも、巻二十八の配列には何らかの秩序が存在しているよう に感じられる。

例えば、最初の A パートの 7 話は官の話であり、次の第 8~12 話までの五 話はほぼ僧に関する話であるが、第 10 話では一話だけ官の話が挿入されてい る。果してこのような配列はどのような意味を有しているのであろうか。以下、

この問題をめぐって話の内容を検討していきたい。

まず、第 1~3 話についてだが、第 1 話は近衛舎人重方の「色欲」から話が K.第 29~35 話、官

M.第 37~39 話、官

N.第 40~41 話、身分が低い人

O.第 42~43 話、官

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始まった。好色漢の重方が同輩と共に稲荷詣でに出かけた時、妻の扮した美女 をくどいて、妻に頬を山も響くほど打たれた。その後、若公達などのいい笑わ れ者になったので、重方は若公達のいる前ではいつも逃げ隠れするのであった。

このように、第 1 話では欲望から話を書き出して、最後に色欲を戒めていると ころに話が終わる。

そして、第 2、3 話は官の失態の話であるが、まず、第 2 話では、武勇で有 名な武士三人が賀茂祭の行列を見物しようと、女車に仕立てた牛車に乗って出 かけた。三人とも牛車に初めて乗ったので、車に酔い見物も出来なかった。武 士が牛車に乗って、その上女車に装うことは非常識で、身分に相応しくない行 動であり、最後に車酔いして見物もできないというはめに陥った。この話では、

武士が失態した話を通して、非常識で身分に相応しくない行動をしてはいけな いと編者が教訓しているのではないか。

また、第 3 話では、円融院が遊宴を紫野で行った時、曾禰好忠が召されもし ないのに、粗末な衣装で着座し咎められた。好忠が召されもしないのに参上し たにも関わらず、事情がばれていても離れないという非常識な行動を取った。

それによって好忠が追い払われて失態し、皆に笑われた。ここもまた、好忠が 身分に相応しくない行動を取っていたため、笑われたということを描いている。

次に、第 4 話と第 5 話を見てみる。

第 4 話では、尾張国が五節の担当国と定められたが、宮中の作法が知らない 尾張守と子供たちは、何もかも好奇の目で追い求め、殿上人が近づいたら逃げ 回し、その醜態を見て、若い殿上人や蔵人などが笑っていたと記されている。

そこで、若い殿上人たちは五節所の前に紐を解き、上衣の肩を脱ぎ歌を歌おう と企んだ。それに、好意のふりをして企んだことを尾張守の子供に教え、尾張 守は子供からその話を聞いたが信じなかった。当日、殿上人たちが本当にその 企んだことを実行し、尾張守は屏風の後ろに隠れ震え、好意のふりをして教え てきた殿上人のことを褒め称えた。

そして、第 5 話は、越前守が旱魃で租税の徴収ができず、六衛府の下級役人

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に大粮米を支給しなかったゆえ、その役人たちが国守の屋敷に押しかけ強訴に 及んだ際に、国守が官人たちに招待した酒と肴に下剤を入れて、下痢させ退散 させたという話である。

このように、第 4 話と第 5 話の国守は押しかけてきた官人に対する対応は全 く違っていることが注目されるところである。第 4 話の尾張守は隠れ震えるし かできなかっただけではなく、好意のふりをして企んだ殿上人のことを褒め称 えた。この話において、尾張守の臆病と愚かさが示されていよう。しかし一方 の第 5 話では、越前守は「機知」と「弁才」で、押しかけてきた六衛府の役人 たちに恨まれず退散させた。二人の国守の異なる反応と対応により、結果も異 なっている。第 4 と 5 話は対照的である。この二話の持つ対照性からも、経済 的基盤を握った国守に対する「機知」と「弁才」の重要性が示唆されていよう。

「機知」と「弁才」がなければ、押しかけてきた官人に対して対応できず、隠 れて震えることしかできず、これからもまた同じことが起るかもしれないから である。

続いて、第 6 話を見てみたいが、歌読元輔が賀茂祭の奉幣使として一条大路 を通った時、逆さまに落馬して、冠を飛ばして禿頭をさらけ出して若い殿上人 や公達の爆笑をかったという。ここにおいて、元輔は先例を挙げて自分の落馬 は笑うことではないと主張したが、かえって公達に笑わせたというはめに遭っ て、失態してしまったという。有名な歌人にも関わらず、理屈に合わない弁解 をし、思慮が足りない元輔の形象が描かれているのである。

また、第 7 話は舞楽を田楽と勘違いして、無知な郡司の話である。この話で は、無知な田楽舞を演じて教円を迎え、その常識はずれの行動をしたという。

話末評語に「皆然様ノ事ハ知タル者ヲ」と記されており、舞楽は常識のもので あり、舞楽を田楽と勘違いをするはずはなかったという。郡司が無知な行動を して、小僧に嘲笑されたことが記されていることからは、編者は人の無知を訓 戒しようとする意図が読み取れよう。

以上に見てきた七話をまとめてみれば、第 1 話は「色欲」を戒めている話で

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ある。第 2、3 話では、「欲望」に捕われない重要性を強調している。第 4、5 話では、国守には国を豊かにする力を持つと同時に、危機に対面する時も柔軟 な対応力も必要であることを示していよう。そして、第 6、7 話では、官人の 無知と思慮が足りないことを戒めている話として捉えられる。

このように、A パートの七話には、官人の「欲望」の話が第 1 話の一話だけ であるが、その「欲望」を戒めた上に、官人が機知と弁才で危機を対応する能 力を持たなければ、失態してしまうこと、また無知と思慮が足りない軽率な行 動をしてはいけないことなどを繰り返し教誨しているのである。

次に、B(第 8~9 話)、D(第 11~12 話)パートについてだが、この二つの パートはいずれも僧に関する話であるが、その間一話だけ官の話が挿入されて いる。

まず、B パートから見てみよう。

B パートにおける第 8 話は興福寺の中算が自分を咎めようとする木寺の基僧 に機知と弁才で言い返し、逆に基僧が「小寺の小僧」という異名がつけられて しまったという話である。

第 9 話は十五荷の破子を用意すると言った助泥が一つも準備せずに逃げて

第 9 話は十五荷の破子を用意すると言った助泥が一つも準備せずに逃げて

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